ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
1973年の記録を読み進めていたルーカスは、整備や走行とは異なる短い記述を見つけた。
BMW 2002 Turboの登場に関する記録だった。
その傍らに、アドルフの短い文章が残されている。
細かな技術評価ではない。
市販車への批判でもない。
ただ、一行だけ書かれていた。
実験は成功し、我々は勝利した。
ルーカスは同じ言葉を知っていた。
私設工場に残る02-3のダッシュボードにも、銀文字で描かれている。
初めて見つけた時には、その意味が分からなかった。
速度記録への勝利なのか。
競技への勝利なのか。
BMWへの勝利なのか。
しかし、どれも違うように思えた。
アドルフたちの試験車は、BMWの公式開発車ではない。私設研究チームが独自に製作し、運用した車両だった。
BMWと競争していたわけでもない。
技術を盗まれたと訴えた記録もない。
自分たちの功績を認めるよう要求した形跡もなかった。
それでもアドルフは、BMW 2002 Turboの登場を知って「我々は勝利した」と書いた。
何に勝ったのだろう。
昼食の席で、ルーカスはBMW 2002 Turboの登場を伝える資料の複写をエリーザベトへ見せた。
「これを覚えてる?」
エリーザベトは眼鏡を掛け直した。
「2002 Turboね」
「お祖父さんは実車を見た?」
「記事や資料は見ていたと思うわ」
「試乗したことは?」
「ないわね」
答えは明確だった。
ルーカスは手帳へ書いた。
試乗していない。
アドルフはBMW 2002 Turboを運転し、その性能に感動して一行を残したわけではない。
市販車として登場した事実を知り、勝利と記したのである。
「どんな様子だった?」
「何が?」
「これを知った時のお祖父さん」
エリーザベトは資料を見ながら考えた。
「喜んでいたわ」
「驚いていた?」
「驚きはしたでしょうね。でも、いつか出てくるとは思っていたんじゃないかしら」
「自分たちと同じことをBMWが始めたと思った?」
「同じではないわ」
返事はすぐだった。
「車も違う。機関も違う。作る目的も違うでしょう」
「それなら、何を喜んだの?」
「排気タービンを載せた乗用車が、会社から売られるようになったことよ」
ルーカスは黙った。
その答えなら、日記の一行とつながる。
アドルフたちは1955年から、排気タービンを使った小排気量機関の研究を続けてきた。
最初は壊れた。
次は冷却と潤滑を増やした。
過給を制御した。
極小の車体へ移した。
横転した。
ボンネビルへ行った。
公道耐久試験を行った。
BMW 700へ移した。
競技車も作った。
実用性を求めて出力を下げた。
そして02系では、機械式燃料噴射と組み合わせた。
その間、排気タービン付きの乗用車は、アドルフたちにとって私設工場で検証を続ける対象だった。
1973年、同じ技術が市販車として公の場所へ出た。
BMW 2002 Turboは1973年に登場した市販車で、2リッター直列4気筒機関に排気タービンを組み合わせ、最高出力170hpを発生した。
02-3と同じ車ではない。
同じ仕様でもない。
開発思想のすべてが一致していたと断定することもできない。
ただ、排気のエネルギーを用いて機関へ空気を送り込み、乗用車の性能を高める技術が、個人の実験だけではなく市販製品になった。
それが重要だった。
「勝った相手はBMWじゃないんだね」
ルーカスが言うと、エリーザベトは少し笑った。
「BMWに勝てるような研究規模だったと思う?」
「思わない」
「お祖父さんも思っていなかったわ」
「じゃあ、何に勝った?」
「無理だと言う考え方に、じゃないかしら」
エリーザベトは断定しなかった。
「本人に聞かなければ、本当のところは分からないわね」
その通りだった。
アドルフは2006年に亡くなっている。
ルーカスが今できるのは、日記と資料と証言を重ねることだけだった。
角部屋にある書斎へ戻ると、ルーカスは1973年前後の資料を並べた。
BMW 2002 Turboの登場に関する記録。
02-3の整備記録。
燃料消費の測定。
機械式燃料噴射の調整記録。
そこに、研究終了の宣言はなかった。
「我々は勝利した」と書いた後も、02-3の試験は続いている。
もし目標が市販ターボ車の登場だけなら、その時点で実験を終えてもよかった。
だが、アドルフたちは終わらなかった。
出力だけを求めていたのではないからだった。
BMW 2002 Turboの登場は、排気タービンを乗用車へ用いる可能性が、市販製品として示された出来事だった。
一方、02-3が追っていたものには別の項目もある。
耐久性。
燃費。
整備性。
使いやすさ。
やがて排出ガス。
市販ターボ車が登場したからといって、それらの問いまで解決したわけではない。
ルーカスは日記の短い一行を読み直した。
実験は成功し、我々は勝利した。
成功したのは、02-3の一つの試験ではない。
排気タービンを乗用車に使うという考えそのものだったのかもしれない。
誰に認められたわけでもない。
アドルフたちの車がBMWへ影響を与えたと証明する資料もない。
それでも、自分たちが長く追ってきた方向へ自動車産業が動いた。
その出来事を、アドルフは勝利と呼んだのだろうか。
午後、ルーカスは私設工場へ入った。
中央にある02-3のボンネットを眺める。
BMW 2002 Turboと同じ仕様の車ではない。
しかし、どちらもBMW 02シリーズの車体を出発点としていた。
02-3は1600-2を基礎に、私設研究チームが独自に改造した公道試験車である。
市販された2002 Turboの複製ではない。
BMWの試作車でもない。
外観にも、市販ターボ車のような派手さはなかった。
銀色の車体に、長年の使用痕が残っている。
アドルフがBMW 2002 Turboを知った1973年にも、この車は日常の道路を走っていた。
新しい市販ターボ車が公に登場する一方、アンガーフェルトでは機械式燃料噴射の試験車が使われ続けていた。
片方は自動車産業の製品だった。
もう片方は私設研究の継続だった。
どちらか一方が、もう一方の代わりになるものではない。
ルーカスはダッシュボードの銀文字を思い出した。
あの文章が書かれたのは2004年である。
1973年の日記に書かれた言葉が、三十年以上を経て再び使われた。
ただし、意味まで完全に同じだったとは限らない。
1973年には、市販ターボ車が登場した。
2004年には、02-3が240,850kmを走った後に保存された。
一度目は、外の世界が追いついた時の言葉。
二度目は、自分たちの長期実験を終える時の言葉。
そう読むことはできた。
しかし、ルーカスはまだ確定しなかった。
ダッシュボードには六人の署名がある。
その署名が誰の手で書かれ、どのような意図で残されたのかについては、別に確認しなければならない。
今分かったのは、文章が最初に記録された時期だった。
1973年。
BMW 2002 Turboの登場。
そして、アドルフの日記。
夕方、ルーカスはエリーザベトへ尋ねた。
「お祖父さんは、自分たちの研究が先だったと自慢した?」
「しなかったと思うわ」
「BMWより先に作った、とも?」
「家では言ったかもしれないわね。でも、公に何かを求めたことはないでしょう」
「悔しくなかったのかな」
「何が?」
「会社の車は歴史に残る。でも、ここの車は知られない」
エリーザベトは少し考えた。
「知られるために作ったのではないもの」
「それでも、同じ方向へ進んでいた」
「だから喜んだのでしょう」
勝利とは、名を残すことではなかった。
所有権を主張することでもない。
長く検証してきた考えが、特殊な個人研究の外へ出たことだった。
ルーカスはそれを、手帳へ慎重に書いた。
1973年の勝利は、BMWに対する勝利ではない。
乗用車への過給が、私設実験だけのものではなくなったことへの評価。
最後に「仮説」と付け加えた。
エリーザベトの証言と日記の一行は、同じ方向を示している。
だが、アドルフ本人による詳しい説明は見つかっていない。
断定するには、まだ資料が足りなかった。
ルーカスは1973年以後の記録へ目を移した。
そこでは研究の焦点が、さらに変わり始めている。
過給機関が市販車に採用された。
次に残る問題は何か。
燃料消費。
排出ガス。
より広い範囲で使えること。
技術が存在するだけではなく、多くの人が扱えること。
アドルフたちが追っていた問いは、また先へ進んでいた。
時代が一度追いついたからといって、研究の歩みが止まるわけではない。
ルーカスは日記を閉じた。
1973年は終点ではなかった。
私設研究が追ってきた技術が、市販車という形で社会へ現れた年だった。
そして、その十年後。
アドルフは、さらに小さな車へ過給機関が搭載されたことを知る。
高価な高性能車ではない。
より多くの人が手の届く車だった。
ルーカスは次の資料を机へ置いた。
表紙に記された年は、1983年。
その頁には、アドルフが「大衆化」と呼んだ出来事が残されていた。