未来の崩壊世界に転生したら、職業くじでハンターを引いたので旧文明を漁る   作:パラレル・ゲーマー

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第8話 名前以外、全部UNKNOWN

 窓の隙間から、朝の光が部屋の中に差し込み始めている。

 あれからもう一度目を閉じて眠ろうとはしたものの、さすがに無理だった。あんな鮮烈で、まるで他人の人生そのものに放り込まれたような奇妙な夢を見た後で、再び安らかな眠りにつけるほど俺の神経は太くない。

 

 俺は身体を起こし、ベッドから五十センチほど離れた空中を見た。

 そこには、ナギが昨日と全く同じ姿勢で、宙に浮いたまま熟睡していた。

 重力を完全に無視し、シーツの皺一つ作らない完璧な空中睡眠。銀白色の長い髪は寝癖一つなく、微かな空気の流れに乗って揺らめいている。

 俺は、彼女の無防備な寝顔をじっと見つめた。

 

 昨夜の夢。

 全知全能の力。世界の理を書き換える《Tier0》と呼ばれる存在たち。そして、《大転移》を起こす《恐怖の大王》。

 夢の中で語られていた内容が本当なら、それらはすべて目の前で眠っているこの少女へ繋がっている。

 

 俺は再びナギを見た。

 半透明の身体。風もないのに揺れる髪。

 そして。

「……むにゃ……ごはん……」

 小さな口が微かに動き、平和すぎる寝言がこぼれ落ちた。

「…………」

 とりあえず、本人に緊張感がないことだけは間違いなかった。

 

 しばらくして、ナギの長いまつ毛が震え、淡い青紫色の瞳がゆっくりと開いた。

 視線が彷徨い、ベッドの上に座っている俺と目が合う。

「おはよう」

 俺が声をかけると、ナギは少しだけ瞬きをしてから答えた。

「……おはよう」

 数秒間の沈黙。そして。

「ごはん」

「起きて第一声がそれかよ!」

 俺は思わずツッコミを入れた。

 昨夜から頭の中を占領していた面倒な考えが、その三文字だけで少しだけ馬鹿らしくなった。

 

 朝食の準備に取り掛かる前、俺はさすがに何も聞かずにはいられなかった。

 着替えを済ませ、空中でぼんやりとしているナギに向き直る。

「なあ、ナギ」

「なに?」

「《神々の円卓》って言葉、覚えてるか?」

 俺が尋ねると、ナギは首を少し傾げて考え込んだ。

「……分からない」

「じゃあ、《Tier0》っていうのは?」

「分からない」

「因果律改変能力」

「分からない」

「……恐怖の大王」

 この言葉には、ほんの少しだけ反応を示したように見えた。

「……怖そう」

 お前のことらしいんだけどな。

 俺は心の中でだけツッコミを入れ、小さくため息をついた。

 

「じゃあ、ナギは?」

「私」

 これだけは、即答だった。

「…………」

 俺は少しだけ黙り込んだ。

 昨日まで、彼女のこの世界に存在していなかった名前だ。過去の記憶も、自分が何者なのかも、何一つ覚えていない。

 それでも、今の自分を指し示すその名前だけは、迷うことなく自信を持って答える。

 なんだか、それだけで十分な気もしてきた。

「……そっか」

「うん」

 ナギは、誇らしげに小さく頷いた。

 

 俺は、昨夜見た夢のことを、どこまで彼女に話すべきか悩んだ。

 でも、確証のない夢の話で、記憶のない彼女を混乱させるのは気が進まなかった。

「……お前、昔は結構すごかったみたいだぞ」

 とりあえず、それだけ伝えてみることにした。

「すごい?」

「ああ。なんでも知りたいことが知れて、なんでも思い通りにできたらしい」

 ナギは少しの間、宙を見つめて考えた後、俺を見て言った。

「今も、すごい」

「自分で言うなよ」

「悠真に、力を渡せた」

「まあ、それは確かにすごいけどさ」

「私は、すごいみたい」

 ナギはほんの少しだけ胸を張った。

 お前が《大転移》を起こす《恐怖の大王》だったらしいぞ。

 喉元まで出かかったその言葉を、俺は飲み込んだ。

 ただの夢だ。俺自身が確証を持てていない不確かな情報を、今の彼女に吹き込んでも何の意味もない。

「まあ、その辺の昔話はまた今度な」

「?」

「確証がないことを本人に吹き込むのもどうかと思ってさ」

「分かった」

 ナギはそれ以上追及せず、素直に頷いた。

 

 *

 

 リビングに出ると、すでに両親が起きていた。

「おはよう。二人とも、よく眠れた?」

 母さんがキッチンから顔を出し、笑顔で聞いてくる。

「うん」

 ナギが答え、そして余計な一言を付け足した。

「悠真の近く、よく眠れた」

「余計なこと言うな!」

 俺が慌てて遮ると、母さんはクスクスと笑い、父さんは新聞を読みながら無言でコーヒーを啜っていた。

 ナギも食卓につき、正確には座面から少し浮いたまま、トーストと目玉焼きの朝食に加わった。

 食事中、母さんが不意に尋ねてきた。

「昨日の夜、何か変わったことはなかった?」

 俺は一瞬迷った。あのリアルすぎる夢のことを話すべきか。

「……いや、特には。ちょっと変な夢を見たくらいかな」

「夢?」

「うん。すごくリアルで長ったらしい夢だったけど、今のところは夢としか言いようがないし」

 この段階で、両親まで巻き込んで話を広げる必要はないだろう。

「そう」

 母さんが納得したように頷くと、横からナギが口を挟んだ。

「悠真、寝言は言ってなかった」

「お前、人のことずっと監視してたのかよ」

 俺は軽くツッコミを入れ、その話題を流した。

 

 両親は、今日も工場と水耕農場への仕事がある。

 出勤前、玄関で靴を履きながら、母さんが俺に念を押した。

「悠真、今日はちゃんと真っ直ぐ協会へ行くのよ」

「分かってるって」

「ナギちゃんもね。悠真の言うこと、ちゃんと聞くのよ」

「うん」

 ナギが素直に頷く。

 母さんが、ごく自然に「ナギちゃん」と呼んでいる。ナギも、自分の名前として当たり前に反応している。

 昨日決めたばかりの名前が、すでにこの家庭の日常の風景として溶け込んでいることが、なんだか少し可笑しかった。

 

 両親を見送った後、俺はナギの服装について少し考えた。

 昨日からずっと着ている、あの簡素な白い衣服。汚れ一つついていないし、着替えの必要性も本人は理解していないようだ。

「お前、今日もその格好で行くのか?」

「?」

「……まあ、お前に普通の服着せても、身体ごと透けそうだしな」

 物理的な干渉が不安定な彼女に服を買ってやるのは、色々と面倒な問題が発生しそうだった。とりあえず、今は後回しだ。

 

 *

 

 第十四区画にあるハンター協会支部。

 昨日、幽霊騒ぎで大混乱を巻き起こした俺たちが足を踏み入れると、当然のように中のハンターたちから一斉に視線が集まった。

「あ、昨日の幽霊だ」

「また来たぞ」

「やっぱり、本当に浮いてるな……」

 ヒソヒソと囁き声が聞こえる。

 ナギは、その声に反応して、無表情のまま周囲に向かって宣言した。

「私は、幽霊じゃないと思う」

 昨日と全く同じ訂正だった。

「そこだけは、本当に譲らないんだな、お前」

 俺が呆れていると、奥のカウンターから片桐が姿を現した。

 

 その顔を見て、俺は思わず後ずさった。

 目の下に濃いクマを作り、頬はこけ、昨日よりも十年は老け込んだような顔をしていた。明らかに一睡もしていない。

「来たか……」

 這い出るような低い声。そして、俺の隣で浮いているナギを恨めしそうに睨んだ。

「で、そいつはどうなった?」

「あ、名前が決まりました」

「名前?」

「ナギです」

「ナギ」

 ナギが俺の言葉を繰り返し、ちょっとだけ誇らしげに胸を張った。

「おお……名前、ついたのか」

 片桐は、疲労困憊の顔を少しだけ和らげ、感慨深そうに呟いた。

「誰が付けたんだ?」

「悠真」

 ナギが俺を指差した。

「お前が?」

 片桐が驚いたように俺を見る。

「本人に頼まれたんですよ。名前つけてくれって」

「お前、昨日よく分かんねえ幽霊を拾ってきて、その日のうちに名前まで付けてやったのか……。世話焼きだな」

「私は、拾われてない」

 ナギが不満そうに口を挟む。

「お前、まだそこ気にしてるのかよ」

 俺がツッコミを入れると、片桐が俺に向き直った。

「昨日は、ちゃんと寝られたのか?」

「ええ、まあ」

「悠真と一緒に寝た」

 ナギが、無表情でとんでもない爆弾を投下した。

 

 ピタリ。

 片桐の動きが停止した。

「…………」

「ちょっと待て! 同じ部屋で寝たってだけで、ベッドは別だ! というか、こいつ空中で浮いて寝てるから!」

 俺が必死に弁解する。

「俺、まだ何も言ってねえよ」

「その顔が言ってるんだよ! やめてください!」

「悠真の、近くで寝た」

「お前はもうこれ以上追加説明するな!」

 

「まあ、お前らの寝室事情なんかどうでもいい」

「どうでもよくなかった顔してたでしょうが」

「本題だ」

 片桐は表情を引き締め、カウンターの上の端末を操作した。

「まずは、ナギの再スキャンだ。名前が決まった以上、最低限のデータとして協会に登録し直す必要がある」

 

 ナギがスキャナの前に進み出る。

 青い光が彼女の半透明の身体を上下に舐めるように走った。

 結果が、端末の画面に表示される。

 

 呼称:ナギ(手入力)

 生体情報:UNKNOWN

 年齢:UNKNOWN

 出生地:UNKNOWN

 種別:UNKNOWN

 既存登録:NONE

 能力情報:UNKNOWN

 身体構造:UNKNOWN

 

 見事なまでに、名前以外は何も埋まらなかった。

「…………名前しか分からないんですけど」

 操作していた担当職員が、泣きそうな顔で片桐を見た。

「俺に言うな」

「本人に聞いても、何も分かりませんよ」

 俺が言うと、ナギがキリッとした顔で言った。

「ナギ」

「そこだけは本当に自信満々だな」

 

 最終的に、端末の表示はこうなった。

【呼称:ナギ】

【その他識別情報:UNKNOWN】

 

「こんな登録データ、初めて見た……」

 職員が頭を抱える。

 もちろん、これは正式な住民登録ではない。あくまでハンター協会内部で、昨日現れた正体不明の少女を識別するための暫定情報だ。

 

「これで、こいつがゲートを通るたびに警報が鳴るのは防げるはずだ」

 片桐が言った。

「昨日は南第三ゲートで大騒ぎになったからな。俺の権限で、お前のハンターIDに《同行対象:ナギ》という暫定注意情報を紐付けといた」

「これで毎回警備隊に止められずに済むんですね」

「はずだ」

「はず?」

「UNKNOWN相手に、システムが完璧に機能するなんて保証できるか」

 ごもっともだ。

 

「で、問題はこいつの扱いなんだが……」

 片桐がナギを見てため息をついた。

「協会としても、扱いに困ってる。拘束しようにも壁をすり抜けるし、隔離室に入れても本人が出ようと思えば簡単に出られるだろう。おまけに敵意は一切ないし、何故かお前には妙に懐いてる」

「はあ」

「だから、実務的な判断として、当面の間はこいつをお前と一緒に行動させることに決定した」

「……俺が面倒見るんですか?」

「他に誰ができるんだよ。昨日のお前の報告を読む限り、こいつを無理に拘束する方がよっぽど危ねえ」

「悠真と一緒」

 ナギが俺の隣にピタリと寄り添うように浮いてきた。

「ほら、本人もこう言ってる」

「俺の意思は無視ですか!?」

「別にお前にすべての責任を押し付けて終わりって意味じゃねえよ」

 片桐が宥めるように言う。

「もし異常行動を起こしたり、記憶が戻ったり、身体に変化があったり、未知の能力を使ったりしたら、すぐに協会へ連絡しろ。お前は監視役というより、連絡係だ」

「まあ、それなら……」

 よく考えれば、昨日から俺がやっていた対応の延長でしかない。

 

「ところで悠真。昨夜、ナギに何か変化はなかったか?」

「名前ができた」

「それは今聞いた」

「ごはん食べた」

「それもどうでもいい」

 俺は、昨夜の夢のことを報告すべきか一瞬迷った。

 そして。

「……俺の方に、一つだけ」

「何だ?」

「妙な夢を見ました」

 片桐の顔が、少しだけ険しくなった。

「夢?」

「はい。ナギの昔の記憶……みたいな夢です」

「みたいな?」

「証拠は何もありません。俺のただの妄想かもしれない。でも、子供の頃のナギらしい光景を見ました。最後には、知らない連中が何人も集まってる場所に行って……その中の一人が、はっきり俺の名前を呼んだんです」

「どんな奴だ?」

「見た目は十代後半くらいの男でした。ずいぶん軽そうな感じで」

「名前は?」

「分かりません」

「他には何を見た?」

 俺は一瞬、答えに詰まった。

 Tier0。神々の円卓。全知全能。恐怖の大王。そして《大転移》。

 夢に出てきたというだけの話を、今ここですべて事実のように並べるのは早すぎる気がした。

「……今のところ、確実に話せるのはそれくらいです」

 片桐はしばらく俺の顔を見たが、無理に続きを促しはしなかった。

「ナギは、その夢のことに心当たりは?」

「覚えてません」

「分からない」

 俺とナギが同時に答える。

「……分かった」

 片桐は腕を組んだ。

「ただの夢ならそれで終わりだ。だが、また同じような夢を見るとか、現実と一致する情報が出てきたら、今度は全部話せ。その時は正式に調べる」

「分かりました」

 ひとまず今は、夢を未確認情報以上のものとして扱わないことになった。

 

「で、昨日のハーモニーモールの調査結果だ」

 片桐が本題に切り替えた。

 協会専属の調査班とコロニー警備隊の専門班が、昨夜から現地調査に入っていたのだ。

「まず、お前が言っていた『ゲートガーディアン』の残骸。……本当にあったよ」

「でしょう?」

「巨大な旧文明の自律機械だ。壁や床、天井に激しく叩きつけられた損傷痕。お前が撃ったライフルの銃痕も一致した。つまり、お前の報告自体は妄想や幻覚じゃない」

 

 俺は少しホッとしたが、片桐の次の言葉で顔を上げた。

「だが、問題がある。お前がナギを見つけたという『白い空間』。……調査班は、そこに到達できなかった」

「えっ?」

「地下の未登録の通路自体は確認された。瓦礫で塞がれていた形跡もな。だが、お前が『ここからゲートに入った』と示した地点より先には、空間の接続が一切存在していなかった」

「どういうことですか?」

「構造図の上でも、物理的な測定器の上でも、そこはただのコンクリートの『行き止まりの壁』でしかなかったってことだ。おまけに、お前が言っていたような広大な空間は、そもそもモールの地下構造の容積に物理的に収まらねえ」

「……やっぱり、あれは別空間だったんですか?」

「可能性は高い。だが、現在は異常な空間接続の反応はゼロだ。ゲートらしいものも跡形もない」

「なくなった?」

 横で聞いていたナギが首を傾げる。

「こっちが聞きたいよ」

 片桐がため息をついた。

 

「そういうわけで、ハーモニーモール周辺の封鎖は継続だ。未登録の空間異常、ガーディアンの出現、空間接続再発の可能性。さらに、週次のリポップ周期が来た時に何が起きるか全く未確認だからな。一般ハンターの立ち入りは当面禁止。少なくとも次のリセット周期までは調査を続ける」

「じゃあ、あそこはしばらく行けないんですね」

「お前、まだ行く気だったのかよ!」

「いや、ただの確認ですって!」

 片桐は呆れたように俺を睨んだ後、思い出したように端末を操作した。

「そういや、昨日の件には報奨金が出るぞ。未登録異常地点の発見報告と、危険な旧文明自律機械の情報提供、それから現地調査への協力分だ」

「マジですか?」

「新しい安定リポップ地点を見つけたわけじゃないから、ルート情報の買い取りほど大した額じゃねえけどな。命張って持ち帰った情報なんだから、貰えるもんは貰っとけ」

 端末に振り込まれた報奨金を確認し、俺は素直に頷いた。探索中に見つけた異常をきちんと報告すれば、それ自体が金になる。こういう仕組みがあるからこそ、ハンター協会も新しい危険を把握できるのだろう。

 

「あと、お前」

 片桐が鋭い視線を俺に向けた。

「はい?」

「ナギだけじゃねえ。お前も立派な問題児だからな。新人がいきなり念動力に目覚めて、数トンの自律機械を破壊して帰ってきたんだ。協会として、最低限の能力確認をしておく必要がある」

「能力確認?」

「正式な能力判定じゃねえよ。この支部にそんな大層な設備はない。ハンターとして外で使うなら、何がどの程度できるかくらいは把握しておけって話だ」

 

 案内されたのは、専門の研究所などではなく、ハンター協会の裏にある無骨な荷役倉庫だった。

 埃っぽく、実戦的で、いかにもこの世界らしい場所だ。

「昨日みたいに、建物ごとぶっ壊すなよ」

「俺だって好きで壊したわけじゃないですよ」

 まずは小物から。

 床に転がっていた金属ボルト、工具、空き缶。

 俺が意識を向けると、それらはフワリと空中に浮かび上がった。

 一つ。二つ。五つ。十個。

 昨日の家で七つの食器を同時に動かした時より、さらに数が増えている。しかも、それぞれを全く別の軌道と速度で動かすことができた。

「……これ、本当に昨日発現した能力なんだよな?」

 検査を担当していた職員が、信じられないものを見る目で呟いた。

「たぶん」

「上手」

 ナギが横でパチパチと拍手をしている。

「お前に褒められると、逆に自分の才能が怖くなってくるんだけど」

 

 次は重量物。

 荷役用の資材。百キロ程度の木箱は、手応えらしい手応えすらなかった。

 三百キロ。これも変わらない。

 一トン近い資材を積んだパレットも、持ち上げるだけなら驚くほど簡単だった。

「……一トンだぞ?」

 検査担当の職員が、むしろ俺より驚いている。

「数字で言われても、感覚はあんまり変わらないですね」

 さらに荷役用の重りを追加し、二トン、三トンと総重量を増やしていく。

 俺が意識を向けると、三トン近い荷物の塊まで、ゆっくりではあるものの床から浮き上がった。それも、ガーディアン戦の時のように感情任せに吹き飛ばすのではなく、空中の一点へ静止させたまま保つことができる。

「まだ、いけそうか?」

 職員が興奮気味に聞いてくる。

「たぶん、まだ」

 俺が答えた瞬間、片桐が倉庫の天井と壁を見回した。

「やめろ」

「え?」

「昨日、数トンの機械をブン投げた奴の最大出力を、この建物の中で試すんじゃねえ。何トンまで行くか知らんが、下敷きになって死にたくねえよ」

 極めて合理的な判断だった。

 結局、俺の最大出力は分からないまま。だが、少なくとも平静な状態でも数トン級の物体を安定して動かせることだけは確認できた。

 

「少なくとも、新人がポンと授かっていい能力じゃねえな」

「でも俺、登録されたばかりの新人ですよ」

「そういう意味じゃねえよ!」

 片桐は頭を掻きむしった。だが、「危険だから使うな」とは言わなかった。

 ここは崩壊世界だ。外で生き残るために使える力は、何でも使うのが鉄則だ。

「いいか悠真。外で死にそうになったら、迷わずその力を使え。ただし、人間相手に軽々しく振り回すなよ。能力を持ってるって分かるだけで、面倒な連中に目を付けられることもある」

「分かりました」

 

 能力の確認と手続きが終わり、時刻はもう昼前になろうとしていた。

「じゃあ、今日はこれで帰っていいですか?」

 俺が尋ねると、片桐はホッとしたように頷いた。

「そうだな。昨日は死にかけたんだし、今日はゆっくり家で——」

「あ、新しい安全ルート、買いたいんですけど」

 片桐の言葉が途切れた。

「…………は?」

「新しいルートの情報」

「聞こえたよ!」

 片桐が怒鳴る。

「じゃあお願いします」

「お前、昨日ガーディアンに殺されかけたばっかりだぞ!?」

「だから、安全確認済みのルートを買うんですよ」

 俺の理屈は完璧だった。

「お前、今月の新人ノルマ、とっくに終わってるよな?」

「はい」

「じゃあ休めよ!」

「暇なので」

「やっぱお前、イカれガキだよ!」

 

 片桐は叫んだが、俺は少しだけ真面目なトーンで言った。

「昨日は酷い目に遭いましたけど。それでも……外を歩くのは、面白いんですよ」

 知らない景色。日本の住宅街の隣に続く英語圏の道路。古い店舗。何が残っているか分からない廃墟。次に何が見つかるか分からないワクワク感。

 俺は今、完全に探索という行為そのものにハマっていた。

 

「私も、行く」

 横でフワフワ浮いていたナギが、当然のように口を挟んだ。

 全員の視線がナギに集まる。

「お前も行くの?」

「悠真が行くから」

「…………」

 片桐が、ついに両手で顔を覆った。

「頭の痛い問題児が、二人に増えた……」

 

 片桐はしばらく頭を抱えていたが、最終的にはいくつかの条件付きで許可を出した。

「分かった。ただし条件だ。登録済みの青線ルートから絶対に外れないこと。地図と現場の状況が違ったら即撤退すること。UNKNOWNを見つけたら不用意に触らないこと。連絡可能圏を維持すること。日没前には必ず帰還すること」

 そして、最後に。

「ナギを、勝手に外に置いてくるなよ」

「私は、物じゃない」

 ナギが不満そうに抗議した。

「知ってるよ!」

 

 俺はこれまでの回収品の売却金に、さっき受け取った異常地点発見の報奨金を少し足して、新しいルートを購入した。

 初心者向けで、安全性が確認済みの場所。

 《第87新人周回ルート:旧家電量販店》

 スーパーや薬局とは違う物資が出る。電池、小型電子部品、ケーブル、工具、旧家電、記録媒体。ナギが旧文明の家電を見てどう反応するかも少し楽しみだった。

 

「ナギ、お前、武器いるか? ライフルでも持つか?」

 片桐が半分冗談のように聞く。

「いらない」

「まあ、弾が当たるかどうかも分かんないですしね」

「それもそうだな……」

 防具も、触れる意思がなければすり抜けてしまう彼女に装備させる意味は薄い。結局、ナギは丸腰のままだ。

 俺は昨日と同じ、ライフル、母機、ARコンタクト、インベントリキューブという標準装備。

 ただし、今日は自分の中に『念動力』という強力な切り札がある。昨日までとは安心感がまるで違った。

 

 *

 

 協会を出て、南第三ゲートへと向かう。

 俺の横を、ナギが音もなくフワフワと浮いて進む。

 街の住人たちが、幽霊のような少女を見てヒソヒソと囁き合っているが、昨日ほどの大騒ぎにはなっていない。人間の順応性というのは大したものだ。

「見られてる」

 ナギが言う。

「そりゃ見るだろ。空飛んでるんだし」

「悠真も見る?」

「俺はもう見慣れた」

「そう」

 それだけの会話。

 

 南第三ゲートの巨大な扉の前。

 昨日と同じスキャナをナギが通る。

【UNKNOWN】

 警備員がピリッと身構えたが、すぐに俺のIDと照合されたデータがモニターに表示された。

 

【同行対象:ナギ】

【暫定識別済】

【分類:UNKNOWN】

 

「……ああ、昨日の幽霊の子か」

 警備員がホッとしたように銃を下ろした。

「名前つきましたよ」

「ナギ」

 ナギが自己紹介する。

「そうか、よかったな」

「うん」

 

 俺は、端末の表示を横目で見た。

 相変わらず、分類はUNKNOWN。生体情報もUNKNOWN。由来もUNKNOWN。何も分からない。

 でも。

『ナギ』。

 そこだけは、ちゃんと文字情報として表示されている。

 名前以外、全部UNKNOWN。

 まあ、昨日より一つ情報が増えただけでも、十分な進歩だろう。

 

 地響きとともに、巨大な南第三ゲートが開く。

 外に広がるのは、崩壊した世界。遠くに見えるへし折れた高層建築。空間の継ぎ目から顔を覗かせる見知らぬ外国の道路。

 昨日と同じ、危険でイカれた世界。

 でも、今日は少しだけ違う。

 

「また、外」

 ナギが宙を漂いながら、開けた景色を眺める。

「ああ」

「悠真は、ここが好き?」

 俺は少し考えてから答えた。

「好きっていうか……面白い」

「面白い」

「危ないけどな。だから、俺から離れるなよ」

「分かった」

 ナギは素直に頷いた。

「あと、今日は変なもの拾うなよ」

 俺が冗談めかして言うと、ナギは少しむっとしたように言い返した。

「今日は、何を拾う?」

「物資だよ。女の子はもう拾わねえ」

「私は、拾われてない」

 

 俺はライフルを肩に掛け直し、歩き出した。

 ナギが当然のように、その横を音もなく浮いてついてくる。

 

 昨日まで一人だった周回を、今日は二人で進んでいった。




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