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なろうカクヨム、小説サイト諸々に転載
◇
ナロヨム王国王城、大広間。王太子ゼクスが婚約者の罪状を読み上げたのは、春の
「クラリーベル・フォン・エーベルバッハ。貴女の悪行、もはや看過できぬ」
名指しされた公爵令嬢──クラリーベルはぴくりとその柳眉の端を動かしただけだ。
「そこに立つリゼットへの度重なる嫌がらせ。侮辱。人払いを用いた妨害。私はその全てを知っているのだ。よって私は、貴女との婚約をここに破棄する!」
どよめきが周囲を取り囲む様にしている群衆から沸き起こる。嘆息と、扇の陰の囁きと。誰かが小さく声を洩らし、それが次々に伝播していく。
王太子の背に隠れていた少女──リゼットがおずおずとゼクスの袖を引いた。男爵令嬢リゼット。潤んだ目。震える肩。絵に描いたような、というより、絵に描いたものをそのまま持ってきたような薄幸ぶりであった。
庇護欲をかきたてるその所作は、爪先から頭の先まで計算しつくされており、クラリーベルが心中で「練習の成果が出ているようですね」と賞賛したほどだ。そんなリゼットの
「殿下……わたくしのために、そこまで」
「もう泣かなくていい」
ゼクスはリゼットの手を取り、クラリーベルに背を向けた。男爵家の娘ごときが王太子の衣に触れているというのに、それを咎める声は広間のどこからも上がらなかった。
あとの顛末は語るまでもない。
三日と経たぬうちに、国王は長子の王位継承権を剥奪した。名目は「令嬢への不当な仕打ちと、王太子にあるまじき公私の混同」。蟄居を命じられたゼクスは自室の扉を閉ざし、以後、公の場に姿を見せていない。
代わって立太子したのは第二王子フリードリヒである。
温厚、篤学、公正。宮廷の評も明るいこの好青年がエーベルバッハ公爵邸を訪れたのは、それからさらに数日後のことであった。
◇
「クラリーベル嬢。以前から貴女のことを──いや、遠回しはやめましょう。兄上は貴女の価値を見誤った。私は違う。どうか私と婚約の契りを交して頂けませんか? 兄上の代りになろうとか、貴女を慰めようとか、そんなつもりはありません。無論、エーベルバッハ公爵家と王家の関係に出来た
クラリーベルの睫毛が伏せられる。
「……ありがたく、お受けいたします」
クラリーベルの言葉にフリードリヒの頬に朱がさした。公爵令嬢の目尻が光る。控えていた侍女の一人が袖で顔を覆った──ところで、鐘が鳴った。
ごぉん、ごぉん、ごぉん、と。
◇
大聖堂の鐘楼から、
最後の一打の残響が消えると、クラリーベルがフリードリヒの手を離した。
「お疲れさまでございました、殿下」
クラリーベルがフリードリヒをねぎらう様に言うと、フリードリヒはやや恥ずかしそうに答えた。
「こちらこそ。……最後のところ、早口になりませんでしたか」
「いいえ。しっかり練習の成果が出ておいででした」
平然とした声だ。
扉が開いた。蟄居中であるはずの前王太子が、杯をふたつ持って入ってくると、片方をクラリーベルへ渡し、もう片方をフリードリヒへ手渡した。
「ご苦労。二人とも見事な演技だった」
「殿下の台本のほうこそ、いささか大振りではありませんでしたか。『看過できぬ』のあたり、わたくし、笑いを噛み殺すのに難儀いたしました。大分古めかしい言いまわしを採用されたのですね」
「あちらの好みに寄せただけだ。ヴァイゲル侯、エルフェンブルクの件を」
呼ばれた宰相が、白いものの混じった顎鬚を撫でながら進み出た。書簡の束を脇に抱えている。
「はっ。エルフェンブルク王国、昨年の恩恵の流入が例年の八割に届かなかったとのこと。先方の宰相から泣きの手紙が参っております。──『婚約破棄の場において令嬢が泣かなかったのが敗因と思われる。次回は発声の稽古から始めたい』と」
「ふふふ、そうか。大分苦労していると見える。まあ我が国の劇団を派遣して、良いシナリオ作りを指導してやっても良さそうだな」
「は、そのようにいたします。この件に関しましては我らは皆被害者のようなものですからな。被害者同士、手を取り合わなければ」
笑いが起きた。先ほどまでの張りつめたものとは別種の、仕事終わりの笑いである。
その笑いに紛れて、フリードリヒが兄に小声で訴えた。
「兄上。わたしの長台詞、覚えるのに三晩かかりました。次がもしあるならば、もう少し短くしていただけませんか」
「短くすると誠意が足りんそうだ。が、まあ説得はしてみるか。神官たちには苦労をかけるが……」
実のところ、公爵家と王家の罅云々の一節は、神官たちの提案で書き足したものである。恋情だけを語らせるとしらじらしいからだ。幾分かの打算を混ぜてやったほうが、かえって真に迫るという寸法である。
「神々ときたら、変に目だけは肥えていらっしゃいますかな。素人ではないくせに、筋書きだけは素人が好みそうなものしか受け付けない。始末に負えない連中ですよ」
宰相がさらっと毒を吐くが、ゼクスらにはそれを聞かない事にするだけの情けがあった。
◇
召使いたちが入ってきて、卓を運び込みはじめた。仔羊の腿の丸焼き。香草をまぶした鶉。脂の浮いた濃い汁物。杏を煮詰めた黄金色の菓子。神在刻のあいだ、この国の貴族の食卓には麦の粥と塩漬けの野菜しか並ばなかった。
「ようやくまともなものが食える」
ヴィルデンブルフ侯が鶉の脚を掴んで齧りついた。作法もへったくれもない。隣にいた伯爵がつられて手を伸ばしかけ、思い直して銀の匙を取る。
「侯爵閣下。あちらはまだ完全にお発ちになったとは限らないのでは」
「発った。鐘が鳴っただろう」
この「あちら」が何を指すかは、ナロヨムの子供でも知っている。
神々は物語を好む。それも決まった型の物語を。高い者が低い者を虐げ、報いを受けて堕ち、心優しい者同士が結ばれる。それが神在刻のうちに起これば恩恵が降り、穀物が実り、疫病が退く。型を外せば恩恵は細り、悪くすれば天災が来る。つまるところ、神々は
「あの方々がもう少し広い趣味をお持ちなら、こちらも演目を選べるのですが」
外務卿ブランデンブルク伯が、書簡から目も上げずに言った。各国の順番を確かめている。
「来年がヴェルデン公国、その次がハルシュタット連合。当国の番が再び回ってくるのは八年後にございます」
「八年か。──それまでに新しい台本を用意せねばならんな。まあ八年後の神々の流行など分からぬが……」
ヴァイゲル侯がゼクスに向き直り、いかにも芝居がかった敬礼をしてみせた。
「ときに殿下。明日から蟄居なさいますかな。部屋は掃除させてございますが」
「よせ、侯」
ゼクスが笑った。眉根に寄っていた皺が、そこでようやくほどけた。
◇
ゼクスはクラリーベルの隣に立った。窓の下、大聖堂の周りでは屋台が畳まれ、祈りの旗が降ろされていく。
「ひとついいか」
「どうぞ」
「……芝居だとは分かっている。だが、あれだけの人前で君を罵るのは、堪えた」
クラリーベルは杯の縁へ目を落とし、それから少し笑った。
「存じております。三日目あたりから、声に力がなくなっておいででした」
「なに? そんなに感情が出ていたか」
「出ておりました。稽古をともにした者なら、誰でもわかりますよ。それに──わたくしは平気ですよ、ゼクス様。台詞は台詞です。第一、あなたがあのような事を本気で言う方ではないということは、この広間の全員が承知しております」
「あの方々を除いてな」
「ええ。あの方々を除いて」
クラリーベルの語尾が、わずかに落ちた。
「いなくなればいいのに」
呟きはほとんど独り言だった。窓の外、大聖堂の尖塔が西日を受けている。
「同意する──だが、いなくなれば」
「国が立ち行きません。この国だけでなくありとあらゆる国々が。世界は余りにも長く続きすぎて、もはや成長の限界を迎えているそうです。神々の中にはすでに別の世界へ旅立った方々もいるのだとか。それでもこの世界が存在しているのは、神々の中にもいわゆる
「いずれはそういった神々もこの世界を去っていくのだろうな」
「ええ。しかしそれは私たちが生きている間ではないでしょう」
「それならばよい、と君は考えるのか?」
クラリーベルはその問いにすぐには答えなかった。
少し待っても答えない。
答えないのは自身の考えが判然としないからではない。
それを口に出すのは、貴族として許されない事だからだ。貴族とは多くの権利を有するが、同様に義務や責任も多く有する。
「──殿下はどう思うのですか?」
今度は逆にクラリーベルが問いかける。
ゼクスは答えるかわりに、窓の桟に置いたクラリーベルの手へ自分の手を重ねた。
(了)