「ミラージュ様、……あのっ」
すると一人の令嬢が私の前に立った。緊張しているのか、真面目な顔をしてスカートをぎゅっと握りしめている。
「なにか?」
「その、すみませんでしたっ」
「?」
「私、いつも言い返さないし、暗い雰囲気のミラージュ様にイライラしてしまっていたんです。いじめにも加担していたことを謝りたくて……」
彼女は謝罪の意思があるようだ。珍しいな。なぜ謝ろうと思ったんだろうか。
ミラージュの記憶では彼女から手を出されたこともなく、暴言もない。ただ見ていただけ、という感じだ。
「謝罪を受け入れる」
「!! は、はいっ!」
彼女が謝ると、先ほどまでの空気は一変し、クラスメイトも次々に謝罪し始めた。
もっとも、その謝罪に彼らの本心がどこまであるのかは怪しいが。
ミラージュ本人がこの場にいたのならまた違っていただろう。嫌がらせされたことをそう簡単に水に流せるわけがない。ミラージュは死を選ぶほど辛かったのだ。
だが、ここは学生とはいえ、既に小さな貴族社会だ。足の引っ張り合いも日常茶飯事。ミラージュにとっては辛いかもしれないが、今後のためにも彼らの謝罪を受け入れる方が得策だ。
「みなさん、席に着いてください。授業を始めますよ」
教師がクラスに入ってきて、授業が始まった。スーザン嬢は休みのようだ。
騎士でもないただの子爵令嬢に負けたとなれば家では大騒ぎだろう。彼女は退学する可能性だってある。それほど決闘は重い。
クラスメイトたちは私に気を使い、スーザン嬢の話題は避けているようだ。こればかりは仕方がない。
―そうして彼女がいないまま数日が過ぎていった。
俺は週二回の騎士科の授業を受けている。どういう理由か分からないが、決闘後から少しずつ周りの態度も変化し始めていた。
「ミラージュ様、今日はこの後、一緒に街へ出ませんか?」
「可愛い君達と仲良く出かけたいのは山々だけど、用事があるんだ。また誘ってくれると嬉しい」
「そ、そうなんですねっ。頑張って下さいっ」
「ありがとう」
俺が誘いを断ると、その令嬢は顔を真っ赤にして他の令嬢たちの元へ戻っていった。
どういうことだろうか?
目当ての騎士に声を掛ける令嬢がいるのは理解しているが、今の俺は女だ。その考えがいまいち理解できないな。
以前の冷たい視線は鳴りを潜め、代わりに好意的なものが増えたように思う。だが、先ほどの令嬢のように直接声を掛けてくるわけではないので本当のところはよく分からないが。
俺は訓練場の片づけを終え、鞄を取りに教室へと戻った時、スーザン嬢の姿が見えた。
数日ぶりに見た彼女の姿は驚くほど変化していたのだ。
「あら、ミラージュ様。お久しぶりですわ」
「スーザン嬢、久しぶりです。……その格好。美しいスーザン嬢にとても良く似合っていますよ」
俺は他の令嬢たちのように声を掛けると、彼女は腕を組み、呆れたように答えた。
「貴女、お世辞なんて言えたのね。こうして私も騎士科に転科することになりましたの。婚約者との結婚も延期になりました」
「……それは、すみません」
俺が決闘を申し込んだばかりに彼女の人生は狂ったのだ。いや、これくらいで済んだのならまだいい方なのだが。
「謝罪する理由などどこにもございませんわ。全て私が至らなかっただけですもの。これでも私はせいせいしておりますのよ? 家のために嫁ぐことが延期になった。好きなことをできる時間が増え、せいせいしているくらいです。これから一騎士として頑張るだけですわ」
彼女はそう言って笑顔を見せた。
スーザン嬢は強いな。俺は素直にそう思えた。
「今日は手続きをしてきたので、もう帰りますわ。では、ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
俺は慣れない挨拶をし、彼女を見送った。
「……さて、俺も邸にもどるかな」
鞄を持ち、俺は家へと戻った。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「リョーサ、ただいま」
「湯あみをなさいますか?」
「いや、昼食後に訓練場で練習をしてからにする」
「畏まりました。準備してきますっ」
そういってリョーサはいつものように食堂へと向かっていく。以前は一口サイズのサンドイッチにお茶などが用意されていたが、今では昼食もしっかりと食事を摂っている。
毎日動くことで徐々に筋肉も付いてきてアシェトとの打ち合いも膝を突くことは少なくなってきた。やはり体力差は感じるが、そこは技術と速さでカバーするしかないよな。
「お嬢様、夕食の時間です」
「ああ、もうそんな時間か。アシェト、相手をしてくれてありがとう。また頼む」
「こちらこそ。またよろしくお願いします」
リョーサからタオルを受け取り、邸内へと戻っていく。
身体が出来上がるまではしっかりと鍛錬に時間を取りたい。幸いなことにこの身体は筋肉が付きやすい体質なのだろうか。ミラージュを取り巻く環境が悪く、成長を阻害していたようにも思える。
「ミラージュ、遅いぞ」
「父上、遅くなり、申し訳ありませんでした」
時間を忘れて練習していたせいで食堂へくるのがいつもより遅くなってしまった。
「ミラージュ、その格好! 止めなさいって言っているでしょう! 本当にお前は汚らわしいわ!」
「……」
母は相変わらず、俺を目の敵にして罵る。それなら一緒に食事を摂らなければいいのだが、そうはいかないようだ。
先日、父に自室で食事をすると話をしたのだが、家族なのだから食事を一緒に摂るのが当たり前だと却下された。
なら母親の暴言を止めればよいのに、と思うが、止める素振りは全くない。ミラージュをサンドバッグにするために呼ばれているのだろうということは分かった。そうすれば自分に被害は及ばないからな。
ただ、兄は俺が決闘する前後から何も言わなくなった。
母は母でミラージュの存在自体が嫌いで仕方がない。よくミラージュの性格は曲がらなかったなと思う。
「……」
俺は相手にする気も起らず食事を食べ終え、席を立った。
「ミラージュ! 聞いているのっ!?」
「……聞いていませんよ、何か用事でも?」
「全く、貴女って娘は……」
「……」
振り返ることなく自室に戻ってきた。父もなぜ母を放置しているのか全く理解できないな。はあ、これ以上何もなければいいのだが。
―翌日。
俺は早朝の練習を行った後、学院へと登校する。
「「ミラージュ様、おはようございます」」
「美しいご令嬢方、おはよう」
最初は俺の挨拶に驚くような顔をしていた令嬢たちだったが、みんな慣れてきたのか笑顔で返してくれるようになってきた。
女の世界は厳しい。円滑に過ごしていくにはある程度の社交辞令も必要だ。
決闘をしてからクラスのギスギスとした雰囲気は嘘のようになくなり、今は穏やかなクラスになってきている。
「ミラージュ様、おはようございますわ」
「おはようございます、スーザン嬢。今日も凛々しく美しいですね」
「っ!!」
スーザン嬢は俺と同じ騎士科の服装で登校してきた。
周りからは少し遠目で見られているし、取り巻きの令嬢たちもスーザン嬢に声を掛けづらそうにしていたが、俺がそう声を掛けると、周りの人たちもふっと笑顔になった。
授業が始まると、みんな席に着いて真面目に勉強している。
「スーザン嬢、一緒に騎士科の授業へ行きませんか」
「ええ、構いませんわ」
俺は彼女の手を取り、エスコートするように歩き出した。
俺がこうすることで彼女との距離を縮めたいのもあるけれど、せっかくクラスが纏まりかけているんだ。彼女一人を敵にしないように立ち回らないとな。