第一捕食体とクライ・オブ・サタンの間を繋いだ赤黒い光は、現れた瞬間から激しく明滅を始めた。
それは単純なエネルギーの流れには見えなかった。黒い扉の向こう側から押し込まれてくる暗い赤色と、クライの内部から伸びるより濃い黒赤色が一本の線の中でせめぎ合い、ときおり火花のような光を周囲へ散らしている。タケは両手で銃身を押さえながら歯を食いしばった。引き金にはまだ触れていない。それにもかかわらず、腕を通して何か巨大なものを引きずり込んでいるような負荷が伝わってくる。
『吸収経路確立』
クライの声は普段と変わらず低く、感情の薄いものだった。
『吸収開始まで三秒』
「待て! 〇・五秒って言ってただろ!」
テルテルが叫ぶ。
『使用者命令待機中』
「タケ、合図するまで絶対に始めないで!」
「分かってます!」
タケは答えながらも、クライが自分の命令を待っていることに僅かな安心を覚えた。以前なら、高密度の生命エネルギーを前にしただけで自動的に吸収を始めようとしていた。今も銃身は激しく震え、内部には明らかに強い欲求のような挙動がある。それでも、少なくとも今は勝手に動いてはいない。
テルテルは端末へ視線を落とし、クライと第一捕食体の間に形成された接続経路を確認した。表示されている情報の半分以上はエラーや解析不能を示しているが、赤黒い光が一方通行になっていないことだけは分かる。第一捕食体はクライを引き寄せようとしている。それを逆に利用し、向こう側から生命エネルギーだけを奪い取る。理屈としては成立するが、問題は流れ込んでくる量だった。
「シノン、排出先の確認!」
「上部空間、現在クリア。構造物まで最短二十七メートル。角度を三度以上右へずらすと配管に当たるから、照準は私が補助する」
「タケ、聞こえた?」
「はい!」
「最初は〇・五秒だけ吸う。どんなにクライが続けたがっても、〇・五秒で切る。その直後に上へ捨てる」
テルテルはそこで一度言葉を切り、タケをまっすぐ見た。
「クライが命令を聞かなかったら、すぐ手を離して」
「でも、それだと――」
「武器より君の方が大事だから」
冗談のない声だった。
タケは数秒だけテルテルを見返したが、やがて頷いた。
「分かりました」
「ハヤッティ、固定は?」
「できてる!」
ハヤッティはタケの背後に立ち、グシオンの両脚から伸びた固定杭を床へ食い込ませていた。両腕でタケの肩と腰を支え、反動がどちらへ逃げても押さえられる姿勢を作っている。
『使用者神経負荷、六十四パーセント』
「まだ上がったのかよ」
『固定出力最大運用による増加』
「壊れる前に言えよ」
『現在は破損予測域外』
「その言い方は怖いんだって!」
その横では、レインが黒い扉とタケを交互に見ていた。第一捕食体が次に何をするのか、自分でも説明できない感覚を頼りに探っている。
「今のところ、撃ってくる感じはないわ」
アラタが聞き返す。
「今のところ?」
「接続が始まったせいで、意識が全部クライに向いてるみたい。少なくともさっきみたいな光線はすぐには来ないと思う」
「十分だ」
アラタは即座に前線へ視線を戻した。
「全員、今のうちに戦線を押し返せ! タケの周囲に敵を近づけるな!」
シェルマとジェイクが前へ出る。
第一捕食体から逃れようとしている失敗作たちは、中央炉外周へ密集するようになっていた。そこへアラタが位置を指定し、シェルマが右側、ジェイクが中央を押さえる。負傷しているケンゾーは一歩後ろへ下がりながらも、ゲシュタルトを射撃形態へ変えて二人の間を抜けようとする敵だけを狙った。
「シェルマ、右から一体抜ける!」
「見えてる!」
シェルマは正面の敵へ撃ち込みながら身体を横へ滑らせ、突進してきた異形の膝へ狙いを変えた。弾丸を一点へ集中させて関節の動きを鈍らせると、ジェイクが横から肩をぶつけて姿勢を崩す。
「ケンゾー!」
「任せろ」
ゲシュタルトの銃身から短い衝撃弾が飛び、異形の胸部を真正面から撃ち抜いた。破壊するための威力ではない。重心だけを後ろへ飛ばし、戦線から押し戻す。
『使用者、射撃時の上半身動揺増加』
「補正してくれ」
『実施中。なお休息を推奨』
「終わったらな」
『その回答は十二回目です』
シェルマが近くでそれを聞いて苦笑した。
「数えられてるぞ」
「ゲシュタルトが細かいだけだ」
『使用者が聞かないためです』
「武器の方が正しいな」
「お前までそっちにつくのか」
「今のお前を見てたらな」
ケンゾーは返事をしなかったが、無理に前へ出ることもやめた。アラタたちの到着で、自分だけが穴を埋め続ける必要はなくなった。身体はまだ戦えると訴えているが、それが錯覚に近いことも理解している。これ以上大きな一撃を受ければ、今度こそ立てなくなる可能性が高かった。
一方、Bはフールの大鎌を振るいながら左側を押さえていた。その近くではカポエラが失敗作の攻撃を避け、直接第一捕食体に触れない範囲で敵の進路を蹴りによって変えている。
「親父、そっち二体!」
「見えてる」
『ギャハハハハッ! せっかく息子が教えてくれてんだから感謝くらいしろよ!』
「余計なこと言うな」
「別に感謝してほしいわけじゃないけどさ!」
『照れてやがる! 親子揃って面倒くせぇ!』
カポエラはフールの声を無視し、前方から飛び込んできた異形の腕を低い姿勢でかわした。そのまま床に片手をつき、後ろ回しに近い軌道で足を振る。蹴りは頭部ではなく脇腹へ当たり、相手を数歩横へ押し出した。
「こいつら硬いな!」
「正面から倒そうとするな」
Bが大鎌の柄で別の一体を止めながら言う。
「動きをずらせば十分だ」
「分かってるけど、親父が言うと説得力ないんだよな」
「何でだ」
『お前いっつも斬ってるからだろ!』
「必要だからだ」
「ほら」
『ギャハハハハハッ!』
その騒がしい声を背中で聞きながら、タケは深く息を吸った。
目の前では、黒い扉から伸びる赤黒い接続線が不規則に揺れている。クライの銃身へ流れ込もうとする力が強くなり、指先が痺れ始めていた。
「テルテルさん」
「準備できてる」
「やります」
「〇・五秒だけ。俺が止めろって言ったら、君も同時に命令する」
「了解」
テルテルは端末上の計時を起動した。
「三、二、一……開始!」
「クライ、吸え!」
『吸収開始』
瞬間。
タケの身体が後ろへ引かれた。
「うわっ!」
「踏ん張れ!」
ハヤッティが背後から支える。
吸収しているはずなのに、感覚としては巨大な奔流がクライへ叩き込まれているようだった。赤黒い光が一気に太くなり、銃身を走る線が真紅に近い色へ変わる。
『保有エネルギー八十八パーセント』
ほんの一瞬。
『九十一パーセント』
「早すぎる!」
『九十五パーセント』
「止めろ!」
テルテルが叫ぶ。
「クライ、停止!」
タケも同時に命令する。
『吸収停止』
接続線が一気に細くなった。
「今、上へ撃て!」
「シノンさん!」
「照準補正、右一・二度。仰角七十一!」
タケはクライを上へ向けた。ハヤッティが背後から銃身の動きを支え、レインも咄嗟にタケの右腕へ手を添えて照準のぶれを抑える。
「撃つ!」
『排出』
轟音が中央炉区画を揺らした。
黒赤い光柱が天井近くの空間を突き抜ける。先ほどの低出力放出とは比較にならない。光は数十メートル先まで伸び、空気そのものを震わせながら徐々に消えていった。
『保有エネルギー七十七パーセント』
「十二パーセントしか減ってない!」
タケが驚く。
テルテルはすぐに数値を確認した。
「でも向こうの接続率は下がった!」
シノンが表示を読む。
「三十五・六から三十三・九!」
「効いてる!」
アラタが声を上げる。
「どれくらい稼げた!」
テルテルは上昇速度を再計算する。
「まだ分からない。でも少なくとも四十パーセント到達は二分以上先に延びた!」
「分離は?」
『生命維持系統分離率、八十一パーセント』
「あと十九!」
初めて数字上でも間に合う可能性が見え始めた。
だが。
喜ぶには早かった。
第一捕食体の巨大な目が、黒い扉の向こうで細くなる。
それまでクライを取り戻そうとしていただけの動きが変わった。
レインが真っ先に反応した。
「……怒った」
ハヤッティが横を見る。
「分かるのか?」
「分かるというより……そう感じる」
タケも黒い扉を見上げた。
「俺もそんな気がする」
直後、クライが警告する。
『外部接続要求変質』
「変質?」
『吸収ではありません』
「じゃあ何だ」
『強制書き込み』
タケの表情が固まる。
「何を?」
『不明』
テルテルが一瞬で顔色を変えた。
「全部拒否!」
「クライ、受けるな!」
『拒否処理開始』
赤黒い接続線の中を、今度は向こう側から黒い模様のようなものが走ってきた。
それはエネルギーではない。
情報。
命令。
あるいは記録。
クライの銃身に浮かんでいた赤い線が、徐々に黒へ変わり始める。
『外部命令侵入率、一パーセント』
「一パーセント入ってるじゃん!」
「クライ、切れ!」
『接続切断を試行』
『失敗』
タケの背筋が冷たくなる。
「テルテルさん!」
「俺にも見えてる!」
テルテルは端末上で接続経路を強制遮断しようとする。しかしクライと第一捕食体の繋がりは施設側の回路を通っていない。テルテルが持つ管理権限では触れられなかった。
「ハヤッティ、タケごと後ろへ引いて!」
「分かった!」
ハヤッティがグシオンの固定杭を解除し、タケの身体を後ろへ引く。しかし接続線は伸びるだけで切れない。
レインが黒い線を見ながら声を上げる。
「これ、距離じゃない!」
「分かってる!」
「違う、そうじゃなくて……クライの中に何か入ろうとしてる!」
タケは両手へ力を込めた。
「クライ!」
『拒否処理継続』
『外部命令侵入率、三パーセント』
「頑張れよ!」
『実行中』
その声には感情などない。
それでもタケには、クライが必死に抵抗しているように聞こえた。
ケンゾーが戦線越しに状況を見る。
「ゲシュタルト、接続を切れないか」
『解析中』
「急げ」
『クライ・オブ・サタン内部への直接干渉は推奨されません』
「推奨じゃなく、できるか聞いてる」
『可能性あり。ただし当機とクライ双方の封鎖領域が接触する恐れがあります』
ケンゾーの表情が僅かに変わった。
「記憶封鎖か」
『可能性があります』
テルテルが聞き取った。
「それは駄目!」
「他にあるか」
「考える!」
「侵入率は上がってるぞ」
『五パーセント』
タケの手の中でクライが強く震えた。
その瞬間。
頭の中へ。
自分のものではない映像が流れ込む。
巨大な黒い空間。
数え切れないほどの赤い光。
何かを引き裂いている巨大な影。
そして、クライに似た黒赤い武器を持つ誰か。
顔は見えない。
声だけ。
『捕食を止めるな』
タケの呼吸が止まる。
「……っ」
「タケ?」
レインがすぐに気づいた。
「何か見えた?」
「知らない……誰かが……」
テルテルが強く叫ぶ。
「見ようとするな! 流せ!」
「でも!」
「それは君の記憶じゃない!」
タケは目を閉じた。
見える映像を追いかけるのをやめる。
「クライ! 俺に流すな!」
一瞬の間。
『……了解』
映像が途切れた。
テルテルが思わず顔を上げる。
以前のクライなら、これほど素直に情報経路まで閉じることはできなかったはずだ。
「タケ、そのまま命令を続けて!」
「クライ、向こうから来るもの全部拒否しろ! 俺にも流すな!」
『命令更新』
『拒否優先度、最大』
クライの銃身を覆っていた黒い模様が止まった。
『外部命令侵入率、六パーセント』
そこから増えない。
「止まった!」
シノンが叫ぶ。
「でも切れてない!」
その時だった。
戦場の反対側で、ノブが天井を見上げた。
「タカ」
「見えてる」
二人はほぼ同時に移動する。
黒い接続線は一直線ではなかった。途中でほんの僅かに中央炉上部の古い制御リングへ触れている。
タカがそこを指差す。
「経由してる」
ノブも頷く。
「完全な直接接続じゃない」
「中継点?」
アラタが尋ねる。
「多分」
「壊せるか」
双子は数秒だけ構造を見る。
「壊すと中央炉へ影響する可能性」
「でも切り離すだけなら」
「できるかも」
テルテルが即座に端末で位置を確認した。
「待って! そこ、第六制御輪の外部接続端子だ!」
シノンが続ける。
「切ったら?」
「通常なら外部設備との通信が死ぬだけ!」
「通常なら、ってのが怖いけど!」
ハヤッティが叫ぶ。
「今は通常じゃないことしか起きてないだろ!」
「それもそうだね!」
アラタは迷わなかった。
「ノブ、タカ。やれ!」
「了解」
「切る」
双子が左右から中央炉の構造物へ走る。
その進路へ一体の失敗作が飛び込んできた。
シェルマがすぐに反応する。
「行かせるか!」
肩関節へ射撃を集中させ、敵の腕を下げる。そこへジェイクが身体ごとぶつかり、通路から押し出した。
「今だ!」
ノブとタカは速度を落とさない。
二人は中央炉外周の支柱を使って上へ飛び、制御リングへ取りついた。赤黒い接続線が触れている箇所には、古い端子が青白い光を放っている。
「ロック二重」
ノブが確認する。
「機械式と電子」
タカが短剣を差し込む。
「電子は死んでる」
「なら機械だけ」
二人は同時に別方向から留め具を外す。
一つ。
二つ。
最後の固定具が外れた瞬間。
「落とす!」
端子そのものを引き抜いた。
赤黒い接続線が弾けた。
クライが大きく震える。
『外部接続切断』
タケは息を吐いた。
「切れた……」
第一捕食体の向こうから。
低い。
地響きのような声。
「――返せ」
今までより明確な怒気があった。
タケは肩で呼吸しながら黒い扉を見る。
「だから、返さないって」
『保有エネルギー七十七パーセント』
「そっちは妙に冷静だな」
『命令待機』
タケはほんの少しだけ笑った。
「じゃあ次も頼む」
『了解』
その時、テルテルの端末から別の通知音が鳴った。
『生命維持系統分離率、八十六パーセント』
「八十六!」
シノンがすぐに確認する。
「バイパスも安定してる!」
「完了まで?」
「二分切った!」
アラタが聞く。
「第一捕食体の接続率は!」
『三十四・二パーセント』
先ほどクライが吸収したことで下がった数値は、ゆっくりと再び上昇している。
「上昇速度は?」
『毎分三・七パーセント』
テルテルは計算する。
「四十まで一分半くらい!」
「まだ足りないな」
アラタが低く言った。
シノンも同じ結論に達していた。
「あと三十秒から四十秒必要」
「もう一回クライで吸う?」
タケが聞く。
テルテルはすぐには答えなかった。
「できなくはない。でも今度は向こうも同じ手を警戒してる」
第一捕食体の六本の指が動き始める。
今度はクライへ手を伸ばさない。
それぞれの指先にある口が別々の方向へ開いた。
レインの表情が変わる。
「まずい」
アラタが振り向く。
「何が来る」
「一発じゃない」
「数は?」
レインは目を細め、呼吸を整えた。
「……六つ」
直後。
六本の指先すべてに赤黒い光が集まった。
「散開!」
アラタの指示より僅かに早く、レインが声を上げる。
「一番右はBさん! 二本目は中央炉! 三本目はタケ! 残り三本は保存カプセル側!」
アラタの顔色が変わる。
「保存カプセルを狙う気か!」
「違う!」
レインは首を振った。
「多分、食うために壊す!」
第一捕食体にとって、カプセルの中にいる者たちは敵ですらない。
ただの食料だった。
「B!」
「聞こえた」
Bはフールを大鎌から大型盾に近い形状へ変形させようとする。
『待て! あの光は受けたら俺まで吸われるぞ!』
「受けない」
『じゃあどうすんだ!』
「逸らす」
『無茶言うな!』
Bはフールの柄を長く伸ばし、光線そのものではなく発射直前の指先へ横から衝撃を与える構えを取った。
中央炉を狙う二本目には、灰色の巨漢と盾男が入る。
「直接受けるな!」
シノンが叫ぶ。
「照準をずらすだけでいい!」
「分かってる!」
巨大盾の男は青い障壁を正面に張るのではなく、斜めに展開した。その横から灰色の巨漢が圧力波を叩き込み、第一捕食体の腕自体を数センチだけ押そうとする。
タケを狙う三本目。
カポエラが前へ出かける。
しかしBが叫んだ。
「前へ出るな!」
「でも!」
「レインに任せろ!」
レインはすでにタケの腕を掴んでいた。
「三歩左。その後すぐ後ろ」
「分かった!」
「ハヤッティ、合わせて!」
「了解!」
三人が同じタイミングで動く。
残る三本。
保存カプセル。
ケンゾーがそちらを見る。
「アラタ」
「分かってる!」
アラタは全体へ指示を飛ばす。
「シェルマ、ジェイク、カプセル側へ! ノブとタカも戻れ! 光線を受けるな、腕の向きを変えろ!」
シェルマとジェイクが走る。
ノブとタカは中央炉上部からそのまま別の支柱へ飛び移り、第一捕食体の腕に直接触れず、天井構造へ取りつく。
六つ。
同時。
発射される。
Bは一射目が放たれる直前、フールの長い柄を指の付け根へ叩きつけた。接触は一瞬だけ。フールの表面から紫色の光が僅かに吸われたものの、狙いは横へずれた。
『うおおおおッ! 吸われた! ちょっと吸われたぞテメェ!』
「騒ぐな」
『痛ぇもんは痛ぇんだよ!』
赤黒い光線はBの横を通り、空の床面を白く崩壊させる。
二射目。
盾男の斜め障壁へ触れた瞬間、青い光が急激に薄くなった。しかし灰色の巨漢が同時に圧力を叩き込み、腕の角度が僅かに外れる。光線は中央炉の外周を掠め、主構造を外した。
三射目。
タケたちはレインの指示通り三歩左へ移動し、直後に後ろへ跳ぶ。
赤黒い光線が最初の移動先を追うように薙いだ。
「追ってきた!」
タケが叫ぶ。
「だから二回動いたの!」
レインはすでに次の位置へ移っている。
「なるほど!」
「感心してる場合じゃない!」
四射目から六射目。
保存カプセル側。
一本目へシェルマが射撃を集中し、指先の口の周囲へ弾丸を叩き込む。破壊はできない。しかし発射姿勢が僅かに乱れた。
「ジェイク!」
「行ってる!」
ジェイクが近くの崩れた装甲板を持ち上げ、腕ではなく天井から垂れ下がる古い構造材へ投げつけた。構造材が落下し、光線の進路へ一瞬だけ入り込む。赤黒い光はそれを瞬時に白化させたが、その間に照準が僅かに外れた。
五射目はノブとタカが処理した。
二人は第一捕食体へ攻撃せず、天井近くの古い配管を同時に切断する。落下した太い金属管が指とカプセルの間へ入り、光線を受けて崩壊した。完全に止めることはできなかったが、数秒の遅延で狙いがずれた。
最後の六射目。
カプセルの列。
間に合わない。
ケンゾーは反射的に前へ出ようとした。
『使用者、停止を推奨』
「間に合わない」
『当機による接触防御は生命エネルギー流出リスクあり』
「それでも――」
「ケンゾー!」
アラタが横から肩を掴んだ。
同時に。
シェルマが叫ぶ。
「そこは俺がやる!」
ケンゾーが振り向いた時、シェルマはすでにカプセル列の前へ走り込んでいた。
ただし、身体で受けるためではない。
床に落ちていた失敗作の大きな外殻片を蹴り上げる。ジェイクもすぐに意図を理解し、反対側から銃撃を加えて外殻片の軌道を修正した。
赤黒い光線が外殻片へ命中する。
外殻は瞬時に生命エネルギーを抜かれ、白く変色して崩れた。
その向こう。
わずかに残った光がシェルマの肩を掠める。
「シェルマ!」
アラタが叫ぶ。
シェルマの戦闘服の肩口が一瞬で色を失い、繊維がぼろぼろと崩れた。
だが皮膚までは深く届いていない。
シェルマは咄嗟に後ろへ転がり、そのまま距離を取る。
「大丈夫だ!」
「本当に?」
「掠っただけだ!」
ジェイクが駆け寄り、肩を確認する。
「皮膚ちょっと白くなってるぞ」
「動く」
「痛みは?」
「少し痺れる程度だ」
シノンが遠くから声を飛ばす。
「後で必ず診る! 今は直接もう受けないで!」
「言われなくても分かってる!」
アラタはシェルマが立てていることを確認すると、すぐ戦況へ意識を戻した。
「全員無事か!」
「こっちは平気!」
タケが答える。
「フールはちょっと吸われたぞ!」
『ちょっとじゃねぇ! 俺の大事な紫が減った!』
Bが冷静に言う。
「稼働率は」
『九十三パーセント』
「十分だ」
『扱い雑すぎんだろ!』
その時。
『生命維持系統分離率、九十一パーセント』
テルテルが端末を見る。
「九十一!」
シノンも数字を確認する。
「あと九パーセント! 完了予測、五十八秒!」
第一捕食体。
『接続率、三十七・一パーセント』
アラタが即座に尋ねる。
「四十まで!」
「四十七秒前後!」
足りない。
わずか十一秒。
だがその十一秒が、数千人の命と第一捕食体の実体化を分ける。
タケはクライを見る。
「もう一回やる」
テルテルが顔を上げる。
「さっきより短くする」
「〇・三秒?」
「それでいいです」
「危ないよ」
「でも十一秒なら、少し下げるだけで足りるでしょう」
テルテルは迷った。
クライの保有量は七十七パーセント。
一度目より余裕がある。
ただし第一捕食体が情報侵入を仕掛けてきた以上、二度目はもっと危険かもしれない。
「タケ」
ケンゾーが呼ぶ。
タケが振り向く。
「はい」
「命令を聞かなかったら、すぐ捨てろ」
「分かってます」
「絶対だ」
タケは一瞬だけ笑った。
「ケンゾーさん、さっきテルテルさんと同じこと言ってますよ」
「それだけ重要なんだ」
「……了解」
レインがタケの横へ戻る。
「私も見る」
ハヤッティもグシオンの固定杭を再展開した。
「また支えるぞ」
「お前、大丈夫か?」
「俺の方が言いたい。さっきからお前ばっかり危ないことしてるだろ」
『使用者神経負荷、六十八パーセント』
「ほら、グシオンもまだ動けるって言ってる」
『その解釈は不正確』
「今はそれでいい!」
カポエラも近くの敵を蹴り飛ばしながら叫ぶ。
「周りは任せろ!」
テルテルが端末の計時を開いた。
「〇・三秒。それ以上は絶対にやらない」
「はい」
「排出はすぐ」
「はい」
「クライ」
『待機中』
「外部情報は一切受け入れるな。吸収路だけ開ける」
『了解』
タケは黒い扉を見上げる。
第一捕食体の巨大な目が、じっとこちらを見ている。
先ほどより明確に。
敵意を持って。
「……やるぞ」
クライを構える。
「三、二、一!」
「吸え!」
『吸収開始』
赤黒い線が再び繋がった。
今度は最初から凄まじい勢いだった。
『保有エネルギー八十一パーセント』
「もう四上がった!」
『八十六パーセント』
「止めろ!」
「クライ、停止!」
『吸収停止』
〇・三秒。
それだけで九パーセント近く増えた。
「上!」
シノンが照準を補正する。
「前より二度左! 撃って!」
「排出!」
クライから黒赤い光柱が放たれる。
反動でタケの身体が大きく後ろへ押されたが、ハヤッティが全身で支え、レインも横から腕を押さえた。
『保有エネルギー七十三パーセント』
テルテルが第一捕食体の数値を見る。
「接続率三十五・八まで下がった!」
「足りたか!」
アラタが聞く。
シノンが分離進捗と比較する。
『生命維持系統分離率、九十四パーセント』
「これなら間に合う!」
初めて。
本当に。
間に合う。
テルテルは端末へ両手を戻した。
「あと六パーセント! シノン、最後の同期!」
「やってる!」
「第九接続を外す!」
「確認!」
「第十一!」
「解除!」
中央炉の青白い光が大きく揺れた。
壁面に並ぶ保存カプセルの表示が、一斉に黄色から青へ変わっていく。
人格統合体。
色のない瞳。
初めて。
僅かに表情が変わる。
「分離……される」
テルテルがそちらを見た。
「そうだよ」
「なぜ」
「何が?」
「なぜ、器を戻す」
テルテルは手を止めなかった。
「人間だから」
「効率的ではありません」
「そうだね」
「統合した方が、より完全になります」
「それも君たちの理屈ならそうかもね」
テルテルは最後の回路を確認する。
「でも俺たちは、そういう完全さを一回選んで失敗したんだよ」
その言葉。
ケンゾー。
シノン。
B。
アラタ。
シェルマ。
何人かが僅かに反応する。
だがテルテルはすぐに続けた。
「だから今回は、それぞれでいてもらう」
人格統合体は理解できないようにテルテルを見ている。
『生命維持系統分離率、九十七パーセント』
第一捕食体の黒い扉が震えた。
接続率。
三十六・七。
時間はまだある。
だが。
ここで予想外のことが起きた。
第一捕食体の腕が、突然止まった。
Bが目を細める。
「何だ」
フールも黙る。
レインが顔を上げた。
「……違う」
アラタが聞く。
「何が」
「こっちを見てない」
第一捕食体の巨大な目。
それまでクライだけを追っていた視線。
ゆっくり。
横へ動く。
中央炉でも。
保存カプセルでもない。
救援隊の一角。
そこ。
アラタ。
そして。
シェルマ。
二人。
ケンゾーの頭に嫌な感覚が走る。
「アラタ、動け!」
「何――」
第一捕食体の目が完全に二人を捉えた。
その瞬間。
アラタとシェルマの頭の奥で。
何かが。
ではなく。
封じられていた記憶の壁そのものが、強く軋んだ。
「ぐっ……!」
アラタが膝をつく。
「アラタ!」
シェルマも同時に額を押さえた。
「っ……何だ、これ……!」
視界。
白い都市。
巨大な塔。
空を覆う光。
誰かが叫んでいる。
黒い扉。
第一捕食体。
そして。
自分たち。
そこにいる。
アラタの耳へ、自分自身のものかどうかも分からない声が届く。
『第二封鎖を閉じろ!』
シェルマにも別の声。
『まだ捕食体が残っている!』
二人は同時に頭を振った。
テルテルが叫ぶ。
「見るな!」
アラタが息を荒くする。
「見てない……勝手に……!」
「第一捕食体が記憶封鎖を刺激してる!」
シノンが顔を上げる。
「何で二人を?」
「分からない!」
アルマーが二人を見た。
その金色の瞳。
僅かに。
何かを理解したような反応。
「……なるほど」
テルテルが振り向く。
「何が分かった!」
アルマーは第一捕食体を見上げる。
「クライだけではない」
「何?」
「こいつは、自分を封じた者を覚えている」
中央炉区画。
静かになる。
ケンゾー。
B。
シノン。
アラタ。
シェルマ。
そしてテルテル。
第一捕食体の目は。
順番に。
彼らを見た。
その反応だけで。
十分だった。
「……俺たち?」
アラタが膝をついたまま呟く。
テルテルは答えない。
答えられない。
だが。
第一捕食体が。
代わりに。
重い声を響かせた。
「――封印者」
テルテルの表情から。
血の気が引いた。
「黙れ……」
第一捕食体。
続ける。
「――返還を要求」
何を。
クライか。
封印か。
それとも。
もっと別の何かか。
誰にも分からない。
その間にも。
『生命維持系統分離率、九十九パーセント』
テルテルは強く端末を叩くように操作した。
「今は聞くな!」
全員へ。
そして。
自分自身へ。
言い聞かせるように。
「あと一パーセントだ!」
シノンも最後の回路へ手を伸ばす。
「第十三接続、解除準備!」
「同期合わせる!」
第一捕食体の腕が再び動き出す。
今度の狙いは。
クライだけではない。
アラタ。
シェルマ。
ケンゾー。
B。
シノン。
複数。
その全員へ。
六本の指が広がる。
アラタは頭痛を押し込みながら立ち上がった。
「……記憶がどうとかは後だ」
シェルマも額から手を離す。
「ああ。今は死なない方が先だ」
ケンゾーは二人を見る。
「動けるか」
アラタが笑う。
「誰に聞いてる」
シェルマも武器を構え直した。
「さっき俺が言った台詞だな」
Bが大鎌を肩へ担ぐ。
『ギャハハハハハッ! やっと全員やる気になったか!』
「最初からやってる」
「うるさいのは変わらないな」
カポエラが呆れたように言う。
『そこが俺のいいところだろ!』
「誰も言ってない」
それぞれが。
また。
ではなく。
自然に。
同じ前線へ並んでいく。
ケンゾー。
アラタ。
シェルマ。
B。
ジェイク。
カポエラ。
ノブ。
タカ。
そして少し後ろにタケ、レイン、ハヤッティ。
誰も、過去のことを完全には知らない。
何を忘れたのかも分からない。
だが第一捕食体だけは知っている。
彼らがかつて。
自分を封じた側にいたことを。
『生命維持系統分離率――百パーセント』
その瞬間。
中央炉全体に。
透き通った電子音が響いた。
『生命維持系統と人格統合系統の完全分離を確認』
壁面の保存カプセル。
数千。
一斉に。
青い光。
安定。
テルテルは端末を見たまま。
数秒。
動かなかった。
そして。
「……終わった」
小さく息を吐いた。
シノンがすぐに確認する。
「生命維持は?」
『全保存対象、生命維持状態安定』
「統合系統は?」
『停止処理へ移行』
人格統合体の身体を包んでいた青白い光が徐々に弱くなる。
色のない瞳が、テルテルを見る。
「……また」
声。
以前より。
人間らしい。
「……分けるのですね」
テルテルは少しだけ目を細める。
「そうだね」
「以前も」
テルテルの表情が変わる。
「それ以上は言わなくていい」
人格統合体は。
僅かに。
首を傾げる。
そして。
光の中へ。
ゆっくり。
沈んでいった。
だが。
戦いは。
終わっていない。
第一捕食体の接続率。
三十七・五パーセント。
生命維持は切り離した。
数千人は守った。
しかし。
黒い扉。
まだ開いている。
テルテルは顔を上げた。
「よし」
息を整える。
眼鏡の位置を直す。
そして。
ようやく。
戦場の方へ身体を向けた。
「次は」
いつもの。
少し軽い。
でも。
今までよりずっと冷たい目。
「こいつを送り返すよ」
第一捕食体の巨大な目が。
テルテルを捉えた。
「――管理者」
テルテルはその呼び方に顔をしかめた。
「その呼び方、昔から嫌いなんだよね」
ケンゾーが横目で見る。
「昔から?」
「……今の無し」
「聞いたぞ」
「後でね!」
アラタが武器を構える。
「逃げるなよ」
「分かってるって!」
Bがフールを大鎌へ戻す。
『ギャハハハハハッ! 今度は何を斬ればいい!?』
テルテルは黒い扉を見上げた。
「本体じゃない」
「なら?」
ケンゾーが尋ねる。
テルテルは。
第一捕食体とこちら側を繋いでいる。
黒い四角形。
その縁。
僅かに残る。
青白い。
構造。
見る。
「門だよ」
タケがクライを構え直す。
「門?」
「第一捕食体を倒す必要はない」
テルテル。
笑う。
「こっちへ来る道だけ消す」
クライが。
低い声。
『封鎖記録と部分一致』
ゲシュタルト。
『同様の記録を確認』
フール。
一瞬。
黙る。
『……ああ』
Bが大鎌を握り直した。
「思い出したか」
『いや』
フールの声。
いつもの笑い。
ない。
『でも、このやり方は知ってる気がする』
ケンゾーの手の中で。
ゲシュタルト。
微かに。
震える。
『使用者』
「何だ」
『当機も同様です』
ケンゾーは黒い門を見上げた。
「なら」
剣。
変形。
長い。
細身。
「思い出す必要はない」
アラタが隣へ立つ。
「やることだけ分かればいい」
シェルマ。
反対側。
「賛成だ」
テルテル。
全員。
見る。
「じゃあ説明する」
第一捕食体の六本の指。
赤黒い光。
また。
集まり始める。
レイン。
すぐ。
反応。
「説明、短くして」
テルテル。
苦笑。
「了解」
そして。
彼は。
かつて自分たちが。
第一捕食体を封じた。
方法。
その一部を。
語り始めた。