「舌」
放課後、俺はいつものように、校門に立っていた先輩と話していた。
「……で、今日の体育は俺のおかげでチームを勝利に導いたんですよ」
「へえ、それは凄いじゃないか。それに、君が体育で愚痴を言わないなんて珍しいね」
「へへへっ、もっと褒めてくれていいんですよ〜」
「ふふ、君は凄いよ。それより、今日暇なら僕の家に来てくれないかな?」
俺はもっと褒めてほしかったのに急に話題を変えられてしまい、
少し「むう〜っ」となって眉をひそめてしまいそうになったが、
先輩が家に来てほしいらしいので、その気持ちを胸の奥に押し込み、理由を聞いた。
「急になんでですか」
「ん? 前に美味しい『ぶどうジュース』を一緒に飲んだだろう? あれをまた貰ったから一緒に飲みたいな〜って」
それを聞いた途端、さっきまでの心のモヤが一気に吹き飛んだ。
体育のことなんてもうどうでもいい、あの「ぶどうジュース」が飲めるなら。
「いっ、行きますっ」
「ふふ、じゃあ行こうか」
(枕木君は分かりやすいな〜)
俺はぶどうに思いを馳せ、スキップのような軽い足取りで、
先輩と共に家へ向かった──。
(ぶどうジュースが楽しみだあっ)
記憶の中の味を思い出すだけで、舌が溶け、ほっぺたが落ちてしまいそうだ。
ああ、早く早く飲みたい──。
そんなことを考えていると、いつのまにか先輩の家まで着いた。
「ふふ、よっぽど楽しみなんだね、枕木君。顔に出ているよ」
「えっ、あっ、恥ずかしい……あと、顔見ないでくださいっ」
「ふふっ、じゃあ手洗いとうがいをしてからリビングへ行こうか」
「はいっ」
俺と先輩は丁寧に手洗いなどを済ませたあと、先に先輩が「準備するね」と言いリビングへ向かい、
そのあと「来ていいよ枕木君〜」と呼ばれたので、俺はウキウキでリビングへ向かった──。
リビングへ向かうと、テーブルには目隠しと、お猪口かと思うほど小さいグラスが置いてある。
グラスが小さいのはまだ分かるが、目隠しはなんなんだろうか……。
「えっと先輩……これは……」
「突然だけど枕木君、君は味の違いが分かる男なのかな?」
「え?」
急な問いかけに処理が追いつかず、思わず俺はフリーズしてしまった。
だが、先輩はそんなことはお構いなしに話を続けた。
「君は高い食べ物とかが好きで、よく『美味しい美味しい』と言いながら飲み食いをしているけれど、本当に味の違いが分かっているのかい?」
「そ、それは……」
「僕は思うんだ。違いが分からない人には、このジュースは相応しくないとね」
その言葉で、俺は気づいた。
この目隠しと小さいグラスの意味を──。
「先輩、もしかして……」
「さすが枕木君、気づいたようだね。そう、これからやってもらうのは、目隠しで飲み比べさっ」
「やっぱりそうでしたか……」
「ふふっ」
先輩は軽く笑ったあと、説明を続けた。
「ちなみに、もし君が間違えたら」
「間違えたら……?」
「君には帰ってもらうからねっ」
「ええっッ」
思わず、声が漏れてしまう。
間違えてしまえば、俺は違いが分からない男になった上に、
ぶどうジュースも、あんなせいぜい三十mlほどしか入らないような小さいグラス分しか飲めない。
これは……絶対に間違えられない。
俺がそう思い、緊張感で呼吸を早めていると、先輩が急に笑ってきた。
「ふふっ、なーんてね冗談さ。間違えても君を帰したりなんてしないし、ジュースも飲ませてあげるよ」
「も、もお……驚かせないでくださいよ。本当に先輩の冗談は分かりづらいんだからもお……」
俺はほっとして、息を大きく吐いた。
「ふふっ、ごめんね。でもせっかくだから飲み比べをやってみないかい?」
「確かに、楽しそうだしやってみたいです」
「その意気だよ、枕木君。じゃあいくよ〜」
そう言うと先輩は、どこからかペットボトルに入ったぶどうジュースを取り出してきた。
ラベルには「濃縮還元、果汁100%」と書かれている。
「これはスーパーで売っている普通の『ぶどうジュース』さ。もちろんこれも美味しいけれど、比べると味は違うはずさ。さて、ではお待ちかね『本日の主役』の登場さ」
先輩がワインボトルに入ったぶどうジュースを取り出してくる。
……何回見ても気品を感じる、素晴らしいフォルムだ。
それに、見ただけで味の記憶が蘇ってきて、それだけで満たされてしまいそうだ。
それをまた飲めるなんて、俺は幸せだ。
「よし、じゃあ目隠しをつけるから、その状態で飲んでみて、どっちが『主役』かを当ててみてね」
「はい」
先輩に目隠しをつけられ、視界が闇に覆われ、
そのせいか、急に不安になってきた。
俺は本当に当てられるのだろうか。
もし、間違えてしまえば先輩に心の中で「枕木君は違いの分からない男だったんだね……残念だよ」と軽蔑されてしまうかもしれない。
だが、やるしかない。
「それじゃあ、これを飲んで。こぼさないように気をつけてね」
先輩がグラスを俺の手に渡してくる。
俺はこぼさないよう、慎重に持ち、口へ運んだ。
……美味しい、だがそれだけで特に感動はない。
おそらく、これが普通の方だろう。
「飲めたみたいだね。それじゃあ、次はこっちだよ」
再び、先輩がグラスを渡してくる。
俺はそれを慎重に持ち、口へ含んだ。
……この味、この味だ。
真っ黒な視界にぶどう畑が映し出されるほど、ぶどうの味が鮮明に感じられる。
これは舌に自信のない俺でも分かる、これだっ。
「さて、二つ飲んでもらったわけだけれど、どっちを選ぶかな? 最初だと思うならA、最後に飲んだ方ならBで答えてね」
「Bですっ」
俺は即答した。
それほど、俺はこの答えに自信があるのだ。
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサーですっ」
「そっか。じゃあ答えを発表するよ……」
先輩がいったん口を閉じると、この空間に静寂が生まれた。
答えに自信はあるが、緊張してしまう。
そして、俺の緊張がピークに達した瞬間、先輩が口を開いた。
「正解さ。さすがだね、枕木君」
「やったああっ」
正解すると、やはり嬉しくなる。
俺は思わず叫んでしまった。
「ふふっ、君は違いの分かる男だね。それじゃあ、もっと飲もうか」
「はいっ」
俺が目隠しを外すと、テーブルには今使ったグラスより、たくさん入りそうなワイングラスが置いてある。
「先輩……これは」
「ふふ、せっかくならいっぱい飲みたいだろう?」
「先輩……ありがとうございますうっ」
「ふふっ、じゃあ飲もうか」
そして、俺たちはジュースをワイングラスに注ぎ、
いっぱい飲み、あっという間になくなってしまった──。
「おや、もうなくなってしまったね」
「二人で飲みましたからね」
「ふふ、確かにね。あっ、そうだ」
先輩がなにかを思いついたのか、ペットボトルのぶどうジュースを、
空になったワインボトルに入れていく。
「なにしてるんですか?」
「ん? これに入れたら、脳が騙されてさっきまでの味になるかもと思ってね」
「はあ」
「ふふ、飲んでみようか」
そのあと、俺たちはワインボトルに入れたジュースを飲んでみたが、
別に味は変わらなかった。
「変わらなかったね」
「まあ、俺たちは中身違うの知ってますしね〜」
「はは、確かにそうだね」
中身が違うと知っているなら勘違いしないという当たり前の事実を再確認し、
二人で一緒に笑っていると、先輩のお母さんがやってきた。
「あら〜遊星君じゃない。二人とも笑ってて楽しそうね〜」
「あっ、お邪魔してます」
「ふふふ、いいのよ〜あら、それ、美味しいぶどうジュースじゃないの。マオ、お母さんにもちょうだい〜」
「あ、それ中身は……」
俺が中身について言いかけると、先輩が口を塞いできた。
急になんだと思い、先輩の方を見ると、
顔を近づけてきて、ヒソヒソとした小声で話しかけてきた。
「このまま黙ってた方が、騙されるかの実験になるよ枕木君」
「い、いやでも……」
「大丈夫さ」
そして先輩は俺から顔を離し、お母さんと話し始めた。
「うん、いいよ。それじゃあお母さんのグラスを持ってくるね」
「ありがとうマオ〜、やっぱりマオは優しいわ〜」
「ふふっ」
先輩はお母さんに笑顔を見せ、グラスを取りに行った。
その笑顔は綺麗だったが、裏を知っている俺には、
騙そうとしている邪悪な笑みに映った。
そのあと、先輩は持ってきたグラスにジュースを注ぎ──。
「はい、お母さん」
「ありがとね〜、マオ」
そう言うと、お母さんはグラスに入ったぶどうジュースをゆっくりと口に含んだ。
「ん〜これこれ、美味しいわ〜。何回飲んでも感動しちゃうっ、スーパーで売ってる濃縮還元のとは違う味よ〜」
お母さんがジュースの味に感動している。
中身はスーパーで売ってる濃縮還元のジュースなのだが。
「美味しい美味しいわ〜」
「ふふ、お母さんが喜んでて僕も嬉しいよ」
「ふふふ、人の幸せを喜べるなんて、マオは優しいね、お母さん嬉しいっ。嬉しいから二人とも来て〜」
「え、俺もですか」
「うん、遊星君もよ〜」
俺が恐る恐るお母さんに近づくと、先輩とまとめて抱きしめられた。
苦しい。
「む、むぐ」
「はは、枕木君、お母さんはテンション上がるといつもこんな感じだよ」
「ふふふ〜」
お母さんの胸のあたりで、息苦しさを感じていると先輩がまた小声で話しかけてきた。
「ふふふ、騙せたようだね」
「は、はあ……」
「これは二人の秘密だよ、枕木君」
そして、俺たちはそのままお母さんに抱きしめられ続けた。
……今日は色々なことに気づいた。
一つはあのぶどうジュースは目隠しをしても気づけるほど美味しいということ。
もう一つはワインボトルに入れたら中身が別でも騙せるということ。
最後は、先輩の性格は悪いということだ──。
「教室での先輩」
「ふふっ、そうだったんだね……おや、そろそろ僕は教室へ行くよ」
「ん、もうそんな時間でしたか。じゃあさようなら、先輩」
「またね、枕木君」
朝、俺はいつものように授業が始まる数分前まで先輩と話し、
そのあと自分の教室へ向かっていた──。
(今日も先輩は綺麗だったな。はあ、授業なんかじゃなく一日中先輩と話してたいよ。なのにもう教室へ行く時間だなんて…………そういえば、先輩って自分のクラスではどう過ごしてるんだろう)
クラスメイトに友達とかはいるのだろうか。
仲のいい人が実はいたりするのだろうか。
だとしたら、先輩と一緒のクラスで過ごせるなんて羨ましすぎて血涙を流してしまいそうだ。
しかし、先輩からクラスメイトの話なんて聞いたことはない。
もしかしたら、別にいないのかもしれない。
だが俺は気になってしまう。
先輩のクラスメイトのことを考え始めてから、俺の頭はそのことでいっぱいになってしまった。
(……今考えても仕方ないか。あ、そうだ。休み時間に先輩のクラスへ行ってみよう。いやあ、楽しみだなあ)
決断したあと、俺は休み時間を楽しみに待ちながら授業を受けた。
授業中、何回も時計を見たが、まったく時計が進んでいないように感じ、
ため息をつきながら授業を受けた。
そして──。
(よおしっ、休み時間だ。先輩のクラスへ行くぞっっ)
俺は急ぎつつ、それでいて先生や風紀委員に怒られないほどの絶妙な速度で先輩のクラスへ向かった。
(さて、そろそろ……おっ、ここだ)
先輩の教室へ着き、俺は引き戸の外側から教室の中を覗いた。
(今さらだけど、これ覗きだよな。だ、だが、今の俺は不審者になったとしても、先輩の普段の姿を見なければ。さて先輩はどこかな……あっ、いた)
外からクラス全体を見回すと、窓側の隅の席に先輩が座っているのが見える。
先輩をよく見ると、なにやら本を読んでいるが、
ブックカバーがしてあるので、なにを読んでいるのかは分からない。
イメージ的に先輩は純文学を読んでいそうだが、意外とラノベとかを読んでいてもおかしくはない。
(本読んでる先輩も物静かで落ち着いた雰囲気があっていいな……)
そのあと、しばらく本を読んでいる先輩を見ていると、
クラスメイトに話しかけられた先輩が、笑顔で応じているのが見えた。
そのクラスメイトは女子制服を着ているが、先輩の例があるので見ただけでは性別は分からない。
(実はあの人も男だったり……い、いやそんなことより、クラスメイトにも仲の良い人がっ)
その事実への驚きで俺の胸の鼓動が速くなって、息も荒くなっていく。
だが、クラスメイトと話したのはほんの少しで、
手を振ったあとどこかへ行き、先輩は再び本を読み始めた。
(ん……別に凄い仲が良いわけでもないのか? いや、今のだけで決めつけるのは……)
俺がそんなことを教室の外で考えていると、急に声をかけられた。
(な、なんだろう急に。あれ、この人はさっき先輩と話してた……)
「さっきからウチのクラスをずっと覗いてきて、なんの用事でしょうか」
「えっ、あっ」
急な問いに、声を詰まらせてしまった。
……これはまずい。
「なんの用事ですか? と聞いているのですが」
「え、あ〜……友人がこのクラスに……」
「なら、どうして教室へ入らないんですか?」
「うぐ……」
言えない。
あなたのクラスの生徒が普段どうしているのか気になって、外から覗いていましたとは言えない。
「えっと……」
「用がないなら帰ってください。気味が悪いので」
それを言われた瞬間、俺は自分のやっていたことの気持ち悪さに気づいた。
知らない男子生徒がずっと自分の教室をジロジロと見てきていたら、
誰だって気持ち悪いし、やめてほしいと思うだろうし、
先輩だって、自分がどう過ごしているのか、なにも言わずに見られたら嫌だろう。
……どうして俺はこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
そして、反省しながら自分の教室へ戻ろうとした瞬間、
引き戸が開き、先輩が教室から出てきた。
「その子は僕の知り合いなんだ。恥ずかしがり屋だから、きっと教室に入ってこれなかったんだよ」
「……そうだったんですか」
「少し、二人で話してもいいかな」
先輩がそう言うと、クラスメイトの人はため息をついたあと、教室へ戻っていった。
「あ、ありがとうございます、先輩」
「ふふ、君が僕の教室へ来るなんて珍しいね。入ってくればよかったのに」
「い、いやそれは……」
俺は目的を言えず、顔を逸らした。
すると、先輩は俺が顔を逸らした方へ移動し、俺の顔を覗き込んでくる。
「……ふうん。クラスで僕がどう過ごしているか知りたかったんだ」
「あはは……」
「まあ、君の気持ちは分かるし、僕は別に見られてもいいけれど、他の人はそうじゃないからね」
「はい……」
先輩に注意されてしまった。
当然である。
「まっ、君がこれ以上覗きをしないように普段の僕を教えてあげるよ。僕はいつもあんな感じで一人で本を読んでいるのさ。ちなみに、中身はこれさ」
先輩が本を取り出し、ブックカバーを外していく。
すると表紙には「月城理央 短編集」と書いてある。
「それ、もしかして……」
「うん、お姉ちゃんが書いた小説さ。わざわざ製本までして渡してくれたんだ」
自分で書いた小説を製本して弟に渡すなんて、
リオさんは変わっている。
……いや、先輩の家族自体が少し変わっている気がする。
「は、はあ、そうだったんですか。あ、そういえば、さっき話してたあの人は……?」
「あの子は、この教室のクラス委員で、優しいから誰にでも話しかけてくれるのさ。さっきも次の授業について話していたのさ」
「そ、そうだったんですか」
事実を知り、激しく動いていた心臓が、落ち着きを取り戻していく。
「ふふっ、僕に仲の良いクラスメイトがいるか気になるなんて、君は束縛気質があるのかな?」
「い、いやそんなことは」
「ふふ、まあこれで分かってくれたかな? 普段の僕とクラスメイトとの関係を」
「は、はい」
「ならよかったよ。でもそれはそれとして覗きはダメだよ。後でお仕置きするから待っていてね。それじゃ、またね」
「え?」
そう言うと、先輩は教室へ戻っていった。
……お仕置きとはなんなのだろうか、後でとは?
俺はあれこれ考えてみたが、結局よく分からなかった。
だが、お昼休みに俺はその恐ろしさを思い知ることになる──。
お昼休み──。
「おや、来ましたね。あなたにはお話しがあります」
「……え?」
お昼を食べようと、いつもの場所へ行くと、
竜崎が仁王立ちで待っていて、話しかけられた。
……嫌な予感がしてくる。
まさかお仕置きとは──。
「先輩から聞きました。先輩のクラスを覗いていたと……」
「え、い、いやそれは」
「言い訳は結構ですわっ。私のクラスから覗きが出たなんてクラス委員としては見過ごせませんっ。今日はきっちり指導いたしますわっ」
「ひ、ひい〜っっっ」
そのあと、俺は竜崎にお説教をされた。
しかも、全てが正論で俺が言い返せる部分が一つもなく、
一言一言がヘビー級ボクサーのパンチのような威力だ──。
「も、もうやめてくれえええっ」と俺は心の中でそう叫んだ──。
覗き、ダメ、絶対。
「11月10日締め切り」第1回人気投票 どのキャラが一番好きですか?
-
月城真央(真央先輩)
-
枕木遊星
-
竜崎竜奈(りゅりゅ)
-
月城理央(リオさん)
-
先輩のお母さん(フレイヤさん)