過労死ライン越え(TS)転生者 キャロライン・オーバーは労働の待つ輪廻から解脱したい 作:エテンジオール
キャリーわよ!素敵なお誕生日の翌日、早速家の外に引きずり出されたのよ!ねむねむな目を擦っているうちに、擦ってない方のお手手を引っ張られて、気が付くと俺は青いお空と対面していた。前世と同じような、澄んだ青空。シャバの空気は美味いぜっ!
すぅー、と深呼吸して、思ったより冷えていた空気にびっくりして咳き込む。冷たい空気のおかげで自然と目も覚めてきて、空を見上げる。うっすら白い、大きめの天体はおそらく月。そして直視しがたい輝きを放っている天体は太陽。もちろんここは異世界ゆえ、そのまま同じ呼び方ではないが、指しているものはほぼ一緒だ。自らの言語で表現できないものは全て、自言語に翻訳して取り込む。それが日本語というものである。
そして、そんな太陽の光に驚きながら、後ろを振り返ると見覚えのある景色の中で微笑みながら手を振るママ上の姿。行ってらっしゃい、の意である。つまり、俺は家から出て愛しいお母様と引き離されそうになっている。この時点でようやく理解が現実に追いついて、俺は自分を連れていこうとするお父上に抵抗する。
やだ!キャリーお母さんのところがいい!と叫んでみても聞き入れて貰えない様子から、誕生日の翌日に訪れる別れは子供の意思に関わらないものだと理解。状況がわかるまで、現在地と家の座標を把握することに務める。ちなみに、抵抗の過程でお父さんキライ!と叫んだら普通に心停止した。少なくとも嫌ってはいないらしい。……いつも頭の中で辛辣な理由?金の無心をしてこない父親、って生き物が数年ぶりだから距離感がわからないんだよ。言わせんなって恥ずかしい。
しばらくそのまま引っ張られて、途中から歩き疲れたので抱き抱えられる。わぉ、お父上力持ちー!と思ったが、この身は四歳児、成人男性であれば抱っこして歩けるのもおかしくないし、ましてや人の親なら言わずもがな。きゅきゅんと上がりかけたお父上株は通常に戻り、むしろこの人、これまでほとんど抱っこしてないんだよな……と下がる。お父上の株は変動が大きいな。常に右肩上がりなママ上を見習いなさいっ!
お顔は不機嫌そうにムスッとしながらそんなことを考えて、けれど視線はあっちへキョロキョロこっちへキョロキョロ。見慣れない、周囲の環境への興味は留まることを知らない。
「キャリー、周りが気になるのなら、お父さんの肩に乗ってごらん」
そんな俺の内心は、顔を覗き込んでいたお父上にはわかりやすかったらしい。小さく笑って、頭の上、肩車の姿勢を取る。庇護者の腕の中から、むき出しの頭上へ移動させられたことで、キャリーに緊張感走った。
けれどそれ以上に、始めてみる高い視点からの、しかも見慣れぬ外の景色は、この体に感動を与えていた。中身こと俺にとっては、どこにでもありそうな、田舎っぽい風景だ。もちろん植生などは見覚えがないが、それらに対して興味があった訳でもないので、感動するようなものではない。にもかかわらず、こんなに全てが新鮮で、輝いて見えるのは、きっと体のせいだろう。
先程までは腕の中で眼球だけ動かしていたのに対して、今は頭ごと動かして周囲を確認できる。どうしても見たいものがあった時は、おしりの下の土台ごと動かせば、なんでも見ることができる。実に素晴らしい。キャリーはあんよを手に入れた!
見てみてパパ、あっちに鳥さんがいるよ!あれはちょうちょさん!向こうは……リスさんかしらっ!ねぇパパ、もっと近くで見たいわ。あっちに行きましょう!やー!みたいの!あっちにあるいて!
わがままを言って、お父上をあっちへフラフラこっちへフラフラ。余談だが、俺は両親の前で、“プリンセスやお姉さん系キャラの影響を受けた女児”のような喋り方で通している。本人は大人っぽいと思っているだろうあれって、客観的に見てとってもかわいらしいじゃんね。中身が酷い分、上っ面くらいはかわいい娘であってあげたいのだ。……あざとい?かわいいと思って欲しい両親の前でそのように振る舞うのは当たり前だろ?
「ねえパパ、あの動物さんはなに?ご本で見たことがない子なの」
少し前までの抵抗をすっかり忘れてうきうきルンルンになりながら、少し遠くの木の下で丸くなっている生き物を示す。反応が遅いのでちっちゃなおててでフサフサの頭をぺしぺしして、お父上の意識を謎の動物に向ける。
「……キャリー、肩車は終わりにしよう。少し急ぐから、舌を噛まないように口を閉じていて。いい子だから、できるね?」
お父上の気配が変わったので、俺もハイテンションは一旦おしまい。声音をひとつ下げて、囁くように喋るのは、悔しいがいい声だった。俺が男声フェチだったらやられていたかもしれない。
なるほど
肩からするりと下ろされて、お姫様抱っこの体勢になる。お父上はじっと動物を見ながら後退りして、距離を取る。下がっている先は、きっと本来の目的地。一歩、二歩とゆっくり、音を立てないように動いて、けれど動物がこちらを見た瞬間に反転して走り出す。
直前までのお姫様抱っこは、たちまちお米さま抱っこに変化。重心的に考えても、両手の自由度的に考えても仕方がないから、わがままは言わない。キャリーは物分りのいい良い子なのよ。お腹がちょっと苦しいけど、へーきなの。
子供って、軽いのに重いんだよなぁと前世の記憶をうっすら思い出しつつ、それを担いで走れるお父上に純粋な敬意。引きこもりがちだった俺は、親戚の子供を抱き抱えて数分でバテた。それと比べてお父上の立派な姿よ。でもごめん、着地の振動がぷにぷにのお腹にずんずん響くの。キャリーが見かけ通りの幼女なら泣いてたわ。
そんな現実逃避を考えつつ、お米さまな俺は正面にいる動物を眺める。めちゃくちゃ揺れる、酔いそうな景色だが、お父上を追いかけているってことはつまり顔が後ろを向いている俺と動物は視線が交わせるってこと。バッチリこっち見てるね。めちゃくちゃ目が合うね。
緑と茶色が混ざった、迷彩模様の生き物だ。真っ白な部屋にいたらさぞ目立つだろう。大きさはキャリー1.2人分くらいの高さで、ぴんっと尖った耳と、鋭い牙が特徴的。見た目は、狼のそれだった。お父上の前世らしいチワワと同じイヌ科の、野生種。追いかけられれば、人が走って逃げることは不可能だ。
キャリー、美味しくないよ!と思いながらニコッと笑ってみても狼が足を緩める様子はない。むしろ、あの餌、こっちにアピールしてるぞ!とでも言いたげに目を開いて、速度を一段階あげた。見逃してくれる気も、許してくれる気もないらしい。……なんで思っただけかって?言ったら心停止するからだよ。キャリーが美味しくないわけないだろう。
その両の目が結ばれる位置的に、狙いは俺だった。抵抗しても意味がないような、小さな柔らかい肉の塊はきっとご馳走に見えているのだろう。もし俺が狼でも、お父上よりキャリーを狙うだろうから、それは自然なことだ。
目算100メートルくらいあった彼我の距離は、時間が経つにつれて縮まっていった。いくらお父上の足が早くても、それは所詮人間のそれ。捕食者としての肉食動物の走力に、かなうはずがないのだ。
キャリーを諦めるようにと言いかけて、それに意味がないことに気がついて辞める。俺の復活、回帰は最初から決まっていて、置いていかれたところで苦しい思いをして戻ってくるだけだ。他殺による繰り返しの検証はできていないが、可能ならしたくない。無駄に苦しいの嫌だもん。
「パパ。動物さんね、さっきより近いの」
捨てていけの代わりに出てきたのはこんな言葉。きっとお父上は、俺の言葉なんてなくても、後ろの足音から大体の距離、少なくとも詰められていることくらいは認識できるだろう。だから、きっと意味はない。意味はなくても、一度開きかけた口は、何も言わずに閉じることができなかった。
お父上の返事はない。きっと、返事の余裕があれば少しでも早く前に進もうとしているのだろう。俺にできることは、何もない。嘘をつけない口と、死んでも戻る心と、お水がぽたぽたできる手。こんな貧弱な装備で、一体どうして狼から逃げられようか。
ひとつ幸いなことがあるとすれば、この狼が無防備に過ごしているママ上と妹ちゃんの元に向かわず、こちらを追いかけていることか。あるいはここで、妹ちゃんの代わりに食べられることがこの身の役目なのかと考えて、試しに口にしたところ心停止。ちょっと距離が開いた時からやり直しだった。やっぱり違うよね。
そのまま狼が間近に迫ったところで、お父上の片手、俺を支えていない方が、腰のポーチに伸びて、そこから取り出した何かを真後ろに投げる。
真っ直ぐ飛んだそれは、狼の真ん中を僅かに逸れて、耳に穴を開ける。小さな、丸い穴。これが頭に開いていれば、狼はきっと絶命していただろう。そう考えるとこの投擲は失敗で、けれどもダメージを与えた、という点においては成功だった。
抗わずに逃げるだけだった獲物の、突然の反撃に、きっと怯んだのだろう。狼の速度は落ちて、彼我の距離が僅かに広がる。後ろ手に投げるよりも正面から狙って投げた方が確実に当てられたのではないか、と素人ながらに思うが、きっとそれは俺が素人だからだろう。冷静な対応を見せてくれたお父上の行動と、俺の浅い考えなんて、どちらが正しいかは考えるまでもない。
「ニコラスっ!!」
さらに少し距離を稼いで、お父上が何かを叫ぶ。きっと正面、キャリーにとっての背面に、何かを見つけたのだろう。そして、狼は速度を緩めて、止まった。
お父上が止まったのは、それから少ししてから。具体的には数十秒くらいで、足が止まり、俺のお米様も終わる。お父上の正面にいたのは、一人の兵士?だった。少なくとも武器を持っていて、簡素に見えるが鎧も身にまとっている。The!私服!みたいな格好のお父上と比べれば、どちらが強いかは一目瞭然だろう。
きっと、狼が止まったのはこの人を脅威と認識したから。それくらいの事は俺にも想像できるし、まだ狙っているような視線を感じることから、諦めたわけではなさそう。
何やらお父上と話している帯剣者。話の内容は3割くらいしか分からないけれど、お父上が上の立場だということは何となくわかる。へー、うちのお父上って、ただのちょっとなよっとしたイケメンじゃなかったんだー。前世チワワなのにね。
「男爵様は本邸へ。別邸の方は、後ほど様子を確認します」
キャリー、貴族様の子女だったみたい。知らなかったわ。