ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
放物線を描いて飛んでいく手榴弾を見て、アッシュは失策を悟った。
鬼を殴りつけて無力化し、間髪入れずに身体強化を発動して疾走する。
一秒にも満たない判断と行動。
しかし、それでもなお、遅すぎる。
手榴弾のピンは抜かれてしまった。
向かう先はハニや被害者達のいる部屋の入り口付近。ハニはともかく人間の被害者はひとたまりもないだろう。
コンマ数秒をさらに引き延ばした高速思考。両脚の筋肉と骨を度外視した無理な疾駆。
鼻から血が流れ、足がみしりと異音を上げた。
明確な解決策を見つけられないまま、それでもアッシュは更なる加速を試みる。
間に合え。
我武者羅に走り、手榴弾に手が届く、その間近。
「えい!」
前方にいたハニが気の抜ける掛け声と共に跳躍し、手榴弾を掴み取る。
瞠目するアッシュを見つめ、彼女は笑った。
「交代ですね」
アッシュとハニの手が重なった。
まるでハイタッチのように掌を叩いてからアッシュの手を握り込み、ハニが身体を回転させる。
「痛かったらごめんなさい!」
耳元で鳴る風切音。
次の瞬間、アッシュの身体は空中に放り出される。
安全圏へと投げ飛ばされたのだと、気付いた時にはもう遅かった。
アッシュは入り口付近の積荷に激突し、拳を握りしめる。
「────ッ!」
駆け抜ける感情を全て捩じ伏せ、今、この瞬間にやるべきことを意識した。
アッシュは即座に体勢を立て直し、被害者の子ども達へと覆い被さって地に伏せる。
目を閉じるその直前、アッシュは見た。
貨物室の中央に滑り込むハニ。
積荷の密集する区画に身を投げ出し、手榴弾に覆い被さるその姿を。
甲高い炸裂音。
そうして、鬼の少女は砕け散った。
◇
貨物室のドアを開けた瞬間、何かが弾けるような音が響いた。
緩く流れる風に乗って流れてくるのは濃密な血肉の香り。馥郁たる芳香には覚えがあった。
顔を顰めたベントは掌で口元を覆い、辺りを見回す。
入り口付近に十人余りの集団。
多くが人間の子どもで、意識を失った彼らの上には赤毛の男が覆い被さっていた。
部屋の最奥にも気配がある。
鬼であることしか分からないが、状況を見るに倒された後らしい。
積荷の並ぶ区画、そして貨物室の壁や天井には弾痕や亀裂など、戦闘の痕が見られた。
特に部屋の中央辺りは損壊が激しい。
積荷はあらかた崩れ去り、夥しい血と肉片が放射状に飛び散っている。
先の炸裂音の爆心地はここだろう。
子ども達を庇っていた赤毛の男が身を起こす。
青褪めた顔からは一切の血の気が感じられない。
食い入るように中央の惨状を凝視した後、彼はくしゃりと顔を歪めて力なく床を叩いた。
「くそ」
ベントもまた目を伏せ、硝子の髪飾りを握り締める。
いくら鬼とて再生の限界がある。
全身、特に脳に重篤なダメージを負えば、どれほど強く頑健な鬼であっても死は免れない。
爆発の中心にあって、木っ端微塵に砕けてしまったであろう彼女が生きているはずもなかった。
「ハニ」
掠れた声で名を呼ぶ。
答えはない。
────と、思いきや。
「もしかして、ベント様、そこにいますか?」
何かを喉に詰めたような、あるいは溺れかけているような、水っぽい音を含んだ声が聞こえた。
中央の爆心地。
こぽこぽと音を立て、赤黒い塊が身を起こす。
やがて塊を覆う血が滴り落ち、その下から褐色の肌が現れ始めた。
骨、内臓、足、腹、胸、そして下顎。
それは順に完璧な人型を取り戻していく。
「ベント様、いますよね? 何か着る物を貸していただけないかと……は、恥ずかしいので」
消え入るような声で囁き、ハニと思しきそれが自身の身体を抱きしめる。
元々着ていた服は爆発で引き千切れ、見るも無惨なボロ切れに変わってしまっていた。
「ベント様? あの、服をですね。ドレスとまでは言いません。布でも大丈夫です」
やや再生速度を落としつつ、彼女は立ち上がり、困ったように血塗れの両腕を彷徨わせた。
ニエと鬼のハイブリッド、超回復の化身であっても、流石に脳の再生には手間取るらしい。
しかし、この場合、彼女は一体どの器官で思考しているのだろうか。
「ベント様?」
お互いが見える位置に立っているのだが、ハニは全く逆の方向を向いていた。
顔の上半分が吹き飛んだままだからだろう。
要は前が見えないのだ。
驚愕と安堵、そして呆れで物が言えないベントの耳に、何かが倒れるような音が届く。
見れば、入り口にいた子ども達の内の一人が白目を剥いて倒れていた。
否、先程から既に倒れていた気もする。
体勢が変わっているところを見ると、一度は気絶から目覚めたものの、ハニを見てまた気絶したようだ。
「……な、んで。死んだんじゃ」
掠れ声で呟く赤毛の男もまた、呆気に取られたような顔でハニを見ていた。
全身の装備と負傷、何よりこの状況下で正気を保っていられる耐性の高さから察するに、まず間違いなく狩人。
彼が“不殺”のアッシュだろう。
悍ましくも希望のある惨劇を眺めていたアッシュがふとこちらを見た。
目を見張ったままハニを指差す彼に、ベントは重々しく頷いてみせる。
何を肯定しているのやら。
自身でも分からない。
分からないが、とりあえず。
「大丈夫だ」
何が大丈夫なのかは訊かないでほしい。
当のハニはといえば、応えないベントに愛想を尽かし、一人で部屋の奥へと向かっていく。
そちらに布類があると踏んだのかもしれない。
確かに、貨物室の最奥部にはリネン類の残骸と思しき白い布切れが散らばっていた。
「ぎゃあああ!?」
部屋の最奥付近で汚い悲鳴が響く。
聞き覚えのない声だ。
あれは倒れていた鬼だろうか。
何が何やらさっぱり分からない。
ベントは眉間の皺を親指で押し潰す。
ただただ深いため息が溢れた。
────暫くの後。
各々の衝撃から気を取り直し、一行は行動を再開していた。
ハニが部屋の隅で血を拭って身を整える間、アッシュが今回の下手人である鬼を引き摺り再拘束する。
聞けば、先程の爆発は下手人の最後の悪足掻きだったらしい。
今度こそ完全に抵抗を封じられ、卑しい暴言を垂れ流し続けるも相手にされていない。その様はもはや哀れなほどである。
ベントはというと、無理矢理転化されたという鬼の姉妹を前に渋面を晒していた。
「──……」
「──……」
気絶から目覚め、無言で見つめてくる幼い二人。その虚ろな目を見返し、ベントは拳を握り締める。
誘拐の被害者。
無理矢理の転化。
思うところは山ほどある。
山ほどあるが、言ったところで何になろうか。
仕方ない。
そう言い聞かせ、二人の手を取った。
なるべく痛みがないように、と彼女らの腕に指を押し付けて圧迫し、軽く牙を立てる。
浄化の血族は古き鬼の一角だ。
当然ながら血の力は強大で、並大抵の血族では比べるべくもない。
隷属化の上書きは一瞬で完了し、少女らの目に光が戻った。
不思議そうに瞬いた姉妹が、目の前のベントを見上げる。
「「────!?」」
視線が合ったと思えば、彼女達は一気に青褪め、ガタガタと震え出してしまった。
「わたしを食べるの? お姉ちゃん、こわいよ……」
「お願いします! 妹だけは助けてください!」
少女達はお互いを抱きしめ合う。
意識が戻ったら、目の前に口元を血で汚した厳つい男がいたのだ。当然の反応である。
なお、隷属化は既に解除しており、姉妹には自由意思が戻っている。
鬼の隷属化は牙を介した接触により自動的に生じる現象だが、主人側で任意に解除することができるのだ。
耐えきれず泣き出した妹を抱きしめ、姉が決死の表情で微笑む。
「大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげるからね」
眦には涙。
まだ幼い姉妹の覚悟と恐怖をどう扱っていいか分からず、ベントは沈黙した。
「ベント様、代わりましょうか」
近付いてきたハニが問いかけてくる。
ほぼ裸体の上からシーツを巻きつけただけのひどく扇情的な姿だ。
ただし、拭いきれない血の赤と匂いのせいで、存在のジャンルがホラー寄りである。
恐怖の食肉男に次いで、血臭漂う絶世の美少女が現れたものだから、鬼の姉妹はさらに萎縮してしまった。
もはや言葉もなく震えて涙する二人に、ベントは精一杯の笑顔を向ける。
「安心しろ、おれ達は──……待て。待ってくれ。何故号泣する」
「ベント様のお顔が怖いからです」
容赦ない新生のコメントが、ベントの心に突き刺さった。