ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
ユタ州の宿で目を覚ました時、ルーカスの頭には前日の一文が残っていた。
効率は出力の反対側にあるのではない。出力を追った先にある。
仮説に過ぎなかった。
だが、それを確かめるための資料は手元にあった。
ルーカスは朝食を後回しにして、アンガーフェルトから持参した複写資料を机へ並べた。
ISO-I-3。
BMW 700。
BMW 700-B。
BMW 700-C。
BMW 700-D。
年代順に置く。
その間には、ボンネビルで使われたISO-I-2も存在する。しかしルーカスが今知りたかったのは速度記録ではなかった。
ISO-I-2、米国側のエントリー名イセッタターボスペシャルは、ボンネビルという特殊な場所のために作られた車だった。
そこで残った公式区間平均は95.1mph、約153km/h。
約240km/h相当という表示は後輪空転による無効値で、真の最高速度ではない。
その経験の後、研究はISO-I-3へ進んでいる。
ISO-I-3の目的は違った。
公道での耐久試験。
機関だけを見るのではない。
駆動系。
冷却。
車体。
タイヤ。
制動。
乗員。
整備。
それらを一つの系として評価する車だった。
そこに、ボンネビルまでとは違う方向が見えた。
速いかどうか。
それだけではない。
走り続けられるか。
止まれるか。
整備できるか。
人間が使えるか。
実験の単位が、機関から車全体へ広がっていた。
その次にBMW 700が現れる。
ルーカスは資料を一枚ずつ読み直した。
最初のBMW 700は百馬力を超えていた。
公道試験車だった。
RRレイアウトの小型車に、アドルフたちが積み重ねてきた過給技術を持ち込む。
ここだけを読めば、まだ従来と同じだった。
より強い機関。
より高い性能。
ところが、その後が違う。
BMW 700-B。
約九十馬力。
冷却余裕、操作性、耐久性の改善。
BMW 700-C。
約八十馬力。
燃費と保守性の改善。
BMW 700-D。
約七十馬力。
実用性重視。
数字は段階的に小さくなっていた。
ルーカスは手帳へ四つの数字を縦に並べた。
百馬力超。
九十。
八十。
七十。
若い頃のアドルフの研究だけを知っていれば、不思議な一覧に見えただろう。
出力を得ることに成功した技術者が、なぜ自分から出力を下げるのか。
失敗して出なくなったのではない。
資料では意図して仕様を変えている。
つまり、別のものを得るためだった。
ルーカスは700-Bの横へ書く。
余裕。耐久性。
700-C。
燃費。保守性。
700-D。
実用性。
馬力の減少と引き換えに、評価する項目が増えている。
前日にマイケルと話した内容が重なった。
二千馬力という数字を得た瞬間に、機関の開発が終わるわけではない。
そこから温度を見る。
油を見る。
燃料を見る。
摩耗を見る。
使い続けられる条件を探す。
半世紀近く離れた二つの研究が、規模こそ違っても同じ方向へ進んでいるように見えた。
ただし、それだけでアドルフの意図を断定することはできない。
ルーカスは手帳に、
「出力低下=効率向上」とはまだ断定しない
と書き加えた。
馬力を下げただけで熱効率が上がるわけではない。
燃費が改善したという記録があっても、それだけから機関単体の熱効率を算出することもできない。
車両重量。
速度。
走行条件。
気象。
変速比。
タイヤ。
多くの条件が関わる。
資料にない数字を勝手に補えば、また約240km/hの表示と同じ過ちを犯すことになる。
必要なのは、数値を作ることではなかった。
アドルフたちが何を評価項目として増やしていったのかを見ることだった。
ルーカスはそこで、エリーザベトの記録を開いた。
彼女の評価軸は以前から変わらない。
燃費。
始動性。
操作性。
信頼性。
家族への負担。
アドルフが機関を見ていた頃から、エリーザベトは車を生活用品として見ていた。
二人は同じ車に乗っても、見ているものが違った。
だが、BMW 700系ではその距離が縮まっている。
冷却余裕。
操作性。
燃費。
保守性。
実用性。
後期になるほど、アドルフ側の技術評価にエリーザベトの評価軸と重なる言葉が増えていた。
ルーカスはそこで手を止めた。
どちらかが相手へ合わせた、と考える必要はない。
長く使える車を研究した結果、技術者の評価と使用者の評価が同じ場所へ近づいただけかもしれない。
壊れないことは技術上の成果であり、生活上の利点でもある。
燃料を無駄にしないことも同じだった。
整備しやすいことも同じである。
速度だけを評価している限り、この一致は起こらない。
ルーカスは最初に書いた、
高出力 → 効率
という線を消した。
単純すぎた。
代わりに書く。
高出力 → 限界の発見 → 評価項目の拡大
その先にはまだ空白を残した。
効率と書くには、後半の資料をもう少し読む必要があった。
そして、その空白の先にあるのが700-Dだった。
700-Dの資料は、それまでの記録とは少し雰囲気が違っていた。
ルーカスは何冊もの複写資料を机へ並べ、その違いを探した。
BMW 700。
700-B。
700-C。
そして700-D。
数字だけなら単純だった。
百馬力超。
約九十馬力。
約八十馬力。
約七十馬力。 
だが、記録された内容は単純ではない。
700-Dの頁には、以前ほど出力の話が出てこない。
代わりに現れるのは耐久性、整備、継続使用に関する記述だった。
ルーカスは同じ頁を三度読み返した。
速度が目標なら、なぜ出力を落とすのか。
当初は、その疑問ばかりが目についた。
しかし今は違う。
熱効率という視点を得たことで、記録の読み方が変わっていた。
出力を上げる。
熱が増える。
損失が増える。
部品へ負荷が掛かる。
整備頻度も増える。
もしその状態で十分な性能が得られているなら、出力を抑えて失うものより、得るものの方が大きいこともある。
ルーカスはその考えを手帳へ整理した。
アドルフは出力を諦めたのではない。
出力の価値を、他の要素との関係で評価するようになった。
それは別の能力だった。
速くする技術。
壊れない技術。
燃料を無駄にしない技術。
長く使う技術。
それぞれは別の問題だった。
午後、ルーカスは再び工場を訪れた。
マイケルは作業台に広げた図面を片付けているところだった。
「まだ700を考えている顔だな」
ルーカスは苦笑した。
「分かるか」
「分かる」
マイケルは椅子へ腰を下ろした。
「結論は出たか」
「まだだ」
「それが普通だ」
ルーカスはノートを見せた。
そこには矢印がいくつも描かれている。
出力。
熱。
損失。
耐久性。
整備。
燃費。
実用性。
互いに線で結ばれていた。
「複雑だな」
マイケルが言う。
「車そのものだ」
ルーカスは答えた。
「どれか一つだけでは決まらない」
しばらく沈黙が続いた。
工場の奥では作業音が響いている。
午前中より穏やかだった。
ルーカスは作業を眺めた。
誰かが配管を確認している。
別の誰かが部品を運んでいる。
もう一人は記録を書いている。
その光景は不思議だった。
ロバートがボンネビルで見た人々も、こんな風だったかもしれない。
イセッタターボスペシャルの周囲で働く人々。
速度記録のために集まった人々。
しかし実際には、速度だけを見ていた人はいなかったのではないか。
誰かは冷却を見る。
誰かは測定を見る。
誰かは輸送を見る。
誰かは費用を見る。
記録は車を残す。
人間は役割を分担する。
ルーカスはロバートの言葉を思い出した。
車よりも人を覚えている。
今なら理解できる気がした。
数字は記録になる。
人は光景になる。
そして光景の中には、人々の仕事が残る。
マイケルは壁の写真を指差した。
「父が好きだった写真だ」
そこには車そのものより、車の周りに集まる人々が写っていた。
整備をしている者。
話している者。
手を動かしている者。
ルーカスは写真を見た。
それはボンネビルの遠景写真とよく似ていた。
速い車だけでは成立しない。
その車を成立させる集団がある。
アンガーフェルトの資料を読み始めた頃、ルーカスは祖父を中心に見ていた。
今は違う。
エリーザベト。
オットー。
ヨーゼフ。
ルートヴィヒ。
フランツ。
そしてゲオルグ。
一台の車の背景には必ず複数の人間がいる。
それは現代も同じだった。
夕方が近づく頃、ルーカスはノートを閉じた。
「ようやく分かってきた」
マイケルが顔を上げる。
「何が?」
「祖父が何を変えたのか」
まだ証明ではない。
仮説だった。
それでも以前より輪郭ははっきりしている。
「出力を重視するのをやめたんじゃない」
「うん」
「出力だけを重視するのをやめたんだ」
マイケルは静かに頷いた。
「それなら分かる」
宿へ戻ると、ルーカスは最後に資料を並べ直した。
Type1。
ISO系。
BMW 700系。
02系。
順番は変わらない。
だが、見え方は変わっていた。
若い頃のアドルフは速く走る方法を探した。
やがて、その速さを維持する方法を探した。
さらに、そのために失われるものを減らす方法を探し始めた。
その先に、燃費や排出ガスや実用性がある。
そして、その流れの中に02-3も存在する。
ルーカスは手帳の新しい頁を開いた。
そこへ一文だけ書いた。
効率は節約ではない。技術の到達点の一つである。
その一文を見た時、次に読むべき資料も明確になっていた。
BMW 700の記録が終わる場所。
そして新しい車が始まる場所。
そこに、次の答えが待っているはずだった。