ニエはおやつにはいりますか? 〜美味しく食べてもらうために造られた少女、なぜか鬼の家族になりました〜 作:ladybug
鬼式治療、いわゆる解毒はたったの一噛みで完了した。
グローブと袖口の隙間、僅かに肌の露出した手首に残る小さな牙の跡。微かな違和感の残る傷痕を撫でさすり、アッシュは身を震わせる。
鬼の少女がハンカチで口元を拭い、楚々とした所作で所感を述べた。
「結構なお手前でした」
「茶じゃねェんだよなァ」
「狩人様のことではなく、悪い鬼の放った薬物のことです」
唇に指を当てた少女がいくつかの薬品名を誦じる。聞き違いでなければ、麻薬の類も混じっていたようだ。
「良くない葉っぱの成分が沢山入った霧でした。広義にはお茶のミストといえるでしょう」
本来なら気化しない薬でさえ細かな粒子に変え、空気中、あるいは限定空間内にばら撒くことのできる力。
おそらくはそれが敵の鬼が持つ固有能力だと、少女は言う。
「内容物はともかく、濃度はタオルで防げる程度でした。今の私には必要ないので、これは狩人様に返してあげます」
「そりゃどうも」
少女から返却されたタオルで口元を覆い、頭の後ろできつく結んだ。不恰好極まりない簡易マスクの完成だ。
同じベッドに腰掛け、少女が問うた。
「ご気分はいかがでしょう。ましになりました?」
「ああ。おれはどれくらい気を失っていた?」
「ものの数分ですよ」
「追撃は?」
「ないです。恐らくですが、相手に勘付かれてもいません」
羞恥のあまり、アッシュは言葉もなく項垂れる。
数時間前に号泣させた子どもの手で、迅速かつ完璧に助けられてしまった。
重くのしかかっていた心の澱はすっかりと消え、もはや逆に気分爽快ですらある。
「狩人様、もしかして少し前にお酒を飲んでいましたか? あと、何か精神を安定させるお薬のようなものを普段から使ってます?」
「ああ、それが何だ」
「ごめんなさい。解毒ついでにお酒やそのお薬の影響も取り払ってしまったかもです」
申し訳なさそうに手を合わせた少女を横目で眺め、アッシュは首を振った。
「謝るな。むしろ手間をかけたな」
「手間だなんて。私の得意分野でよかったです」
「血族の力ってやつか」
「すごいでしょう? ベント様にも褒められたんですよ。解毒だけでなくホルモンの調整まで出来るのはハニだけだって!」
少女が鼻も高々にふんぞりかえる。
浄化の血族。『害があるものを排除する』力を持つ彼らは、決して万能ではない。毒や薬そのものは取り除けても、結果生じた変化の全てには対応できないと聞く。
ならば、少女は確かに『すごい』のだろう。飛び抜けて優秀な、血族の寵児だったわけである。
もはや、疑いようもない。
この少女は正真正銘、浄化の血族の鬼だ。
「……悪かった」
アッシュは深く頭を下げる。
疑ったこと。巻き込んだこと。
そして何より、自ら手首を斬り落とすという最悪の手段を選ばせてしまったこと。
謝って済む問題ではない。
しかし、謝らずにはいられなかった。
「言い訳はしねェ。この落とし前は必ずつける。だが、今はまず、改めて頼みたい」
顔を上げれば、少女と視線が合った。
「攫われたガキ共を助ける。協力してくれ」
蜂蜜色の瞳が瞬く。
濁りのない眼差しは心の奥底まで見透かすようで、アッシュは自然と姿勢を正していた。
少女が目を伏せ、ベッドから飛び降りる。
ドレスの裾が名残惜しげにふわりと揺れた。
「では、改めてご挨拶を」
幾重にも重ねた白のレースを摘み、少女は気取った礼をとる。
「協会より派遣されました、浄化の血族のハニです。ダグラス様、本日はよろしくお願いします」
所作から指先の一つに至るまで全て計算し尽くされたようなカーテシー。
所作だけ見ればどこぞの令嬢然としている。
そのくせ、悪戯っぽい上目遣いが心をくすぐってくるのだから、困ったものだった。
アッシュもまた立ち上がり、礼をとる。
「アッシュだ。協会のダグラスから本件を引き継いだ。仲間内では“不殺”なんて呼ばれてる。在野の狩人だが、共同任務の経験はそこそこある。よろしく」
「…………」
「騙して悪い」
改めて名乗りをあげれば、少女──ハニは唇を尖らせた。
「全然お優しくないし、変だとは思ってたんですよ。やっぱりダグラス様じゃなかったんですね」
「流石のあんたでも気付いてたか」
「その言い方、さては嫌味ですね。流石とはなんですか」
さもありなん、だ。
アッシュは肩を竦めてみせる。
「ノンキで無警戒なテンネン鬼ってこった」
「天然? 私は徹頭徹尾養殖鬼です」
天然の対義語で『人工』ではなく『養殖』を選ぶあたり、真の天然な気もする。
鼻で笑うアッシュが気に入らなかったのだろう。ハニが棒読みで手首を摩りだした。
「あーあ、いたいなー。意地悪な狩人様のせいでとってもひどい目にあっちゃったなー」
「悪い」
「真面目に謝られても困ります」
「おれが悪いんだからそりゃ謝るだろ」
「本当に痛いわけないでしょう? 天然とか言って馬鹿にしてくるからわざと言ったんです」
ハニが不服そうに顔を顰める。
完璧に再生したように見えた両手首には、よく観察すればわかる程度の微かな跡が残っていた。
「手錠の件は怒ってないです。何か事情があったのでしょうし、理解もできます」
アッシュの視線から隠すように後ろ手に手を組み、彼女は言う。
「人間から見た鬼は脅威。それは
含みのある言い方だ。アッシュの困惑を見越してか、ハニが優雅に笑んだ。
「私はカミラ様のおやつでベント様のごはん。元ニエの鬼です」
なるほど、と。
アッシュは思う。
ニエと聞き、合点がいった。
異常な回復力と人間より遥かに高い毒耐性。『人の願いを拾う』性質と、徹底して自身をモノとして扱う言動。
危ういまでに無防備で献身的な在り方は、確かにニエとしてのそれだ。
「ニエ、か」
人の都合で生み出され、肉体の全てを鬼に捧げられた挙句に、残る心までをも人に喰い荒らされる、都合の良い生命。
ましてや、この少女はただのニエではなく鬼だ。
鬼になってもニエの性質が消えないならば、それは悲劇以外の何物でもない。
同族を好んで食す鬼など限られている。もし、彼らに捨てられでもすれば、彼女は──
晴れたはずの心に影が差し、古い記憶がシミのように滲み出す。
咄嗟に上手く反応できず顔を顰めるアッシュを見上げ、ハニは口をへの字にした。
「まさかアッシュ様はニエ反対の自然派閥なのですか?
「その角度からの批判は予想外だ」
笑って誤魔化そうとするも、どうにも意識が過去へ傾いてしまう。目の前の少女を見ようとしているのに、かつての記憶が邪魔をしてフィルターがかかるのだ。
ニエにはいい思い出がない。
否、ニエそのものに罪はないのだ。
むしろ罪深いのは人であると、アッシュは今でもそう考えていた。
「まあ、なんだ。大変だな」
「何がです」
アッシュが曖昧な言動をとるごとにハニの機嫌が悪くなっていく。
初対面で号泣させてしまった手前、これ以上、不用意に傷付けたくない。そう思って、アッシュは必死に思考を巡らせた。
「“悪食”達の仲間ってことは、お前はまだ食材だってことだろ?」
「仰る通りですけど、それが何なんです」
「何って、鬼になったってことはニエの役目から解放されたんだよな。それなのにまだ喰われる側なんてのはあんまりな話じゃねェか」
おかしい。
言葉を重ねるごとに相手の機嫌がどんどん下降していく。
また泣かせてしまったら、どうすればいいのだろうか。分からない。
アッシュは視線を泳がせた。
「あのですね、アッシュ様」
ぴんと立てた人差し指をアッシュの胸に押し付け、ハニが言った。
「同情でしたら間に合ってますので、胸の内にしまってください。私は私がカミラ様達のお役に立てることが嬉しいんです」
「だが、それは、そう思うようにお前が作られているだけだろうに」
「失礼な。人間だって変わりませんよ。神様とやらが人間を特別我儘に作っただけです」
「それとこれとは違う」
「違いません。黙って」
言われるがまま、アッシュは口を閉ざす。
ハニはすっかり機嫌を損ねてしまったようだ。半眼のまま睨んでくる彼女の視線に耐えられず、アッシュは話題を変えることにした。
「そういえばお前、急にまともに話せるようになったじゃねェか」
初対面では子どものように泣き出し、簀巻きのままネジの抜けた発言を繰り返していたハニ。
これまでを思えばいくらか理性的な会話が続いている。
原因は十中八九、銀の手錠だろう。改めて、悪いことをしたと思う。
「本当に悪かったな。急にニエに戻されて、持ち主達から引き離されたんだ。不安だっただろ」
「いえ、そこは別に気にしてないです。別離不安とかもなかったですし」
「じゃあ、何であんなに泣いたんだ」
何気なく問えば、ハニは目を伏せてしまった。
またもや何かやらかしてしまったらしい。アッシュは慌てて取りなす。
「いい。答えづらい質問は無視しろ。これからの仕事にゃ関係ねェだろうしな」
「いえ、関係はあります。私の固有能力は精神の安定に寄与するものなので」
「はァ?」
「泣いたのもアッシュ様のせいじゃないです。ちょっと図星だったというか。私、お役に立てないのにって……」
ハニは一気に声を沈ませてしまった。
見れば、彼女は不安そうにドレスを握っており、その手は微かに震えてさえいる。
「お前──」
何か言葉を掛けようとアッシュが口を開いた瞬間、彼女は勢いよく顔を上げた。
「なんちゃって! また泣くと思って不安になったでしょう? 手錠の仕返しです」
そう宣うハニの笑顔は一点の曇りもなく晴れやかだ。
むしろその晴れやかさこそが不自然だというのに、自覚していないのだろうか。
アッシュは何も言えずにため息を落とす。
「まあ、いい。手錠の件はまた改めて謝ろう。そろそろ仕事でもするか?」
「良かった。やっとやる気になってくださったんですね」
「ああ、サボりすぎるとダグラスに悪いしな。それに、お前に手柄を立てさせてやらなきゃ、おれの気がすまねェ」
「私の手柄、ですか?」
不思議そうに繰り返し、ハニが首を傾げた。
アッシュは口の端を上げて頷く。
「お前、家族の役に立ちたいんだろ?」
一瞬の戸惑いの後、蜂蜜色の目を輝かせてハニが笑う。
泣き顔より笑顔の方が似合うな、などと考えてしまい、アッシュは頭をかいた。