ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
角部屋にある書斎で、ルーカスは02-2の記録を開いた。
02-1の資料は、プロペラシャフトの破断と車体損傷で終わっていた。
破断したシャフトは車体トンネル部とフロアを損傷させ、02-1は試験車として退役した。公道走行を開始してはいたが、長期運用試験に必要な期間と走行距離を得ることはできなかった。
研究は二台目へ引き継がれた。
02-2。
約130馬力。
機械式燃料噴射。
改良された燃料制御カム。
ルーカスは02-1と02-2の記録を並べた。
出力は約十馬力増えている。しかし、変更の意味を馬力の増加だけに求めるべきではなかった。
燃料制御カムの改良は、機械式燃料噴射による供給制御を進めるためのものだった。具体的な形状や制御特性のすべてを、概要資料だけから復元することはできない。
確認できるのは、02-1で始まった考え方をそのまま繰り返したのではなく、記録をもとに手を加えていたことだった。
車体を替えても、研究は連続している。
ただし、02-2は02-1の修復車ではない。
銀色の車体。
似た構成。
同じ研究を継承する機械式燃料噴射。
それでも、別の車体を用いた二台目の試験車だった。
ルーカスは手帳へ書いた。
02-1の修復車ではない。
研究を引き継いだ二台目。
昼食の席で、ルーカスはエリーザベトへ尋ねた。
「02-2は、最初の車より良くなっていた?」
「何について?」
「全体として」
「長く使えなかった車を、全体として比較するのは難しいでしょう」
「出力は増えていた」
「ええ」
「燃料制御カムも変わった」
「それも記録にあるでしょう」
「運転した時の印象は?」
エリーザベトは少し考えた。
「細かなことまでは、もう覚えていないわ」
「お祖父さんは期待していた?」
「期待していなければ、次の車を作らないでしょうね」
「長期試験をするつもりだった?」
「02-1でできなかったことを続けるつもりではあったでしょう」
その答えだけで十分だった。
02-2は、長期運用試験を前提として走り始めた。
しかし、結果としてその段階には到達できなかった。
02-1を失った理由は、車両自身の故障だった。
02-2を失った理由は違う。
ルーカスは事故関係の書類を開いた。
技術記録とは形式が異なっていた。
道路上の位置。
車両の状態。
事故の経過。
損傷箇所。
運転者の負傷。
そこには、試験結果を整理する時とは別の言葉が並んでいた。
事故当時、02-2は信号待ちで停止していた。
高速走行中ではない。
限界性能を試していたのでもない。
通常の道路上で、信号が変わるのを待っていた。
そこへ、左折に失敗した別の車が進路を外し、正面から衝突した。
停止中だった02-2に、回避のための十分な距離は残されていなかった。
試験内容とは無関係の交通事故だった。
ルーカスは経過を簡潔に書き出した。
信号待ちで停止中。
左折に失敗した車から正面衝突を受ける。
衝突によって、02-2は機関と車体前部を失った。
前部に集中した損傷は、試験車としての継続使用を考えられる範囲を超えていた。
キャビンも無傷ではない。
変形していた。
しかし、乗員の周囲に生存空間は残されていた。
運転していたアドルフは頸椎捻挫を負ったが、自力で歩くことができる状態だった。
入院の有無や治療期間について、ルーカスは記録にないことを補わなかった。
軽い怪我だったというこれまでの表現は、無傷という意味ではない。
頸椎を捻挫した。
それでも意識と歩行能力を保ち、事故現場から生還した。
確認できるのはそこまでだった。
ルーカスは事故後の車体写真を見た。
長く眺める必要はなかった。
印象よりも、どこが失われ、どこが残ったのかを読むべきだった。
機関。
車体前部。
変形したキャビン。
残された生存空間。
座席と拘束具。
そして乗員の状態。
項目を分けていくと、事故の意味が見えてくる。
02-2は全損した。
しかし、乗員のための空間までは失われなかった。
ルーカスはISO-I-1の横転事故を思い出した。
Vogelkäfig。
固定式座席。
五点式拘束具。
あの時にも、車体の損傷と乗員保護は別々に評価されていた。
もちろん、横転と正面衝突を同じ条件として扱うことはできない。
車体も速度も異なる。
02-2の事故を、意図された衝突試験とみなすこともできなかった。
それでも、車体が変形しながら生存空間を残したという結果は記録できる。
事故は実験ではない。
事故後の観察と検証はできる。
ルーカスはヨーゼフの記録を読んだ。
荷重。
変形。
強度。
生存空間。
視点は一貫していた。
ただし、衝突時の正確な速度、相手車両の質量、衝突角度、キャビンの変形量について、確認できない数値は加えなかった。
分かっていることだけで十分だった。
02-2は正面衝突を受けた。
機関と車体前部を失った。
キャビンは変形した。
生存空間は残った。
アドルフは頸椎捻挫を負ったものの、歩行可能だった。
夕方、エリーザベトが書斎へ入ってきた。
机の上の写真を見て、何を調べているのか察したらしい。
「お祖父さんは、事故のあと歩けたんだね」
「ええ」
「頸椎捻挫だった」
「首は痛めていたわ。でも歩けた」
「車を見た時、どう思った?」
「もう使えないと思ったわ」
「お祖父さんを見た時は?」
「生きていると思った」
エリーザベトは写真へ目を落とした。
「それで十分だったわ」
ルーカスはそれ以上、当時の感情を尋ねなかった。
事故を劇的な家族史へ変える必要はない。
アドルフは負傷した。
しかし歩くことができた。
02-2は失われた。
その事実だけで、出来事の重さは伝わった。
「次の車を作る話は、いつ始まったの?」
「すぐよ」
「事故の直後に?」
「お祖父さんの首が治るのを待ってから、研究を再開したわけではなかった」
「自分ではまだ作業できなかったんじゃない?」
「だから車両の手配から始めたのよ」
ルーカスは手帳へ書いた。
事故後、次の車両をすぐに手配。
02-3の製作開始。
アドルフが負傷を無視して無理な作業をしたという意味ではない。
歩くことはできたが、頸椎捻挫を負っていた。
本人がすぐに重作業へ戻ったかどうかは、資料から確定できない。
しかし、次の車体を探し、計画を整理し、製作を開始するための手配は止めなかった。
研究チームは一人ではない。
設計。
構造。
加工。
計測。
輸送。
書類。
作業を分担する仲間がいた。
アドルフが負傷していても、すべての作業が停止する必要はなかった。
「やめようとは思わなかったの?」
ルーカスが尋ねると、エリーザベトは首を横に振った。
「私が覚えている限りではね」
「二台続けて失ったのに?」
「失った理由が違うでしょう」
02-1は、プロペラシャフトの破断が車体トンネル部とフロアを損傷させたことで退役した。
02-2は、信号待ち中に外部から正面衝突を受けて全損した。
一台目は試験車自身の故障。
二台目は、試験とは無関係の交通事故。
同じ結論へまとめることはできなかった。
だからといって、02-2が完成形だったとも言えない。
出力は約130馬力へ増えた。
燃料制御カムも改良された。
しかし、長期運用試験へ進む前に失われたため、その改良が季節や走行距離の増加に対してどのような結果をもたらしたかは検証できなかった。
02-2には機会が足りなかった。
故障によってではなく、事故によって時間を奪われたのである。
ルーカスは手帳へ整理した。
02-1。駆動系破断と車体損傷による退役。
02-2。停止中の交通事故による全損。
アドルフは頸椎捻挫。ただし歩行可能。
二台とも長期運用試験には至らず。
二度の中断を経ても、研究そのものは終わらなかった。
02-1で始まった機械式燃料噴射。
02-2で改良された燃料制御カム。
事故後に確認されたキャビンの変形と生存空間。
それらは次の車を作る時の資料になり得た。
ただし、何をどのように02-3へ反映したのかは、次の記録を読まなければ分からない。
ルーカスは02-2の資料を閉じた。
二台目は、約130馬力と改良された燃料制御を得た。
だが、それを長く検証することはできなかった。
機関と車体前部は失われた。
キャビンは変形した。
それでも人間のための空間は残り、アドルフは自分の足で歩くことができた。
そして、研究チームは事故の余韻が消えるのを待たなかった。
次の車両が手配された。
三台目の製作が始まった。
ルーカスは新しい資料を机へ置いた。
表紙に記された管理名称は、02-3。
二台の試験車が得られなかった時間を、初めて与えられることになる車だった。