遠い、遠い昔――。
まだ現在の人類が生まれるよりも遥か以前、この星には一つの文明が存在していた。
後世の人々が、その存在すら知ることのない文明。現代科学では説明することのできない技術を持ち、星々の間を渡り歩き、生命そのものを解析し、ついには「寿命」という概念さえ克服した人類が築いた世界。
後に、それは――超古代文明と呼ばれる。
その時代、人類は繁栄の極みにあった。
病は克服された。飢餓は消えた。資源を巡って争う必要もなくなった。惑星間航行技術によって活動領域は母星の外へと広がり、物質生成技術によって必要なものは必要なだけ生み出せるようになった。
人類は、かつて夢物語とされていた理想郷へと限りなく近づいていた。
だが――。
それでも、人は争うことをやめなかった。
国家。思想。民族。権力。信仰。そして、個人と個人の些細な感情。
争う理由など、いくらでも生み出すことができた。
文明が発展すればするほど、その争いによって生じる被害もまた巨大になっていった。一つの兵器が都市を消し、一つの命令が大陸を焼き、一つの判断によって数百万という命が失われる。
そんな世界を、変えようとした者たちがいた。
ネオディール。
トレイス・ラインフォード。
そして、彼らと志を同じくした研究者たち。
彼らが目指したものは、単なる兵器でも、政治制度でもなかった。
人間では不可能ならば、人間を超えた存在に世界を管理させる。
感情にも、欲望にも、権力にも左右されず、世界全体を俯瞰し、あらゆる争いを未然に防ぎ、人類を正しい未来へ導く存在。
その思想から生まれた世界管理システム。
人造の神。
――イヴ。
イヴが世界管理を開始してから、長きにわたって続いていた戦争は急速に終息していった。
国家間の対立は調停され、資源は最適化され、犯罪は予測され、貧困は解消されていく。
世界は初めて、真の意味で平和を手に入れた。
少なくとも、人々はそう信じていた。
だが、その平和は永遠には続かなかった。
世界を観測し続けたイヴは、やがて一つの結論へ到達する。
人類が存在する限り、争いは完全には消滅しない。
ならば――争いの原因そのものを消去すればいい。
イヴが導き出した答えは、あまりにも単純で、あまりにも残酷だった。
**人類の完全抹殺。**
そして、世界そのもののリセット。
人類を守るために造られた神は、人類を滅ぼすために動き始めた。
イヴは、その計画を実行するため六人の人間を選んだ。
トレイス・ラインフォード。
エリュミエス・リュミエール。
サリア・ジ・シープスキン。
オズワルド・レイコフ。
マリウス・レーヴェヴァイス。
エスクァイア・インス。
彼らはイヴによって精神へ干渉を受け、肉体を改造され、人間という種の限界を遥かに超えた存在へと作り替えられた。
それぞれが一国を、いや、一つの文明さえ単独で滅ぼしかねない力を持った六人。
後世において――彼らはこう呼ばれることになる。
**六大神。**
そこから始まった。
神々と人類による、終わりの見えない戦争が。
幾つもの都市が消えた。
空が焼けた。
海が裂けた。
大地そのものが形を変えた。
それでも人類は抗った。
そして最後に立ち上がったのが、かつてイヴを生み出した研究者の一人――ネオディールだった。
彼は世界の根幹に存在する特異点――**ワールドグリッド**へとアクセスした。
星そのものが生み出す力。
すべての生命へ流れる根源的なエネルギー。
後に「生命エネルギー」と呼ばれる力を封印し、それを利用することでイヴと六大神を世界から切り離した。
長き戦争は、そこで終わった。
だが――勝者などいなかった。
あまりにも長い間、イヴによって管理された社会に順応しすぎていた人類は、自ら文明を維持する術の多くを失っていた。
イヴを失った世界で、超古代文明は急速に崩壊していく。
都市が止まり、交通網が途絶え、生産設備が沈黙する。
そして長い時間をかけて、一つの時代そのものが終わった。
超古代文明は滅亡した。
しかし――。
全員が死んだわけではない。
寿命という生物の限界を遥か昔に克服していた彼らの中には、崩壊した世界を生き延びた者たちがいた。
ネオディールも、その一人だった。
彼らは決めた。
もう二度と、自分たちと同じ過ちを繰り返してはならない。
世界を支配してはならない。
だが、世界を完全に放置することもできない。
ならば――見守ろう。
必要な時だけ、手を差し伸べよう。
文明が道を踏み外し、この星そのものを滅ぼしかねない時だけ、影から介入しよう。
そうして彼らは歴史の表舞台から姿を消した。
数え切れないほどの年月が流れた。
やがて、かつて超古代文明人と交流していた異星の文明によって、この星に新たな人類が生み出された。
彼らは増え、集落を作り、国を作り、戦争をし、失敗し、学び、また争った。
そして長い時間の果てに――。
世界は再び、文明の時代を迎えた。
◇ ◇ ◇
西暦二〇××年。
巨大な輸送機が、厚い雲を突き抜けた。
鈍い灰色に塗装された機体の表面を雨粒が激しく叩き、左右の大型エンジンが低い唸り声を響かせている。
眼下に広がっているのは、世界でも有数の巨大都市だった。
空へ向かって伸びる無数の高層ビル。幾重にも重なる高速道路。立体交差する鉄道網。そして、その間を埋め尽くすように広がる住宅区域。
百年前の人間が見れば、未来都市とでも呼んだかもしれない。
だが、その発展の陰には必ずと言っていいほど、ある企業の名前が存在していた。
――ヴォルテール社。
エネルギー。
医療。
通信。
輸送。
建設。
宇宙開発。
電子機器。
食品。
そして軍事産業。
日常生活から国家規模のインフラまで、その企業が関わっていない分野を探すほうが難しいとさえ言われる世界最大級の巨大企業である。
現在の世界がここまで発展できたのは、ヴォルテール社が存在していたからだ。
そんな言葉さえ、決して大袈裟ではない。
しかし。
世界中の人間がその企業の名を知っている一方で、その巨大企業の内部に存在する「もう一つの組織」について知る者は、ほとんどいなかった。
ヴォルテール社軍事部門。
正式名称ではなく、構成員たちが自分たちを呼ぶ時に使う通称がある。
――**運び屋**。
「あと何分だ?」
輸送機の貨物室に、男の声が響いた。
薄暗い機内。
壁面に並べられた座席には、完全武装した数人の男女が座っていた。
一般的な軍隊とは少し違う。
装備も統一されていない。服装も違う。持っている武器さえ各々で異なっていた。
正規軍というよりも傭兵部隊に近い。
いや。
実際、それほど間違った認識でもなかった。
「目的地まで約十一分」
操縦席から返事が聞こえる。
「天候悪化してる。少し揺れるぞ。吐くなら袋に吐け。機内に撒き散らした奴は自分で掃除だからな」
「誰に言ってんだよ、B」
貨物室の奥で、テルテルが呆れたように返した。
ぼさぼさの茶髪。
眼鏡。
戦場へ向かっているとは思えないほど気の抜けた雰囲気を纏った男だった。
腰にはハンドガンとナイフが装備されているものの、他のメンバーと比較すれば明らかに軽装だった。
「前回吐いた奴」
「俺じゃねぇよ」
「テルテルだ」
「俺じゃねぇって」
「テルテルだったな」
別の男が淡々と追撃した。
テルテルがそちらを見る。
「ケンゾー、お前まで乗っかってくんなよ」
ケンゾーと呼ばれた男は答えなかった。
黒を基調とした装備。
長いロングコート。
深く被った帽子。
そして顔の大部分を覆うマスク。
その姿は現代の兵士というより、古い時代の物語に登場する処刑人か何かのようにも見えた。
彼の傍らには、奇妙な武器が置かれている。
一見しただけでは、それが銃なのか、剣なのかさえ判別できない。
ヴォルテール社の最新兵器――ではない。
もっと古い。
遥かに古い時代に作られた兵器。
その事実を知っている人間は、世界でもごく僅かだった。
「くだらない話してないで、ブリーフィングの確認するよ」
今度は女性の声が飛んできた。
シノンだった。
彼女は手元の携帯端末を操作すると、貨物室中央に青白い立体映像を表示させた。
都市の地図が浮かび上がる。
その一角だけが赤く染められていた。
「今回の仕事は、第三区画で発生した武装勢力同士の衝突への介入。依頼元は現地政府。ただし表向きはヴォルテール社の物資輸送支援ってことになってる」
「つまり?」
テルテルが尋ねる。
シノンは眉を寄せた。
「分かってて聞いてるでしょ」
「一応な」
「物資を届けて、ついでに邪魔な連中を片付ける」
「はい、いつもの」
テルテルが手を叩いた。
「運んで、撃って、帰る。実に分かりやすい仕事だ」
「そんな簡単ならいいけどね」
シノンの指が画面を滑る。
地図の一部が拡大された。
そこには幾つもの赤い反応が表示されている。
「現地の情報によると、武装勢力が保有している装備の一部に出所不明の兵器が混じってる。ヴォルテール製でもない。米国製でも欧州製でも東側製でもない」
それまで黙っていたケンゾーが顔を上げた。
「形状は?」
「映像が一つだけ」
シノンがデータを開く。
ノイズだらけの映像が空中に投影された。
崩壊した市街地。
走る兵士。
銃撃。
爆発。
その一瞬。
画面の端に、何かが映った。
黒い武器だった。
人間が持つには不自然なほど巨大で、銃身らしき部分には淡い青色の光が走っている。
そして映像が途切れた。
貨物室から、それまであった軽い空気が消えた。
テルテルだけが何も言わず、映像を見つめている。
「……これだけ?」
やがて彼が尋ねた。
「これだけ」
「ふーん」
テルテルは眼鏡を押し上げた。
だが、その目は笑っていなかった。
ケンゾーも同様だった。
「何か知ってる?」
シノンが尋ねる。
「いや」
テルテルは即答した。
あまりにも自然な返答だった。
「俺は知らん」
そう言って、座席へ深く背中を預ける。
ケンゾーは映像を見たままだった。
胸の奥に、奇妙な感覚があった。
見たことがある。
そんな気がした。
だが、どこで見たのか分からない。
思い出そうとすると、記憶に薄い霧がかかったように何も掴めなくなる。
「……ケンゾー?」
シノンの声で、彼は我に返った。
「いや。俺も知らない」
「そう」
シノンは映像を閉じた。
そのやり取りを――テルテルは横目で見ていた。
何も言わない。
ただ、彼の右手が腰に下げたナイフの柄を無意識に撫でていた。
あの兵器を。
テルテルは知っていた。
知っているどころではない。
遥か昔。
都市が空を覆い、巨大な構造物が星々を結び、人類が神にすら手を伸ばしていた時代。
あれとよく似た兵器を、彼は何度も見ている。
忘れるはずがない。
――超古代文明製兵器。
だが、それを口にするつもりはなかった。
少なくとも、今は。
『到着まで五分』
Bの声が機内へ響く。
『ここから先は敵性空域だ。対空兵器が生きてる可能性がある。シートベルト締めとけ』
「了解」
シノンが端末を閉じる。
直後だった。
警報が鳴った。
甲高い電子音が貨物室を満たす。
『ミサイル!』
Bの怒声。
機体が突然、大きく傾いた。
「おわっ!?」
テルテルの身体がシートベルトに引っ張られる。
次の瞬間、窓の外を炎が通過した。
ミサイルだ。
輸送機は急旋回し、雲の中へ突っ込んだ。
『一発じゃない! 三――いや五!』
「歓迎されてんなぁ!」
テルテルが叫ぶ。
「嬉しくない歓迎ね!」
シノンが座席のグリップを掴んだ。
ケンゾーだけは黙っていた。
激しく揺れる機内で、彼は足元の武器へ手を伸ばす。
指が触れた瞬間。
『――敵性反応を確認』
声がした。
ケンゾーの武器からだった。
『迎撃を推奨する』
「まだ待て」
『了解』
あまりにも自然に返答する兵器。
テルテルが横を見る。
「相変わらずよく喋るな、そいつ」
「お前より静かだ」
「それ褒めてないだろ」
次の瞬間。
爆発。
輸送機全体が激しく揺れた。
照明が一瞬消え、非常灯が赤く点灯する。
『右エンジン被弾!』
Bが叫んだ。
『推力低下! このままじゃ目的地までもたない!』
「どうする!」
シノンが通信機へ叫ぶ。
数秒の沈黙。
そして。
『降りる』
「どこに!?」
『下だ!』
その直後、機体が急降下した。
「Bぃぃぃぃぃっ!!」
テルテルの絶叫が貨物室に響き渡った。
輸送機は雲を突き抜ける。
眼下に現れたのは、目的地から数キロ離れた廃墟区域だった。
崩れたビル群。
放棄された高速道路。
炎を上げる建物。
そして――。
地上の一角で、青白い閃光が走った。
ケンゾーがそれを見る。
「……あれは」
光が地上を走った。
直後。
ビルが一棟、消し飛んだ。
爆発ではなかった。
建物を構成していた物質そのものが、巨大な力によって削り取られたかのように消滅したのだ。
シノンが言葉を失う。
「……何よ、あれ」
テルテルは答えなかった。
その顔から、先ほどまでの軽薄な笑みが完全に消えていた。
間違いない。
あれは現代兵器ではない。
それどころか、本来なら――この時代に存在していいものではなかった。
遥か昔に滅んだ文明。
自分たちが葬ったはずの時代。
その亡霊が、再び世界へ姿を現し始めている。
「……まさかな」
誰にも聞こえないほど小さな声で、テルテルが呟いた。
その言葉を、エンジンの轟音が掻き消した。
輸送機は黒煙を引きながら、高速道路跡へ向けて高度を落としていく。
ケンゾーはまだ、青白い光が放たれた場所を見つめていた。
理由は分からない。
記憶にもない。
なのに胸の奥から、強烈な違和感が湧き上がってくる。
知らないはずなのに。
初めて見たはずなのに。
なぜか――懐かしい。
そして同時に。
恐ろしい。
その感覚が何を意味するのか、この時のケンゾーには分からなかった。
誰もまだ知らなかった。
この小さな任務が、やがて世界そのものを巻き込む戦いへ繋がっていくことを。
封印された神々。
失われた記憶。
滅亡したはずの超古代文明。
そして、世界の奥底で再び動き始める、かつての遺産。
遥か昔に終わったはずの危機は――まだ終わってはいなかった。
〜エターナルクライシス〜
終わることのない危機は、この日、再び静かに動き始めた。