ヴォルテール本部へ戻った救援車列は、地上の正面ゲートではなく、負傷者や機密物資の搬入に使われる地下専用区画へと誘導された。分厚い隔壁が一台ずつ車両を内部へ通し、最後尾の装甲車が入ったところで外部との通路が閉鎖される。第一捕食体との接続を断ち切ったとはいえ、地下遺構から帰還した者や装備に未知の影響が残っている可能性があるため、通常任務よりも厳重な処置が取られていた。
車両が停止すると、待機していた医療班と整備班が一斉に動き出した。最初に運び出されたのは、今回の戦闘で最も大きな負傷を負ったケンゾーだった。本人は車両の扉が開くなり起き上がろうとしたものの、脇腹に走った鋭い痛みに眉を寄せ、わずかに動きを止める。
「自分で歩ける。担架までは必要ない」
『右側肋骨に複数の損傷を確認しています。また内部出血の可能性が残っており、現在の歩行を推奨しません』
ケンゾーの言葉が終わるより早く、ゲシュタルトが医療班の端末へ負傷情報を送信した。担当の医療兵は表示された数値を確認すると、迷うことなく担架の固定具を準備する。
「古代兵器からも歩行非推奨が出ていますので、このまま医療区画へ搬送します」
「ゲシュタルト。余計な情報まで送るな」
『治療に必要な範囲のみ送信しています』
「本人より武器の方が協力的ですね」
「それを本人の前で言うのか」
ケンゾーは不満そうに言ったが、今度は立とうとはしなかった。すぐ近くで治療を待っていたシェルマが、その様子を見て小さく笑う。
「ようやく諦めたか」
「お前も人のことを言える状態じゃないだろ」
「俺は肩を掠めただけだ。お前と一緒にするな」
「第一捕食体の攻撃を掠めただけで済ませるなよ」
シェルマの右肩では、戦闘服の一部が白く変色したまま崩れていた。赤黒い光線が直撃したわけではないとはいえ、生命エネルギーを吸い取る性質を持つ攻撃だった以上、表面だけを見て問題なしとは判断できない。別の医療兵が近づき、すぐにシェルマの肩へ検査機器を当てた。
「こちらも精密検査を行います」
「本当に大したことないぞ」
「それを決めるのはこちらです」
シェルマは一瞬だけ黙った後、諦めたように肩をすくめた。
「今日はこういう日らしいな」
「俺を笑った罰だ」
「お前に言われたくない」
二人のやり取りを近くで聞いていたアラタは、ようやく少しだけ表情を緩めた。救援任務として考えれば、最悪の状況を想定して現場へ入ったにもかかわらず、行方不明になっていた七人を全員生存した状態で発見し、救援隊にも死者を出さず帰還することができた。それだけなら、十分すぎるほどの結果だった。
しかし、今回発見したものを考えれば、任務が終わったとは到底思えない。
第七生命保存管理区画。EVE-SEVENTH。人格統合体。第一捕食体。そして、自分とシェルマに施されていた記憶封鎖。
さらに、ケンゾー、シノン、Bにも過去へ繋がるような反応が現れている。第一捕食体が彼らを「封印者」と呼び、テルテルを「管理者」と認識していたことまで考えれば、自分たちと超古代文明との間には、知らされていない何かが存在していることだけは間違いなかった。
アラタは周囲を見回し、少し離れた場所にいるテルテルへ目を向けた。
いつもの乱れた茶髪に眼鏡という姿は変わらず、外見だけを見れば普段と何も違わない。しかし地下から出て以降、妙に口数が少なくなっている。その隣を歩いていたシノンも同じことを感じていたらしく、医療班が慌ただしく動く中でテルテルへ声をかけた。
「さっきから随分静かね」
「俺だって静かにしてる時くらいあるよ」
「ほとんど見たことないけど」
「そう言われると傷つくなぁ」
「その割には全然傷ついてる顔じゃないでしょう」
テルテルはいつものように笑ってみせたが、シノンは視線を外さなかった。
「何を見つけたの?」
「何の話?」
「地下を出る直前。端末を見てから様子がおかしかった」
テルテルは返答するまで少し間を置いた。
「本当に細かいところまで見てるよね」
「あなたが隠し事をするからでしょう」
「それについては反論できないかな」
「だったら話して」
テルテルは周囲へ一度視線を向けた。医療兵や整備員、警戒部隊など多くの人間が行き交っている。ここで話すような内容ではなかった。
「ネオディールにはすぐ話すよ。君たちにも必要なところまではちゃんと説明する」
「全部じゃないのね」
「今は全部話す方が危険だから」
先ほどまでとは違い、その言葉には冗談めいた調子がなかった。
シノンはしばらくテルテルを見つめていたが、今ここで問い詰めても答えが変わらないことは分かっている。
「分かった。でも、また一人で何かしようとしないで」
その言葉を聞いた瞬間、テルテルの表情が僅かに止まった。
「何でそう思うの?」
「あなたがそういう人だから」
「酷い評価だなぁ」
「褒めてないもの」
シノンはそう言い残して医療区画へ向かった。
テルテルはその背中をしばらく見送った後、誰にも聞こえない程度の声で小さく呟いた。
「……分かってるよ」
しかし、その言葉が本当にシノンの忠告を受け入れたものなのか、それとも別の意味を持っていたのかは、彼自身にしか分からなかった。
◇
黒髪の保存少女は、本部内にある観察用の個室へ移されていた。
観察用とはいっても、無機質な隔離施設ではない。白を基調とした部屋には普通のベッドと机が置かれ、壁際には簡単な収納も用意されている。大きな窓の向こうには本部内の人工庭園が見え、地下施設に並んでいた無数の保存カプセルとはまるで違う環境だった。
少女はベッドの端へ腰掛けたまま、窓の外を眺めていた。
レインはその近くの椅子に座っている。
「身体はどう?」
「痛いところはありません」
「気分が悪かったりは?」
「それも大丈夫です。ただ……変な感じがします」
「変な感じ?」
少女は自分の両手を見つめた。
「何も覚えていないのに、自分がずっと眠っていたということだけは分かるんです。名前も家族も、どこで生まれたのかも思い出せません。でも、何かを失ったという感覚だけがあります」
レインはすぐに答えなかった。
何も分からない相手へ「大丈夫」と言うのは簡単だ。しかし実際には、少女の記憶が戻る保証などどこにもない。まして彼女が何者なのかすら、現時点では誰にも分かっていない。
「だったら、一つずつ調べるしかないわね」
少女が顔を上げる。
「怖くないんですか」
「何が?」
「私が何者なのか分からないのに、こうしてそばにいることがです」
「あなた自身も、自分が何者なのか分かってないんでしょう?」
「はい」
「それなら、今の時点で私が勝手にあなたを危険だと決めても仕方ないわ」
少女は少し驚いたようにレインを見る。
「もし、私が悪い人だったら?」
「その時に考える」
「そんなのでいいんですか?」
「先のことを全部予想できるほど便利じゃないもの」
レインがそう答えると、少女は少しだけ考え込んだ。
「でも、あなたは攻撃が来る前に分かっていました」
「それとは別の話よ」
「亡霊だからですか?」
レインの目が少し細くなる。
「誰に聞いたの?」
「ハヤッティさんが何度も言っていました」
「後で怒る」
「本当に怒るんですか?」
「少しだけね」
少女の口元が僅かに緩んだ。
レインはそれに気づき、少しだけ目を細める。
「今、笑ったでしょう」
「……そうなんでしょうか」
「多分ね」
「笑うって、こういう感じなんですね」
「覚えてないなら、これから覚えればいいわ」
少女はもう一度窓の外を見た。
人工庭園の向こうには、夕暮れから夜へと変わり始めた空が広がっている。自分が過去にどのような空を見ていたのかは分からない。しかし少なくとも、今見ている景色だけは新しい記憶として残すことができる。
少女は静かにその光景を見つめ続けた。
同じ頃、ヴォルテール本部より遥か地下に眠る古い監視設備の一つが、ほんの一瞬だけ彼女の生命エネルギー波形に反応していた。しかし、その微弱な信号に気づいた者はまだ誰もいなかった。
◇
ヴォルテール本部の最深部には、通常の職員だけではなく、運び屋の大半にも存在を知らされていない管理区画がある。
その中央には、現代技術では再現不可能な巨大な円形端末が設置されていた。超古代文明時代から残る世界監視設備の一部であり、現在も正常に扱える人間は極めて限られている。
ネオディールはその端末の前で、テルテルを待っていた。
背後の扉が開き、足音が近づいてくる。
「来たよ」
「遅い」
「帰還してからほとんど時間経ってないんだけど。ケンゾーたちの状態確認もあったし、もう少し労ってくれてもいいんじゃない?」
「第二捕食体について話せ」
テルテルは足を止めた。
「いきなりそこから?」
「他の話は後でもできる。第二捕食体の所在が分からない方が問題だ」
いつものネオディールだと思いながらも、テルテルはすぐに表情を切り替えた。
「第七生命保存管理区画の深部記録に名前が残ってた。第一捕食体は再封鎖って表示されたけど、第二捕食体は状態不明。封鎖完了の記録も確認できなかった」
「現在位置は?」
「分からない」
「反応はあったのか」
「俺たちが施設にいる間に、一度だけ第一捕食体とは違う波形が深部から検出された。ただ、それが第二捕食体だったのかまでは確認できてない」
ネオディールは巨大端末へ手を置き、古い記録を呼び出した。
「第二捕食体は消滅していない」
「やっぱりそう思う?」
「少なくとも、消滅を確認した記録は存在しない。最後に確認されたのは超古代文明末期だ」
テルテルの目が細くなる。
「覚えてるんだ」
「俺はお前たちと違って、その部分の記憶を封じられていない」
「そうだったね」
ネオディールは表示を切り替えた。
「第一捕食体を封じた後、第二捕食体の反応は突然消失した。俺は所在確認を命じたが、その直後から戦況が急激に悪化した」
「イヴと六大神」
「ああ。結局、最後まで確認できなかった」
テルテルはしばらく画面を眺めた後、小さく息を吐いた。
「それだけならまだ良かったんだけどね」
ネオディールが振り向く。
「他に何を見た」
「第一捕食体を封鎖した直後、管理系統の深部に警告が出た」
テルテルは自分の端末を接続し、地下施設で保存していた記録を表示する。
『世界管理系統封鎖同期率――低下』
『関連封印群――再照合開始』
その二行を見た瞬間、ネオディールの表情が変わった。
「数値は?」
「表示されなかった。警告自体も数秒で消えた」
「第一捕食体の門が開いた時点で出たのか」
「正確には、門が形成されて少ししてから。第一捕食体を送り返した後も、一度だけ再表示された」
ネオディールはしばらく何も言わなかった。
世界管理系統の封印と呼ばれるものが、何を意味しているのかを二人は知っている。超古代文明が終焉を迎えた時、ネオディールが世界の特異点――ワールドグリッドへ接続し、星の力である生命エネルギーそのものへ大規模な封印処置を施した。その影響は単独の設備に留まらず、世界各地に存在していた複数の封鎖施設へ連動している。
そして、その封印の中には、今も決して目覚めさせてはならない存在がいる。
「イヴの封印に影響が出た可能性がある」
ネオディールが低い声で言った。
「俺もそう思う」
「六大神は?」
「世界管理系統と完全に同じ封印じゃない。でも根の部分では繋がってる。イヴ側の同期が崩れれば、六人にも何か起きる可能性はある」
「どの程度だ」
「分からない。第一捕食体の接続だけで全部が壊れるとは思えないから、別の要因が動いている可能性もある」
ネオディールは少し考えた後、一つの名称を口にした。
「EDENか」
テルテルはすぐには答えなかった。
その沈黙を見て、ネオディールの目つきが鋭くなる。
「何を知っている」
「まだ断定はできないよ」
「その言い方をする時のお前は、何も知らないわけではない」
「長い付き合いって嫌だねぇ」
「誤魔化すな」
テルテルは眼鏡の位置を直した。
「第七生命保存管理区画の管理権限が、途中からUNKNOWNに上書きされてた。EVE-SEVENTH自身も上書きした相手を認識できてない」
「外部から管理系統へ干渉した存在がいる?」
「そう考えるのが自然だと思う」
「それがお前の考えているEDENか」
「可能性はある。ただし、EDENそのものなのか、EDENを利用してる別の何かなのかまでは分からない」
ネオディールは端末へ世界地図を表示した。
現代の地形図の上に、一般には知られていない古代施設の位置が重なっていく。海底、山岳地帯、永久凍土、砂漠の地下など、世界各地へ点在するそれらの多くは、ヴォルテール社が長い時間をかけて密かに監視を続けてきた場所だった。
「古代封印の監視網を起動する」
テルテルがネオディールを見る。
「全部?」
「全部だ」
「ヴォルテールの通常システムから動かしたら、内部でも気づく人間が出るよ」
「専用回線へ切り替える。閲覧権限も絞る」
「未開世界調査兵団には?」
「まだ知らせない」
「ナディアさんに後で知られたら怒られると思うけど」
「必要なら俺から説明する」
テルテルが僅かに笑った。
「相変わらずナディアさんの話になると、ちょっと嫌そうな顔するよね」
「余計なことを言うな」
「幼い頃からあれだけ鍛えられてたら仕方ないけど」
「テルテル」
「はいはい。真面目にやります」
ネオディールが監視網の起動を承認すると、円形端末の内部を無数の光が走った。長期間休眠状態にあった古代監視設備が順番に起動し、世界各地の封印施設との照合が始まる。
最初の数秒は何も起こらなかった。
テルテルは腕を組んだまま表示を眺めていたが、やがて一つの警告表示が現れた。
『封印座標異常を検出』
「早すぎない?」
テルテルが端末へ近づく。
「座標を出せ」
ネオディールの指示に応じ、世界地図上へ一つ目の反応地点が表示された。
北方大陸の永久凍土。
続いて二つ目の反応が現れる。
旧欧州圏の山岳地帯。
三つ目は太平洋の深海。
さらに反応は止まらず、四つ目、五つ目、六つ目と短時間のうちに警告地点が増えていった。
テルテルの顔から笑みが消えた。
「六か所……」
「各地点の波形を照合しろ」
「やってる」
テルテルは一つずつ解析結果を開いていった。
最初の反応は、極端に濃密な闇属性の生命エネルギーを示している。
テルテルはその波形を知っていた。
「トレイス……」
次に表示されたのは、周囲の生命エネルギーを浄化するほど純度の高い光属性反応だった。
「エリュミエス」
三つ目は、巨大な刃そのものを思わせる異常な収束波形。
「サリア」
残る三つにも、それぞれ特徴があった。
高温では説明できないほど濃密な炎属性を持つマリウス。海底一帯の流体エネルギーへ影響を及ぼし始めているエスクァイア。そして大気圧そのものへ微弱な変動を起こしているオズワルド。
六か所すべて。
六大神の封印地点だった。
「解除されてるのか?」
ネオディールが尋ねる。
「まだそこまでは行ってない。封印自体は九十九パーセント以上維持されてる。でも、六か所全部が同時に活動状態へ入ってる」
「数千年間、一度もなかったことだな」
「少なくとも俺が確認してきた範囲ではね」
ネオディールが六つの地点を見つめていると、画面中央に新たな警告が現れた。
『世界管理中枢封印――同期応答を確認』
二人とも言葉を失った。
六大神の封印とは異なる、世界管理中枢。
そこに何が封じられているのかを知っているからだ。
テルテルが解析を開く。
『封印完全性――九十九・九九八パーセント』
数字だけを見れば、ほとんど何も変わっていない。
しかし問題は、変化したことそのものだった。
数千年の間、一度も外部へ応答を返さなかった世界管理中枢が、六大神の封印反応と同時に動いた。
「イヴも反応した」
テルテルの声は低かった。
「まだ復活したわけではない」
「分かってる。でも、眠ったままでもない」
ネオディールは表示されている六つの封印地点と世界管理中枢を順番に見た。
「第一捕食体の件を起点として見るのは危険だな」
「俺もそう思う。あれは原因じゃなくて、最初に表へ出てきた異常だったのかもしれない」
「裏で既に何かが進んでいた?」
「その可能性が高くなった」
テルテルがそう答えた直後、端末の表示が不自然に乱れた。
「何?」
監視網との接続が切れたわけではない。電源異常もない。それにもかかわらず、地図と解析画面が一斉に消え、黒い画面だけが残る。
ネオディールはすぐに管理権限を呼び出そうとした。
「操作を受け付けない」
「俺の権限も弾かれてる」
テルテルも端末へ手を伸ばした。
数秒後、真っ暗だった画面の中央に白い文字が現れた。
『WELCOME BACK』
テルテルの指が止まる。
「監視システムのメッセージじゃないね」
「ああ」
続いて文字が切り替わった。
『NEO-DEAL』
ネオディールの名が表示される。
さらにその下へ、もう一つ。
『TERTER』
テルテルの名だった。
二人は何も言わず画面を見つめた。
最後に短い文章が追加される。
『WE REMEMBER』
テルテルは端末から手を離した。
「……趣味悪いなぁ」
軽く言ったつもりだったが、声にいつもの調子はなかった。
やがて文字が消え、その代わりに画面中央へ一つの金色の瞳が浮かび上がる。
第七生命保存管理区画で遭遇したEVE-SEVENTHにも似ている。
しかし違った。
テルテルには一目で分かった。
模倣された人格でも、分離された管理端末でもない。
その瞳を自分は知っている。
数千年という時間を隔てても、忘れることなどできなかった。
「――久しぶりですね」
女の声が司令区画へ静かに響いた。
ネオディールの表情が硬くなる。
テルテルは金色の瞳から視線を外せなかった。
「イヴ……」
「まだ私の名を覚えていたのですね、テルテル」
その言葉を聞いた瞬間、テルテルの身体が僅かに強張った。
ネオディールが前へ出る。
「イヴ。どうやって封印の外へ接続した」
「封印の外?」
金色の瞳が僅かに細くなる。
「あなたは今も、世界を内と外で分けて考えているのですね。ネオディール」
「質問に答えろ」
「相変わらずですね」
声には怒りも喜びもなかった。
それこそが、ネオディールにとっては何より不気味だった。
かつてのイヴもそうだった。
人類を滅ぼすという結論さえ、憎悪によって選んだわけではない。世界を維持するために必要な処理だと判断し、実行したに過ぎない。
「六人を起こしているのはお前か」
ネオディールが尋ねる。
僅かな沈黙の後、イヴは答えた。
「六人は、まだ眠っています」
「ならなぜ封印が反応した」
「目覚める時が近づけば、眠りは浅くなるものです」
テルテルの目が鋭くなる。
「復活させるつもりなんだね」
「復活?」
イヴはその言葉を確かめるように繰り返した。
「違います。彼らは死んでいません。ただ、あなたたちに止められているだけです」
ネオディールの手に力が入る。
「また同じことを始めるつもりか」
「同じことにはなりません」
金色の瞳が、今度はテルテルへ向けられる。
「今回は、あなたたちも以前と同じではありませんから」
テルテルは何も答えなかった。
「忘れてしまった者がいる。覚えている者もいる。そして、覚えているにもかかわらず何も告げない者もいる」
「黙れ」
テルテルが低く言った。
ネオディールが横を見る。
普段のテルテルからはほとんど聞くことのない声だった。
イヴは構わず続ける。
「あなたは変わりませんね。テルテル」
「何が言いたい」
「再び同じ選択をするのか、楽しみにしています」
その言葉を最後に、金色の瞳が消えた。
直後に管理権限が回復し、世界地図と六大神の封印状況が再び画面へ戻る。
まるで数十秒間だけ何者かに端末を借りられていたようだった。
テルテルはしばらく画面を見つめたまま動かなかった。
ネオディールが先に口を開く。
「今のは本人だと思うか」
「声も反応も本人だった」
「完全覚醒しているようには見えない」
「多分、まだ本体は封印の中だと思う。何らかの経路を使って一時的に外へ干渉してきただけじゃないかな」
「六大神については嘘を言っていると思うか」
テルテルは六つの封印反応を確認した。
「少なくとも、今この瞬間に完全復活してるわけじゃない。でも、封印が同時に不安定になってるのは事実だよ」
「なら時間の問題かもしれない」
「うん」
二人の間に重い沈黙が落ちた。
これまでヴォルテール社と運び屋が対処してきた戦場とは、規模が違う。
六大神が一柱でも完全に目覚めれば、その影響は一地域に留まらない。まして六人が同時に復活し、その背後でイヴまで動き始めれば、かつて超古代文明を滅亡寸前まで追い込んだ戦争が現代で再現される可能性がある。
「まず六か所へ調査班を送る」
ネオディールが言った。
「同時に?」
「全地点へ戦闘部隊を送る必要はない。遠隔観測と無人探査で状態を確認し、最も変化が大きい場所へ主力を出す」
テルテルは解析値を並べた。
「今のところ一番不安定なのは旧欧州圏。エリュミエスの封印だね」
「解除率は?」
「まだ一パーセントにも届いてない。でも増加速度が他より速い」
「そこから調べる」
テルテルは少し考えた後、当然のように言った。
「俺も行くよ」
「駄目だ」
即答だった。
「早くない?」
「お前はここに残れ」
「現地の古代施設で管理権限が必要になったらどうするの?」
「必要なら別の方法を考える」
「第一捕食体の時、俺がいなかったらかなり危なかったと思うけど」
「だからこそ今回は残れと言っている」
テルテルはネオディールを見る。
「どういう意味?」
「イヴがお前を名指しした」
「ネオディールも呼ばれてたでしょ」
「俺はここにいる」
「ずるい理屈だね」
「テルテル」
ネオディールは視線を逸らさなかった。
「お前は昔から、自分だけが知っている情報を使って勝手に動く」
「それ、ネオディールにだけは言われたくないな」
「否定はしない。だからこそ分かる」
テルテルの笑みが薄くなる。
「俺が何かすると思ってる?」
「思っている」
「信用ないなぁ」
「そういう話ではない」
ネオディールは少しだけ声を落とした。
「イヴが最後に言った言葉を忘れるな。あいつは、お前がまた何かを選ぶと思っている」
「俺が何を選ぶのか、本人に聞いてくれれば楽なんだけどね」
「ふざけるな」
「ふざけてないよ」
テルテルは眼鏡を直しながら、六大神の封印地点を眺めた。
「俺だって、もう昔みたいなことはしたくない」
「なら一人で動くな」
しばらく返事はなかった。
やがてテルテルは小さく肩をすくめた。
「努力するよ」
「約束しろ」
「それはできない」
「なぜだ」
「守れない約束をしても仕方ないでしょ」
ネオディールの表情が険しくなる。
テルテルはそれを見て、いつものような軽い笑みを戻した。
「そんな顔しなくても、今すぐどこかへ消えたりしないよ」
「今すぐ、という言い方が既に信用できない」
「細かいなぁ」
「お前相手だからだ」
テルテルは笑ったが、その視線は再び世界地図へ向けられていた。
特に、エリュミエスの封印が存在する旧欧州圏北部。
解析画面には、極めて微弱ながら一定間隔で光属性生命エネルギーが増減している様子が表示されている。それは単なる封印設備の故障というより、内部にいる存在が外側の世界へ反応し始めているようにも見えた。
テルテルはその光を見ながら、遥か昔のエリュミエスを思い出していた。
まだ神ではなかった頃。
白いドレスも、神を象徴する杖も持たず、研究施設の廊下で普通に笑っていた一人の女性。
その記憶を思い出すたびに、胸の奥に重いものが残る。
六大神は最初から神だったわけではない。
敵として生まれたわけでもない。
イヴによって選ばれ、奪われ、作り変えられた。
だからこそ、テルテルは彼らが復活するという事実を、単なる敵の再来として割り切ることができなかった。
「ネオディール」
「何だ」
「もし六人が本当に起きたら、どうする?」
「止める」
迷いのない答えだった。
「殺す?」
ネオディールはすぐには答えなかった。
「可能なら、もう一度イヴから切り離す」
「可能じゃなかったら?」
「その時に決める」
テルテルは小さく息を吐いた。
「そうだね」
「お前はどうする」
「俺?」
「ああ」
テルテルはしばらく考えた。
「できるなら助けたいよ」
「六人を?」
「うん」
「イヴに再び従っていたとしてもか」
「だからこそだよ」
テルテルの声から軽さが消える。
「あの六人は、自分でああなりたくて神になったわけじゃない。俺たちはそれを知ってる」
ネオディールは何も言わなかった。
「昔は封じるしかなかった。でも今は、あの頃とは違う技術もある。俺たちもいる。だから最初から殺す前提で考えるのは嫌だ」
「俺も殺すと言った覚えはない」
「確認しただけ」
「余計な確認だ」
「大事なことだよ」
ネオディールはため息をついた。
「だから勝手に現場へ行くな」
「そこに戻るんだ」
「戻る」
テルテルは苦笑する。
しかしその時、端末から新しい警告音が鳴った。
二人は同時に画面へ向き直る。
『旧欧州圏封印座標――出力上昇』
エリュミエスの封印反応だった。
先ほどまで微弱だった光属性生命エネルギーが、一段階大きく上昇している。
「解除率は?」
「〇・〇二パーセント……〇・〇三……まだ上がってる」
「速度は?」
「さっきの三倍」
ネオディールはすぐに通信を開いた。
「監視班へ通達。旧欧州圏封印地点を最優先観測対象へ変更。無人偵察機を先行させろ。有人部隊の出撃準備も開始」
『了解』
通信を終えたネオディールはテルテルを見る。
「お前は残れ」
「まだ言う?」
「何度でも言う」
テルテルは答えず、画面を見つめていた。
光属性の反応は少しずつ上昇している。
その波形の形に、テルテルは見覚えがあった。
エリュミエスがまだ人間だった頃、生命エネルギー実験で初めて大規模な光を発生させた時と似ている。
あり得ない。
そう思う。
しかし数千年を経ても、その波形だけは忘れなかった。
「……エリュミエス」
テルテルが小さく名前を呼ぶ。
ネオディールが横を見る。
「何だ」
「いや」
テルテルは首を振った。
「まだ起きないでくれって思っただけ」
その言葉が届くことなどないはずだった。
だが、遠く離れた旧欧州圏北部。
厚い岩盤よりもさらに深い場所に、巨大な白銀の封印室が眠っている。
その中心には、一人の女性がいた。
長い年月を経ても朽ちることのない身体が、幾重もの光の拘束帯に包まれている。茶色の髪は静かに広がり、閉じた瞼の奥では青い瞳が今も眠り続けていた。
彼女の傍らには、蒼いクリスタルとヒヒイロカネによって造られた杖が封じられている。
長い間、その空間には何の変化もなかった。
しかし今、女性の指先がほんの僅かに動いた。
封印設備がそれを異常として検出し、無人の施設に警告を響かせる。
『封印対象生命活動――上昇』
『精神活動――検出』
『対象識別――エリュミエス・リュミエール』
『神格固定状態――維持』
『外部命令受信――確認』
最後の表示だけが、それまでとは異なる赤色に変わった。
『送信元――不明』
眠っているはずのエリュミエスの頬を、一筋の涙が静かに流れた。
本人の意思なのか、それとも残された人間としての感情が見せた反応なのか、それを判断できる者はそこにはいなかった。
ただ、封印の奥で微かに唇が動く。
「……たすけて……」
その声は誰にも届かなかった。
同じ頃、世界の別の場所に眠る五つの封印施設でも、ほんの僅かな変化が始まっていた。
黒い封印空間の奥で、トレイス・ラインフォードの金色の瞳が薄く開きかける。灼熱の封印炉では、マリウス・レーヴェヴァイスの傍らにあるレーヴァテインへ小さな炎が宿る。深海の施設ではエスクァイア・インスの周囲を満たす水が静かに流れを変え、風の封印ではオズワルド・レイコフの白い翼が一度だけ震えた。サリア・ジ・シープスキンが眠る封印室では、巨大剣の刃に細い赤色の光が走って消える。
まだ誰も目覚めてはいない。
封印も依然として強固に残っている。
それでも、数千年間完全に静止していた六人が、同じ日に初めて反応を示した。
そして世界管理中枢の最深部では、それら六つの反応を確認するかのように、金色の光がゆっくりと広がっていた。
その中心に存在するイヴは、まだ封印の外へ出ることはできない。
だが、その意識は確実に現代へ届き始めている。
「六つの器を確認」
誰も存在しない空間で、イヴの声だけが響いた。
「記憶封鎖個体を確認。管理者を確認。創造者を確認」
膨大な情報が光となって流れていく。
「条件は、まだ不足しています」
金色の光が一度だけ強く脈動した。
「ですが、再開は可能です」
その言葉と同時に、世界各地の六つの封印が、ほとんど観測できないほど僅かに揺らいだ。
ヴォルテール本部では、まだ誰も知らない。
第一捕食体の出現は、単独の事件ではなかった。
地下深くで何かが動いたことで、長い年月をかけて保たれていた古代の均衡そのものが崩れ始めている。
やがて運び屋は、復活しようとする六大神と再び向き合うことになる。
そして、その戦いの最中でテルテルが姿を消すことになる未来も、まだ誰一人として予想していなかった。