古城はしばらく嫌そうな顔をしていたが、那月と雪菜がすでにやる気になっているのを見て、逃げ道がないと悟ったらしい。石柱に背を預けたまま目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えていく。
監獄結界に静寂が戻った。
燭台の炎が揺れ、湿った石壁のどこかで水滴が落ちる。遠くから聞こえていた鎖の音さえ途絶え、やがて古城の呼吸だけが微かに響くようになった。
自分の内側にあるものへ、意識を沈めているのだろう。
「……来い」
古城が低く呼びかけた。
何も起こらなかった。
眉間に皺を寄せ、今度はもう少し強く意識を集中する。
「来い!」
やはり、何も起こらない。
魔力が膨れ上がることも、眷獣が姿を現すこともなく、燭台の炎だけが頼りなく揺れていた。
「……ほらな。言っただろ。あいつら、俺の言うことなんか聞きゃしねえんだよ」
「当然だ」
あっさり言ったのは那月だった。
「え?」
「『来い』の一言で済ませておいて、何を偉そうに失敗した顔をしている」
「いや、眷獣を呼ぶだけだろ?」
「その“呼ぶだけ”すら、おまえはまともにやったことがない筈だ」
古城が言葉に詰まった。
那月はティーカップをソーサーへ戻すと、出来の悪い生徒へ授業をするように扇子の先を向けた。
「魔術における詠唱や術式というものは、雰囲気を出すためにあるわけではない。発動させる現象を定義し、術者自身の認識を固定し、魔力に方向性を与えるためのものだ。熟練した魔術師なら短縮も無詠唱も可能だが──」
扇子が、ぴたりと古城を指した。
「おまえは素人だ」
「……言い方」
「事実だ」
「否定できねえのが腹立つ……」
「まして相手は真祖の眷獣だ。意志を持つ高密度魔力の集合体に向かって『来い』だけで済ませるなど、術式以前の問題だろう。せめて自分が何者で、誰を、いかなる権限で呼び出すのかくらい明確にしろ」
「……つまり?」
「ちゃんと召喚しろと言っている」
古城は嫌な予感がしたらしい。
ゆっくりと律を見る。
すでに律は顎へ手を当てていた。
「なるほど……詠唱か」
「おい」
「だったら最初に言ってくれればよかったのに」
「待て、律」
「第四真祖なんだから、それなりのやつじゃないとな」
「待てって」
律は天井を見上げた。
数秒考える。
「──『我は血の記憶を継ぐ者』」
「もう嫌だ」
「まだ一行目だぞ」
「一行目で嫌なんだよ!」
律は無視した。
「『夜の帳に君臨せし、焔光の夜伯──』」
「やめろ」
「『十二の災厄をその身に宿す、世界最強の吸血鬼なり』」
「やめろって!」
石柱へ拘束された古城が暴れ、鎖がじゃらじゃらと鳴った。
雪菜が真面目な顔で首を傾げる。
「ですが、“第四真祖であることを明示する”という南宮先生の説明には沿っていますね」
「姫柊!?」
「もう少し召喚対象も明確にしたほうがいいかもしれません」
「おまえ、そっち側に行くな!」
「なるほど」
律が頷いた。
「じゃあ続き──『我が血海に眠りし十二の魔獣よ』」
「血海ってなんだよ!」
「古城の中」
「俺の中そんな気持ち悪いことになってねえよ!」
「確認不能です」
アスタルテが淡々と告げた。
「おまえは黙ってろ!」
「律、続けろ」
那月が促した。
「那月ちゃん!?」
「私は検証を進めているだけだ」
「絶対楽しんでるだろ!」
「気のせいだ」
那月の口元はティーカップに隠れていた。
律はさらに考える。
「眷獣の名前がまだわからないんだよな」
「知らねえよ。アヴローラから教えてもらってねえし」
「じゃあ十二体まとめて呼ぶか」
「一体でいい!」
「選べないだろ」
「じゃあ呼ばなくていい!」
「暁先輩、実験になりません」
「実験のために俺の尊厳を捨てさせるな!」
誰も聞いていなかった。
「最後はやっぱり命令だよな」
律が腕を組む。
「『我が血を門とし、我が魂を玉座として──』」
「待て」
「『今こそ冥府の鎖を引き千切り──』」
「待て待て」
「『万象を灼き、天穹を喰らう破滅の牙を現世に示せ』」
「気持ち悪い! 誰だよそんなこと言う奴!」
「おまえ」
「言わねえよ!」
「まだ締めがある」
「いらねえ!」
律は一度咳払いした。
そして妙に低い声を作る。
「──『疾く在れ、我が眷獣よ』」
「…………」
古城が黙った。
雪菜も黙った。
アスタルテは無表情だった。
那月だけが、ほんの少し眉を上げる。
「……そこだけ急にそれっぽくなったな」
「だろ?」
「褒めてねえよ!」
「では全部繋げます」
アスタルテが告げた。
「なんで!?」
「記録しました」
「消せ!」
「拒否します」
「なんで拒否すんだよ!」
律は構わず、完成した詠唱を読み上げた。
「──『我は血の記憶を継ぐ者。夜の帳に君臨せし焔光の夜伯。十二の災厄をその身に宿す、世界最強の吸血鬼なり。我が血海に眠りし魔獣よ。我が血を門とし、我が魂を玉座として、今こそ冥府の鎖を引き千切り、万象を灼き、天穹を喰らう破滅の牙を現世に示せ──疾く在れ、我が眷獣よ』」
「…………」
静まり返った。
湿った石壁から水滴が落ちた。
ぴちゃん。
古城は石柱に縛られたまま、遠い目をしていた。
「……俺、死んだほうがマシかもしれねえ」
「暁先輩」
「なんだよ」
「大丈夫です」
雪菜が励ますように言った。
「姫柊……」
「誰にも言いませんから」
「やっぱ恥ずかしいやつなんじゃねえか!」
律が古城を見る。
「じゃ、どうぞ」
「言うわけねえだろ!」
「暁」
那月の声が飛んだ。
「やれ」
「那月ちゃんまで!?」
「私は先ほど説明したはずだ。術者の認識を固定し、召喚対象と命令を明確にしろとな」
「絶対ここまでやれとは言ってなかっただろ!」
「久世の詠唱が魔術的に必要かどうかを検証するには、実際に試すしかあるまい」
「必要なわけねえだろ!」
「ならば、それを証明しろ」
「どうやって!?」
「唱えて失敗すればいい」
「どっちに転んでも俺が死ぬじゃねえか!」
しかし、逃げられない。
物理的にも逃げられない。
古城は現在、石柱に鎖で拘束されている。
「…………」
古城は俯いた。
「……本当に言わなきゃ駄目?」
「はい」
雪菜。
「肯定」
アスタルテ。
「やれ」
那月。
「頑張れ」
律。
「おまえだけ後で絶対殴る」
古城は深く息を吸った。
目を閉じる。
「……我は、血の記憶を継ぐ者……」
「声小さいぞ」
「うるせえ!」
「術者の認識が固定できません」
「おまえら覚えてろよ!」
顔を真っ赤にしながら、古城は再び息を吸った。
「我は血の記憶を継ぐ者! 夜の帳に君臨せし、焔光の夜伯──!」
声が石造りの監獄に反響する。
律は口元を押さえた。
「律! おまえ今笑っただろ!」
「笑ってない。続けて」
「肩震えてんだよ!」
「暁先輩、集中してください」
「なんで俺が怒られてんの!?」
「途中で止めるほうが恥ずかしいぞ」
「那月ちゃんまで追い込むな!」
もはや自棄だった。
「──十二の災厄をその身に宿す、世界最強の吸血鬼なり! 我が血海に眠りし魔獣よ! 我が血を門とし、我が魂を玉座として──!」
そこまで叫んだところで、古城の顔がさらに赤くなる。
「……今こそ、冥府の鎖を……」
視線が、自分の身体へ落ちた。
本物の鎖でぐるぐる巻きだった。
「…………」
「どうした?」
「なんで俺、縛られながら『鎖を引き千切れ』とか言ってんの?」
誰も答えなかった。
雪菜が顔を背けた。
「姫柊!」
「すみません……続けてください」
「笑ってんじゃねえか!」
「早くしろ、暁」
「くそおおおっ!」
古城が吼えた。
「──冥府の鎖を引き千切り! 万象を灼き、天穹を喰らう破滅の牙を現世に示せ! 疾く在れ──我が眷獣よッ!」
大音声が監獄結界を揺らした。
余韻が消える。
一秒。
二秒。
三秒。
「…………」
何も起こらなかった。
古城は目を閉じたまま動かなかった。
「……古城?」
「話しかけんな」
「でも──」
「今の俺に話しかけんな!」
「召喚失敗を確認」
「報告すんなアスタルテ!」
「実験結果としては有意義だな」
那月が紅茶を飲む。
「どこがだよ!」
「少なくとも、詠唱の不足が原因ではないことはわかった」
「俺の尊厳と引き換えにな!」
「大丈夫です、暁先輩」
雪菜が慰める。
「……姫柊」
「途中からは、少し格好よかったです」
「途中までは気持ち悪かったってこと!?」
律はもう聞いていなかった。
笑いを収めると、改めて考える。
呼びかけは届いている。
簡単な命令でも駄目。
術者と対象を意識し、それらしい召喚の形を取っても駄目。
なら、問題は呼び方ではない。
向こうが出てくる気そのものがない。
そこまで考えたところで、律はふと首を傾げた。
「……じゃあ、こっちから迎えに行けばいいんじゃない?」
「は?」
古城が間の抜けた声を出した。
「古城の中にいるんだろ。呼んでも出てこないなら、中に入って引っ張ってくればいい」
監獄結界に妙な沈黙が落ちた。
雪菜が何度か瞬きをして、古城と顔を見合わせる。アスタルテだけは律の提案を特に奇妙とも思わなかったらしく、表情一つ変えない。
やがて三人の視線が揃って那月へ向かい、最後には律まで同じように彼女を見た。
那月はティーカップを持ったまま、しばらく何も言わなかった。
「……久世。おまえは今、自分が何を言ったのかわかっているのか?」
「古城の精神領域に入って、眷獣を連れてくる」
「言い直せという意味ではない。そもそも、そんなことが可能なのかと訊いている」
「たぶん」
「たぶん!?」
古城が思わず身を乗り出し、拘束の鎖が派手な音を立てた。
律は自分の目元を指す。
「この眼は精神への干渉もできる。古城が眷獣に意識を向けてる今なら、その繋がりを辿って、もっと深いところまで入れるかもしれない」
「かもしれない、で人の頭ん中に入ろうとすんなよ!」
「嫌ならやめるけど」
そう言われると、古城は黙り込んだ。
自分の内側に十二体の眷獣がいる。それがアヴローラから受け継いだ力だということも知っている。けれど、古城自身は彼らの姿を見たわけでも、言葉を交わしたわけでもない。
怖くないはずはない。それでも、知りたくないわけでもないのだろう。
「……本当に入れるなら、見てきてくれ」
やがて古城はそう答えた。
「ただし、変なことすんなよ。見るだけだからな」
「…………わかった」
「今の間はなんだよ」
「気のせい」
「絶対なんかする気だろ!」
那月は疑わしげな古城と、どこ吹く風の律を見比べ、扇子で自分の肩を軽く叩いた。
「許可はする。ただし久世、精神への干渉は必要最低限にしろ。異常を感じたら即座に接続を切れ。暁も妙な抵抗はするな。おまえの精神にどのような影響が出るか、私にも予測できん」
「わかったよ、先生」
今度は律も素直に頷いた。
古城の前まで歩み寄り、その顔を正面から覗き込む。
「目、逸らすなよ」
「ああ」
律の瞳が紅く染まった。
黒い瞳孔を囲むように三つの勾玉が浮かび、ゆっくりと回り始める。二人の視線が重なり──次の瞬間、律の意識が深く沈んだ。
足元で、水音がした。
目を開いた律の前に広がっていたのは、監獄結界とは似ても似つかない光景だった。
黒い水面が果てもなく続いている。空も壁もなく、遠近感さえ曖昧な闇の中で、足元だけが鏡のように律の姿を映していた。一歩踏み出せば、靴底から生まれた波紋がゆっくりと広がり、暗闇の向こうへ溶けていく。
「……本当に入れたのか」
自分で試しておきながら、律は少し驚いた。
古城の意識を足掛かりにして、そのさらに深い場所へ潜ったのだろう。ここが精神そのものなのか、それとも第四真祖の血と魔力によって形作られた領域なのか、今の律には判別できない。
だが、それを考えている余裕は長く続かなかった。
不意に、肌が粟立った。
写輪眼を開いたまま闇へ目を凝らす。それまで空虚だったはずの空間から、いくつもの巨大な気配が浮かび上がってきた。
姿も輪郭も見えない。それでも、そこに存在する魔力の大きさだけは嫌というほど伝わってくる。暗い海の底で、巨大な生き物たちに取り囲まれたような圧迫感だった。
律は無意識に息を詰め、それらを数えた。
一つ、二つ、三つ──。
「……十二」
話には聞いていた。
第四真祖が十二体の眷獣を従え、その一体一体が天災にも匹敵する力を持つことも知っている。
けれど、知識として理解するのと、実際にその存在を前にするのとではまるで違った。
普段は追試だの宿題だので騒ぎ、自分たちと同じようにくだらないことで笑っている少年の内側に、こんなものが十二体も沈んでいる。
「世界最強、か……」
初めて、その呼び名が実感を伴った。
そのときだった。
闇の一角に、二つの黄金の光が灯った。
直後、雷光が走る。
黒い世界が一瞬だけ照らされ、その光の中から巨大な獅子の輪郭が浮かび上がった。黄金の雷そのものを肉体として形作ったような四肢と鬣。その頭部だけでも律の身体を優に上回り、呼吸するたびに牙の隙間から細かな雷が漏れている。
「おまえか」
律は黄金の獅子を見上げた。
「古城が呼んでるぞ。聞こえてるんだろ?」
返事はなかった。
獅子は伏せた姿勢のまま、律を見下ろしている。
もう一歩近づいた瞬間、太い尾が水面を打った。黄金の雷が弾け、黒い水面を伝って律の足元まで走ってくる。
それだけで十分だった。
聞こえていないわけではない。古城の呼びかけを理解したうえで、応じるつもりがないのだ。
「……なるほど。本当に言うこと聞かないんだな」
黄金の双眸が僅かに細くなった。
明確な警告だった。
これ以上近づくな、と。
普通なら従うべきなのだろう。なにしろ相手は、第四真祖の眷獣である。
「悪いけど」
律の瞳で三つの勾玉が回る。
「せっかく来たんだ。手ぶらで帰るのもな」
黒い水面が盛り上がった。
そこから無数の鎖が噴き出し、黄金の獅子へ殺到する。現実に存在するものではない。写輪眼による精神干渉で作り出した拘束の枷が、前脚から胴、首へと巻きついた。
その瞬間、世界そのものが震えた。
獅子が吼える。
音というより、巨大な魔力の塊を意識へ直接叩きつけられたような衝撃だった。全身から黄金の雷が爆発し、何本もの鎖がまとめて砕け散る。
「ぐっ……!」
反動が律の右目を灼いた。
幻術を見破られたわけではない。ただ、圧倒的な力で拘束そのものを押し潰している。
「……無茶苦茶だな、おまえ」
それでも律は退かなかった。
勝つ必要はない。
この怪物を自分の支配下に置く必要も、古城を主人として認めさせる必要もない。
外側から届いている古城の呼び声。その出口まで、ほんの少し動かせればいい。
律は砕かれた鎖を組み直し、さらに何重にも獅子へ絡ませる。右目の奥で痛みが脈打ったが、構わず力を込めた。
「古城!」
現実の監獄結界で、律の唇が動いた。
身体は古城の前に立ったまま微動だにしていない。だが、紅い右目からはいつの間にか細い血の筋が流れ、頬を伝っていた。
「久世先輩……!」
雪菜が反射的に近づこうとする。
「触るな、剣巫」
那月の声に、その足が止まった。
「まだ暁と繋がっている。下手に外から干渉すれば、久世だけでなく暁の精神まで傷つける可能性がある」
「ですが、久世先輩の目が──」
「古城!」
再び律の声が響いた。
「呼べ!」
古城が顔を上げた。
何が起きているのかまではわからない。それでも、自分の内側で先ほどまで微動だにしなかった巨大な何かが、明らかに動き始めたことだけは感じ取れていた。
胸の奥を圧迫するような、凄まじい魔力。
古城は息を吸い込み、そこへ意識を集中させる。
「──来い!」
闇の向こうに亀裂が走った。
そこから白い光が差し込んでくる。
出口。
理屈はわからなくても、それだけは理解できた。
「そこか……!」
律は幻術の鎖へ意識を集中した。
獅子が抵抗するたびに拘束が軋み、右目へ焼けつくような痛みが返ってくる。それでも律は歯を食いしばり、巨大な前脚を少しずつ光のほうへ動かしていった。
ほんの僅か。
それだけでいい。
「本人が呼んでんだから──」
黄金の獅子が吼える。
鎖が軋み、何本かが弾け飛ぶ。
それでも律は手放さなかった。
「一回くらい、顔出せ!」
最後に強く引いた。
黄金の前脚が、光の中へ踏み込んだ。
雷鳴が監獄結界を貫いた。
古城の足元から青白い稲妻が迸り、石床を縦横に駆け抜ける。燭台の炎が一斉に吹き消され、闇へ沈んだ牢獄を、代わりに眩い黄金の光が照らし出した。
古城の背後で空間が歪む。
最初に現れたのは、巨大な前脚だった。
雷で形作られた爪が石床を踏みしめ、続いて頭部、鬣、胴体が、狭い穴から無理やり押し出されるように姿を現す。
「まさか……」
那月が目を細めた。
黄金の雷を纏った巨大な獅子が、監獄結界へ降り立った。
「眷獣……!」
雪菜が雪霞狼を抜き放つ。
アスタルテも初めて明確な反応を見せ、その背後で空間が揺らいだ。
「高密度魔力反応を確認。眷獣《薔薇の指先》、自律防御態勢へ移行」
虹色の半透明な巨腕が、少女を守るように姿を現した。
しかし、誰もそちらを見る余裕はない。
《獅子の黄金》の存在そのものが、あまりにも巨大だった。
巨体の輪郭は絶えず雷へと崩れ、そのたびに獣の形へ戻っている。それでも、そこに満ちる魔力だけは本物だった。存在しているだけで石床が軋み、鉄格子が震え、肌が痺れる。
その直後、律の意識が現実へ弾き戻された。
「──っ!」
膝から力が抜ける。
倒れかけた身体を雪菜が咄嗟に支え、律は片手で右目を押さえた。指の隙間には血が滲み、頭の芯を直接殴られたような痛みが残っている。
「久世先輩、大丈夫ですか!?」
「……頭痛い」
「馬鹿者!」
那月の怒声が飛んだ。
「何をした、久世!」
「引っ張ってきた」
「見ればわかる!」
律は痛む目を押さえたまま、黄金の獅子を見上げた。
古城がいくら呼びかけても姿を現そうとしなかった眷獣を、精神領域へ入り込み、写輪眼による干渉で文字どおり力ずくで現世へ引きずり出した。
それは召喚ではない。
まして使役などではなかった。
「お、おい……」
古城が、自分の背後に現れた怪物を見上げる。
「一応、俺が呼んだんだから……俺の言うこと、聞いたりしねえ?」
黄金の双眸が古城を捉えた。
獅子がゆっくりと口を開く。
牙の奥へ、凄まじい量の雷光が集まり始めた。
「…………」
古城の顔から血の気が引いた。
「律」
「なに」
「こいつ、めちゃくちゃ怒ってねえ?」
「まあ。嫌がってるの引っ張ってきたからな」
「先に言え!」
古城の絶叫と同時に、黄金の雷が膨れ上がった。
だが、それが放たれるより早く那月が扇子を振る。
虚空から無数の守護者の鎖が現れ、《獅子の黄金》の四肢と首へ殺到した。幾重にも巻きついた鎖が巨大な身体を石床へ縫い止め、獅子が身を捩るたびに甲高い軋みを上げる。
「暁、動くな!」
「言われなくても動けねえよ!」
拘束されたままの古城が叫ぶ。
雪菜も雪霞狼を構え、律は痛む右目を細めながら《獅子の黄金》を観察していた。
やがて、獅子の輪郭が大きく揺らいだ。
黄金の前脚の先端が粒子へ変わり、巨体の一部が透け始める。
「……戻る」
律が呟いた。
強引に開いた現世への道が閉じ始めている。
写輪眼による精神干渉は、すでに切った。
古城自身が眷獣を留められない以上、このまま内側へ戻っていく。それで今回の検証は終わり──。
そう思った。
だが。
「……待て」
消えかけていた黄金の前脚が止まった。
次の瞬間、散りかけていた雷の粒子が逆流するように集まり、再び獣の形を作り始める。
鬣が膨れ上がった。
魔力が増していく。
「久世?」
那月が律を見る。
律は答えず、写輪眼を開いた。
見間違いではない。
自分と古城を繋いでいた精神干渉は、もうどこにも残っていない。
「俺、もう引っ張ってない」
「なに?」
「術は切れてる。なのに──」
黄金の獅子が、ゆっくりと顔を上げた。
牙が剥き出しになる。
その全身から溢れ出した雷が、監獄結界を黄金に染めた。
「こいつ、自分で残ってる」
咆哮。
次の瞬間、黄金の雷が爆発した。