拝命、闇の魔術に対する防衛術 ※期間は別途   作:細野藤松

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第九話 『ホグワーツの歴史』(貸出中につき予約四件)

“図書館貸出票

書名:『ホグワーツの歴史』(全七冊所蔵)

状態:全冊貸出中

予約:一、H・グレンジャー 二、S・ボーンズ 三、H・グレンジャー(再) 四、H・グレンジャー(再々) 五、T・ブート 六、T・ブート(再)

※同一人物による複数予約は一件として数えます。――司書”

 

 

 

十一月の図書館は『ホグワーツの歴史』を巡る争奪戦になっていた。所蔵七冊全冊貸出中、予約待ち二週間。ハロウィーン以来、城で一番の人気図書だ。誰もが秘密の部屋の項を読みたがっていた。

 

ハーマイオニー・グレンジャーは予約票にまた名前を書きながら、九月の自分を静かに憎んだ。

 

荷物を軽くするため、今年はあの本を家に置いてきたのだ。ロックハートの著作七冊が教科書リストから消えて、トランクに空きは十分にあったのに。よりによって、あの本を。

 

判断の根拠は正しかった。去年一年で開いたのは一度きり。ニコラス・フラメルの名前を探すのに何の役にも立たなかった。根拠が正しくても結果が最悪なことはある。悔しいが、今年はそれを覚えた。

 

廊下の空気も変わっていた。ハリーの周りが心なしか空くようになった。一年生たちが壁際に寄って囁き交わす。継承者という単語が、羽虫のように飛び交っている。根拠はゼロなのにやたらめったら広がる。

 

ハーマイオニーは自分のノートを開いた。表紙は何の変哲もない学習用ノートである。中身は二部構成になっている。

 

前半、「事件」。血文字の材質仮説(血液:却下・変色が合わない。塗料:未検証。その他有機物:要調査)。石化を引き起こす既知の存在のリスト(ゴーゴン系。ただし視線で石化なら、目撃者が猫だけなのは変。カトブレパス。英国に生息記録なし。呪詛。該当呪文を調べて発見できず)。『ホグワーツの歴史』の記憶からの復元メモ(不完全。だから原本が要るのに!)。

 

そして後半。「ヒノ教授」。こちらは、九月七日から続いている。授業構成の分析(三動作→杖→統合演習:教育学的に極めて合理的)。O.W.L.過去問分析表の評価(十年分を一週間で。作業量の見積もり:最低四十時間)。夜間巡回の時刻の規則性(火・木・土は東棟から、変則あり)。

 

そして十月三十一日以降、追記が増えた。マートルへの二時間聴取(何を?)。管理人室への長時間訪問(なぜ?)。資料室にこもる三日間(何を調べて?)。ついでに、教職員席で紅茶にミルクを入れない(なぜ? 関係ない気もする)。

 

これはもう、検証ではなく追跡調査に近い。だが仕方がないではないか。あの先生はこの学校で唯一、答え合わせのできない大人なのだから。他の先生は数週間で行動原理が読めた。あの人だけ二ヶ月経ってもまだ予測が外れ、そのたびにノートが増えるのだ。

 

 

 

魔法史の授業は通常、睡眠の時間である。ハーマイオニーはまだ毎回最後まで聞くことを諦めていないが、時々敗ける。ハリーやロンの勝率は推して知るべしだ。というか勝つ気がない。

 

ビンズ先生の声は灰色の霧雨のようなもので、ゴブリン反乱の年号を右の耳から左の耳へ通過させる以外の機能を持たない。先生は教壇に教科書を置くと(置けるのが毎回不思議だ)、いつも通りの単調な声で中世魔法使い会議の議事を読み上げ始めた。

 

十五分後、教室の呼吸が睡眠のリズムに揃ったところで、ハーマイオニーは手を挙げた。

 

「先生」

 

ビンズ先生は読み上げの途中で顔を上げた。話しかけられること自体が、この先生には稀な事態である。

 

「……何ですかな、ミス・グレンジ――グレンビル――」

「グレンジャーです。先生、秘密の部屋について教えていただけますか」

 

教室中で一斉に何かが起き上がる音がした。ビンズ先生は眼鏡の位置を直した(直せるのが毎回不思議だ)。

 

「私の授業は事実を扱うものです、ミス・グレンドル。神話や伝説の類は――」

「でも先生、伝説というのは常に事実に基づいているものではありませんか?」

 

我ながらいい球だった。事実という単語を餌にしたのが良かった。ビンズ先生は幽霊らしからぬ生々しい唸り声を上げ、教室を見渡した。全員が起きて自分を見ている教室を、この先生は何十年ぶりに見ただろう。そして根負けした。

 

「……よろしい。では一度だけです」

 

先生は教科書を閉じた。

 

「諸君も知る通り、当校は千年以上前、四人の偉大な魔法使いによって創設されました。ゴドリック・グリフィンドール、ヘルガ・ハッフルパフ、ロウェナ・レイブンクロー、そしてサラザール・スリザリンです。当時はマグルが魔法を恐れ、迫害した時代です。四人は人目を避けた地に城を築き、魔法を学ぶ若者を保護し、教育した。数年はうまくいっていました」

 

霧雨の声が、僅かに語りの声になった。

 

「やがて亀裂が生じた。原因は今となっては分かりませぬが、ある時期からスリザリンは、入学者を選別すべきだと主張し始めたのです。魔法族の家系の子のみを受け入れ、マグル生まれを排除せよ、と。彼はマグル生まれの生徒を信用ならぬと考えた。他の三人は容れなかった。対立は深まり、スリザリンは学校を去りました」

 

先生はそこで一度、事務的に咳払いをした。

 

「ここまでが記録に残る事実です。ここから先が、伝説。曰く、スリザリンは去るにあたり、城のどこかに隠し部屋を作った。他の創設者には在り処を告げず、封印した。彼の真の継承者がこの学校に現れる時まで。継承者のみがその部屋を開くことができ、中に眠る怪物を解き放ち、学校から『学ぶに値せぬ者』を一掃するのだ――と」

 

一拍の沈黙の後、質問が雨になって降った。

 

「部屋ってどこにあるんですか!」

「怪物って何なんですか!」

「継承者ってどうやったら分かるんですか!」

「諸君」

 

ビンズ先生は両手を挙げた。

 

「存在しないのです。部屋も怪物も。歴代の校長が城を隈なく調べています。何度もです。伝説とはそういうものなのです。尾ひれです。尾ひれに尾ひれがついて、いつしか魚より尾ひれの方が大きく――」

「でも先生」

 

シェーマスが食い下がった。

 

「その部屋、継承者にしか開けられないんですよね。だったら校長が調べたって見つからないんじゃ」

「屁理屈を言うものではありません、ミスター・オフラハティ――」

「フィネガンです」

「とにかく、存在しないのです」

 

その時、後ろの方で誰かが言った。ディーンだったと思う。

 

「じゃあヒノ先生が、新しい防衛術の先生が調べて回ってるっていうのは何なんですか。五十年前のことを調べてるって、上級生が」

 

ビンズ先生はきょとんとした。

 

「……誰ですかな、それは」

 

教室がずっこけるような笑いに包まれた。教師生活何十年になるのか誰も知らない幽霊の先生は、九月に着任した同僚を認識していない。

 

ハーマイオニーは笑わなかった。笑う代わりに、ノートの隅に小さく書いた。

 

ビンズ先生。在職年数・不明(数十年以上、死後も継続)。五十年前、この教壇にいた可能性・大。そして何も語らない。知らないから? それとも、幽霊にとって五十年は「最近」ではないから?

 

要確認と印をつけた。確認の方法はまだ思いつかない。

 

 

 

「次はお前だぞ、穢れた血め」

 

廊下ですれ違いざま、マルフォイはそう囁いていった。取り巻き二人の笑い声つきで。

 

ロンが沸騰するのをハリーと二人がかりで押さえるのに、たっぷり五分かかった。正確には、まずハリーを押さえるのに三十秒使い(今騒ぎを起こしたら変な噂が立つでしょ!)、残りの時間をロンに使った。談話室に戻ってからもロンは煮えていた。

 

「あいつだ。あいつが継承者なんだ。マルフォイの家系なんて、いかにもスリザリンの末裔じゃないか。父親を見ろよ」

「仮説としては成立するわ」

 

ハーマイオニーは慎重に言った。

 

「確度は高くないけど」

「どういう理屈だよ!?」

「マルフォイが継承者なら、自分の犯行現場に真っ先に駆けつけて『次はお前らだぞ』って宣伝したことになるじゃない。そんなの、犯人の行動として変よ」

「あいつはそういうやつだろ!?」

 

ハーマイオニーも、口にこそ出さないがロンに同意していた。現実の犯人はミステリーみたいに鮮やかな連中ばかりじゃない。あれほどマグル生まれへの敵意をあからさまにする彼に、継承者の素質がないとは考えづらい。

 

彼が継承者でないと証明できれば、容疑者リストから一行消せる。消去法は確実に前へ進む唯一の方法だ。最近、似たようなことを言っていた人がいる気がする。

 

「確かめる方法が一つだけあるわ。校則をありったけ、もしかしたら法律も破らなきゃいけないけど」

 

ポリジュース薬。服用者を他人の姿に変える薬。クラッブとゴイルとスリザリンの女子生徒の誰かに変身して談話室に入り、マルフォイ本人の口から聞き出す。

 

「レシピは『最も強力な魔法薬』に載ってる。図書館の禁書の棚の本よ」

「禁書って、先生の許可証がいるやつだろ」

 

ロンが顔をしかめ、ハリーがちょっと苦い顔をした。

 

「僕、去年透明マントで忍び込んで、ひどい目にあった気がする」

「誰が署名してくれるんだよ、あんな棚の本に」

 

ハーマイオニーは既に検討を済ませていた。マクゴナガル先生は用途を訊かれた時点で終わり、スネイプ先生は訊かれる前に通報され、フリットウィック先生は優しいけれど優しい人ほど心配して質問を重ねてくるし、スプラウト先生はマンドレイクで手一杯なのに結局は同じことを訊いてくるはずで、頭の中の教師名簿は上から順に、羊皮紙を落とすみたいに落ちていった。

 

そして、ヒノ先生。ハーマイオニーは、シミュレーションを走らせた。あの先生に許可証を差し出す。先生は署名の前に必ず訊く。「何の薬?」「何に使う?」「なぜ今?」。嘘の答えは用意できる。上級魔法薬学への興味でもいいし、自主研究ということにしてもいい。存在しない学年末の自由課題の準備を今から勝手に始めたっていい。教師生活一年目なら、他科目のカリキュラムなんか知らないだろう。完璧な嘘だ。紙の上なら通る。

 

問題は、紙の上ではないことだ。

 

シェーマスは三回勝負して三回、詠唱の途中で肩に手を置かれた。マートルは五十年分の話をさらりと聞き出された。あの先生は、点呼で全員の顔を一度ずつ確認する。

 

そもそもあの人は今でこそホグワーツの教師で、見た目はくたびれたおじさんだが、刑事だ。それもロックハートを検挙した、現役の。

 

刑事相手に子どもの嘘が保つ確率を、ハーマイオニーは自分に嘘をつかずに見積もった。低い。悔しいけれど、限りなく低い。スネイプが明日大鍋の上で踊りながらグリフィンドールに五十点加点するよりも低いだろう。

 

「ヒノ先生は駄目」

「え、意外。一番署名してくれそうじゃない?」

 

ハリーが言った。

 

「そうよ。一番署名してくれそうで、一番嘘が通らないの。これって普通、同じ人には同居しないんだけど」

「スネイプが五十点グリフィンドールにくれるよりはあり得るだろ」

「……ロン、そこは今どうでもいいの」

 

答えは検討リストの一番下にいた。

 

「……ビンズ先生だわ」

「は?」

「ビンズ先生よ。考えてもみて。あの先生、私の名前を何度も間違えたのよ。ヒノ先生のことすら覚えてないんだもの。差し出された紙には署名するわ。教師歴何十年、何十年か知らないけど、反射でやるに決まってる。紙の中身なんて見ない。私たちの顔も見ない」

 

実行は翌日の授業後だった。ハーマイオニーは羊皮紙を差し出し、「課題の参考図書の閲覧許可をいただきたいんです」と伝えた。ビンズ先生は「感心なことです、ミス・グレンダー」と言いながら、宙に浮いたまま、書名の欄を見もせずに署名した。透けた手から出たインクが紙に定着する原理は、いつか研究する価値がある。

 

図書館へ歩きながら、胸の奥で小さな棘が動いた。

 

尊敬できる先生を避けて、認識能力に問題のある先生を使った。これは正しさの辞書でどう記載される行為だろう。

 

嘘は初めてじゃない。去年のハロウィーン、トロールの一件で、マクゴナガル先生に真っ向から嘘をついた。自分がトロールを探しに行ったのだと。

 

あれはバレていたと今でも思う。マクゴナガル先生の片眉は、あの時絶対に上がっていた。バレていて見逃された。そしてあの嘘から、ハリーとロンとの友情が始まった。嘘が全部悪だと言うなら、ハーマイオニーの一番大切なものは悪から始まったことになる。

 

だから嘘の全部は否定しないが、目的が違うことは分かっている。あの嘘は二人を守るためで、今度のは自分たちの調査のためだ。この差をどう評価するかは――

 

「効率の問題よ」

 

ハーマイオニーは声に出して結論した。残念ながら、あまり効率的には聞こえなかった。

 

 

 

禁書の棚の空気は、埃と囁き声でできている。本たちが囁くのだ。棚に近づくと、革表紙の中から掠れた声が滲む。『最も強力な魔法薬』は鎖付きの区画の中段にあった。司書のマダム・ピンスは許可証を矯めつ眇めつしたが、署名は本物である。無効に等しい署名だが。

 

閲覧席で頁を開き、ロンが声を裏返した。

 

「うわ。挿絵が既に嫌だ」

「レシピを見て」

「草蜻蛉……二十一日煮込む? 二十一日も鍋をかき回すなんて、マーリンの髭! それにヒル、満月草、二角獣の角の粉、毒ツル蛇の皮!? どこで手に入れるんだよ、蛇の皮なんて!」

「簡単な材料は生徒用の棚にあるわ。難しいのは……追々考える。それより問題は場所よ。一ヶ月、誰にも見つからずに大鍋を火にかけ続けられる場所」

 

ハーマイオニーは頁を手早く書き写した。条件を列挙する。人が来なくて火が使える。水がある。撤収が利く。該当箇所は一つしかなかった。

 

二階、故障中の女子トイレ。嘆きのマートルの部屋。

 

ただし、とノートの後半を開いた。リスクが一つある。ヒノ先生が聴取に通っている。絶命日パーティーでマートル本人が叫んでいた。二時間聞いてもらった、また来ると言われた、と。

 

ノートの「夜間巡回の時刻の規則性」の頁に、定規を当てた。火・木・土は東棟から。二階東の通過帯は概ね二十一時台。ならば調合作業は平日の夕方と日曜に寄せて――

 

定規が滑って、頁の端を折った。

 

折れた角を伸ばしながら、ハーマイオニーは自分の手元を見た。尊敬する教師の行動を九月から丹念に観察して記録した。その記録を、その教師の目を逃れるために使っている。

 

その事実をあまり長く見ないようにして、頁を閉じた。この続きは事件が解決してからやる。優先順位の問題だ。効率の問題よりはましな言い訳のはず。

 

その閉館間際の図書館で、当のヒノ先生に会った。閲覧室の隅の机に製本された古新聞の巨大な合冊を三冊積み上げ、索引の巻を開いて明らかに難儀していた。積まれた背表紙の金文字が見えた。日刊予言者新聞・一九四三年。

 

ハーマイオニーの足は、リスク計算より先に動いた。難儀している人が索引を引き間違えているのを見ると体が勝手に動く。これは性分であって、直す予定はない。

 

「先生。その索引、お間違いではないですか? 主題別ですよ」

「ん?」

「年度で引いていらっしゃるでしょう。予言者新聞の合冊索引は年度別と主題別の二系統あって、そちらの巻は主題別なんです。年度で通読なさるなら、索引を経由せずに合冊本体を頭から――あの、月別の中扉がありますから」

「……ああ、道理で『一九四三』の項がないわけだ」

 

先生は眼鏡を外して、息をついた。読書用らしい。初めて見た。

 

「助かった。餅は餅屋だな」

「モチ?」

「日本の言い回し。専門のことは専門家に訊け、って意味。直訳すると米の菓子の話になるんで、忘れていい」

 

先生は礼を言って、合冊の一冊目を開いた。何を調べているのかは言わない。

 

ハーマイオニーも訊かなかった。自分が「先生の調べ物」に関心を持っていると明かすことになる。

 

そして気づいた。先生の側もまったく同じ沈黙をしている。一九四三年。五十年前。ビンズ先生の伝説の講義と、資料室の三日間と、この合冊。線は一本につながっている。

 

この人は私と同じ事件を調べている。私は書架から。この人は足から。証人から。記録の穴から。方法は正反対で、向かう先はたぶん同じだ。

 

胸の中で恐れが動いた。恐れの後ろで、それよりずっと大きいものが動いた。手袋の内側が熱かった。

 

「じゃ、俺はこれで」

 

先生は合冊を抱えて立ち上がった。先生の視線がハーマイオニーの机の上を、彼女が胸に抱え込んだ本の山を、上から下まで一度だけ往復した。

 

山の一番下に、鎖の跡のついた革表紙がある。

 

心臓が肋骨の内側で一回大きく跳ねた。言い訳の第一候補から第三候補までがたちまちの内に射出位置についた。

 

「貸出票は書いた?」

 

先生は、それだけ言った。

 

「は、はい。書きました」

「なら結構。閉館五分前ね。急ぎな」

 

そして先生は一九四三年を三冊抱えて、出口へ歩いていった。

 

ハーマイオニーは椅子の上でしばらく動けなかった。安堵が来た。遅れて、安堵よりずっと重いものが来た。

 

規則の話しかされなかった。貸出票。閉館時刻。それだけ。詮索も、疑いも、警告もなし。

 

信用されている側の胸の内で、二角獣の角の入手経路の検討が勝手に再開している。ハーマイオニー・グレンジャーは自分のこの頭脳を、生まれて初めて少しだけ持て余した。

 

マートルのトイレへの「引っ越し」は週末に行った。

 

「あら。またあんたたちなの」

 

マートルは便器の上から、三人を等分に睨んだ。正確には、ハーマイオニーを三割増しで睨んだ。絶命日パーティーの「陰気なマートル」の一件はまだ帳消しになっていないらしい。

 

「あの、マートル。ここ、少しの間、使わせてもらってもいい? その、勉強会……のようなことで」

「勉強会ですって? 大鍋で?」

 

マートルは鼻で笑った。

 

「……ええと」

「別にいいけど」

 

ぷいと横を向いた。

 

「ここは故障中よ。誰も来ない。あんたたちが何をしようと、私、誰にも何も言わないし。――頼まれてないもの、誰にも」

 

最後の一言だけ、妙に据わった言い方だった。ハーマイオニーはその据わり方をノートの隅に留めるべきか一瞬考え、留めなかった。手が塞がっていたからだ。

 

大鍋を個室の一つに据え、火を入れ、草蜻蛉を沈めた。ここから二十一日間、煮込み続ける。

 

 

 

その夜、寝る前にハーマイオニーはノートを開いた。

 

左の頁、「事件」。伝説の裏取り済み(ビンズ講義)。五十年前に前例の可能性・大(ヒノ先生の調査対象からの推定)。怪物の正体・未特定。継承者・未特定(マルフォイ仮説・検証開始、二十一日後)。

 

右の頁、「ヒノ教授」。調査手法・聞き込みと記録(非効率。ただし――)。

 

「ただし」の続きをペンがしばらく書きあぐねた。非効率。でも、あの人の非効率は私が取りこぼすものを拾っている気がする。マートルの二時間。管理人室。合冊三冊ぶんの紙の重さを足で運ぶこと。うまく一文にならない。結局勝負の形式で書いた。

 

彼は足で調べる。私は紙で調べる。どちらが先に着くか。

 

ペンを置いて灯りを消しかけて、もう一度だけ点けた。一行、小さく足した。

 

先に着いたら、教えてあげてもいい。

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