「名前」
先輩の家に泊まり始めて数日経ち、
俺はこの家にも慣れてきた。
先輩の家は、俺の家より広くて、綺麗だ。
それに、リオさんは俺にくっついてきて、まるで妹のようだし、
お母さんは、優しくて明るい。
先輩は……優しいけど、ずっと俺と一緒のベッドで寝てくる。
賑やかで、楽しい家だ。
俺は普段は一人だから、
ずっと家で人と過ごすのは、久しぶりで楽しい。
……ずっとここに住みたいかもしれない──。
そんなことを考えながら、みんなで朝ご飯を食べていると、
先輩がこちらの顔を見てきた。
「な、なんですか先輩」
『君がそんな風に思ってたんだ、と思って見ただけさ』
先輩が少し微笑みながら、こちらを見ている。
「も〜、勝手に顔を見ないでくださいよ……」
『ふふ、ごめんね』
そのあとも、先輩と少し話したりしていると、
お母さんに「あら〜、仲が良いわね〜」と言われてしまった。
……少し恥ずかしい。
そして、朝ごはんを食べ終わり、
俺がリビングのソファーで座ってくつろいでいると、
お母さんが外出していった。
俺が「仕事に行くんだろうか?」と思っていると、
10分後、玄関の方から音がして見にいくと、
お母さんが両腕に三箱のダンボールを抱えながら、家へ戻ってきた。
そして、とても重そうにしている。
「あ、あら〜遊星君。ど、どうしたのかしら」
「なんか大変そうだと思って……あ、あの俺もよかったら運びますよ」
「だ……大丈夫よ〜遊星君、このくらい私一人でも……」
お母さんはそう言ったが、
汗をかいていて、とても辛そうだ。
そして、お母さんはダンボールを床に置いた。
「や、やっぱり運んでもらってもいいかしら……三箱を一気はキツいわ……」
お母さんの声は、絶え絶えになっていた。
話を聞くと、マンションの受け取りボックスを何回も往復するのが面倒くさいので、
ダンボールを一気に運ぼうとして、三箱も抱えていたらしい。
そのあと、俺が一箱持ってみると、軽く十キロを超えそうな重さだった。
……いくら面倒くさいと言っても、
これを三箱一気は、こっちの方が辛そうだ。
そんなことを思いつつ、俺はお母さんと一緒にダンボールをパントリーまで運んだ。
しかし、このダンボールには何が入っているのだろうか。
「は〜助かったわ。ありがとうね、遊星君」
「いえ、泊めさせてもらってるのでこれくらいは……」
「ふふふ、真面目なのね。そんな、遊星君にはこれを一本プレゼントしてあげる」
そう言うと、お母さんはダンボールを開けた。
そこには、コーラがぎっしりと入っている、ダンボールが入っていた。
なぜ「ダンボールの中にダンボールが?」と思っていると、
お母さんに「三箱全部コーラって周りの人にバレたら、恥ずかしいじゃない」と言われた。
俺は別に隠すようなことでもないと思ったが、
ここのマンションは高級っぽいので、
周りの目が気になるのかもしれないと、一応納得した。
「というか、この箱全部コーラなんですね……」
「そうなのよ〜。私……というか私たちコーラが大好きだから、定期的にいっぱい買うの〜。じゃあ、はい、これ」
そして、俺はお母さんからコーラを一本貰った。
「あ、ありがとうございます。お母さん」
「ふふふ、いいのよ〜お礼だもの」
そのあと、俺が貰ったコーラを冷やそうと、
冷蔵庫へ向かおうとすると、お母さんに引き止められた。
「あ、あの、なんでしょう……?」
俺がなにか失礼なことでもしてしまったかと、
恐る恐るお母さんに聞くと、
予想外の答えが返ってきた。
「私の名前、なんだと思う?」
「えっ」
そんなことを突然言われても、
俺は分からない。
「きゅ、急にどうしたんですか」
「お母さんって呼ばれるのもいいけど、名前で呼んでほしくなっちゃって。でもそのまま教えるのはつまらないでしょ? だからクイズにしたの〜」
……その瞬間、俺は改めてこう思った。
この人は先輩の親なんだと。
この、急によく分からないことを言ってくる感じは、
先輩と似ている。
「さあ、私の名前を当ててみて〜」
「ええ……」
ノーヒントで、名前が分かるわけがない。
だが、顔をよく見ると、先輩のお母さんは外国人っぽい顔だ。
気になったので、俺は聞いてみることにした。
「あ、あの……外国の人だったりしますか」
「おおっ、よく分かったわね〜実はデンマーク人なのよ」
そうだったのか。
……となると、先輩はハーフなのだろうか?
確かに、先輩の顔はハーフっぽいような……。
いや、そんなこと、今はどうでもいい。
重要なのは、お母さんはデンマーク人だということ。
つまり、名前もデンマークらしい名前の可能性が高い。
……デンマークらしい名前ってなんだ……?
俺は、そんなに外国人の名前に詳しくない。
これ以上悩んでも答えが出なさそうなので、
俺は当てずっぽうで「エミリー」と言おうとした。
すると、突然先輩がやってきた。
「あ、先輩」
『お母さんと枕木君はなにをしているのかな?』
「ふふふ、名前当てゲームよ〜」
それを聞いた先輩は、俺の方を向いてきた。
『ごめんね、枕木君。お母さんの変なゲームに付き合わせてしまって』
「ちょっとマオ〜、なによ変なゲームって」
「お、俺は別に大丈夫ですよ」
『そっか、ちなみにお母さんの名前は──』
先輩が名前を言いかけると、
お母さんが目にも映らぬ速さで、
先輩の口を塞いだ。
「ゲーム中だから教えちゃダメよマオ〜」
『むぐぐ……』
「さあ、言ってみて遊星君。チャンスは一度きりよ〜」
俺はとりあえず、さっき考えていた「エミリー」と言った。
すると、しばらくお母さんが黙り、静かな時間が訪れた。
この間も、先輩は口を塞がれ、もごもごしている。
そして、しばらくしたあと、先輩のお母さんが口を開いた。
「残念っ、正解はフレイヤでした〜」
「は、はあ……」
「罰ゲームとして、遊星君には私の名前を呼んでもらいまーす」
お母さんが待つような目で、俺を見てきている。
俺は、なかなか言えなかったが、
この間もずっと先輩が口を塞がれ、もごもごしているのを見て、
早く解放してあげたいと思い、勇気を出して言った。
「ふ、フレイヤさん」
それを聞いたお母さんは、満足げな表情になった。
「ふふふ、名前を呼んでもらえて嬉しいわ〜。さて、私はコーラを冷蔵庫に入れようかな〜」
そう言うと、お母さんは先輩を解放し、
ダンボールの中のコーラを冷蔵庫に入れに行った。
解放された先輩は、深呼吸したあと、
俺に話しかけてきた。
『ふう、ありがとうね枕木君。僕がお母さんに捕まってたから、早めに言ってくれたんだろう?』
「え、なんでそれを……あっ」
『ふふ、そうだよ。いつも通り、君の顔で分かったんだ』
先輩は、とても嬉しそうにしている。
『君は優しいね、枕木君』
「い、いやそんなことは……」
『そんな優しい枕木君に一つお願いがあるんだけど、いいかな?』
先輩は顔を、少し横に傾けながらそう言った。
「な、なんですか」
『僕も名前で呼んでほしいなって。お母さんが言われているのを見たら、久しぶりに僕も言われたくなってしまったよ』
これは困った。
一度言ったとはいえ、まだ先輩の名前を呼ぶのは恥ずかしい。
しかし、先輩はまっすぐこちらを見てきて、呼ばれるのを待っている。
これは、言わないと解放してくれなさそうだ。
少し面倒くさい。
「ま……」
『ま?』
「真央先輩……」
俺は、頑張って言った。
先輩も、嬉しかったのだろうか?
口を閉じて、こちらを見てきている。
「こ、これでいいですか先輩」
俺がそう言うと、先輩は口を開いた。
『嬉しいけど、少し違うな……』
「えっ」
『前に言われた時は、もっと、ときめいたのだけれど……なんでかな。申し訳ないけど、もう一回言ってほしいな』
「えぇ……」
そのあと、俺は恥ずかしがりながらも、何回か名前を呼んだが、
先輩が満足してくれることはなかった。
先輩は、面倒くさい──。
「掃除」
朝、俺は晴れやかな気分で目覚めた。
先輩の家に泊まり始めてから、目覚めがいい。
布団やベッドが俺の家より良いものだからだろうか。
それとも、先輩が一緒に寝てくるからだろうか。
(まあ、先輩は朝起きるといなくなるんだけど。はあ、どうせなら寝起きの先輩も見てみた……ん?)
なにやら部屋の外から音がする。
俺が気になって部屋から出ると、お母さんと先輩が掃除機をかけていた。
二人の格好は、エプロンやマスク、バンダナなどをつけていて、
さらに掃除用具も持っている。
まさに掃除といった感じだ。
「あら、遊星君じゃない。起きちゃったかしら? ごめんね〜掃除の音が大きくて」
「だ、大丈夫ですよ。というか、俺も手伝いますよ。泊まらせてもらってるので……」
「あら〜それは助かるわ。そしたら、マオと一緒にやってあげて」
お母さんがそう言うと、先輩がこちらに来て、
マスクとバンダナを渡してくれた。
『ごめんね、君のサイズのエプロンはなくてね』
「いや、全然大丈夫ですよ。どこからやるんですか?」
『こっちだよ』
そう言うと、先輩はリビングのソファーへ向かった。
『下を掃除したいから、動かしてほしいな』
「分かりました先輩」
そして、俺がソファーを動かし、
先輩は、露わになった床に掃除機をかけた。
『ふう、助かったよ枕木君。僕だとソファーを動かせないからね』
「先輩は力が強くないですもんね」
『ふふっ、そうだね。さて、次へ行こうか』
そのあと、俺たちはリビングの他の部分も掃除し、
リビングはとても綺麗になった。
『ふふ、綺麗になったよ』
「まあ、そもそもあんまり汚れてなかったですけどね」
『普段から掃除をしているからね』
確かに、先輩は綺麗好きそうだ。
『さて、次は僕の部屋を掃除に行くよ』
「えっ」
俺は、先輩の部屋を掃除することに少し驚いた。
いや、部屋自体は何回か入ったことはあるのだが、
俺は、先輩の部屋で過ごすと、先輩を感じて変な気分になってしまう。
『君がなにを考えているのか知らないけど、ただ掃除するだけだよ』
「へ、変なことなんて考えてないですよっ」
『ふふふ、じゃあ行こうか』
そして俺は先輩についていき、
先輩の部屋へ入った。
……相変わらず、先輩の部屋はいい匂いだ。
肺がいっぱいになるまで空気を吸い込みたくなる。
そんなことを考えていると、先輩がこちらを見つめていた。
「なっ、み、見ないでくださいよ」
『ふふふ、枕木君のたまに気持ち悪いところ、僕は好きだよ』
「えっ、今気持ち悪いって……」
『さあ、やろうか。枕木君は本棚の埃を払ってほしいな』
俺は先輩に気持ち悪いと言われたショックで少し動けなかったが、
よく考えたら、俺の考えていたことは気持ち悪いと思い直し、
本棚の埃を払いはじめた。
丁寧に埃を払っていると、
本棚に先輩の小学校や中学校の卒業アルバムが入っているのを見つけた。
……中を見たい。
とても中を見たい。
中を見て、昔の先輩の姿が見たい。
しかし、勝手に見てしまったら先輩に『ふふ、君は気持ち悪いね』と言われそうだ。
実際、勝手に卒業アルバムを見てくる奴は気持ちが悪い。
だが「先輩、卒業アルバム見ていいですか?」と聞くのも、
俺には出来ないし、そもそも今は掃除中だ。
俺はゆっくりと先輩の部屋を見回した。
先輩は今、別の場所を掃除していて俺の方は向いていない。
今なら、高速で見ればバレないかもしれない。
しかし、勝手に卒業アルバムを見るのは……。
そんな風に俺が本棚の前で葛藤していると、
先輩がこっちに来た。
『本棚の掃除はどうかな、枕木君』
「あっ、ま、まだなにもしてないですっ」
『ん……?』
先輩は首を傾げたあと、
俺の顔を不思議そうに見つめてきた。
少し見つめたあと、俺の考えていることがバレたのか、
先輩は少し笑った。
『ふふふ、そんな僕の卒業アルバムを見たかったんだ』
「い、いやこれは……」
俺は言い訳をしようとしたが、
先輩の次の一言は予想外のものだった。
『いいよ、じゃあ一緒に見ようか』
「えっ」
『だって見たいんだろう? だから見せてあげるよ』
そう言うと、先輩は本棚から小学校のアルバムを取り出して開いた。
そして、先輩はなにかを探すようにページをめくり、
少し経ったあと、目当てのページが見つかったのか、めくる手を止めた。
『ほら、これが僕の写真だよ』
先輩が写真を指差している。
その綺麗で細い指の先には、小学生の先輩がいた。
写真の中の先輩は、今より小さいが、
すでに今のように髪が長く、
表情も周りの子供より大人っぽい。
先輩は、小さくても綺麗だ。
『どうかな枕木君』
「と、とても綺麗です」
『ふふ、ならよかったよ。じゃあ、次は中学校だね』
そして、次は中学校のアルバムを見せてくれた。
……とても綺麗だ……が、ほぼ今と変わらない。
小学生の先輩を見た時ほどの、今との違いは感じられない。
強いて今との違いを言うなら、少し背が小さい気がするのと、
中学校の制服を着ているくらいだ。
そんなことを思っていると、先輩に顔を見られてしまった。
『ふふっ、今とあまり変わらなくてガッカリしたかな?』
「そ、そんなことは」
『実際、身長が数センチ変わっただけだからね……さあ、アルバムの時間は終わりだよ』
そうだ、掃除中だった。
そのことを、俺は今、思い出した。
『まあ、君が本棚をやってくれている間に、ほぼ終わったんだけどね』
「え、それって……」
『うん、本棚をやったら終わりさ。終わったら……幼稚園のアルバムも見せてあげるよ』
そのあと、俺は丁寧に本棚の掃除をし、
先輩の部屋の掃除を終えたあと、先輩と一緒に幼稚園のアルバムを見た。
幼稚園の先輩はとても小さく、髪も今ほど長くない。
小学校の時と比べると、綺麗というより可愛い感じだった。
そして、アルバムを見終わったあと、
俺たちは掃除用具などを元の場所へ戻し、掃除を終えた。
「ふう〜終わりましたね」
『ふふ、助かったよ枕木君、ありがとうね』
「こちらこそ、昔の先輩が見れてよかったです」
『なら良かったよ……おや、そういえばお母さんがいないね』
確かに、お母さんがいない。
先輩と二人で家の中を探すと、リオさんの部屋から音が聞こえたので、
俺は先輩と二人でドアに耳を当てた。
「リオ〜今日はリオの部屋も掃除するって言ったでしょ〜」
「いやだああ……私の部屋は私が掃除するのお……」
「だったら普段から綺麗にしなさい、そしたら私もリオの部屋掃除しないわよ」
「普段から掃除するのもやだああ……」
どうやら、リオさんとお母さんが掃除のことで言い争っているようだ。
それを聞いた俺たちは、同じタイミングでドアから耳を離し、
思わず顔を見合わせた。
『……このままにしておいてあげようか』
「そうですね」
……先輩の家はとても賑やかだ──。