灰被りの蜘蛛 作:BNDに脳を焼かれたやつ
少しばかり、これまでのことをおさらいしよう。
私の名前はペトラ・パーカー。生まれながらにして蜘蛛の力を持つ、天涯孤独の13歳だ。
12歳のときから1年間、私はこの世界で唯一のスパイダーマンとして活動してきた。
コスチュームは赤と青のピチピチのスーツ……ではない。私なりに考えた灰色のスーツだ。いつでも火事の現場に飛び込めるように、防火服と同じ素材で作った上着には蛍光塗料で象った蜘蛛のマークがある。
ウェブシューターはない。自分の腕から蜘蛛糸が出せるようになった私は、もう自力で街をスイングできるようになった。生体蜘蛛糸の消耗によって食費が増えたが、少なくともウェブシューターよりはお財布に優しいので良しとしよう。
「あーあー、マイクチェックマイクチェック」
代わりにあるのが首元のチョーカー。これはボイスチェンジャーの役割をしている。スパイダーマンが女の子だなんて知られたら悪党からは舐められるし、市民からは頼りないと思われるからね。
それからマスクを被り、私はペトラ・パーカーとしての自分を忘れて街に繰り出す。
感覚を研ぎ澄まし、私を必要とする人のもとへ向かえば。
「やっほ、何かお困りかな。もしかして道に迷ったとか? ニューヨークは入り組んでるからね、ボクで良ければ案内するよ」
そこにいるのはもう、
「だからその物騒なものは置いてくれないかな?」
覆面を被った男たちへ、挨拶代わりの蜘蛛糸が飛ぶ。銃を持った強盗なんてもはや相手にもならない。なにせ私は、ほとんど毎日のようにもっと厄介な連中と戦っているから。
具体的には、私を目の敵にするポリスメンと。ぜひとも、そのやる気を他の犯罪を取り締まることに使ってほしい。
「お怪我はありませんか? もう大丈夫ですよ」
強盗たちからハンドバッグを取り返し、年配の女性に返却する。銀行強盗ついでにハンドバッグも奪うって酷すぎない? ATMの中の現金と比べたら端金でしょ。ブランド物のバッグでもあるまいし。
「え、えぇ。ありがとう。助かったわ、ところであなたは……? ごめんなさいね、新聞で見たことはあるのだけれど、あなたの名前をど忘れしちゃって」
「あぁ、気にしないで。名前なんてどうでも良いですから、ボクはただのボランティアです。ところで今ATMを使おうとしてました? ここの無人ATMはもう使えそうにないし、良ければ近くに同じ銀行の別の支店があるのでそこまで案内しますけど」
無惨にも荒らされたATMから、紙幣がはらりと飛び去った。うん、ニューヨークでは日常的な光景だが、このおばあさんの日常には相応しくないね。
「まぁ、本当に? 助かるわ」
敬老の精神で行こう。私は女性の手を取り、外へ出る。強盗たちを壁に張り付けたままね。
メッセージを残しておこう。ディア、ポリスメン。親愛なる隣人より愛を込めて……っと。
「助かったわ、ありがとう。ちょうどお金を振り込まないといけなくてね」
「いえいえ、とんでもありません。あと一応念のため聞いときますけど、それ振り込め詐欺とかじゃないよね?」
「いいえ、まさか。緊急でお金が必要なだけよ。孫が交通事故を起こしたらしくて、慰謝料で5万ドルも必要だって」
「うーん、ちょっとそれまずいんじゃないかな。一度直接お孫さんに電話かけた方が良いんじゃない……?」
どうやら私を呼んでいた事件は強盗だけではなかったらしい。老人をターゲットにした悪質な詐欺なんて、私は許さないからね。
女性がお孫さんと連絡を取って誤解が解けたところで、私は銀行の支店を後にする。すると道の向こうから駆け足で近寄ってくる警官たちの声が響いた。
「見つけたぞスパイダーマン! 今日こそお縄につくんだな!」
「ごめんジェフ巡査! 悪いけどそれは無理! あとボクが通報した強盗はちゃんと捕まえてくれた?」
「捕まえたよ! 今ごろお前が来るのを留置所で待ってるだろうな!」
「それじゃあそのまま待ちぼうけ食らわせといてね! バイバーイ!」
蜘蛛糸を飛ばし、上に飛ぶ。「待てコラー!」と下から声が響いたが無視無視、カタツムリ。前に言われた通りに待ったらテーザー銃でビリビリされたこと、まだ怒ってるんだから。
「あぁ、そうだったわ。あなたはスパイダーマン。次はちゃんと調べておくわ!」
「どうも、おばあさん! 忠告しとくと、その名前をネットで検索したら気分を害するだろうから、やめておいたほうが良いと思う!」
警察からは超人的なパワーを持った変質者として指名手配、デイリー・ビューグルからは犯罪者予備軍扱いだ。1年頑張ってきてあんまりな扱いだが、世間の評判なんて正直どうでも良い。理解されなくったって構わない。名誉や見返りを求めてやってることじゃないんだから。
風を受け、ビルの間を飛んで行く。私を追いかけるように走り出したパトカーを置き去りにしながら、私は静かに路地裏へと姿を消した。
「やっと撒けた。ボクに人員割きすぎだよまったく」
ボヤキながら、コスチュームを脱ぐ。それからダストボックスの裏に隠したバックパックから普段着を取り出した。
「ん、なんだこれ」
靴紐を結んでいると、私の足元に新聞紙が転がってきた。
「うわ、これデイリー・ビューグルじゃん。にしても『お騒がせ者スパイダーマン、またしても救助活動を妨害』、か」
一面に載っているのはスパイダーマンの写真だ。燃える建物から、人を連れ出す写真。
本文にはこじつけたかのように、いかにスパイダーマンが救助活動の邪魔で、人々の命を危険に晒しているかが書かれている。
ここでポイントなのは、当事者からのコメントは一言も寄せられていないことだ。火事の被害に遭った人たちからも、消防隊の人たちからもね。ああ、素晴らしきジャーナリズム精神。感心感心。
「ジェイ・ジョナ・ジェイムソンも頑張るよな、ほんと」
通称『J.J.J.』、デイリー・ビューグルの編集長で、スパイダーマンの熱狂的なアンチだ。彼の書く記事は正直不愉快だけど、文章そのものは面白い。私のことを貶すのにこんなにもボキャブラリーに富んだ記事を書くなんて、むしろ私のこと好きなんじゃないかと思える。
「そして決め台詞は『ヒーローならば、マスクを取って正体を明かしてみろ』だよね。知ってた」
批判的な記事だけど、私は彼の書く文章が好きだ。もちろん、別に貶されるのが好きってわけじゃない。けど、彼は一貫して私を嫌ってくれると分かっているから、少しだけ安心できる。
嫌われることよりも、裏切られる方がよっぽど辛い。他の新聞社だったら、その時々で耳障りの良いことを記事にする。私が成功すれば褒め称え、失敗すれば非難する。
でも、私のポリシーは人命救助第一だ。死にそうな人と、逃げている強盗犯がいるならば、私は前者を優先する。そして言われるんだ、スパイダーマンは犯罪者を逃がしている、なんてね。
でもJ.J.J.だけは、私が失敗しても、その失敗を殊更取り上げて記事にしたりはしない。だから、私がスパイダーマンのことに関してのメディアを読むのはデイリー・ビューグルだけだ。
それに加えて、何より安いのが良い。うちの施設でも購読してるくらいだし。
「って、座って新聞なんて読んでる暇ないんだった」
新聞紙を丸めてダストボックスに捨て、私は足早に歩き出す。
今日はステイシー家の夕食にお呼ばれしてるんだ。前回は遅刻して小言を言われたからな、せめて二週に一回くらいは、遅刻せずに行きたい。
「ハイ、ペトラ。待ってたわ」
ステイシー家を訪れてみれば、警部の娘さんが出迎えてくれた。私より二回りほど年上の高校生で、ミッドタウン高校の秀才。
「出迎えありがとグウェン、一週間ぶりだね。元気だった?」
グウェン・ステイシー。ブロンドの髪が素敵な女の子。年は少し離れているけれど、ペトラ・パーカーとしての私にとって数少ない友人の一人である。
「もう、いつもそればっかり。他の挨拶知らないわけ?」
「えぇ? じゃあそうだな。今日のご飯は何ですか、とか?」
「ふふ、あなたって毎回腹ペコよね。ちゃんとご飯食べてる? パパが心配してたよ」
「ほら、私って大食いだからさ。施設の食事の量だとちょっと足りないんだ。私以外の子もいるし、我慢しないと」
「……そっか、なら今日はいっぱい食べて行ってね。私が作ったグラタンもあるから」
「ほんと? やったね。グウェンのグラタン大好き」
グウェンは頭が良くて、性格が良くて、綺麗な子だ。そして何より、私を哀れんだりせず対等に接してくれる。だから、彼女の……いや、ステイシー家との関係は心地が良いんだ。
「作業、手伝いますよ」
「あら、良いのよ。ペトラちゃんはお客様なんだから」
ステイシー夫人に配膳の手伝いを申し出たが、断られてしまった。
「お客様だなんてそんな。食事に預かるのですから、お手伝いするのは当然です」
「なら、グウェンのグラタンが焼き上がるまで息子たちと遊んであげてもらえるかしら。実を言うと1回焦がしちゃって、焼き直さないといけないのよ」
「ちょっと、ママ!?」
抗議するようなグウェンの声に、ステイシー夫人が笑った。じゃれる二人が眩しかったので、私はそそくさとキッチンから抜け出しリビングで弟くんたちの相手をする。
「ぐおー! ハルク、暴走! ハルク、全部壊す! 止めたきゃ止めてみろー!」
二人の少年を両腕で持ち上げ、ぐるぐるとメリーゴーランドのように回る。
「大変だ、ハルクが街を壊してるぞ! 食らえ、キャプテンパンチだ!」
「アベンジャーズ出動、リパルサー攻撃!」
「やったな? よし、ならば食らえ。ハルク──」
「ヤバい、スマッシュが来るぞ! 後ろに隠れろアイアンマン!」
「いや、飛んで逃げる! びゅーん!」
キャプテン・アメリカの盾を持ち、アイアンマンのヘルメットを被った二人が部屋を駆け回る中、私は両手を前に叩きつけた。
「スマーッシュ! 大変だ、君たちを吹き飛ばすくらいの暴風が今にも襲いかかってくるぞ!」
ごっこ遊びは最終的に、私こと緑の優しい怪物が小さなキャプテンとアイアンマンによって倒されることで終わった。こうしてニューヨークの平和は保たれたのだ。
「楽しそうね、ペトラ。ヒーローごっこは終わり?」
私が疲れて弟くんたちと倒れていると、グウェンがにやけた表情で姿を現した。あの顔は完全に馬鹿にしている顔だ。
「二人とも、エージェントロマノフが来たよ。しかもロキに洗脳されてるんだって。三人でやっつけちゃおっか?」
「やだ勘弁して、私はやらない。夕食ができたって呼びに来ただけだよ」
「えー、やろうよ姉ちゃん」
「前にニック・フューリーしてくれたじゃん」
弟くんたちがグウェンの両腕に絡みついてせがんでいる。
待った、グウェンってニック・フューリー役なの!? ごっこ遊びにしてはチョイス渋すぎっていうか、人は見かけによらないっていうか。
「やらない。昔一回やっただけでしょ」
「良いでしょ姉ちゃん」
「良いでしょー」
「私も見たいなー」
三人で拝み倒してみれば、グウェンは仕方がないと言うふうにカチューシャを取り外した。そしてそれを顔の前に傾けて着けて……え、それまさか眼帯のつもり!?
「おほん、人類には、宇宙からの脅威に立ち向かうチームが必要です。いつの日かアベンジャーズが、その役目を果たすことになるでしょう」
思ってたより似てる。私と弟くんたちは三人で爆笑して、三人仲良くグウェンから殴られた。
「パパはまだ帰ってないの?」
「もうすぐ帰ってくるはずよ」
食卓に着けば、色とりどりの食事が並んでいた。ここが施設なら、食い意地が張った子たちで取り合いになっていたことだろう。みんな食べ盛りだからね。
「また残業?」
「ええ、また例のスパイダー人間? が出て、その件で忙しいみたいで」
ピクリと、思わず肩が震えた。
「どうしたのペトラ、冷房きつい? 温度上げた方が良いかしら?」
「あー、いや。違うよ。警部に残業させるなんて、そのスパイダーマンって傍迷惑な奴だなと思って」
はははと笑ってごまかす。基本的にこの家でスパイダーマンのことは話題に上がらない。一家の長たるステイシー警部が超法的自警団を嫌っているからだ。アベンジャーズのようなヒーローをはじめとして、無論スパイダーマンのことも。
「そう? パパは嫌うけど、私は好きよ。彼、いつだって体張って頑張ってるじゃない」
と、グウェンが言う。
「僕も好きだよ。アベンジャーズで5番目くらいには!」
「バカ、蜘蛛マンはアベンジャーズじゃないよ。図鑑に載ってないもん」
と、弟くんたちが言う。
「でも彼の正体は子どもなんでしょう? いつか問題でも起こさないか、心配だわ」
と、ステイシー夫人が言う。
「ははは、そうですね……」
私はもう、乾いた笑みを浮かべるしかなかった。しかし5番目かぁ。まぁキャップ、アイアンマン、ソーが不動の三組って感じだもんね。ハルクは好みが分かれていて、だいたい男の子がホークアイ、女の子がブラックウィドウを好きなアベンジャーズに挙げる。って、デイリー・ビューグルの意識調査には書いてあった。本当かどうかは知らない。
それに続く5番目なら、ちょっと光栄かも。
「賑わってるな、何の話をしていたんだ?」
ヒーロー談義に盛り上がる食卓。そこに、帰ってきたステイシー警部が参戦してきた。
「お帰りなさいあなた」
「ああ、ただいま」
ステイシー家のみんなが口々にお帰りなさいと警部を迎える。
「お邪魔しています、警部」
「ああ、パーカー。くつろいで行ってくれ。なんなら泊まっていっても良いぞ。息子も娘も喜ぶ」
「いえ、そこまでは。夜には施設に戻らないと怒られちゃいますから」
「そうか」
申し出は嬉しいけれど、そこまでのご厚意を受けるわけにはいかない。ここは彼らの家だ、部外者の私が入り浸って良い場所なんかじゃない。
会話はほどほどに、食事を再開する一同。
「パパ、スパイダーマンは捕まえられたの?」
「んぶふっ……!」
水を飲んでいた私は思わず咳込んだ。せっかくスパイダーマンの話題から逸れたというのに、グウェンはなんでよりにもよってまたその話をするんだ。
「いいや、残念ながらやつはすばしっこいからな。監視カメラにも引っかからなかった。警察に寄せられた目撃情報を確認しても手がかりなし。スパイダーマンを逮捕するには、まだまだ時がかかりそうだ」
警部が無念そうに首を振った。どうかそのまま、闇の中で私の影を追っていて欲しい。
「でも、スパイダーマンって捕まえる必要ある? 彼、何も悪いことはしてないみたいだけど」
「ごほっ、ごほっ……」
グウェン、どうして君はそうスパイダーマンのことで自分の父親に突っかかるんだ。やめてくれ。せめて私のいないところでその話をしてくれ。
「はぁ、良いかグウェン。まず、勝手にビルにぶら下がって道路の上を飛び回るのは迷惑行為だ。それに加えて私人逮捕や犯罪捜査への勝手な介入も、場合によっては公務執行妨害にあたる。善悪の問題ではなく、秩序の問題なんだ」
うんうんと、私は頷いた。それでこそ警部だ、そのまま私とは遠いところで、街の治安を守って欲しい。私もなるべく警察とは関わらないところで活動するから。
「……パーカー、君はどう思う」
「ほわっつ???」
突然、会話のベクトルがこっちを向いた。慣性を無視して急に会話のボールをぶつけてくるの、本当にやめてほしい。デッドボールで一塁進出しちゃうから。
「い、いや。どうかな。私はスパイダーマンと会ったことないし、話したこともないから。彼がどういう人間かなんて知らないし」
「所感でも構わないんだぞ?」
ぐ、グイグイくるなぁ。スパイダーマン本人の意見なんて参考にならないと思うんだけど。
「えっと、そうですね。警部の残業が減って欲しいので、さっさと捕まってくれればと思ってます、よ……?」
恐る恐る警部の顔色を伺う。私の返事で不快にはなっていないようだった。彼は何か深く考え込むように口を閉じると、「そうか」と絞り出したような声で呟いた。
「……いや、すべて建前だな。実を言うと、スパイダーマンという存在が現れてから1年、私はごくごく個人的な理由でやつの逮捕を目指してきた」
それは驚きだ。警部にはどうやらスパイダーマンと因縁があったらしい。そして不思議なことに、私にはその心当たりが全くない。私ってば、知らないうちに何かやらかしたのだろうか。
「それってどんな?」
グウェン、だからどうして君は根掘り葉掘り聞きだそうとするんだ。身を乗り出してまで聞きたいことか、それ。普段の行儀の良い君はどこに行ったの。
「私はスパイダーマンの正体が10代だと確信している。わかるか、10代だ。これが20代や30代なら、やつはただのマスクを被った変質者で終わりだ。だが違う、あのマスクの下には、我々警察が保護するべき子どもがいるんだ。マスクを被っていたとしても、その事実は変わらん」
警部は一口水を飲むと、続けて言った。
「子どもが戦わなければならない社会を私は認めない。スパイダーマンという存在も同様にな。だから、私はやつを逮捕し、保護するべきだと考えている。……向こうは、我々警察を自分の邪魔をする愚か者の集団とでも思っているかもしれんがな」
それから警部は「難しい話をしてすまんな」と笑って、私たちに食事をするよう促した。
「あの、警部」
「なんだパーカー」
「きっとスパイダーマンも、今の警部の話を聞けば喜ぶと思いますよ」
「だと、良いんだがな」
ああ、どうしよう。これじゃあ余計に、警察に捕まるわけにはいかなくなっちゃったな。
「そうだ、学校は順調かパーカー。勉強に詰まったなら娘に見てもらうと良い。なにせ学校一の秀才だからな」
「ちょっと、やめてよパパ。ペトラには私の手伝いなんて必要ない」
「あはは、ぼちぼちです。でもそのときになれば、グウェンに手伝ってもらいますよ」
だってもうこれ以上、この人に心配をかけたくないから。