獅童正義は明智吾郎として生きることになった。 作:枝野トナナ
アラームの音で目を覚ます。
惣治郎が来る前に洗面台で顔を洗って、鏡とテーブルを拭く。
それから内鍵を開けておいて、軽く床の掃き掃除。
「よう。おはようさん」
「おはよう」
だいたい途中で惣治郎がやってきて、朝ご飯を準備してくれる。
昨日仕込んで余ってしまった、一日寝かせたカレー。ちなみに余らない時は取り分けておいてくれているみたいだ。
仕込みたてのスパイスが効いたカレーも美味しいけれど、俺はこっちのカレーの方が好きかもしれない。
「それ食べてるときのレン、いつも幸せそうだな。
どうしてゴシュジンはワガハイに食べさせてくれないんだ?」
「タマネギが入ってるから。タマネギは猫に毒」
「ワガハイは猫じゃねぇって言ってるのに……」
モルガナの朝ご飯は基本的にカリカリだ。たまに特売の猫缶。
本人は肉とか寿司とか好き勝手言っているけど、惣治郎には聞こえていないし、俺も通訳する気はない。
だって絶対に『俺が食べたいだけだろ』って思われるだけだろ。実際、食べたいし。
「学校はどうだ? あれから遅刻はしてねえようだが」
「……すまない。さすがにもう道は覚えた。
まさか地図アプリの行き先を入れ間違えてたなんて思わなかった」
「本当によぉ、連絡が来た時は肝が冷えたぜ。
あれだけ言ったのに初日から大遅刻たぁな」
「東京を甘く見ていた。竜司が助けてくれなかったら、一生迷っていたかもしれない」
……本当はイセカイナビのせいでパレスに迷い込んでいただけだけど。
惣治郎に迷惑を掛けたくなかったから、『地図アプリの行き先を別の学校に設定してしまって迷った』と言い張った。
竜司は――どうしようもなかった。サボってる途中で道に迷ってる俺を見かけて案内してくれた、ってことにするので精一杯だった。
「ちゃんと良い友達作れ、って言いたいが……まあ、田舎モンを心配して助けてくれたってなら、そこまで悪い奴でもねえか」
「竜司はいい奴。それに、他の友達もできた。
三島と杏……高巻さん」
「ふぅん。……って女か?」
「三島は男。高巻さんは前の席の女の子」
「へぇ。転校早々、やるじゃねぇか」
「ゴシュジンの考えてるような関係じゃねぇけどな! アン殿の心はワガハイがいずれ……!!」
モルガナが勝手に対抗心を燃やしているけど、俺は女性とそんな関係になる気なんてないから安心してほしい。
……それにみんな、俺がやったことを知らないから、関わってくれるだけだ。
「モルガナ、今日はご機嫌だな?
カリカリも全部食ってるし良く鳴いてるしよ。いつもこれぐらい機嫌がいいとなぁ」
「し、仕方あるまい。昨日は全力で頑張ったから、ワガハイもお腹が空いて仕方がないんだ」
……惣治郎には、モルガナの声はどう聞こえているんだろうか。
昨日の
俺と竜司は、逆にいつものモルガナの話し声にしか聞こえない。それこそ『ニャフフフ……!』って笑ってる時に片鱗を感じるぐらい。
「ごちそうさまでした」
「おう、お粗末さん。今日は帰り、遅くなりそうか?」
「昨日よりは早く帰れると思う。何かあったら連絡する」
「わかった。気をつけて行ってこいよ」
惣治郎もチャットアプリを入れればいいのに、どういうわけか電話派だ。
なんか頻繁に女性からの電話を取っているけれど………娘さんがいるなら、やっぱり奥さんなのかな?
……でも、バツイチで大人の恋愛相手って可能性もあるか。そもそも人の事情に首を突っ込むのは良くないよな。
屋根裏に戻って制服に着替える。その間にモルガナが
ダンベル並の重さのバッグを担いで、「行ってきます」と挨拶してから駅に向かう。
今日は席に座れるだろうかと思いながら電車を待ったが――ダメだった。
モルガナが潰されないようにバッグを守りながら、人の圧に押されつつ渋谷へ。
銀坐線に望みを託すも、やはり人でギュウギュウだ。
電車なんて駅弁を食べながら旅行で乗るものだと思っていた。
東京に来てから10日目だけど、未だに慣れる気がしない。
押し寄せる圧力にひたすら耐えていると、ようやく蒼山一丁目のアナウンスが聞こえてきた。
這々の体で電車を降りる。秀尽の生徒は何人かいるけれど、俺の姿を見るなり遠巻きになる。
例外は竜司ぐらい――
「おはようございます、先輩!」
「……お、おはよう?」
意外な子に声をかけられて、変な声が出た。
芳澤っていう一年生の女子だ。
昨日、鴨志田に俺と関わるなと釘を刺されていたはずだけど――
「その……聞いただろ?」
「? 何をですか――ああ、昨日のお話ですか?」
首を縦に振る。視界の端で、他の秀尽生が囁き合っているのが見えた。
けれど芳澤は俺の心配もみんなの態度も知ったことかと言わんばかりに、晴れやかな表情で笑いとばす。
「あははは。私は先輩を悪い人だと思いませんよ。
私は人に言われたことより、自分で見たものを信じますから」
「……俺は、前歴持ちの悪い人だけど」
「本当に悪い人は『起こそうか?』なんて言ってくれたりしませんよ。
それにケンカで警察に補導された子なら、中学の同級生にもいましたしね」
……ケンカじゃない。殺人だ。
はっきりと言ってしまいたかったけれど、それはそれで惣治郎や他の人達に迷惑がかかる。
鴨志田のやり口は気に入らないを通り越して許せないけれど……正直、俺のことを喧伝してくれたのは、少し有り難かった。
こうやって、気を遣われる方がいたたまれない気持ちになる。
「……俺、飲み物買っていくから。
芳澤さん……だっけ。君は先に行った方がいい」
「わかりました。それではまた!」
輝かしい期待の星。そんな言葉が頭を過ぎる。
明るくて眩しくて……俺に構っていい人間じゃない。
「物好きよね、あの子」「あんな奴に声かけるか、普通?」「ナイフ持ち歩いてるんでしょ? こわーい」
隠す気のない陰口を背に、ガタンと音を立てて転がり出た盆ジュースを取る。
どこで飲んでも変わらないみかんの味。地元――というか実家を思い出す。
父さんや母さんは元気にしているだろうか。どこの国にいるのかぐらいは聞いても良かったのかな。
連絡先は残しているけど、あれから一度も電話を掛けられていない。掛かってきてもいない。
……2人とも外国語どころか英語だって苦手だって言ってたから、色々大変なだけだろうな。
「へー、蓮の両親も海外なんだ!」
「……杏も?」
「あー、確かファッションデザイナーだっけ? お前んち」
「そう! アメリカとかフランスとかイギリスとかスウェーデンとか、色々飛び回ってるから。
日本にいるのは1年の半分ぐらいかな?」
「じゃあ、杏は一人暮らし?」
「ううん。家政婦さんがいるから、家のことは任せちゃってる」
「金持ちの発言だよなあ。羨ましいわ、俺。
俺も金持ってたらメイドさん雇ってあんなことやこんなこと……」
「リュージよぉ……そういう欲望丸出しの考えをアン殿の前で披露するのはどうかと思うぞ」
昼休み。飲み物を補充しようと中庭に行ったら、竜司と杏がやってきた。
何だかここで話すのが日課になっている気がする。昨日は途中でレスバ先輩に呼び出されたけど。
全員でジュースを買ってからベンチに腰掛ける。モルガナもバッグから出てきて、俺の横に座り込んだ。
今は晴れてるけど少し雲が多くなってきた。曇り止まりで、雨が降らないといいな。
「ところで三島、何か言ってた?」
「今日は先輩からは何もないみたいだ。ツミツミのコツを聞かれただけだって」
「ツ、ツミツミ?! あんな可愛いゲームやるの? あの人」
杏が首を傾げる。実際、俺も同じ事を思った。表情からして竜司もだ。
あれはデスティニーランドのキャラゲーだし、女の子向けという印象が強い。
三島曰く、面白いから男でもハマる奴はハマると力説していたけれど……
「い、イメージ湧かねえなぁ……三島が勧めたんかな?」
「多分」
「……三島くん、意外と大胆だね。
あの人、すごいトゲがあるっていうか……ぶっちゃけ怖くない?」
「まーな。普通に話してる時は面倒見良くて頼りになる人なんだけど、言い合いになると途端に容赦ねえからなぁ。
そりゃ三島も蓮もレスバ先輩って呼ぶわ」
「そもそもその呼び方だって、本当に大丈夫なの? さすがに三島くんに担がれてるんじゃ……」
「アン殿の心配はもっともだが、アイツがレンに嘘をつけるとは思えねーんだよな」
「三島にそこまでの度胸は無いんじゃないかな」
「直球ストレートに言ってやるなよ……まあ俺もそう思うけどよ」
三島も色々吹っ切れた様子ではあるけれど、まだちょっとビビっているところがある。
俺が後ろから話しかけたり肩を叩くと、だいたい『ヒィッ!』って声出すし。
――なんてことを考えながら今日2本目の盆ジュースを飲む。みかんおいしい。
「そもそも、あの人って何者なの? 竜司の先輩なんだよね?」
「え? ちげーよ?」
「はぁ?」
竜司の答えが予想外だったのか、杏が目を丸くする。
きっと、階段の踊り場でいきなりいちゃもんをつけられた時のことを思い出していたんだろう。
明らかに竜司を庇って文句を言っている内容だったから、元々顔見知りだと思ったのだろうけれど……
「レスバ先輩は別室登校生。妹さんがバレー部に入りたがってるとかで、1人で学校のことを色々調べようとしてた。
球技大会の日に俺達が騒いでたら向こうが気づいて、協力してくれるようになった」
「そ、そうなんだ……竜司にだいぶ肩入れしてたから、てっきり昔からの先輩かと」
「あのなぁ……本当の先輩方が俺に肩入れするわけねーだろ。
田中先輩は『自分で考えて動く』ってのが評価基準みてーだからな。たまたま俺達を買ってくれただけだ」
「なるほどねー……それで鴨志田に目をつけられて、飛び降りの原因だなんて噂を撒かれたってワケね。
病院から戻ってきたらみんな揃って『志帆とあの人が言い争ったせいだ』って言ってきたから、何がどうなってるのって思った」
「だからあの人と鈴井じゃ言い争いなんて成立しねぇって……そもそも言い争える奴自体いねぇっての」
「レスバ先輩にレスバで渡り合えたらトロフィーもの。食い下がった杏はすごい」
パチパチと拍手すると竜司も真似をした。
杏はなぜか嫌そうな顔をする。なんでだ。本当にすごいのに。
「あのねえ。私だって言い争うつもりじゃなくて――あの時は、志帆を守りたかっただけだから。
……意味、なかったかもしれないけど」
「そんなことない。杏の気持ちは鈴井さんに届いてたはずだ。
悪いのは鴨志田だ」
「おうよ! あいつだけは許せねえかんな!
昨日めっちゃ頑張ったし、あとは――」
「おいリュージ! 大声出すな!」
モルガナに言われて竜司は慌てて自分の口をふさいだ。
俺と杏が周囲を見回したけど、幸い、こっちを見ている生徒はいない。
……みんな俺達には関わり合いたくないようだ。
俺はともかく、竜司は鴨志田に冤罪を着せられて誤解されているだけなんだけどな。
「――とにかく、だ。オタカラの場所は掴んだんだから、あとは予告状さえ出せばいいんだよな?」
改めて囁いた竜司の言葉に、モルガナが頷く。
昨日、俺達は一気にパレスの最深部まで進んで行った。
鴨志田の悪行を許したくなかった俺と竜司が張り切りまくったせいだ。杏とモルガナには……付き合わせて悪かったかもしれない。
「予告状、いつ出すよ? 今日の放課後にもう一度全員で集まるか?」
「そうだね。じっくり考えて決めたいし……
……そもそも、三島くん達に相談しなくていいのかな?」
空っぽになったらしい246茶の缶を振りながら、杏が不安げに俺達を見る。
「2人とも、鴨志田を告発するために卒業生に頼みに行ったり理事の人と話したりしてるんだよね?
私たちが勝手に改心させたら、その……2人の努力、無駄になったりしないかな」
「さすがに言っても信じてもらえねぇって。
パレスとかオタカラとか、俺達だって直接見たから信じるっきゃねーってなってるんだ。
それに……俺達が成功するとは限らねえ。もちろんオタカラは絶対盗んでやるけど――」
「……オタカラを盗んだらどうなるかはわからない。鴨志田が廃人になるリスクはある。
そうだな、モルガナ」
「ああ。ワガハイもそうはならないと断言できれば良かったのだが……アン殿やオマエらに嘘は吐きたくねーからな。
こればっかりはやってみないとわからねぇ。出たとこ勝負になっちまう」
「「「……」」」
……全員、押し黙ってしまった。
いくら鴨志田が許せない奴だとはいえ、告発するだけなら三島とレスバ先輩、それに杏の証言でどうにかなるかもしれない。
鈴井さんが目を覚ませばもっと確実に持っていけるだろう。
問題は俺と竜司と三島の退学だけれど、それにしたってバレー部の証言録音があるし、レスバ先輩を信じるなら理事の人が味方になってくれるかもしれない……
――あ、そうだ。
「レスバ先輩に相談してみるのはどうだろう?」
「え?」
「あの人、鴨志田のシャドウの様子をかなり言い当てていただろ。
下手な嘘は見破りそうだっていうなら、
それに人の心とかに詳しそうだし………話して頼めば、アドバイスぐらいもらえるかも」
「そりゃまあ……助けてくれって言えば、ワンチャン話は聞いてくれるかもしれねーけどさぁ。
――詳しいか? 人の心。むしろ人の気持ち無視した正論パンチしてこねぇ?」
竜司の言葉に杏が勢い良く首を縦に振る。気持ちはわかる。
でも――
「本当に人の気持ちがわかってないならもっと的外れな指摘になるし、こっちだって言い返せるはずだ。
あの人は相手の感情や考えを見抜いて理解してるから、反論できない弱みを突けるんだと思う。
それに逆のことも結構やってるだろ。三島をやる気にさせたりとか」
「ワガハイもそこに関してはレンと同じ意見だな。
ありゃ天性の煽動家って奴だ。人の性根を把握して、言葉で他人を動かすことに慣れてる。
スカウトできるならワガハイだって参謀や軍師としてスカウトしたいが……」
珍しくモルガナが躊躇う様子を見せた。
うなだれて右手を口に当て、それから顔をこする。どうみても毛づくろいする猫だけれど、悩んでいるようだ。
けれど杏がモルガナを覗き込むと、びくっと一瞬だけ毛を逆立ててからようやく口を開く。
「……ワガハイは、今回の決断にタナカを巻き込むべきじゃないと思う。
アイツはそこまで余裕がある人間じゃない。
オマエらの――というか他人の前では弱みを見せないよう取り繕っているだけだ」
「「「えっ?」」」
意外だった。モルガナがそういうことを言うなんて。
不思議に思う俺達に、モルガナは言いにくそうに顔を背けながら、それでも言葉を続けてくれる。
「昨日、オマエらがカモシダに絡まれた時、見つからないようにタナカと一緒に屋上に隠れただろ?
あの後……ワガハイのことを本物の猫だと思ったのか、タナカが人のことを撫で回しながら勝手に喋り始めたんだ。
脈絡があるようで無かった独り言みたいなものだったが……内容が、ひどく重くてな」
「重いって……病気の話とかか? この前もすげぇ苦しそうな発作起こしてたし」
「いや――恩人が自殺してその奥さんと飼い猫も亡くなってから、人の死に何も感じられなくなったとか。
『誰か』に恨みを買っていて復讐されることも覚悟していたのに、その『誰か』も復讐を果たす直前でなぜか自殺した、とか。
……それで、自分が今生きていること自体がわからない。この現実全てが気持ち悪い――そう嘆いていた」
「……は?」
――あの、人が?
「正直、意味がわからん部分も多かったが……
ずっと苦しそうだったから、少なくともタナカはあの時本心を喋ってはいたと思う。
自分には追いたい夢があるから死ぬ気はないし死にたくもない、とも言っていたが……精神的にかなり追い詰められていそうだった」
……想像ができない。
俺が見た先輩は、爪弾き者の俺達に成り行きとはいえ親身になってくれたり、時に傲慢なぐらいの上から目線で正論を言ってきたり……
――病気ってハンデさえも踏み倒す勢いで、自分を貫いて生きているように見えた。
「ワガハイは……困った時に誰かの力を借りることは、悪いことではないと思う。
だが、きっとオマエらにとってカモシダのオタカラを盗むってのは……結果が出た後でしか正解がわからない問題だろ?
やるにせよやらないにせよ……今は誰にもわからない答えを誰かに訊ねて、その意見に従っちまったら……
それは、その誰かに責任を委ねてるのと変わらないんじゃないかって」
「……モルガナ」
「タナカは頼めば相談に乗ってくれるだろう。なんならミシマだって――それこそゴシュジンだって。
色々伏せて『悪人を改心させる手段があるけど廃人化のリスクがあったらやるか?』と聞けば、みんななりに考えて答えてくれるはずだ。
だけどそれで誰かがやるって言ったからってオタカラを盗んで、本当にカモシダが廃人になっちまったら……さすがに気づくだろ」
……それは、確かにそうだ。
精神暴走事件とか騒ぎになってるのに、元金メダリストが廃人になったら……警察が入ったりニュースになる可能性が高い。
レスバ先輩と三島は普通に気づくだろうし、報道されたら惣治郎だってわかってしまう。
「ワガハイは、オタカラを盗みたいしオマエらに協力してほしい。
だけどそれはオマエらが同じペルソナ使いで、パレスを攻略した仲間――いわば共犯者だからだ。
タナカやミシマはパレスを知らないし戦う力もない。ゴシュジンと同じ、好意や善意の協力者だろ。
そんな奴らに重荷を負わせるのは……怪盗の美学に反する。そんな気がするんだ」
――怪盗の美学、か。
「……モルガナの……言う通りだ。
俺達がやるんだから、俺達で決めないと」
独り言めいた俺のつぶやきに、竜司と杏も頷く。
「だよな……やっぱ。甘えてちゃなんねーよ」
「……うん。巻き込んじゃ、ダメだよね」
それきり、全員が口をつぐんで、空を――もとい、トタン屋根を見上げた。
何分ぐらいそうしていただろうか。
「――俺は、鴨志田をやっちまうべきだと思う。それこそ明日にでも」
竜司が、そう言った。
飲み終わっていた空き缶を潰しながら。
「俺達が失敗しても先輩と三島が手を打ってくれる。
それだけで十分心強えし、鴨志田をのさばらせておく時間は短いほうがいい。
廃人になっちまってもそん時はそん時だ。アイツの自業自得だろ」
「……竜司」
「俺はとっくに頭に来てるんだ。鴨志田のせいで何人不幸になってるんだよ。
終わりにすべきだろ、こんなこと!」
「それは……そうかもしれないけど。
でも、鴨志田が廃人になったら……罪を償わせることもできなくならない?」
「え……?」
一瞬、杏が何を言っているのかわからなかった。
モルガナだけがいち早く意味に気づいたのだろう。「アン殿……」と不安げに彼女の顔を見上げる。
「私はね。鴨志田を倒したいんじゃなくて、謝らせたいの。
志帆に。みんなに。心の底から悪かったって、アイツに謝らせたい。
……廃人になったら、きっとアイツは病院に入院するか死ぬか、だよね。
それって……謝っても罪を償ってもいないまま、アイツが遠くに逃げるのと……何が違うのかな」
「……罰には、なるだろ。廃人なんだしよ」
「罰だけ与えたって、私の気持ちは……晴れる気がしないよ。
それに……鴨志田の口が塞がったら、体罰のことだって明るみに出ないかもしれない。
告発しようとした相手が死んだり廃人になったりしたら……真実なんて、追求しようがないじゃない。
……それじゃ、意味ないよ」
――杏の言っていることは、きっと正しい。
だけど竜司の言っていることも間違ってない。俺だって杏がいなかったら竜司に乗っかっていた。
結果が出ないと答えがわからない。
「――竜司、モルガナ……すまない。しばらく考えさせてくれないか……?
……放課後までに、答えが出てくる気がしなくなってきた」
「構わねえよ。俺だって考えが足りてねーだけかもしんねえし、杏の言ってることもわからなくはねぇ。
俺の気持ちを優先して鴨志田の罪が消えちまったら……確かに、意味ねーだろってなるし」
「……ワガハイもアン殿の気持ちを無視したいわけではない。
ただ……全てが上手く行かなかった時のことを考えて、次の理事会とやらには間に合わせた方がいいだろう。
だから……待てるのは今月末までだ」
「……わかってる。私も……もう一度、考えてみる」
――そうして、昼休みが終わって。
放課後に集まるのも止めて、俺達はそれぞれの家に帰った。
……もっとも俺はパレス内で使える薬欲しさに病院に行ってみて、怪しい治験に挑んだりしたけど。
ついでにキーピックとかも作ってみたけど、色々疲れてしまって――それ以上考えることもなく、ベッドに横になってしまった。
……ぐっすり寝れればいい考えが浮かぶかな? と思ったんだ。
なのに、なんできちんと休みたい日に限って、ベルベットルームに呼び出されるんだろう。
「一日ぶりですね。囚人、雨宮蓮。
無事にパレスの最奥にたどり着いたようで何よりです」
お子様看守長ことウィリアムが、ニコニコ笑顔で鉄格子の向こうに立っている。
もちろんジュスティーヌとカロリーヌも両隣にいる。
ご機嫌そうで何よりだ。あと6時間ぐらい寝かせてくれ。
「寝るな囚人! 起きろ!」
「横になりたい気持ちはわかりますが、我らの話を聞いてください。至らぬ弟が拗ねてしまいます」
「……拗ねるとどうなるんだ」
「囚人が反省するまで毎夜小言を聞かせるでしょう。もちろん私も一緒に」
「2人の小言は長くて面倒で聞き流すのも大変だぞ! 私でも苦労したのに、果たしてお前に耐えられるかな?」
「起きます」
「よろしい」
さすがに睡眠時間が拷問に変わるのは嫌だ。
大人しく檻の中のレッサーパンダになった気分で鉄格子を掴んでいよう。
「僕の話を聞く気になったようで何よりです。
さて。パレスを進み、罪人の心の歪みを見つけたのならば、あなたがすべきことはただ一つ。
心の歪みを奪い取って、正義を成すのです」
「……正義?」
「そうです。更生とは罪を犯したものが立ち直り、新たに生まれ変わること。
そのためには己の力で贖罪を果たしていくことが何よりも重要です。
故に、あなたは賊としての力で巨悪を倒さねばなりません。正義の怪盗として」
そんなものになった覚えは――と俺が言いかけるよりも一瞬早く、牢獄に似つかわしくない嘲笑が響いた。
俺を含めた全員の視線が一点に集まる。
ウィリアムの背後に置かれていた青い椅子と立派な机。
山積みになった書類の横、椅子ではなく机の天板に無遠慮に腰掛けているのは――怪盗服の俺の姿を真似た、金色の瞳の男。
「――果たして反省なき蛮勇は正義と呼ばれるべきか。
時には己の頭で考えることも重要だぞ? 雨宮蓮よ」
突然現れた『観客』に、三つ子の看守が身構える。
「貴様! 囚人でもない者がなぜここにいる?!」
口火を切って警棒を振り上げたカロリーヌだが、『観客』は身じろぎ一つせずに涼しい顔で答える。
「囚人に面会者がいても良いだろう?
それに看守や看守長に過ぎぬ諸君らに、私を咎める権限はあるまいよ。
ジュスティーヌ。ウィリアム。面会者に看守が手を上げることは許されるのかね?」
「……いいえ。貴方が正当な面会者であるのならば、我らが阻む権利はありません」
「看守長として看守が無礼を働いたこと、お詫びします。
しかし――どのような用件で面会に参られたのか、我々にもご説明願いたいですね」
なんだろう。俺だけ蚊帳の外だ。檻の中にいるのに。
でも、このドッペルゲンガーみたいなよくわからない奴が何をしに来たのか……俺だって知りたくはある。
「……『観客1号』、だっけ。何の用だ?」
「1号は余計――ああ、なるほど。君にとってはそこの彼らが2号と3号と4号というわけか。
まあ、好きに呼べば良いさ」
「ちょっと待て! 誰が2号で3号で4号だと言うのだ!?」
「カロリーヌ。落ち着きなさい。
私が2号であなたが3号、ウィリアムが4号なのは間違いないのですから」
「御冗談を、姉様。看守長たる僕が2号でジュスティーヌ姉様が3号、カロリーヌ姉様が4号ですよ」
「黙れ弟! 私が2号で――」
「もういいよ。話進めて?」
「そうですね。失礼しました」
ジュスティーヌが咳払いをする。
後ろでカロリーヌが「良くないだろ!! 私が2号以外認めんからな!」とか吠えてるけど無視しておこう。
「……しかし、何の話だったのでしょうか」
「囚人の更生と面会者様の目的ですよ、姉様。
まずは一つずつ話を進めるといたしましょうか」
そういえばそんな話だったか。ええと、確か………
「とりあえず、俺は鴨志田からオタカラを盗んで改心させるべきだと言いたいわけか?」
「その通りです。あなたが運命の囚われを脱し、更生を果たすには他に道はありません」
俺なりの解釈を口に出してみると、ウィリアムは満足そうに微笑んだ。
しかし『観客』は俺達を見下すように鼻で笑うと、俺なら絶対に浮かべないぐらい邪悪な表情で嘲る。
「まったく、若き看守長殿は言葉が足りんなぁ。きちんと最後まで説明すべきだろうに。
――いいかね、雨宮蓮。
他に道がないからといって試練に挑もうとも、それによって発生した結果の責任は全て君が負うことになる。
「面会者様。そのような言葉で囚人の更生を惑わすのは、観客としての立場から逸脱しているのでは?」
「申し訳ないがこれも取引の一環だ。
文句は私に『雨宮蓮を導く』ことを望んだ契約者に言いたまえ。
君の立場で言えるのならば――だが」
さすがにカチンと来たのか真顔で突っかかるウィリアムに対し、『観客』は肩を竦めて笑う。
人の姿で他人を挑発するのは止めてほしい。俺の扱いまで悪くなりそうだ。
そんな心配を知ってか知らずか、ジュスティーヌだけが冷静につぶやいた。
「なるほど。貴方がこの部屋に出入りできるのも、取引の一環というわけですか」
「ジュスティーヌ? お前、何か知っているのか?
こいつがこの部屋に入れるなど……」
「そうですね。『観客』様に対してベルベットルームが扉を開くはずはない。
我らが主も本来ならば許すはずがない――もし主以外で覆せるとしたら、それは……」
「ご明察だ。さすがはベルベットルームの住人。
お察しの通り、私は正当なる主殿の
『
……主とやらだって見たこともないのに、その上とか誰だよ。
話が終わるまで寝っ転がってようか。
「その取引内容で僕の言葉に茶々を入れるのは、立派な契約違反では?」
「囚人相手とはいえ言葉が足りぬ君が悪い。
行動に伴うリスクは全て事前に説明すべきだ。そうでなければフェアではなかろう」
「公平に説明したところで囚人に拒否権はありません。
ならば決断を阻むような情報は与えるべきではないでしょう?」
「――いえ。リスクを知ったうえで挑むからこそ、心の成長に繋がる……ということかもしれません。
ならば『観客』様の言葉にも一理あると言えるでしょう。全く信用に値しない御仁ではありますが」
「話が早くて助かるよ、ジュスティーヌ。
ウィリアム、君も姉を見習いたまえ」
「そうだ! 私を見習え!」
「……カロリーヌ。君は妹を見習いたまえ」
……すやぁ、って寝れるかと思ったけど……なんか変な音が聞こえるな。
ノイズまみれで聞こえないラジオみたいだ。ちょっと怖い。
「ところで『観客』様。
わざわざ至らぬ弟の補佐をするためにご足労下さったのですか?
用がお済みならば早急に退出願いたいのですが」
「ああ、これは失礼。本来の用事を忘れていた。
放置しておいて悪いが、起きたまえ。雨宮蓮」
「おい! 何こっそり寝てるんだ囚人!」
……結局叩き起こされるのか。本当に寝たいんだけど。
「用事って何だ。漫才やりに来たんじゃないのか?」
「残念ながら、そして遺憾ながら、君を導くのが私の役目だ。
君は賊として最初の宝に辿り着いた。一歩踏み出せば更生が始まる。
――ならば、正式に取引を交わすべきだろう。看守どもが後から言の葉を違えぬように」
『観客』は手品師のようにパチン、と指を鳴らしてから右手を開いた。
最初に出会った時のように、青い光が揺らめく。
ただし、その光が湧き出ている源は『観客』ではなく――ジュスティーヌとカロリーヌ。
「我は汝、汝は我。
我、ここに新たなる約定を結びたり。
汝が更生の意思を抱きし時。不屈の果てに立ち上がることを望む時。
【剛毅】たる汝が生まれし時、我、真理へ至る導きの神風を吹き鳴らさん」
2人の身体から舞い上がった光はいつかと同じく青いカードに代わり、俺の手元に飛んでくる。
笑う女らしき影と、犬だかライオンだか区別がつかない動物の描かれたタロットカード。
「――そして今一つ。我、ここに新たなる約定を結びたり。
汝が更生を終えし時。運命の囚われより逃れし時。
【永劫】たる汝が生まれし時、我、黄昏へ至る導きの神風を吹き鳴らさん」
今度はウィリアムからだ。出来上がったカードは……よくわからない。
Ωみたいなマークの中に、多分女性らしき影と、足元に手か羽か判別できない影がついた宝石があしらわれている。
今日
「……さっきは【死神】だったけど、今度は【剛毅】と【永劫】?」
武見先生の治験を受けて横になっている時にも、こいつの声がしてタロットが飛んでくる夢を見た。
他にも竜司とモルガナと杏のタロットも夢とか白昼夢の中で貰った気がする。
確か【戦車】と【魔術師】と【恋愛】だったはずだ。
「……なるほど。それがあなたの導きであり、ベルベットルームへの助力というわけですか」
「どういうことだ? 説明しろジュスティーヌ!」
「そうだ説明しろ。本当に説明しろ」
2人で納得しているジュスティーヌとウィリアムに、俺とカロリーヌで抗議する。
なんだろう。一番うるさくてアグレッシブだけど、この子にはちょっとだけ親近感が湧いてきた気がするな。
「囚人はともかく、カロリーヌはわかっていてほしいのですが……
要は取引という形で絆を結ばせ、囚人がより強力なペルソナを宿せるようにするわけです」
「より強い……アルセーヌとピクシーを壺にした時みたいに?」
「壺ではなくアガシオンです。
ともあれ、絆を深めれば合体の際に強いペルソナが誕生しやすくなるでしょう。
もちろん貴方自身の成長が伴わないまま強力なペルソナを生み出すことは、危険すぎるので認めませんが」
なるほど……?
「……だ、そうだ。囚人。わかったな!」
「多分わかった。つまりみんなと仲良くなったらいいわけだな。
カロリーヌはうまみ棒とブラウンサンダーどっちが好き?」
「は?」
「囚人。お菓子で姉様を買収しないでください。
買収は囚人のみならず、応じた看守の罪にもなりますから、本当に止めてください」
「な、なんだとぉ!? 私に罪を犯させるとは重罪だぞ! 重罪!」
「そんな。駄菓子は友情の証なのに……
それともひよこっことかうなパイみたいなお土産系お菓子じゃないと差し入れ扱いにならないとか?」
「そんなルールはありませんし、そういう問題でもないんですよ……」
「そもそも我々は友達ではありません。看守と囚人です。
我らと絆を深めたければ更生に励むことです。他に方法はありません」
「……そ、そうだよな。うん」
カロリーヌがわかりやすくしょんぼりしている。
セントラル街の裏通りで見かけたら駄菓子でも分けてあげよう。仲良くなれたら儲けものだ。
でもえこひいきしたら他の2人に顰蹙を買うかな? じゃあ3つ渡して分けろって言っておけばいいか。
……などと考えていると、俺じゃない俺の声が耳朶を打った。
「さて。そろそろ夜明けのようだ。最後に一つ、私から忠告を。
――人の心は複雑怪奇。正義が悪を成すこともあれば、悪が善をもたらすこともある。
故に存分に悩み、苦しみ、嘆きたまえ。そして決断し、後悔したまえ。
……忠告、とは?
ぽかんと顔を上げた俺の目の前で、『観客』の姿は幻のように消え失せる。
同時に、けたたましいアラームが鳴り響き――
ぺちん、と顔を叩かれて目が覚めた。
ぷにぷにした肉球ハンドが俺の鼻をぺちぺちと叩いてくる。
「うるさいなぁ……さっさと止まれぇ……」
「……モルガナ。ちゃんと起きて」
よっこらせ、とモルガナの艶々ボディを掴んで床に下ろす。
それからスマホのアラームを止めて、うーんと大きく背伸びした。
ベルベットルームのせいで寝た気がしない。そろそろ訴訟したい。
――でも、あいつらの助けがあったから、強いペルソナを使えるようになってパレスの奥までたどり着けたのも確かだ。
……わからない。
あのちびっこ看守たちがなぜ、俺に鴨志田を改心させようとしているのか。
本当に改心に挑んで大丈夫なのか。
反省なき蛮勇――『観客』はそう言った。
正義感で鴨志田のオタカラを盗んで、その結果廃人にさせたなら……それは俺が人を殺してしまった時と、同じことの繰り返しじゃないのか。
もちろんそうなったら竜司や杏に罪を背負わせるわけにはいかない。全部俺がやりましたって言うつもりだ。
――でも、父さんと母さんは。惣治郎は。何度も罪を犯す俺を見てどう思うだろうか。
それに鴨志田にだって身内や友人はいるはずだ。バレー仲間だっているだろう。
体罰どころか秀尽学園にすら関わってもいない人達を悲しませていいのか。
またたくさんの人に迷惑をかけて、苦しませて……そんなこと、それこそ許されるはずがないじゃないか。
――だけど。
竜司の冤罪と、杏の気持ちを晴らしたい。
鈴井さんの願いを、三島や田中先輩の助力を無駄にしたくない。
パレスに迷い込んだ俺達を助けてくれて、何もかも上手く行かなかった時に退学だけでも何とかすべきだと言ってくれたモルガナにも報いてやりたい。
何もしないことを選んでも、きっと俺は後悔する。
……心の中で、天秤が揺れている。
傾いてほしいのに傾ききらない天秤は……あと何日あれば、結論を出せるようになるのだろうか。
俺にはまだ、わからなかった。
Q:コープ成立時の口上が微妙に違うのは何故ですか?
A:『観客』に聞いてみました。
「そもそも絆の契約は私の本業ではないのでね。
コープならば取引の要素が含まれるから、辛うじて無害な形での仲介を成立させられるというだけだ。
専門家である『彼女』は同じ契約書を使い回せるが、門外漢である私は各人に合わせた契約書をその都度用意する必要があるとでも思ってくれたまえ。
……もし私が『彼女』と取引をせず、雨宮蓮に配慮する必要がなかったのならば、私が最も得意とする契約を結んでやったのだが。
夢を叶える対価に破滅へと至る導きを――とはいえ、それでは17年前の二番煎じか。
奇しくも彼もジョーカーと呼ばれていたしな」
※お気に入り登録、感想、評価ありがとうございます!
いつも執筆の励みになっております! 重ねてお礼申し上げます!
次回更新は少し間が空いてしまって11月7日土曜日の21時15分になりますが、これからも頑張って書いていきますのでよろしくお願いします!