ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
「あら、もう終わり?」
地下の騒動を受け、甲板に移動するパーティ客の列の中、カミラは驚きに目を丸めた。
その掌には協会の連絡木札が乗っている。
『犯人捕縛。被害軽度。ハニ無事。ベント』
ベントからの短文メッセージを眺め、カミラは小さく安堵の吐息を漏らした。
「カミラ殿、どうかなさったので?」
「いいえ。宴もたけなわとはこういうことかしらと思っただけよ」
話しかけてきたのは人間。
社交界でも顔と名の知れた男だ。
彼には以前から目をつけていた。
カミラは知っている。
この男の持つ、鬼にも人にも通じる人脈。不自然に見えない程度に豊かな資金繰り。
協会外、とりわけ“自然派”と呼ばれる特殊共生主義一派と裏で繋がっていること。
共生社会に巣食う屑虫らしく、鬼を遣って人を攫い、富と快楽を貪っていること。
子どもの血の匂いが染み付いた、ひどく鼻につく笑みも。
臭い。
ひどい悪臭だ。
都会のドブを残らず浚ってもなお、この男よりはマシだろう。
カミラはワインを煽り、口元を押さえる。
我慢を重ね接触したものの、さして欲しい情報は得られなかった。
もう協会へ引き渡しても構わない。
ベントとハニも仕事を終えたようだから丁度良かった。
早く、二人と会いたい。
慣れ親しんだ香りに新しい甘露。彼らの血肉に触れて気持ちを落ち着けてしまいたい。
そうでなければ、苛立ちと失意のあまりに目の前の下衆を潰してしまいそうだ。
甲板へ向かう行列はゆっくりと進んでいた。
その間にも地下の騒動自体は収まりはじめ、客は皆、互いの顔を見合わせて足を止める。
「もう危険はありません。皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、今一度、会場へとお戻りください」
避難誘導を行う船員が声を張り上げた。
道を戻り始める先頭の人々に後続の客が倣う。
カミラの前を行っていた男もまた、道を引き戻そうと踵を返した。
「パーティはまだ続くようです。カミラ殿、戻りましょう」
目を細めて話す男を見上げ、カミラは静かに笑う。
「ねえ、人間。お前達はなんて哀れなのかしら。あの程度の催しを宴と呼んでいるなんて可哀想」
「……はい?」
「お前が望むなら、私達のパーティに連れて行ってあげてもいいわ」
パーティ会場へ引き返す人々の流れに逆らい、カミラは甲板への道を進んだ。
「ご馳走も出るわよ。お前好みの子だって沢山いる。持ち帰るのもいいかもしれないわね」
騒めきの中、男が唾を飲む音が聞こえた。
男はぎらつく目を隠しもせずに無言で立ち止まっている。
「お互い楽しみましょうよ。私達はね、お前の食べ残しだって美味しく頂けるのだから」
何を今更、躊躇うのだろうか。
人間ほど欲望に忠実な生き物はいない。
引き返すことなど、選択できるはずもないくせに。
カミラは手を差し伸べ、微笑んでみせた。
「来なさい、人間。本当の食事を教えてあげる」
灯りに誘われる蛾のごとく、男がふらふらと近付いてくる。カミラは待つことなく、甲板へと歩を進めた。
あとは全部、口煩い後輩に押し付けてしまえばいい。これは本来アルエの仕事であったのだから、文句を言われる筋合いもないはずだ。
亜麻色の髪を揺らし、カミラは先を急ぐ。
◇
甲板で待機していたアルエに下衆人間を押し付け、カミラは一人、自室へと戻っていた。
快適も快適、悠々自適である。
人数分の寝台に煌めくシャンデリア、やたらと広いウォーキングクローゼット。その豪勢さといったら、ドアの重さや絨毯の毛足からして違う。
「はー……たまにはこういうのもいいわよねえ」
カウチソファにしなだれかかり、カミラは伸びをする。
普段はこじんまりとした屋敷に暮らすカミラであるが、大昔はそれなりの家格をもった良家の子女でもあった。
大勢の使用人に囲まれ、日々ドレスを身に纏い、淑女の礼節を学んで社交に興じていたのだ。
家族や許嫁もいたし、友人もいた。
結局のところ、それらは皆、呆気なく失われてしまったわけだが。
カミラはソファで横になり、ぼうっと天井を眺める。
「ねえ、レイチェル。あなたのせいで、私ったら没落してしまったわ」
かつての友に呼びかけた。
当然ながら答えはない。
カミラは一人、くつくつと笑う。
「あなたの言う通り、欲って大したものね」
下衆の悪臭を誤魔化すために入れた酒精。それはカミラの思考を緩ませ、解いていく。
長年紡ぎ続けて絡まりきり、カミラ自身ですら分からなくなってしまった想いが露出して、胸に僅かな痛みを伝える。
「本当に……厄介だわ」
カミラは目を閉じた。
いまや眼裏に残るばかりの光景。
裏を返せば戻らない過去に未だ眼を焼かれているということ。
馬鹿馬鹿しい。
酔っているのだ。
酒が入るとどうにも感傷的になって困る。
ふるりと頭を振り、カミラは呟いた。
「あの子達ったら、どうして帰ってこないのかしら」
テーブルの上に放り出していた連絡木札に手を伸ばす。何度眺めすかしても新たなメッセージは届かず、カミラは唇を尖らせた。
身体の中心に力が入らないような、足下の砂が常に崩れていくような、どうにも堪らない心地がする。
パーティ会場が騒がしかったから、その反動だろうか。
それとも、この数ヶ月ほど歓迎会や勉強会で忙しかったからかもしれない。
とにかく、今は静寂が耳に響く。
足をジタバタさせてみたり、ソファの上を転がってみたりしたものの気持ちは落ち着かず、カミラはソファから身を起こした。
帰ってこないのならば仕方ない。
「迎えが必要だなんて、手のかかる子達ね」
齢八百数年の古き鬼は独りごつ。
その目は柔く笑んでいた。