冒険姫リーベ ~食堂の看板娘からジョブチェンジして最強の冒険者になります~ 作:丘引みみず
魔物の赤黒い血液が街路を浸していくのを呆然と見つめていた。
するとふと、周囲が騒がしいのに気付く。
振り向くとそこには観衆が集まっており、彼らは恐怖や畏怖と、なにより大きな好奇心を湛えた瞳をカラスの亡骸に向けている。
「あの坊主がやったのか?」
「剣持ってるし、そうだろうな」
「知ってるか? アイツ、ヴァールさんの弟子なんだってな」
そんな会話がひそひそと響く中、その何倍もの大音量がうわさ話を蹴散らす。
「リーベ!」
お父さんが観衆をかき分けながらやって来た。
「魔物が出たって聞いたが、まさかお前が襲われてたなんて……」
そんなことを口にしつつ、熱心に娘の体を点検している。
「もう、お父さんたら……心配しすぎだよ…………」
「しすぎも何もあるか! お前は俺の娘なんだぞ!」
「……ご、ごめんなさ――」
言い掛けた時、お父さんの大きな腕がわたしを抱き込んだ。
するとその温もりに緊張の糸がぷつりと千切れ、涙が溢れてくる。
「お父さん……うう…………」
お父さんはわたしを開放するとフロイデさんに目を向ける。
「お前には礼を言わねえとな、フロイデ」
「……う、ううん。ぼくの方こそ、助かった…………ありがと、リーベちゃん」
その言葉にわたしは恩人を見やる。しかし、拭った側から涙が滲んできて、彼の顔がよく見えなかった。
「い、いえ。こちらこそ……ありがとうございます。フロイデさんって、強いんですね」
再び指先で涙を拭うと、鮮明になった視界の中でフロイデさんが顔を赤くしていた。
「そ、そんなこと、ないよ……」
照れ屋な彼はスカーフと前髪を掴む例の仕草を見せる。
その一方でお父さんが首を傾げる。
「ん? 助かったって……もしやリーベ! お前が戦ったんじゃ――」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!」
事情を問う声はドスの利いた叫びにかき消された。振り返ると、観衆が悲鳴を上げて左右に分かれる。そうして出来上がった人垣の合間をおじさんが猛然と駆け抜けてくる。それからやや遅れてフェアさんもやって来る。
2人は共に武装していたが、お父さんは無防備だった。無防備でも時間稼ぎが出来る技量があるからだろう。
そんな事情はさておき、おじさんは魔物の死骸を見て、弟子を見て、小首を傾げる。
「ああん? どうしてフロイデが……まさかお前がやったんか?」
「ううん。ぼくと、リーベちゃんで」
彼が答えた途端、観衆はざわざわと騒ぎ出した。そんな中、フェアさんが気を利かせて言う。
「……ひとまず、後始末は我々に任せて、おふたりはお戻りください」
フェアさんの言葉におじさんが続く。
「そうだな。さっさと帰って、シェーンを安心させてやれ」
そう言ってグローブを付けた手でわたしの頭を撫でた。
「あー!」
髪の毛を気にしていると、お父さんが言う。
「んじゃ、後は頼んだ――いくぞ」
「う、うん……」
去り際、わたしは魔物の死骸を見つめていたフロイデさんに呼び掛ける。
「フロイデさん、本当にありがとうございました」
黒く滲んだ空の下、魔導師が街灯に明かりを点けて回っている。そうして出来た青白い光の中、わたしたち親子は肩を並べて歩く。
現場を後にして以降、お父さんはむっつりと口を閉ざしていた。わたしはそこに怒りの感情があるのを悟った。しかし、弁明の言葉を発する事もできず、ただ緊張に押し黙るばかりだった。緊張を和らげようとしていると、お父さんがようやく口を開く。
「どうして魔物と戦ったんだ?」
「それは……フロイデさんが危なかったから……」
「だとしても、あの時お前のやるべきは、誰でもいいから冒険者を呼ぶことだ」
元冒険者の言葉は、わたしの胸には確かな重みを持って響いた。だがそれでも、自分の選択が正しいという確信は揺るがなかった。
「で、でも! 本当に危ないところだったんだから!」
「結果論だ。じゃあ聞くが、お前の心配は全くの杞憂で、それどころか、余計な被害を招いたとしても同じ事が言えるか?」
「それは――」
一蹴され、閉口させられた。
どうにか言い返そうと考えを巡らせていると、お父さんは溜め息と共に続ける。
「冒険者の世界じゃ、仲間を見捨てることなんて当たり前だ。命あっての物種なんだからな」
冒険者は死と隣り合わせである以上、合理的な決断が求められる。
そんな考えに苛まれていると、お父さんが実感の籠もった声を零す。
「……ディアンの爺さんの右腕がないのは、俺を庇ったからだ」
ディアンさんはお父さんの友人で、元冒険者で、画家だった。あの名画【断罪の時】を描いたのも彼だ。
「アイツは冒険者であることを誇りに思っていた……腕をなくしたとき、アイツがどれだけ絶望したことか…………救われておきながら俺は、お前にはそうなって欲しくねえんだ」
「お父さん……」
長い腕がわたしを包み込む。
「……無事で、良かった…………」
「お父さん………………ごめんなさい……」
大きな手が後頭部を撫でる中、わたしの耳に、聞き馴染んだ心地よい声が響いてくる。
「リーベ!」
父の胸板から顔を離し、振り向くとそこにはお母さんがいた。
「ああ……帰って来ないから心配したのよ!」
「ごめんなさい……」
「良いのよ、無事でいてくれればそれで――まあ! こんなボロボロになって」
その言葉にわたしは視線を落とす。
今わたしの来ているライムグリーンのワンピースは擦過でボロボロになり、砂と草で汚れ、見るに堪えない状態になっていた。
「ああ⁉ ……そんな…………」
がっくしと肩を落とすと、お父さんが明るい調子で言う。
「なあに。服なんてまた買えばいい――」
「良くないよ!」
娘の大声に父は目を丸くした。
「……お誕生日プレゼントだったのに…………」
服なんてこの世界にいくらでもあるが、誕生日の――しかも15歳の成人祝い買ってもらった有名な婦人服店の『アンベシル』の服は世界にこの一着しかないのだ。それを思うとわたしは無性に悲しくなってきたのだった。
「くう……! リーベっ!」
お父さんは感極まった様子でわたしの名を呼ぶと共に抱きしめる。
しかしその力は強く、わたし太い腕に締め上げられ、鼻先を分厚い胸板に押しつけられる。その苦痛たるや、もはや抱擁の域にはなかった。
「うぐぐ……ぐ、ぐるじい…………!」
わたしが腕を叩いて訴えるも、中々解放されない。微かに聞こえたお母さんの警告も聞き入れられなかったため、わたしはしばらく苦痛に喘ぐこととなった。