最初に動いたのは、正面中央に立っていた白銀の警備機械だった。
右腕と一体化した長剣を低く構えたまま、重厚な外見からは想像できない速度で床を滑るように加速する。数十メートルあった距離は一瞬で消え、アラタが武器を構え直した時には、白銀の刃がすでに胸元へ迫っていた。
それでもアラタは後ろへ下がらなかった。身体をわずかに右へずらし、刃そのものを避け切るのではなく、手にした武器の側面を長剣へぶつけて軌道を外側へ流す。金属同士が激しく擦れ合い、火花が暗い通路へ散った。警備機械の剣が身体の横を通り過ぎた瞬間、アラタはその懐へ踏み込み、装甲の継ぎ目へ至近距離から攻撃を叩き込んだ。
「シェルマ、右から来る!」
「見えてる!」
アラタの声とほぼ同時に、右側の二体目がシェルマへ襲いかかった。
シェルマは正面から剣を受けるのではなく、あえて盾を持つ左側へ身体を寄せる。警備機械自身の盾が右腕の可動範囲を制限する位置まで踏み込み、肩口へ銃口を押しつけるようにして連射した。
白銀の装甲は容易には抜けない。しかし同じ一点へ衝撃を集中させることで、内部の関節機構がわずかにずれ始める。機械が腕を引こうとした時には、すでに右肩の動きが鈍くなっていた。
「装甲そのものを抜く必要はない! 肩と膝の駆動部を狙え!」
シェルマが声を飛ばす。
「了解!」
左側ではジェイクが三体目の警備機械を迎え撃っていた。長剣を振り上げる動きに合わせて左膝へ連射を集中させ、装甲の隙間に少しずつ衝撃を蓄積させる。
機械の姿勢が僅かに崩れた。
「カポエラ、今だ!」
「任せろ!」
カポエラが動く。
真正面へ走るのではなく、低く身体を沈めながら弧を描くように横へ回り込み、次の瞬間には床へ片手をついた。身体全体を軸にして回転し、その勢いを乗せた踵を警備機械の膝裏へ叩き込む。
重い金属音が響いた。
ジェイクの射撃ですでに弱っていた駆動部が耐え切れず、警備機械の片脚が大きく折れる。身体が傾いたところへ、カポエラはもう一度回転の勢いを利用して肩を蹴り、巨体を通路の端へ押しやった。
「一体倒した!」
「倒すことが目的じゃない!」
アラタが即座に返す。
「道を開けろ! 俺たちはケンゾーたちを探しに来たんだ!」
「了解!」
その指示を待っていたかのように、ノブとタカが前へ出た。
二人は警備機械を相手に正面戦闘をするつもりがない。アラタたちが作った僅かな隙間へ身体を滑り込ませ、そのまま戦場を抜けて通路の奥へ走る。
ノブは最初の分岐で速度を落とし、床と壁に残る痕跡を確認した。タカは反対側へ視線を走らせ、天井に埋め込まれたセンサーと、その先から伝わってくる微かな機械音を拾う。
「右は行き止まり」
ノブが短く告げる。
「左側は下降してる。奥に複数反応」
タカも続けた。
「数は?」
「十二前後。多分、さっきと同型」
戦闘を続けているアラタが声を張る。
「進路は!」
「左!」
「下へ続いてる!」
「了解!」
アラタは目の前の警備機械の盾を蹴って距離を作ると、全員へ撤退方向を示した。
「こいつらを全部相手にする必要はない! 左側の下降通路へ抜けるぞ!」
シェルマはすぐに意図を理解し、右肩を損傷した警備機械へさらに数発撃ち込んだ。相手が剣を振り上げた瞬間、露出した関節部へ狙いを集中させる。
白銀の右腕が途中で止まった。
「ジェイク!」
「分かってる!」
ジェイクが盾へ身体ごとぶつかり、警備機械を壁側へ押し込む。人間と機械の力比べでは長く持たないが、数秒なら十分だった。
カポエラも横から入り、機械の足元へ身体を滑り込ませる。内側から足を払うように蹴り上げたことで警備機械の姿勢が崩れ、ジェイクがそのまま壁へ押しつけた。
「行け!」
アラタの声を合図に、シェルマとジェイクが左の通路へ走る。カポエラも二人が抜けたことを確認してから離脱し、先行していたノブとタカの後を追った。
最後まで残ったアラタは、追撃しようとする警備機械へ数発撃ち込みながら後退する。全員が下降通路へ入ったところで、壁面にあった操作盤へ銃弾を撃ち込んだ。
火花が散り、天井から隔壁が降り始める。
完全に閉じる前に機構が停止したが、半端な高さまで降りた金属板は、少なくとも警備機械がそのまま通過できる状態ではなかった。
シェルマが走りながら振り返る。
「どれくらい持つと思う?」
「知らん」
「おい」
「止まってくれれば十分だ」
「随分適当だな」
「全部調べてから動いてたら、ケンゾーたちが先に死ぬ」
その言葉にシェルマは僅かに笑った。
「それもそうだな」
六人はそのまま地下へ向かって走り続けた。
しかし数十メートルほど進んだところで、アラタの足が突然止まった。
「どうした?」
ジェイクが振り向く。
アラタは通路の壁を見ていた。
白銀の壁面には、現代のどの言語にも見えない記号のような文字列が刻まれている。もちろん読めるはずはない。ヴォルテールで使われている古代資料とも形が違い、アラタ自身もこれまで一度も目にした覚えはなかった。
それなのに。
「……第七……」
無意識に言葉が漏れた。
シェルマが怪訝な顔をする。
「今、何て言った?」
アラタ自身が一番戸惑っていた。
「分からん」
「分からんって、自分で言っただろ」
「文字を読んだつもりはない。ただ……意味が頭に浮かんだ」
シェルマも壁へ近づいた。
文字列をじっと見る。
数秒後。
彼の表情も変わった。
「……生命保存……管理……?」
今度は全員が黙った。
ジェイクが二人を交互に見る。
「お前ら、これ読めてるんじゃないのか?」
「読めてない」
アラタは即座に答える。
「文字そのものは何一つ分からん。でも意味だけが出てきた」
「俺も同じだ」
シェルマは壁から視線を離さない。
「初めて見たはずなのに、昔から知ってる言葉みたいに頭に入ってくる。正直、かなり気持ち悪い」
ノブが少し戻ってきた。
「さっき施設に記憶封鎖個体って呼ばれてた」
タカも静かに続ける。
「この文字が封鎖された記憶を刺激してる可能性」
カポエラがアラタを見る。
「進める?」
アラタは数秒だけ考えた。
頭の奥に鈍い痛みは残っている。しかし、意識が飛ぶほどではない。
「進む」
迷いなく答えた。
「俺たちが何を忘れてるのかは後で調べる。今は救出が先だ」
「ああ」
シェルマも頷いた。
「俺も異論はない」
その時、後方から金属を激しく叩くような音が聞こえてきた。
先ほどの警備機械たちが隔壁を破壊し始めたのだろう。
ジェイクが後ろを見ながら言う。
「話してる場合じゃなくなったな」
「行くぞ」
アラタの声で、六人は再び走り出した。
◇
その頃、さらに深い中央炉区画では、防衛線が限界へ近づいていた。
第一捕食体の巨大な腕は、アルマーと白仮面の二人がかりでも完全には止められていない。アルマーがタケとの間にある空間を引き延ばし、白仮面がその距離を固定しているものの、黒い腕は見えない圧力で少しずつ二人の干渉を押し返していた。
「あとどれくらい持つ!」
分離作業を続けながら、テルテルが声を上げる。
アルマーの額には大量の汗が浮かんでいた。
「俺はあと三十秒程度だ」
白仮面も苦しそうに続ける。
「こちらは二十五秒が限界だ」
「短いな!」
「相手からの干渉が強くなっている!」
「分かってるけど、もうちょっと頑張って!」
「無茶を言う」
「今に始まったことじゃないでしょ!」
テルテルは返しながら端末へ視線を戻した。
『生命維持系統分離率、六十七パーセント』
数字だけを見れば、作業は確実に進んでいる。しかし、第一捕食体が周囲の生命エネルギーを無差別に吸収し始めたことで、保存カプセルを維持するための出力も同時に低下していた。
シノンは複数の表示を切り替え、各保存列の状態を確認する。
「第十四から第十八保存列の出力低下が早い。今のままだと五分以内に警戒値へ入る」
「分離完了予測は?」
「七分弱」
テルテルが舌打ちした。
「二分足りないか」
「どうする?」
「生命維持の優先供給先を変える」
「全部?」
「いや。吸われ方が酷い列だけ別系統へ逃がす。全体を動かすと逆に不安定になる」
テルテルは端末上に複数の回路図を展開した。
「第十四から第十八保存列を第二補助系統へ移す」
シノンが表示を確認し、眉を寄せる。
「第二補助系統って、さっきタケがクライで吸ったラインでしょう?」
「今は回復してる」
「稼働率は?」
「七十パーセント前後」
「低い」
「今よりはマシ!」
シノンは数秒テルテルを見たが、すぐに判断を切り替えた。
「手順を」
「右側から三番、五番、八番を解除。その後、上段の二系統を同期させる」
「分かった」
二人は同時に操作を始めた。
その前方では、ケンゾーとBが残った失敗作たちを押さえている。
第一捕食体に一体が捕食されたことで数自体は減ったものの、それで戦況が楽になったわけではなかった。むしろ失敗作たちは第一捕食体の存在を本能的に恐れているらしく、黒い腕から逃れるために中央炉外周へ集中している。
その先には、ケンゾーたちがいる。
「正面三体!」
シノンが戦況を確認しながら知らせる。
「見えてる!」
ケンゾーはゲシュタルトを大盾へ変形させ、一体目の突進を正面から受けた。
激しい衝撃が腕から肩へ抜ける。
同時に、負傷している脇腹へ鋭い痛みが走った。
『使用者損傷増加。戦闘継続を非推奨』
「今は聞きたくない」
『警告は必要です』
「分かってる!」
二体目が横から骨刃を振り下ろす。
ケンゾーは盾を回そうとしたが、最初の一体を押さえた姿勢からでは間に合わない。
その瞬間、横から紫色の光が走った。
Bが振るったフールの大鎌が骨刃だけを切断する。
『ギャハハハハッ! 借り一つだな、漆黒の英雄!』
「数えるのか」
『もちろんだ! 利子もつけるぞ!』
「高そうだな」
ケンゾーが短く返した直後、Bが低い声で言った。
「ケンゾー、下がれ」
「まだ無理だ」
「顔色が悪い」
「お前に言われたくないな」
『どっちも悪ぃぞ!』
「フールは黙ってろ」
Bが言う。
『なんで俺だけ怒られんだよ!』
いつものような掛け合いをしてはいるが、Bの視線はケンゾーの動きを注意深く追っていた。
「左側は俺が持つ」
Bが大鎌を構え直す。
「お前は正面だけ見ろ」
「助かる」
「今日は妙に素直だな」
「余裕がないからな」
「それなら最初から下がれ」
「それは別の話だ」
『ギャハハ! 面倒くせぇ奴ら!』
ケンゾーはフールを無視し、正面へ意識を集中させる。
三体目の異形は胸部中央に赤いコアを持ち、その周囲を青白い生命エネルギーが循環していた。コアそのものを破壊すれば倒せる可能性は高いが、今は無駄なエネルギー放出を避けたい。
「ゲシュタルト、コア周辺の流路だけ止める」
『破壊ではなく機能低下を優先』
「そうだ」
『了解』
大盾が変形し、細い杭のような形状へ変わる。
ケンゾーは異形の攻撃を半歩で外し、赤いコアのすぐ横へ杭を撃ち込んだ。
金属と肉が混ざった外殻を貫通し、内部のエネルギー流路だけを破壊する。
異形の身体から一気に力が抜けた。
『対象循環効率、三十一パーセントまで低下』
「十分だ」
ケンゾーは動きの鈍った異形を蹴り、戦線の外へ押し出した。
「一体止めた!」
シノンが即座に状況を更新する。
「ケンゾー側残り二! B側三! 五人組側は四体を拘束中!」
灰色の巨漢たちも戦闘を続けていた。
灰色の巨漢は杭打ち機型の古代兵器を床へ撃ち込み、発生した圧力波で一体を壁際へ押しつける。細身の女は赤いエネルギーの鞭を両腕へ巻きつけ、異形が暴れるたびに位置を調整しながら拘束を維持していた。
フードの男は別の個体の両脚へ鎖を絡ませ、巨大盾の男は前方に青い障壁を張り続ける。
ただし白仮面だけは第一捕食体への距離固定に集中しており、戦闘へ加わる余裕がない。
「こっちも長くは持たない!」
細身の女が声を上げた。
「白仮面、まだ戻れないの!」
「無理だ! 外せばあの腕が一気に進む!」
「なら四人でやるしかないわね!」
灰色の巨漢が拘束中の異形をさらに壁へ押し込む。
「テルテル! こいつらは完全に潰してもいいのか!」
「今は構わない! ただし高出力の生命エネルギー攻撃はできるだけ使わないで!」
「注文が多い!」
「こっちも好きで言ってるんじゃない!」
そんな中、第一捕食体の六本の指先にある口が再び大きく開いた。
周囲を引き込む力が急激に増す。
「また強くなる!」
レインが最初に気づいた。
タケはクライを胸元へ抱えるようにして踏ん張り、ハヤッティはその後ろでグシオンの脚部固定機構を作動させる。
『脚部アンカー展開。固定出力最大』
「頼むぞ!」
強化外骨格の脚から固定杭が床へ食い込み、ハヤッティの身体をその場へ留める。彼は片腕でタケの腰を掴み、もう片方で近くの支柱を握った。
「タケ、絶対離すな!」
「分かってる!」
クライの黒赤い銃身が激しく震えている。
『外部接続要求、強度上昇』
「拒否を続けろ!」
『拒否処理継続』
「今度は勝手に繋がるなよ!」
『命令を優先』
以前なら、そこで一瞬のためらいがあった。
しかし今回は違う。
クライは明確にタケの命令を優先した。
それに気づいたタケは、こんな状況にもかかわらず僅かに目を見開く。
「……ちゃんと聞いたな」
『命令を記録済み』
「そっか」
ほんの僅かな変化だった。
それでもタケにとっては大きい。
しかし安心する暇はなかった。
レインの表情が突然変わった。
「タケ!」
「何!」
「次は吸うだけじゃない!」
黒い腕の指先にある口の一つ。
その奥で。
赤黒い光が集まり始める。
「何か撃ってくる!」
「どこへ避ける!」
レインは一瞬だけ目を閉じるようにして集中した。
「右!」
「ハヤッティ!」
「行くぞ!」
グシオンのアンカーを解除し、ハヤッティがタケを押すようにして右へ跳ぶ。
レインも同時に移動した。
直後。
赤黒い光線が床へ撃ち込まれた。
爆発は起きなかった。
代わりに、光線が触れた床面から色が抜けていく。
青白い金属だった部分が急速に灰色へ変わり、表面が乾いたようにひび割れた。
数秒後。
床そのものが粉になって崩れ落ちる。
「……何だよ、あれ」
ハヤッティが息を呑む。
テルテルが端末で反応を確認しながら叫ぶ。
「生命エネルギーを直接奪ってる! 材料の中に含まれてる残留エネルギーまで抜いてる!」
タケが顔をしかめた。
「人間に当たったらどうなるんですか!」
「試したくないね!」
「答えになってない!」
「多分、笑えない結果になる!」
「それも嫌だな!」
「また来るわ!」
レインが二射目を感じ取る。
「今度は左! 少し遅れて撃つ!」
タケとハヤッティはレインの声だけを頼りに走る。
一秒ほど遅れて第二射が放たれた。
今度もぎりぎりで外れる。
光線が壁へ触れた瞬間、その一部が白く変色し、音もなく崩れた。
タケは走りながらレインを見る。
「どうして分かるんだよ!」
「私が聞きたいわよ!」
「自分でも分からないのか!」
「何度言わせるの!」
三射目。
レインの目が僅かに見開かれる。
「伏せて!」
三人は反射的に身体を低くした。
赤黒い光線が頭上を通り過ぎ、背後の保守通路を抉る。
ハヤッティは床から顔を上げながら言った。
「今だけは『亡霊』って呼ばれてて助かったな!」
レインが横目で睨む。
「今それを言う?」
「助かってるから褒めてる!」
「終わったら怒るわよ」
「生きてたら甘んじて受ける!」
タケが思わず苦笑する。
「二人とも、こんな時に余裕ありすぎだろ!」
「ない!」
二人の返事が綺麗に重なった。
◇
救援隊はさらに地下へ進んでいた。
先頭を走っていたノブが突然右手を上げる。
それだけで全員が足を止めた。
「どうした」
アラタが声を落とす。
「音がする」
ノブは壁へ片耳を寄せた。
タカも反対側で同じように耳を澄ませる。
「戦闘音」
「かなり遠い」
「方向は?」
「下」
「多分、同じ施設内」
カポエラが一歩前へ出た。
「武器の音は分かる?」
二人はしばらく黙って耳を澄ませる。
遠くから金属同士がぶつかるような重い音が伝わってくる。
さらに。
本当に僅かに。
笑い声。
『ギャハハハハ――』
壁越しで、何を言っているかまでは聞こえない。
しかし。
カポエラには十分だった。
「……いる」
アラタが振り向く。
「分かるのか?」
「親父じゃない」
「何?」
「フールだよ」
カポエラの口元が、ほんの少しだけ上がる。
「あいつの笑い方、聞き間違えない」
それまで張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
少なくともBとフールは、今も戦える状態で生きている可能性が高い。
「なら急ぐぞ」
アラタはすぐに歩き出した。
しばらく進むと、再び巨大な黒銀色の扉が行く手を塞いでいた。
表面には例の六翼の紋章。
その手前にある端末が、六人の接近に反応して青白く光る。
『救援個体接近』
無機質な声が響く。
『記憶封鎖個体――二』
『未登録個体――四』
アラタの眉間に皺が寄る。
「またそれか」
シェルマも同じ表示を見つめる。
「やっぱり俺とお前だけ別扱いだな」
「施設は俺たちを何かとして認識してる」
「なのに名前までは出さない」
「情報が欠けてるのか、それとも別の理由か」
ジェイクが扉へ近づく。
「考えるのはいいが、これ開くのか?」
扉は動かない。
ノブが端末の周囲を調べる。
「ロックされてる」
タカは天井を見上げた。
「上に保守用のダクトがある」
全員が視線を上げる。
人一人が通れる程度の細い開口部。
カポエラが高さを確認する。
「俺なら入れる」
「俺も行ける」
ノブが言う。
「三人で回る」
タカも続けた。
アラタは即座に判断した。
「行け。反対側からロックを解除できるか確認しろ。無理なら戻る。深追いはするな」
「了解」
カポエラは壁を蹴り、突出した配管へ手をかけて一気に身体を引き上げた。ノブとタカもほとんど音を立てずに続く。
三人がダクトへ姿を消した後、アラタ、シェルマ、ジェイクは扉の前で周囲を警戒する。
その時。
シェルマが壁へ視線を向けた。
「アラタ」
「どうした」
「また文字だ」
壁面には先ほどと同じ古い記号が並んでいる。
シェルマは触れずに眺める。
そして。
「……第二避難経路」
言った直後、自分で顔をしかめた。
「またか」
アラタも同じ文字列を見る。
頭の奥が一瞬だけ痛む。
「中央炉方面……」
二人は黙った。
ジェイクが呆れたように二人を見る。
「それ、もう読めてるって言うんじゃねぇのか」
「文字は読めてない」
アラタが答える。
「意味だけが勝手に出てくる」
「余計気持ち悪いな」
「ああ」
シェルマも低く答えた。
少し間を置き、シェルマがアラタへ尋ねる。
「ネオディールは、このことを知ってると思うか?」
アラタはすぐには答えなかった。
ネオディールが出発前に言った言葉。
見覚えのない設備や兵器へ勝手に触るな。
嫌な予感がする。
あの時は単なる警戒だと思っていた。
「……分からん」
アラタは正直に答えた。
「知らないと思いたいけどな」
「俺もだ」
その先は言わなかった。
今ここで答えの出ない疑問を増やしても意味がない。
やがて天井側からカポエラの声が響いた。
「開けられそう!」
「急げ!」
「今やってる!」
内部から何かを外す金属音が聞こえる。
一つ。
二つ。
重いロックが順番に解除される。
やがて黒銀色の扉が低い駆動音とともに開き始めた。
向こう側へ降りたノブとタカが、すぐに通路の奥を確認する。
「戦闘音が近い」
「さっきよりかなり大きい」
カポエラも耳を澄ませる。
今度は壁越しではない。
通路の奥から。
『ギャハハハハハハッ!』
フールの笑い声がはっきりと聞こえた。
カポエラの表情が緩む。
「間違いない。親父たち、この先だ」
アラタは全員へ合図する。
「急ぐぞ」
その直後。
施設全体が大きく揺れた。
足元から伝わってくる振動は、爆発によるものとは違う。もっと巨大な何かが建物そのものへ触れたような、重く長い揺れだった。
シェルマが奥を見る。
「何だ、今の」
ジェイクが武器を握り直した。
「相当でかい何かがいるな」
「だったらなおさら急ぐ」
アラタが走り出す。
六人はその後を追った。
◇
『生命維持系統分離率、七十二パーセント』
中央炉区画へシステム音声が響く。
「七割を超えた!」
テルテルは操作を続けながら声を上げた。
「あと二十八パーセント!」
シノンはすぐに予測値を確認する。
「完了までどれくらい?」
「五分半!」
「生命維持側は?」
「今の低下速度なら危険域まで四分!」
「まだ足りない」
「分かってる!」
テルテルは複数の回路を見比べた。
このまま通常の手順を続ければ、分離が完了するより先に一部の保存対象が危険域へ入る。
だからといって急激に回路を切れば、数千人分の生命維持をまとめて落としかねない。
「……一回だけなら」
テルテルが小さく呟いた。
シノンが聞き逃さない。
「何をする気?」
「人格統合側の供給を一時的に全部止める」
「成功するの?」
「管理権限上はできる」
「権限じゃなくて安全性を聞いてる」
テルテルは答えない。
シノンの目が細くなる。
「成功率」
「……六割くらい」
「却下」
返事は即座だった。
「でも、このままだと生命維持が――」
「四割の確率で数千人まとめて死ぬ可能性がある方法は使わない」
「他に時間を稼ぐ方法がない」
「考えて」
「簡単に言うね」
「あなたなら考えられるでしょう」
テルテルの指が一瞬だけ止まった。
その言葉。
以前にも聞いたことがある。
遥か昔。
白い研究室。
誰か。
同じような口調で。
『あなたなら考えられるでしょう』
記憶は鮮明だった。
テルテルだけは忘れていない。
だからこそ、その続きを思い出すのを止めた。
今は目の前の問題に集中する。
「……まったく」
テルテルは小さく笑った。
「そう言われたら、何か考えないと格好つかないじゃん」
「格好はどうでもいい」
「もう少し乗ってよ」
「方法は?」
「第二補助系統をバイパスにする」
シノンが画面を見る。
「第一捕食体に吸われる前に、外周から直接保存カプセルへ供給を回す?」
「そう。中央炉を経由させるから吸われやすい。だったら一部だけ外周経由で直接送り込む」
「そんな回路、最初からあるの?」
「ない」
「……今作るの?」
「今作る」
シノンは数秒テルテルを見た。
「無茶苦茶ね」
「今さら?」
「手順を教えて」
「右側外周回路の青表示を全部拾って。俺が使えるものを選別する」
「数が多い!」
「頑張って!」
「あなたもね!」
二人は再び作業速度を上げた。
その時。
アルマーが突然声を上げる。
「限界だ!」
白仮面もほぼ同時だった。
「こちらも固定を維持できない!」
次の瞬間、二人が抑え込んでいた空間の歪みが崩れた。
第一捕食体の腕が一気に前へ伸びる。
狙いは変わらない。
タケが持つクライ・オブ・サタン。
「来る!」
レインが叫ぶ。
ハヤッティが反射的にタケの身体を横へ押し出す。
三人がまとめて移動する。
だが。
黒い腕との間にあった距離が一気に消えていく。
六本の指が開く。
タケの手にあるクライへ届く。
その直前。
横方向から強烈な衝撃が飛び込んだ。
黒い腕が大きく軌道を外し、数メートル横へずれる。
「何だ!?」
ハヤッティが振り返る。
中央炉区画へ繋がる通路。
そこに六つの人影が立っていた。
先頭。
アラタ。
武器を構えたまま、周囲の惨状を一度見渡す。
「……随分と派手なことになってるな」
ケンゾーが一瞬だけ目を見開いた。
「アラタ?」
「迎えに来た」
その隣でシェルマも武器を構える。
「全員生きてるみたいだな。なら間に合ったってことでいいか」
ジェイクが黒い腕を見上げた。
「いや、状況だけ見ると全然間に合ってる気がしねぇけどな」
後方からカポエラが飛び込んでくる。
彼の視線は真っ先にBへ向いた。
「親父!」
Bが大鎌を振り、一体の異形を押し返しながら顔を向ける。
「何で来た」
「最初にそれ言う!?」
『ギャハハハハハッ! 坊主じゃねぇか! 生きてたか!』
「それ俺の台詞だよ! フールは相変わらずうるさいな!」
『褒め言葉として受け取っとくぜ!』
「褒めてない!」
Bは息子の姿を一度だけ確認し、怪我がないことを見て取るとすぐに前を向いた。
「無茶するな」
「ネオディールにも同じこと言われた!」
「なら聞け」
「親父が言う?」
『ギャハハ! 似た者親子だな!』
「お前は黙ってろ」
今度はBとカポエラの声が綺麗に重なった。
そんな親子のやり取りにハヤッティが一瞬だけ呆気に取られた。
「何か急に人数増えたんだけど!」
「救援でしょう」
レインが答える。
「それは分かるけど!」
アラタは短いやり取りの間にも戦況を確認していた。
ケンゾーは明らかに負傷している。
Bは複数の異形を相手にしている。
中央ではテルテルとシノンが何らかの作業中。
見覚えのない五人の武装集団とアルマー。
数十人の保存対象。
そして、天井に開いた黒い扉と巨大な腕。
分からないものだらけだ。
なら、分かる人間に聞く。
「シノン!」
「聞こえてる!」
「状況を短く!」
「中央炉の生命維持系統と人格統合回路を分離中! 完了まで五分前後! 天井の化け物は第一捕食体。生命エネルギーを無差別に吸うから直接触らないで! タケの持ってるクライ・オブ・サタンが狙われてる!」
「十分だ!」
アラタは即座に指示を出した。
「シェルマ、ジェイク! ケンゾー側を補強しろ!」
「了解!」
「分かった!」
「カポエラ! タケたちのところへ入れ! クライを奪われるな!」
「どの子!?」
タケが思わず片手を上げる。
「俺です!」
「分かった!」
カポエラがすぐに走る。
「ノブ、タカ!」
双子はすでに左右へ分かれ、区画の構造と敵の位置を確認していた。
「聞いてる」
「指示を」
「テルテルとシノンのところへ向かう敵を全部止めろ! 直接戦わなくていい。近づけるな!」
「了解」
「任せて」
二人は返事をした直後、壁沿いへ散る。
テルテルがその様子を見て僅かに笑う。
「いやぁ、助かるねぇ」
アラタは戦線へ入りながら返した。
「お前には後で全部聞くからな」
「今日それ言われる回数、多くない?」
「当然」
シノンが作業を続けたまま冷たく返す。
その頃、シェルマとジェイクはすでにケンゾーの位置へ入っていた。
シェルマはケンゾーの顔と動きを一度確認しただけで、負傷の程度をある程度察した。
「お前、その身体でずっと戦ってたのか」
「まだ動ける」
「その台詞を元気な奴が言ってるところ見たことないぞ」
『同意します』
ゲシュタルトが即座に答える。
シェルマが僅かに眉を上げた。
「武器にも言われてるじゃないか」
「最近、口うるさい」
『使用者の自己管理能力に問題があるためです』
「だそうだ」
ジェイクが笑う。
「ケンゾー、少し下がれ。右は俺とシェルマで持つ」
「大丈夫か」
シェルマが呆れた顔をした。
「誰に聞いてる。救援に来た俺たちが、お前に守られてどうする」
ジェイクも隣へ並ぶ。
「全部自分でやろうとするな。格好つけるのは回復してからにしろ」
ケンゾーは二人を数秒見た。
そして、ようやく半歩だけ後ろへ下がる。
「助かる」
「最初からそうしろ」
シェルマが前へ出る。
その瞬間だった。
アラタの頭に、鋭い痛みが走った。
「っ……」
同時に。
シェルマも顔をしかめる。
「またか……」
ケンゾーが二人を見る。
「どうした」
アラタは額へ手を当てながら、中央炉の巨大な構造物を見る。
「この施設に入ってから、俺とシェルマだけ妙な反応が出てる」
「妙な反応?」
「施設に言われた」
アラタがケンゾーを見る。
「俺たちは『記憶封鎖個体』らしい」
ケンゾーの表情が変わった。
シノンも操作する手を一瞬だけ止めた。
Bは何も言わないが、視線だけを向ける。
そしてテルテルは。
明らかに反応した。
アラタはそれを見逃さなかった。
「テルテル」
「今は聞かないで」
「お前、知ってるな」
いつもなら誤魔化すところだった。
しかし。
テルテルは今回は逃げなかった。
「知ってる」
アラタの目が細くなる。
「何を」
「君たちが今思い出そうとすると危ないってことを」
シェルマもテルテルを見る。
「俺たちが何か忘れてることも知ってたのか」
「知ってた」
「それをずっと黙ってた?」
「そうだよ」
テルテルは端末から手を離さないまま答えた。
声は普段よりずっと低い。
「だから信用しろとは言わない。でも今ここで思い出そうとするのだけはやめてほしい。ケンゾーも、シノンも、Bも同じように封鎖が壊れかけてる。刺激が重なれば何が起きるか分からない」
アラタはしばらく何も言わなかった。
いつものテルテルなら、もっと軽く誤魔化す。
今は違う。
本気で止めている。
「……分かった」
やがてアラタが答えた。
「今は聞かない」
「助かる」
「ただし、終わったら全部聞く」
「それでいいよ」
シェルマも短く頷いた。
「俺も同じだ。今は先にこっちを片づける」
その直後、システム音声が響く。
『生命維持系統分離率、七十八パーセント』
テルテルが顔を上げた。
「あと二十二パーセント!」
アラタが即座に聞く。
「完了まで?」
「今の速度なら三分ちょっと! バイパスが安定すればもっと縮む!」
「分かった。三分持たせる」
第一捕食体の巨大な腕が再び動き出す。
今度はタケへ向かう進路上に、カポエラが立った。
「これがクライを狙ってる奴?」
タケが頷く。
「はい。でも触らない方がいいです。生命エネルギーを吸われるらしくて」
「蹴るのも駄目?」
「多分駄目です!」
「俺の戦い方ほぼ封じられてるじゃん」
ハヤッティが思わず言う。
「こっちは最初からそんな感じです!」
「仲間だな!」
「喜びたくない!」
Bが遠くから声を飛ばした。
「カポエラ、無理に前へ出るな」
「分かってる!」
「本当に?」
「多分!」
「下がれ」
『ギャハハハハ! 完全に親子だな!』
フールの笑い声が再び戦場へ響く。
その瞬間。
第一捕食体の指先に赤黒い光が集まり始めた。
レインが誰より早く反応する。
「来るわ!」
アラタが振り向く。
「どこだ!」
レインは一瞬だけ動きを止める。
自分でも説明できない感覚。
だが、結果だけは身体が知っている。
「右側を広く空けて!」
アラタは迷わなかった。
「全員、右から離れろ!」
救援隊を含め、戦場にいる者たちが一斉に動く。
直後。
赤黒い光線が右側の床を薙いだ。
そこにあった金属が白く変色し、生命エネルギーを失ったように崩れ落ちる。
アラタはその現象を見ながらレインへ声を飛ばす。
「次も分かるか!」
「多分!」
「十分だ! 全員、レインの声を優先して動け!」
レインが一瞬だけ驚く。
「私が指示するの?」
「攻撃が来る場所を一番先に分かるのはお前なんだろ!」
「……そうみたいね」
「なら頼む!」
第二射。
レインが左を見る。
「次は中央寄り! 五秒以内!」
「散開!」
アラタの号令で全員が動いた。
五秒も経たないうちに光線が中央を通過する。
誰にも当たらない。
それまでバラバラに戦っていた前線が、救援隊の到着によって少しずつ一つの形へまとまり始める。
アラタが全体の位置を整理し、シノンが中央炉側から敵の数と動きを更新する。ケンゾーとBが重い個体を押さえ、シェルマとジェイクがケンゾーの負担を減らす。ノブとタカは戦線の隙間を移動し、テルテルたちへ向かおうとする敵だけを的確に止めていた。
カポエラはタケたちの近くへ入り、第一捕食体と直接接触しない範囲で、周囲から近づいてくる保存対象や失敗作を蹴り飛ばして進路を確保する。
「親父!」
カポエラが一体を壁際へ押しやりながら叫んだ。
「何だ」
「後でちゃんと説明してよ!」
「何を」
「全部!」
「俺も知らん」
「じゃあ誰が知ってんの!」
テルテルが遠くから手を上げる。
「多分俺!」
「じゃああんたも逃げないでね!」
「今日は逃げる予定ないよ!」
アラタが呆れたように叫ぶ。
「喋る余裕がある奴は手を動かせ!」
「動かしてる!」
複数の声が返った。
ケンゾーはそのやり取りを聞きながら、ほんの僅かに口元を緩めた。
ついさっきまで、自分たちだけで持たせるしかなかった戦線。
今は違う。
援軍が来た。
負傷した自分の穴を埋めてくれる人間もいる。
まだ危険な状況であることに変わりはないが、少なくとも「全員で帰る」という言葉が、さっきより現実味を持ち始めていた。
「遅かったな」
ケンゾーが隣へ来たアラタへ言う。
アラタは正面を見たまま答える。
「迎えに来てもらって文句言うな」
「文句じゃない」
「じゃあ感謝しろ」
「助かった」
アラタが一瞬だけ横を見る。
「素直すぎて気持ち悪いな」
「傷のせいかもな」
「それなら早く休め」
「終わったらな」
「結局それか」
二人の会話を遮るように、中央炉から大きな警告音が響いた。
『警告』
全員の視線が一瞬だけ天井へ向く。
『第一捕食体接続率、三十四パーセント』
『接続率四十パーセント到達時、実体転送工程へ移行します』
テルテルの表情が変わる。
「待って。四十で本体側の転送が始まる?」
『肯定』
シノンが数値を確認する。
「今三十四パーセント。上昇速度は?」
『毎分四・一パーセント』
アラタがすぐに計算する。
「一分半もないな」
「そうなるね」
テルテルは端末を見る。
生命維持系統の分離率は七十八パーセント。
順調に進んでも、完了まで三分前後。
明らかに間に合わない。
シノンが低く聞く。
「方法は?」
テルテルはすぐには答えなかった。
第一捕食体。
中央炉。
そして。
タケの手の中にあるクライ・オブ・サタン。
三つを順番に見る。
タケがその視線に気づく。
「……何ですか」
テルテルが僅かに顔をしかめた。
「一つだけ、時間を稼げる可能性がある」
「俺がやるんですか」
「正確には君じゃない」
テルテルの視線がクライへ落ちる。
「クライ・オブ・サタンを使う」
タケも自分の武器を見る。
黒赤い銃身に走る細い光が、まるでその言葉へ反応するかのようにゆっくりと脈打った。
『提案内容を予測』
「まだ何も言ってないよ」
『対象との接続構造から推定可能』
テルテルの表情がさらに険しくなる。
「だったら分かってるよね。かなり危険だ」
『肯定』
タケが二人を交互に見る。
「何をする気なんですか」
テルテルは一度だけ息を吐いた。
「第一捕食体はクライを欲しがってる。でも、まだ直接奪えてない。つまり向こうとクライの間には、完全には繋がっていない接続経路が残ってる」
「それをどうするんです?」
「逆に使う」
シノンがすぐに意味へ気づいた。
「まさか、クライ側から接続を開いて、向こうの生命エネルギーを吸わせる気?」
タケの顔色が変わる。
「それ大丈夫なんですか?」
テルテルは答えるまでに少し間を置いた。
「全然大丈夫じゃない」
クライが静かに続ける。
『当機保有エネルギー、現在八十六パーセント』
『第一捕食体から直接吸収を実行した場合、極短時間で上限到達する可能性が高い』
ハヤッティが顔をしかめる。
「それ、百パーセント超えたらどうなる」
『不明』
「今日それ多くないか!?」
レインはタケを見る。
「やるなら、吸うだけじゃ駄目でしょう。すぐ満杯になるわ」
テルテルが頷く。
「だから同時に吐き出す必要がある」
タケも理解する。
「吸いながら撃つ?」
「そう。捕食体から吸って、別方向へ捨てる。クライを一時的な迂回路にする」
ケンゾーが会話へ割り込んだ。
「タケへの負担は」
テルテルは黙った。
それだけで答えになっている。
「どれくらいだ」
「分からない」
「最悪は」
「クライが制御を失う。タケの生命エネルギーまで吸い始める可能性もある」
その言葉で周囲の空気が変わった。
タケは自分の手の中にあるクライを見つめた。
以前。
この武器は自分の命令を無視しかけた。
高密度の生命エネルギーを前にして、自動的に吸収を続けようとした。
ついさっきも地下からの接続要求に反応した。
しかし今回は。
命令を聞いた。
絶対に応じるな。
その言葉に従った。
「クライ」
『待機中』
「俺が途中で止めろって言ったら」
『停止命令を優先』
「本当に?」
一瞬だけ沈黙。
『過去命令を記録済み』
タケは小さく息を吐いた。
完全に信用できるわけではない。
それでも。
「やります」
ケンゾーがすぐに言う。
「待て」
「でも時間ないですよね」
「危険が大きすぎる」
「分かってます」
「分かってない。死ぬ可能性もある」
タケはケンゾーを見る。
憧れていた人。
ずっと背中を追ってきた。
今も傷だらけになりながら前線を守っている。
「ケンゾーさんがさっき言ったじゃないですか」
「何を」
「全員で帰るって」
ケンゾーは黙る。
「だったら俺も、その全員に入ってるんですよね」
「当たり前だ」
「じゃあ、俺にも守らせてください」
タケの声は震えていた。
怖くないわけではない。
第一捕食体に繋ぐ。
クライが暴走するかもしれない。
自分自身が吸われるかもしれない。
怖い。
それでも。
「ここで何もしなかったら、カプセルの人たちも、俺たちも危ない。だったらやります」
レインがタケを見る。
「無理だと思ったら私が止めるわ」
ハヤッティも隣へ並んだ。
「俺も固定する。前みたいに吹っ飛ばされるなよ」
「前もお前が支えてたよな」
「じゃあ今回も同じだ」
カポエラが三人を見る。
「俺も周りの敵を近づけないようにする」
タケが驚いて彼を見る。
「いいんですか」
「ここまで来て見てるだけの方が嫌だろ」
Bが遠くから言う。
「無茶はするな」
カポエラが笑う。
「親父、今それタケにも言ってやって」
「タケ」
「はい!」
「無茶するな」
「この状況で!?」
『ギャハハハハハッ! 正論だが無理があるな!』
ほんの一瞬だけ笑いが起きる。
そして。
テルテルが表情を引き締めた。
「準備するよ」
タケはクライを構える。
第一捕食体の巨大な腕。
黒い扉。
その向こう側。
まだ見えない本体。
接続率。
三十五パーセント。
四十まで、ほとんど時間がない。
「吸収は最初〇・五秒だけ」
テルテルが指示する。
「クライがどれだけ持っていくかを見る。絶対に最初から全開にしない」
「了解」
「排出先は?」
シノンが聞く。
テルテルは天井の黒い扉とは反対側、中央炉上部にある広い空間を示した。
「さっきタケが放出した場所。構造上、一番設備が少ない」
「出力補正は私が見る」
「お願い」
ハヤッティはタケの背後へ回り、グシオンを固定モードへ切り替える。
『使用者神経負荷、六十二パーセント』
「まだ行ける」
『推奨値超過』
「今だけ持たせろ」
『……了解』
レインはタケの右側へ立った。
「何か変だと思ったら言うわ」
「俺より先に気づきそう」
「多分ね」
「そこは自信あるんだ」
「こういう時くらい役に立たせて」
カポエラも周囲へ視線を配る。
「近づいてくる奴は俺が止める」
アラタは全体を確認しながら声を上げる。
「それ以外は今まで通り防衛! タケたちのところへ敵を通すな!」
「了解!」
シェルマとジェイクが正面を固める。
Bはフールを大きく構え直した。
ノブとタカは左右の死角へ消える。
ケンゾーも負傷した身体でゲシュタルトを盾へ変え、タケの方角へ敵が向かわないよう戦線をずらした。
テルテルが端末へ手を置く。
「クライ、第一捕食体との接続要求を逆利用できる?」
『可能性あり』
「受け入れるんじゃない。吸収経路だけ開く」
『理解』
「タケの命令を最優先」
『了解』
タケは深く呼吸する。
クライを両手で握る。
「行ける?」
『実行可能』
「じゃあ……やるぞ」
黒い扉の向こう側で、巨大な目が再び動いた。
こちらを。
いや。
クライだけを見ている。
その瞬間。
地下深部から聞こえたものと同じ声が、今度は黒い扉の向こうから直接響いた。
「――返せ」
タケの背筋が震える。
だが。
逃げない。
「返さない」
自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。
クライの銃身に赤黒い光が走る。
「俺が使う」
一拍置いて。
クライが答えた。
『命令を受諾』
テルテルが叫ぶ。
「接続開始!」
第一捕食体とクライの間に、赤黒い一本の光が走った。