『魔法使いの嫁 × ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 ――魔法使いと魔術師、その隣人たち――』   作:丹波りん

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第28話 繋がった世界

 「では、出口へご案内します」

 ライザがそう言って立ち上がった。

 Ⅱ世とライネスも、それに続いて席を立つ。

 先ほどまでとは、二人の表情が明らかに違っていた。

 学院という場所そのものについて知っただけではない。

 ここが時計塔とは別の魔術師たちによって築かれ、しかも同じロンドンに存在している。

 その事実が、二人の中で重く残っていた。

 Ⅱ世は、先ほどライザから聞いた話を頭の中でもう一度整理していた。

 学院は、時計塔とは関係のない魔術師たちによって長い間運営されている。

 その存在を、時計塔は知らなかった。

 そして学院側も、時計塔の存在を知らなかった。

 同じ街にいながら、互いの存在を認識することなく、

 それぞれの魔術師たちが活動していたことになる。

 そんなことが本当にあり得るのか。

 つい先ほどまでは、Ⅱ世自身も半信半疑だった。

 だが、ライザの話を聞き、実際に学院を歩き、

 その内部を見てきた今となっては、単純な勘違いで片づけることはできない。

 部屋を出ると、先ほど歩いてきた廊下を逆へ進んでいく。

 ライザの後ろを歩きながら、Ⅱ世は周囲を眺めることもほとんどなかった。

 目に入るものは、学院へ来た時と何も変わっていない。

 廊下も、壁も、そこを行き交う人々も、確かに先ほどまでと同じだ。

 それなのに、今は別の場所を歩いているような感覚があった。

 頭の中を占めているのは、時計塔のことばかりだった。

 学院。

 大英図書館。

 時計塔。

 そして、異なる世界。

 どれも単独ならば、理解できる。

 だが、それらが一つの場所に繋がってしまったことで、これまでの認識が崩れ始めていた。

 隣を歩くライネスも、珍しく何も口にしない。

 いつもならば何かしら軽口を挟むところだが、今は彼女もまた考え込んでいる。

 二人が考えていることは、おそらく同じだった。

 自分たちが知らなかったものが、目の前に存在している。

 それだけならば、まだいい。

 問題は、それが自分たちのよく知る場所と繋がっていることだった。

 しばらく歩いたところで、ライザが足を止めた。

「こちらです」

 示された先には、一枚の古びた扉があった。

 特別な装飾が施されているわけでもない。

 長い年月を経た、どこにでもありそうな扉だった。

 学院の内部を見てきた直後だからこそ、かえってその簡素さが奇妙に感じられる。

「この先が出口です」

「……出口?」

 Ⅱ世が扉へ目を向ける。

「学院への入口でもあります」

 ライザの言葉に、Ⅱ世はわずかに眉を寄せた。

 学院へ来る時も、この道を使う。

 そして帰る時も、同じ道を通る。

 つまり、この先にあるものが学院と外の世界を繋いでいる。

 扉そのものには、それほどの力があるようには見えない。

 だが、ここまで来た以上、その先にあるものを疑う理由もなかった。

 扉の向こうからは、微かな風が入り込んでいた。

 確かに、外へ繋がっているらしい。

 ライザは二人へ穏やかな笑みを向けた。

「では、行ってらっしゃいませ」

「……」

「夕刻には歓迎会を開きますので、それまでにはお戻りください」

「……歓迎会、か」

 今のⅡ世には、その言葉すら遠く感じられた。

 つい先ほどまでなら、学院の歓迎会というものに多少の興味を持ったかもしれない。

 だが今は、それどころではない。

 自分たちはこれから外へ出て、

 この学院が本当に自分たちの知るロンドンに存在しているのかを確かめようとしている。

 そして、その結果次第では、戻ってから考えなければならないことが一気に増える。

 ライザは変わらぬ様子で頷く。

「はい。良い返事を期待しています」

 Ⅱ世は何かを答えようとした。

 しかし、うまく言葉が出てこない。

 ライネスも同じだった。

 二人はそれ以上何も言わず、扉の向こうへ進んだ。

 その先に広がっていたのは、古びた地下鉄施設だった。

 薄暗い通路。

 長く使われてきたことを思わせる古い設備。

 今も使われているのか、それすら判然としない。

 学院の内部とは、あまりにも雰囲気が違っていた。

 それでも、先ほどまで自分たちがいた場所と確かに繋がっている。

 Ⅱ世は周囲を見回した。

 ここが学院への入口だと言われなければ、そんなことには気づけないだろう。

 何の変哲もない地下施設。

 その一角に、一つのロッカーが置かれていた。

 特別なものには見えない。

 どこにでもありそうな、古びたロッカーだった。

 Ⅱ世は足を止め、振り返った。

 そこには、先ほどまで自分たちがいた学院へ繋がる入口がある。

 だが、この場所だけを見れば、そんなものが存在するとは到底思えない。

 ロッカー一つが、その入口になっている。

 しかも、外から見れば、それはただの古びたロッカーにしか見えない。

 学院の存在を知らなければ、誰もそこへ意識を向けることはないだろう。

 それほどまでに、こちら側の世界から切り離されている。

 ライネスも同じように、それを見つめていた。

「本当に、ここから……」

 呟きが漏れる。

 Ⅱ世はしばらく答えなかった。

 そのロッカーを見つめながら、学院で聞いた話を思い返す。

 裏道。

 番犬たち。

 そして、そこを通るための対価。

 学院へ至る道は、最初から自分たちが知っているものとは違っていた。

 だからこそ、今こうして目の前にある古びたロッカーにも、奇妙な説得力がある。

 Ⅱ世は視線を逸らした。

「行くぞ」

 二人は地下鉄施設を後にした。

 階段を上がる。

 一段、また一段と進むにつれて、周囲の空気が変わっていく。

 やがて地上へ出た瞬間、夕方のロンドンの空気が二人を包んだ。

 Ⅱ世は、そこで足を止めた。

 目の前に、大英図書館がある。

 周囲には、見慣れたロンドンの街並みが広がっていた。

 車が走り、人々が行き交っている。

 何一つ変わったところのない、いつものロンドンだった。

 見慣れた建物。

 聞き慣れた街の音。

 何度も歩いたことのある都市の風景。

 それらは、学院へ来る前と何一つ変わっていない。

 だからこそ、それが恐ろしかった。

「……知っている場所だ」

 ライネスが呟く。

「ああ」

 Ⅱ世も大英図書館を見つめた。

「間違いない」

 学院は、本当にこの場所の地下に存在していた。

 それはもう、推測ではない。

 自分たちの目で、確かめた事実だった。

 そして時計塔もまた、この街にある。

 同じロンドンにありながら、互いの存在を知らなかった。

 それが、ようやく現実として二人の前に突きつけられる。

 Ⅱ世は、しばらく大英図書館から目を離せなかった。

 知っている街だった。

 だからこそ、その地下に知らない学院が存在しているという事実が、異様なものに感じられる。

 もし今日ここへ来なければ、明日も何も知らずに過ごしていただろう。

 学院の人間も同じだったはずだ。

 お互いが、お互いを知らないまま。

 「兄上」

「分かっている」

 Ⅱ世は懐から連絡用の道具を取り出した。

 まずは時計塔へ連絡を試みる。

 これで繋がれば、少なくとも今いる場所が自分たちの知る世界なのか、

 それを確認する手掛かりにはなる。

 だが――。

「……繋がらない」

 反応はない。

 Ⅱ世は一度、手元の道具へ視線を落とした。

 操作を確認し、もう一度試みる。

 結果は変わらなかった。

 ライネスも本家への連絡を試みていた。

 しばらくして、彼女も顔を上げる。

「こちらもだ」

 二人は顔を見合わせた。

 誰も答えを持っていない。

 それまでなら、何らかの不具合や場所の問題として考えられたかもしれない。

 だが、今は違う。

 学院で聞いた話。

 同じロンドンに存在しながら、互いの存在を知らなかったという事実。

 そして今、時計塔にも本家にも連絡がつかない。

 それらが一つの結論へ向かって、静かに繋がっていく。

 学院でライザが語った【異なる世界】という言葉が、急に現実味を帯びていた。

 Ⅱ世はその場で額を押さえた。

「……どうすればいいんだ」

 その言葉とともに、先ほどのライザの声が蘇った。

『既に【道】は繋がった』

『我々は、裏道の番犬たちとの交渉や対価も、今回のことを通じて把握しています』

『あなた方が使者にならずとも、我々の方から交流のための使者を出すこともできます』

『良い返事を期待しています』

「……」

 Ⅱ世は顔を上げた。

 ようやく、ライザの言葉が持つ意味を正面から理解し始める。

 それは、単なる学院側からの申し出ではない。

 すでに学院は、こちらの世界へ来るための手段を知っている。

 裏道。

 番犬たち。

 そして、その対価。

 今回の一連の出来事を通じて、学院側はそれらを把握してしまった。

 つまり、こちらから学院へ行くことができるだけではない。

 学院側から、こちらへ来ることもできる。

 それが意味するところを考えれば、Ⅱ世が頭を抱えたくなるのも当然だった。

「……最悪だ」

 Ⅱ世は小さく呟いた。

「…兄上」

 ライネスが顔を向ける。

「…私が何をしに来たと思う?」

 答えを求めるような問いではなかった。

 Ⅱ世自身が、これまでのことを整理するための言葉だった。

「魔法について調べる。妖精や、学院について知る。その程度のつもりだった」

 Ⅱ世は大英図書館を見上げた。

「それが……」

 その先は、言葉にならなかった。

 自分たちの知らない魔術師たちが、同じロンドンに存在していた。

 しかも、向こうはこちらを知らない。

 こちらも、向こうを知らない。

 そして今、その二つの世界を繋ぐ道が開いている。

 学院は、時計塔との交流を望んでいる。

 それを知った以上、これまでと同じように黙って帰ることはできない。

 Ⅱ世は、これまでの自分の目的を思い返した。

 智世が話していた魔法とは何なのか。

 学院とは何なのか。

 妖精や精霊、人ならざるものたちは、どのような存在なのか。

 それらを知るために来たはずだった。

 ところが、調べるどころか、

 自分たちの知らない魔術師たちの世界そのものを見つけてしまった。

「これを時計塔へ報告したら……」

 ライネスが静かに口を開いた。

「最初は信じてもらえないだろうね」

「だろうな」

 Ⅱ世にも、それは容易に想像できた。

 異なる世界のロンドンに存在する、未知の魔術師たちの学院。

 しかも、その学院から交流を望まれている。

 そんな話を突然持ち込めば、まず疑われる。

 自分自身が逆の立場なら、同じように疑うだろう。

 だが、それで終わる話でもない。

「だが、学院から使者が来れば話は変わる」

「ああ」

 Ⅱ世は目を閉じた。

「そうなれば、信じざるを得ない」

 問題は、その先だった。

 時計塔には、学院との交流を望む者が出るだろう。

 魔法という未知の力に興味を示す者もいる。

 妖精や、人ならざるものについての知識を求める者もいるはずだ。

 一方で、それを危険視する者もいる。

 学院を警戒し、排除すべきだと主張する者が現れても不思議ではない。

 それぞれが自分の立場から、この問題を利用しようとする。

 そうなれば、単なる学術的な交流では済まない。

 学院がどれだけ穏やかな場所であったとしても、

 時計塔側の人間が全員そう受け止めるとは限らない。

 未知の魔術師たち。

 未知の魔法。

 そして、妖精や精霊、人ならざるものたち。

 それらが一つの場所に存在している。

 時計塔の魔術師たちにとって、それは魅力的な研究対象にもなり得るし、

 同時に警戒すべき対象にもなり得る。

 それぞれの考えが出てくれば、意見が一つにまとまるとは考えにくい。

「……時計塔の中が割れる可能性すらある」

 Ⅱ世は低く呟いた。

「そこまで考えるかい?」

「考えるさ」

 Ⅱ世は答えた。

「これほどの話を、時計塔の人間が黙って見ていると思うか?」

 ライネスは黙った。

 考えてみれば当然のことだった。

 時計塔は魔術師たちが集まる場所だ。

 未知のものが存在すると知れば、興味を持つ者が出る。

 利益を見出す者もいる。

 危険を感じる者もいる。

 そして、それぞれが自分の考えに基づいて動くだろう。

 最初は信じない。

 だが、相手から使者が来れば、信じざるを得ない。

 その時には、もう「存在するかどうか」の問題ではなくなる。

「……交流するか、しないか」

「ああ」

 Ⅱ世は深く息を吐いた。

「その判断を巡って、時計塔の中で意見が割れる」

 大英図書館の前を、人々が何も知らずに通り過ぎていく。

 誰も、この地下に学院が存在することを知らない。

 その学院が、自分たちの知らない魔術師たちによって長く営まれてきたことも。

 そして今、その学院が時計塔との交流を望んでいることも。

 街は何も変わっていない。

 人々にとっては、いつも通りの夕方だ。

 それなのに、その地下には、自分たちが今まで知らなかった世界がある。

 その事実だけが、Ⅱ世には妙に重く感じられた。

「……とんでもないことになったね」

 ライネスが呟いた。

「私も、そう思っている」

 Ⅱ世は頭を抱えた。

 魔法や妖精について調べる。

 ただ、それだけのはずだった。

 それが今では、時計塔そのものを揺るがしかねない問題になっている。

 しかも、夕刻になれば自分たちは学院へ戻らなければならない。

 歓迎会が待っている。

 先ほどまでなら、その予定を楽しみにする余裕もあったかもしれない。

 だが今は、その歓迎会の席で何を話すことになるのかさえ分からない。

 学院側は、時計塔との交流を望んでいる。

 そして自分たちは、その返事を持たずに戻ることになる。

 Ⅱ世は、まだ答えを出せずにいた。

「……」

 Ⅱ世は、もう一度大英図書館を見上げた。

 その地下にある学院。

 そこから伸びている、見知らぬ世界への道。

 まだ、何一つ答えは出ていない。

 学院との交流をどうするのか。

 時計塔へ、どのように報告するのか。

 そして、この二つの世界が今後どう関わっていくのか。

 それらを決めるには、まだ時間が必要だった。

 今ここで結論を出すことなど、できるはずもない。

 ただ一つだけ、Ⅱ世には分かっていることがある。

 自分たちは、もう知ってしまった。

 学院という場所が存在することを。

 そこに、自分たちとは異なる魔術師たちがいることを。

 そして、その世界が時計塔とは別の形で、このロンドンに根を下ろしていることを。

 知ってしまった以上、以前の何も知らなかった状態へ戻ることはできない。

 この出来事を、もう元に戻すことはできない。

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