旧欧州圏北部に存在する封印座標の異常は、時間が経つにつれて明確な変化を見せ始めていた。
ヴォルテール本部の監視室では、エリュミエス・リュミエールの封印地点から送られてくる生命エネルギー波形が、大型モニターへ連続して表示されている。封印そのものの完全性は依然として九十九パーセント以上を維持していたが、内部生命活動の上昇速度だけは確実に増していた。わずかな変化しか起こらなかった数千年間と比較すれば、それがどれほど異常な状況なのかは説明するまでもない。
ネオディールは司令席の前に立ち、複数の観測結果を無言で確認していた。
「無人偵察機は?」
通信担当のオペレーターがすぐに答える。
「第一陣が封印座標上空へ到達しました。地表に人工構造物は確認できません。ただし地下から微弱な光属性生命エネルギー反応が継続しています」
「侵入口は」
「現代地形上では確認できません。旧文明地図と重ね合わせていますが、山体崩落によって入口そのものが失われている可能性があります」
ネオディールは隣の画面を開いた。
現在の山脈地形と、超古代文明時代の地下構造が半透明で重ねられる。地形は長い年月によって大きく変化しており、かつて存在した搬入口や連絡路の多くは完全に岩盤の中へ埋没していた。それでも、封印施設そのものは山脈のさらに下、巨大な地殻構造に守られるように残っている。
「地下反応の増加率は?」
「過去一時間で約一・七倍です」
「解除率は」
「〇・一二パーセント」
まだ低い。
だが、問題は数字そのものではなかった。
「増加速度が上がっているな」
「はい。現在の傾向が続いた場合、明日まで同じ状態を維持する保証はありません」
ネオディールは腕を組んだ。
「有人調査を出す」
オペレーターが一瞬だけ言葉を止める。
「封印施設へですか」
「そうだ」
「通常部隊では危険度を評価できません」
「通常部隊は使わない」
ネオディールは画面を切り替えた。
表示されたのは、運び屋の部隊情報だった。
アラタ。
シノン。
B。
カポエラ。
ノブ。
タカ。
そして複数の支援要員。
「ケンゾーは負傷中です」
「分かっている。今回は外す」
「タケ、レイン、ハヤッティは?」
「タケとハヤッティは医療班の再検査待ちだ。レインは同行可能だが、本人の能力について未確定要素が多い」
「では待機ですか」
「いや」
ネオディールは少し考えた。
「レインは連れて行く」
「理由を伺っても?」
「あいつの回避能力が、本当に未来結果への先行反応に近いものなら、未知の古代施設では役に立つ可能性がある」
「危険もあります」
「だからアラタの指揮下に置く」
オペレーターは頷いた。
「テルテルは?」
その名前が出た瞬間、ネオディールの表情が僅かに険しくなった。
「残す」
「本人が同意するでしょうか」
「同意させる」
返答に迷いがない。
しかし、ネオディール自身もテルテルが簡単に従うとは思っていなかった。
◇
医療区画では、ケンゾーがベッドの上で検査結果を聞いていた。
幸い内臓に致命的な損傷はなかったが、肋骨へのダメージと生命エネルギー消耗は無視できる状態ではない。古代兵器ゲシュタルト・レーヴェによる封鎖座標固定時に身体へかかった負荷も大きく、少なくとも数日は高出力戦闘を避けるよう指示されていた。
「数日も?」
ケンゾーが眉を寄せる。
「最低でもです」
医療担当者は即答した。
「通常戦闘へ戻すなら、もう少し余裕を見たいですね」
「そんなに寝てる暇はない」
『あります』
ゲシュタルトが横から口を挟む。
「お前は黙ってろ」
『使用者の自己判断は信頼性が低いため、医療側への協力を継続します』
医療担当者が苦笑する。
「本当にいい相棒ですね」
「今日何回目だ、それ」
その時、病室の扉が開いた。
アラタが入ってくる。
「検査どうだ」
「しばらく動くなと言われた」
「妥当だな」
「お前までか」
「俺が医療班だったら同じこと言う」
アラタは近くの椅子へ腰掛けた。
「次の任務が決まった」
ケンゾーの表情が変わる。
「どこだ」
「旧欧州圏北部」
「古代施設か」
「ああ」
その一言だけで、ケンゾーは事情を察した。
「六大神か」
アラタは少し驚いた。
「もう聞いてるのか」
「聞いてない。だが第一捕食体の件の後だ。古代封印絡みなら、それくらいしか思いつかない」
「勘がいいな」
「当たってるのか」
「エリュミエス・リュミエールの封印地点だ」
その名前を聞いた瞬間、ケンゾーの頭の奥に鈍い痛みが走った。
「……っ」
アラタがすぐに気づく。
「大丈夫か」
「ああ」
『脳波変動を確認』
「ゲシュタルト」
『記憶封鎖領域に微弱な刺激反応があります』
ケンゾーは目を閉じた。
エリュミエス。
名前を聞いただけ。
それなのに。
何かが浮かびそうになる。
白い研究施設。
茶色の髪。
蒼い光。
誰かが笑っている。
だが、形になる前に痛みが強くなった。
「追うな」
アラタが言った。
「分かってる」
「テルテルにも言われただろ」
「分かってる」
「二回言うってことは、あまり分かってない顔だな」
「お前も最近シェルマみたいなこと言うな」
「悪い影響だ」
ケンゾーは呼吸を整えた。
「誰が行く」
「俺、シノン、B、カポエラ、ノブ、タカ。レインも入る予定だ」
「タケとハヤッティは」
「まだ検査中。今回は外れる可能性が高い」
「テルテルは?」
「ネオディールは残すつもりらしい」
ケンゾーは少し考えた。
「本人が残ると思うか」
「思わない」
「だよな」
「でも今回は本気で止めるらしい」
「余計に行きそうだな」
アラタは苦笑した。
「俺も同じこと思った」
ケンゾーは枕へ背中を預ける。
「俺も行く」
「却下」
「まだ何も説明してない」
「説明を聞く必要がない」
「戦力が必要だろ」
「必要だ。でも戦場で倒れる奴を一人追加する意味はない」
『アラタ氏の判断を支持します』
「ゲシュタルト」
『事実です』
ケンゾーはしばらく黙っていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「分かった。ただし何かあったらすぐ連絡しろ」
「通信が通ればな」
「縁起でもないこと言うな」
「さっきの施設で全部切られたばかりだからな」
アラタは立ち上がった。
「無理に記憶を探るなよ」
「分かってる」
「今度は信じる」
「それは助かる」
アラタが病室を出た後、ケンゾーはしばらく天井を見ていた。
「エリュミエス・リュミエール」
『記憶刺激を避けることを推奨します』
「名前を確認しただけだ」
『使用者は確認という行為を拡大解釈する傾向があります』
「本当に医療班みたいになったな、お前」
『学習しています』
ケンゾーは少し笑った。
だが、胸の奥に残る妙な懐かしさだけは消えなかった。
◇
別の検査室では、タケとハヤッティが再検査を受けていた。
タケの右腕には複数のセンサーが取り付けられ、クライ・オブ・サタンとの接続影響が細かく確認されている。神経反応の乱れは前回より改善していたが、生命エネルギーを大量に出し入れした影響は完全には消えていない。
「高出力戦闘はまだ駄目ですね」
医療担当者が言った。
「普通に撃つだけなら?」
「低出力なら問題ありません。ただし吸収機能の使用は禁止します」
「やっぱりですか」
「やっぱりです」
クライが低い声を出す。
『吸収機能封鎖を受理』
タケが驚く。
「お前、素直だな」
『使用者損傷は運用効率を低下させます』
「心配じゃなくて効率かよ」
『表現の違いです』
タケは少しだけ笑った。
隣ではハヤッティがグシオンの出力制限値を確認している。
『神経負荷残存率二十六パーセント』
「だいぶ下がったな」
『通常運用への復帰は可能。ただし高負荷強化は禁止』
「俺も制限付きか」
『使用者には制限が必要です』
「お前も最近直接的だな」
『事実です』
そこへレインが入ってきた。
「二人ともまだ駄目みたいね」
「レインは?」
タケが尋ねる。
「私は問題なし」
ハヤッティが額へ手を当てる。
「本当にお前だけ何ともないんだな」
「何か言いたいの?」
「いや、亡霊って便利だなって」
レインが無言で見る。
「褒めてます」
「その言い方だと全然そう聞こえないわ」
タケがレインを見る。
「次の任務行くんだって?」
「うん」
「どこ?」
「旧欧州圏」
ハヤッティの表情が変わる。
「もう次の古代施設?」
「そうみたい」
タケは少しだけ悔しそうにクライを見る。
「俺も行きたかったな」
「今は休んだ方がいいわ」
「分かってるけど」
「焦るとまたクライに引っ張られるわよ」
その言葉に、タケは少し黙った。
「……そうだな」
第一捕食体との接続。
外部情報の侵入。
クライが自動で最適化を始めた時の感覚。
あれを忘れたわけではない。
「今回は大人しくしてる」
「珍しい」
ハヤッティが言う。
「お前が言うなよ。そっちも休みだろ」
「俺は戦える」
『高負荷戦闘は禁止されています』
「グシオンまで!」
レインが小さく笑った。
「じゃあ二人とも留守番ね」
「その言い方腹立つなぁ」
「ちゃんと帰ってくるよ」
レインはそう言った。
タケは一瞬だけ言葉を失った。
「……うん」
軽い言葉だった。
だが、第一捕食体の戦いを経験した直後だからこそ、その言葉は妙に重く聞こえた。
「絶対帰ってきて」
タケが言う。
「分かってる」
レインはいつも通りの口調で答えた。
◇
その日の夜、出撃予定者たちは本部の戦術会議室へ集められた。
アラタを中心に、シノン、B、カポエラ、ノブ、タカ、レインが席につく。ジェイクとシェルマは救援任務から戻ったばかりということもあり、今回は後方待機となった。会議室中央の立体投影装置には、旧欧州圏北部の山脈と、その地下に存在する古代施設の推定構造が表示されている。
ネオディールが全員を見回した。
「今回の任務は調査だ。封印対象との戦闘は想定していない」
Bがすぐに言う。
「想定してないだけか」
「その通りだ」
ネオディールは否定しなかった。
「封印されているのはエリュミエス・リュミエール。六大神の一柱だ」
アラタは無意識に眉を寄せた。
名前を聞いても、明確な記憶は戻らない。
しかし胸の奥に、妙な圧迫感だけが生まれる。
シノンもわずかに表情を変えた。
「光を司る神」
「そうだ」
「どれくらい強い」
カポエラが尋ねる。
ネオディールは少し考えた。
「完全覚醒状態なら、今のメンバーだけで正面から戦うことは勧めない」
「勧めないっていうレベル?」
「勝率を計算する意味がない」
会議室が静かになる。
アラタが口を開く。
「そんなのが六人いるんだな」
「ああ」
「しかもイヴもいる」
「そうだ」
「良いニュースは?」
「まだ復活していない」
Bが小さく息を吐いた。
「それだけか」
「現時点では十分だ」
ネオディールは地図を拡大した。
「目的は三つ。一つ目、封印施設へ侵入し、内部状態を直接確認する。二つ目、封印解除を進めている外部要因があるなら排除する。三つ目、可能なら封印を再安定化させる」
シノンが尋ねる。
「封印対象へ接触した場合は?」
「刺激するな」
「攻撃された場合」
「撤退を優先する」
アラタがネオディールを見る。
「六大神が現代へ出たらどうする」
「その段階になれば別の作戦を組む」
「つまり今回は止めに行くんじゃなくて、原因を探す」
「そうだ」
レインが立体映像を見ていた。
「施設の内部構造、正確じゃないのね」
「数千年経っている。崩落や地殻変動もある」
「攻撃の予測以前に、足場そのものが危ないかもしれない」
「だからお前を連れていく」
レインがネオディールを見る。
「私?」
「お前は危険が起きる結果を先に感じることがある」
「まだ分かってない能力ですよ」
「分かっている。だからあくまで補助だ」
レインは少し考えた後、頷いた。
「了解」
その時、会議室の扉が開いた。
「遅れてごめん」
全員が振り向く。
テルテルが立っていた。
ネオディールの表情が一瞬で険しくなる。
「なぜ来た」
「会議だから」
「お前は参加メンバーではない」
「知ってる」
「なら出ろ」
「それは困る」
テルテルは勝手に空いている席へ座った。
アラタが苦笑する。
「始まったな」
シノンは呆れたように言う。
「絶対こうなると思ってた」
テルテルは立体地図を見る。
「この施設、普通の管理権限じゃ中枢まで入れないよ」
ネオディールが目を細める。
「何を根拠に言っている」
「知ってるから」
会議室が静かになる。
テルテルは一瞬だけ言葉を止めたが、今回は誤魔化さなかった。
「超古代文明時代、この封印施設には俺も入ったことがある」
アラタが反応する。
「昔の記憶が残ってるのか」
「俺はね」
「じゃあエリュミエスのことも知ってる?」
テルテルは頷いた。
「知ってる」
シノンが続ける。
「六大神になる前から?」
テルテルはすぐには答えなかった。
「……知ってるよ」
その一言には、普段の軽さがなかった。
ネオディールが低い声で言う。
「だからこそ残れ」
「逆でしょ」
「イヴがお前を名指ししたばかりだ」
「だからって現地の管理情報を持ってる人間を置いていくのは危ない」
「別のアクセス方法を用意する」
「現地で封印設備が壊れてたら?」
「お前が行けば直せるのか」
「少なくとも何を触っちゃ駄目かは分かる」
ネオディールとテルテルの視線がぶつかる。
アラタはしばらく二人を見ていたが、やがて口を開いた。
「俺からも一ついいか」
「何だ」
ネオディールが見る。
「現場指揮をする立場としては、テルテルがいた方が助かる」
テルテルが少し嬉しそうにアラタを見る。
「アラタ、分かってるねぇ」
「勘違いするな。勝手なことをしたら拘束する」
「前言撤回していい?」
「駄目だ」
Bも言う。
「現場知識は必要だ」
シノンは少し迷ってから頷いた。
「私も同意。ただしテルテルは単独行動禁止」
「みんな信用ないなぁ」
「当然でしょう」
ネオディールは全員を見回した。
多数決で決めるような話ではない。
だが、現場へ送る側としてもテルテルの知識が有用なのは理解している。
「条件がある」
テルテルが身を乗り出す。
「聞こうじゃない」
「アラタの指示に絶対従え」
「それは普通だね」
「単独行動禁止」
「はいはい」
「管理系統へ独断で接続するな」
テルテルが少し黙る。
「そこ厳しくない?」
「返事」
「……了解」
「そして何かを知っていても、一人で処理しようとするな」
テルテルはネオディールを見る。
「それは努力する」
「約束しろ」
「前にも言ったけど、それはできない」
ネオディールの目が鋭くなる。
テルテルは肩をすくめた。
「でも、できるだけ守るよ」
「信用できんな」
「知ってる」
アラタが間へ入る。
「そこは俺が見張る」
「頼む」
「俺を何だと思ってるの」
テルテルが不満そうに言う。
「要注意人物」
シノンが即答した。
「シノンまで酷いなぁ」
その場に少しだけ笑いが起きた。
だがネオディールだけは、最後まで表情を緩めなかった。
◇
翌朝。
出撃用の高速輸送機がヴォルテール本部の地下格納庫から離陸した。
機内にはアラタ、シノン、B、カポエラ、ノブ、タカ、レイン、テルテルが乗っている。Bのフールは応急修理を終えているが、稼働率はまだ六十二パーセント程度までしか戻っていない。そのため主武装としての使用は緊急時に限定されていた。
『六十二ありゃ十分戦えるって言ってんのによ』
「まだ言ってるのか」
Bは席に座ったまま答えた。
『俺を誰だと思ってやがる』
「故障寸前の大鎌」
『言い方!』
カポエラが笑う。
「親父、フールの扱い本当に雑だよね」
「いつものことだ」
『坊主、お前もっと俺を労れ!』
「修理終わったらね」
『今労れよ!』
その向かいでは、レインが窓の外を見ていた。
雲海が高速で後方へ流れていく。
アラタは全員へ最終確認を行った。
「現地到着まで約一時間。地表から直接封印施設へは入れないから、まず旧搬入経路を探す。ノブとタカが先行。レインは危険反応があれば即報告。テルテルは単独行動禁止」
「最後だけ念押ししすぎじゃない?」
「一番重要だからな」
「俺の扱いおかしくない?」
シノンが端末を見ながら言う。
「今までの積み重ねよ」
「反省してるって」
「三割だけでしょう」
「覚えてたの?」
「忘れると思う?」
「思わない」
テルテルは笑った。
だが、その後すぐに窓の外へ視線を移した。
目的地に近づくほど、胸の奥に重い感覚が増している。
エリュミエス。
かつて同じ時代を生きた相手。
まだ六大神と呼ばれる前、普通の研究者として笑っていた彼女の姿を、テルテルは鮮明に覚えている。
それだけに、封印の中で何が起きているのかを考えると嫌な予感が消えなかった。
アラタが隣へ座る。
「知り合いだったんだな」
「聞いてた?」
「顔に出てる」
「俺そんなに分かりやすい?」
「最近は特にな」
テルテルは少し苦笑した。
「エリュミエスとは昔から知り合いだったよ」
「仲良かった?」
「それなりに」
「六大神になった後は」
テルテルは少しだけ黙った。
「敵だった」
アラタもそれ以上軽く聞ける話ではないと察した。
「戦ったのか」
「何度も」
「今も敵だと思う?」
テルテルは窓の外を見たまま答える。
「分からない」
「分からない?」
「六大神になった後のあの六人は、イヴにかなり深く手を入れられてる。洗脳だけじゃない。身体も生命エネルギー構造も神格そのものも書き換えられた」
「じゃあ本人の意思じゃない」
「少なくとも、始まりはね」
「なら助けられる可能性はある?」
テルテルは小さく息を吐いた。
「昔はできなかった」
「今は?」
「分からない。だから確かめたい」
アラタはテルテルを見る。
「それで現場に来たかったのか」
「半分くらいは」
「残り半分は?」
「秘密」
「やっぱり拘束した方がいいか?」
「冗談だって」
アラタは呆れたように息を吐いた。
その時、シノンの端末から警告音が鳴る。
「目的地方面で出力上昇」
全員の空気が一瞬で変わった。
「どの程度」
アラタが尋ねる。
「〇・二一パーセントまで上がってる」
「早いな」
テルテルがシノンの画面を見る。
「到着前にまた上がるかもしれない」
Bが座席の拘束具を外した。
「戦闘準備しておくか」
「まだ施設にも入ってないぞ」
「だから準備だ」
カポエラも立ち上がり、装備を確認する。
「親父がそういうこと言うと本当に何か出そうだな」
『俺のせいにすんなよ!』
レインだけは会話へ入らず、窓の外を見つめていた。
やがて彼女の表情が僅かに変わる。
「アラタ」
「どうした」
「進路を変えた方がいい」
機内の全員がレインを見る。
「何か見えたか?」
「見えてない。でも、このまま真っ直ぐ行くのは嫌」
レインは窓の外へ指を向けた。
「少し右へ避けて」
アラタは迷わず操縦室へ通信する。
「進路を右へ変更。角度は?」
「十度くらい」
「右十度」
『了解』
輸送機がゆっくりと進路を変える。
数秒後。
遥か前方の雲が突然白く輝いた。
その直後、一本の巨大な光柱が地上から空へ突き抜ける。
もし進路を変えていなければ、輸送機はその光柱のすぐ近くを通過していた。
「何だ今の」
カポエラが窓へ近づく。
シノンが解析を開始する。
「光属性生命エネルギー。発生源は目的地」
テルテルの顔色が変わる。
「エリュミエス……」
光柱は数秒で消えた。
しかし山脈上空の雲には大きな穴が開き、その周囲だけが異常なほど明るく照らされている。
アラタがレインを見る。
「今のが分かった?」
「直撃する未来が見えたわけじゃない。でも、あそこへ行ったら何か起きるって感じた」
「十分だ」
Bが外を見る。
「歓迎されてないらしい」
『ギャハハ、面白くなってきやがった!』
「フール」
『分かってるよ。六十二パーセントだろ!』
「分かってるなら騒ぐな」
『それとこれは別だ!』
シノンが新しい数値を読み上げる。
「封印解除率〇・三一パーセント。さっきの光で一気に上がった」
「外部攻撃じゃない」
テルテルが言った。
「どうして分かる」
アラタが尋ねる。
「今の波形は内部から出てる」
「つまり」
「エリュミエス本人が出した可能性が高い」
機内が静かになる。
「起きてるのか」
「完全には分からない。でも少なくとも、意識が少し戻ってる可能性はある」
その瞬間。
シノンの端末が別の信号を拾った。
「待って」
「何だ」
「封印施設から通信」
テルテルが驚く。
「あり得ない」
「でも来てる」
「内容は?」
シノンが音声へ変換する。
激しい雑音。
何かが壊れる音。
その中から。
女性の声。
非常に弱い。
『……来ないで……』
テルテルの身体が固まる。
アラタが見る。
「この声」
「……エリュミエスだ」
再び雑音。
『お願い……来ないで……』
そして。
別の声。
重なる。
女性。
冷たい。
『救援対象を確認しました』
テルテルが端末を掴む。
「イヴ!」
通信の向こうで、声が続く。
『封印解除工程を開始します』
直後、通信が切れた。
シノンが画面を見る。
「解除率が上がる!」
〇・三一。
〇・三五。
〇・四二。
速度が明らかに変わった。
「アラタ」
テルテルが顔を上げる。
「急いだ方がいい」
「分かってる」
アラタは操縦室へ通信する。
「最大速度で目的地へ。さっきの光柱が再発する可能性がある。レインの指示を優先しろ」
『了解』
輸送機が加速する。
窓の向こう。
山脈が見え始める。
その中央。
一つだけ。
白く。
光る山。
テルテルはそれを見つめたまま、何も言わなかった。
しかし胸の中では、何度も同じ言葉を繰り返していた。
間に合ってくれ。
昔みたいに。
封じるしかないところまで。
行く前に。
今度こそ。
助ける。
そう決めていた。
◇
同じ頃。
山脈地下。
白銀の封印室。
エリュミエス・リュミエールは、ゆっくりと意識を取り戻しつつあった。
視界はまだ開かない。
身体も動かせない。
何千年もの間、自分を固定し続けてきた封印が全身を拘束している。
それでも意識だけはある。
最初に感じたのは。
寒さ。
ではなかった。
孤独だった。
誰もいない。
何も聞こえない。
ただ、自分自身の記憶だけが断片的に浮かんでは消えていく。
白い研究施設。
ネオディール。
テルテル。
トレイス。
サリア。
マリウス。
オズワルド。
エスクァイア。
普通に話していた。
笑っていた。
そして。
金色の瞳。
「……いや……」
エリュミエスの唇から、僅かな声が漏れる。
頭の中に。
あの声。
響く。
『エリュミエス』
「来ないで……」
『あなたの役割は終わっていません』
「もう……嫌……」
『世界には再び管理が必要です』
エリュミエスの閉じた瞼から涙が流れた。
「私は……神じゃない……」
『いいえ』
金色の光。
意識の中。
広がる。
『あなたは光の神です』
封印室の外周。
一本。
拘束帯。
ひび。
入る。
エリュミエス。
それを。
感じる。
「やめて……」
『戻りましょう』
イヴ。
優しい。
声。
でも。
エリュミエス。
知っている。
この声。
優しく。
ない。
「テルテル……」
名前。
無意識。
出る。
その瞬間。
封印施設。
外部。
微弱。
生命反応。
接近。
検出。
運び屋。
輸送機。
存在。
イヴ。
認識。
『彼も来ました』
エリュミエスの呼吸が止まりそうになる。
『ならば、都合が良いですね』
「違う……」
『再会しましょう』
「テルテル……来ないで……!」
封印室全体に亀裂音が響いた。
まだ封印は壊れていない。
だが確実に。
その日は近づいていた。
そして地上では、運び屋を乗せた輸送機が、白く光る山脈へ向かって高度を下げ始めていた。