「女声」
俺は休日に、先輩から貰った女子制服を着て、鏡の前で女装を楽しんでいた。
……素晴らしい。
動くたびに少し揺れるスカート、胸元についている可愛らしいリボン。
その全てが、俺の目には魅力的に映った。
それに自分で言うのもなんだが、制服を着ただけで、俺は結構女の子らしく見えると思う。
以前、先輩にメイクをしてもらった時ほどではないが、自分を見ているだけで、ときめいてくる。
(俺……可愛いな)
そんなことを思いつつ、鏡の前で女の子座りなどをして楽しんでいると、
突然、先輩から電話がかかってきたので、俺は電話に出た。
「ふふ、突然ごめんね」
「どうしましたか、先ぱ……」
その時、俺はあることに気づいた。
俺の声は、いつもの……男の声だ。
それに気づいた瞬間、一気に現実に引き戻される気がした。
俺は……ただの男なんだ。
ショックで、思わずスマホを床に落とした。
「枕木君……? どうしたの枕木君、大丈夫……?」
「はは……なんでもないです。ただ、男だっただけです……」
「……どうやらなにか悩んでしまっているみたいだね。そしたら、今から君のところへ行くね」
「……えっ?」
しばらくすると、本当に先輩が来た。
俺は急いで女子制服から着替え、女装していたことがバレないようにした。
「やあ、急にごめんね。大丈夫かな、枕木君?」
「まさか本当に来るとは……。まあ、大丈夫ですよ。ただのくだらない悩みです」
俺は先輩に顔を見られないよう、背を向けて喋った。
……いや、よく考えれば先輩にならバレてもいいかもしれない。
そもそも先輩には女装を見せたことがあるし、
なにより、先輩の声は女の子のような声だ。
どうやって声を出しているのか聞けば、俺も似たような声が出せるかもしれない。
そう閃いた俺は、一瞬で180度回転し、先輩の方を向いた。
「枕木君……? 急に回ってどうし……」
「先輩っ、その声の出し方教えてくださいッ」
俺は先輩の言葉を遮り、両手を握りながら大声で言った。
先輩は驚いたのか、一瞬目を丸くしたあと、俺の顔を見つめた。
「……ふうん、そういうことだったんだ」
「顔見て、俺の悩みを分かってくれましたね? じゃあ教えてください」
「出し方って言われても……僕のこの声は作ってるんじゃなくて地声だよ」
「え……」
それを聞いた瞬間、俺は膝から崩れ落ちた。
「そ、そんなあ……先輩なら適任だと思ったのに……」
「ごめんね。まあ、君が元気そうだし、僕は帰るとするよ。またね」
先輩が帰ろうとしたので、俺は先輩の足を掴み、引き止めた。
「先輩……まだ行かないでえ……」
「……」
先輩が、引いたような目でこちらを見てくる。
「……はあ、しょうがないね。せっかく来たんだし、もう少し居させてもらうよ」
「や、やったあ」
俺たちはリビングへ行き、先輩と話し合った。
「先輩、どうすればいいですかね」
「どうすればって……別に声はそのままでもいいんじゃないかな。女の子の格好なのに男声ってギャップがあっていいしね。それか、女装中は喋らないとかでもいいかも」
「俺、喋りたいです」
「じゃあ練習すればいいじゃないか。というか、最初から決まってるなら僕に聞かないでおくれよ」
「先輩の声が聞きたくて……」
それを聞いた先輩は、少し嬉しそうに笑った。
「ふふふ、そっか。しかし、やっぱり女声を出したいなら練習がいいと思うな」
「やっぱ、そうですか……分かりました。俺、練習します」
「ふふ、その調子さ。それじゃあ僕は帰るね」
「は、はい……そういえば、電話かけてきた理由ってなんですか?」
「ん? 枕木君の声が聞きたかっただけさ」
どうやら、大した理由ではなかったらしい。
そして先輩は帰っていき、俺はネットで調べ、声の練習を始めた──。
その後も、毎日欠かさず練習を続けて、ついに──。
ある日の朝──。
「ん、こほっ、これで……うん。いい感じ」
俺は少し響くような男の低音から、
鈴を転がすような、澄んでいて心地のよい声を出すことに成功した。
きっと、誰が聞いても女の子だと思ってしまうはずだ。
そして、女声になったならやることは一つ。
俺は押入れから女子制服を取り出し、着替えた。
「ああ、完全に俺、女の子じゃん……。せっかくなら、一人称とかも女の子っぽくしよ。こほこほ、私、枕木遊星と言います。これから、よろしくお願いいたします」
鏡に向かって、俺は喋った。
傍から見ればおかしい奴に見えるかもしれないが、俺は今、最高に楽しいっ。
そんなことをして楽しんでいると、外から朝のチャイムが聞こえてくる。
そうだ、今日は学校があるんだった……せっかくだし、先輩に聞かせてあげよう。
俺は急いでいつもの制服に着替え、支度をして学校へ向かうと、校門に先輩が待っていた。
「おはよう、枕木君」
先輩がいつものように挨拶してきたので、俺は女声で挨拶をした。
「おはようございます、先輩」
「……おや、マスターできたんだね」
「ふふ、そうなんです。可愛い声だと思いませんか?」
「そうだね。その声は君の努力の結晶だよ」
「へへへ」
俺は先輩に褒められて、いい気分のまま教室へ入り、
そのあと、ホームルームが始まった。
「えー、では出席確認を行います。えー、枕木君」
「はい」
……まずい。
思わず女声で返事をしてしまった。
すると、クラス中からこそこそ話しているのが聞こえてくる。
しかも、みんな俺のことを見つめてきて──。
お昼休み──。
「やあ、枕木君。授業どうだったかな?」
「もう出さない」
「え? どうかしたのかい枕木君……? ……そうだ、りゅりゅはなにか知っているかい?」
「……それは、可哀想なので言えないですわ」
「もう……俺、女声出さないぃ……」
俺は、しばらく今日のホームルームの出来事を引きずった──。
「偽物」
休日、特に先輩たちに誘われなかったので、
家でのんびり過ごしていると、チャイムが鳴った。
(チャイム……? 宅配便とかは頼んだ覚えがないけどな……。あ、もしかして先輩かな? もーっ、アポ無しで来るとか困っちゃうなー、でも先輩なら家にあげるしかないなー)
俺は弾んだ足取りで玄関へ行き、ドアを開けた。
すると、俺の予想通り先輩が立っていた……が、いつもと少し雰囲気が違う。
休日になぜか学校の制服を着ている。
まあ、これは先輩でもやりそうではあるが、
他にも目元にクマがあるし、背も丸まっていて猫背っぽい。
目の前の先輩は、本当に先輩なのだろうか?
「えーっと……先輩じゃないですよね」
俺は恐る恐る、聞いてみた。
話しかけられた先輩っぽい人は焦っているのか、手をバタバタと動かし、
俺と目を合わせないまま口を開いた。
「ほ、本物だよ。わ、わた……僕はマオさ。遊星君とあ、遊びたいと思ってね」
なんだか言葉が噛み噛みだし、先輩は俺のことを「遊星」呼びはしてこないはずだ。
「んー? 先輩は基本、俺のことを『枕木』って呼ぶのに、今日は『遊星』なんですね」
「えっ……そ、そそ、それは気分転換さ。そ、それより、家に入れてもらえると嬉しいなぁ……」
先輩っぽい人は、間違いを指摘されたせいか、さらに噛み噛みになり、
さらに声も小さくなっていく。
……怪しい。
俺はもう一度、目の前の人の見た目をよく確認してみた。
すると、髪の一部分に染め忘れなのか、金髪が見える。
間違いない、目の前の人はリオさんだ。
そう考えると、目元のクマも猫背っぽいのも頷ける。
制服は……どうせ勝手に借りたのだろう。
「リオさんですよね?」
「ひいっ、な、なんで分かったの……」
「そりゃ分かりますよ……口調はそれっぽいけど噛みすぎだし、髪も染めれてない部分ありますよ」
「えっ、嘘。家出る前にちゃんと確認したのにぃ……慰めてよ遊星君」
「ええ……」
そのあと、うつむきながら近づいてきたリオさんを、
背中をさすって慰めていると、今度はリオさんっぽい人が来た。
……なんとなく分かる。これは先輩だ。
髪は完璧に金髪になっているが、リオさんにしては姿勢が良すぎるし、大人っぽすぎる。
「やあ、枕木君。リオだよ、お姉ちゃんを迎えに来たよ」
(先輩、リオさんに寄せる気ないな……髪染めただけの先輩じゃないか)
そんなことを思ったあと、俺は一応聞いてみることにした。
「えっと、先輩ですよね」
「うん、お姉ちゃんが急にワンデイ髪染めして、僕の制服をいつのまにか盗んだあと、家を出てったんだ。でもお姉ちゃんが来る場所なんか、君の家くらいしかないだろうし、それで来てみたら案の定ここにいたということさ」
「まあ、それは分かりましたけど……先輩も髪染めてリオさんのふりする理由はないですよね?」
「せっかくだからね」
なにがせっかくなのかは分からなかったが、
とりあえず俺はリオさんを先輩に引き渡した。
「さようなら、リオさん」
「びええ……枕木君の家に入れると思ってたのにぃ……」
家に連れ戻されるのが嫌なのか、リオさんが鼻水を垂らしながら泣いている。
……可愛いが、相変わらず振る舞いが小学生レベルだ。
本当に先輩の姉なのだろうか。
「枕木君に迷惑かけたらダメだよお姉ちゃん。ほら、帰るよ」
「じゃあ遊星君も家まで着いてきてよお……」
「おや、それはいい提案だね。どうかな枕木君?」
「ええ……まあ、いいですけど……」
なぜか俺まで先輩の家に行くことになってしまったが、
先輩の家に行けるのならいいのかもしれない。
そのあと、俺たちは楽しく会話しながら歩き、先輩の家に着いた。
「着いたね、せっかくなら少しでいいから上がっていってよ枕木君。お茶とお菓子を出すよ」
本当は家まで送ったら帰るつもりだったが、
お菓子を出してもらえるなら行くしかない。
先輩の家のお菓子はきっと、何千、何万円とする高級なものだろう。
なんて楽しみなんだ。
「え、いいんですか。じゃあお言葉に甘えて……」
すると、先輩が俺の顔を覗き込んできた。
「ふふ、枕木君は高いものに弱いね」
「ななな、そんなこと思ってないですよっ。あと顔見ないでくださいっ」
「ふふっ」
「遊星君、家に入るの? やったあ」
そして、俺たちは家に入り、手洗いうがいを済ませてから、
リビングへ向かった。
「じゃあ僕はお茶とお菓子を持ってくるから待っていておくれよ。あ、お姉ちゃんは早く着替えて僕の制服を返してね」
「むぅ……しょうがないなあ……」
そう言い、先輩はお菓子、リオさんは着替えのためにリビングから離れ、俺一人になった。
(ふう、まさか今日先輩の家に来れるとは思わなかった。まあ、嬉しいからいいけど……それより、お菓子楽しみだな。直接値段聞くのはあれだからお店の名前だけ聞いて帰ったら調べよ……)
そんな邪な考えをしながら待っていると、先輩がお茶とお菓子を持って戻ってきた。
「はい、枕木君のお茶とお菓子だよ」
「おおっ……お?」
俺はウキウキでお菓子を見た。
だが、そのお菓子は小袋に入っていて、そこには「たけのこの森」と書いてある。
「えーっと……これは……」
「ん? 知らないかい? 『きのこの木とたけのこの森』有名なお菓子さ。僕が好きなんだ」
「へー……先輩はたけのこ派なんだ……じゃなくてっ、これスーパーに売ってる……」
「うん。普通のお菓子さ。そもそも、僕は高いお菓子があるなんて言ってないよ。枕木君は高いものが好きだねえ。ふふ、食べないなら、僕が貰ってあげるよ」
「た、食べますよっ」
俺は高いものじゃなくて残念な気持ちと、そんな浅ましいことを考え、
見抜かれてしまった俺への怒りを感じながら、
先輩と二人でお菓子とお茶をいただいた。
……美味しい。やはり値段なんか関係なく美味しいものは美味しいのだ。
ちなみに俺はきのこ派だ。
そのあと、着替え終わったリオさんが戻ってきた。
「着替えたよ〜って、私抜きでもう先に食べてるっ」
「あっ、す、すみません」
「ふふっ、ごめんね」
「もお〜まあいいけど……お、たけのこだ。嬉しい〜」
「この前買っておいたのさ、ほら、おいでお姉ちゃん」
「うんっ」
そして、リオさんは先輩の膝の上に座って、お菓子をばくばく食べ始めた。
リオさんが満点の笑みになっている。
……小さい子供みたいで可愛い。
そのあとも、三人で話しながらゆったりとした時間を過ごしていると、
先輩のお母さんがやってきた。
「あら〜いつのまに帰ってきてたの? ふふ、リオとマオが髪色変えてて分かりにくいわ〜……って遊星君もいるじゃない」
「あ、お邪魔してます……」
「ふふふ、いいのよ〜……あ、そうだッ。ちょっと待っててね遊星君」
そう言うと、お母さんはどこかへ行った。
「……なんでしょうか先輩?」
「さあ? でも、お母さんは割とテンション次第で変なことをするよ」
「そうだよ、遊星君」
「はあ……」
姉弟揃って「お母さん変なことをする」と言われたが、
そんなにお母さんは変なことをしてくるのだろうか?
少し気になってくると、ちょうどお母さんが戻ってきた。
だが、その姿は衝撃的なものだった。
「ハロー、枕木く〜ん。マオよ〜」
「え、あっ……」
お母さんは、どこのものか分からないが制服を着てきた。
だがサイズが合っていないのか、服が可哀想なくらいパツパツで、
お腹やいろいろな場所がはみ出ている。
……お腹などは引き締まっていてスタイルはいいが、俺はなんて言えばいいのだろうか。
しかもなぜか先輩を名乗っているし。
……なんというか、自分の親世代の制服姿というのは、
見ていてなんとも言えない気分になってくる。
「どうかしら〜枕木君」
「えっと……あの……」
「お母さん、枕木君が困っているよ」
「マオたちがお互いのふりをしてたから私もしたくなっちゃったのよ〜。ごめんね遊星君」
「あっ……はい……」
俺はお母さんの体から目を背けながら話した。
そんなこんなしていると、リオさんが口を開いた。
「お母さんの制服姿キツッ。自分の年齢を考えた方がいいよ」
リビングの空気が凍りついて、お母さんがピクピクしている。
だが、リオさんは口を閉じない。
「しかも子供の友人の前だし……もういい年なんだから、テンションに任せてそんなことしないでね。子供として恥ずかしいよ」
言い切ったリオさんは、自分の部屋へ戻って行く。
お母さんはリオさんの言葉にショックを受けたのか、その場にへたり込んだ。
「そ、そんなに言わなくても……お母さん悲しいわ」
「えっと……大丈夫ですよ。似合ってますから」
一応、俺は慰めた。
「ほ、本当? 遊星君は優しいね」
「ははは……」
「お母さん」
「ん? マオも慰めてくれるの? マオも優し……」
「僕はお姉ちゃんと同意見だよ。やめてほしいな」
先輩に追撃されたお母さんは、そのまま泣いた──。