ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
銃口を下ろし、アッシュは密かに視線を巡らせた。
ここは地下通路をさらに下った先にある貨物室だ。
無数にある積荷の幾つかを撃って壊し、最低限の見通しだけは確保した。
それでも辺りは暗く、通路らしき通路はない。
貨物室に入る前、ある程度の情報は得た。ハニの感知頼りであり、室内構造までは分からなかったものの、結果は概ね良好だった。
アッシュ達が貨物室に入った直後、物陰から襲いかかってきた敵は鬼一体。
恐らく戦闘経験はそう高くない。
膂力や速度は鬼のそれでありながら、身体の使い方がまるでなっていなかった。
アッシュの、つまり人間の体術で捌ける程度なのだから底が知れている。
ここにきて応戦せず逃げ回っていること。加えて毒霧を放つ能力を思えば、元より搦手を好む臆病な輩なのだろう。
近くに敵の気配はない。
毒霧避けのタオルが鬱陶しく思え、アッシュは盛大に舌打ちした。
「ったく、鬼一匹捕まえられねェとはな。この分じゃ碌な金になりゃしねェ」
遠慮なく不満の声を上げたアッシュにハニが返す。
「まあまあそう言わず。経費は協会から出るんでしょう?」
「経費だけ出たところで飯は食えねェの」
「仕事が終わったら、ここのご馳走を食べて帰ればいいじゃないですか」
「一日だけたらふく食っても人間は生きていけねェんだよ」
「不便ですねえ」
揶揄するようにハニが言う。
彼女は壁際に集めた被害者達を守りつつ、辺りを警戒していた。
声だけは軽やかに話を続ける。
「人間側の悪党はまだ見つかってないんです。パーティ会場を調べなきゃ」
「パーティ、か。ああいう場所はどうも苦手だ。気取った奴ばかりで気が滅入る」
「まあまあ。あと少しの我慢ですよ」
ハニが被害者の一人に微笑みかけた。毒霧の中で唯一意識を保っている少年だ。
少年は身体を震わせているが、声を発さない。否、話せないのだ。ハニがハンカチを持った手で彼の口を覆っているからである。
少年を抱え込んだまま、ハニが視線を上げる。
暗がりで輝く蜜色の瞳。
その視線の向かう先に気付き、アッシュは無言で頷いた。
いる。
意志の感じられない塊が二つ。身動き一つしないくせに息を潜めるでもなく、眠ってすらいない生物の気配がした。
アッシュの後方、左右に一体ずつ存在するその生物達が動き出す。
振り返り見れば、そこには少女が二人、立っていた。
「ここはどこ? おうちに帰りたい」
「おにいちゃん、たすけて」
毒霧の中、少女二人がふらふらと進んでくる。
顔つきがよく似ている。恐らく姉妹だろう。
頼りない足取りに光の灯らない目。
明らかに様子のおかしい二人を放置もできず、アッシュは構え直していた銃を下ろし、積荷を蹴り壊して道を拓く。
しかし、二人は途中で蹲ってしまった。
「うまく歩けない」
「こわいよ」
抑揚のない声で訴える二人へと駆け寄り、アッシュは片膝をついた。
そして、安心させるように腕を広げる。
「もう大丈夫だぞ。ほら」
「ありがとう、おにいちゃん」
少女二人が腕の中に倒れ込んできた。
二人を危なげなく受け止めたアッシュは、背後を振り返り、ハニへ文句を言う。
「お前、全員見つけたって────」
「お姉ちゃんは間違ってないよ」
アッシュの口元へと手を伸ばし、少女の一人が呟く。
少女はにたりと嗤った。
「だって、私達は人間じゃないもの」
抵抗する間も無く、マスク代わりのタオルを奪われる。
咄嗟に後退するももう遅い。
アッシュは襟首を掴まれ、呆気なく床に引き倒されてしまった。
少女達の手を引き剥がそうと踠くがびくともしない。子どもとは思えない力だ。
「────よくやった」
積荷の陰、どんよりと重い暗がりの向こうから声がする。
性根を隠しきれない腐臭漂う下衆の声だ。
声の主は勿体ぶるようにゆっくりと歩き、姿を現した。
見窄らしい姿の男だ。
煤けた外套は所々解れて汚く、痩身は枯れ木のように曲がっている。
落ち窪んだ目だけが爛々と光る様は異様としか言いようがない。
仰向けのまま抑え込まれたアッシュを見下ろし、その男は弛緩した笑みを浮かべた。
「ざまあないなあ、狩人さんよ」
にたにたと実に嫌らしく嗤う鬼はアッシュへと歩を進める。一度足を止めた彼はアッシュではなくハニへ向かって声を張り上げた。
「鬼のお嬢ちゃん、お前は動くなよ。一歩でも近付いてみろ。こいつの首を圧し折ってやる」
その一言でハニが動きを止める。
少年を抱えた腕とは逆の拳を握りしめ、彼女は悔しそうに顔を歪めた。
「その顔、いいねえ。高く売れそうだ」
己が勝利を確信したからだろう。だらしなく口元を緩め、鬼は下卑た言葉を垂れ流し始める。
「田舎のガキ二人っぽっち鬼にしたくらいじゃ大した額にならねェ。てめェらも商品に加えちまえば暫く遊んで暮らせるだろうよ」
「あの姉妹は、あなたが転化させたんですか」
「んん? なんだって?」
「彼女達は少し前まで人間でしたよね。あなたが転化させたのかと聞いているんです」
「よく分かったな。そうだとも。人間じゃあ長く保たねェから、最近じゃ数匹鬼にしてから売ることにしてる」
アッシュを跨いでハニに歩み寄り、鬼は言う。
「今日の客は大層いいご趣味をしていてな。奴隷の頭がイカレるまで嬲って嬲って嬲り尽くすのが日課らしい。タフな商品は大歓迎だとよ」
鬼はハニの顎に指を滑らせた。
抵抗がないのをいいことに、いやらしい手付きで彼女の頬を叩いて宣う。
「こんな上玉を廃人……いや廃鬼か? ぶっ壊しちまうのは勿体ねえがなあ。売り物じゃなかったらおれが遊んでやりたいくらいだ」
鬼は上機嫌にけたけたと笑った。そして、その後も下劣な言葉を垂れ流しながら、ハニの身体へ無遠慮に触れ続ける。
ドレスから伸びる腕や足を撫で悦に入る顔はなんとも悍ましい。
「いや、そうか。どうせ壊れるんだ、少しの味見くらい構わねェ」
「…………」
「いいねえ、その目。お高くとまって、自分が喰われる側だってのをまるで分かっちゃいない面だ」
「私をどうする気ですか」
「そりゃあまあ、なあ? 心配しなくていいぞ。おれの霧は特別製だ。理性なんざすぐにぶっ飛んで、何も────おい」
勝機を確信し驕りを見せていた鬼は、ある一点を見て表情を変え、低い唸り声を上げる。
「おい、てめえ。どういうことだ。何故、ガキが目覚めてやがる」
鬼の視線が向かうはハニの背後。ハンカチで口を押さえ、毒霧から守られた被害者の少年だ。
震える少年を見下ろし、鬼は声を荒げた。
「商品は全員眠らせたはずだ! おれの霧を喰らって意識を保っているわけがねェ!」
狼狽した鬼が声を上擦らせる。
少年を掴もうと伸びてくる鬼の手を払いのけ、ハニが溜め息をついた。
「ねえ。もういいでしょう、狩人様。余罪は後で調べればいいじゃないですか」
「てめえ、何を言ってやがる! ガキを寄越せ、今すぐにだ!」
「うるさいなあ、もう。私、下品な殿方とは喋らないようにってレインから言われてるんです。狩人様、早く」
ハニは鬼を完全に無視して催促してくる。
その言葉と表情に結構な苛立ちが含まれていることを察し、アッシュは視線で合図を送った。
「待ってました。えい、よいしょ!」
ハニが鬼の右足を鷲掴んだ。
無駄な足掻きとでも思ったのか、鼻で笑った敵はしかし、次の瞬間には絶叫していた。
「あ、ぐあああ!?」
周囲に赤が飛び散る。
恐るべき握力で敵の右足を握り潰したハニがさらに前進。
敵の左足をも掴み、にこりと笑った。
「左足もいっときますね。よいしょ!」
「ああああ!」
「ひいいいい!? 足! 人の足が!」
敵だけではなく、ハニの腕から逃れた少年までもが叫び声を上げる。
声変わり前の澄み切ったボーイソプラノが地下に響き渡った。
見知らぬ鬼に攫われ恐怖の日々を過ごし、毒を喰らって悪夢に苛まれたと思えば訳の分からない二人組に救出され、絶世の美少女に口を塞がれ続けた後、その美少女のせいで真正面から鬼の血を引っ被ったのだ。
叫びもする。
言葉にならない叫びを上げ続ける少年の口を再び塞ぎつつ、ハニが敵を蹴り上げた。
一撃で天井に叩きつけられた敵が血反吐を吐いて転がる。
「ボク、だめじゃない。毒が撒かれているからハンカチを口に当てているよう教えたでしょう」
「ううう、う、ううう」
妙に優しく穏やかな声音でハニが言うものだから、少年は怯え切って何度も頷いている。
もはや敵よりハニの方が怖いとでも言いたげな顔だ。
少年の涙を見て忍びない気持ちとなり、アッシュはもそりと身動ぎをする。
未だにアッシュを押さえ続けている少女二人。純粋な被害者である彼女達には申し訳ないが、もう限界だ。
マスク代わりのタオルを奪われ、息を止め始めてからはや数分。
幼少期に素潜りで鍛えたとは言え、さすがに新鮮な空気が恋しい。
それに、である。
ハニが下卑た視線に晒されていること。
それがどうにも許せないのだ。
即席とはいえ、バディはバディ。
彼女が粘って情報を引き出した分、こちらも迅速に動くべきであろう。
アッシュは背中をバネにして反動で飛び起きた。虚ろな目で飛びかかってくる少女らを半身でかわし、よろけた二人の手首を纏めて掴む。
なおも少女達は止まらず、迫る牙は鋭い。
だが、彼女達の動きは精彩を欠いていた。
当然だ。二人はつい先程まで非力な人間の子どもであった上、今も自由意志を奪われたままなのだから。
研がれていない牙など、何の脅威になろうか。
悪いな。
アッシュは心の中で詫びを入れ、少女らの腹へと膝を叩き込んだ。
少女達が身体をくの字に折り曲げて呻く。
膝をつき、胃液を吐き出しながら、それでも彼女達は立とうとする。
止まらない。否、止まれないのだ。
隷属化とはそういう現象である。
アッシュは銀の手錠を取り出し、二人の手首を繋いだ。
転化直後に内臓へのダメージを喰らい、さらに銀で拘束されたのだ。暫くは動けないだろう。
互いを支え合うように頽れた少女らを傍へと退避させ、床に放置されていたタオルを拾い上げる。
タオルを口布がわりに巻きつけ、止めていた呼吸を再開。アッシュは肩を一回しし、もう一つの戦場へと意識を向けた。
視界に飛び込んできた光景に、乾いた笑いが漏れる。
「気の毒なこった」
見えたのは、両足首を圧壊されて床を這いずる敵の姿。そして、中途半端に千切れた敵の両足を握り、逃走を阻止するハニの勇姿であった。
「くそが……! 何故逃げられねえ!?」
「私が足を握っているからです」
呻く敵をハニが煽る。
本人としてはただ質問に答えているつもりなのだろう。だからこそタチが悪いと言える。
アッシュは控えめに制止した。
「おい、そろそろやめてやれ」
確かに、『優先して手足を潰せ』と事前に伝えてはいた。ただし、それは動きを殺せば安全という意味である。
ひたすら回復を阻害し続けて心を折ってしまえ、という意味ではない。
「早かったですね。もういいんですか?」
「目的は果たした。あとはおれがやる」
拘束済みの少女達を親指で示してみせれば、ハニがいそいそと立ち上がる。
「交代ですね。任せてください」
言うが否や、彼女は敵の両足をむんずと掴んだ。
仰向けに引き摺られる敵
その足首を己が脇の下に挟み込んで大旋回。
さんざん勢いをつけた後、ハニは掛け声をあげた。
「えいや!」
見事なスイングとスロー。
投げ出された敵が悲鳴を上げて飛んでいく。
その身体は貨物室の最奥、そのまた天井へ激突し、血濡れた音を立てて落ちた。
「よし! あとはあちらでどうぞ」
やり切った笑顔で額の汗を拭う様はまさに運動後の美少女。しかし、その実、全身血塗れなので始末におえない。
ドレスも手も返り血で赤く染めているくせに、妙に洗練した立ち姿がかえって不気味だ。
「私は引き続き被害者の皆さんを守ります。悪鬼のお相手はお任せしますね」
「お、おう。そうだな。任せたわ」
ちなみに、それまでハニが守っていた少年は、口から泡を吐いて倒れていた。特等席でスプラッタを目撃させられ気絶したらしい。
毒霧による悪夢と現実のスプラッタ、精神的被害はどっこいどっこいではなかろうか。
「気の毒にな……」
またもやアッシュは呟く。
敵に対しての皮肉とは違い、今回は純粋な同情の言葉である。
協会のアフターケアがうまくいくことを祈るばかりだ。
無力化された少女達を抱き上げるハニと交代し、アッシュは貨物室の最奥へと向かった。