「おかえりなさいませ、ミラージュお嬢様」
邸に戻ると、玄関ホールで待ち構えていたように父の執事が声を掛けてきた。
「ただいま」
「ミラージュお嬢様、どうぞ旦那様の執務室に。アシェトも報告を」
「ああ」
「畏まりました」
着替えて一息つきたいところだが、こればかりは仕方がない。
首元のボタンを一つ外し、髪をかき上げながらリョーサとアシェトと共に父の執務室へと向かった。
「ただいま戻りました」
「……ああ、ミラージュか」
俺の声で父は執務の手を止め、こちらを見た。
「ミラージュ、決闘はどうだった」
「もちろん勝利し、アジェレード侯爵令嬢に謝罪の言葉をいただきましたよ」
「そうか。ならいい」
父はそう言うと、また羽根ペンを持ち、仕事を再開している。やはり、関心はないようだな。
「では、俺は失礼します」
俺はアシェトを置いてリョーサと共に部屋を出た。
「ミラージュお嬢様、お疲れ様でした。まず、傷の手当てをさせてください」
「リョーサ、かすり傷だし、もう血は止まっているんだ。気にしなくていい」
「だめですよっ! お嬢様の身体に傷痕が残るといけません。しっかり消毒を」
リョーサは真剣な表情で詰め寄ってきた。……観念するしかないな。
「わかった、わかった」
自室に戻ると、リョーサは水差しの水で傷口を洗い流し、アルコールを浸したタオルで拭いて包帯を巻き始めた。
「痛くはありませんか?」
「アルコールは染みるが、大丈夫だ」
「ミラージュ様が斬られた時、本当に怖かったんですからっ」
「あれくらいで俺は死なないさ」
「あまり無理をなさらないで下さいね」
「気を付ける」
治療も終わり、ゆったりと過ごしていると、昼過ぎに使用人から「お客様です」と知らせがあった。
誰だろうか。
前触れはなかったが。
俺はサロンへ向かうと、そこにいたのはアントル殿だった。
子爵家のサロンは他の部屋とは違い、敷地内の木々に面して大きな窓と吹き抜けがあり、緑を眺めながら客を持て成す部屋となっている。
俺が部屋にはいると、ソファに腰掛けて使用人の淹れたお茶を飲んでいる彼がいた。彼の後ろには伯爵家の従者が立っている。
「アントル殿、どうされまし――」
「ミラージュ、お前はなんてことをしたんだ!」
「はっ?」
彼は俺を見つけるなり、怒鳴りつけてきた。とても怒っているようだ。怒られる理由はないのだが。
「あれほど止めろと言ったのに、本当に決闘をしたんだな! しかも勝つなんて」
「以前も言いましたが、自分自身で名誉を回復させただけですが、何か問題でも?」
俺は彼の向かい側に座り、リョーサにお茶を頼んだ。
「アジェレード家は名門だ。お前はそこに目を付けられたんだ。潰される。最悪、お前は消されるぞ」
「ふうん。そうか」
俺の言葉にアントル殿は目を見開いた。
「お前、怖くないのかっ!?」
「俺は自身の力で自分や家の名誉を守っただけ。それで殺されるのならそれまで、ですよ」
「お前は良くても伯爵家は困るんだよ!」
「それは伯爵家が借金で立ち行かなくなる、からですよね」
「そうだ! お前が何とかしろよ!」
彼はとても焦っているようだ。なんともまあ、器の小さい男だ。誰に似たのやら。
そもそも伯爵家は身の丈にあった生活をしていれば領民からの収益で十分に暮らしていけるはずなのだが。
借金がなくなれば、相手をしてくれる貴族はいるだろうに。
まあ、借金を踏み倒したせいで信用がなくなり、我が家に鉢が回ってきたという経緯がある。
ただでさえ周りから信用がないのに、今回のことで侯爵家に睨まれたらたまったものではないだろうな。
あくまで睨まれたら、という話だが。
正直、こんな男といつまでも婚約をしていることも馬鹿らしい。王宮騎士になる前にこの男との婚約破棄をしないとな。ミラージュの足を引っ張りかねないんじゃないか。
「なら、婚約を白紙に戻せば無事解決ですね。そうしよう」
「!! そうじゃないだろ! 謝れって言ってるんだ!」
「誰に?」
俺は睨みつけると、彼はビクリとし、一瞬押し黙った。
「ア、 アジェレード侯爵に、だ」
「謝る必要などありませんよ。聞かれたら答える、それだけですから」
「それじゃ意味ないだろ! ほらっ、今から俺と謝りにいくぞ」
彼はそう言って立ち上がり、俺の腕を引こうとしてきた。
……なんとも無礼な男だな。
俺はため息を吐きたくなった。こんな男が、本当に伯爵が務まるのだろうか。暗い未来しかみえないな。
俺は向かってくる彼の手をさっと避けると、彼は更に怒り出した。
「お前は黙って俺に従っていればいいんだよ!!! 面倒な女だな!」
そう言って彼は感情のままに俺の頬をはたいた。
「!!」
怒りで婚約者に手を挙げてしまったことに気づいたようだ。彼の表情が変わったが、俺はその瞬間を見逃すはずもなく、腰を落とし、拳で彼の腹を殴りつけた。
「グハッ」
「……ああ、すまない。ついうっかり反撃してしまいました」
「はあ? ついうっかり反撃? ありえないだろう!?」
「ミラージュお嬢様、大丈夫ですか」
リョーサは俺の頬を心配し、声をかけた。彼はバツが悪くなったようで手を引っ込める。
「そこの従者。このことをしっかりと伯爵に報告しろ。いいな」
「は、はい。主人に代わり、謝罪をさせていただきます。申し訳ありませんでした。アントル様、邸へ戻りますよ」
「……チッ。仕方がない。ミラージュ、また来る」
そう言って彼は従者に従うように伯爵家へと戻っていった。
「ロンド、先ほどのことを見ていたね?」
「お、お嬢様。私の名を覚えておられたのですね。見ていました」
「もちろん、使用人の名前は全て覚えている。ロンド、先ほどのことを父に報告しておいてくれ」
「畏まりました」
俺は直接父に報告するのも面倒な気分になり、使用人に任せてそのまま自室へ戻った。
「今日は色々あったな」
「アントル様はお嬢様のことを下に見すぎですっ」
リョーサは自分のことのように怒ってくれている。それが返って自分を冷静にさせてくれている。ありがたい存在だ。
「リョーサが俺の代わりに怒ってくれているだけで俺は嬉しいぞ?」
「!! はいっ」
俺は窓を眺め、ゆっくりと息を吐いた。
―翌朝。
いつもように軽く訓練場を走り、身体を動かした後、朝食を食べて学院へと向かった。
「おはよう、ミラージュ嬢」
「ミラージュ様、おはようございます」
「皆様、おはようございます」
俺が挨拶をすると、いつもスーザン嬢の傍にいる令嬢が俺に話しかけてきた。
「あのっ……」
「ミラージュ様って強かったのですね。スーザン様に勝つとは思っていませんでした。これから、お友達になっていただきたいわ」
「本当に。ミラージュ様の立ち姿がとても美しくて、驚きました」
彼女の言葉を皮切りに、様々な人たちが挨拶や話しかけてきた。中には手のひらを返したように笑顔で接している者もいる。
そんな彼らを見ていると、反吐が出そうになるが、今後のことを考えると当たり障りのない程度に付き合うのがいいだろう。
「ありがとう」
俺は社交辞令の笑みを浮かべ応える。すると、令嬢は顔を真っ赤にし、言葉が詰まってしまったようだ。
俺が返事をするとは思っていなかったのかもしれない。