ケンゾーの身体は凄まじい勢いでホールを横切り、壁面に並んでいた古代設備の一つへ叩きつけられた。白銀色の外装が大きく陥没し、衝撃で周囲のパネルが一斉に砕け散る。遅れて床を伝った振動が足元を揺らし、タケは自分が何を見たのか理解するまで数秒を要した。
「……ケンゾーさん?」
いつもなら、敵の攻撃を真正面から受け止めてもほとんど崩れない男だった。
数的不利も、重火器も、古代兵器さえも押し切ってきた。タケが運び屋へ入るきっかけになった人物であり、数え切れない戦場で絶望的な状況を覆してきた存在。それゆえに呼ばれるようになった異名が、漆黒の英雄だった。
そのケンゾーが、たった一撃で吹き飛ばされた。
「ケンゾーさん!」
タケが反射的に駆け出そうとする。
「行くな!」
シノンの声が飛んだ。
ほぼ同時に、黒い巨人の頭部がタケの方へ動く。
顔らしいものは存在しない。それでも、見られたという感覚だけはあった。
『次期排除対象を選定』
「タケ、下がって!」
レインがタケの戦闘服を掴んで引いた。
次の瞬間、巨人がまた消える。
いや。
消えてなどいない。
速すぎるだけだ。
「右!」
レインが叫ぶ。
タケには何も見えていなかったが、その声を信じて身体を投げ出した。
直後、黒い腕が二人の間を通過する。
風圧だけで床の水が吹き飛び、タケの身体まで横へ転がった。
「うわっ……!」
その先にいたレインへ、巨人は踏み込んだ勢いのまま二撃目を放つ。
拳。
直線的な攻撃。
だが速度が異常だった。
それでもレインは避ける。
攻撃が始まるより先に右足を引き、肩を沈めた。黒い拳が彼女の頬の横を掠める。直後に巨人の左腕が横薙ぎに振るわれたが、レインはさらに半歩踏み込み、相手の懐へ潜り込むことで射程から外れた。
「また……!」
ハヤッティが息を呑む。
敵は人間ではない。
攻撃速度も、間合いも、威力も、これまで戦った相手とは比べものにならない。それなのにレインは被弾しない。
どれほど危険な攻撃でも、弾幕の中でも、彼女だけは不思議なほど攻撃の存在しない場所へ身体を滑り込ませていく。
だから戦場では、いつしかこう呼ばれるようになった。
亡霊。
「レイン!」
タケが立ち上がる。
「撃つ!」
「待って!」
レインの声が飛ぶ。
巨人の胸部。
赤く光る六芒星。
その周囲へ一瞬だけ複数の線が走った。
「何か来る!」
「何が――」
ハヤッティが言い終える前に、胸部装甲が開いた。
赤光。
レインの表情が変わる。
「全員伏せて!」
光線が放たれた。
直線上にあった床と壁が一瞬で溶解する。
タケたちはぎりぎりで身を伏せた。
「これ、さっき地上で撃たれたやつと同じですか!?」
「違う!」
Bが答えた。
大鎌を持ったまま、タケたちの前へ滑り込む。
「出力が小さい。その代わり、連射できる」
『ギャハハ……笑えねぇなァ』
フール・オブ・グレモリーが低く笑った。
「笑ってるじゃないですか!」
ハヤッティが叫ぶ。
『これは癖だ!』
「どんな癖だよ!」
だが、そのやり取りの最中にも、黒い巨人の胸部へ再び赤光が集まり始めている。
Bはフールを両手で構える。
本来の姿である巨大な大鎌。
黒銀色の刃に紫色の光が走った。
「フール」
『おう』
「切るぞ」
『ギャハハハハハ! 結局やるんじゃねぇか!』
「刈れないとは言ったが、止められないとは言ってないんだろ」
一瞬、フールが黙った。
その直後。
『ギャハハハハハハッ! そうだよ! それでこそ俺の相棒だァ!』
「相棒とは認めてない」
『今それ言う!?』
黒い巨人が光線を放つ。
同時にBが大鎌を振り抜いた。
紫色の斬撃が弧を描き、赤い光線へ衝突する。
爆発ではなかった。
二つのエネルギーが真正面からぶつかり、空間そのものを捻るような激しい衝撃が広がる。
「ぐっ……!」
Bの足元が滑った。
巨大な大鎌を両手で押し込みながら、歯を食いしばる。
『重てぇ!』
「分かってる」
『もっと力入れろ!』
「入れてる」
『じゃあもっとだァ!』
「うるさい」
『ギャハハハ! この状況でその返しできるならまだ余裕あるなァ!』
「ない」
Bの声は淡々としていた。
だが、額からは汗が流れている。
次の瞬間。
紫色の斬撃が赤い光線を僅かに押し返した。
「今だ!」
シノンが叫ぶ。
銃声。
一発。
弾丸が黒い巨人の胸部へ直撃する。
赤い発光部の僅かに左。
装甲の継ぎ目。
普通なら狙うことすら困難な位置だった。
着弾。
火花。
巨人の身体が初めて揺れる。
『照射軸異常』
「B!」
「分かってる!」
Bが大鎌を振り切った。
紫色の斬撃が赤い光線を逸らす。
光線は天井へ突き刺さり、数十メートル先の装甲板を溶解させた。
『ギャハハハハハ! どうだ鉄屑!』
「フール、煽るな」
『勝った時くらいいいだろ!』
「まだ勝ってない」
黒い巨人がシノンへ向いた。
『脅威再評価』
「来る!」
シノンが後退する。
巨人が踏み込む。
しかし。
途中で止まった。
否。
止められた。
黒い何かが巨人の右脚へ絡みついている。
「……遅い」
瓦礫の奥。
ケンゾーが立っていた。
「ケンゾーさん!」
タケの顔が一気に明るくなる。
黒いロングコートは破れ、帽子は吹き飛ばされている。口元のマスクも一部が裂け、その隙間から血が流れていた。それでも彼は自分の足で立っていた。
右手にはゲシュタルト・レーヴェ。
ただし、いつもの武器形態ではない。
長い黒鎖へ変化し、巨人の右脚へ何重にも巻きついている。
『生体状態確認。肋骨に損傷』
「戦える」
『推奨しない』
「戦えるかと聞いた」
『……戦闘継続は可能』
「なら問題ない」
タケが唖然とする。
「問題ありますよ!」
思わず叫んだ。
ケンゾーがこちらを見る。
「何が」
「肋骨やられてるんですよね!?」
「一本か二本だ」
『三本』
「増やすな」
『事実』
ハヤッティが思わず頭を抱える。
「ゲシュタルトさん、今は正直すぎますって!」
「動けるなら十分だ」
「それが英雄基準なんですか!?」
「知らん」
黒い巨人が脚へ巻きついた鎖を力任せに引く。
ケンゾーの身体が前へ引かれる。
「ゲシュタルト」
『了解』
鎖が瞬時に分解する。
巨人が体勢を崩した。
その僅かな隙を、ケンゾーは逃さない。
前へ。
一気に距離を詰める。
『打撃形態』
ゲシュタルトが右腕を覆う巨大な籠手へ変形した。
拳。
黒い巨人の腹部へ叩き込む。
轟音。
巨体が数メートル後方へ滑る。
だが倒れない。
「硬いな」
『外殻強度、現代装甲基準値を大幅に超過』
「弱点は」
『解析中』
「急げ」
『努力する』
ケンゾーの目が僅かに動いた。
「お前、努力とか言うんだな」
『状況に適した表現と判断』
「そうか」
巨人が両腕を広げる。
背中から伸びていた複数の管が開く。
「ケンゾーさん!」
タケが叫ぶ。
『多数飛翔体』
ゲシュタルトが警告。
小型の黒い杭が数十本、空中へ放出された。
一斉射出。
「散れ!」
全員が動く。
タケは柱の裏へ飛び込んだ。
ハヤッティも反対側へ走る。
シノンは射線を見ながら後退。
Bはフールを回転させ、飛んでくる杭を大鎌の刃で次々と叩き落とす。
『ギャハハハハ! 多い多い多い!』
「楽しそうだな」
『楽しいに決まってんだろ!』
「俺は楽しくない」
『お前はいつもそうだな!』
一方。
レインだけは。
遮蔽物へ入らなかった。
「レイン!」
ハヤッティが目を見開く。
「何してんだ!」
杭が迫る。
十。
二十。
それ以上。
射線は複雑に重なり、逃げ場など存在しないように見えた。
レインは走り出す。
一歩。
二歩。
身体を傾ける。
一つ目の杭が肩のすぐ横を通る。
次の二本。
速度を落とす。
その前を通過。
三本目。
跳ばない。
逆に膝を折って低くなる。
頭上を抜ける。
四本。
五本。
六本。
動き続ける。
迷わない。
まるで最初から攻撃の軌道が床へ描かれていて、その線だけを避けて歩いているようだった。
『対象行動予測』
黒い巨人の頭部がレインを追う。
『修正』
射出角度が変化する。
新たな杭。
今度は逃げ道を先回りするように放たれる。
「レイン!」
タケが叫ぶ。
だが。
レインは急停止した。
それだけ。
彼女が進むはずだった位置を杭が通過する。
さらに後方から二本。
レインは振り返らない。
ほんの僅かに左肩を落とす。
二本の杭が身体を挟むように通り抜けた。
一本も当たらない。
黒い巨人の動きが。
僅かに止まった。
『行動予測――失敗』
ハヤッティが口を開けたまま呆然とする。
「……機械が混乱してる」
タケも同じだった。
「レイン、お前……」
「後で話して!」
レインが走りながら叫ぶ。
「今なら止まってる!」
その言葉でケンゾーが動いた。
「タケ!」
「はい!」
「胸部!」
「了解!」
タケが遮蔽物から出る。
ライフルを構える。
引き金。
連射。
胸部の六芒星へ弾丸が集中する。
弾かれる。
だが。
「まだ!」
タケは撃ち続ける。
一発。
二発。
三発。
装甲表面へ小さな傷が増える。
「ハヤッティ!」
「言われなくても!」
ハヤッティが腰部の装置へ手をかける。
今まで使っていた通常装備とは違う。
黒銀色の小型ユニット。
中央に青い光。
それを腕へ固定した。
「起きろ!」
起動音。
ハヤッティの両腕と肩へ、機械装甲が急速に展開する。
腰。
脚。
胸部。
複数の装甲パーツが身体に沿って形成されていく。
「……おお!」
タケが一瞬だけ横を見る。
「ハヤッティ、それ!」
「見るな! お前は撃て!」
古代兵器。
スティール・ザ・グシオン。
全身を完全に覆うわけではない。身体の動きを阻害しないよう、関節部を残しながら外骨格型の装甲が形成されている。
『接続開始』
「遅ぇんだよ!」
『使用者の神経接続値が低い』
「うるさい! 俺まだ慣れてないんだよ!」
タケが笑いそうになる。
「お前の古代兵器も喋るのかよ!」
「今そこ!?」
『装着者の発言量が多い』
「お前まで言うな!」
レインが戦闘中にもかかわらず、僅かに笑った。
「相性良さそうね」
「どこがだ!」
スティール・ザ・グシオンの脚部が発光する。
『身体強化率四十二パーセント』
「十分!」
ハヤッティが床を蹴った。
一瞬。
これまでとは比較にならない速度で前へ出る。
「うおおおっ!」
黒い巨人へ真正面から突っ込む。
ケンゾーが一瞬だけ眉を寄せた。
「正面から行くなと言っただろ」
「今さら止まれません!」
「だと思った」
巨人の拳。
ハヤッティへ振り下ろされる。
『衝突予測』
「グシオン!」
『右腕強化』
外骨格が変形。
右腕だけ装甲が厚くなる。
「受ける!」
激突。
「ぐっ……!」
ハヤッティの足元が沈む。
床に亀裂。
「重っ……!」
『推奨――後退』
「遅い!」
だが。
拳を止めた。
完全にではない。
数秒。
それだけ。
しかし。
その数秒で十分だった。
「レイン!」
タケが叫ぶ。
「分かってる!」
レインが巨人の死角へ入る。
左膝。
装甲の継ぎ目。
射撃。
三発。
火花。
巨人の脚が僅かに沈む。
「今!」
ケンゾーが踏み込む。
ゲシュタルトが長剣へ変形。
黒い刃。
一閃。
レインが作った装甲の傷へ、正確に刃を滑り込ませた。
切断。
巨人の左膝から大量の火花が噴き出す。
『駆動部損傷』
「よし!」
タケが声を上げる。
だが。
巨人は倒れなかった。
片膝をつきながら、胸部の六芒星が一気に発光する。
『警告』
ゲシュタルト。
『高出力反応』
「さっきより上だ!」
Bが叫ぶ。
フールが珍しく同時に警告する。
『全員逃げろ! こいつぁ洒落にならねぇ!』
テルテルの顔色が変わった。
「中央炉と共振してる!」
ケンゾーが振り返る。
「止められるか!」
「分からん!」
「分からなくてもやれ!」
「無茶言うな!」
テルテルは管理端末へ走る。
白仮面たち五人も、この時ばかりは攻撃を止めていた。
灰色の大男が低く呟く。
「……暴走型か」
「知ってるのか?」
ケンゾーが睨む。
「旧記録で見た」
「なら止め方を言え」
「中枢核を破壊するしかない」
「どこだ」
「胸部」
ケンゾーが一瞬だけ白仮面へ視線を向ける。
白仮面は頷いた。
「今は共闘した方がいい。あれが自壊すれば、第四封印層ごと消える」
「都合いいな」
「死にたくないのは互いに同じだ」
「後で話は聞く」
「生きていればな」
ケンゾーはタケたちを見る。
「全員、胸を狙え!」
「でも装甲が!」
タケが叫ぶ。
「壊す!」
Bが前へ出る。
「フール」
『あァ』
大鎌。
本来の姿。
巨大な湾曲刃。
紫色の光が、今まで以上の密度で刃へ集まっていく。
『ギャハハハハ……面白ぇじゃねぇか』
「笑えるようになったな」
『笑うしかねぇだろ。止めなきゃ全員まとめてあの世行きだぜ』
「死神が言うと洒落にならない」
『最高だろ?』
Bは大鎌を肩へ担ぐ。
「道を作れ」
『誰に言ってんだよ』
フールが笑う。
『俺は死神の鎌だぜ』
「俺が死神じゃない」
『いい加減認めろォ!』
「断る」
『ギャハハハハハハッ!』
Bが走る。
笑い声と共に。
巨人へ。
灰色の大男も同時に踏み込んだ。
「圧砕する」
巨大杭を地面へ叩きつける。
圧縮波。
巨人の身体が僅かに浮く。
盾の男が正面へ出る。
巨大盾を地面へ固定。
「押し返す」
青い衝撃波。
巨人の姿勢がさらに崩れる。
光刃の女性が左右から二本の赤い刃を伸ばした。
膝。
肩。
装甲の継ぎ目へ絡みつく。
「今!」
フード男の鎖も飛ぶ。
巨人の右腕へ巻きつく。
五人の古代兵器使いが。
初めて。
運び屋と同じ敵へ向かっている。
「何なんだよ、この状況!」
ハヤッティが叫ぶ。
「後で考えろ!」
シノンが狙撃。
一発。
胸部。
傷が広がる。
「レイン!」
ケンゾーが叫ぶ。
「中枢の位置を探せ!」
「私が!?」
「攻撃が集まる場所には重要なものがある!」
一瞬。
レインが理解する。
見る。
巨人の攻撃。
反応。
防御行動。
胸部を狙うタケの弾丸。
シノンの狙撃。
Bの動き。
ケンゾー。
どの攻撃に巨人が最も強く反応している。
「……右じゃない」
レインが小さく呟く。
「六芒星の中央でもない」
「どこだ!」
ハヤッティが叫ぶ。
レインが目を細める。
巨人の胸へ迫った弾丸。
反射的に左腕が動いた。
ほんの僅か。
「左上!」
レインが指を差す。
「六芒星から十センチくらい上!」
『解析』
ゲシュタルトが即座に反応。
『局所エネルギー密度上昇を確認』
「当たりだ」
ケンゾーが言う。
「タケ!」
「はい!」
「撃ち続けろ!」
「了解!」
タケがライフルを構える。
呼吸。
狙う。
連射。
一発。
二発。
三発。
「もっと!」
レインが叫ぶ。
「少し左!」
「これくらい!?」
「そこ!」
弾丸が集中する。
装甲表面が剥がれ始める。
「ハヤッティ!」
「分かってる!」
スティール・ザ・グシオンが右腕を強化する。
『衝撃増幅』
「行くぞ!」
ハヤッティが踏み込む。
しかし。
巨人の右腕が鎖を引き千切った。
「っ!」
フード男が引きずられる。
自由になった拳がハヤッティへ向く。
「ハヤッティ!」
レインが叫ぶ。
回避。
間に合わない。
ハヤッティは腕を交差する。
『防御――』
その直前。
黒い影。
ケンゾーが割り込んだ。
「ゲシュタルト!」
『防御形態』
巨大な盾。
拳が叩きつけられる。
ケンゾーとハヤッティがまとめて後方へ押し飛ばされる。
「ぐっ……!」
「ケンゾーさん!」
「行け!」
ケンゾーが叫ぶ。
「俺を見るな!」
ハヤッティの目が見開く。
「でも!」
「今やることをやれ!」
「……っ!」
ハヤッティが歯を食いしばる。
「はい!」
前へ。
再び走る。
「グシオン!」
『衝撃増幅最大』
「ぶち抜けぇぇぇっ!」
右拳。
レインが指示した位置へ。
直撃。
金属が砕ける。
「入った!」
タケが叫ぶ。
胸部装甲が大きく割れた。
内部。
赤い球体。
「見えた!」
レインの声。
「中!」
Bが来る。
大鎌。
フール。
『ギャハハハハハハッ!』
紫色の光。
「退け!」
ハヤッティが横へ跳ぶ。
Bが回転。
大鎌を振り抜く。
刃が巨人の胸部へ食い込む。
『硬ぇぇぇぇっ!』
「切れ!」
『言われなくてもォ!』
フールの出力が上がる。
紫光。
装甲が裂ける。
赤い球体が完全に露出した。
『中枢核露出』
ゲシュタルトが告げる。
「ケンゾー!」
Bが叫ぶ。
「ああ」
ケンゾーが立っていた。
左腕を押さえながら。
呼吸は荒い。
それでも。
前へ歩く。
「ゲシュタルト」
『了解』
古代兵器が変形する。
長銃。
黒い砲身。
通常より長い。
重い。
複数の機構が展開される。
『高出力射撃形態』
「出力」
『現状で推奨可能なのは六十三パーセント』
「百」
『推奨しない』
「百だ」
『使用者損傷率が――』
「ゲシュタルト」
ケンゾーが低く言った。
「俺を信じろ」
沈黙。
僅か一秒。
『……了解』
砲身全体へ黒い光が集まる。
タケが息を呑む。
ケンゾー。
漆黒の英雄。
その背中を。
何度も映像で見てきた。
でも。
目の前で見るのは違う。
傷だらけ。
圧倒しているわけでもない。
一度は吹き飛ばされ。
何度も攻撃を受け。
それでも。
最後には前へ立つ。
タケは。
その姿を見て。
初めて理解した。
英雄とは。
傷つかない人間ではない。
倒されない人間でもない。
倒されても。
誰かの前に立ち続ける人間なのだと。
「タケ」
ケンゾーが言った。
「はい!」
「次はお前が撃て」
「……え?」
「俺が外したらだ」
「外すんですか?」
「知らん」
「そこは外さないって言ってくださいよ!」
「未来のことは分からない」
こんな状況なのに。
ハヤッティが思わず笑った。
「ケンゾーさんまで妙なこと言わないでくださいよ!」
レインも僅かに笑う。
「でも、タケ」
「何だ?」
「準備しといた方がいいわよ」
「ああ」
タケはライフルを構え直した。
中枢核。
狙う。
ケンゾーの射線と重ならない位置。
「いつでもいけます!」
「十分だ」
黒い巨人が動く。
胸部の赤い核が激しく点滅する。
『自壊臨界まで――』
EVE-SEVENTHの声。
『八秒』
「短っ!」
ハヤッティが叫ぶ。
『七』
ケンゾーが引き金へ指をかける。
『六』
巨人の左腕が動く。
「させない!」
レインが前へ出る。
「レイン!」
タケが叫ぶ。
拳。
彼女へ。
レインは避ける。
紙一重。
さらに二撃目。
避ける。
三撃目。
避ける。
巨人の攻撃を。
亡霊が引きつける。
『五』
「レイン、離れろ!」
ケンゾーの声。
「まだ!」
巨人がケンゾーへ向こうとする。
レインが射撃。
顔面。
巨人の意識が戻る。
「こっち!」
「無茶すんな!」
ハヤッティが叫ぶ。
「してないわ!」
「それを無茶って言うんだよ!」
『四』
「レイン!」
「今!」
彼女が横へ跳ぶ。
射線。
開く。
ケンゾー。
ゲシュタルト。
『三』
「撃つ」
『了解』
引き金。
黒い閃光。
音が。
遅れてきた。
凄まじい光がホールを貫く。
巨人の胸部。
露出した中枢核。
直撃。
赤い球体へ亀裂。
『二』
「まだ壊れてない!」
シノンが叫ぶ。
「タケ!」
ケンゾー。
「はい!」
タケはもう狙っていた。
「行け!」
「うおおおおおっ!」
射撃。
一発。
弾丸が亀裂へ入る。
二発。
さらに深く。
三発目。
赤い球体が砕けた。
『一――』
音声が止まった。
光。
消える。
巨人の身体が。
完全に停止する。
「……」
誰も動かない。
一秒。
二秒。
三秒。
爆発。
しない。
ハヤッティが恐る恐る顔を上げる。
「……終わった?」
『中枢核停止』
ゲシュタルト。
『自壊反応消失』
「……」
タケがライフルを下ろす。
「やった……」
膝から力が抜けた。
その場へ座り込みそうになる。
レインが腕を掴んだ。
「まだ座らない」
「何で」
「敵が残ってる」
タケが顔を上げる。
「……あ」
そうだった。
五人。
白仮面たち。
先ほどまで共闘していた。
だが。
味方になったわけではない。
シノンが即座にライフルを構え直す。
Bもフールを肩へ担いだ。
『ギャハハ……疲れたぜ』
「喋れるなら余裕ある」
『お前基準で言うな!』
フールの声にいつもの調子が戻っている。
それを聞いて。
どこか安心している自分にハヤッティは気づいた。
「俺もう駄目だ……」
「何が?」
レインが尋ねる。
「フールの笑い聞いて安心するようになってきた」
「毒されてるわね」
「やっぱそう思う!?」
Bが大鎌を軽く振る。
「フール」
『何だ』
「静かにしろ」
『お前まで否定すんなよ!』
「うるさいから」
『ギャハハハハ!』
「静かにする気ゼロじゃないですか!」
ハヤッティが叫ぶ。
その横で。
ケンゾーが膝をついた。
「ケンゾーさん!」
今度こそタケが駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
「……ああ」
『否定』
ゲシュタルトが即答する。
「ゲシュタルト」
『肋骨三本損傷。左上腕筋断裂。内臓への軽度衝撃。生命エネルギー出力――』
「喋りすぎだ」
『医療的判断として報告は必要』
「うるさいな」
「ゲシュタルトさんが正しいです!」
タケが本気で怒る。
「今度は休んでください!」
ケンゾーがタケを見る。
「命令か?」
「……お願いです」
「弱くなったな」
「じゃあ命令です!」
ハヤッティが驚いて振り向く。
「タケ! お前すげぇな!」
レインが少し笑う。
「ケンゾーさん相手だと怖いものないの?」
「今は別だ!」
ケンゾーは数秒タケを見る。
そして。
「分かった」
「……え?」
「少し休む」
タケの表情が明るくなる。
「はい!」
ハヤッティが肩を落とす。
「何だこの関係……」
その時。
ぱち、ぱち、と。
拍手。
全員の表情が変わった。
白仮面だった。
「見事だ」
「……」
ケンゾーは立ち上がろうとする。
「そのままでいい」
白仮面が言った。
「こちらも今すぐ戦闘を再開するつもりはない」
Bが冷たく答える。
「信用できると思うか」
「思わなくていい」
「目的は変わってないんでしょう?」
レインが尋ねる。
「ああ」
「だったら、また戦うことになる」
「そうなるかもしれない」
白仮面は黒い巨人の残骸を見る。
「ただし、状況が変わった」
テルテルが目を細める。
「何が」
「我々の予定に、あれの覚醒は入っていなかった」
「さっきも言ってたな」
「あれは何だ」
「俺に聞くなよ」
「お前なら知っていると思った」
「知らない」
テルテルは即答した。
今回は嘘ではない。
黒い巨人。
六芒星。
翼。
旧文明記録。
似た要素はいくつもある。
しかし。
あれそのものに見覚えはなかった。
それが逆に。
恐ろしい。
「テルテル」
シノンが声を落とす。
「本当に知らないの?」
「ああ」
「……じゃあ誰が作ったの」
テルテルは答えない。
代わりに。
視線を。
床へ向ける。
黒い巨人が破壊された場所。
そこには。
中枢核の破片が散らばっている。
その一つ。
赤い結晶片。
その表面に。
何かが刻まれていた。
「……待て」
テルテルが立ち上がる。
「何?」
レインが尋ねる。
テルテルは破片へ近づく。
「触るなよ」
ケンゾーが言う。
「分かってる」
しゃがむ。
見る。
古代文字。
小さい。
だが。
読める。
「……まさか」
テルテルの顔色が変わった。
「テルテルさん?」
タケが近づこうとする。
「来るな」
「またですか?」
「今回はマジだ」
テルテルの声。
震えていた。
Bが大鎌を下ろす。
「何て書いてある」
テルテルはしばらく答えなかった。
その文字は。
製造番号ではない。
機体名でもない。
研究施設名。
もっと正確に言えば。
計画名。
「……EDEN」
白仮面が反応する。
ケンゾーの頭に痛みが走る。
「っ……!」
シノンも。
「また……」
レインが即座に二人を見る。
「その名前で反応してる」
テルテルの指が震える。
「でも……違う」
「何が?」
ハヤッティが尋ねる。
「前に聞いたEDENと違うんですか?」
「EDENは一つのシステムじゃない」
言ってしまった。
テルテル自身が。
しばらく黙る。
だが。
今度は。
続けた。
「少なくとも……俺が知ってるEDENは、もっと広い」
「広い?」
タケ。
「何のためのものなんですか」
テルテルは答えようとした。
その時。
救出した女性が。
小さく咳をした。
「……それを……言っちゃ……駄目……」
全員が振り向く。
シノンがすぐに傍へ戻る。
「無理して喋らないで」
「違う……」
女性は弱々しく首を振った。
「EDENは……名前を聞くだけなら……問題ない……」
テルテルが近づく。
「お前……」
女性の瞳が彼を見る。
「でも……中身を説明すると……封印された記憶が……反応する……」
ケンゾーの視線が鋭くなる。
「やっぱり、記憶封印と関係あるんだな」
女性は。
ゆっくり。
ケンゾーを見る。
その瞬間。
目が大きく見開かれた。
「……ケンゾー?」
「俺を知ってるのか」
女性の唇が震える。
「生きて……た……」
「質問に答えろ」
「ケンゾー」
テルテルが制す。
「今はいい」
「良くない」
「こいつはまだまともに喋れる状態じゃない」
女性はケンゾーを見たまま。
小さく笑った。
「相変わらず……ね」
その言葉。
ケンゾーの胸が。
わずかにざわつく。
知っている。
この声。
でも。
思い出せない。
「……誰だ」
女性の表情が。
ほんの少し。
悲しそうに歪んだ。
「やっぱり……忘れてるんだ」
「何を」
「私たちを」
ケンゾーが黙る。
シノン。
B。
テルテル。
全員。
空気が変わる。
女性は目を閉じた。
「封印は……まだ生きてる……」
テルテルが拳を握る。
「誰がやった」
女性は答えない。
「おい」
「テルテル」
女性が。
彼の名を呼ぶ。
「あなたは……覚えてるのね」
「……ああ」
「じゃあ」
彼女の声が。
さらに弱くなる。
「絶対に……ここで全部話さないで」
テルテルの表情が固まった。
「理由は」
「近くにいる」
「何が」
女性は。
震える指を上げた。
指先。
向いた先は。
巨大ホールの天井。
誰もいない。
はずだった。
「……見てる」
レインの背中に。
寒気が走った。
戦場で攻撃される前。
いつも感じる。
あの感覚。
「全員」
レインが静かに言う。
「動かないで」
ハヤッティが彼女を見る。
「何だ?」
「いる」
「どこに」
「……上」
全員の視線が。
ゆっくり。
天井へ向く。
照明。
配管。
白銀の装甲。
何も。
いない。
タケが目を凝らす。
「レイン、何も――」
「いる」
彼女だけは確信していた。
次の瞬間。
天井の一部が。
歪んだ。
「っ!」
シノンが銃を構える。
そこに。
人が現れる。
今まで完全に背景へ溶け込んでいた。
透明化。
いや。
もっと高度な何か。
細身の人影。
白い外套。
顔を覆う無機質な仮面。
その手に。
何もない。
だが。
テルテルが。
その姿を見た瞬間。
完全に凍りついた。
「……嘘だろ」
天井に立つ人物が。
ゆっくり顔を上げる。
そして。
笑った。
「見つかったか」
レインが銃口を向ける。
「誰」
「いい感覚だな」
人物は。
レインだけを見る。
「現代人にしては」
その言葉で。
テルテルが確信する。
「お前……」
声が。
掠れる。
「旧文明の人間か」
白い仮面の人物が。
僅かに首を傾げる。
「その呼び方は好きじゃない」
そして。
次の一言。
「正しくは――」
ホールの照明が。
一斉に消えた。
「世界の生き残りだ」
暗闇。
その中で。
金色の瞳だけが。
ゆっくりと開いた。