クライ・オブ・サタンの銃口から放たれた黒赤色の光弾は、煙を突き破って前進してきた異形の胸部へ正確に命中した。通常弾を何発受けても勢いを落とさなかったその個体が、今度は明らかに身体を揺らす。胸部装甲の隙間から漏れていた青白い光が一瞬大きく乱れ、その直後、細い光の筋となってクライの銃口へ引き寄せられた。
『吸収開始。指定時間、三秒』
「三秒だけだ。絶対に伸ばすなよ」
『了解』
タケはクライの返答を聞きながら、銃口を胸部から逸らさないよう慎重に支えた。少女から余分な生命エネルギーを吸収した時とは違い、今度の相手は明確な敵だ。それでも、先ほど自分が体験した感覚が頭に残っている。引き金一つで命そのものを奪えるという事実は、武器を使う手から軽さを奪っていた。
一秒目、異形の右腕から力が抜けた。二秒目には背部の未完成な翼が震え、青白い光が半分ほどまで弱まる。そして三秒が経過した瞬間、クライは今度こそ命令通りに吸収を停止した。
『指定時間に到達。吸収を終了』
「よし。そのままでいい」
『対象の生命エネルギー残量は依然高水準。追加吸収を推奨』
「しない。動きを止められれば十分だ」
『非効率』
「二十分守ればいいんだよ。全部倒す必要はない」
タケの答えに、クライは短い沈黙を返した。人工知能であるはずなのに、その沈黙がどこか不満げに感じられる。
「……本当に性格出てきたな、お前」
「タケ、右肩!」
レインの声で、タケはすぐに意識を戦場へ戻した。
彼女が放った二発の銃弾が、生命エネルギーの供給を失って反応の鈍った異形の右肩と左膝へ突き刺さる。装甲そのものを撃ち抜くほどの威力はない。しかし狙われたのは、装甲同士を繋ぐ細い可動部だった。膝が大きく沈み、異形の姿勢が崩れる。
「ハヤッティ、今よ!」
「結局俺が仕上げか!」
文句を言いながらも、ハヤッティはすでに走り出していた。
スティール・ザ・グシオンの脚部が低い駆動音を響かせ、床を蹴った瞬間に彼の身体を一気に加速させる。通常の人間なら関節を壊しかねない踏み込みを外骨格が支え、ハヤッティは異形の懐まで一気に距離を詰めた。
『右腕補助出力、五十一パーセント。神経負荷は許容域上限へ接近』
「一発だけだ。耐えろ!」
『推奨出力を超過』
「分かってる!」
拳を握ったまま突っ込むのではなく、ハヤッティは相手の崩れた姿勢を利用して肩口へ掌底を叩き込んだ。グシオンの補助出力を受けた一撃は、異形を破壊するためではなく後退させることに使われる。巨体は床を滑りながら数メートル後方へ押し戻され、そのまま背中から倒れ込んだ。
「今度こそ止まっただろ?」
息を吐きながらハヤッティが尋ねる。
レインは倒れた異形の右腕を確認し、首を横へ振った。
「まだ少し動いてる」
「一回くらい『倒した』って言わせてくれよ」
「言ってる間に起き上がられたら困るでしょう?」
「それはそうだけどさ!」
タケも苦笑したが、すぐにクライを通常射撃へ切り替えた。倒れた異形の胸部では砕けた装甲の下から青白い光が漏れ、その周辺で肉と機械が再び結合し始めている。
「クライ、吸収じゃない。変換弾を使う」
『保有エネルギーを射撃へ転用』
「低出力でいい」
黒赤色の弾丸が三発だけ撃ち出され、異形の胸部装甲の内側へ叩き込まれた。今度こそ全身が大きく痙攣し、そのまま動きが止まる。
『対象の活動能力、大幅低下』
「完全停止じゃないんだな」
『肯定。生命活動そのものを停止させる場合、追加吸収が最も効率的』
「だから、それはやらないって言ってるだろ」
タケは小さく息を吐いた。クライは敵を倒すための最短距離を提示しているだけなのだろう。けれど、最短であることと正しいことは同じではない。少なくとも自分は、その二つを混同したくなかった。
「次、来るわ」
レインが静かに言った。
タケとハヤッティが顔を上げる。
今度の個体は先ほどよりも細身だった。上半身こそ人間に近い形をしているが、両脚だけが異様に長く、背中には骨と金属が混じった未完成の翼が生えている。その翼が一度大きく震えた直後、異形の身体が床すれすれを滑るように加速した。
「速いぞ!」
ハヤッティが反射的に前へ出ようとする。
「来なくていい」
レインが一言で止めた。
「狙ってるのは私だから」
「分かるのか?」
タケが尋ねる。
「なんとなく。でも、多分間違ってない」
その直後、異形の顔面に一本だけ走っていた赤い光がレインへ向いた。
「本当に来た!」
次の瞬間、異形の姿が視界から消えたように見えた。
実際には消えたのではない。一気に数十メートルを詰めたのだ。
骨のような刃へ変形した右腕が横薙ぎに振るわれる。しかしレインは攻撃が始まるより僅かに早く右足を引き、上半身だけを後方へ逸らしていた。白い刃が彼女の鼻先を通過する。続く左腕の突きに対しては後退せず、逆に半歩だけ前へ入ることで刃が最も加速する位置を外した。
さらに背中の翼から細い棘が射出される。
レインはそれを見てから避けたのではなかった。棘が射出される直前にはすでに身体を左へ移しており、無数の棘は先ほどまで彼女がいた空間だけを貫いていった。
『対象行動予測を開始』
異形の胸部から無機質な音声が漏れる。
『回避経路を演算。次行動を補足』
「それ、前にも聞いたわね」
レインは冷静に答えた。
次の攻撃では、異形は明らかに彼女が避ける先を狙っていた。右から迫る刃を見せ、それを避ければ左側から別の刃が重なるように動く。
ところがレインは動かなかった。
ほんの僅かに重心を落としただけで、その場に残る。
二本の刃は彼女が逃げると予測された空間で交差し、何もない場所を切り裂いた。
『予測不一致。再演算』
「残念だったわね」
レインは至近距離から三発撃った。
一発は赤い視覚器官へ、残る二発は翼の基部へ。異形の上体が揺れた瞬間、彼女は少しだけ横を向く。
「タケ、今」
「任せろ!」
クライを構えたタケは胸部ではなく翼の根元へ照準を合わせる。
「二秒だけ吸え」
『了解』
黒赤色の流れが異形へ伸びた。たった二秒でも、翼を維持していた生命エネルギーが抜けるには十分だった。背中の光が不安定になり、異形の速度が落ちる。
「ハヤッティ!」
「はいはい、最後は俺な!」
ハヤッティが横から入り込み、グシオンで強化した右脚を翼の基部へ叩き込む。破壊するのではなく、すでにレインが傷を作り、タケが弱体化させた部分へ衝撃を集中させる。
骨と金属が折れる鈍い音が響き、異形の身体が横倒しになった。
「これが役割分担ってやつね」
レインが言う。
「お前が避けて弱点見つけて、タケが吸って、俺が殴るってこと?」
「分かりやすいでしょう?」
「俺の部分だけ説明雑じゃないか?」
「一番向いてる」
「それ褒めてないよな?」
タケが思わず笑う。
「いや、でも実際ハヤッティが一番最後の押し込み強いよ」
「そう言われると悪い気しないけど……お前ら俺の扱い分かってきてない?」
「成長じゃない?」
「そこ成長しなくていいんだよ!」
三人の軽口は続いていたが、それぞれの動きには最初の戦闘とは明らかな違いがあった。レインが敵の流れを読み、タケが必要な分だけ生命エネルギーを削り、ハヤッティが物理的に突破力を殺す。誰か一人が突出するのではなく、三人で一つの敵を短時間で無力化する形が少しずつ出来上がり始めている。
その少し前方では、ケンゾーが三体の異形を同時に押さえていた。
一体目が両腕を振り上げ、巨大な拳を叩きつける。
ゲシュタルト・レーヴェが即座に大盾へ変形し、正面からそれを受け止めた。衝撃は盾だけで消えず、ケンゾーの身体を通して床へ伝わり、足元の金属板が僅かに沈む。
『肋骨損傷部位への負荷増加』
「分かってる」
『内出血の拡大を確認』
「それも分かってる」
『戦闘継続を非推奨』
「今それができると思うか?」
『不可能』
「なら後で言え」
『警告義務を優先』
ケンゾーは僅かに眉を寄せた。
「律儀だな」
その言葉を言い終わる前に、右側から二体目が爪を突き出してくる。ケンゾーは盾を正面に残したまま身体だけを半身へずらし、ゲシュタルトの外縁を細長い刃へ変形させた。
爪と刃が接触する。
完全に受け止めず、その勢いを横へ流す。
相手の腕が僅かに開いた瞬間、盾そのものが中央から二分され、左右それぞれ異なる長さの黒い剣へ変わった。
「左を抑えろ」
『了解』
左の刃が一体目の腕を絡めるように押さえ、右の刃が二体目の脇腹へ突き込まれる。
硬い。
刃が途中で止まった。
『対象内部の生命エネルギーによる装甲強化を確認』
「面倒だな」
その時、少し離れた高所から銃声が響いた。
二体目の脇腹にある小さな発光部分へ、シノンの弾丸が命中する。
「そこ。光の流れが集中してる」
ケンゾーはすぐに理解した。
ゲシュタルトの刃を一度抜き、その発光部へ角度を変えてもう一度突き込む。今度は抵抗が僅かに弱くなり、刃が装甲を抜けた。
青白い光が噴き出す。
異形の右半身が激しく痙攣した。
『エネルギー循環に異常発生』
「当たりか」
「でも再生が始まってる」
シノンは照準器越しに相手の傷を見ながら言った。
「中央炉から供給が続いてる。完全に壊そうとしないで。脚だけ落として動けなくした方が早い」
「了解」
ケンゾーはそれ以上胸部を狙わなかった。
傷口の再生へ意識が集中した瞬間に足元へ踏み込み、右膝の関節を横から斬り抜く。膝が大きく折れ、異形はその場へ崩れた。
「これで一体」
『活動継続中』
「立てなければいい」
『戦術目的を理解』
「最初からそう言ってる」
ケンゾーが次の二体へ向き直る。
その頃、Bとフール・オブ・グレモリーは別方向から来る異形を三体まとめて引き受けていた。
『ギャハハハハハッ! 右から二匹、左から一匹! いいねぇ、少しは賑やかになってきやがった!』
「うるさい」
Bは大鎌を肩口から振り下ろす。
巨大な紫の刃が異形の右腕へ深く食い込んだ。敵が左手で大鎌を掴もうとした瞬間、Bは柄を回し、刃の向きを変える。
「フール」
『言われなくても分かってらぁ!』
紫色の光が一気に刃へ集まり、腕ごと切り飛ばす。
切断された腕が床へ落ちるより早く、二体目がBの背後へ回った。
『後ろ!』
「分かってる」
Bは振り返らず、大鎌の石突きを後方へ突き出した。金属製の柄が異形の顎を捉え、頭部が僅かに浮く。その瞬間に身体を回転させ、大鎌を横薙ぎに振り抜いた。
刃そのものが二体目へ触れるより先に、紫色の斬撃が弧を描いて飛び、敵をまとめて数メートル押し戻す。
『ギャハハハ! どうしたどうした! さっきまでの威勢はどこ行った!』
「倒してない」
『分かってる!』
「なら喜ぶな」
『戦闘中くらい好きにさせろ!』
そこで三体目が天井から落下してきた。
他の個体より一回り大きい。肩から背中にかけて黒い外殻が厚く覆い、両腕だけでもBの胴体ほどの太さがある。
大鎌の刃へ拳が叩き込まれた。
Bの膝が僅かに沈む。
『重っ! こいつ馬鹿みてぇに重いぞ!』
「押し返すな」
『珍しいこと言うな』
「力を使わせる」
『なるほどな』
Bは真正面から力比べをしなかった。
大鎌へ加えていた力を僅かに抜き、自分から一歩後方へ滑る。押し返されることを想定していなかった異形の重心が大きく前へ流れた。
その瞬間、Bは大鎌の柄を敵の首元へ引っかける。
「今だ」
『ギャハハハハ! もらったぁ!』
刃が反転し、首と肩の境目へ深く食い込む。
紫色の光が爆ぜた。
完全な切断には至らなかったが、異形は姿勢を崩して床へ倒れ込む。
ところが、Bが追撃へ移る前に赤い光が横から伸び、異形の片脚へ巻きついた。
二本の柄から生まれる柔軟な赤いエネルギー刃。
先ほどまで運び屋と敵対していた細身の女だった。
「勘違いしないで。あなたを助けたわけじゃない」
「そうか」
「こいつが中央炉へ進もうとしたから止めただけ」
『ギャハハ! 素直じゃねぇな姉ちゃん!』
女の眉が動く。
「その武器、黙らせられないの?」
「無理だ」
『即答すんなよ!』
「事実だ」
『努力しろよ!』
女は呆れたように息を吐きながら、赤い刃をもう一本別の異形へ飛ばした。
その周囲でも、五人の古代兵器使いたちは完全な共闘とは言えないながら、今だけは同じ方向へ武器を向けていた。灰色の鎧を纏った巨漢が大型杭のような兵器を床へ叩きつけると、周囲の環が高速回転し、圧縮された衝撃波が前方へ放たれる。
二体の異形がまとめて後方へ押し流された。
「壁際へ飛ばさないで!」
高所からシノンの声が飛ぶ。
巨漢が僅かに顔を上げる。
「注文が多いな」
「保存カプセルがある。中に人がいるの」
「見えている」
「なら気をつけて」
「努力する」
その返事の直後、巨大盾を持つ男が青い障壁を展開し、異形の放った赤い光弾を受け止めた。フードを被った男は複数の刃がついた鎖を相手の脚へ絡め、倒すのではなく前進だけを止めている。
そして五人の中心にいる白い仮面の男は、ほとんどその場から動いていなかった。
正面から骨の槍が飛んでくる。
槍は白仮面の顔面へ届く数十センチ手前で急激に速度を落とし、何か見えない壁に捕まったようにその場で止まった。
テルテルは端末を操作しながら、ほんの一瞬だけその光景を見る。
「……やっぱり違うな」
「何が?」
隣で回路切り替えを手伝っていたシノンが尋ねた。
「いや、独り言」
「あなたの独り言は信用できない」
「酷くない?」
「ここに入ってから何回誤魔化したと思ってるの」
「数えないでよ」
テルテルは軽口を返しながらも、視線の一部を白仮面へ残していた。
先ほど戦った時にも感じた違和感がある。
白仮面の能力はアルマーの空間操作とよく似ている。だが同じではない。アルマーは空間そのものを引き延ばしたり、座標を捻じ曲げたりしていた。対して白仮面は、二点間の距離だけを強制的に固定しているように見える。
まるで、本物を簡略化したような。
「テルテル」
シノンが声を少し強めた。
「手が止まってる」
「止まってないよ」
「次は?」
「ああ、ごめん。第二補助系統七番。生命維持側へ切り替えてから中央接続を切って」
「順番は絶対にそれでいい?」
「逆にしたら一瞬だけカプセルの維持電源が落ちる。だから絶対間違えるな」
「了解」
シノンが迷いなく操作する。
表示の一つが赤から緑へ変わった。
『生命維持系統の独立処理、十八パーセント』
「まだ十八か……」
「焦ってミスしないで」
「分かってる。でも十五分切ったら少し焦らせて」
「もう十分焦ってるように見えるけど」
「顔に出てる?」
「かなり」
「嫌だなぁ」
そんな会話を続けながらも、テルテルの指は休まない。
彼らの少し後方では、救出された女性と黒髪の少女が身を寄せている。少女の胸元に埋め込まれた増幅コアは、先ほどクライによって余分な生命エネルギーを抜かれたことで一時的に安定していたが、中央炉の出力が変動するたびに弱く光っていた。
その二人を守る位置に立っていたのはアルマーだった。
テルテルは端末から目を離さないまま声をかける。
「意外だな」
「何が」
「お前がそこにいること」
「前へ出れば、この二人を守る者が減る」
「合理性だけ?」
「他に何を期待している」
「別に何も」
テルテルが会話を切ろうとすると、救出された女性がアルマーを見上げた。
「……本当に、あなたなの?」
アルマーはすぐには答えなかった。
金色の瞳だけを彼女へ向ける。
「何を基準に本人とするかによる」
「昔はそんな言い方しなかった」
「昔の俺をよく覚えているな」
「忘れるわけないでしょう」
女性の声には、恐怖だけではないものが混じっていた。怒りもある。悲しみもある。それ以上に、本人が認めたくないような懐かしさがあった。
「あの日、あなたが何をしたかも覚えてる」
アルマーの表情から僅かに感情が消える。
「それは今話すことではない」
「逃げるの?」
「違う。今説明すれば、そこの三人へ余計な刺激を与える」
アルマーの視線がケンゾー、シノン、Bへ移る。
女性は唇を噛んだ。
「……それだけは昔と同じなのね」
「何が」
「自分が嫌われても、必要なことだけはやるところ」
アルマーは答えなかった。
その時、少し離れたところから白仮面の男が声を上げた。
「アルマー!」
アルマーが顔を上げる。
異形の一体が戦線を大きく迂回し、中央炉へ向かって右側から突破しようとしていた。白仮面は能力で距離を固定しているようだったが、異形の生命エネルギー出力が高いせいか、空間そのものが細かく震えている。
「長くは止められない!」
白仮面の声に、アルマーは小さく息を吐いた。
「その程度で模倣を名乗るな」
テルテルの指が一瞬だけ止まった。
「……模倣?」
しかし問い返すより早く、アルマーは右手を上げた。
指先が僅かに動く。
すると、異形と中央炉の間にあった数メートル程度の距離が、見た目は変わらないまま意味だけを失った。異形は確かに走っている。脚も床を蹴り、身体も前方へ進もうとしている。
それなのに中央炉へ近づかない。
まるで数メートルの通路を何百メートルにも引き延ばされたように、同じ場所を走り続けている。
前線で戦っていたハヤッティが思わず横目で見た。
「何だあれ! 走ってるのに進んでないぞ!」
「余所見しない!」
レインの声が飛ぶ。
ハヤッティが正面へ戻った瞬間、異形の拳が顔の前まで来ていた。
「うおっ!」
グシオンの前腕装甲を上げて受ける。
衝撃で身体が半歩下がった。
「危なっ!」
「だから言ったでしょう」
「いや、あれは気になるって!」
「戦闘中は気にしなくていいの」
「無茶言うなよ!」
レインはその横を抜け、異形の左側へ回り込んだ。
敵の頭部が彼女を追う。
「タケ、今なら胸が空いてる」
「了解!」
タケがクライを構えた。
「二秒だけ吸うぞ」
『了解』
黒赤色の光が異形の胸部へ伸びる。
一秒。
二秒。
そしてクライはきちんと接続を切った。
「よし、今度は言うこと聞いたな」
『命令を実行したのみ』
「それでいいんだよ」
タケが少し安堵した、その直後だった。
異形の胸部装甲が左右へ開いた。
内部に赤い光が集まり始める。
「タケ、伏せて!」
レインの声が飛ぶ。
考えるより早く、タケは身体を沈めた。
赤い光線が頭上を通過する。
狙いはタケではなかった。
そのさらに後方。
テルテルたちが分離作業を行っている巨大リングの一つへ向かっている。
「まずい!」
テルテルが叫んだ。
あそこを破壊されれば、ここまで進めた分離作業が止まる。
光線がリングへ届く寸前、巨大な黒い盾が割り込んだ。
ケンゾーだった。
ゲシュタルト・レーヴェが展開した大盾へ、赤い光が真正面から叩きつけられる。凄まじい熱と圧力が盾を通してケンゾーの全身へ伝わり、彼の両足が床を削りながら後方へ滑った。
『高熱量攻撃を確認。防御出力上昇』
「ケンゾーさん!」
タケが反射的に振り返る。
「前を見ろ!」
ケンゾーの声が飛ぶ。
「お前の敵はまだ動いてる!」
その言葉で、タケはすぐに正面へ視線を戻した。
確かに異形はまだ胸部を開き、次の攻撃へ移ろうとしている。
「……はい!」
タケはクライを構え直した。
ケンゾーは盾越しに光線を受けながら、後方へ声を飛ばす。
「テルテル、あとどれくらいだ!」
「今の速度なら十五分!」
「さっき二十分だっただろ」
「シノンが思ったより優秀なんだよ!」
「余計なこと言わないで!」
端末から手を離さないままシノンが即座に返す。
そのやり取りに、タケは一瞬だけ笑いそうになった。
誰も余裕などない。
ケンゾーは傷を抱えている。Bも複数の異形を引き受けている。シノンとテルテルは一度でも操作を間違えれば、数千人の生命維持を危険に晒す。新人三人も、古代兵器をまともに扱い切れているとは言い難い。
それでも誰か一人が崩れれば、別の誰かが穴を埋める。
これが運び屋なのだと、タケは少しずつ理解し始めていた。
ケンゾー一人が英雄なのではない。
B一人が死神なのでもない。
シノン一人が後方から全部を見ているわけでもない。
それぞれが、他の誰かができない部分を補っている。
「タケ!」
ハヤッティの声。
「ぼーっとするな!」
「してない!」
「今してた!」
タケはクライを構えた。
「一秒だけ吸う」
『効率低下』
「いいから一秒!」
『了解』
ほんの僅かだけ生命エネルギーを奪う。
それだけで胸部に溜められていた次の光が不安定になった。
「ハヤッティ!」
「任せろ!」
グシオンの補助を脚部へ集中し、ハヤッティが一気に間合いを詰める。今度は拳を叩き込むのではなく、肩から身体ごとぶつかり、異形の体勢を横へ崩す。
敵が大きくよろめいた。
その瞬間にタケは吸収を使わず、通常の変換弾を三発だけ胸部内部へ撃ち込む。
赤い光が内側から弾け、異形はその場へ膝をついた。
「今度こそ止まった!」
ハヤッティが息を吐く。
レインは一度だけ確認した。
「しばらくは動けないと思う」
「よし!」
「喜んでいいのは三秒くらいね」
「短い!」
タケが笑う。
その時。
レインの表情だけが変わった。
中央炉。
色のない瞳を持つ存在が。
今までケンゾーを中心に見ていたはずなのに。
いつの間にか。
レインを見ている。
「……」
「どうした?」
タケが尋ねる。
「見られてる」
「中央の奴に?」
「うん」
レインは僅かに眉を寄せた。
先ほどと同じ感覚。
自分が次にどこへ動くのかを。
向こう側から探られている。
ただ。
今度は。
先ほどより深い。
「嫌な感じ?」
ハヤッティが尋ねる。
「かなり」
「珍しいな」
「私だって嫌なものくらいあるわよ」
レインは中央炉を見たまま、少しだけ姿勢を低くした。
「来る」
「何が?」
「分からない。でも、さっきの光とは違う」
アルマーも中央炉を見上げた。
金色の瞳が僅かに細くなる。
「全員、中央から離れろ」
ケンゾーが盾越しに声を返す。
「何だ」
「空間の密度が変わっている」
「分かるのか」
「俺の領域に近い変化だ」
その言葉が終わるのとほぼ同時だった。
中央炉を取り巻いていた青白い光が、一斉に静止した。
回転を続けていた巨大リングの一つが速度を落とし、さらにもう一つも止まる。つい先ほどまで地下空間全体を満たしていた重い駆動音が、突然消えた。
「待て」
テルテルの顔色が変わる。
「勝手に止まるな。こっちはまだ分離途中だぞ!」
『中央統合領域からの優先命令を確認』
EVE-SEVENTHが答える。
「何の命令だ!」
『解析不能』
「お前まで分からないって言うな!」
次の瞬間、壁面に並んでいた保存カプセルの一部から、同時に白い冷気が噴き出した。
数十のカプセルが開く。
その中に眠っていた人々が。
ゆっくりと。
目を開いた。
「……起きた?」
タケが呟く。
「まだ撃つな」
シノンの声が飛ぶ。
「敵とは限らない」
目覚めた人々は、年齢も性別もばらばらだった。
若い男。
中年の女性。
老人。
まだ子供に見える者までいる。
全員。
白い保存衣。
身体には細い管。
武器はない。
目覚めたばかりの人間にしか見えない。
ただ。
全員の瞳だけが。
同じだった。
色がない。
透明。
中央炉の中にいる存在と。
まったく同じ。
テルテルの表情が固まる。
「……まさか」
起き上がった者たちが、一斉にケンゾーへ顔を向けた。
そして。
全員が同時に口を開く。
「身体が足りません」
声。
同じ。
「この器だけでは、まだ不十分です」
救出された女性が息を呑んだ。
「人格を書き込んでる……」
シノンが彼女を見る。
「さっき言ってた書き戻し?」
「ええ。でも違う。記憶を返してるんじゃない」
女性の顔が青ざめる。
「中央にいるものを、保存されてる人たちの中へ複製してる」
タケの目が変わった。
「じゃあ、この人たち本人は?」
女性は答えなかった。
答えられない。
その沈黙が。
最悪の可能性を示していた。
ケンゾーが中央炉を睨んだ。
「テルテル。止める方法は」
「今やってる分離処理を終わらせるしかない。生命維持系統を独立させて、人格統合側の回路だけ切れば書き戻しも止まる!」
「あと十五分」
「今のペースなら!」
ケンゾーは迷わず頷いた。
「なら予定は変えない」
「でもこの人たちはどうする?」
タケが目覚めた人々を見る。
「殺さない」
ケンゾーは即答した。
「絶対にだ」
その言葉に。
Bの大鎌が僅かに下がる。
『……面倒になってきたな』
「斬るなよ」
『分かってる。寝起きの人間を刈る趣味はねぇ』
いつもの笑いはなかった。
シノンもすぐに武器設定を変更する。
「保存対象への致死射撃は禁止。関節、筋肉、エネルギー発生部だけを狙う」
ハヤッティが目覚めた者たちを見る。
「でも武器持ってないですよ?」
「まだな」
アルマーが低く言った。
その直後。
一人の男が右手を上げた。
皮膚の下。
青白い光。
走る。
掌の前へ小さな光球。
形成。
「散れ!」
ケンゾーの声と同時に光弾が飛んだ。
ゲシュタルトの盾が受ける。
威力は異形ほどではない。
だが。
人間。
助けるべき存在。
それがこちらへ攻撃してきている。
「最悪だな……」
テルテルが低く呟いた。
「同感だ」
ケンゾーは盾を少し下げる。
目の前。
数十人の保存対象。
後方。
異形たち。
中央炉。
正体不明の統合体。
そして。
数千人の眠った人間。
「シノン」
「分かってる」
「人間側は新人三人へ任せる」
タケが驚いた。
「俺たちですか?」
「殺さず止めるなら、お前たちの方が向いてる」
「理由は?」
「レインは攻撃を避けられる。ハヤッティは力を調整できる。タケ、お前のクライなら生命エネルギーだけを少し削れる」
タケはクライを見る。
「……確かに」
「ただし吸いすぎるな」
「分かってます」
レインが横から言う。
「その顔、本当に分かってる?」
「お前まで言うのかよ」
ハヤッティがグシオンの拳を開閉しながら前へ出る。
「じゃあ俺たちで止めるか」
「三十人以上いるぞ」
「全部倒す必要ないだろ」
ハヤッティはタケを見る。
「前に出させなければいい」
レインも目覚めた者たちの動きを見ながら頷いた。
「私は攻撃を引きつける。タケは生命エネルギーを少しずつ削って。ハヤッティは押し戻すだけにして」
「それ、お前だけ負担大きくない?」
「当たらなければいいでしょう?」
「それを簡単そうに言えるの、お前だけだからな!」
レインは僅かに首を傾けた。
「じゃあ、危なくなったら助けて」
ハヤッティが一瞬止まる。
「……そう言われると断れないんだけど」
「頼んだわ」
「お前絶対分かってて言ってるだろ」
「何が?」
「いや、もういい!」
タケも笑いながら前へ出た。
「三人でやるんだろ」
レインが彼を見る。
「できる?」
「やるよ」
「ならいい」
三人が並ぶ。
目覚めた者たちのうち、最前列にいた三人がこちらへ歩いてきた。
「退いてください」
全員。
同じ声。
タケはクライを構えたまま答える。
「それは無理です」
「あなたたちは不要です」
「こっちはあなたたちを助けたいんです」
「私たちは正常です」
レインが僅かに眉を上げた。
「自分でそう思ってる人は、三十人で同じこと言わないと思うわ」
ハヤッティが横を見る。
「そこ突っ込む?」
「間違ってないでしょう」
「まあ、そうだけど!」
一人が突然走り出した。
タケは銃口を向ける。
「クライ、低出力で一秒!」
『了解』
黒赤色の細い流れが男の胸元へ接続する。
ほんの一秒。
それだけで足元が揺らいだ。
「今!」
ハヤッティが前へ出る。
拳は使わない。
掌を胸元へ当て、グシオンの出力を最小限にして前進の勢いだけを殺す。
男は大きく後ろへ倒れた。
頭を打たないよう。
最後に僅かに腕を添える。
「よし、一人!」
「次、二人来る」
レインが言う。
左右。
同時。
片方が光弾。
もう片方が腕を掴もうとする。
レインは光弾の射線から半歩だけ外れ、そのまま反対側から伸びてきた腕を掴んだ。
力で投げるのではない。
相手の前進する勢いを利用する。
身体を小さく回転させ、相手の重心だけを横へ流す。
男は床へ転がった。
強く叩きつけていない。
ハヤッティが驚く。
「そんなこともできたの?」
「避けるだけじゃないわ」
「それ先に言えよ!」
「聞かれなかったもの」
「いや普通そこは――」
「次来る」
「最後まで言わせてくれ!」
タケが思わず笑う。
だが。
次は五人。
同時。
「笑ってる場合じゃないぞ!」
「分かってる!」
クライを構える。
今度は。
迷わない。
「二人に一秒ずつ。深く吸うな」
『非効率』
「俺のやり方でやる」
『対象生命活動停止の方が迅速』
「それはやらない」
『理解不能』
「理解しなくていい」
タケ。
一人目。
吸収。
停止。
二人目。
吸収。
停止。
「でも覚えろ」
クライ。
少し。
沈黙。
『……記録』
タケは僅かに笑った。
「それでいい」
その様子を。
少し離れた場所から。
ケンゾーが。
一瞬だけ見る。
タケが。
自分で武器の使い方を決めている。
武器に振り回されず。
危険性を理解して。
それでも使う。
ケンゾーの口元。
ほんの僅かに。
緩む。
だが。
正面。
異形。
三体。
来る。
「ゲシュタルト」
『了解』
大盾が二本の黒い長剣へ変形する。
ケンゾーは踏み込んだ。
肋骨。
痛い。
呼吸。
深く吸えない。
それでも。
止まらない。
その時。
中央炉。
声。
再び。
響いた。
「変わりませんね」
ケンゾー。
異形の腕。
剣。
受ける。
「誰の話だ」
「あなたです」
「俺を知ってるなら答えろ」
剣。
滑らせる。
敵の腕。
横へ。
「俺とお前は」
蹴り。
膝。
当てる。
「どこで会った」
中央炉。
人影。
色のない瞳。
僅か。
細くなる。
「最初に会った場所は」
声。
続く。
「研究区画です」
ケンゾーの動きが。
一瞬。
止まる。
「何?」
「あなたは」
中央炉。
何千もの声。
重なって。
「白衣を着ていました」
頭。
激痛。
「ぐっ……!」
『警告! 記憶封鎖領域への強制干渉!』
ゲシュタルト。
ケンゾー。
膝。
崩れかける。
正面。
異形。
拳。
迫る。
「ケンゾー!」
B。
飛び込む。
大鎌。
横。
構える。
拳。
受ける。
『ギャハハじゃねぇぞ! しっかりしろ!』
「……悪い」
Bは相手を押し返しながら、横目でケンゾーを見る。
「聞くな」
「何を」
「今の声だ」
「俺もそう思う」
ケンゾーは頭を押さえる。
だが。
中央炉。
止まらない。
「あなたは研究者でした」
テルテルの手が。
止まる。
「やめろ」
「あなたは――」
「やめろ!」
ケンゾーの視界。
白。
研究室。
見える。
白衣。
自分の腕。
机。
巨大な端末。
横。
黒髪の誰か。
笑っている。
さらに。
白い髪の女。
向こう。
金色の光。
女性。
『完成しました』
声。
女。
頭。
割れる。
「ケンゾー!」
シノンの声。
現実。
戻る。
ケンゾーは荒く息を吐く。
テルテルが中央炉を睨む。
「こいつの記憶を刺激するな!」
「なぜですか?」
「分かってるだろ!」
「私は確認しているだけです」
「何を!」
中央炉の色のない瞳が。
ケンゾー。
シノン。
B。
三人。
順番。
見る。
「彼らが」
声。
静か。
「本当に忘れたのかを」
テルテル。
表情。
変わる。
「……何のために」
少し。
沈黙。
「もし」
中央炉。
声。
「彼らが完全に忘れているなら」
光。
強く。
「計画を継続できます」
救出された女性。
息。
止まる。
アルマー。
目。
鋭くなる。
テルテル。
ゆっくり。
「何の計画だ」
返事。
ない。
『分離処理、三十一パーセント』
施設音声だけが響く。
そして。
色のない瞳。
今度は。
テルテルを見る。
「あなたは知っています」
「知らない」
「知っています」
「黙れ」
「あなたは」
声。
変わる。
何千もの。
声。
その奥。
一人。
女。
「約束しました」
テルテルの手が。
完全に。
止まった。
「……」
救出された女性。
顔。
上げる。
アルマーも。
明確に反応する。
ケンゾー。
痛む頭のまま。
中央炉を見る。
テルテルの声が。
掠れる。
「その声を……」
いつもの笑い。
消える。
「どこで手に入れた」
中央炉の人影。
答えない。
代わりに。
保存カプセル。
次々。
光る。
眠る人々。
胸元。
青白く。
『人格統合率、七パーセント』
数字は。
一つ。
上がっただけ。
なのに。
テルテルは。
初めて。
はっきり。
恐怖。
顔。
出す。
ケンゾーは、それを見逃さなかった。普段のテルテルなら、どれほど危険な状況でも何かしら冗談を挟み、相手の言葉を煙に巻く。それが今はできていない。中央炉から聞こえた女性の声が、彼にとってそれほど重大な意味を持っているのだと、説明されなくても分かった。
「テルテル」
ケンゾーが呼ぶ。
テルテルは反応しない。
「テルテル」
二度目。
ようやく。
「……何だ」
「作業を続けろ」
テルテル。
振り返る。
「でも」
「今は聞かない」
「ケンゾー」
「そいつが何を言っても聞かない。お前も答えなくていい」
ケンゾーはゲシュタルトの剣を握り直した。
「ただ、十五分欲しいんだろ」
テルテル。
少し。
目を開く。
「ああ」
「なら十五分作る」
「……」
「それで十分だ」
テルテルは。
数秒。
黙る。
そして。
息。
吐く。
「……分かった」
再び。
端末。
向く。
シノンも。
横。
「次は?」
「第四生命維持系統。九番と十一番を先に独立」
「了解」
前線。
B。
大鎌。
肩。
『ギャハハハ……十五分だってよ』
「長いな」
『さっき二十分守るって言ってた奴が何言ってんだ!』
「減ったから長く感じる」
『意味分かんねぇよ!』
タケ。
横。
少し。
笑う。
「やっぱりケンゾーさん、格好いいな」
ハヤッティ。
即。
「お前、まだそれ言う余裕あるの?」
「あるよ」
レイン。
「見惚れてる場合じゃないわよ」
「分かってるって!」
そして。
異形。
十体。
一斉。
前。
出る。
保存対象。
さらに。
何人か。
カプセル。
出る。
中央炉。
色のない瞳。
ずっと。
こちら。
見る。
ケンゾー。
前。
一歩。
出る。
「来るぞ」
Bも並ぶ。
「分かってる」
『ギャハハハハハハッ! 十五分だ! 派手に守ろうぜぇ!』
「派手にする必要はない」
『お前は本当にノリ悪ぃな!』
そのやり取りを聞きながら、タケはクライを構えた。
レインは左右の動きを見る。
ハヤッティはグシオンの出力を調整。
シノンは高所。
テルテルは端末。
アルマー。
中央。
五人の古代兵器使い。
周囲。
運び屋。
七人。
守る。
数千。
命。
そして。
過去。
まだ。
誰も。
知らない。
最初の異形が。
踏み込む。
ケンゾーも。
同時。
走る。