ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
02-2の事故記録を閉じた後も、ルーカスは席を立たなかった。
机の上には、三台目の資料が置かれている。
02-3。
私設工場の中央でカバーを掛けられていた、銀色の1600-2。
幼い頃、祖父母に乗せてもらった記憶のある車でもあった。
以前のルーカスは、それを祖父が所有していた古い改造車としか考えていなかった。しかし、02-1と02-2の記録を読んだ今では、同じ車がまったく違って見えた。
あの車は三台目だった。
最初の02-1は、プロペラシャフトの破断によって車体トンネル部とフロアを損傷し、試験車として退役した。
二台目の02-2は、信号待ちで停止中に正面衝突を受け、機関と車体前部を失った。キャビンは変形したが生存空間は残り、アドルフは頸椎捻挫を負ったものの歩くことができた。
二台とも公道へ出た。
しかし、長期運用試験に必要な時間までは得られなかった。
02-3は、その二度の中断の後に作られた車だった。
ルーカスは製作開始時の記録を開いた。
02-2を失った後、次の車両はすぐに手配されていた。
アドルフが頸椎捻挫から完全に回復するまで、研究全体を止めていたわけではない。一方で、負傷を押してただちに通常どおりの重作業へ戻ったと考えるべきでもなかった。
記録に並んでいるのは、勇ましい復帰の話ではない。
次の車体の確保。
02-2までの記録の整理。
燃料制御機構の再検討。
使用できる部品と、新たに製作すべき部品の区別。
三台目の製作を始めるための、具体的な準備だった。
研究チームには役割があった。
アドルフが設計と検証の方向を決める。
ヨーゼフが構造と強度を見る。
ルートヴィヒが加工と溶接を担う。
フランツが測定と記録を行う。
オットーが部品と輸送を支える。
エリーザベトが書類や費用を整理する。
02-3は、負傷したアドルフが一人で作り始めた車ではなかった。
次の車体を中心に、研究チームが再び動き始めた結果だった。
ルーカスは、事故後の日付が付いた記録を順に追った。
02-2を失ったことへの感情が長く書かれているわけではない。代わりに、その時点までに得られた研究結果と、交通事故による車両喪失とが分けて整理されていた。
02-2の機関と車体前部は失われた。
しかし、それ以前に得られた燃料制御の記録まで、事故によって無効になったわけではない。
燃料制御カムの改良。
約130馬力まで進めた過給機関。
短期間ながら得られた公道走行の記録。
残せるものは残されていた。
昼食の席で、ルーカスはエリーザベトへ尋ねた。
「お祖父さんは、事故のあとすぐ次の車を探したんだね」
「ええ」
「研究をやめようとは思わなかった?」
「少なくとも、やめなかったわね」
「二台続けて失ったのに?」
「一台目と二台目では理由が違うでしょう」
エリーザベトはそう言って、二冊の記録を指した。
「一台目は故障で退役した。二台目は停止中に衝突された。二つを同じ結論にしてはいけないわ」
「二台目の技術に問題があったから失ったわけではない」
「そういうことよ」
「でも、長期試験はできなかった」
「それは事実ね」
02-2で改良された燃料制御が、長い距離と季節の変化に対してどのような結果をもたらすか。それを確かめる機会は、事故によって失われた。
「次の車を作ることには反対しなかった?」
「安全については話したでしょうね」
「事故があったから?」
「事故がなくても話すことよ」
エリーザベトは淡々と答えた。
「ただ、信号待ちで衝突されたことと、研究を続けることは別の問題でしょう」
「お祖父さんは、すぐ作業へ戻れたの?」
「普段どおりではなかったと思うわ。首を痛めていたもの」
「それでも手配はした」
「電話も書類も扱えるし、車を探すこともできる。それに、あの人は一人で研究していたわけではないでしょう」
ルーカスは頷いた。
事故の直後、負傷したアドルフが一人で三台目を作り始めた、と書けば劇的な話にはなる。
しかし、それでは記録に残る共同研究の姿を失ってしまう。
02-3の製作は、アドルフの執念だけで始まったのではない。
前の二台から得られた成果と未完了の評価を整理し、それぞれの担当者が仕事を再開した結果だった。
角部屋にある書斎へ戻ると、ルーカスは三台の仕様を並べた。
02-1は約120馬力。
02-2は約130馬力。
02-3は約140馬力。
機械式燃料噴射は三台目で完成形に達している。
ただし、この並びを十馬力ずつ増加した開発史として読むべきではなかった。
重要なのは、前二台で完了できなかった長期評価を引き継いだことだった。
02-1では、プロペラシャフト破断によって試験を続けられなくなった。
02-2では、外部からの衝突によって時間を奪われた。
三台目には、機関と燃料制御を改良するだけでなく、実際に使い続ける時間が必要だった。
そこで初めて、距離の増加に伴う摩耗を確認できる。
季節による始動性の違いを見られる。
燃料消費の傾向を比較できる。
整備間隔を検討できる。
冷却、潤滑、駆動系、車体、制動、タイヤを、一つの車両として長く評価できる。
ルーカスは手帳へ書いた。
出力向上だけではない。
前二台で完了できなかった長期評価を引き継ぐ。
製作記録を読み進めても、02-3が最初から完成していたようには見えなかった。
三台目であることは、完成品であることを意味しない。
部品を組み付ける。
機械式燃料噴射を調整する。
冷却と潤滑を確認する。
公道へ出すために必要な状態を整える。
走行後に点検する。
不具合があれば原因を調べる。
その作業が繰り返されていた。
02-3の価値は、製作直後に約140馬力を得たことだけではない。
製作後も走り続けられたことにあった。
ルーカスは製作記録から運用記録へ移った。
資料の厚みが変わった。
短期間の初期調整だけでは終わらない。
点検。
部品交換。
燃料。
冷却。
潤滑。
走行距離。
長い時間の中で生じた変化が、少しずつ記録されている。
もちろん、故障しなかったわけではない。
調整が不要だったわけでもない。
長く使えば、短期間の試験では現れない問題も出る。
しかし02-3は、問題が現れるたびに停止し、点検し、必要な整備を受け、再び走ることができた。
その繰り返しが、前の二台にはできなかった長期運用試験になった。
夕方、ルーカスは私設工場へ入った。
中央に02-3がある。
右側にはDonnervogel 700。
左側には工作と整備の区画が置かれている。
見慣れた配置だった。
だが、今日は02-3の車体が以前とは違って見えた。
あの車の前に二台あった。
同じ研究を担う車が作られ、それぞれ異なる理由で長く使えなかった。
三台目だけが残った。
ルーカスは運転席側へ回った。
銀色の塗装は、博物館の展示車のように均一ではない。長く使われ、手を入れられてきた時間の痕跡が残っていた。
02-1と02-2を失ったから、02-3が特別なのではない。
二台が完了できなかった試験を継続し、結果を蓄積したから特別なのだった。
ルーカスは窓越しに車内を見た。
革張りの固定式フルバケットシート。
計器。
操作装置。
そして、ダッシュボードに筆で描かれた銀文字。
実験は成功し、我々は勝利した。
初めて見つけた時、その言葉の意味は分からなかった。
今も完全に理解したとは言えない。
ただ、単に約140馬力を得たことへの勝利宣言ではないと考える理由は増えていた。
一台目を退役させた。
二台目を事故で失った。
それでも三台目を作った。
そして今度は、長く走らせることができた。
エリーザベトが工場へ入ってきた。
「また見ているの?」
「前とは違って見える」
「何が?」
「三台目だったんだと思って」
「最初から三台目でしょう」
「そういう意味じゃないよ」
ルーカスは車体へ視線を戻した。
「二台で終わってしまった試験の続きだった」
エリーザベトは少し考えた。
「続きではあるわね。でも、代用品ではないわ」
「代用品?」
「一台目や二台目を失ったから、仕方なく同じものを作ったわけではないということよ」
「三台目には三台目の目的があった」
「同じことを繰り返すだけなら、作り直す意味はないでしょう」
02-3は02-2を再現した車ではない。
出力は約140馬力へ増え、機械式燃料噴射は完成形へ進んでいた。後年には、さらに排出ガス対策も加えられる。
ただし、そこまでを一度に読むべきではない。
ルーカスが今確認しているのは、三台目の出発だった。
事故後、次の車両はすぐに手配された。
前の二台から得た記録が整理された。
研究チームが再び作業を分担した。
そして02-3の製作が始まった。
ルーカスは角部屋にある書斎へ戻り、走行記録を開いた。
長い年月にわたって積み上げられた数字の先には、二十四万kmを超える走行距離が残されていた。2004年に保存された時点で、走行距離は240,850kmに達している。
約140馬力。
機械式燃料噴射。
それらも重要だった。
しかし、前の二台にはなかった最大の成果は、別の数字として残っていた。
最高出力ではない。
最高速度でもない。
一台の試験車が、日常の中で積み上げた距離だった。
ルーカスは手帳の新しい頁を開いた。
そこへ見出しを書いた。
二十四万km。