1話
──いにしへ、日の本の深き山々に、世を避けて住まひける一族あり。
その名を、御影とぞいひける。
御影の者どもには、常の人には備はらぬ、奇しき力の巡りありき。
人の肉より生ずる生の精と、心より生ずる霊の精。その二つを練り合わせ、一つの力となして、身の内に張り巡らされたる目に見えぬ脈へと巡らせる。
後の世に、魔術師らが〝魔力〟と呼ぶものにも似て、されど同じものにはあらず。
御影の一族は、その力を――〝チャクラ〟と呼びけり。
彼らはチャクラを練り、印を結ぶことで、火を生み、風を駆け、水を渡り、ときには己が姿を変じ、影より影へと身を移した。
常人の目には奇跡とも、妖術とも映りし業。
されど御影の者どもは、それらをただ――〝忍術〟と称したという。
火を操り、風を従え、水上を駆け、己と寸分違わぬ分身を生み出す。毒を用い、姿を欺き、音もなく敵の背後へ忍び寄る。
その業は戦のためのものにとどまらず、身を隠し、人を守り、あるいは誰にも知られぬまま災いを退けるためにも用いられた。
されど――
御影の名を真に畏れしめたるものは、それら数多の術にあらず。
一族には、血とともに受け継がれし眼ありき。
怒り。
悲しみ。
憎しみ。
あるいは、愛しき者を失いたくないと願う、あまりにも強き想い。心を揺るがす激しき情が胸を満たすとき、黒き瞳は鮮血のごとき紅に染まり、その内に勾玉にも似た紋様を宿したという。
その眼は、虚実を見破った。
人ならざる力の流れを見通し、敵の僅かな身じろぎから次なる動きを読み、巧妙に仕組まれた幻すら看破する。
さらに、一たび目にした業の理を見抜けば、その身の動きも、力の巡りも、術を成す手順すら記憶し、己がものとして写し取ったという。
紅き瞳には勾玉の紋が浮かび、それらは黒き瞳を囲うて、一つの輪を成した。
業を〝写し〟、瞳に〝輪〟を宿す眼。
されば古き人々は、畏れを込めてこれを――
〝写輪眼〟
――と呼びけり。
ひとたびその眼に見据えられれば、隠し事も、偽りも、術のからくりさえ暴かれる。
ゆえに人々は御影を恐れた。
ある者は彼らを鬼の末裔と呼び、ある者は神より眼を授かりし一族と語った。
されど御影自身は、王たらんことを望まず、国を求めず、領地を欲することもなかりき。
ただ山深き里にて一族の掟を守り、外界との交わりを避けながら、古き術と血を子より子へと伝え、幾百年もの歳月を生きてきた。
力を誇ることなく。
世を治めることなく。
ただ、御影として生きるために。
されど。
ある夜、その永き歴史は、あまりにも唐突に絶えたり。
山を覆う夜の闇は炎によって赤く染まり、家々は次々と火に呑まれた。石畳には血が流れ、幾代にもわたり受け継がれてきた術書も、忍具も、一族の歴史を記した巻物も、すべてが炎の中へ消えていった。
幼子も。
老人も。
術を究めし者も。
いまだその眼を開かぬ者も。
昨日まで同じ食卓を囲み、笑い、語らい、明日もまた同じ朝を迎えるはずだった者たちは、ことごとく斃れた。
幾百年と受け継がれし術も。
血も。
記憶も。
御影という一族の名さえも。
一夜にして、灰燼へと帰した。
誰が御影を滅ぼしたのか。何ゆゑ、彼らは殺されねばならなかったのか。
その真相は、世に知られることなく闇へと葬られた。
そして御影の名を継ぐ者もまた、もはやこの世には残されていない。
――ただ一人。
屍と炎の中より生き延びたる、幼き童を除いては。
その童の名を、
御影朔――――といふ。
御影の血を継ぎ。
御影の術を継ぎ。
そして、失われた一族の眼を宿した、最後の一人。
後の世にて彼は、かつての名を隠し、新たなる名を名乗ることとなる。
久世律。
それが、すべてを失った少年が自ら選び取る、二つ目の名前である。
真夏の夜。
太平洋上に浮かぶ人工島都市──絃神島。
カーボンファイバーと樹脂、金属、そして魔術によって造られたその小さな島を、頭上に浮かぶ白い月が冷たく照らしている。
時刻はすでに真夜中に近かった。
明かりの消えたオフィスビルの窓ガラスは街灯を反射し、ひび割れた魔法の鏡を思わせる無数の光を返している。その一方で、駅前の繁華街はいまだ色鮮やかなネオンに満ち、深夜営業のファミレスやカラオケ、コンビニエンスストアの前には若者たちの姿が絶えない。
彼らは笑い、騒ぎながら、ときおり他愛もない噂を口にする。
退屈を紛らわせるための都市伝説。
この街のどこかに棲んでいるという、世界最強の吸血鬼──第四真祖の噂を。
第四真祖は、不死にして不滅。
一切の血族同胞を持たず、支配を望むこともなく、ただ災厄そのものと呼ぶべき十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮と破壊を撒き散らす。世界の理から外れた冷酷非情の怪物であり、過去には幾つもの都市を滅ぼしたのだと。
真剣な顔でそう語る男に、連れの女は退屈そうな表情を向けた。
──ふうん、それで?
ここは絃神島。
人と魔族が隣り合って暮らす、極東の〝魔族特区〟だ。
この街では、化け物など珍しくもない。たとえそれが、世界最強の吸血鬼であったとしても。
同刻。
噂の第四真祖本人は、住宅街へ続く歩道を一人で歩いていた。
白いパーカーのフードを被り、片手にはコンビニ袋。年齢は十五、六歳というところで、どう見てもただの高校生にしか見えないし、事実、彼は高校生だった。
狼の体毛を思わせるように前髪の色素がわずかに薄いものの、それを除けば人目を引くような特徴もない。街ですれ違ったところで、数分後には顔を忘れてしまいそうな、ごく普通の少年である。
疲れているわけでもないだろうに、その足取りは妙に気怠げだった。
コンビニ袋の中身は、期間限定のアイスが二個。夜中になって突然アイスが食べたいと言い出した妹に頼まれ、仕方なく近所のコンビニまで買い物に出てきた兄──傍目には、せいぜいそんなところだろう。
少年の少し前を、色鮮やかな浴衣姿の若い女が二人歩いていた。彼よりいくらか年上らしく、学生らしい若さを残しながらも、高校生にはない華やかな色気がある。化粧はやや濃いが、ときおり見える横顔はどちらも整っていた。
少年は彼女たちから少し距離を取って歩いていたが、慣れない下駄履きのためか二人の足取りは遅い。自然と間隔が狭まり、夜風に乗って甘い香水の匂いまで漂ってきた。
そのとき、小さな悲鳴が上がった。
女の一人が歩道の段差に躓き、体勢を崩して尻餅をついたのだ。浴衣の裾が大きく乱れ、白い太腿が露わになる。
少年は無意識に足を止めた。
だが、彼の視線が吸い寄せられたのは、はだけた浴衣の裾ではなかった。
浴衣の襟と、結い上げた髪のあいだから覗く細い首筋。
街灯に照らされた白い素肌の下には、青い血管が薄く透けている。その位置も、流れる血の気配までも、薄闇の中だというのに妙にはっきりと感じ取れた。
「…………っ」
少年の呼吸が止まる。
強烈な渇きを覚えたように喉が小さく鳴り、反射的に右手で目元を覆った。指の隙間に隠された虹彩は、いつの間にか人ならざる紅へと染まっている。
彼の身体から、妖気にも似た異様な気配が静かに滲み出した。
だが浴衣の女たちは、それに気づかない。転んだことがおかしかったのか、顔を見合わせ、楽しそうに笑っていた。
少年はその声を聞きながら、しばらくその場から動かなかった。
やがて、耐えかねたように低く息を吐く。
「……勘弁してくれ」
呟きながら鼻先を押さえた指のあいだから、深紅の液体が流れ落ちる。
鼻血だった。
口腔の奥へ生温かい液体が落ち、甘く金臭い血の匂いが鼻腔を満たしていく。
少年は露骨に嫌そうな顔をすると、鼻血を乱暴に拭いながら再び歩き出した。先ほどよりも少しだけ速い足取りで、その場から離れていく。
背後では、まだ女たちの笑い声が続いていた。
頭上には真夏の月。
生暖かく湿った海風が、何事もなかったように夜の街を吹き抜けていった。
真夏だというのに、深夜の神社境内には季節を忘れさせるほど冷たい空気が漂っていた。
煌々と燃える篝火が石畳を照らし、拝殿の奥には淡い月光が差しこんでいる。つい先ほどまで騒がしかった虫たちの声すらほとんど聞こえないのは、社全体を包み込んだ強力な結界のせいなのだろう。
広い拝殿の中央に、一人の少女が正座していた。
まだ幼さを残した、整った顔立ちの娘である。
細身で華奢な体つきだが、そこに儚げな印象はない。背筋を真っ直ぐに伸ばして座る姿には、よく鍛えられた刃を思わせる、しなやかな強靱さがあった。
少女が身につけているのは、関西にある私立中学校の制服。
神道系の名門校として知られているものの、その実態が獅子王機関の下部組織であることを知る者は多くない。
拝殿には、すでに三人の先客がいた。
御簾に遮られて、その姿を見ることはできない。それでも彼らの正体については、少女も事前に聞かされている。
〝三聖〟。
獅子王機関の意思決定を担う最高幹部たちである。
いずれも当代最高峰の霊能力者、あるいは魔術師でありながら、その気配は不自然なほど静かだった。威圧する素振りなど一切ない。それなのに、ただそこにいるという事実だけで、呼吸を乱されそうになる。
少女は知らず、制服の袖口を強く握りしめていた。
やがて、御簾の向こうから声が届く。
「名乗りなさい」
「姫柊です。姫柊雪菜」
「歳は?」
「あと四カ月で十五になります」
一瞬遅れて答えた雪菜へ、それからも淡々と質問が続いた。
修行を始めた年齢。得意とする術。魔族との実戦経験。武術の練度。
雪菜は一つ一つ、生真面目に答えていく。
「武術は?」
「使えます。いちおうは」
「そう? だと良いけれど」
くす、と御簾の向こうで女が笑う気配がした。
その直後だった。
「──っ!?」
爆発的に膨れ上がった殺気を感じ取り、雪菜は反射的に床を蹴った。
後方へ跳びながら一回転し、危なげなく着地する。つい先ほどまで彼女が座っていた場所を、研ぎ澄まされた真剣の刃が薙ぎ払った。
闇の中から溶け出すように現れたのは、二体の大柄な鎧武者だった。
一体は太刀を握り、もう一体は四本の腕で弓を構えている。
──式神。
そう判断するまでに時間は必要なかった。
「響よ!」
雪菜は一体目の懐へ踏み込み、掌に集めた呪力を鎧越しに叩き込んだ。
式神の姿が一瞬にして霧散する。
宙へ残された太刀をそのまま受け取ると、雪菜は勢いを殺さず身体を翻した。四方から放たれた矢を紙一重で避け、間合いへ潜り込み、一閃。
二体目の式神も胴から断ち切られ、霞となって消えていった。
わずかに息を弾ませながら、雪菜は奪った太刀の切っ先を御簾へ向ける。
「これは……なんの真似ですか?」
返ってきたのは、まばらな拍手だった。
「ふはははは。よい判断であるな、姫柊雪菜。よく凌いだ」
「呪詛卜筮を不得手とするも、霊視、剣術においては抜きん出た才を持つ逸材……報告書のとおり、典型的な剣巫じゃな」
「合格……ということですか?」
「そう。あなたが剣巫の資格を得るには、本来ならあと四カ月の行を修めてもらわなければなりません。ですが、事情が変わりました。──座りなさい、姫柊雪菜」
「……はい」
釈然としないものを残しながらも、雪菜は正座へ戻った。奪った太刀を床へ置き、改めて御簾へ向き直る。
「では、本題に入りましょう」
その言葉とともに、御簾の隙間から一羽の蝶が舞い出した。
音もなく羽ばたいた蝶は雪菜の前へ降り立ち、触れた瞬間、一枚の写真へと姿を変える。
写っていたのは、高校の制服を着た男子生徒だった。友人たちと談笑しているところを、遠くから撮影されたらしい。
「この写真は?」
「暁古城というのが彼の名前です。知っていますか?」
「いえ」
「彼をどう思いますか?」
「え?」
唐突な問いに、雪菜は写真と御簾を見比べた。
「写真だけでは正確なことはわかりませんが、おそらく武術に関しては完全な素人、あるいは初心者の域だと思われます。危険な呪物を身につけている様子もありませんし、撮影者の存在に気づいている気配も──」
「いえ。そういうことではありません」
「……?」
「あなたが彼をどう思うか、と訊いているのです。つまり、彼はあなたの好みですか?」
「は、はい?」
「あの……わたしをからかっているんですか?」
雪菜の頬が引き攣った。
御簾の向こうから、小さな溜息が返ってくる。
「では、第四真祖という言葉には聞き覚えがありますね、姫柊雪菜?」
その一言で、雪菜の表情が一変した。
「〝焰光の夜伯〟のことですか? 十二の眷獣を従える、四番目の真祖だと──」
「そのとおり。一切の血族同胞を持たぬ、唯一孤高にして最強の吸血鬼です」
第四真祖──〝焰光の夜伯〟。
魔族に関わる者なら、その名を知らない者はいない。
もっとも古く、もっとも強大な〝始まりの吸血鬼〟──真祖。
公に存在を認められている真祖は三名。欧州を支配する〝忘却の戦王〟、西アジアの盟主〝滅びの瞳〟、そして南北アメリカを統べる〝混沌の皇女〟。
それぞれが広大な勢力圏と無数の血族を抱え、その力によって互いを牽制している。
しかし第四真祖には、国も領地も血族も存在しない。
ゆえに、その存在は長らく伝説や都市伝説として扱われてきた。
「ですが、第四真祖は実在しないと聞いています」
「その認識は改めなさい。第四真祖は実在します」
返ってきた声は、あくまで静かだった。
雪菜が息を呑む。
三聖は続けて、過去に世界各地で起きた大規模災害や、原因不明の事件について語った。
京都。
ローマ。
中国。
マンハッタン。
シドニー。
それらの背後には、第四真祖の関与を疑わせる痕跡が残されているという。
「第四真祖の存在は、世界の均衡そのものを崩しかねません。現在の聖域条約による秩序は、三人の真祖が互いを牽制することで成立しています。そこへ彼らに匹敵する第四の真祖が現れれば、均衡がどのように変化するかは誰にも予測できない。最悪の場合、人類を巻き込んだ戦争へ発展する可能性すらあります」
「第四真祖の居場所は、わかっているのですか?」
「ええ」
「彼は、どちらに?」
「東京都絃神市。人工島の〝魔族特区〟です」
「第四真祖が、日本に……!?」
「それこそが、今日あなたをここへ呼んだ理由です」
女の声が、厳かに告げる。
「獅子王機関〝三聖〟の名において、あなたを第四真祖の監視役に命じます」
「わたしが……第四真祖の監視役を?」
「ええ。そして、あなたが監視対象を危険な存在であると判断した場合には、全力をもってこれを抹殺してください」
「抹殺……!?」
雪菜の顔が強張った。
「受け取りなさい、姫柊雪菜」
巻き上げられた御簾の隙間から、一振りの銀槍が差し出された。
「これは……」
「七式突撃降魔機槍〝シュネーヴァルツァー〟。銘は〝雪霞狼〟」
獅子王機関が保有する秘奥兵器。
個人が携行可能な武神具としては、ほぼ最高峰に位置する代物である。
「これを……わたしに?」
「真祖を相手取るのであれば、本来はさらに強力な装備を与えたいところですが、現状、我々に用意できる最強の武神具はそれです」
「はい。それはもちろん……ですが」
雪菜が戸惑ったのは、渡されたものが槍だけではなかったからだ。
新品の制服。
白と水色を基調とした夏服である。
「あの、これは?」
「制服です」
「それは見ればわかります。どうして、わたしに制服を?」
「あなたの監視対象が、その制服の学校へ通っているからです」
「は?」
雪菜の思考が止まった。
「私立彩海学園高等部一年B組、出席番号一番。それが第四真祖──暁古城の現在の身分です」
「暁古城……この写真の人が第四真祖……? ええっ!?」
床へ置かれた写真を見下ろし、雪菜は目を丸くした。
だが、三聖からの説明はそれだけでは終わらなかった。
「そして、もう一人」
「……もう一人?」
二羽目の蝶が御簾から舞い出し、雪菜の前で薄い資料の束へと姿を変えた。
表紙に印刷されている名前は──久世律。
「彩海学園高等部一年。暁古城と同学年です」
添付された写真には、黒髪の少年が写っていた。
古城と同じ制服姿で、椅子の背にもたれ、面倒そうに窓の外を眺めている。ただそれだけの、ごくありふれた学生の写真。
しかし、雪菜はすぐに違和感を覚えた。
「……この人」
「何か?」
「撮影者を見ていますね」
写真の中の少年は、ほんのわずかに顔をこちらへ向けていた。
偶然だと言われれば、そう見えなくもない。だが雪菜には、とてもそうは思えなかった。
「ええ。撮影には気づいています」
「隠し撮りなのでは?」
「撮影者は、そのつもりだったようですが」
「…………」
雪菜は資料へ視線を落とし、ページをめくっていく。
そこで、さらに奇妙なことに気づいた。
空欄が多い。
いや、正確には、閲覧権限によって情報の大部分が伏せられているのだ。
出生地。
家族構成。
幼少期の経歴。
さらには、現在使用している異能の詳細まで。
雪菜に開示されているのは、ごくわずかな情報に過ぎなかった。
特殊異能保持者。
高い身体能力。
複数の未知術式を使用。
特殊な視覚能力あり。
現在、南宮那月監督下。
「この久世律という人物も……わたしが監視するのですか?」
「いいえ」
返答は即座だった。
「あなたの任務は、あくまでも暁古城の監視です」
「ですが……」
「久世律は正式な監視対象ではありません」
「それなら、なぜこの資料を?」
わずかな沈黙が落ちた。
「暁古城と接触する以上、彼との接触も避けて通ることが困難だからです」
「友人……ということですか?」
「そう認識して構いません」
どこか曖昧な答えだった。
雪菜はもう一度、写真の少年を見る。
そして、資料の中に一つだけ不自然な記述を見つけた。
「獅子王機関との接触履歴……?」
過去に接触した記録が存在することだけは記載されている。それにもかかわらず、いつ、どこで、何があったのかという肝心の内容は、すべて伏せられていた。
「久世律に対して、あなたから積極的に接触する必要はありません」
「ただし、高位異能の使用、あるいは明らかな暴走兆候を確認した場合に限り、報告を」
「高位異能?」
「その説明も、あなたの任務には不要です」
「…………はい」
納得できたわけではない。
それでも雪菜は、それ以上の追及を控えた。
「最後に一つ」
「はい」
「久世律が獅子王機関に対して非協力的な態度を取ったとしても、それを咎める必要はありません」
「……どういう意味ですか?」
「言葉どおりの意味です」
それ以上の説明はなかった。
「あらためて命じます、姫柊雪菜。あなたはこれより全力をもって暁古城へ接近し、その行動を監視するように。彩海学園への転校手続きは、すでに済ませてあります。──以上です」
一方的にそれだけを告げると、御簾の向こうから長老たちの気配が消えた。
拝殿に一人取り残されて、雪菜はしばらく手元を見下ろしていた。銀の槍と、真新しい制服と、まだ見ぬ少年の写真。第四真祖への接近と監視、必要とあらば抹殺——口に出せば冗談としか思えない任務が、たったこれだけの重さで膝の上に載っている。
息を吐く。
自分でも不思議だった。頭の芯に居座っているのは、真祖の名前ではない。
『正式な監視対象ではありません』
わざわざ念を押された、その言い方のほうだ。
資料の隅で、黒髪の少年がこちらを見ている。
久世律。彼はいったい、何者なのだろう。