放課後の教室。他愛ない雑談から、俺と友人は地元の心霊スポットへ向かうことになった。
「幽霊が出たら憧れのあの子との会話のネタになる」
そんな軽い気持ちで足を踏み入れたはずだった。
しかし、森の奥へ進むにつれ、異変が起き始める。
一本道を歩いているはずなのに、何度進んでも同じ池に戻ってきてしまうのだ。
終わらない無限ループ。見えない何かに首を絞められ苦しむ友人。
襲い来る霊障の中俺の耳元では性別すら分からない掠れた声が囁き続ける。
「▓▓▓、▓▓▓──」
この囁きは一体何なのか。
俺たちはここから帰ることができるのか――。

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明日に続け幽霊の詩

 夕暮れ時、夜の藍色が空に滲み出し吸い込まれそうな程に深い黄昏の空。その下、日暮れの日が差し込む教室の中で、友人と二人で駄弁っていた。

 内容はさしたる事でもなく、日々の勉強やら、友人関係やら……少しだけ、好いた惚れたという話もしていた。

 彼とは小学校からの付き合いではあるが、こんなに長い事、無駄でくだらない──けれど、人生の彩りにはなるであろう雑談をした記憶は無かった。

 

「なぁ井鷺(いさぎ)。明日乃森の幽霊って知ってるか?」

 

 唐突に、彼がそんな事を言った。

 

「あん? お前、そんなオカルト趣味あったか?」

 

 明日乃森。明日乃森。確か、町の西方にある大きな私有地だった筈だ。どこぞの資産家が、美術館の建築次いでに庭園として整備した森でハイキングやら、デートスポットやらで有名な所だった。

 

「へへ、まぁな。……風彩葉(かざいろば)さんが、そーいうの好きらしいっての聞いてさ、調べたんだよ」

 

 風彩葉さん、と云うのは所謂高嶺の花、と云う奴だ。典型的な話ではあるが、日本人ばなれた容姿で頭脳明晰と云うそれはもう、人気が出るだろうと云う人だ。

 まぁ、男連中には人気でも女子達にはあんまり、と云うこれまた典型的な属性もある。顔も頭も良くて、家も良いなんて、そりゃまた毛嫌いされるだろう。嫉妬と云う奴だ。

 

「風彩葉さんか。お前にゃ無理だ。あの子には四谷(よつや)が居るだろ」

 

 尤も、お近付きになるのは無理な話だ。あの人の側にはいつも四谷という奴が居る。あいつを上回れなけりゃ、風彩葉さんは目線一つ寄越さないだろう。

 

「……だよなぁ。四谷を越えらんなきゃ、下位互換だもんな俺ら」

 

「それはお前だけな。俺、偏差値だけは上だから。……あんま変わんないけど」

 

 模試の後に、あいつと点を晒しあったのだ。結果は、英語で俺が幾らか上回っていた程度ではあったけども。

 

「お前、そんな頭良かったっけ」

 

「舐めんな。医学部志望だぞ、俺。そりゃ勉強ぐらいしとるわ」

 

 と、一通り笑い合って。

 

「で、その幽霊って何だよ。話したいんだろ? 喋れよ、気持ちよくよぉ」

 

「何か急に悪意が混ざりだしたな。……まぁ話すけどさ」

 

「明日乃森って言えば、美術館付きの庭園だとかなんだとかで有名だろ? で、結構人が入る訳だ。それでさ、森に入っていった人たちが言う訳だ。幽霊を見た、って」

 

「それだけ? それだけなん? マジで?」

 

 典型的と云うか、内容がうっすいと云うか。何処にでもありそうな幽霊話過ぎて笑い物にもならん。

 本当に、内容が薄い。

 

「そ。それだけ」

 

「お前、そんなん風彩葉さんに話したら鼻で笑われるだけだろ」

 

 今どき、ただ幽霊が出るだけとか心霊スポットなら何処でも聞く話だろうに。オカルト好きにそんな話したら、『その程度?』と馬鹿にされるだけだ。

 

「だからさ、俺たちも行こうぜ、明日乃森。幽霊が出るだけでもさ、本当に出るなら話のネタにはできるじゃん」

 

「どういう振り方だよ。なんでお前が話のネタ作るのに付き合わなくちゃならんのだ」

 

「ラーメン一杯奢るからさ、一緒に来てくれよ。……一人だと、ちょっと怖いんだよ」

 

「お前高校生だろ、心スポの一つや二つ一人で行けよ。……ラーメン一杯と炒飯な」

 

「よし、決まりぃ。じゃ、明後日開けとけよ。美術館前に11時集合だ」

 

 と、そんな訳で幽霊探しに遊びに行く事が決まってしまった。

 そうやってグダグダ話していると、いつの間にやら下校のチャイムが鳴り始めた。現在時刻は午後六時。強制下校時間を告げるその音色と共に、帰り支度を始めるのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 土曜日、朝11時。明日乃森を探索する事早数十分。時計が12時を指す頃になると、俺はもう疲労困憊で肩で息をし始めていた。

 慣れない森歩きと、常日頃の運動不足が祟って春先だと云うのにもう汗だくになって疲れ果ててしまった。

 

「ぜぇ……ぜぇ……広くないか、この森……」

 

「パンフレット読んだ限りだと、東京ドーム4個分だとかなんだとか。結構デカいっぽいよ。……お、そろそろかな。幽霊が出る、ってとこ。何かね、森の中にある池に出るらしいんだよ」

 

 彼が言うとおりにもう少し歩くと、ふと池に行き当たった。森の中にある池らしく、その底には茶色く枯れ果てた葉っぱが幾つも沈んでいて水面には葉っぱや枝といった塵が幾つか浮いていた。

 まぁ、普通の池だ。特に悪寒とか、気配とか、そう云うのは感じない。本当に、普通の池だ。

 

「……何もないな」

 

「……風彩葉さんに話しかけられない……」

 

「馬鹿が」

 

 特に何もない普通の池とは云え、折角来たのだ。暫く留まって、幽霊の出現を待ってみても良いだろう。

 此処まで来て、特に何もない池と森を見ただけ、なんて。時間を無駄にしたつもりになってしまう。

 

「……帰るか」

 

 時間を無駄にした。さっさと帰ってラーメンと炒飯奢らせよう。

 この歳にもなって、本気で幽霊探しなんて馬鹿らしいにも程がある。

 

 絶望した様な表情を浮かべて呆けている彼をどついて歩く様に促す。何時までもこんな森のド真ん中で、ぐだぐだしている訳にはいかない。貴重な高校生の、その休日を溝に捨てる様な真似をする訳にはいかないのだ。

 

 そうして、歩き出す事十数分。代わり映えのしない森の中。来た道を帰るだけだと云うのに、ふと彼が変な事を口にした。

 

「なぁ、これ、同じ道ぐるぐる回ってないか?」

 

「はぁ? んな訳──池だな。ぐるぐるしてるな、本当に」

 

 おかしい。来た道を戻るだけなのに、何故道を迷うなんて事があるんだ。ここまで一本道だったのに、なんでぐるりと回ってまた池に辿り着くんだ。

 

「心霊現象だ……! なんか迷って帰れない現象だよこれ……! 話のネタが出来た!! やったな!」

 

「馬鹿野郎。何が話のネタだ馬鹿。んなもん出来ても帰れなきゃ意味無いだろうが」

 

 良くある話だが、自分が体験してみると洒落にならん現象である。歩くのにも体力を使うというのに、帰って休息をとれないなんて無茶苦茶だ。

 

 兎にも角にも、どうかして帰る方法を見つけないと。

 ……案外、途中で道を間違えているだけかも知れないし、もう一度同じルートを辿ってみるか。

 

「ふぁっきゅー。また池だ」

 

 案の定、また池にぶち当たった。枝分かれ一つ無い、踏み均された道を歩いたと云うのに、またこの池に辿り着いた。

 もう嫌になる。帰れねぇ。

 

「すげぇ、本物の心霊現象(オカルト)だ……! 凄い理不尽! この滅茶苦茶さ! すげぇ!!」

 

 よりにも寄って、一緒に居る奴がこんな馬鹿なのが最悪だ。こんな理不尽現象に巻き込まれて無茶苦茶に喜んでる奴が一緒とか最悪にも程がある。役に立たない事この上ない。

 

「喜ぶな阿呆! てめぇ一人なら兎も角、俺も巻き込まれてんだよ!」

 

「……分ってるって。帰る方法探すんだろ? じゃあ、取り敢えず逆の道を行く──つまり、進んでみるってのは?」

 

「ま、それしか無いだろうな。行くぞ」

 

 てくてく、テコテコと歩く事十数分。歩いても歩いても、あの池にたどり着く事は無かった。三度目のトライにして、俺たちは無限ループから抜け出したのであった。大勝利だ。くたばれ心霊現象。

 

「……なぁ、なんか、暗くね?」

 

「……まだ昼間なんだけどな」

 

 スマホが示す時刻はまだ13時。まだまだ昼間の筈だと云うのに、空は暗く夜の藍色が滲み始めていた。

 もう無茶苦茶だ。今度は時間がおかしくなったのか? こんなしょうもない心霊スポットで、なんでこうも心霊現象に遭遇するんだ。俺たちが目的にしてたのは、ただの幽霊だぞ。こんな心霊現象のオンパレードじゃないんだ。

 

「……なんか聞こえないか?」

 

 踏み均された道を歩いていると、何か、背後から音が聞こえる。はぁはぁ、はぁはぁ、と空気と乾きに喘ぐような喘鳴の音。

 それと共に、首筋に生暖かい風を感じる。振り返ると何か居るのだろうか。

 

「そうか? 俺は特に何も聞こえないけど」

 

 彼はこんな事を言っているが、俺には確かに、音が聞こえる。

 苦痛に喘ぐ、喘鳴の音。満たされる事の無い乾きと酸欠に呻く、声。ふと、背後を振り返ってみた。

 ──何も居ない。

 

「待って、俺、今、何か見えた」

 

「俺が振り返ったタイミング?」

 

「多分」

 

 今度は彼と同じ方向へ視線を向ける。

 立ち並ぶ木々の中、幾つもの針葉樹の隙間に、俺も何か、人影の様なものが見えて、ふと、消えた。

 右方に立つ彼と顔を見合わせると、彼もまた同じものをみたのか表情の抜け落ちた様な、引き攣った顔になっていた。

 

「幽霊、居たな」

 

「居たな、じゃ──なぁ、音が、また」

 

 今度は、耳元で。確かに、音が。

 

「▓▓▓────」

 

 掠れた声が、確かに、何か音を紡ぐ様な。掠れ切った、おそらくは人のものらしい、その音が。

 俺に、何かを告げる様に。耳元で、小さな音で。けれど必死に、絞り出す様な。性別すら知れぬ、掠れ切ったその声音。

 

「なん、何を──」

 

「ぅ、ぁ──い、さぎ、助け──!」

 

 絶叫。それは、俺のすぐ真隣から。

 

「っ、大丈夫か!?」

 

 思考を振り払って、そちらに目を向ければ喉を押さえて苦しむ彼の姿が。どうも、自分自身の掌で自分の首を絞めているらしい。

 気でも狂ったか、或いは憑かれたのか。

 

「クソっ、止まれ! え、弱っ……」

 

 慌ててその掌を無理矢理に外そうとすると、あっさりと掌は喉から引き剥がせた。

 

「じ、自分じゃ、外せなかったんだけど……」

 

 喉を擦りながら大きく呼吸をする彼を横目に、周囲に気を配る。彼の首が絞められた──自分で絞めたのだけど──以上、いつ俺にもこの手の霊障が襲いかかってくるか分からない。

 視えるものであれば避けられる様に、注意だけはしておかなくては。

 

「お前は大丈夫だったのか? あの男、なんか言ってたろ?」

 

「あん? 見えてたのか?」

 

「薄っすらとだけど。顔色の悪い、典型的な幽霊がお前の耳元で何か言って、そのすぐ後に俺の手が勝手に、こう、な」

 

 首を絞めるジェスチャーをしながら、乾いた笑みを浮かべる。

 その首筋には、くっきりと、五指で締め付けられた時の青黒い跡が浮かび上がっていた。

 

「……俺の方は特になんとも。それより、お前、首大丈夫か?」

 

「ん、まぁ大丈夫。跡になってるだけで、他は何とも」

 

 ふと、袖から覗いた手首。長袖の、その袖が重力に従って僅かに下がる。そこには、骨張った彼の手首が在って、筋の浮かぶその肉にはくっきりと、青黒く変色して浮かびあがる手の跡が。

 

「…………いつ付いたんこれ……」

 

「……取り敢えず、俺の方には何も無いな。手形浮かんでるの、お前だけか」

 

 自分の腕を調べてみたが、やはり手形一つ付いていない。見慣れた、血色の悪い自分の腕だった。

 だが、逆に気味が悪い。何故自分は囁かれただけで、何故彼にはこんなにはっきりとした霊障が起こったのか。

 一度考え出すと、どうにも気になって仕方が無い。霊感だとか、相性だとか、そんな言葉も思い浮かぶが──

 

「なぁ、井鷺、お前、さっき何て言われたか思い出せるか?

 俺は、ほら、こんなはっきりした霊障だけど、お前の場合は、こう……呪いみたいな奴かも知れないじゃん」

 

 ふと、彼が口にしたそんな言葉で思考が止まる。

 

「掠れてて殆ど聞き取れなかったからな……性別すら分かんなかったし」

 

 聞こえてくる音の高い低いすらまともに聞き取れなかったのだ。お陰で性別一つ分からなかった。けれど、多分、何かを言ったのは確実だ。何か、何か大切な事を……残った力を振り絞って、何かを紡いだのは、直感的に理解できたから。

 

「▓▓▓────いさぎ……? 俺の名前を呼んでた様な……」

 

「……は?」

 

 必死に思い出そうとして、そうやって、僅かに聞こえた子音と、母音の欠片から紡がれた音を類推する。確か、アレは、『いさぎ』と、そう口にしたのだと思う。

 

「あぁ、そうだ……アレは、俺の名前を呼んだんだ」

 

 途端、彼は黙りこくってしまう。

 その途端に、森から一切の人声が消え失せて静寂だけが横たわるように此処に在った。突如として声のなくなった世界では、木々のざわめきや吹き抜ける風の音が嫌に煩く鼓膜を揺らす。

 

「俺、森に入ってからお前を名前で呼んだっけ」

 

「いや、『お前』とは呼ばれたけど……お前が首絞められるまでは、名前では呼ばれてない筈だ」

 

「じゃあ、何でお前の名前知ってんだよ」

 

「知るか」

 

 互いに顔を見合わせる。

 引き攣った彼の表情と、その瞳の奥に写る俺の表情。共に、笑み一つ無い、真顔。

 

 ──かぁ、と鴉が鳴いた。

 

「うぉ、び、吃驚した……なんだ、ただの鴉か」

 

「……それはそれで、気味が悪いけどな」

 

 驚きながら視線を上げてみれば、直ぐ側にある木の、その頂点近くの枝に艶のある黒い羽を折り畳んだ鴉が止まっていた。

 

「……こんな所でずっと立ってる訳にも行かないし、取り敢えず、進むか?」

 

 ぞくりと背筋に悪寒が走って、直ぐ後に気配を感じて──咄嗟に背後を振り向く。そこには、此処までに通ってきた道が、変わりなく存在した。

 

「どうした?」

 

「何か……いや、何でも無い。行くぞ」

 

 行き先は不明。先へ続くこの道を、ひた歩く。

 

「くそ、こっちもかよ……」

 

 木々の中に続く道の先には、これで四度目になる池の形。またもやループして、此処に辿り着いた。

 

「どうする、本格的に帰れないぞ、これ」

 

 彼のその言葉を側に置いて、池を確かめてみる。もしかすると、先程までとは違うものかも知れない。

 

 だが、調べても何も分からない。先程までの、もう四回は見た池と全く同じだ。違うのは、足跡の数だけ。俺たちが此処へ来た回数分だけ、草が折れ、土汚れが残っている。

 

「……なぁ、今、池に何か映らなかったか?」

 

「……いや、俺は特に何も見てないぞ」

 

 彼の言う通りに水面を確かめてみるが、そこに映るのは代わり映えのない俺の顔。日頃の運動不足からか、青白い顔色をした俺の顔だけが、静かに写っていた。

 

「ほら、この通りに変なものは何も……」

 

「お、俺、変なものか……?」

 

 何を言ってるんだこの馬鹿は、と悪態をつきそうになったが、ハッとして気付いてしまう。

 ──池に写っているのは、俺だけだ。直ぐ後に居る、彼の顔──それどころか、彼の身体そのものが、水面に写っていないのだ。

 

「……」

 

「あ、いや、何か今度は写ってるな……お前も見ろよ、池」

 

 彼の言う通り、今度は彼の身体が池の水面に反射して映っていた。もう十年以上の付き合いのある、何時もと同じ彼の姿。

 青い顔したその表情を、池は確かに映していた。

 

「▓▓▓──▓▓▓、▓▓▓────!」

 

「い、井鷺っ! 逃げろ、何か、何か出てる!!」

 

 足首に、ひやりとした感覚が。

 ぞくりと悪寒が奔って、慌てて視線を足首へ落とす。

 

「ぁ────?」

 

 手。手だ、手が、地面から伸びた、土気色の手が、俺の足首を掴んでいる。振り解けない。恐ろしく強い力で、地面へ向かって引っ張られている。

 

「ま、待ってろ井鷺っ! 今、振り解いて──!? つ、強っよ!?」

 

 彼がその手を掴んで無理矢理に振り解こうとするが、成果は一向に現れない。彼がその"手"を掴んで尚、俺の足首は力強く、それこそ万力のような力で引っ張られている。

 

「く、クソっ、離せ、離せ、よぉ──!? っ、離れた! 行くぞ、井鷺!!」

 

 地中から伸びる手を、彼が蹴り飛ばすと漸く俺の足首は解放された。そうやって俺の足首が自由になるや否や、彼は俺を引っ張る様にして立ち上がらせ──

 

「急げ、なんか、何か出てんだよ、!」

 

 振り向く。直ぐ後、丁度池の真ん中あたりに何か見える。

 何か、人影の様な何かが、此方へ向かって来ていて、その何かが纏う底知れない気配と雰囲気が、ただ恐ろしい。

 

「っ、逃げるぞ!!」

 

 ループするかも知れない、なんて思考は頭の隅に。

 恐怖に急かされるまま、勢い良く駆け出す。足首に感じる、打撲の様な痛みすら無視して駆け続ける。

 

 ──そうやって、どれほど走ったのか。

 息が切れ、ぜぇぜぇと肩で呼吸をする様になった頃に、俺たちはまた、あの池の前に戻ってきていた。

 

「あぁ、クソっ、まただ、また池だ!! どうやったら出られんだよ、これ!!」

 

 もう何度目か数えるのも億劫だ。またこの池だ、またこの場所だ。幸い、先程の人影はもう存在していないが、それでも同じ景色ばかり見て頭がおかしくなりそうだ。

 

「なぁ、お前、も──おい、何処だ! 何処に行ったんだよ!!」

 

 ふと、隣に目をやると、其処には人影一つ存在していなかった。

 この明日乃森を一緒に探索していた、彼の身体が、此処に無い。

 もう幾度目かも分からないループで、彼はすっかり消えてしまったのか。或いは、彼だけが、此処から抜け出る事ができたのか。

 

「──ッ」

 

 がさりと、直ぐ側の茂みから何か音が聞こえた。

 草を掻き分けて、何かが倒れ込む様な、そんな音。

 最悪の想像が脳裏を過る。十年来の友人である彼が、その茂みの向こう側で倒れている、その光景がはっきりと脳内に浮かび上がる。

 

 息を飲みながら、ふらふらと茂みに駆け寄って、草を掻き分け音の出所を探る。最悪の想像は尚も脳内に浮かび上がるが、それを否定したくて、彼では無い他のものだと安心したくて、身体が勝手に動いてしまう。

 

「────白骨、死体……?」

 

 それは、薄汚れた骨だった。布切れ一つ残っていない無い、汚れた人骨。土色に色付いた、その乳白色。その髑髏の、物言わぬ眼窩に張った蜘蛛の巣と、倒れ伏した身体の、その肋骨同士の隙間から伸びる雑草が、その骸が過ごした年月をありありと語っていた。

 まさか、あのループは、時間を移動していた? だから、急に暗くなって、一緒にループできなかったから──

 

「おい、お前、なんで、いや、違、違う、違う筈だ──!」

 

 違う、有り得ない。こんな筈は。

 だって、さっきまで彼は一緒に居た。一緒に居たんだ。それが、こんな、肉の腐れ落ちた──それどころか、衣服すら風化しきる程の時間が過ぎた死体になっているなんて、そんな馬鹿な事があってたまるか。有り得ない。こんな訳は無い。無いんだ。

 たかが、幽霊探しに来ただけで、こんな、無惨な骸に成り果てるなんて、そんな馬鹿な事があってたまるか。こんな所で独りで朽ち果てるなんて、そんな残酷な事があってたまるか。

 有り得ない。違うんだ。だから、これは彼じゃない。その筈だ。その筈なんだ──!

 

「▓▓▓、▓▓▓──▓▓▓▓▓、▓▓▓……──!」

 

 耳元で、嗄れた声が囁くように何か呟く。

 

 にげろ、いさぎ。にげるんだ、いさぎ。

 

 そんな、意味の分からない声が聞こえる。

 まるで、親しい友人からの警告の様なそれが、直ぐ背後で聞こえる。それは、彼の遺した置き土産なのか。彼の意志だけが、残留思念の様に此処に焼き付いて俺に囁いているのだろうか。

 ともすれば、それは時すら越えて。あのループと共に、ずっと、俺を──。

 

「分かったよ……あぁ、分ってる。お前の為にも、俺は、此処を抜け出して──あぁ、家に、帰るよ」

 

 再び立ち上がる。彼が、彼の意志が、そう言うのなら。

 俺は、必ず家に帰る。絶対に此処を抜け出して、終ぞ叶う事の無かった彼の望みを果たしてみせる。

 

 ふらふらと、再び道を行く。もう何度も歩いた同じ道。あの池から続く、あの池に繋がる道。その道をただ歩いて──そうして再び、あの池に辿り着く。

 

「また……いや、まだ、だ……」

 

 歩く。抜け出すまで、足掻く。彼の死を、彼が化けてまで望んだ家路を急ぐ。

 

「まだ」

 

 歩く。

 

「まだ」

 

 歩く。

 

「まだ」

 

 歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。歩く。

 歩いて、歩いて、何度も歩き続けて──もう何度繰り返したかも分からない、そのループの果てに、また池に辿り着く。

 霞む視界と、ふらつく身体。それを必死に操って、池の畔に腰を下ろす。

 

 酷く疲れた。このまま座って、暫く休んでいたい──

 

「っ、井鷺!! お前、今まで何処行ってたんだよ!」

 

 彼の、声が。

 

「は、──ぁ? お前、何で、いや、それより生きて……!」

 

 振り向けば、そこには驚いた表情の彼が居た。あの骸とは違う、肉も布も纏った彼の姿。見慣れたその形に、酷く安堵を覚えて、疲れ切った身体の事も忘れて急ぎ駆け寄る。

 

「俺の事情? あー、何か幽霊に追いかけられたろ? あの時、俺途中で転んじゃってさ。で、起き上がって慌ててお前を追い掛けけてループしたらさ、池の所にお前居なくて……で、それで暫く一人でループしてたって訳。お前も同じか?」

 

「は、はは──行き違いに、ループしてただけかよ……」

 

 理由が分ってみれば、酷く滑稽な話だ。あの白骨死体は全くの無関係で、俺と彼は互いに入れ違いにループしていたから今まで顔を合せなかったのだ。

 

 恐らく、俺が出発した後に彼が辿り着き、彼が出発した後に俺が辿り着く──というのを何度も繰り返していたのだろう。

 

「──はぁ……良かった、あの死体は無関係なのか……」

 

 では、あの幽霊は? 俺の名を呼び、逃げろと囁くあの声は一体何なのか。解決したと思った疑問が、また白紙となって振り出しに戻る。

 

「……死体?」

 

 だが、あの死体が彼のものでは無いと分かると安堵で一気に力が抜けて、俺は地面に座り込んだ。無理矢理に動いていたツケが一気に回ってきた様だ。

 

「ん、あぁ、そこの茂みに、何か白骨死体が」

 

 指さした茂み、そこを彼ががさがさと掻き分けて骸を探し始めた。十数秒程経って、彼は骸を見付けたのか『ぉお』と低い声を出して驚いた様子だった。

 

「……おぉ、あれか、あの男の骨か」

 

「あの声、男なんだっけ?」

 

 彼曰く、あの声の主は男らしい。声を聞いたのは俺だというのに、よくもまぁ、彼は性別の判別ができるものだ。

 それとも、声の主が囁く時に生じる身体は性別の判別ができる程度にはハッキリしているのか。

 

「何で聞いたお前が分かんないんだよ」

 

 そんな事を言いながら、彼は骸をじろじろと検分している。割りかし、不躾な奴だ。そんなにジロジロと亡骸を観察するのもどうかと思う、と彼の下へ向かう。

 そろそろ身体も動く様になったし、再び、脱出の為に足掻くとしよう。

 

「……ん? これ、男じゃなくて女だろ。ほら、その骨盤の形が」

 

 ふと視界に入った骸の、その骨盤の形に違和感を覚える。

 冷静になってみればこの骸は、女のものだ。全体的に横に長く、恥骨の角度が鈍角に近い。間違いない、この骸は女性だ。女性のものだ。

 

「……よく分かるな」

 

「医学部志望だからな。進学してから困らない様に、ちょっと勉強してるんだよ」

 

 なら、この骸とあの声の主は別人と云う事か。だってあの声は男のもので、この骸は女のものなのだから。

 

「▓▓▓、▓▓▓▓▓▓、▓▓▓▓▓▓▓▓▓▓──!」

 

 また、声が。けれど、今度のこれははっきりと。掠れた声色で、風音の様な僅かな大きさの声が、耳元で囁いた。

 ──にげろ、にげろいさぎ、そいつはおれじゃない。

 

 慌てて背後を振り向く。そこにあったのは、影のような何かが固まってできた人間の様なシルエット。性別どころか、顔のカタチすら分からない、ヒトのカタチをした何か。

 それが、確かに、俺に逃げろとそう言った。

 

「なぁ、お前、なんで、こんなのから性別が分かったんだよ」

 

 カタチで性別は分からない。声色でも分からない。

 ならば、何故、彼はこの声の主を"男"だと断定した?

 

「……」

 

「いや、そもそも、お前、お前の名前は──何で、思い出せないんだ……?」

 

 彼の名前は何だったか。思い出せない。小学校から、高校まで一緒に過ごした記憶は確かにあるのに、その名前だけが思い出せない。記憶の中にある、彼のままなのに、その名前だけが分からない。

 

「……お前は、誰だ」

 

 視線の先には、見慣れた彼の姿。けれど、どこか、違う。

 ──中身だ。あぁ、そうだ、違うんだ。それが、それこそが。彼の身体を動かす、存在(なかみ)が、彼では無いんだ。

 

 

 

「何だ、気づいたのね」


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