ニエはおやつにはいりますか? 〜美味しく食べてもらうために造られた少女、なぜか鬼の家族になりました〜 作:ladybug
ベントが部屋を飛び出した時、船内は既に混乱し始めていた。
地下から響く戦闘音はいまだ続いており、銃撃にいたっては激しさを増しているほど。
廊下には数名の客と彼らを誘導する船員がおり、不安気に地下への階段のあたりを伺っていた。
「何が起きたか分かる者はいるか?」
突如背後に現れて問うたベントに船員が縮み上がる。泣きそうになっている男性船員に申し訳なさを覚えつつ、ベントは再度尋ねた。
「何があった」
「分かりません。確認に降りた職員も戻らずじまいでして、まずはお客様の避難を呼びかけているところです」
「成程。ならば、船員は避難誘導を優先するがいい。地下の確認にはおれが向かおう。多少は腕に覚えがある」
制止の声も聞かず、ベントは地下へ駆け降りる。血と埃、そして火薬の匂い。さらには無臭ながら不快な感覚が吸気に纏わりつく。
「ガスか」
薄暗い地下の廊下を少し進んだ先、廊下に数名の船員が倒れているのを発見した。
駆け寄って確認すると、生命の危険はないものの皆一様に意識がない。
異様に弛緩した顔で笑っている者、苦し気に呻いている者、泣き腫らした目を固く閉じている者など様子は様々だ。
先程の不快感と併せて考えるに、意識に作用する薬物が散布されているのだろう。
血族の力によりベントに毒類は効かない。
他者でも解毒程度なら可能だが、状態の回復までは困難だ。
ベントは倒れていた四名を纏めて担ぎ上げ、地上階へと運び出した。道中、全員に軽く牙を立てて解毒のみ済ませる。
階段を上がり切ったところで部屋から出てきたヤブと遭遇し、ベントは船員を床に下ろした。
「ベントさん、その人らはどうしたんだね」
「麻薬が散布されていて倒れたようだ。薬そのものは抜いたが回復までは面倒をみておれん。後を頼めるか」
「ああ、そりゃあ構わないが、何の」
「では任せた」
「ちょ、せめて何系の薬剤かを──!」
ヤブの叫びを無視し、ベントは再び階段を駆け降りる。
薄く漂う血の匂い。
この香りは。
狩人の部屋から回収した髪飾りを握り、ベントはぎりりと歯を鳴らした。
争いの音は地下の奥深く、客の立ち入りを禁じた最下層から響いている。
貨物類を積んだ区画だろう。
ベントはガス漂う廊下を進んだ。
全力で急ぎたいところだがそうもいかない。鬼が本気で踏み込めば床どころか周辺の壁まで破損する危険があるのだ。
ベントは鼻をひくつかせ、眉を顰めた。
血の匂いが濃くなっている。
途中、ドアノブが壊されて僅か開いた扉を見つけ、部屋の内部へと滑り込む。
船員用の居住スペースらしきその部屋の床には、切断された手首が二つ。
見慣れた褐色の手と僅かに溢れた血の痕跡を見て、ベントは表情を険しくする。
「ハニめ、自分から切ったな」
件の“不殺”が同行しているのは間違いない。
ただ、この痕跡だけでは二人がどのような対話を成し、何を目的として動いているかすら不明瞭だった。
ガスのこともある。
第三者、まず間違いなく今回の人身売買に携わる輩も動いていることだろう。
急がねば。
騒動の発生源もほど近い。早々に合流しなければ、あの新生はいくらでも無茶をする。
ベントはハニの残した手を拾いあげ、外套の内ポケットに捩じ込んだ。
後程つまもうなどと思ったわけではない。放置して騒動になったら面倒だからである。
◇
何故、こんなことになったのか。
その鬼は積荷の陰に隠れ、息を殺していた。
「隠れんぼか? 生憎と付き合ってやる筋合いはねェなァ」
荒々しい靴音が響く。
続いて発砲音。
数歩先の積荷が崩れた。
おかしい。威力が高すぎる。
追手は人間だ。血の匂いを確認した。間違いなく人間だったはずなのだ。
だというのに何故だ。
何故、こちらが隠れなければならない。
鬼と人。狩る側と狩られる側の摂理を無視して、狩人が銃を構えた。
狩人の背後から甘やかな声が響く。
「狩人様、そんなにばかすか撃ってたら船に穴が開きませんか?」
「射線にゃ気をつけてる。問題ねェ」
「そうだとしても、弾が勿体無いですよ」
「どうせ経費は協会持ちだ。小言を言ってねェで、お前はお前の仕事をしろ」
「もう終わりましたもん」
「上出来だ」
片手銃とは思えない轟音。
破壊されゆく積荷の防壁を見つめ、鬼は荒い息を押し殺した。
暗がりの中、発砲の度に火花が散る。
的を外したわけではなく、まずは隠れる場所を潰しているのだと理解し身体が震えた。
相手は二人。
狩人の男と鬼の女。
狩人は鬼の攻撃を悉くいなし、隠していた商品の殆ども鬼の女が瞬時に見つけ出してしまった。
聞いていない。こんな追手がついているなどとは知らなかった。知っていれば手を引いていた。
鬼がこの商売に加担し始めたのは一年ほど前のこと。
誘われた理由は単純だ。
誘拐が得意だった。
人攫いには慣れている。人であった頃からの生業なのだから当たり前だ。
鬼となり固有能力に目覚めてからは、さらに仕事が楽になった。最近では一度に十人以上まとめて取引しているほどだ。
今回にいたっては、依頼主の意向で攫った人間の内数名を鬼にし隷属させた。
あとは相手の好事家に引き渡すだけだったのだ。
それが、なんだ。
何故、こんな目に。
底辺を這いずり回り、そんな人生に嫌気がさして、人道とやらを捨ててやった。
そうして外道に身を堕としても人は弱く、そのくせ望みだけが膨らむものだから、重い身体を捨てたくなった。
道の果て、鬼となった。
全てはこれからだった。
やっと。
やっと、食う側に回れたのに。
こみ上げる怒りに視界が揺れる。
人より優れた聴覚がさらに過敏となり、衣擦れの音すら針となって鬼を苛む。
「……見つかりませんね。逃げられちゃったんじゃないですか?」
「退路は塞いだじゃねェか」
「うーん、もしかしたら霧全般に関する能力持ちなのかもです。毒霧だけじゃなくて、自分の身体を霧に変えた、とか」
「成程な。通気口から逃げたわけか」
金属音が響く。
狩人が銃を下ろしたのだ。
「まァ、いい。捕まってた人間は全員見つけたんだな?」
「はい。ええと九人かな。皆眠ってます」
「霧の影響か。まったく厄介な能力だ」
「狩人様も酷い目をみましたものね」
「言ってろ」
くすくすと笑う声。鬼の女だろう。
狩人は僅かにくぐもった声で応えている。口元を覆う布のせいだ。
鬼の女はともかく、人間の狩人には能力が通じるとみていい。
鬼が持つ力は二つ。
毒薬の血族としての力と、固有能力『煙霧』。
二つの力を合わせれば、薬物や毒を無色透明の霧に変化させ、限定空間に散布できる。
狩人達は能力の全容を把握しておらず、都合良く誤解すらしてくれているようだ。
また、商品に関しても同じく誤解している。
今回の商品の数は十一。
人間九人と、転化し隷属させた鬼二人である。
次第に落ち着いてきた鬼はにたりと笑う。
このまま狩人達をやり過ごし、残った商品を売る手もある。
しかし、それだけでは大損ではないか。
敵の二人が油断している今ならば、奪われた商品を取り戻せる。場合によっては、鬼の女を捕まえて売ることとてできるかもしれない。
遠目に一瞬見ただけでも分かるほどに、鬼の女は美しかった。
そうだ。
何を怯えていたのだろう。
馬鹿馬鹿しい。
陰に隠れ潜む必要などなくなったというのに。
鬼になって以来、商売は常に安定していた。追手がついたのは今回が初めてだ。
経験がないものだから、人間だった頃と同じように逃げて息を潜めるなどという選択をとってしまった。
今思えば、まったく馬鹿げている。
せっかく鬼になったというのに、心は人間のまま。人を食い物にし力を持ってなお、惨めで小っぽけな外道の生き方を続けていた。
人間だった頃とは違う。
今、この身体は鬼なのだ。
鬼は、喰らう側の生き物だ。
「────……」
まずは狩人を殺す。
その肉を喰らって鬼の女を殺す。
やれる。
絶対に殺してやる。
鬼は歪んだ笑みを浮かべた。