ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
翌朝、ルーカスはユタ大学へ向かった。
構内へ足を踏み入れた瞬間、学生だった頃の記憶が蘇った。
講義棟。
研究室。
図書館。
当時のルーカスにとって、この大学は未来へ進むための場所だった。機械工学を学び、自動車技術を学び、時間を見つけてはボンネビルや過給機関に関する資料を読み漁った。
しかし、その頃は知らなかった。
自分が興味本位で眺めていた速度記録の世界の中に、祖父アドルフたちの仕事が含まれていたことを。
今の目的は学業ではない。
一九六二年のボンネビルへつながる資料を探し出すことだった。
前夜、宿で整理したノートを開く。
そこには三つの項目が並んでいる。
アンガーフェルトの資料。
ロバートの記憶。
ユタ大学の収蔵資料。
この三つがどこかで交わるはずだった。
だが、まだ交点は見つかっていない。
大学の資料閲覧室で、ルーカスは候補となる資料群を洗い出し始めた。
まず避けなければならないのは、ISO-I-2という名称だけで探すことだった。
その名は研究チーム内部の管理名称である。
アメリカ側の記録担当者が知っていたとは限らない。
現地では別の名前が使われていた。
イセッタターボスペシャル。
しかし、それも万能ではなかった。
現場の観客や撮影者が、その正式名称を記録している保証はない。
ドイツ車。
改造イセッタ。
外国製小型車。
そうした曖昧な表現で記録されている可能性もある。
ルーカスは検索語を並べた。
ボンネビル。
一九六二年。
イセッタ。
ドイツ。
外国製小型車。
速度記録。
候補を広く拾い、その後で絞り込む。
調査は派手ではなかった。
一ページ読む。
該当しない。
次を確認する。
また違う。
延々とその繰り返しだった。
昼近くになっても決定的な発見はない。
だが、一つ分かったことがある。
大学に残されている資料の多くは、後から整理され公開されたものだった。
つまり、資料へ付いた名称や説明が必ずしも撮影当時のものとは限らない。
ある車が後年になって「外国製小型車」と説明されていても、撮影時には別の名前で呼ばれていたかもしれない。
逆もある。
名称だけで判断してはいけない。
ルーカスは改めてそう確認した。
昼食を済ませた後、彼は学生時代のことを思い出した。
当時、自分はこうした資料をどこで見ていたのだろう。
講義だったか。
研究だったか。
あるいは学外の集まりだったか。
思い出そうとすると、記憶はかえって曖昧になった。
そのことに気づき、ルーカスは手帳へ短く書いた。
自分の記憶も証言である。
ロバートの記憶と同じだった。
時間が経てば変形する。
忘れる。
補完される。
だから検証が必要になる。
午後、ようやく複数の候補資料へたどり着いた。
写真。
フィルム。
整理番号。
短い説明文。
その一つに、小型車を扱った映像があった。
ルーカスは再生を頼んだ。
白い塩原が映る。
遠くに人影。
何台かの車両。
そして、画面の端に小さな車体。
ルーカスは最後まで見た。
もう一度見た。
さらに三度目も見た。
似ている。
だが断定できない。
アンガーフェルトのNormal-8で見た構図とも、どこか違う。
白い地面。
小型車。
同時代。
その共通点だけでは足りなかった。
ルーカスは記録した。
同一映像とは確認できない。
そして続けて書く。
同時期、同地域の別資料である可能性。
それ以上は書かなかった。
判断を急がないためだった。
その後も資料を調べ続けたが、状況は変わらなかった。
候補はいくつかある。
決定打はない。
しかし、一つの発見はあった。
大学時代の記憶に残っている映像は、どうも今日確認した資料とは違うらしい。
画面の揺れ方。
カメラの追い方。
車体の見失い方。
どれも少し違う。
記憶違いかもしれない。
しかし、その可能性を残したまま追う価値はあった。
もし違うなら、まだ別の資料が存在することになる。
閉館時刻が近づいた頃、ルーカスはその日の作業を終えた。
大学の外へ出る。
夕方の光が構内を赤く染めていた。
確定したことは少ない。
しかし、前進はしていた。
アンガーフェルトの記録。
ロバートの証言。
大学の資料。
それぞれは少しずつ近づいている。
まだ重なってはいない。
だが、完全に無関係とも思えなくなっていた。
宿へ戻り、その日のノートを整理する。
確定事項。
未確認事項。
今後の確認項目。
ページが埋まっていく。
最後に一行を書いた。
名前が違えば、同じ出来事も別々の記録に見える。
ISO-I-2。
イセッタターボスペシャル。
外国製小型車。
どちらも同じ車を指している可能性はある。
だが、それを証明する資料はまだ揃っていない。
可能性は証明ではなかった。
ロバートの記憶だけでは足りない。
大学の資料だけでも足りない。
それでも、探すべき方向は見えている。
手帳を閉じたルーカスは、翌日の予定を確認した。
今日見つからなかったなら、まだ別の資料を探せばいい。
その程度のことで調査は終わらない。
アンガーフェルトから始まった追跡は、まだ途中だった。