ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
ユタ州から戻ったルーカスは、角部屋にある書斎で02系の資料を開いた。
机の上に置いたのは、最初の車に関する記録だった。
02-1。
約120馬力。
機械式燃料噴射。
そして、プロペラシャフトの破断によって退役した試験車である。
私設工場に残る02-3から遡れば、02-1はその出発点に当たる。
ルーカスは02-3の実車を知っていた。銀色の車体を見て、車内を覗き、ダッシュボードに筆で描かれた文字を発見している。
しかし、同じ02系でも02-1は完成形ではなかった。
それまでに蓄積された過給、冷却、潤滑、車体、安全に関する経験を新しい車体へ移し、機械式燃料噴射と組み合わせる最初の試みだった。
資料の初めには、公道走行の準備に関する記録がまとめられていた。
私設研究車であっても、公道用として仕立てられた車両は、走行を始める前に車検を取得していた。02-1も例外ではない。
無許可で道路へ持ち出された試験車ではなかった。
改造車として公道を走るために必要な承認を得たうえで、実際の道路条件における試験へ進んでいた。
ルーカスは手帳へ書いた。
公道走行前に車検取得。
ただし、それは長期的な信頼性や耐久性が証明されたことを意味しない。
公道走行に必要な保安上の条件と書類が確認されていることは、あくまで試験を始めるための条件だった。
季節をまたいで使えるか。
部品がどのように摩耗するか。
整備間隔をどこまで延ばせるか。
燃料消費が長期的にどう変化するか。
こうした評価には、まとまった期間と走行距離が必要になる。
02-1には、その時間が与えられなかった。
ルーカスは残された走行記録を順に読んだ。
公道を走った記録はある。
だが、その量は後の02-3と比べるまでもなく少なかった。
走り始めた車を観察し、必要な点検と調整を行い、初期の問題を記録している段階で、02-1の運用は終わっていた。
長期運用試験を予定していた可能性はある。
しかし、実施できなかった試験について結果を語ることはできない。
昼食の席で、ルーカスはエリーザベトへ尋ねた。
「02-1は、長く使う予定だったの?」
「問題が出なければ、試験は続けたでしょうね」
「期間は決めていた?」
「そこまでは覚えていないわ」
「公道には出ていた」
「もちろん。車検を取ってからね」
「でも、長期試験にはならなかった」
「なる前に壊れたもの」
エリーザベトは淡々と答えた。
「道路を走れることと、何年も使えることは違うのよ。前者を確かめたからといって、後者まで証明されたことにはならないでしょう」
ルーカスは頷いた。
02-1は、公道へ出るための条件を満たしていた。
それでも、長期運用車にはなれなかった。
角部屋にある書斎へ戻ると、ルーカスは機関関係の資料を開いた。
約120馬力という出力は、BMW 700系後期より大きかった。
しかし、02-1で重要なのは出力の数字だけではない。
機械式燃料噴射が採用されていた。
機械式の機構によって燃料供給を制御し、過給機関と組み合わせるための新しい段階だった。
具体的な制御方法のすべてを、概要資料だけから確定することはできない。
それでも、02-1で始まった機械式燃料噴射の研究が、02-2の燃料制御カム改良を経て、02-3の完成形へ続いたことは確認できた。02系は最終的にも電子燃料噴射へ変更されていない。
ルーカスは三台の名称を縦に並べた。
02-1。
02-2。
02-3。
出力は約120馬力、約130馬力、約140馬力と増えていく。
しかし、これは単純な馬力競争ではなかった。
燃料供給。
冷却。
潤滑。
駆動。
車体。
長期運用。
三台を通じて検証しようとした項目は、出力の数字より多かった。
ところが02-1と02-2は、どちらも短期間で失われている。
そのため、十分な累積距離を必要とする耐久性、整備性、燃費、季節変化への対応などの長期運用試験は実施できなかった。
その役割を担うことができたのは、三台目の02-3だった。
ルーカスが02-1の資料を読み進めると、途中から記述の調子が変わった。
走行中に異常が発生した。
駆動が失われた。
車両を停止させ、点検が行われた。
プロペラシャフトが破断していた。
壊れたのは機関ではなかった。
過給機でもない。
機械式燃料噴射装置でもなかった。
機関が生み出した仕事を後輪へ伝える駆動系だった。
そして、損傷はプロペラシャフトだけに留まらなかった。
破断したシャフトは車体トンネル部へ衝突し、周辺のフロアも損傷させていた。
ルーカスは損傷記録を読み直した。
トンネル部は、単にプロペラシャフトを覆うためだけの部分ではない。
床面とともに車体中央部を構成している。
その部分とフロアが損傷した以上、壊れたシャフトだけを交換すれば元通りになる事故ではなかった。
ただし、記録にない損傷範囲まで想像で補うべきではない。
車体が完全に修復不能だったのか。
修理できたとしても、試験車として同じ基準で使い続けることが不適切と判断されたのか。
費用や作業量が次の車体を用意する場合と比較されたのか。
そこまでは確定できなかった。
確認できるのは三つだった。
プロペラシャフト破断。
車体トンネル部およびフロア損傷。
02-1退役。
ルーカスは三行を枠で囲んだ。
以前にも、機関から路面までの間で問題は起きている。
イセッタターボスペシャルでは、後輪空転によって約240km/h相当の無効表示が残った。
Donnervogelでは、後輪タイヤの接地面と側壁に著しい損傷が現れた。
02-1では、プロペラシャフトが破断し、その運動によって車体構造まで損傷した。
現象は異なる。
原因も同じではない。
しかし、機関が力を生み出した後にも、多くの課題が残ることは共通していた。
機関が力を生み出す。
クラッチが受け取る。
変速機を通る。
プロペラシャフトが後方へ伝える。
最終減速機と車軸を経て、タイヤが路面へ伝える。
その経路の途中に耐えられない部分があれば、出力は車速へ変わらない。
破断した部品が周囲へ損傷を与えれば、駆動系の故障だけでは済まなかった。
ただし、ルーカスは約120馬力という数字だけを破断原因にはしなかった。
材料。
寸法。
加工。
振動。
回転の不均衡。
締結状態。
荷重の変動。
使用履歴。
考えられる要素は複数ある。資料で原因が特定されていない以上、一つに絞ることはできなかった。
夕方、エリーザベトが書斎へ入ってきた。
「まだ最初の車を読んでいるの?」
「トンネルとフロアの損傷を確認していた」
「プロペラシャフトの事故ね」
「直して使う選択はなかったのかな」
「検討はしたかもしれないわ。でも、私が確かに言えるのは、使い続けなかったことだけよ」
エリーザベトは資料へ視線を落とした。
「損傷した車体を直せるかどうかと、直した車体を同じ試験へ使えるかどうかは、別の問題でしょう」
ルーカスはその言葉を、当時の退役理由そのものとはしなかった。
四十年近く前の判断を、現在の説明一つで確定することはできない。
それでも、修理可能性と試験継続の妥当性が別であることは理解できた。
02-1は試験車として退役した。
だが、研究は終わらなかった。
機械式燃料噴射の経験。
公道走行で得られた観察。
冷却と潤滑の記録。
プロペラシャフト破断時の状況。
車体トンネル部とフロアの損傷。
これらは次の車を作るための資料として残された。
車体の寿命と研究の寿命は同じではない。
02-1は短期間で退役し、長期運用試験を実施できなかった。
それでも最初の02として、公道用試験車を成立させるために必要な課題を示している。
公道を走るための車検を取得した。
実際の道路条件で走行した。
そこで駆動系の破断と車体損傷を経験した。
そして、その車体による試験は打ち切られた。
ルーカスは手帳の最後に書いた。
02-1は、公道へ出たことで完成したのではない。公道へ出たことで、長期運用へ進む前に解決すべき弱点を示した。
その下へ、次の資料の管理名称を記した。
02-2。
約130馬力。
改良された燃料制御カム。
そして長期運用試験へ進む前に、試験とは無関係の事故によって失われた二台目だった。