ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢 作:自動車好き/飛行機も好き
ルーカスが二度目にBMW博物館を訪れた時、02-3はすでに新しい車検を取得していた。
排出ガス対策の審査も終わり、必要な環境ゾーンへ進入する資格も認められている。
ただし、この日は02-3で来たのではなかった。
車検を取得したことと、すぐに長い距離を走らせることは別である。公道での走行確認は段階を踏んで行う必要があり、博物館への移動を最初の試験にする理由はなかった。
前回ここを訪れた時、ルーカスは祖父の車に対応する記録を探していた。
銀色の02-3。
Donnervogel 700。
BMW 700を基礎にした公道試験車。
そして、ボンネビルを走った名前のないイセッタ。
しかし、展示や公式の説明に、それらを直接示すものは見つからなかった。
その時のルーカスには、何かが欠けているように見えた。
なぜ会社の歴史に書かれていないのか。
BMWを基礎にした車なのだから、会社側にも記録があるはずではないか。
私設工場の資料を調べ始めたばかりのルーカスは、そう考えていた。
今は事情を理解している。
アドルフたちの車は、BMWの公式開発車ではない。
会社が製作を命じた車でも、正式な試験計画の一部でもなかった。
私設研究の成果がBMWの市販車へ直接取り入れられたことを示す資料もない。
公式史に記載がないことを、意図的な隠蔽と考える根拠はなかった。
ルーカスは、その区別を確かめるために再び来ていた。
展示を順に見ていく。
機関。
車体。
競技。
安全。
設計。
量産。
BMW博物館が扱っているのは、BMWの企業、ブランド、製品の歴史だった。
どの車がいつ製造されたか。
どのような機構が採用されたか。
会社と製品の発展に、どのような位置を占めたか。
展示の中心にあるのは、BMWが公に作り、記録したものだった。
それは当然のことだった。
私設工場で少人数が改造した一台を、会社の量産車や公式試作車と同じ位置へ置く理由はない。
ルーカスは以前よりもゆっくり歩いた。
祖父の痕跡を探すのではなく、展示が何を語ろうとしているのかを見る。
そうすると、同じ場所が前回とは違って見えた。
展示されている市販車は、完成した製品として存在している。
しかし、その背後には設計、試作、検査、承認、生産、販売、整備がある。
一台の実験車が成立することと、同じ仕様の車を繰り返し製造することは違う。
バルカンSターボについて調べた時にも、ルーカスは同じ違いを考えた。
超小排気量ターボ車が量産され、一般に販売されたことには、一台の実験車が動くこととは異なる意味があった。
アドルフたちの研究は、量産と販売を担う企業活動の外側にある。
外側にあるから価値がないのではない。
最初から、記録される仕組みが違っていたのである。
市販車の歴史を追いながら、ルーカスはBMW 2002 Turboについて調べた時のことを思い出した。
1973年、アドルフはその登場を知り、日記へ一行を残している。
実験は成功し、我々は勝利した。
以前のルーカスは、この言葉をBMWに対する勝利とも読めるのではないかと考えた。
だが、アドルフはBMW 2002 Turboへ試乗していない。
BMWを敵とも書いていない。
自分たちの技術が盗まれたとも主張しなかった。
企業の市販車と、アンガーフェルトの私設研究車は、同じ競争の参加者ではなかった。
アドルフが喜んだのは、排気タービンを備えた乗用車が市販されたことだった。
自分たちが長く検証してきた考えが、特殊な実験の外へ出た。
少なくとも、残された日記とエリーザベトの証言からは、そのように読むことができた。
ルーカスはBMW 2002 Turboと02-3の最高出力を比べようとはしなかった。
どちらが先だったかを項目ごとに並べ、優劣を決めることにも意味はない。
開発主体も目的も異なる。
共通しているのは、排気のエネルギーを利用して機関へ空気を送り込み、限られた排気量から必要な性能を得ようとしたことである。
一方は企業による市販車。
もう一方は私設研究による公道試験車。
似た技術を使っていても、歴史上の位置は同じではなかった。
ルーカスは手帳を開いた。
社史に記載されていないことと、存在しなかったことは同じではない。
続けて書いた。
ただし、存在したことだけで会社の公式な開発史へ加えられるわけでもない。
二つを区別しなければ、アドルフたちの研究を正しく残すことはできない。
BMWの公式開発だったと書けば、事実を広げ過ぎる。
無視された研究だったと書けば、根拠のない対立を作る。
BMWが行った開発と、アドルフたちが私設工場で行った研究。
両者の間に確認できる関係だけを書く。
確認できない影響は作らない。
似ているというだけで、技術の流用を主張しない。
記録がないことを、隠蔽へ結びつけない。
それは祖父たちの仕事を小さく扱うためではなかった。
事実として残すために必要な区別だった。
昼を過ぎた頃、ルーカスは展示から少し離れた場所で休んだ。
最初の訪問以来、自分が集めてきた資料を思い返した。
アドルフの日記。
フランツの測定記録。
エリーザベトが整理した費用と書類。
私設工場二階に残された部品。
Normal-8の映像。
米国に残っていたボンネビルの記録。
ロバートの証言。
グローブボックスの車検証。
どれか一つだけでは、研究の全体を説明できなかった。
企業の資料にない部分は、私的な資料から確かめる必要がある。
しかし、私的な資料だけを根拠に、企業側の歴史を書き換えることはできない。
両者を混ぜずに並べる方法が必要だった。
展示を見終える頃、ルーカスは最初の訪問で感じた不満が薄れていることに気づいた。
博物館の内容が変わったからではない。
見る側の問いが変わったのである。
最初の訪問では、ここにないものを探していた。
二度目の訪問では、ここにあるものが、どの範囲の歴史を語っているのかを見ていた。
BMW博物館は、BMWの会社史と製品史を示す場所である。
そこに私設研究車がないことは、研究そのものの否定ではない。
問題は、企業の記録の外側に残った資料を、誰がどのように整理するかだった。
アドルフは体系的な自伝を書かなかった。
研究チームの正式な組織史もない。
車両、日記、図面、測定記録、映像、証言が、それぞれ別の形で残されている。
ルーカスが行っているのは、それらをBMWの社史へ押し込むことではなかった。
散らばった記録を結び、何が行われたのかを後から検証できる形へ整えることだった。
博物館を出る前に、ルーカスは手帳へ書いた。
公式史にない記録を、欠落と同じ意味で扱ってはならない。
それをどのような言葉で捉えるべきかは、まだ決めなかった。
会社の物語と家族の物語は同じではない。
それでも、同じ時代に、排気タービンを乗用車へ用いるという課題へ、それぞれ異なる立場から向き合った流れとして並べることはできる。
帰路、ルーカスは02-3のことを考えた。
新しい車検を取得し、環境ゾーンへ進入する資格も得た。
だが、この日は私設工場で待たせている。
博物館へ乗りつけて、その存在を示す必要はなかった。
展示車の横へ並べる必要もない。
02-3の価値は、BMWの公式史へ採用されることで生まれるものではなかった。
二十四万kmを超えて使われたこと。
機械式燃料噴射を維持しながら、三元触媒とO2センサーを協調させたこと。
一台の特殊な試験車で終わらず、祖父母の生活に使われたこと。
2008年の道路へ戻るため、再び検査を受けたこと。
それらは、残された車体と資料によって確認できる。
アンガーフェルトへ戻ると、ルーカスは私設工場へ向かった。
02-3は中央の定位置にあった。
車両右側の助手席前には、銀文字の宣言と六人の名前が残されている。
ルーカスは助手席側の窓越しに文字を見た。
BMW博物館に、この車の説明はない。
それでも、02-3はここにある。
角部屋にある書斎へ戻ると、ルーカスは二度目の訪問について記録した。
前回とは、博物館の見え方が変わっていた。
だが、まだ結論は出ていない。
次に整理しなければならないのは、同じ研究から生まれながら、異なる方向へ進んだ二台だった。
競技専用車として残されたDonnervogel 700。
日常へ戻り、二十四万kmを超えて使われた02-3。
ルーカスは二台を並べて考えるため、新しい記録表を作り始めた。