ストライク・ザ・ブラッド 紅眼の血従   作:jmwuva

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7話

 

 

 

 古城はしばらく嫌そうな顔をしていたが、那月と雪菜がすでにやる気になっているのを見て、逃げ道がないと悟ったらしい。石柱に背を預けたまま目を閉じ、ゆっくりと呼吸を整えていく。

 監獄結界に静寂が戻った。

 燭台の炎が揺れ、湿った石壁のどこかで水滴が落ちる。遠くから聞こえていた鎖の音さえ途絶え、やがて古城の呼吸だけが微かに響くようになった。

 自分の内側にあるものへ、意識を沈めているのだろう。

 

「……来い」 

 

 古城が低く呼びかけた。

 何も起こらなかった。

 眉間に皺を寄せ、今度はもう少し強く意識を集中する。

 

「来い!」

 

 やはり、何も起こらない。

 魔力が膨れ上がることも、眷獣が姿を現すこともなく、燭台の炎だけが頼りなく揺れていた。

 

「……ほらな。言っただろ。あいつら、俺の言うことなんか聞きゃしねえんだよ」

「当然だ」

 

 あっさり言ったのは那月だった。

 

「え?」

「『来い』の一言で済ませておいて、何を偉そうに失敗した顔をしている」

「いや、眷獣を呼ぶだけだろ?」

「その“呼ぶだけ”すら、おまえはまともにやったことがない筈だ」

 

 古城が言葉に詰まった。

 那月はティーカップをソーサーへ戻すと、出来の悪い生徒へ授業をするように扇子の先を向けた。

 

「魔術における詠唱や術式というものは、雰囲気を出すためにあるわけではない。発動させる現象を定義し、術者自身の認識を固定し、魔力に方向性を与えるためのものだ。熟練した魔術師なら短縮も無詠唱も可能だが──」 

 

 扇子が、ぴたりと古城を指した。

 

「おまえは素人だ」

「……言い方」

「事実だ」

「否定できねえのが腹立つ……」

「まして相手は真祖の眷獣だ。意志を持つ高密度魔力の集合体に向かって『来い』だけで済ませるなど、術式以前の問題だろう。せめて自分が何者で、誰を、いかなる権限で呼び出すのかくらい明確にしろ」

「……つまり?」

「ちゃんと召喚しろと言っている」

 

 古城は嫌な予感がしたらしい。

 ゆっくりと律を見る。

 すでに律は顎へ手を当てていた。

 

「なるほど……詠唱か」

「おい」

「だったら最初に言ってくれればよかったのに」

「待て、律」

「第四真祖なんだから、それなりのやつじゃないとな」

「待てって」

 

 律は天井を見上げた。

 数秒考える。

 

「──『我は血の記憶を継ぐ者』」

「もう嫌だ」

「まだ一行目だぞ」

「一行目で嫌なんだよ!」

 

 律は無視した。

 

「『夜の帳に君臨せし、焔光の夜伯──』」

「やめろ」

「『十二の災厄をその身に宿す、世界最強の吸血鬼なり』」

「やめろって!」

 

 石柱へ拘束された古城が暴れ、鎖がじゃらじゃらと鳴った。

 雪菜が真面目な顔で首を傾げる。

 

「ですが、“第四真祖であることを明示する”という南宮先生の説明には沿っていますね」

「姫柊!?」

「もう少し召喚対象も明確にしたほうがいいかもしれません」

「おまえ、そっち側に行くな!」

「なるほど」

 

 律が頷いた。

 

「じゃあ続き──『我が血海に眠りし十二の魔獣よ』」

「血海ってなんだよ!」

「古城の中」

「俺の中そんな気持ち悪いことになってねえよ!」

「確認不能です」

 

 アスタルテが淡々と告げた。

 

「おまえは黙ってろ!」

「律、続けろ」

 

 那月が促した。

 

「那月ちゃん!?」

「私は検証を進めているだけだ」

「絶対楽しんでるだろ!」

「気のせいだ」 

 

 那月の口元はティーカップに隠れていた。

 律はさらに考える。

 

「眷獣の名前がまだわからないんだよな」

「知らねえよ。アヴローラから教えてもらってねえし」

「じゃあ十二体まとめて呼ぶか」

「一体でいい!」

「選べないだろ」

「じゃあ呼ばなくていい!」

「暁先輩、実験になりません」

「実験のために俺の尊厳を捨てさせるな!」

 

 誰も聞いていなかった。

 

「最後はやっぱり命令だよな」

 

 律が腕を組む。

 

「『我が血を門とし、我が魂を玉座として──』」

「待て」

「『今こそ冥府の鎖を引き千切り──』」

「待て待て」

「『万象を灼き、天穹を喰らう破滅の牙を現世に示せ』」

「気持ち悪い! 誰だよそんなこと言う奴!」

「おまえ」

「言わねえよ!」

「まだ締めがある」

「いらねえ!」

 

 律は一度咳払いした。

 そして妙に低い声を作る。

 

「──『疾く在れ、我が眷獣よ』」

「…………」

 

 古城が黙った。

 雪菜も黙った。

 アスタルテは無表情だった。

 那月だけが、ほんの少し眉を上げる。

 

「……そこだけ急にそれっぽくなったな」

「だろ?」

「褒めてねえよ!」

「では全部繋げます」

 

 アスタルテが告げた。

 

「なんで!?」

「記録しました」

「消せ!」

「拒否します」

「なんで拒否すんだよ!」

 

 律は構わず、完成した詠唱を読み上げた。

 

「──『我は血の記憶を継ぐ者。夜の帳に君臨せし焔光の夜伯。十二の災厄をその身に宿す、世界最強の吸血鬼なり。我が血海に眠りし魔獣よ。我が血を門とし、我が魂を玉座として、今こそ冥府の鎖を引き千切り、万象を灼き、天穹を喰らう破滅の牙を現世に示せ──疾く在れ、我が眷獣よ』」

「…………」

 

 静まり返った。

 湿った石壁から水滴が落ちた。

 ぴちゃん。

 古城は石柱に縛られたまま、遠い目をしていた。

 

「……俺、死んだほうがマシかもしれねえ」

「暁先輩」

「なんだよ」

「大丈夫です」

 

 雪菜が励ますように言った。

 

「姫柊……」

「誰にも言いませんから」

「やっぱ恥ずかしいやつなんじゃねえか!」

 

 律が古城を見る。

 

「じゃ、どうぞ」

「言うわけねえだろ!」

「暁」

 

 那月の声が飛んだ。

 

「やれ」

「那月ちゃんまで!?」

「私は先ほど説明したはずだ。術者の認識を固定し、召喚対象と命令を明確にしろとな」

「絶対ここまでやれとは言ってなかっただろ!」

「久世の詠唱が魔術的に必要かどうかを検証するには、実際に試すしかあるまい」

「必要なわけねえだろ!」

「ならば、それを証明しろ」

「どうやって!?」

「唱えて失敗すればいい」

「どっちに転んでも俺が死ぬじゃねえか!」

 

 しかし、逃げられない。

 物理的にも逃げられない。

 古城は現在、石柱に鎖で拘束されている。

 

「…………」

 

 古城は俯いた。

 

「……本当に言わなきゃ駄目?」

「はい」

 

 雪菜。 

 

「肯定」

 

 アスタルテ。 

 

「やれ」

 

 那月。 

 

「頑張れ」

 

 律。

 

「おまえだけ後で絶対殴る」

 

 古城は深く息を吸った。

 目を閉じる。

 

「……我は、血の記憶を継ぐ者……」

「声小さいぞ」

「うるせえ!」

「術者の認識が固定できません」

「おまえら覚えてろよ!」

 

 顔を真っ赤にしながら、古城は再び息を吸った。

 

「我は血の記憶を継ぐ者! 夜の帳に君臨せし、焔光の夜伯──!」

 

 声が石造りの監獄に反響する。

 律は口元を押さえた。

 

「律! おまえ今笑っただろ!」

「笑ってない。続けて」

「肩震えてんだよ!」

「暁先輩、集中してください」

「なんで俺が怒られてんの!?」

「途中で止めるほうが恥ずかしいぞ」

「那月ちゃんまで追い込むな!」

 

 もはや自棄だった。

 

「──十二の災厄をその身に宿す、世界最強の吸血鬼なり! 我が血海に眠りし魔獣よ! 我が血を門とし、我が魂を玉座として──!」

 

 そこまで叫んだところで、古城の顔がさらに赤くなる。

 

「……今こそ、冥府の鎖を……」

 

 視線が、自分の身体へ落ちた。

 本物の鎖でぐるぐる巻きだった。

 

「…………」

「どうした?」

「なんで俺、縛られながら『鎖を引き千切れ』とか言ってんの?」

 

 誰も答えなかった。

 雪菜が顔を背けた。

 

「姫柊!」

「すみません……続けてください」

「笑ってんじゃねえか!」

「早くしろ、暁」

「くそおおおっ!」

 

 古城が吼えた。

 

「──冥府の鎖を引き千切り! 万象を灼き、天穹を喰らう破滅の牙を現世に示せ! 疾く在れ──我が眷獣よッ!」

 

 大音声が監獄結界を揺らした。

 余韻が消える。

 一秒。

 二秒。

 三秒。

 

「…………」

 

 何も起こらなかった。

 古城は目を閉じたまま動かなかった。

 

「……古城?」

「話しかけんな」

「でも──」

「今の俺に話しかけんな!」

「召喚失敗を確認」

「報告すんなアスタルテ!」

「実験結果としては有意義だな」

 

 那月が紅茶を飲む。

 

「どこがだよ!」

「少なくとも、詠唱の不足が原因ではないことはわかった」

「俺の尊厳と引き換えにな!」

「大丈夫です、暁先輩」

 

 雪菜が慰める。

 

「……姫柊」

「途中からは、少し格好よかったです」

「途中までは気持ち悪かったってこと!?」

 

 律はもう聞いていなかった。

 笑いを収めると、改めて考える。

 呼びかけは届いている。

 簡単な命令でも駄目。

 術者と対象を意識し、それらしい召喚の形を取っても駄目。

 なら、問題は呼び方ではない。

 向こうが出てくる気そのものがない。

 そこまで考えたところで、律はふと首を傾げた。

 

「……じゃあ、こっちから迎えに行けばいいんじゃない?」

「は?」

 

 古城が間の抜けた声を出した。

 

「古城の中にいるんだろ。呼んでも出てこないなら、中に入って引っ張ってくればいい」

 

 監獄結界に妙な沈黙が落ちた。

 雪菜が何度か瞬きをして、古城と顔を見合わせる。アスタルテだけは律の提案を特に奇妙とも思わなかったらしく、表情一つ変えない。

 やがて三人の視線が揃って那月へ向かい、最後には律まで同じように彼女を見た。

 那月はティーカップを持ったまま、しばらく何も言わなかった。

 

「……久世。おまえは今、自分が何を言ったのかわかっているのか?」

「古城の精神領域に入って、眷獣を連れてくる」

「言い直せという意味ではない。そもそも、そんなことが可能なのかと訊いている」

「たぶん」

「たぶん!?」

 

 古城が思わず身を乗り出し、拘束の鎖が派手な音を立てた。

 律は自分の目元を指す。

 

「この眼は精神への干渉もできる。古城が眷獣に意識を向けてる今なら、その繋がりを辿って、もっと深いところまで入れるかもしれない」

「かもしれない、で人の頭ん中に入ろうとすんなよ!」

「嫌ならやめるけど」

 

 そう言われると、古城は黙り込んだ。

 自分の内側に十二体の眷獣がいる。それがアヴローラから受け継いだ力だということも知っている。けれど、古城自身は彼らの姿を見たわけでも、言葉を交わしたわけでもない。

 怖くないはずはない。それでも、知りたくないわけでもないのだろう。

 

「……本当に入れるなら、見てきてくれ」

 

 やがて古城はそう答えた。

 

「ただし、変なことすんなよ。見るだけだからな」

「…………わかった」

「今の間はなんだよ」

「気のせい」

「絶対なんかする気だろ!」

 

 那月は疑わしげな古城と、どこ吹く風の律を見比べ、扇子で自分の肩を軽く叩いた。

 

「許可はする。ただし久世、精神への干渉は必要最低限にしろ。異常を感じたら即座に接続を切れ。暁も妙な抵抗はするな。おまえの精神にどのような影響が出るか、私にも予測できん」

「わかったよ、先生」

 

 今度は律も素直に頷いた。

 古城の前まで歩み寄り、その顔を正面から覗き込む。

 

「目、逸らすなよ」

「ああ」

 

 律の瞳が紅く染まった。

 黒い瞳孔を囲むように三つの勾玉が浮かび、ゆっくりと回り始める。二人の視線が重なり──次の瞬間、律の意識が深く沈んだ。

 

 

 

 足元で、水音がした。

 目を開いた律の前に広がっていたのは、監獄結界とは似ても似つかない光景だった。

 黒い水面が果てもなく続いている。空も壁もなく、遠近感さえ曖昧な闇の中で、足元だけが鏡のように律の姿を映していた。一歩踏み出せば、靴底から生まれた波紋がゆっくりと広がり、暗闇の向こうへ溶けていく。

 

「……本当に入れたのか」

 

 自分で試しておきながら、律は少し驚いた。

 古城の意識を足掛かりにして、そのさらに深い場所へ潜ったのだろう。ここが精神そのものなのか、それとも第四真祖の血と魔力によって形作られた領域なのか、今の律には判別できない。

 だが、それを考えている余裕は長く続かなかった。

 不意に、肌が粟立った。

 写輪眼を開いたまま闇へ目を凝らす。それまで空虚だったはずの空間から、いくつもの巨大な気配が浮かび上がってきた。

 姿も輪郭も見えない。それでも、そこに存在する魔力の大きさだけは嫌というほど伝わってくる。暗い海の底で、巨大な生き物たちに取り囲まれたような圧迫感だった。

 律は無意識に息を詰め、それらを数えた。

 一つ、二つ、三つ──。

 

「……十二」

 

 話には聞いていた。

 第四真祖が十二体の眷獣を従え、その一体一体が天災にも匹敵する力を持つことも知っている。

 けれど、知識として理解するのと、実際にその存在を前にするのとではまるで違った。

 普段は追試だの宿題だので騒ぎ、自分たちと同じようにくだらないことで笑っている少年の内側に、こんなものが十二体も沈んでいる。

 

「世界最強、か……」

 

 初めて、その呼び名が実感を伴った。

 そのときだった。

 闇の一角に、二つの黄金の光が灯った。

 直後、雷光が走る。

 黒い世界が一瞬だけ照らされ、その光の中から巨大な獅子の輪郭が浮かび上がった。黄金の雷そのものを肉体として形作ったような四肢と鬣。その頭部だけでも律の身体を優に上回り、呼吸するたびに牙の隙間から細かな雷が漏れている。

 

「おまえか」

 

 律は黄金の獅子を見上げた。

 

「古城が呼んでるぞ。聞こえてるんだろ?」

 

 返事はなかった。

 獅子は伏せた姿勢のまま、律を見下ろしている。

 もう一歩近づいた瞬間、太い尾が水面を打った。黄金の雷が弾け、黒い水面を伝って律の足元まで走ってくる。

 それだけで十分だった。

 聞こえていないわけではない。古城の呼びかけを理解したうえで、応じるつもりがないのだ。

 

「……なるほど。本当に言うこと聞かないんだな」

 

 黄金の双眸が僅かに細くなった。

 明確な警告だった。

 これ以上近づくな、と。

 普通なら従うべきなのだろう。なにしろ相手は、第四真祖の眷獣である。

 

「悪いけど」

 

 律の瞳で三つの勾玉が回る。

 

「せっかく来たんだ。手ぶらで帰るのもな」

 

 黒い水面が盛り上がった。

 そこから無数の鎖が噴き出し、黄金の獅子へ殺到する。現実に存在するものではない。写輪眼による精神干渉で作り出した拘束の枷が、前脚から胴、首へと巻きついた。

 その瞬間、世界そのものが震えた。

 

 獅子が吼える。

 

 音というより、巨大な魔力の塊を意識へ直接叩きつけられたような衝撃だった。全身から黄金の雷が爆発し、何本もの鎖がまとめて砕け散る。

 

「ぐっ……!」

 

 反動が律の右目を灼いた。

 幻術を見破られたわけではない。ただ、圧倒的な力で拘束そのものを押し潰している。

 

「……無茶苦茶だな、おまえ」

 

 それでも律は退かなかった。

 勝つ必要はない。

 この怪物を自分の支配下に置く必要も、古城を主人として認めさせる必要もない。

 外側から届いている古城の呼び声。その出口まで、ほんの少し動かせればいい。

 律は砕かれた鎖を組み直し、さらに何重にも獅子へ絡ませる。右目の奥で痛みが脈打ったが、構わず力を込めた。

 

「古城!」

 

 

 

 現実の監獄結界で、律の唇が動いた。

 身体は古城の前に立ったまま微動だにしていない。だが、紅い右目からはいつの間にか細い血の筋が流れ、頬を伝っていた。

 

「久世先輩……!」

 

 雪菜が反射的に近づこうとする。

 

「触るな、剣巫」

 

 那月の声に、その足が止まった。

 

「まだ暁と繋がっている。下手に外から干渉すれば、久世だけでなく暁の精神まで傷つける可能性がある」

「ですが、久世先輩の目が──」

「古城!」

 

 再び律の声が響いた。

 

「呼べ!」

 

 古城が顔を上げた。

 何が起きているのかまではわからない。それでも、自分の内側で先ほどまで微動だにしなかった巨大な何かが、明らかに動き始めたことだけは感じ取れていた。

 胸の奥を圧迫するような、凄まじい魔力。

 古城は息を吸い込み、そこへ意識を集中させる。

 

「──来い!」

 

 

 

 闇の向こうに亀裂が走った。

 そこから白い光が差し込んでくる。

 出口。

 理屈はわからなくても、それだけは理解できた。

 

「そこか……!」

 

 律は幻術の鎖へ意識を集中した。

 獅子が抵抗するたびに拘束が軋み、右目へ焼けつくような痛みが返ってくる。それでも律は歯を食いしばり、巨大な前脚を少しずつ光のほうへ動かしていった。

 ほんの僅か。

 それだけでいい。

 

「本人が呼んでんだから──」

 

 黄金の獅子が吼える。

 鎖が軋み、何本かが弾け飛ぶ。

 それでも律は手放さなかった。

 

「一回くらい、顔出せ!」

 

 最後に強く引いた。

 黄金の前脚が、光の中へ踏み込んだ。

 

 

 

 雷鳴が監獄結界を貫いた。

 古城の足元から青白い稲妻が迸り、石床を縦横に駆け抜ける。燭台の炎が一斉に吹き消され、闇へ沈んだ牢獄を、代わりに眩い黄金の光が照らし出した。

 古城の背後で空間が歪む。

 最初に現れたのは、巨大な前脚だった。

 雷で形作られた爪が石床を踏みしめ、続いて頭部、鬣、胴体が、狭い穴から無理やり押し出されるように姿を現す。

 

「まさか……」

 

 那月が目を細めた。

 黄金の雷を纏った巨大な獅子が、監獄結界へ降り立った。

 

「眷獣……!」

 

 雪菜が雪霞狼を抜き放つ。

 アスタルテも初めて明確な反応を見せ、その背後で空間が揺らいだ。

 

「高密度魔力反応を確認。眷獣《薔薇の指先》、自律防御態勢へ移行」

 

 虹色の半透明な巨腕が、少女を守るように姿を現した。

 しかし、誰もそちらを見る余裕はない。

《獅子の黄金》の存在そのものが、あまりにも巨大だった。

 巨体の輪郭は絶えず雷へと崩れ、そのたびに獣の形へ戻っている。それでも、そこに満ちる魔力だけは本物だった。存在しているだけで石床が軋み、鉄格子が震え、肌が痺れる。

 その直後、律の意識が現実へ弾き戻された。

 

「──っ!」

 

 膝から力が抜ける。

 倒れかけた身体を雪菜が咄嗟に支え、律は片手で右目を押さえた。指の隙間には血が滲み、頭の芯を直接殴られたような痛みが残っている。

 

「久世先輩、大丈夫ですか!?」

「……頭痛い」

「馬鹿者!」

 

 那月の怒声が飛んだ。

 

「何をした、久世!」

「引っ張ってきた」

「見ればわかる!」

 

 律は痛む目を押さえたまま、黄金の獅子を見上げた。

 古城がいくら呼びかけても姿を現そうとしなかった眷獣を、精神領域へ入り込み、写輪眼による干渉で文字どおり力ずくで現世へ引きずり出した。

 それは召喚ではない。

 まして使役などではなかった。

 

「お、おい……」

 

 古城が、自分の背後に現れた怪物を見上げる。

 

「一応、俺が呼んだんだから……俺の言うこと、聞いたりしねえ?」

 

 黄金の双眸が古城を捉えた。

 獅子がゆっくりと口を開く。

 牙の奥へ、凄まじい量の雷光が集まり始めた。

 

「…………」

 

 古城の顔から血の気が引いた。

 

「律」

「なに」

「こいつ、めちゃくちゃ怒ってねえ?」

「まあ。嫌がってるの引っ張ってきたからな」

「先に言え!」

 

 古城の絶叫と同時に、黄金の雷が膨れ上がった。

 だが、それが放たれるより早く那月が扇子を振る。

 虚空から無数の守護者の鎖が現れ、《獅子の黄金》の四肢と首へ殺到した。幾重にも巻きついた鎖が巨大な身体を石床へ縫い止め、獅子が身を捩るたびに甲高い軋みを上げる。

 

「暁、動くな!」

「言われなくても動けねえよ!」

 

 拘束されたままの古城が叫ぶ。

 雪菜も雪霞狼を構え、律は痛む右目を細めながら《獅子の黄金》を観察していた。

 やがて、獅子の輪郭が大きく揺らいだ。

 黄金の前脚の先端が粒子へ変わり、巨体の一部が透け始める。

 

「……戻る」

 

 律が呟いた。

 強引に開いた現世への道が閉じ始めている。

 写輪眼による精神干渉は、すでに切った。

 古城自身が眷獣を留められない以上、このまま内側へ戻っていく。それで今回の検証は終わり──。

 

 そう思った。

 だが。

 

「……待て」

 

 消えかけていた黄金の前脚が止まった。

 次の瞬間、散りかけていた雷の粒子が逆流するように集まり、再び獣の形を作り始める。

 鬣が膨れ上がった。

 魔力が増していく。

 

「久世?」

 

 那月が律を見る。

 律は答えず、写輪眼を開いた。

 見間違いではない。

 自分と古城を繋いでいた精神干渉は、もうどこにも残っていない。

 

「俺、もう引っ張ってない」

「なに?」

「術は切れてる。なのに──」

 

 黄金の獅子が、ゆっくりと顔を上げた。

 牙が剥き出しになる。

 その全身から溢れ出した雷が、監獄結界を黄金に染めた。

 

「こいつ、自分で残ってる」

 

 咆哮。

 次の瞬間、黄金の雷が爆発した。

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