中央炉区画を離れた一行は、戦闘時とは比べものにならないほど慎重な速度で地下通路を進んでいた。
先頭を任されたノブとタカが数十メートル先を先行し、曲がり角や分岐へ差しかかるたびに周囲を確認してから合図を返してくる。その後ろをアラタが進み、負傷者や保護対象を中央へ置く形で隊列が組まれていた。第一捕食体との接続を断ち切り、生命維持系統と人格統合系統の分離にも成功したとはいえ、施設そのものが安全になったわけではない。古代警備機械や未知の設備が残っている以上、地上へ戻るまで気を抜くことはできなかった。
ケンゾーはシェルマとジェイクに左右から支えられながら歩いていた。本人は自力で歩けると何度も言っていたが、脇腹を庇うように身体が少し傾き、数歩進むたびに呼吸が浅くなる。その様子を横目で確認したシェルマは、呆れたように眉を寄せた。
「やっぱり担架を待った方がよかったんじゃないか。どう見ても無理してるだろ」
「地上までそこまで遠くない。それに、動けるうちは自分で動いた方が早い」
「距離の問題じゃないだろ、それ」
『使用者の現在歩行速度は通常時の四十二パーセントです。さらに呼吸数の増加と体幹の偏りを確認しています』
ゲシュタルトが淡々と告げると、ケンゾーは露骨に嫌そうな顔をした。
「余計な報告をするな」
『必要な情報です』
反対側で肩を貸していたジェイクが思わず笑う。
「お前の武器、完全に俺たち側だな」
「最近そういう奴が増えた」
「いいことじゃないか。自分で止まらない奴には、周りが止めるしかない」
「本人としては複雑なんだがな」
そう返しながらも、ケンゾーは二人の腕を振り払おうとはしなかった。先ほどアラタとシェルマに身体を支えられた時点で、今の自分がどこまで無理をしているのかは理解していた。この状態で倒れれば、今度は自分を救援に来た仲間たちへ余計な負担をかけるだけだ。納得しているわけではないが、少なくとも今は他人の手を借りるべきだと判断していた。
少し後方では、タケがクライ・オブ・サタンを携行形態へ戻しながら歩いている。完全に収納してしまうこともできたが、この地下施設で再び何が起こるか分からない以上、すぐに展開できる状態だけは維持していた。
『保有エネルギー七十八パーセント。外部異常接続なし。内部状態安定』
「さっきから何回それ言うんだよ」
『使用者が繰り返し当機の状態を確認しているためです』
「俺、声に出して確認してたか?」
『脈拍、視線移動、把持圧の変化から推測可能です』
隣を歩いていたハヤッティが、面白そうにタケを見る。
「武器にまで心配性なの見抜かれてるじゃん」
「仕方ないだろ。さっきまで勝手に第一捕食体と繋がりかけてたんだぞ。確認くらいしたくなる」
「まあ、それは分かるけどな」
レインも静かに頷いた。
「確認すること自体は悪くないわ。ただ、歩きながらクライばかり見てると前にぶつかるわよ」
「そんな子供みたいなことするわけ――」
言い終わる前に、タケの肩が通路脇へ張り出していた細い配管へ軽く当たった。
ハヤッティが何も言わずにタケを見る。レインも同じように無言で視線を向けた。
「……何か言ってくれよ」
「いや、今のは完成度が高すぎて、突っ込む必要がないかなって」
「私も同じ意見ね」
「二人とも酷くない?」
張り詰めていた隊列の空気が、ほんの少しだけ緩む。
その前方では、レインに手を引かれて歩く黒髪の保存少女が、そんな三人のやり取りを不思議そうに見ていた。目覚めてからほとんど時間が経っていないうえ、自分が誰なのかも分からない。そこへ人格統合体や第一捕食体まで現れたのだから、命の危機を脱した直後に笑い合っている彼らを理解できないのも無理はなかった。
少女はしばらく黙って歩いていたが、やがて小さな声でレインへ尋ねた。
「……怖くないんですか」
レインは振り返る。
「何が?」
「さっきのものです。もういなくなりましたけど、また来るかもしれないって言っていました」
「怖いわよ」
レインはほとんど間を置かずに答えた。
少女が少し驚いたように目を見開く。
「怖いんですか」
「当然でしょう。私だって何でも平気なわけじゃないわ」
「でも、ずっと落ち着いていました」
「落ち着いて見えるだけ。怖いから動けなくなることもあるし、逆に怖いから早く動けることもある。今回は後者だっただけよ」
少女はその言葉をしばらく考えるように俯いた。
「私は、何もできませんでした」
「目覚めたばかりだったでしょう」
「でも、皆さんは戦っていました」
「比べなくていいわ」
レインの声はいつもと同じように落ち着いていたが、突き放すような冷たさはなかった。
「あなたはまず、自分が生きていることを確認すればいい。それから先のことは、その後で考えればいいわ」
少女は返事をしなかった。ただ、握っていたレインの手に少しだけ力を込めた。
その様子を後ろから見ていたタケが何か言おうとした瞬間、レインが振り返りもせずに口を開いた。
「変なこと言わないで」
「まだ何も言ってないよ」
「顔で分かる」
「俺そんなに分かりやすい?」
「かなり」
ハヤッティが即答した。
「お前まで即答するなよ!」
また小さな笑いが起こった。
しかし、その空気が長く続くことはなかった。先行していたノブが曲がり角の向こうから戻り、片手を上げて全員へ停止の合図を送る。
「前方に反応がある」
アラタが即座に隊列を止めた。
「数は?」
「三体。救援隊が入ってきた時に戦った白銀の警備機械と同型」
タカも後方から合流しながら続ける。
「正面から抜けると戦闘になる。右側に保守通路がある」
「全員通れるか?」
「狭いけど問題ない」
アラタは迷わなかった。
「戦わない。右へ迂回する」
ジェイクが少し意外そうに眉を上げる。
「壊して進まないのか?」
「今の目的は帰還だ。ケンゾーも負傷しているし、フールも大きく消耗してる。余計な戦闘を増やす意味がない」
「正しい判断だな」
Bが短く言った。
腰に収納された小型コア形態のフールから、不満そうな声が上がる。
『俺だってまだ戦えなくはねぇぞ』
「稼働率三十八パーセントで何を言ってる」
『三十八パーセントも残ってるとも言えるだろ!』
「言えない」
『即答すんなよ!』
カポエラが隣から口を挟む。
「今回は親父に賛成。フールは大人しく休んでろよ」
『坊主まで敵に回りやがった!』
「敵じゃない。心配してる」
『なら擁護しろ!』
「それは無理」
『テメェ!』
フールの声はいつもより弱々しい。それでも普段通り騒げる程度には安定しているようで、カポエラも本気で心配しながら、どこか安心したような表情を見せていた。
一行はノブとタカの案内に従い、右側の保守通路へ入った。人二人が並べる程度の幅しかなく、壁面には古びた配線や小型端末がびっしりと埋め込まれている。ところどころ照明が死んでいるため薄暗く、先頭のノブとタカが小型ライトを使って進路を確保していた。
テルテルは通路へ入る直前、壁面に刻まれた古い文字列へ一瞬だけ視線を向けた。
読める。
自分には、その意味がはっきり分かる。
非常用搬送経路。
その先には、第七生命保存管理区画から地表側へ繋がる避難通路が存在していた。少なくとも、遥か昔には。
「テルテル」
後ろからシノンの声が飛んできた。
「何?」
「今、また文字を読んだでしょう」
テルテルはいつものように軽く笑う。
「何のこと?」
「分かりやすい」
「最近みんな俺に厳しくない?」
「今まで誤魔化しすぎた結果でしょう」
「反省してるよ」
「本当に?」
「三割くらい」
「残り七割も反省して」
テルテルは苦笑しながら通路へ入った。
そのやり取りを聞いていたアラタは何も言わなかったが、視線だけはテルテルの背中を追っている。今は問い詰めないと決めた。約束したからというより、ここで聞いても結局まともな答えは返ってこないと理解しているからだ。
だが、地上へ戻ってからは別だった。
第一捕食体。封印者。記憶封鎖。テルテルだけが持つ管理権限。そして、第一捕食体という名称を知っていたネオディール。
これだけ揃えば、単なる偶然や古代文明の遺物という説明では済まない。
そんなことを考えながら歩いていると、隣のシェルマが低い声でアラタを呼んだ。
「アラタ」
「どうした」
「また来た」
シェルマは額へ指を当てていた。
激痛というほどではないが、地下へ入ってから断続的に続いている頭痛が、保守通路へ入ってから少し強くなっている。
「俺もだ」
アラタも同じ感覚を覚えていた。
壁面の配線。照明の配置。通路の幅。すべて初めて見るはずなのに、この先に何があるのかを知っているような感覚がある。
アラタは次の曲がり角を見た。
「この先、左側に小部屋がある」
シェルマが顔を上げる。
「俺も同じことを思った」
二人は顔を見合わせた。
前方にいたノブが角を曲がり、数秒後に戻ってくる。
「左に部屋がある。扉は開いてる」
タカも続ける。
「内部反応は今のところなし」
ジェイクがアラタとシェルマを見る。
「もう偶然じゃないだろ、それ」
「分かってる」
アラタは低く答えた。
開いた扉の向こうは暗い。だが、何かを知っているという感覚だけが強くなる。
入れば、何かを思い出せるかもしれない。
そんな確信に近いものすらある。
それでもアラタは首を振った。
「入らない」
ジェイクが聞き返す。
「気にならないのか?」
「気になるに決まってる。でも今じゃない」
シェルマも頷く。
「俺も賛成だ。今ここで余計な記憶を刺激する必要はない」
少し離れた場所にいたテルテルの表情が、ほんの僅かに緩んだ。
アラタはその変化を見逃さない。
「やっぱり入らない方がいいんだな」
テルテルの顔が一瞬固まる。
「……何のことかな」
「その反応で十分だ」
「アラタ、最近鋭くなってない?」
「お前が分かりやすいだけだ」
テルテルは観念したように肩をすくめた。
「じゃあ、その判断で正解」
「理由は今は聞かない」
「助かる」
「ただし帰ったら聞く」
「それも分かってるよ」
一行は小部屋を無視してそのまま進み、やがて保守通路を抜けて広い主通路へ戻った。
そこには、救援隊が侵入時に戦った白銀の警備機械の残骸が残されている。胴体を壁へ押しつけられたもの、脚部を破壊されたもの、駆動部を撃ち抜かれたものなど状態はさまざまだが、どれも完全には原形を失っていなかった。
カポエラが残骸を見ながら言う。
「かなり派手にやったんだな」
「時間がなかったからな」
ジェイクが答える。
シェルマも足元の一体を見る。
「最初は六体いた。全部相手にしてたら、もっと時間を食ってたと思う」
Bは残骸へ視線を落とし、何気なく口にした。
「旧式だな」
その言葉に、周囲の空気が変わった。
アラタがBを見る。
「旧式?」
B自身も、自分が何を言ったのか理解していないような顔をした。
「……そう見えた」
「見たことがあるのか?」
「ない」
「じゃあ何で旧式って分かる」
Bは残骸を見つめたまま黙る。
腰にあるフールのコアが小さく振動した。
『俺も同じ感じがする』
「フールもか?」
『ああ。見た覚えはねぇ。でも、こいつらは古い。もっと新しい型を知ってる気がする』
Bが眉を寄せる。
「記録か?」
『分からねぇ。内部の封鎖領域を探ると嫌な感じがする』
「なら今は触るな」
『珍しく慎重だな』
「お前の稼働率が低いからだ」
『結局そこかよ!』
その会話を聞いたテルテルの足が一瞬だけ止まった。
シノンはそれに気づいたが、何も聞かなかった。ただ、後で必ず確認するという目だけを向ける。
テルテルはその視線に気づき、困ったように笑った。
「みんな本当に怖いねぇ」
その後は大きな戦闘もなく、一行は崩壊した地下鉄駅の区画まで戻ることができた。
遠くから地表の光が差し込んでいる。
夕方の赤みを帯びた自然光だった。
タケはそれを見た瞬間、思わず足を止めた。
「……外だ」
ハヤッティも隣へ並ぶ。
「こんなに外がありがたいと思ったの、初めてかもしれない」
「俺も」
レインが二人を見る。
「まだ出てないわよ」
「雰囲気が大事なんだよ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
その少し前で、黒髪の保存少女も地上から差し込む光を見ていた。
眩しそうに目を細める。
「外……」
レインが隣へ立つ。
「覚えてる?」
少女はゆっくり首を振った。
「分かりません。見たことがあるはずなのに、何も思い出せません」
「じゃあ、今日見た景色を最初にすればいいわ」
「最初……」
「そう。前に何があったか分からないなら、今から増やしていけばいいでしょう」
少女はしばらく空を見つめた後、小さく頷いた。
一行が地下鉄駅の崩れた出口から地上へ出ると、ヴォルテール社の救援班がすでに到着していた。
医療用の小型車両が複数台並び、担架や簡易治療設備も用意されている。武装した警戒部隊は地下入口から距離を取り、周囲へ広く展開していた。
救援隊を見つけた医療兵の一人が声を上げる。
「アラタ隊長!」
「負傷者を優先しろ! 地下から未知のエネルギー反応が出てる。入口へ近づきすぎるな!」
「了解!」
医療班が一斉に動き出す。
真っ先に囲まれたのは、当然ケンゾーだった。
「自分で乗れる」
「駄目です」
「歩ける」
『歩行非推奨です』
医療兵より先にゲシュタルトが答えた。
ケンゾーが無言になる。
担当の医療兵が少し困ったように笑う。
「武器の方が話が早いですね」
「最近みんなそう言う」
シェルマが隣で笑った。
「諦めろ。お前は大人しく担架に乗れ」
「お前も肩を診てもらえ」
「俺は軽傷だ」
その言葉を聞いた医療兵がシェルマの右肩を見る。
戦闘服の一部が白化し、繊維が崩れている。
「その状態で軽傷かどうかは、こちらが判断します」
「掠っただけだ」
「掠った攻撃で服が崩れるものなんですか?」
「……普通は崩れないな」
「では診察します」
「はいはい」
今度はシェルマが別の医療兵に捕まった。
ジェイクが横で笑う。
「人のこと言えねぇな」
「うるさい」
Bのところへは整備員が近づいた。
「フール・オブ・グレモリーの稼働率を確認します」
『三十八パーセントだ! まだ働けるぞ!』
「即時点検対象です」
『何でだよ!』
「三十八パーセントだからです」
『今日は俺の味方いねぇのか!』
カポエラが肩をすくめる。
「俺は心配してるよ」
『じゃあ止めろよ!』
「点検されるのを?」
『そうだ!』
「無理」
『テメェ!』
Bは騒ぐフールを気にする様子もなく、小型コアを整備員へ渡した。
「診てくれ」
『おい!』
「壊れてないか確認するだけだ」
『俺に拒否権は!』
「ない」
『ひでぇ!』
その騒ぎを横目に見ながら、タケ、レイン、ハヤッティも医療検査を受けた。
タケには大きな外傷こそなかったが、生命エネルギーの急激な吸収と放出を短時間に繰り返した影響で、腕の神経反応に軽い乱れが出ていた。
「しばらくクライの高出力運用は禁止ですね」
医療兵が端末を見ながら言う。
「どれくらいですか」
「精密検査の結果次第です」
「やっぱりそうなりますよね」
ハヤッティもグシオンの長時間使用による神経負荷を指摘され、その場で出力制限をかけられた。
『推奨措置が実施されました』
「お前、何か嬉しそうじゃない?」
『感情機能はありません』
「絶対あるだろ」
『使用者が警告を無視し続けたため、正常な安全措置の実行を肯定的に評価しています』
「それを嬉しいって言うんだよ」
『定義が異なります』
「面倒くさいな!」
対照的に、レインには目立った負傷がほとんどなかった。
検査結果を見た医療兵が、不思議そうに首を傾げる。
「本当に戦闘へ参加していました?」
「しました」
「被弾記録がありません」
「多分、一度も当たってないわね」
ハヤッティが横から口を挟む。
「この人、そういう人なんです」
レインが冷たい目を向ける。
「そういう人って何?」
「亡霊」
「怒るわよ」
「今は褒めてる!」
「その呼び方で褒められてる気がしないのよ」
タケが苦笑する。
「でも本当に一発も当たってなかったよね」
「それを強調すると余計気味悪くなるでしょう」
黒髪の保存少女については、さらに慎重な検査が行われた。
医療班は彼女が現代人とは異なる生体構造を持っている可能性を考慮し、直接的な処置は最低限に留める。テルテルとシノンも近くに残り、体内の強制増幅機構が再び不安定にならないよう状態を確認していた。
「生命エネルギー値は安定してる」
シノンがモニターを確認する。
「クライで調整した影響も、今のところ問題なし」
テルテルも頷いた。
「なら今日は休ませた方がいいね」
その言葉を聞いた少女の顔に不安が浮かぶ。
「また、あの中に戻るんですか」
テルテルはすぐに首を振った。
「違う違う。普通のベッド。あのカプセルには戻さないよ」
「普通の……ベッド」
「そう。たぶん君が想像してるより普通のやつ」
少女は少し安心したように息を吐いた。
レインが横から言う。
「私も一緒に行くわ」
「いいんですか」
「検査は終わったから」
少女は小さく頷いた。
「……お願いします」
その頃、アラタは地下入口の近くに残り、封鎖準備を進める部隊を見ていた。
全員を発見し、全員生存の状態で地上へ連れ戻すことには成功した。任務だけを見れば十分な成果だ。
だが今回見つかったものは、あまりにも大きい。
アラタは通信端末を開いた。
「ネオディール」
『聞こえている』
「こちらの搬送準備はほぼ整った」
『すぐ戻れ』
「その前に一つだけ確認したい」
通信の向こうで短い間があった。
『何だ』
「第一捕食体を知ってるな」
少し離れた場所にいたテルテルがアラタを見る。
だが止めなかった。
ネオディールは数秒答えなかった。
『知っている』
今度ははっきりと言った。
アラタの目が細くなる。
「どこまで知ってる」
『存在と危険性。それから、過去に封鎖されたこと。少なくともその程度は把握している』
「誰が封じた」
再び沈黙が落ちる。
『帰還後に話す』
アラタは小さく息を吐いた。
「それを言うと思った」
『通信越しに話す内容ではない』
「理由は?」
『一部に記録へ残すべきではない情報が含まれる』
テルテルの表情が僅かに変わった。
アラタはその反応も見逃さない。
「テルテルも似たようなことを言ってる」
『そうか』
「驚かないんだな」
『あいつが知っていても不思議ではない』
テルテルが小声で呟く。
「言い方が酷くない?」
アラタはさらに続けた。
「俺とシェルマは施設から記憶封鎖個体と識別された」
通信の向こうで、今度は明らかに長い沈黙があった。
『……施設がそう言ったのか』
「ああ。それだけじゃない。ケンゾー、シノン、Bにも記憶反応が出ている。第一捕食体は俺たちを封印者と呼んだ」
その場にいた者たちの意識が通信へ集まる。
しばらくして、ネオディールの声が低くなった。
『今はそれ以上思い出そうとするな』
アラタの目が鋭くなる。
「お前まで同じことを言うのか」
『理由がある』
「その理由を聞きたいんだが」
『基地へ戻ったら話す』
「全部?」
ネオディールは少しだけ間を置いた。
『話せる範囲は話す』
アラタは苦笑する。
「素直に全部って言わないところが、お前らしいな」
『無責任に約束するよりはいい』
「それもそうだ」
今度はシェルマが通信へ近づいた。
「俺からも聞きたい」
『シェルマか』
「施設の文字が、読めないのに意味だけ分かる。アラタも同じだ。通路の先に何があるかまで、見たこともないのに分かることがある」
また短い沈黙があった。
『その反応は生体ログでも確認している』
「確認している?」
シェルマが眉を寄せる。
アラタが横から説明した。
「こっちのバイタルデータを見てるって意味だろ」
『そうだ』
シェルマはそれ以上追及しなかった。
「帰ったら聞く」
『分かった』
アラタが通信を終えようとした時、テルテルが手を上げた。
「ネオディール」
『何だ』
「地下施設は完全封鎖した方がいい」
『理由は』
「第一捕食体との接続は切った。でも施設自体は生きてる。保存対象も大量に残ってるし、管理系統も完全には死んでない」
『把握した』
「あと……」
テルテルは言いかけて止まった。
脳裏には、中央炉を出る直前に見た表示が残っている。
『第二捕食体――状態不明』
ここで言うべきか。
しかし通信には記録が残る。
周囲にも人が多い。
「……いや、帰ってから話す」
ネオディールの声が低くなる。
『重要なことか』
「かなり」
『なら急いで戻れ』
「了解」
通信が切れた。
アラタはすぐにテルテルを見る。
「今度は何だ」
「帰ってから」
「またそれか」
「これは本当に通信で言わない方がいい」
テルテルの表情から、いつもの軽さが消えている。
アラタは数秒だけ見つめた後、それ以上追及しなかった。
「分かった」
テルテルが少し驚く。
「今日は素直だね」
「今聞いてもどうせ答えないだろ」
「学習したねぇ」
「お前相手にだけな」
やがて搬送準備が整った。
ケンゾーは結局、医療班に半ば強制的に担架へ乗せられた。本人は最後まで不満そうだったが、ゲシュタルトが医療班へ積極的に情報を提供したため逃げ道がなかった。
Bは自力で移動できるものの、フールは整備用ケースへ収容されている。
タケ、レイン、ハヤッティは簡易検査を終え、同じ医療車両へ乗ることになった。
黒髪の保存少女はレインと一緒に観察用車両へ移される。
アラタ、シェルマ、ジェイク、カポエラ、ノブ、タカは最後まで地下入口へ残り、ヴォルテール部隊が大型封鎖装置を設置するのを確認していた。
入口周辺には複数の警戒装置が設置され、地下鉄駅を中心とした一帯が立入禁止区域に指定されていく。
アラタは作業を見ながら、最後に一度だけ地下入口の暗闇へ視線を向けた。
胸の奥には妙な感覚が残っている。
あそこへ戻れば何かを思い出せる。
そんな確信に近いものだ。
それが自分自身の意思なのか、封じられた記憶が引き寄せているだけなのかは分からない。
それでも、今戻るべきではない。
その判断だけは揺らがなかった。
隣にシェルマが立つ。
「気になるか」
「ああ」
「俺もだ」
「戻りたいと思う?」
シェルマは少し考えてから答えた。
「思う。でも今じゃない」
「同じだな」
アラタは地下入口から視線を外す。
「帰るぞ」
「ようやくか」
「帰ってからの方が面倒そうだけどな」
「それも同感だ」
二人は小さく笑い、輸送車両へ向かった。
やがて車列が動き出し、夕暮れの旧市街を離れてヴォルテール本部へ向かう。
医療車両の中で、ケンゾーはベッドへ横になったまま窓の外を見ていた。
意識ははっきりしている。
身体は重い。
しかし、それ以上に頭から離れないものがあった。
白い研究施設。
透明な隔壁。
その向こう側にある黒い何か。
『捕食効率が高すぎる』
『兵器として運用できる』
そして。
『こんなものを外へ出すな』
自分の声。
記憶そのものではない。
断片。
だが、あれが自分の声だったという感覚だけは消えてくれなかった。
「ゲシュタルト」
『はい』
「俺は、第一捕食体を知っていたと思うか」
少しだけ間があった。
『当機の封鎖領域にも、第一捕食体に関連する記録が存在しています』
「質問の答えになってない」
『推測で回答してもよろしいですか』
「それでいい」
『使用者が第一捕食体の存在を知っていた可能性は高いと判断します』
ケンゾーは目を閉じた。
「そうか」
『ただし、一点補足があります』
「何だ」
『使用者が第一捕食体を創造したとは断定できません』
ケンゾーは再び目を開く。
「なぜそう思う」
『先ほど確認された記憶断片において、使用者は対象の外部運用に反対していました』
「俺が設計に関わったうえで、途中から反対した可能性もある」
『否定できません』
「なら慰めにはならないな」
『慰めではありません』
「じゃあ何だ」
『関与と創造は同義ではないという事実整理です』
ケンゾーはほんの少しだけ笑った。
「お前なりに気を遣ってるのかと思った」
『その解釈は任せます』
「そうか」
『はい』
ケンゾーはそれ以上聞かなかった。
思い出そうとすれば、また頭痛が来るかもしれない。
今は眠る。
思い出すのは後でいい。
少なくとも今は、それが一番合理的だった。
◇
同じ頃。
ヴォルテール本部の司令区画では、ネオディールが大型モニターの前に立っていた。
画面には救援隊から送られてきた簡易報告が並んでいる。
第七生命保存管理区画。
EVE\-SEVENTH。
人格統合現象。
第一捕食体。
記憶封鎖個体。
ネオディールは無言のままそれらを読み進めていた。表情こそほとんど変わらないが、端末を握る指にはいつもより強い力が入っている。
背後の扉が開いた。
「司令」
入ってきたのはオペレーターの一人だった。
「何だ」
「救援車列は予定通りこちらへ向かっています。医療区画も準備完了しています」
「古代生体反応を持つ少女は?」
「隔離室ではなく、観察用個室を確保しました」
「拘束はするな」
「了解です」
「ただし警戒要員は置け。本人を刺激しない距離で」
「はい」
オペレーターは一度端末を確認し、それから少し言いにくそうに続けた。
「それと、地下施設の封鎖作業中に、一度だけ別の反応が検出されています」
ネオディールの視線が変わる。
「波形は」
「第一捕食体とは一致しません」
「位置は?」
「さらに深部です。ただし正確な深度は計測できていません」
「反応名は」
「自動解析では識別不能でした」
ネオディールは数秒黙った。
「テルテルから個別通信は来ていないか」
「一件あります。最上位暗号化が施されていて、司令権限でのみ開封可能です」
「出せ」
モニターへ短い文章が表示された。
『第二捕食体――状態不明。施設記録上、封鎖確認不能』
ネオディールの表情が初めて僅かに変わった。
オペレーターもそれに気づいた。
「司令?」
ネオディールはすぐに表示を閉じた。
「この記録を最上位機密へ移せ」
「了解」
「閲覧権限も限定しろ。俺と指定者以外には開けないようにしろ」
「分かりました」
「それから、救援車列が戻り次第、テルテルを直接ここへ」
「アラタたちは?」
「負傷者の医療処置を優先する。その後、必要な者だけ呼ぶ」
「了解しました」
オペレーターが退出し、司令室の扉が閉じる。
ネオディールは一人になる。
目の前のモニターには、第一捕食体の巨大な腕が映っていた。
見覚えがある。
当然だった。
忘れていないのだから。
問題はその先だった。
第二捕食体。
その名称にも記憶がある。
遥か昔、超古代文明が崩壊へ向かう直前。
まだ封鎖施設が正常に機能していた頃。
『第一捕食体、封鎖完了』
報告を聞いた自分は、すぐに次の確認をした。
『第二捕食体は?』
『反応消失。所在を確認できません』
『消失では不十分だ。必ず封鎖状態を確認しろ』
それが自分の指示だった。
しかし、その後に起きたものはあまりにも大きかった。
イヴ。
六大神。
世界規模の戦争。
生命エネルギーの封印。
そして文明そのものの崩壊。
結局、第二捕食体の所在を最後まで確認することはできなかった。
ネオディールはゆっくり目を開いた。
「……まだ残っていたのか」
低い声が誰もいない司令室へ落ちる。
第一捕食体は再封鎖された。
だが、それで終わったとは限らない。
テルテルが「状態不明」と送ってきた以上、第二捕食体について何らかの記録を施設内で確認したはずだった。
ネオディールは救援車列の到着予定時刻を確認すると、司令区画の照明を少し落とした。
もう昔のことだからと放置できる段階ではない。
テルテルが戻れば、互いに知っている情報を突き合わせる必要がある。そして何より、ケンゾーたちの記憶封鎖がどこまで損傷しているのかも確認しなければならない。
過去に封じたものが、再び現代へ手を伸ばし始めている。
その事実だけは、もう否定できなかった。