『神様の手違いで死んだ社畜、異世界で《創造》の力を手に入れる』 作:やのちてぇ
異世界に来た。
その事実を理解するまで、俺はたっぷり五分ほどかかった。
「…………」
森。
どこを見ても森。
見上げれば、見たことのないほど青い空。
木々の隙間から差し込む陽光が、地面にまだらな影を作っている。
鳥の鳴き声。
葉が風に揺れる音。
遠くから聞こえる、何かの獣の声。
「……すげぇ」
思わず口から出た。
ゲームの中なら何度も見た光景だ。
けれど、実際に自分の足で立ってみると全然違う。
土の感触も。
風の匂いも。
太陽の眩しさも。
全部、本物だった。
「……本当に来ちゃったんだな」
俺――天野零は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
昨日まで会社員だった。
朝起きて。
会社へ行って。
怒られて。
仕事して。
帰って。
ゲームして。
寝る。
そんな毎日だった。
それが今は――
「異世界かぁ……」
改めて呟く。
胸の奥から、妙な感情が込み上げてきた。
怖い。
不安だ。
けれど、それ以上に――
「ちょっと楽しみだな」
そう思った。
誰にも決められていない人生。
何をするのも自由。
……まあ、問題が一つあるとすれば。
「腹減った」
異世界生活開始から約十分。
俺は既に空腹だった。
◆
「さて……」
腹を空かせたままでは何も始まらない。
俺は周囲を見回した。
「水……食料……それから安全な場所」
まずはこの三つだ。
幸い、身体は転生前よりずっと軽い。
疲労もない。
神様が用意してくれた身体だからなのか、それとも異世界の身体そのものがそういうものなのかは分からない。
「とりあえず歩くか」
森の中を進む。
しばらく歩いていると、小さな川を見つけた。
「おお!」
水だ。
しゃがみ込み、手ですくって口に運ぶ。
「……うまい」
冷たい。
そして、普通に飲める。
「異世界の水、普通に飲めるんだな」
少し安心した。
川沿いに進めば、どこか人の住んでいる場所に出るかもしれない。
そう考えて歩き始めた、その時だった。
――ガサッ。
「……ん?」
背後の茂みが揺れた。
風ではない。
明らかに何かいる。
俺は足を止めた。
「…………」
嫌な予感がする。
ゲームなら、ここでBGMが変わるところだ。
そして次の瞬間――
茂みから、一匹の生き物が飛び出してきた。
「うわっ!」
反射的に後ろへ下がる。
それは犬に似ていた。
しかし、普通の犬ではない。
体長は一メートルほど。
灰色の毛。
鋭い牙。
そして――赤く光る目。
「……狼?」
こちらを睨みつけ、唸っている。
背中に冷たい汗が流れた。
「いや……これ、どう考えても魔物だろ」
狼型の魔物は低く身を構えた。
次の瞬間。
「グルァッ!」
「うおっ!」
飛び掛かってくる。
俺は横へ転がった。
牙が、さっきまで俺の首があった場所を通り過ぎる。
「危なっ……!」
地面に手をつきながら立ち上がる。
心臓が異常な速度で鳴っている。
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
ゲームの中なら何度死んでもやり直せる。
でもここでは――
「死んだら終わり……だよな」
魔物が振り返る。
再びこちらへ向かってくる。
「……くそっ!」
逃げる。
必死に走った。
しかし、魔物の方が速い。
すぐ後ろまで迫ってくる。
――このままじゃ追いつかれる。
その瞬間。
頭の中に、あの言葉が浮かんだ。
《創造》
「……そうだ」
神様から貰った能力。
俺は立ち止まった。
「やってみるしかない!」
手を前に突き出す。
「《創造》!」
――何も起こらない。
「…………」
「え?」
魔物が迫る。
「ちょ、待って!」
もう一度。
「《創造》!」
何も起こらない。
「神様ぁぁぁぁ!!」
魔物が飛び掛かる。
俺は咄嗟に目を閉じた。
――その瞬間。
頭の中に、声が響いた。
《創造対象を指定してください》
「…………え?」
時間が止まったような感覚。
頭の中に、無数の情報が流れ込んでくる。
剣。
盾。
槍。
弓。
ナイフ。
火。
水。
そして――
俺は、咄嗟に一つを思い浮かべた。
「……剣!」
手の中に光が集まる。
次の瞬間。
一本の剣が現れた。
「……マジか」
握った感触。
重さ。
冷たい金属。
間違いなく本物だ。
「グルァァッ!」
魔物が目の前まで迫っていた。
「うおおおおっ!」
無我夢中で剣を振る。
――ザシュッ!
鈍い感触が手に伝わった。
「…………」
魔物が地面に倒れる。
動かない。
俺は剣を握ったまま、しばらく固まっていた。
「……勝った?」
返事はない。
恐る恐る近づく。
魔物は完全に動かなくなっていた。
「……俺が、倒した?」
足から力が抜ける。
その場に座り込んだ。
「…………怖かった」
笑いが込み上げてくる。
「怖かったぁ……」
前世で、こんな経験をしたことなんて一度もない。
仕事で怒鳴られる方がまだマシだ。
「……いや、比較対象がおかしいな」
思わず自分でツッコむ。
少し落ち着いてから、手の中の剣を見る。
「これが……《創造》」
さっきまで何もなかった場所に、剣が生まれた。
しかも、俺が想像した通りの形で。
「……便利すぎないか?」
神様が言っていた。
自分が理解しているものなら、魔力を使って生み出せる。
「じゃあ……」
俺はもう一度、剣を消そうと念じた。
すると――
スッ。
剣が光になって消えた。
「…………」
思わず笑う。
「やば」
楽しくなってきた。
それから俺は、川辺で能力の検証を始めた。
石。
木の棒。
簡単なナイフ。
水。
そして、簡単な食器。
どれも問題なく作れた。
ただし――
「大きいものほど疲れる……か」
巨大な岩を作ろうとした時、強烈な疲労を感じた。
魔力。
どうやらそれが、この能力の燃料らしい。
「なるほど」
能力が強いからといって、何でも無限に作れるわけではない。
少なくとも今の俺には限界がある。
でも――
「十分すぎるだろ」
剣を一本作れる。
ナイフも作れる。
食器も作れる。
水まで作れる。
「……食料も作れたりして」
思いついた瞬間。
頭の中に、昨日食べたコンビニ弁当が浮かんだ。
「《創造》」
光が集まる。
そして――
目の前に、見覚えのある弁当が現れた。
「…………」
零は固まった。
「…………マジ?」
箸まで付いている。
蓋を開ける。
昨日食べたのと同じ唐揚げ弁当。
「…………」
一口食べる。
「うまっ……!」
思わず涙が出そうになった。
「異世界最高じゃん……!」
腹を満たした俺は、川のそばに腰を下ろした。
空を見上げる。
前世では、こんな空をゆっくり見る余裕なんてなかった。
「……自由、か」
小さく呟く。
その言葉が、不思議と胸に馴染んだ。
もう会社には戻れない。
友人にも会えない。
それを考えると、胸が少しだけ痛んだ。
特に――
最後に一緒にゲームをした、あいつ。
「……元気でな」
誰もいない空に向かって呟く。
そして立ち上がった。
「さて」
川の向こうを見る。
森はまだまだ続いている。
「街を探さないとな」
俺は歩き始めた。
自分の新しい人生を始めるために。
――この時の俺は知らなかった。
今倒した魔物が、この森では比較的弱い存在だったことを。
そして――
俺がまだ、自分の《創造》という能力の本当の意味を、何一つ理解していないことを。