ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
ユタ州の宿へ戻ったルーカスは、机の上へ資料を並べた。
Type1。
ISO系。
Donnervogel。
BMW 700系。
長い年月をかけて作られた車たちだった。
それぞれ性格は違う。
しかし、年代順に並べると不思議な流れが見えてくる。
若い頃のアドルフは出力を追った。
より速く。
より強く。
より高性能に。
その方向は明快だった。
ところが、資料を読み続けると途中から変化が現れる。
冷却。
潤滑。
耐久性。
保守性。
燃費。
排出ガス。
実用性。
それまで脇役だった言葉が前面へ出てくるのである。 
そして、その流れの中にBMW 700系がある。
ルーカスは700-B、700-C、700-Dの記録を読み返した。
出力は少しずつ下がる。
その代わりに別の評価項目が増える。
もし出力だけが目的なら奇妙な変化だった。
しかし前章までの調査を経た今は違う。
出力とは、車の価値を決める要素の一つに過ぎない。
燃料。
冷却。
タイヤ。
整備性。
安全性。
それらも同じ重さで存在する。
ルーカスはノートへ新しい見出しを書いた。
出力を捨てる。
そして少し考えてから、その横へ補足を書き加えた。
ただし性能を捨てるとは限らない。
そこが重要だった。
翌朝、彼は再び資料を読み始めた。
アドルフの日記を年代順に追っていく。
若い頃の文章には勢いがある。
失敗しても前へ進む。
機関を壊しても次を作る。
より大きな出力を求める。
それは確かに魅力的だった。
しかし、後年の記録は落ち着いている。
速度や出力を否定しているわけではない。
むしろ、その価値を知っているからこそ限界も知っている。
ルーカスはある箇所で手を止めた。
そこには、日常使用に関する記述があった。
長距離移動。
燃料補給。
整備。
始動。
天候。
競技場ではなく生活の中の記録だった。
同じ資料群の中とは思えない。
だが確かに繋がっている。
Type1の失敗。
ISO-I-1の横転。
イセッタターボスペシャルでの経験。
Donnervogelのタイヤ損傷。
それらを積み重ねた先に現れた評価項目だった。
午後になると、ルーカスはエリーザベトの記録も読み返した。
彼女が注目しているのは昔から変わらない。
燃費。
始動性。
操作性。
信頼性。 
若いアドルフは速度を見た。
エリーザベトは生活を見た。
視点は違う。
それなのに後年になると、その二人の評価が徐々に近づいているように見える。
ルーカスはそこに興味を引かれた。
技術者が生活へ歩み寄ったのか。
それとも生活の要求が技術へ影響したのか。
たぶん両方だろう。
車は競技だけでは存在できない。
生活だけでも進歩しない。
その間にあるから面白い。
夕方近くになると、ルーカスはページいっぱいに矢印を書いていた。
出力。
熱。
損失。
整備。
耐久性。
燃費。
実用性。
その中心にあるものを探していた。
そして、ようやく一つの考えにたどり着く。
アドルフは出力を捨てたのではない。
出力だけを評価する考え方を捨てたのだ。
ルーカスはその文章を手帳へ書いたあと、しばらく眺めていた。
断定するには早い。
だが、少なくともBMW 700系の資料はその方向を示していた。
最初の700は百馬力を超えている。
その後、700-B、700-C、700-Dと進むにつれて出力は低下する。
それなのに、アドルフの記録からは後退している印象を受けない。
むしろ逆だった。
問題を一つ解決するたびに、新しい評価項目が加わっている。
ルーカスは書類を並べ替えた。
若い頃のアドルフは、燃料を燃やして出力を得る方法を探していた。
やがて、冷却不足にぶつかる。
潤滑不足にぶつかる。
横転事故にも遭遇する。
空転も経験する。
タイヤ損傷も記録する。
そうして、出力以外にも見なければならないものが増えていった。
その過程を飛ばして結果だけを見れば、700-Dは単なる低出力車に見える。
だが、資料を順番に読んでいくと違った。
700-Dは諦めの産物ではない。
積み重ねの結果だった。
翌日、ルーカスは再び資料を読み直した。
今度は出力の数字を見ない。
代わりに、評価項目だけを書き出していく。
冷却余裕。
操作性。
耐久性。
保守性。
燃費。
実用性。 
どれも日常の中で意味を持つ言葉だった。
そこで思い出すのはエリーザベトである。
彼女は昔から燃費や信頼性を重視していた。出力自慢にはほとんど関心がない。
ルーカスは資料の横へ二本の線を引いた。
一方にはアドルフ。
もう一方にはエリーザベト。
若い頃の二人は、まるで違う方向を見ていた。
アドルフは速度や出力。
エリーザベトは暮らしや使いやすさ。
しかし700系後半になると、その距離が縮まっている。
日常で使えること。
壊れないこと。
無駄が少ないこと。
それは技術者にとっても、利用者にとっても価値があった。
ルーカスはふと考えた。
技術の成熟とは何だろうか。
より大きな数字を作ることだろうか。
それとも、同じ資源でより多くの仕事をさせることだろうか。
午前中に訪れた工場で、マイケルは言っていた。
燃料の大部分は熱になる。
仕事として使えるのは一部だけだ。
だから無駄を減らす。 
その考え方は、アドルフが晩年に到達した場所と近いように見えた。
宿の机には、途中の車たちの資料が並んでいる。
Type1。
ISO-I-1。
イセッタターボスペシャル。
Donnervogel。
BMW 700。
それぞれ方向は違う。
しかし、どれも同じ問いへ向かっていた。
どうすれば限られた条件の中で、より良い結果を得られるのか。
午後になると、ルーカスはノートを整理した。
今のところ、はっきりしていることは少ない。
アドルフ本人が「出力より効率だ」と書いているわけでもない。
だから結論にはできない。
だが、資料から読み取れる変化はある。
若い頃は結果を追う。
やがて条件を見る。
最後には全体を見る。
そういう流れだった。
BMW 700系は、その変化を最もよく示す資料なのかもしれない。
そして、その先に現れる車がある。
02-3だった。
出力だけを目的にしていない。
日常的に使われる。
長期間維持される。
そして二〇〇八年の時点まで残っている。
ルーカスはそこで手を止めた。
02-3は単なる保存車ではない。
アドルフたちの考え方が到達した一つの結果でもある。
だからこそ、次の車として読む価値があった。
夕方、ノートの最後に一行を書き加える。
出力を捨てたのではない。出力を目的から条件へ変えた。
それが正しいかどうかは、まだ分からない。
だが今までの資料は、その方向を示していた。
ルーカスは静かに手帳を閉じた。
BMW 700系の次にある車は何か。
その問いの答えは、もう見えている。
次に読むべき資料。
次に追うべき車。
それは、アンガーフェルトの車庫でカバーの下から現れた車だった。
02-1。