ニエはおやつにはいりますか? 〜美味しく食べてもらうために造られた少女、なぜか鬼の家族になりました〜 作:ladybug
アッシュは鬼の少女を引き連れ、地下階へ続く階段を下っていた。
誘拐された子ども達のもとへ案内すると言われ、仕方なくだ。
「こっちか?」
「はい、段々近付いてます」
静寂に包まれた地下の闇を前に、アッシュは拳を握りしめる。
グローブが軋み、革の擦れる音がした。
「行くぞ」
「はい」
辺りに人気は無く、船の駆動音だけが響く。
警戒し呼吸の音すら抑えるアッシュに合わせてだろう。少女もまた、声を抑えて答えた。
振り返り、その表情を確認する。
あどけなさはそのままに、強く輝く蜜色の瞳。それは自信の表れか、あるいは本心を気取られないように張った虚勢か。
アッシュには判断がつかない。
牙を隠し、人を狩る狼か。
それとも、哀れな羊の成れの果てなのか。
今更考えても仕方のないことだ。
細く吐息を溢し、アッシュは頭を振った。
少女の言う『助けてほしいと願う声』。誘拐された子ども達という情報。
たとえ罠であったとて、それらを捨て置けるほどアッシュは人の在り方を割り切れないのだ。
しゃらしゃらと音が鳴る。
鬼の少女の手首には未だ手錠がかけられたまま。流石にそのまま外を歩かせるわけにもいかず、手首にタオルを被せて連れ出した。
外部の者に見咎められる可能性もある。しかし、正体不明の鬼を信じ切り枷を外してやることも、またできなかった。
どちらつかずだ。
今に始まった話ではない。
殺したいほど憎む相手を追いながら、相反する信条を掲げている。
我武者羅に鬼を狩ることで自身を納得させ、足踏みをするばかりの現状から目を背け続けてきた。
毎夜後悔の念に追い立てられ、朝が来るたびに思うのだ。
早く、夜が明ければいい、と。
好んで夜に留まり続け、鬼を狩っているのは自分の方だというのに。
何故だろうか。
階段を一段降りるごとに心が暗く沈んでいく。深い海に投げ入れられたような無力感に襲われて四肢に力が入らない。
踠いても踠いても光は遠く、息が。
呼吸すら、ままならなくなる。
重い咳を一つ落とし、アッシュは膝をついた。
いくらなんでも妙だ。
異様な速度で精神状態が悪化している。
何らかの攻撃を受けているのだと遅れて理解した。
まずい。
思うのは、この場に連れてきてしまった少女のこと。銀の手錠をつけたままでは、鬼もただの人と変わらない。
巻き込んでしまった。
薄れゆく意識の中で、少女の泣き顔を思い出す。
「すま、ねェ」
胸を抑えて喘ぐアッシュの耳に、絨毯を踏む軽い足音が届く。
朧げに歪む景色の中、触れる手。
銀色が揺れていた。
白の布がアッシュの口を覆い、強く塞ぐ。
息ができず、視界が明滅を始める。
暗闇に追いつかれ、逃げられない。
「ごめんなさい」
囁きは甘く、遠かった。
◇
どれくらい気を失っていたのだろう。
アッシュは咳き込み、呻きを上げた。
「ここは、どこだ」
複数の寝台に簡素な設備。客室にしては装飾がない。
アッシュは寝台の一つに横たえられているようで、身じろぎに合わせて金属が軋む小さな音が響く。リネンの類はなく、剥き出しのマットが肌に触れていた。
部屋自体、長く使われていないのだろう。
空気は澱んでおり、棚や机の上に埃が積もっているのがベッドの上からでもわかるほどだ。
身体を起こせば強烈な眩暈と頭痛が押し寄せる。言葉もなく耐えていると、扉の付近で誰かが動く気配がした。
「大丈夫ですか?」
甘い声には聞き覚えがある。
アッシュは壁伝いに無理矢理上体を起こし、鬼の少女を睨みつけた。
少女はタオルで口元を覆い、アッシュを見つめている。恐らくは事前に薬物の類いを地下一帯へ撒いていたのだろう。あるいは、これそのものが少女の血族の力なのかもしれない。
「てめェ、よくも騙してくれたな」
ホルスターを弄り、銃を構える。武器をそのままにしておくなど、随分と舐められているようだ。
怒りと後悔。負の感情が渦巻いて視野が狭くなる。同時に気を失う前に感じていた無力感が再び湧き上がってきた。
「……くそ、こんなところで」
腕が下がっていく。
力が入らないのだ。
音を立てて床に落ちた銃を目で追うことすら億劫だった。
眩暈と吐き気。呼吸一つ満足にできず、アッシュは壁にもたれ掛かる。
少女が足早に歩いてきた。
彼女は口元を覆うタオルをアッシュの膝へ置き、自由にならない両手で銃を拾う。
少女が銃を検分する様を横目で眺め、アッシュは乾いた笑いを溢した。
ざまあない。
疑わしきを捨て置き、甘く見た結果がこれだ。
殺されても仕方ない甘さだった。
銃という武器は便利なもので、近距離でよく狙えば素人であっても外すことはない。
鬼の力がなくとも引き金は引ける。
元より、人の力で鬼を殺す武器なのだ。
人を殺すことなど容易い。
「しっかり狙えよ。できれば苦しみたくねェ」
特注の銃だ。反動はそれなりにあるだろう。
せいぜい肩の一つでも外してくれ。
負け犬らしく惨めにそう
「そっか。肩、外れちゃうんですね」
鬼の少女がぼそりと呟く。
「うーん、自分で自分の手首を撃つのは難しそうです。きっと一発じゃ無理ですし、却下で」
ひどくあっけらかんとした、空気にそぐわない言葉が転がる。
不審に思って薄目を開ければ、少女がベッドに乗り上げてきていた。
「失礼しますね」
少女が手を伸ばしてくる。
逃れようにも力が入らず、それより何よりこの状況が理解できない。
「何しやがる……!」
ベッドどころかアッシュの身体に乗り上げるようにして、少女はアッシュの懐や何やらを弄り始めた。
「手錠の鍵はどこですか?」
「教えるかよ」
「もしかしてお部屋ですか? でも、今戻るのは難しいかな。ナイフとか小刀があれば、と。ここですね」
外套の内側に少女の手が入り込む。隠していた銀製のナイフを奪われ、アッシュはぎりりと奥歯を噛んだ。
「何をするつもりだ」
「手錠を外します。はい、これ持って。ああ、力が入らないんでしたっけ」
一瞬の迷いを見せたものの、少女の行動は早かった。
混乱するアッシュを押し倒し、横を向かせる。
抵抗がないからと、彼女は我が物顔でアッシュの身体に触れていた。
「両腕を前に真っ直ぐ伸ばして、手首を揃える、と。ふふ、私、上手でしょう?」
そう囁き、彼女はアッシュの両手に無理矢理ナイフを握らせる。さらに、その上からタオルを巻きつけ、柄ごと固定するではないか。
この拘束が手錠への報復だとして、ナイフは何なのだ。何から何まで理解できず、アッシュは眉を顰めた。
横向きに寝かされたまま、不自然に伸ばされたアッシュの両腕。ナイフの刀だけがベッドの縁をはみ出し、宙に飛び出している。
「こんなものでしょう」
そう一人ごち、少女は床へと座り込んだ。
彼女がナイフの刀身との距離を測っていることに気付き、アッシュはゆっくりと青褪める。
「おい、まさか」
「ご明察です」
あろうことか、少女は笑顔さえ浮かべ、ナイフに向かって両腕を振り上げた。
「動かないでくださいね」
止める間などない。
鍛えた銀の刃に少女の柔い腕が叩きつけられる。ナイフを固定するアッシュの腕にも鈍く重い衝撃が伝わるが、それどころではない。
温かい赤の飛沫がアッシュの頬にかかる。
「もう一度!」
間髪入れず、少女が追撃に入る。半分程千切れた腕が再び振り下ろされた。
人の肉を断つ感触が全身に伝わり、重い実が落ちるような鈍い音が響く。
「────っ」
床に落ちた二つの手から目を離せず、アッシュは吐き気を堪えて唇を噛んだ。
気味が悪い。
気持ち悪い。
理解できない。
鬼がいかに強靭とて、銀による傷は治り難い。致命傷とまではいかずとも相応の痛手になる。
何より、痛みがあるはずだった。
耐え難い痛みが。
当たり前だが、鬼とて死ぬ時は死ぬ。
銀で両手首を落としたならば、出血多量での落命もあり得るのだ。
それなのに、この少女は。
アッシュは歯を食いしばって不快感を堪え──そして、気付いた。
そう、出血だ。
頬に飛んできた血の量は、妙に少なくなかったか。動脈どころか骨ごと断ったはずだというのに、床もベッドも殆ど汚れていない。
「よし、外れましたね」
「……馬鹿な」
満足げに頷く少女。
銀の枷から解き放たれたその手首の先には、爪先まで完璧に美しく整った手が生えていた。
あまりの回復速度に絶句するアッシュを見つめ、少女が朗らかに笑う。
「もう大丈夫ですよ。すぐ治してあげますから」
生えたばかりの新しい両手。
細い指をわきわきと蠢かせて近付いてくる少女に、アッシュは叫んだ。
「来るな! 離れろ、この!」
「暴れない暴れない。手を出して」
手を出してもなにも、アッシュの手はナイフごと簀巻きにされたままである。
弱りきった狩人などハナから鬼の敵ではなく、本来の力を取り戻した少女は鬼の膂力でアッシュを取り押さえた。
迫り来る少女の唇から覗く白い牙を直視してしまい、アッシュは戦慄する。
食われる。
「はーい、ちくっとしますよ」
「やめろォ!」
静かな地下室に絶叫が響き渡った。