ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢   作:自動車好き/飛行機も好き

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大衆化された過給

1983年の資料を調べていたルーカスは、日本の小さな車を扱った記録に行き当たった。

 

 資料に記された名は、バルカンSターボ。

 

 ミニカに設定されたターボグレードだった。

 

 BMWではない。

 

 ドイツ車でもない。

 

 競技記録を作った車でもなければ、高速道路の追越車線を走るために生まれた高性能車でもなかった。

 

 それでも、アドルフは資料を残していた。

 

 余白には、短い言葉が書かれている。

 

 大衆化された過給。

 

 ルーカスはその一行を読み返した。

 

 1973年、BMW 2002 Turboの登場を知ったアドルフは、日記に「実験は成功し、我々は勝利した」と記した。

 

 それから十年が経っている。

 

 1983年に登場したミニカのターボ仕様は、546ccの直列2気筒機関へ排気タービンを組み合わせた量産車だった。

 

 排気量は、02-3よりはるかに小さい。

 

 BMW 2002 Turboの2リッター機関と比べれば、なおさらだった。

 

 しかし、アドルフが注目したのは、最大出力の大小ではなかったらしい。

 

 重要なのは、これが試作車ではなかったことだった。

 

 一台だけ作られた研究車でもない。

 

 記録挑戦のための専用車でもない。

 

 メーカーの工場で量産され、商品として一般に販売された超小排気量ターボ車だった。

 

 ルーカスは手帳へ書いた。

 

 546cc。

 

 量産。

 

 一般販売。

 

 三つの項目を並べると、アドルフが「大衆化」と記した理由が見えてくるように思えた。

 

 アドルフたちが排気タービンの研究を始めた1955年、それは簡単に扱える技術ではなかった。

 

 機関は壊れた。

 

 冷却と潤滑が不足した。

 

 過給圧を制御する必要があった。

 

 燃料供給を合わせなければならなかった。

 

 機関が出力を得ても、駆動系やタイヤや車体が耐えるとは限らなかった。

 

 修理し、測定し、作り直すための人間と設備が必要だった。

 

 それは私設研究チームだから続けられた実験だった。

 

 しかし、量産車は同じ条件に頼ることができない。

 

 購入者の家に工作機械があるとは限らない。

 

 運転者が過給圧や燃料供給を毎日調整することもできない。

 

 故障するたびに設計者が集まり、原因を解析することもできない。

 

 商品として販売する以上、製造、運転、整備、部品供給まで含めて成立させる必要がある。

 

 超小排気量ターボ車が量産され、一般に販売されたという事実は、排気タービンが特別な実験設備の外へ出たことを意味していた。

 

 昼食の席で、ルーカスはエリーザベトへ資料を見せた。

 

「この名前を覚えてる?」

 

 エリーザベトは眼鏡を掛け直した。

 

「日本の小さな車でしょう」

 

「バルカンSターボ」

 

「お祖父さんが調べていたものね」

 

「実車を見たことは?」

 

「私はないわ」

 

「お祖父さんは?」

 

「見たとは聞いていないわね」

 

「運転したことも?」

 

「ないでしょう」

 

 ルーカスは手帳へ書き加えた。

 

 実車確認なし。

 

 試乗確認なし。

 

 アドルフは、バルカンSターボを運転して評価したわけではない。

 

 残された資料から、その登場を知った。

 

 そして、超小排気量ターボ車が量産され、一般へ販売されたことの意味を評価した。

 

「どうして、こんなに小さな日本車へ関心を持ったんだろう」

 

「小さいからでしょう」

 

「それだけ?」

 

「お祖父さんには十分な理由だったと思うわ」

 

 エリーザベトは資料をルーカスへ返した。

 

「あの人はずっと、小さな機関から何を得られるかを考えていたもの」

 

 小さな機関から大きな出力を得る。

 

 それは研究の出発点だった。

 

 だが、出力を得るだけでは十分ではない。

 

 熱が増える。

 

 潤滑が厳しくなる。

 

 燃料供給が複雑になる。

 

 機関の外にも負担が広がる。

 

 そして、使い続けるためには整備が必要になる。

 

 アドルフたちは、その代償を一つずつ経験していた。

 

 Type1では、機関を成立させることを学んだ。

 

 ISO系では、極小車体への搭載、安全、速度、公道耐久性を検証した。

 

 BMW 700系では、出力を下げながら冷却余裕、操作性、燃費、保守性を改善した。

 

 02系では、機械式燃料噴射を組み合わせ、長期運用へ進んだ。

 

 それらはすべて、少人数の研究チームが一台ずつ作り、記録し、修理しながら得た結果だった。

 

 バルカンSターボは、その延長上に作られた車ではない。

 

 アドルフたちの研究が開発へ影響したと示す資料もない。

 

 設計思想や機構が同じだと決めることもできなかった。

 

 両者の間に確認できる直接の関係はない。

 

 それでも、解こうとした問題には重なる部分があった。

 

 小さな機関へ排気タービンを組み合わせる。

 

 限られた排気量から必要な性能を得る。

 

 それを道路で使用できる車にする。

 

 さらに、同じ仕様を繰り返し製造し、一般へ販売する。

 

 私設研究車が一台走ることと、量産車が商品として売られることの間には、大きな隔たりがあった。

 

 アドルフが見ていたのは、その隔たりを自動車産業が越えたことだったのだろう。

 

 ルーカスは角部屋にある書斎で、1973年と1983年の資料を並べた。

 

 1973年。

 

 BMW 2002 Turbo。

 

 排気タービンを備えた高性能乗用車の市販。

 

 1983年。

 

 ミニカのバルカンSターボ。

 

 546ccという超小排気量のターボ車の量産と販売。

 

 十年間で、過給技術の置かれる場所が変わっている。

 

 最初は、性能を示す特別な市販車だった。

 

 次には、はるかに小さな機関を持つ量産車へ採用された。

 

 もちろん、1973年から1983年まで一直線に普及したわけではない。

 

 どの車がどの車へ影響したのかを示す記録もない。

 

 販売台数を確認せず、社会全体へ広く普及したと断定することもできなかった。

 

 しかし、超小排気量ターボ車を一般の購入者へ販売できる段階に達したことは確かだった。

 

 アドルフの「大衆化」は、売れた台数を示す言葉ではなかったのかもしれない。

 

 技術の置かれた位置を示していた。

 

 研究者が一台だけ作る段階。

 

 高性能車へ採用される段階。

 

 超小排気量車として量産され、商品になる段階。

 

 排気タービンは、特殊な技術でありながら、特殊な場所だけに留まるものではなくなった。

 

 ルーカスは手帳に三つの言葉を書いた。

 

 超小排気量。

 

 量産。

 

 販売。

 

 その下へ、もう一行を加えた。

 

 大衆化とは、技術を利用できる範囲が広がること。

 

 これはアドルフの文章ではない。

 

 ルーカス自身の解釈だった。

 

 アドルフが残したのは、「大衆化された過給」という短い評価だけである。1983年の小型ターボ車を、小排気量過給の大衆化として評価したことは、残された設定資料にも記されていた。

 

 ルーカスは手帳の文章の末尾に「仮説」と付け加えた。

 

 午後、私設工場へ入ると、02-3は中央の定位置にあった。

 

 この車も、小排気量機関へ排気タービンを組み合わせ、日常の中で使うという考えを形にしている。

 

 約140馬力。

 

 機械式燃料噴射。

 

 100km/h巡航時の区間実測約20km/L。

 

 そして、2004年の保存までに240,850kmを走った長期運用記録。

 

 しかし02-3は、量産車ではない。

 

 誰もが同じ車を購入できたわけではなかった。

 

 同じ仕様の車が販売店に並んだわけでもない。

 

 整備には、アドルフたちが蓄積してきた知識と記録が必要だった。

 

 一台の実験車としては、長い時間をかけて深く検証された。

 

 だが、一台が成功したことと、同じ考えを量産品として成立させることは違う。

 

 バルカンSターボの重要性は、02-3より高性能だったことにはない。

 

 同じ問題を、別の規模と方法で扱ったことにあった。

 

 工場で繰り返し製造する。

 

 同じ仕様を複数の購入者へ渡す。

 

 一般の道路で使う。

 

 通常の販売と整備の仕組みへ組み込む。

 

 それは、私設研究チームが一台の車を作り続ける仕事とは異なっていた。

 

「02-3と、どちらが上だと思う?」

 

 背後からエリーザベトに尋ねられ、ルーカスは振り返った。

 

「比べられないよ」

 

「そうでしょうね」

 

「02-3は一台を長く使って答えを出した。バルカンSターボは、超小排気量ターボ車を量産して販売した」

 

「仕事が違うのね」

 

「うん。実験と量産は違う」

 

 エリーザベトは02-3の銀色の車体を見た。

 

「でも、お祖父さんは喜んだのでしょう?」

 

「そう思う」

 

「自分たちと同じ車が作られたからではなく?」

 

「同じ車じゃない。過給を使う場所が広がったからだと思う」

 

 エリーザベトは静かに頷いた。

 

「それなら、あの人らしいわね」

 

 1973年、アドルフは市販ターボ車の登場を勝利と呼んだ。

 

 1983年には、超小排気量ターボ車の量産と販売を大衆化と呼んだ。

 

 言葉は違う。

 

 見ていた段階も違う。

 

 最初に確認したのは、排気タービン付き乗用車が市販製品として成立したことだった。

 

 次に確認したのは、その技術がさらに小さな機関へ移り、量産商品として一般へ差し出されたことだった。

 

 過給機関は、存在するだけでは大衆化しない。

 

 一台が成功するだけでも足りない。

 

 同じものを作り、売り、使い、整備できる仕組みが必要になる。

 

 アドルフたちが私設工場で追い続けた問いを、自動車産業は別の方法で社会へ広げていた。

 

 ルーカスは02-3の窓越しに、ダッシュボードの銀文字を見た。

 

 実験は成功し、我々は勝利した。

 

 1973年に日記へ書かれた文章。

 

 2004年に車内へ残された同じ文章。

 

 その間に、過給技術は高性能車へ採用され、やがて超小排気量の量産車として販売された。

 

 外の世界が変わっても、02-3は走り続けた。

 

 バルカンSターボが登場した頃にも、この車は日常の中にあった。

 

 買い物へ行く。

 

 人を乗せる。

 

 荷物を運ぶ。

 

 点検を受ける。

 

 部品を交換する。

 

 過給機関は特別な出来事ではなく、暮らしの中で働く機械になっていた。

 

 量産車と私設研究車。

 

 方法は違っても、どちらも過給を日常へ近づけていた。

 

 ルーカスは角部屋にある書斎へ戻った。

 

 1983年の資料を閉じ、2004年の記録を机へ置く。

 

 次に確かめるべきものは、機関の仕様ではなかった。

 

 02-3のダッシュボードに残された言葉。

 

 その下に並ぶ六人の名前。

 

 文字が書かれた時点で、六人全員が生きていたわけではない。

 

 誰が自分で署名したのか。

 

 誰の名前が、別の者の手で書かれたのか。

 

 そして、なぜ長い実験の終わりに、1973年の言葉をもう一度残したのか。

 

 ルーカスは2004年の資料を開いた。

 

 そこには、02-3を保存する前に行われた最後の作業が記録されていた。

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