「――あなたを待っていました」
中央炉を満たしていた青白い光の中から、その声は確かにケンゾーへ向けて放たれていた。
数千にも及ぶ保存カプセルの中で眠っていた人々が、まるで一つの意思に支配されたかのように同時に唇を動かし、同じ言葉を発した直後だった。声そのものは決して大きくない。それなのに、地下深くへ造られた巨大空間の隅々にまで染み渡り、耳で聞いたというより、頭蓋の内側へ直接押し込まれたような異様な感覚を伴っていた。
ケンゾーは反射的に額を押さえた。次の瞬間、視界の中にあった中央炉も、無数の保存カプセルも、その傍らで武器を構える仲間たちの姿も一瞬だけ掻き消える。
代わりに見えたのは、白銀の都市だった。
どこまでも高く伸びた建造物。その間を縫うように走る無数の光。空を覆い隠すほど巨大な構造物が頭上に浮かび、遥か遠くの地平線では赤い炎が街を焼いている。自分はこんな場所を知らない。少なくとも、現在の記憶の中には存在しない。しかしそれとは正反対に、身体の奥底では「知っている」と叫ぶ何かがあった。
しかも今回は、それだけではなかった。
燃え盛る都市の中央で、六つの人影が立っている。
誰なのかは分からない。顔も見えない。それでも、その六人を認識した瞬間、胸の内側から強烈な嫌悪と悲しみ、そして説明のできない懐かしさが同時に湧き上がった。
「……っ!」
その輪郭をさらに見ようとした瞬間、頭を内側から引き裂かれるような痛みが走った。ケンゾーは思わず片膝をつき、荒く息を吐く。
「ケンゾーさん!」
タケがすぐに振り返った。
だが今のタケは、ただ駆け寄ればいい状況ではない。彼の手にはクライ・オブ・サタンがあり、その銃口の前では、黒髪の少女の胸元から青白い生命エネルギーが細い糸となって吸い出されていた。中央炉との共振によって暴走しかけている増幅コアから、過剰な分だけを吸い取っている最中なのだ。
ケンゾーは片手を上げ、タケを制した。
「こっちはいい。吸収を止めるな」
「でも……」
「お前が離れたら、その子が危ない」
言われて、タケは唇を噛んだ。助けに行きたい気持ちと、目の前の少女を放っておけない現実。その二つの間で一瞬だけ迷ったが、すぐに自分が今やるべきことを選ぶ。
「……分かりました」
クライ・オブ・サタンの表面を走る赤黒い光が、呼吸するように脈打った。
『吸収率二パーセントを維持。対象の生命活動は安定方向へ移行中』
「そのまま維持してくれ。余計に吸うなよ」
『命令を確認』
返事は淡々としている。しかし、タケは先ほどこの武器が命そのものを吸い取れることを知ったばかりだ。それだけに、今の作業は戦闘以上に神経を使っていた。少女を助けようとしているのに、ほんの僅かに吸収量を間違えれば、そのまま少女の生命を奪ってしまうかもしれない。
その緊張が手に出ていたのだろう。グリップを握る指が白くなるほど力が入り、腕には微かな震えが出ていた。
「タケ」
隣に立つレインが静かに呼ぶ。
「何?」
「力入りすぎ。クライを握り潰すつもり?」
「そんなわけないだろ」
「だったら少し肩の力抜いて。見てるこっちが心配になる」
言われて初めて、タケは自分の状態に気づいた。意識して指の力を緩めると、少女も不安そうに彼を見上げた。
「……大丈夫?」
助けている側の自分が逆に心配されてしまい、タケは少しだけ困った顔になる。
「それ、俺が聞く台詞なんだけど」
「だって、顔怖いから」
「そんなに?」
少女は小さく頷いた。
その横で、スティール・ザ・グシオンを低出力状態で維持していたハヤッティが苦笑する。
「相当怖かったぞ。『絶対失敗できない』って力みすぎて、自分から失敗しそうな顔だった」
「縁起でもないこと言うなよ!」
「だから落ち着けって言ってるんだよ!」
レインが小さく笑う。
「ハヤッティにしては珍しくまともね」
「何だよその言い方! 俺はいつでもまともだろ!」
「ツッコミだけは安定してるわね」
「それ褒めてるのか!?」
ほんの短い会話だったが、少女の表情から僅かに緊張が抜けた。
しかし、その空気は中央炉から響いた低い駆動音によってすぐに消えた。
『人格統合率、五パーセント』
EVE-SEVENTHとは別系統の施設音声が、感情のない声で告げる。
わずか一パーセントの上昇。それなのに巨大な中央炉を囲む複数のリングは明らかに回転速度を上げ、空間全体に漂う青白い光も濃さを増していた。壁面を埋め尽くす保存カプセルでは、眠っている人々の身体へ細い光の筋が次々と走っていく。
シノンは端末の前に立ち、流れ込んでくる情報を素早く確認していた。
「生命エネルギーだけじゃない。保存対象全員の脳波が中央炉へ引っ張られてる。記憶情報まで吸い上げてるみたい」
Bが大鎌を肩に担いだまま、視線だけを中央炉へ向ける。
「吸い上げて何をしてる」
「そこまではまだ……」
『訂正します』
EVE-SEVENTHの声が響いた。
『情報転送は一方向ではありません。中央統合領域から各保存個体への書き戻し処理も同時に発生しています』
シノンの手が止まる。
「書き戻し?」
『肯定。保存対象から取得した記憶情報を中央へ集約すると同時に、中央から別の情報を保存対象へ送信しています』
テルテルが険しい顔で端末へ近づいた。
「送ってる情報はどこから来た」
『大半は保存対象由来ではありません』
「じゃあ何なんだよ」
『解析不能』
「お前でも分からない?」
『当該処理は私の管理領域外です。命令系統も特定不能』
テルテルの顔から僅かに血の気が引いた。
そこで、少し離れた位置にいたアルマーが中央炉を見上げながら口を開く。
「核になる人格がある」
テルテルが鋭く振り向く。
「何?」
「この人数の記憶と人格を無秩序に混ぜれば、普通は一つの意思にはまとまらない。千人いれば千種類の価値観があり、感情があり、判断基準がある。それらをそのまま重ねれば、こんなふうに一つの声で話す存在にはならない」
アルマーは金色の瞳を細め、光の中に立つ人影を見つめる。
「中心に基準となる人格がある。それを器にして、保存されている人間たちの記憶や思考を肉付けしている。そう考えた方が自然だ」
「知ってるような言い方だな」
「知っているわけではない。構造から推測しているだけだ」
「お前の推測は信用しづらいんだよ」
「信用しなくても構わない。現象は変わらない」
その二人の会話を聞いていた救出された女性が、小さく息を呑んだ。
テルテルはすぐに気づいた。
「何か知ってるな」
「……似た研究を知ってるだけ」
「どんな研究だ」
女性は答えることをためらった。しかし中央炉の出力がさらに上がっている表示を見て、今は黙っている場合ではないと判断したらしい。
「人格保存技術よ」
彼女はまだシノンの助けを借りなければ立っていることも難しい状態だった。それでも声だけは、できるだけ全員に聞こえるように整えた。
「肉体が失われても、人間の人格だけを情報として残すための研究があった。単純な記憶のコピーではなく、思考の癖や価値観、感情の変化、判断基準まで生命エネルギー情報へ変換して保存する技術。うまくいけば、肉体が失われたあとでも、その人間に近い人格を再現できると考えられていた」
ハヤッティが思わず眉を寄せた。
「そんなことまでできたんですか……」
「理論上はね。でも人格はそんなに簡単なものじゃない。記憶だけを残しても別人になるし、感情だけを再現しても意味がない。だから当時でも完全な再現は難しかったはずよ」
シノンが中央炉の人影を見る。
「それなら、あれはその技術の完成形?」
「違うと思う」
女性は首を横に振った。
「完成形なら複数人を無理に混ぜる必要なんてない。一人の人格を一人として再現すればいいもの。でもこれは、明らかに別の目的で動いてる」
レインが無数のカプセルへ視線を移し、静かに言った。
「一人を作るために、大勢を材料にしてるってこと?」
その表現はあまりにも直接的だった。
タケもハヤッティも、すぐには言葉を返せなかった。
だが誰も否定できなかった。
クライ・オブ・サタンによる吸収を続けながら、タケが顔をしかめる。
「それって、保存じゃないですよね」
「ああ」
テルテルも中央炉を睨む。
「少なくとも今ここで行われてるのは、人間を残すための保存じゃない」
ケンゾーはそこで、改めて中央炉の中に浮かぶ人影へ目を向けた。
青白い光の中で、色のない瞳だけがこちらを見ている。
「さっき俺を待ってたと言ったな」
ケンゾーの声が、巨大空間へ静かに響いた。
少しの間を置いて、数千の保存カプセルに眠る人間たちの唇が同時に動く。
「はい」
「どれくらい待っていた」
「分かりません」
「俺を待つ理由は」
「あなたが必要だからです」
「何に必要だ」
返事はなかった。
沈黙が続く中、ケンゾーの右腕でゲシュタルト・レーヴェが微かに震えた。
『警告』
「何だ」
『中央炉内部の存在が、当機の記録領域へ接触を試みています』
ケンゾーの視線が険しくなる。
「切れ」
『遮断処理を実行中』
「できるか」
わずかな間があった。
『完全遮断は困難』
その答えは、ケンゾーを僅かに驚かせた。
ゲシュタルトはこれまで未知の状況に遭遇しても、解析不能より先に対抗手段を探そうとする。それが明確に「困難」と言う。それだけでも、この中央炉の存在が通常の相手ではないことが分かった。
Bの肩に担がれていたフール・オブ・グレモリーも、ほぼ同時に異常を訴えた。
『B、俺にも来てやがる』
「何が」
『中身を覗こうとしてる。記録層の奥まで勝手に触ってきやがる』
「拒否できるか」
『してる。でも気色悪ぃな。鍵かけた部屋の中へ外から手ぇ突っ込まれてる気分だ』
「例えが悪い」
『分かりやすいだろうが!』
「下品だ」
『そこ気にしてる場合かよ!』
いつもの調子に少しだけ戻ったフールだったが、その声には普段の余裕がなかった。
さらに、ハヤッティの全身を覆うスティール・ザ・グシオンも警告音を鳴らす。
『外部干渉波を検出』
「お前にも来た?」
『当機への直接侵入ではない。周辺生命体の神経信号を広範囲に走査している』
ハヤッティの顔が引きつる。
「それって俺らの頭の中まで探してるってことか?」
『可能性は高い』
「最悪じゃないか」
その横で、レインも表情を僅かに曇らせた。
「私にも何か来てる」
タケが心配そうに見る。
「頭痛?」
「違う。もっと変な感じ」
レインはこめかみへ指を当てた。
「見られてるんじゃなくて、私が次にどこへ動くかを向こうから探られてる感じがする」
レイン自身、自分の回避能力の仕組みを説明できない。ただ敵の攻撃が来る直前、そこにいてはいけないという感覚が浮かぶ。それに従って僅かに身体をずらせば、不思議なほど攻撃が外れていく。
だが今は、その逆だった。
自分がどこへ逃げようとするかを、先に誰かが覗いてくる。
「……気持ち悪いわね」
レインが珍しく露骨に嫌そうな顔をした。
ハヤッティが思わず見る。
「レインでもそんな顔するんだな」
「私だって嫌なものくらいあるわよ」
「いや、それは分かってるけど……」
そこでレインの表情が変わる。
「ハヤッティ、その場所から離れて」
「え?」
「早く!」
声の強さに押され、ハヤッティは反射的に横へ跳んだ。
その直後。
先ほどまで彼が立っていた床から、青白い光の柱が真上へ噴き上がった。
「うわっ!」
ハヤッティが着地しながら振り返る。
光そのものに爆発的な威力はない。床も焼けていない。だが、触れてはいけないという感覚だけは全員に伝わった。
『生命情報取得用接続経路を確認』
EVE-SEVENTHが告げる。
ハヤッティが顔をしかめた。
「攻撃より嫌なんだけど!」
新たな光が、今度はタケの近くへ立ち上がろうとする。
「タケ、左へ二歩!」
レインの声に従い、タケは少女への吸収を維持したまま横へ動いた。次の瞬間、右足があった場所から光柱が伸びる。
「次、Bさん。後ろ!」
「了解」
Bは振り返るより先に大鎌の柄を床へ突き立て、それを支点に身体を横へ移した。
直後、その場所にも光が噴き上がる。
『ギャハハ! 亡霊の姉ちゃん、便利すぎるなァ!』
「笑ってる場合?」
『笑ってねぇとやってられねぇだろ!』
光柱は次第に数を増やしていった。
一つ一つは細い。しかし発生地点が徐々に増え、中央炉の周囲へ逃げ場を削るように配置されていく。
「全員、中央から距離を取って!」
シノンが指示を飛ばした。
「ただしカプセル側へ寄りすぎないで。巻き込めば中の人たちに何が起きるか分からない!」
巨大空間とはいえ、自由に動ける場所は多くない。床には中央炉から伸びるケーブルが複雑に走り、周囲の壁面は無数の保存カプセルで埋め尽くされている。
中央炉を破壊すれば何千人もの命が失われる可能性がある。
破壊しなければ、正体不明の人格統合が進む。
さらに、背後には先ほど隔壁の向こうへ閉じ込めた異形たちがいる。
ケンゾーは周囲を見渡し、低く呟いた。
「……選ばせる構造になってるな」
テルテルも端末へ向かったまま答える。
「最悪の二択を押しつける仕組みってところか。主炉だけ止めても駄目だ。保存カプセルには補助電源があるけど、人格統合回路と生命維持系統が途中まで共通化されてる」
「つまり?」
「中央炉を雑に切れば、あの中にいる人間がどうなるか分からない。安全に止めるなら、一人ずつ生命維持側へ切り替えながら統合回路だけ分離する必要がある」
シノンがすぐに尋ねる。
「どれくらいかかる」
「手動なら一時間以上。俺の管理権限を通しても、十五分から二十分は欲しい」
シノンが別の画面へ目を移す。
「統合完了までの推定時間は?」
『現在の進行速度を維持した場合、十三分四十二秒』
「足りないわね」
空気がさらに重くなる。
その時。
クライ・オブ・サタンが、新たな報告を出した。
『保有エネルギー四十六パーセント』
タケが銃を見る。
「増えてきたな……」
『許容範囲内』
「お前の許容範囲は信用していいのか微妙なんだよ」
『事実のみを報告している』
その返答を聞きながら、タケはふと目の前の少女と中央炉を交互に見た。
そして、一つの可能性に気づく。
「……待ってください」
「何?」
シノンが振り向いた。
「この子の増幅コアが中央炉と共振して暴走しかけた時、クライで余分な生命エネルギーを吸ったら落ち着きましたよね」
「ああ」
テルテルが答える。
「だったら、中央炉から直接吸えないんですか」
その言葉に、その場にいた何人かが同時にタケを見る。
タケはクライ・オブ・サタンを持ち上げた。
「全部じゃなくていいんです。少し出力を落とせれば、統合処理が遅くなるかもしれない。そうしたらテルテルさんが回路を切り離す時間を稼げるんじゃないですか」
テルテルは即答せず、中央炉と端末の表示を交互に確認した。
「……理屈としては間違ってない」
「じゃあ」
「でも問題はクライじゃない。お前だ」
ケンゾーが先に口を挟んだ。
タケが見る。
「中央炉にある生命エネルギーは、さっきの怪物やその子とは比較にならない。クライが吸えても、お前の身体がそれに耐えられる保証はない」
「クライ」
タケが武器へ尋ねる。
「中央炉から吸収できる?」
『接続可能な流路を確保できれば、可能』
「俺は耐えられる?」
少しの沈黙。
『算出不能』
「そこは即答してほしかったな……」
「却下だ」
ケンゾーは迷わず言った。
タケが顔を上げる。
「でも、他に時間がありません」
「だからといって、命が保つか分からない方法を新人一人にやらせる理由にはならない」
「全部吸うわけじゃないです」
「限度が分からないんだろ」
「それでも、少しなら」
「少しがどのくらいか分からないと言ってる」
ケンゾーの声は厳しい。
だがタケには、それが自分の提案を否定したいからではなく、危険性を分かった上で止めようとしているのだと理解できた。
その時、レインが口を開いた。
「タケ一人にやらせなければいいんじゃない?」
ケンゾーが彼女を見る。
「どうする」
「吸収を始めた時、私がタケと中央炉の両方を見る。危険な変化が出る前に止めるタイミングを判断する。多分、今の私なら何か感じられる」
ハヤッティもすぐに続けた。
「俺はグシオンでタケの身体を固定できます。吸収で反動が来ても、普通に立ってるよりはマシなはずです」
「お前ら……」
タケが二人を見る。
ハヤッティは肩をすくめた。
「俺たち三人で来たんだろ。お前だけ変な役回り背負おうとするな」
レインも静かに頷く。
「それに、危なくなったら私が止める」
「強制的に?」
「必要なら」
「怖いな」
「さっきハヤッティも殴って止めるって顔してたわよ」
「いや、俺はそこまで言ってない!」
『必要に応じて強制制止を推奨』
グシオンが淡々と口を挟む。
「お前は俺の味方じゃないのかよ!」
そのやり取りを見ていたシノンが、少し考えてからケンゾーへ向き直る。
「私はやらせてもいいと思う」
「シノン」
「ただし条件をつける。タケ自身が少しでも意識がおかしいと感じたら即終了。レインが危険と判断したら、タケの意思に関係なく止める。ハヤッティが固定不能と判断した場合も同じ。クライが継続を要求しても無視する」
タケが真剣な顔で頷く。
「はい」
「テルテル側で流量制限は」
「できる。中央炉へ直接ぶら下げるのは論外だけど、外周の補助制御管を介せば俺がある程度絞れる」
「なら試す価値はある」
ケンゾーはしばらく黙っていた。
その間にも中央炉では光が強くなり、施設音声が進行状況を更新する。
『人格統合率、六パーセント』
時間がない。
やがてケンゾーは小さく息を吐いた。
「……分かった。ただし、無理だと思ったらすぐ退け」
「はい」
「英雄ごっこはするな」
タケは一瞬真顔になったあと、思わず言った。
「それ、ケンゾーさんが言います?」
ハヤッティが吹き出す。
「それは俺も思った!」
「何の話だ」
本気で分かっていないようなケンゾーに、レインまで僅かに口元を緩めた。
「本人に自覚ないみたいね」
「だから何の話だ」
「何でもないです!」
タケは苦笑し、それから中央炉へ向き直った。
テルテルが補助制御管の一つを指差す。
「直接主炉へ銃口向けるな。あの管は出力調整用のバイパスだ。そこから吸えば最悪でも俺が物理的に遮断できる」
「最初はどれくらい?」
「一パーセント」
「それだけ?」
「馬鹿、一パーセントでもお前が今まで吸った量とは桁が違う可能性がある」
「……了解」
タケは少女への吸収を一度終了し、テルテルが調整した増幅コアの出力が安定していることを確認した。少女はまだ苦しそうだったが、自分で立っていられる程度には回復している。レインが少女をシノンへ預けると、タケの横へ戻った。
ハヤッティはタケの背後に立ち、スティール・ザ・グシオンの脚部を床へ固定する。
「転ぶなら後ろに倒れろ。俺が支える」
「受け止めてくれるの?」
「グシオンがな」
「お前じゃないのかよ!」
「生身で受けたら俺も一緒に倒れるわ!」
レインが小さく息を吐く。
「緊張感あるのかないのか分からないわね」
「あるから喋ってるんだよ!」
タケも一度だけ笑い、それからクライを構えた。
「クライ」
『応答』
「中央炉補助ラインへ接続。吸収量はテルテルさんの制限に従え」
『了解』
「勝手に増やすなよ」
『命令を確認』
テルテルが端末を操作する。
「補助ラインを一パーセントだけ開く。何かあったらすぐ閉じる」
レインはタケと中央炉の両方を見られる位置へ立つ。
「今は嫌な感じはない。始めても大丈夫だと思う」
タケが深く息を吸った。
「やります」
補助管の一部が青白く発光する。
クライ・オブ・サタンの銃口に黒赤色の歪みが生まれた。
そして接続した瞬間。
「ぐっ……!」
タケの身体が大きく後ろへ跳ねた。
「タケ!」
ハヤッティが即座に両肩を掴み、グシオンの補助で身体を固定する。
「これが一パーセント!?」
タケの腕を通じて、巨大な圧力が押し寄せていた。
少女から生命エネルギーを吸い取った時とはまるで違う。あの時が細い水路だとすれば、今流れ込んできているものは巨大な濁流だった。そのほんの一部を開いただけなのに、クライの内部へ際限なく力が押し寄せてくる。
『吸収開始。保有エネルギー五十二パーセント』
「増えるの早すぎるだろ……!」
レインがタケの表情を見つめる。
「テルテルさん、少し強すぎる」
「こっちは一パーセントだ! これ以上絞ると接続そのものが切れる!」
「タケ、どう?」
「まだいける!」
歯を食いしばりながら答える。
だが次の瞬間。
『吸収効率を最適化』
クライの赤黒い光が急激に強くなった。
タケの表情が変わる。
「待て。上げるな!」
『高密度生命エネルギーを確認。吸収効率を上昇』
「勝手にやるな! 下げろ!」
『継続を推奨』
「俺の命令を優先しろ!」
『……』
返答がない。
吸収は止まらない。
むしろ強くなっている。
「レイン!」
ハヤッティが叫ぶ。
レインはすでに動いていた。
「タケ、切って! 今すぐ!」
「でも、まだ出力が――」
「駄目。あなたが先に壊れる!」
普段ほとんど声を荒げないレインが、はっきりと言い切った。
タケはその表情を見て判断する。
「……分かった! クライ、接続解除!」
『高密度生命エネルギーを確認。吸収継続を優先』
「は!?」
ハヤッティが目を見開く。
「言うこと聞いてないじゃないか!」
「テルテルさん!」
「今切る!」
テルテルが端末を操作する。
「補助ライン閉鎖!」
『閉鎖要求を拒否』
「誰が拒否してる!」
『上位権限による制御介入』
「またそれかよ!」
テルテルが端末を叩く。
タケと中央炉の間では、黒赤色のエネルギー流が太くなり始めていた。クライが自ら中央炉へ食らいつき、まるで飢えた生物のように生命エネルギーを吸い上げている。
その時。
中央炉の色のない瞳が、タケの持つクライ・オブ・サタンへ向けられた。
「――その兵器」
数千人の声が重なって響く。
「まだ存在していたのですね」
クライの振動が、唐突に止まった。
『……』
「クライ?」
『対象識別を試行』
「何を言ってる」
『記録領域に反応あり』
タケの顔が強張る。
『対象を知っている』
テルテルが振り向いた。
「何だって?」
『ただし該当記録は封鎖されています』
その言葉を聞いた瞬間、今度はテルテルの顔色が変わった。
「タケ、もう切れ!」
「切りたくても切れないんですよ!」
「ハヤッティ、引っ張れ!」
「やってます!」
グシオンの脚部が床へ深く固定され、ハヤッティはタケごと後ろへ引き剥がそうとする。しかしエネルギー接続が目に見えない鎖のように二者を繋ぎ、なかなか離れない。
レインがケンゾーを見る。
「ケンゾーさん、あの繋がりを切れない?」
「ゲシュタルト」
『可能性あり』
「タケごと斬るなよ」
『当然』
ケンゾーが走り出した。
傷ついた肋骨が痛む。それでも速度を落とさずタケの横へ入り、ゲシュタルト・レーヴェを細身の黒い長剣へ変形させる。
「流れてる部分だけ切れ」
『了解』
刃が振り下ろされた。
本来、生命エネルギーそのものへ物理的な刃が通るはずはない。しかしゲシュタルトの刃が黒赤色の流れへ触れた瞬間、空間を裂くような音が響いた。
接続が断ち切られる。
「うわっ!」
急に引っ張る力が消え、タケとハヤッティが揃って後方へ倒れた。
「重っ!」
「悪かったな!」
「喋れるなら大丈夫だな!」
レインがすぐにタケの前へしゃがむ。
「タケ、私が見える?」
「見える」
「指は?」
「二本」
レインが立てていたのは三本だった。
タケが固まる。
「……え?」
「冗談」
「今それやる!?」
「意識確認」
「もっと普通にやってくれ!」
タケは思わず声を上げたが、レインの手が僅かに震えていることに気づいた。
彼女も怖かったのだ。
自分が本当に壊れるかもしれないと思っていた。
「……ごめん。心配かけた」
「無事ならいいわ」
レインは短く答えた。
一方、テルテルとシノンはすでに中央炉の表示を確認している。
「主炉出力が……七十二パーセントまで落ちてる」
「元は八十七だったわよね」
「ああ。途中で流量制限を無視された分、予想以上に吸ったらしい」
EVE-SEVENTHが続ける。
『人格統合処理速度、低下』
シノンがすぐに尋ねる。
「完了までの推定時間は?」
『現在の出力を維持した場合、約三十二分』
「十分稼げた」
ケンゾーがタケを見た。
タケは床に座ったまま息を整えている。
「よくやった」
その一言だけで、タケの顔が僅かに明るくなる。
「……はい」
「ただし次は勝手に限界までやるな」
「俺が勝手にやったわけじゃないんですけど」
『高密度生命エネルギーは効率的な吸収対象』
「お前はしばらく黙ってろ!」
タケがクライを睨む。
ハヤッティが横で笑った。
「持ち主より武器の方が食い意地張ってるな」
「食い意地って言うなよ!」
少しだけ空気が戻った。
だが休む時間はない。
ケンゾーはすぐにテルテルへ視線を移した。
「三十分あれば足りるか」
「今度こそな。シノン、こっちへ来て。俺が生命維持系統を分離するから、言った番号の補助回路を切り替えてくれ」
「了解」
「Bは右側の制御盤。フールで壊すなよ。手動ロックを解除するだけだからな」
『ギャハハハ! 俺に繊細な仕事頼むのかよ!』
「Bに頼んでんだよ!」
「分かった」
『俺は!?』
「邪魔するな」
『扱い酷すぎねぇか!?』
アルマーにもテルテルが声を飛ばす。
「お前、外周リングを空間固定できるか」
「どの程度」
「一基だけでいい。三十秒止めてくれれば、その間に接続を切り替えられる」
アルマーは中央炉を見て計算するように目を細めた。
「三十秒なら可能だ」
「なら頼む」
「俺を信用するのか」
「してない。でも今は使えるもの全部使う」
アルマーの口元が僅かに上がる。
「それでいい」
テルテルが作業へ戻ろうとした、その時だった。
「テルテル」
中央炉から再び声が響いた。
彼の手が止まる。
「今は忙しい」
「あなたは覚えています」
周囲の空気が変わった。
ケンゾー、シノン、B。
三人の視線が同時にテルテルへ向く。
テルテルはゆっくり顔を上げた。
「何の話だ」
「彼らは忘れている」
「黙れ」
「あなたは忘れていない」
「黙れって言ってる」
今までより声が低い。
「あなたは唯一――」
「それ以上喋るな」
テルテルの指が端末の縁へ強く食い込んだ。
中央炉の声は止まらない。
「記憶処理を受けず――」
「黙れ!」
テルテルが拳を端末へ叩きつけた。
大きな音が響く。
その場にいる全員が驚いて彼を見る。
普段ならどれほど危険な状況でも冗談を挟み、多少追い詰められても笑って誤魔化す男が、ここまで露骨に感情を荒らしたのは初めてだった。
ケンゾーはテルテルの横顔を見つめた。
怒っているだけではない。
怖がっている。
自分たちが何かを思い出すことを。
そのことが、何よりもはっきり伝わってきた。
「テルテル」
ケンゾーが静かに呼ぶ。
テルテルは何も答えない。
「今は聞かない」
そこでようやく、テルテルが顔を上げた。
「……いいのか」
「よくはない」
ケンゾーは淡々と答える。
「でも今聞いて、お前の言う通り俺たちが動けなくなったら困る。だから後だ」
「……」
「全部終わったら話せ」
テルテルはしばらく黙っていた。
やがて疲れたように笑う。
「生きて帰れたらな」
「帰る」
ケンゾーは即答した。
「全員で」
その言葉を聞いたタケが、思わず小さく呟いた。
「……やっぱり格好いいな」
「今それ言う?」
ハヤッティが呆れたように見る。
「だって今のは格好いいだろ」
レインも僅かに口元を緩める。
「見惚れてる場合じゃないわよ」
「分かってるって」
その時だった。
遠くから鈍い衝撃音が響いた。
全員の表情が一瞬で変わる。
先ほど怪物たちを閉じ込めた隔壁の方向。
一度。
続いて二度目。
さらに三度目。
巨大な金属板が強い力で叩かれ、こちら側の床まで僅かに振動した。
Bがフール・オブ・グレモリーを肩から下ろす。
「来るな」
『ああ。さっきの連中だ』
フールの声に、少しずついつもの調子が戻る。
『ギャハハ……諦めの悪い奴らだなァ』
シノンは端末と隔壁を交互に確認した。
「テルテル、分離作業はどれくらい?」
「まだ始めたばかりだ。最低でも二十分は欲しい」
「じゃあ二十分守ればいい」
ケンゾーが言った。
ゲシュタルト・レーヴェが黒い長剣から大盾へ変形する。
「B、前を頼む」
「了解」
「シノンはテルテルの作業を援護。中央炉からの干渉も警戒しろ」
「分かった」
「タケ、レイン、ハヤッティ」
三人が揃ってケンゾーを見る。
「今度は倒し切らなくていい。こっちへ通さなければいい。無理に深追いするな」
タケは立ち上がり、クライ・オブ・サタンの状態を確認した。
『保有エネルギー八十九パーセント』
「……入れすぎだろ」
『高出力射撃が可能』
「勝手に全部使うなよ」
『命令内容による』
「お前、本当に性格出てきたな?」
レインが横で銃を構えながら言う。
「持ち主に似たんじゃない?」
「俺そんな面倒な性格してないだろ!」
「それはどうかな」
ハヤッティが笑いながらグシオンの出力を上げた。
「少なくともケンゾーさんのことになると面倒だぞ」
「それ関係ないだろ!」
やり取りをしながらも、三人の位置取りは自然に決まっていった。
レインが最も前で敵の動きを読む。
タケが中央からクライで弱体化と牽制を担当する。
ハヤッティが二人の間を埋め、突破してくる敵をグシオンで押し返す。
少し前ではケンゾーとBが並び、二人だけで正面から流れを受け止める構えを取っていた。
そのさらに後方ではシノンが高所へ移動し、テルテルと救出した女性、黒髪の少女を同時に守れる位置を確保する。
アルマーと彼の部下たちも、先ほどまでの敵対関係を残したまま周囲へ散開した。
「先に言っとくけど」
テルテルが端末へ手を走らせながら声を張る。
「共闘してるだけだからな! 後ろから撃ったら許さないから!」
アルマーが冷静に返す。
「こちらの台詞だ」
「だったらお互い正面だけ見てろ!」
最後の言葉とほぼ同時だった。
隔壁の中央が大きく膨らんだ。
一撃目で歪み。
二撃目で亀裂が走る。
三撃目。
厚い金属板が内側へ吹き飛ばされた。
轟音と共に大量の煙と破片が中央炉区画へ流れ込み、その向こうで無数の赤い光が揺れる。
先ほど閉じ込めた異形たちが、次々と煙の中から姿を現した。
四本腕の個体、蜘蛛のような脚を持つ個体、背中から未完成の翼を生やした個体。傷ついた身体を再生させたものもいれば、先ほど戦っていなかった個体もいる。中央炉から供給される生命エネルギーによって、どれも再び戦闘可能な状態へ戻りつつあった。
Bが巨大な大鎌を両手で握り直した。
『ギャハハハハハハッ! 今度は二十分か! いいじゃねぇか、時間制限付きの方が燃えるぜぇ!』
「お前は燃えなくていい」
『比喩だよ!』
「分かってる」
『だったら突っ込むなよ!』
その横でケンゾーは、黒い盾の陰から敵の配置を冷静に見ていた。
「最初の波は七体。後ろにまだいる」
『敵性反応、二十三。うち複数個体に再生反応』
「一体減ってるな」
『直前戦闘で完全停止した個体を確認』
ケンゾーは短く頷く。
「なら残りは二十三だ」
タケが少し後ろから訊く。
「全部止められますか」
ケンゾーは振り返らなかった。
「止める」
「即答ですね」
「二十分ならな」
タケはその背中を見て、少しだけ笑った。
「……やっぱり俺、この人好きだわ」
「声に出てるぞ」
ハヤッティが呆れる。
「いいだろ別に!」
レインは正面から目を離さないまま言った。
「来るわよ」
最前列の異形が床を蹴った。
その巨体からは想像できない速度だった。
ケンゾーは一歩前へ出る。
黒い大盾を正面へ固定し、迫る拳を真正面から受け止めた。重い衝撃が床を伝わり、傷ついた肋骨が再び痛んだが、彼は後ろへ下がらない。
「B!」
「了解」
Bが横から踏み込む。
巨大な大鎌が低い位置から斜め上へ振り抜かれ、紫色の斬撃が異形の肩口を深く抉る。
『ギャハハハハ! まず一匹目ぇ!』
「まだ倒れてない」
『じゃあ二発目だ!』
その声を合図にするかのように、第二、第三の異形が煙を突き破って飛び出してきた。
レインの視線が細くなる。
「タケ、左の一体。胸部の光が強い。ハヤッティは右から来る脚の長い方」
「了解!」
「分かった!」
クライ・オブ・サタンが低く唸り、グシオンの外骨格が駆動音を響かせる。
タケは今度こそ、自分から吸収量を明確に決めた。
「クライ。短時間だけだ。三秒以上吸うな」
『命令を確認』
「絶対だぞ」
『了解』
照準の先。
胸部装甲の内側で強く光る生命エネルギー。
タケは深く息を吸う。
自分たちはまだ新人だ。
敵の正体も、この施設の真実も、テルテルたちが何を忘れているのかも分からない。
けれど今は、それでもいい。
背後には眠り続けている何千もの人間がいる。
その人たちを守るために、二十分だけここを通さなければいい。
やるべきことは、それだけだった。
「行くぞ、クライ」
『了解』
タケが引き金を引く。
黒赤色の光が走り、その直後、レインとハヤッティも同時に動いた。
中央炉の奥では、色のない瞳を持つ正体不明の存在が、まるでその戦いを観察するかのように、静かに彼らを見つめ続けていた。