ある自動車技師の記録、或いはダウンサイジングターボの夢   作:自動車好き/飛行機も好き

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余談 八割の先

 2018年の春、ルーカスは私設工場の右側に置かれていたDonnervogel 700を、中央の作業区画へ移した。

 

 エリーザベトが亡くなってから四年が過ぎていた。

 

 02-3は、走行できる状態で維持されている。必要な整備を受け、時折道路へ出た。だが、その右側にあった競技専用車は、長い間動かなかった。

 

 約800kg。

 

 約120馬力。

 

 後部機関、後輪駆動。

 

 二人乗りの競技専用車。

 

 機関には、1955年に入手されたBBC製試作排気タービンの第3号機が残されている。

 

 ルーカスは、この車を現代の競技車へ作り替えるつもりはなかった。

 

 車体の構成を変え、強力な機関や新しい変速機を載せれば、速くすることはできる。しかし、それではDonnervogel 700が本来どこまで走れたのかを確かめることにはならない。

 

 レストアの目的は、性能を上乗せすることではなかった。

 

 残された構成を維持しながら、安全に性能を引き出せる状態へ戻すことだった。

 

 作業は、保存記録との照合から始まった。

 

 機関。

 

 排気タービン。

 

 燃料供給。

 

 潤滑。

 

 冷却。

 

 駆動系。

 

 車体。

 

 制動。

 

 操舵。

 

 拘束具。

 

 当時の加工を残せる部分と、機能を失ったため交換すべき部分を分けた。

 

 取り外した部品は捨てず、状態と交換理由を書き添えて保存した。

 

 最も慎重に扱ったのは、後輪だった。

 

 1960年代の北コースでは、最大性能の八割程度に抑えたシェイクダウンの後、後輪タイヤの接地面と側壁に著しい損傷が発見された。そのため全開走行と正式計時は中止され、公式ラップタイムは残されなかった。

 

 損傷したタイヤは走行に使わなかった。

 

 過去の判断を示す資料として保存し、レストア車には現代の競技用タイヤを装着した。

 

 外径、幅、荷重、ホイールとの適合を確認する。操舵時と懸架装置の作動時に車体へ干渉しないことも確かめた。

 

 現代のタイヤなら、約800kgと約120馬力に耐えられるはずだった。

 

 だが、ルーカスは「はず」を結論にはしなかった。

 

 走らせて確認する必要がある。

 

 場所はニュルブルクリンク北コースだった。

 

 最初から貸切にはしなかった。

 

 Donnervogel 700が基本的な走行に耐えられなければ、一周の全開走行を計画する意味はない。ルーカスは三回に分けて車を走らせることにした。

 

 最初の二回は、ほかの参加車両と混走するトラックデイを利用する。北コースのトラックデイには参加台数を限定した形式があり、競技車両を認める日程は試験にも利用されていた。

 

 最後の一回だけ、貸切枠を使う。

 

 アウトラップ。

 

 一周の全開走行。

 

 インラップ。

 

 合計三周。

 

 それが、最終確認の全行程だった。

 

 第一回のトラックデイでは、Donnervogel 700は新しい車両に囲まれてコースへ入った。

 

 多くの車は、Donnervogel 700より重く、はるかに大きな出力を持っていた。

 

 ルーカスは競争しなかった。

 

 速い車が後方へ近づけば進路を譲り、前方に間隔を作った。初めに確かめたのは、機関の出力ではなく、制動と操舵だった。

 

 ペダルの感触。

 

 直進時の安定。

 

 変速時の反応。

 

 荷重が前後へ移った時の車体の動き。

 

 排気タービンが働き始めた後の燃料供給。

 

 油圧と冷却の変化。

 

 短い直線で加速し、手前で速度を落とす。旋回中は急な操作を避け、後輪がどのように路面を捉えるかを確かめた。

 

 Donnervogel 700は古い車だった。

 

 操作は軽くない。

 

 車体の反応には、現代車のような電子制御による補正もない。

 

 それでも、挙動はルーカスの予想より明確だった。

 

 前輪へ荷重を移し過ぎれば、後部が落ち着きを失う。

 

 反対に、加速を始める位置を整えれば、後部機関の荷重が駆動輪を路面へ押しつけた。

 

 排気タービンが働くまでには時間がある。

 

 しかし、出力が立ち上がれば、軽量な車体は勾配の中でも速度を増した。

 

 第一回の走行後、ルーカスはすぐに車体を持ち上げた。

 

 後輪を外し、接地面と側壁を調べる。

 

 異常な摩耗はなかった。

 

 側壁に裂け目もない。

 

 接地面には走行による変化が均一に残り、温度と空気圧も想定した範囲に収まっていた。

 

 現代の競技用タイヤは、正常に機能していた。

 

 それでも、ルーカスは全開走行を決めなかった。

 

 一度走れたことと、繰り返し走れることは違う。

 

 第二回のトラックデイでは、負荷をさらに上げた。

 

 連続した加速と制動。

 

 横荷重が長く続く区間。

 

 上り勾配での過給。

 

 高速域からの減速。

 

 各周回の後にはピットへ戻り、油温、冷却、漏れ、締結部、制動系、タイヤを点検した。

 

 ほかの車に紛れて走ることで、Donnervogel 700の位置も見えてきた。

 

 現代の高性能車を直線で追うことはできない。

 

 出力差は明らかだった。

 

 だが、速度を大きく失わずに通過できる区間では、後続車がすぐには近づかなかった。

 

 約120馬力という数字から想像するより、加速は強い。

 

 現代の基準で見れば、Donnervogel 700は極端に軽い車ではなかった。

 

 小さな車体に対して約800kgは、やや重い。

 

 評価するなら、やや重い120馬力のライトウェイトスポーツカーだった。

 

 それでも、1960年代に私設工場で作られた車として見れば、速さは驚異的だった。

 

 車体は過給機関の出力を受け止めた。

 

 制動は周回を重ねても機能した。

 

 現代のタイヤは、加速、制動、横荷重のいずれにも耐えた。

 

 かつて損傷した接地面と側壁にも、異常は現れなかった。

 

 第二回の走行後、ルーカスは記録表へ書いた。

 

 タイヤは完全に機能。

 

 車体との干渉なし。

 

 異常な摩耗および側壁損傷なし。

 

 最大性能を確認する条件は整った。

 

 最後の一文を書いた後も、ルーカスはしばらくペンを置かなかった。

 

 エリーザベトが生きていれば、何と尋ねただろうか。

 

 速かったか、とは聞かなかったはずである。

 

 次も走れるのか。

 

 無事に戻ってこられるのか。

 

 おそらく、先に確かめるのはその二つだった。

 

 第三回の走行は、貸切枠で行われた。

 

 競争相手はいない。

 

 前方を塞ぐ車も、後方から迫る車もない。

 

 必要な人員と機材だけがピットに置かれ、コースの状態と連絡手順が確認された。

 

 全行程は三周だった。

 

 ピットを出て車両を整えるアウトラップ。

 

 最大性能を引き出す一周。

 

 そして、負荷を落としてピットへ戻るインラップ。

 

 ルーカスは運転席に身体を収め、拘束具を確認した。

 

 機関を始動する。

 

 排気音がピットへ広がった。

 

 計器の指示を一つずつ確かめる。

 

 準備が整うと、Donnervogel 700はピットを離れた。

 

 アウトラップでは急がなかった。

 

 タイヤと制動系へ温度を入れ、機関と潤滑を安定させる。操舵への反応を確かめ、路面の状態を見る。

 

 異常はなかった。

 

 最終区間へ近づくにつれ、ルーカスは速度を上げた。

 

 開始地点を通過した時、排気タービンはすでに働いていた。

 

 全開走行が始まった。

 

 Donnervogel 700は、五十年以上前に止められた八割を越えた。

 

 直線では、約120馬力を使い切った。

 

 勾配では回転を落とさず、過給を保つ。

 

 制動では姿勢を整えてから速度を落とし、前輪へ荷重を移し過ぎないようにする。

 

 旋回へ入れば、現代のタイヤが車体を支えた。

 

 後輪は逃げなかった。

 

 側壁は荷重に耐え、接地面は必要な摩擦を路面へ伝えた。

 

 タイヤの能力が上がったことで、別の問題も明確になった。

 

 車体の重さ。

 

 慣性。

 

 制動距離。

 

 過給が立ち上がるまでの時間。

 

 RR配置による荷重移動。

 

 Donnervogel 700は、現代の競技車のようには走らない。

 

 だが、挙動は破綻しなかった。

 

 ルーカスが操作を誤魔化さなければ、車は応えた。

 

 直線では力強く加速し、上りでも速度を保った。

 

 現代の高出力車と比較すれば、絶対的な速さには限界がある。

 

 それでも1960年代の車としては、疑いようのない速さだった。

 

 小さな機関と排気タービンで、半世紀後の北コースを全開で一周する。

 

 それ自体が、十分に驚異的だった。

 

 ルーカスは周回時間を見なかった。

 

 この走行は、失われた公式記録を作り直すためのものではない。

 

 アドルフたちが当時出せたはずの時間を推定するためでもなかった。

 

 八割の先で、車がどのように振る舞うか。

 

 その一点を確かめるための走行だった。

 

 最後の区間を抜け、全開周が終わった。

 

 ルーカスは速度を落とした。

 

 インラップへ入る。

 

 機関と制動系を冷却し、タイヤへ急激な負担を与えないように走る。

 

 油圧は保たれていた。

 

 冷却も機能している。

 

 異音はない。

 

 操舵の感触にも変化はなかった。

 

 Donnervogel 700は、自力でピットへ戻った。

 

 ルーカスが機関を止めると、周囲に静けさが戻った。

 

 喜ぶ前に点検を始めた。

 

 漏れ。

 

 緩み。

 

 機関。

 

 排気タービン。

 

 駆動系。

 

 制動。

 

 そして後輪タイヤ。

 

 接地面に異常な損傷はなかった。

 

 側壁にも裂け目や変形はない。

 

 現代の競技用タイヤは、アウトラップ、全開走行、インラップの三周を通して完全に機能していた。

 

 Donnervogel 700は、次の走行が可能な状態で戻ってきた。

 

 ルーカスは記録表へ結果を書いた。

 

 具体的なラップタイムは記さなかった。

 

 代わりに、確認できた事実を並べた。

 

 一周の全開走行を完了。

 

 走行中断なし。

 

 機関、冷却、潤滑、駆動、制動に重大な異常なし。

 

 後輪タイヤの接地面および側壁に異常損傷なし。

 

 自力でピットへ帰還。

 

 最後に評価を加えた。

 

 約800kg、約120馬力。やや重いライトウェイトスポーツカー。

 

 1960年代の競技専用車として、驚異的な速さ。

 

 それは公式記録ではない。

 

 ルーカスによる、2018年の走行結果の整理だった。

 

 八割の先にあったのは、五十年以上前に取り逃がしたラップタイムではなかった。

 

 当時の判断が間違っていたという証明でもない。

 

 1960年代のタイヤで走行を続けていれば、重大な事故につながった可能性がある。接地面と側壁の損傷を発見し、全開走行を中止した判断は正しかった。

 

 その記録が残っていたから、ルーカスは同じ場所を重点的に調べた。

 

 二度のトラックデイで性能を段階的に確認した。

 

 現代のタイヤが完全に機能することを確かめてから、貸切枠へ進んだ。

 

 過去の中止判断を無視したから走れたのではない。

 

 その判断を引き継いだから、八割の先へ進むことができた。

 

 ピットを離れる前に、ルーカスは銀色の車体を振り返った。

 

 Donnervogel 700は、02-3に代わる回答にはならない。

 

 人と荷物を運び、日常の用事に使う車でもない。

 

 これは捨てられなかった夢だった。

 

 ただし、もう走れない夢ではなかった。

 

 五十年以上を経て、全開で一周し、壊れずに戻ってきた。

 

 ルーカスは記録表の末尾へ、一行だけ書き加えた。

 

 八割の先まで走った。

 

 それから少し考え、もう一行を加えた。

 

 そして、戻ってきた。

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