ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
血族長がセンチメンタルに酔いどれていた頃、ベントとハニ、そしてアッシュは後処理に追われていた。
「はいはい、確かに。色々段取りが上手くいかなくて迷惑をかけましたね。申し訳ないです」
言葉より数段軽い態度で謝罪するのはアルエ。
現協会長付き秘書にしてハードワーカーの鬼である。
今回の仕事は本来ならアルエが担当し、ベテラン狩人ダグラスと組んで解決する予定であった。
しかし、別件で大きなヤマが動いてしまい、アルエは一時撤退。代わりにと浄化の一族が出張ることになったわけである。
問題はこの交代とほぼ同時に狩人側でもイレギュラーな引き継ぎが行われていたこと。
アルエもダグラスも協会へ報告を入れてはいたが、現場の動きの方が早く、混乱が生じてしまったのだ。
「連携も取れず大変な中で、これは大金星ですよ。頑張りましたねえ、ニエちゃん。あっ、今はハニちゃんでしたか」
木札で協会本部と連絡を取りながら、アルエが言う。
「あれから三ヶ月ぽっちで随分と綺麗になっ……てないな。また血塗れじゃないですか。ていうか服がシーツ一枚ってどういうこと? もしかしてお家で冷遇されてます?」
「大丈夫です。これはちょっと爆散しちゃっただけなので」
「嘘でしょ。ハニちゃんってば、またバラバラ死体になってたんですか?」
アルエの身も蓋もない問いに対し、ハニが首を振る。
「まだ一度も死んでません。でも、今回も服を駄目にしてしまいました」
「心配しなくても、先輩はあれで大金持ちだし、お洋服くらいまた買ってもらえますよ」
アルエに慰められるもハニは浮かない顔だ。
肩を落としてとぼとぼと去っていくその背中を眺め、ベントとアルエは顔を見合わせた。
「どうしたんですかね、彼女。仕事も上手くいって万々歳だってのに、しょぼくれちゃってまあ」
「イレギュラーが多かったからな。疲れたのではないか?」
「まあ新人さんですからねえ。働きすぎでお腹が減っちゃったかな?」
アルエもこう見えて古株の鬼。ハニ程度の新生は子どもどころか赤ん坊に見えるのだろう。
しかし、その赤ん坊の世話を主に行っているベントとしては、何となく納得がいかない状態だ。
「どうだろうか。ハニは異様に燃費がいいから大した損耗はないはずだ」
「そんな冷たいことを言って! ベント君、あの子のお世話できてます? ごはんはちゃんと食べさせてますか? カミラ先輩はポンコツなんだからキミが頼りなんですよ?」
親戚のおばちゃんが如く詰め寄ってくるアルエに閉口し、ベントは曖昧な笑みを浮かべた。
数歩後ずさったところでアルエの連絡木札が振動、これは好機とベントはその場を後にする。
「あっ、ちょっと! 逃げましたね、もう!」
憤慨するアルエから離れ、ベントは周囲を見渡した。
今回は探し回るまでもなく、ハニは甲板の端で海を眺めていた。
物憂げに黒髪を靡かせた彼女は、そっと自身のこめかみに触れて目を伏せる。
思い返せば、先程から時折同じ仕草を繰り返しているようだった。
「どうした。頭が痛むか?」
「いえ、大丈夫。何でもないです」
何でもないようには思えない落ち込みぶりだ。
ベントは眉根を寄せて考え、しばらくしてやっと思い出す。
ポケットを探り、取り出したのは髪飾り。
白百合を模した硝子細工だ。
「ハニ、手を出せ」
不思議そうにしながらも出された両手に、髪飾りを乗せてやる。
「忘れ物だ。巻き込まずに済んでよかったな」
蜂蜜色の目がキラキラと輝く。
心の底から嬉しそうにはにかむ少女の頭を撫で、ベントは告げた。
「今回の件、お前はよくやった」
「それは……ベント様とカミラ様のお役に立てたということですか?」
「おれ達というよりは社会の役に立った形だな」
問題はいくつか残るものの、事件は解決した。
不測の事態に陥る中で、自ら思考し行動した点は誉めてやるべきだろう。
それはそれとして、だ。
気になることもある。
ハニの手首にうっすら残る傷痕を見つめ、ベントはため息を吐いた。
このくらいなら見逃してやるか。
それとも、きつく叱るべきか。
人生経験としてならばいざ知らず、ベントの鬼の生においては新生教育など初めてであるからして、勝手が全く分からない。
そもそも、ハニの行動の意図からして理解できていないのだから叱りようもなかった。
「おい、ハニ」
「はい?」
ベントは腰を屈め、ハニの耳元で囁く。
「銀の手錠があってもニエの力は使えたんだな?」
「はい、もちろんです」
「ならば何故、手首を落とした。身体を小さくすればよかっただろうに」
ハニ曰く、ニエは契約者の趣向に合わせて容姿を弄ることができる、らしい。
身体を小さくすることなど造作もないそうで、実際子どもの姿になったハニを見たこともある。
つまり、手錠から逃れるために手首を落とすなどという、馬鹿げている上にアグレッシブな対策を取らずともよかったはずなのだ。
ハニがそっと視線を巡らせる。
書類にサインをしている“不殺”のアッシュを眺め、彼女は声を潜めた。
「悪い狩人様へお仕置き、です」
ベントの耳元で囁き微笑む様ときたら、なんとも蠱惑的でよろしくない。
少なくとも他所に出すにはまだまだ問題があるだろう。
そもそも、他人への嫌がらせで手首を自切する阿呆がどこにいるのだ。
「痛っ!? なんで頭をぐりぐりするんですか? 痛い! ベント様、痛いです!」
涙目で喚くハニに鉄拳制裁を喰らわしていると、こちらに近付いてくる足音が聞こえた。
赤毛の狩人、“不殺”のアッシュだ。
何とも罰が悪そうに頭をかきながら歩いてくる彼を見て、鬼二人は首を傾げる。
ハニ拘束の件については、既に丁寧な謝罪を受けた。ベントは謝罪を受け入れ、ハニ本人など最初から気にしていないばかりか逆に悪戯を仕掛けたくらいだ。
どちらかといえば彼は被害を被った側だと、ベントは認識している。
アッシュは二人の前で立ち止まり、吐息一つを落としてから話し出した。
「よォ、お疲れさん」
「はい、狩人様もお疲れ様です」
ハニが応えれば、アッシュは微かな笑みを浮かべる。
「狩りは終わった。もう名前で呼んでもいいぞ」
「あっ、そっか。ではでは、改めてアッシュ様、お疲れ様でした。鬼を油断させる作戦、大成功でしたね」
「あ、ああ」
アッシュが曖昧に頷き、視線を逸らした。
ぴょこぴょこと跳ねるハニ本人は元気も機嫌もいいのだが、いかんせん服装が際どい。
このままでは碌に話もできないだろうと思い、ベントは自身のスーツをハニの肩へ掛けてやった。
「ありがとうございます。でも、汚れちゃいますよ」
「構わん。それより、はしたないから飛び跳ねるのはやめなさい」
「はい。ハニは地に足をつけてお話しします」
何故か気合を入れ出して頷くハニを見下ろし、ベントは眉間の皺を揉みしだく。
新生教育の道は険しい。
「“不殺”殿、今回は迷惑を掛けた」
「いや、こちらこそだ」
「ヤブ殿に任せた者達の様子はどうだろうか」
「問題ない。船員も被害者も無事目覚めた。後遺症も残らねェとさ。流石は浄化の血族だと、ヤブも感心してた」
人身売買の被害者と、地下の様子を見に降りた船員。毒霧を食らった十数名の無事を知り、ベントは胸を撫で下ろす。
イレギュラーがあったとはいえ、仕事は仕事。被害を抑えられたならば越したことはない。
ベントが安堵する一方で、アッシュの顔色は優れなかった。眉間に皺を寄せた彼はヘーゼル色の目に決意を滲ませて顔を上げた。
「その被害者の件で、一つ頼みたいことがある」
アッシュの真摯さに押され、居住まいを正す。
並び立つハニもまた、目を瞬かせながら背筋を伸ばしているようだった。
「どうしたんですか。アッシュ様、怖い顔です」
「聞いてくれ。鬼になっちまった姉妹のことだ。あいつらが転化されたのはおれの責任だろ」
「いえ、違います。悪いのはあの変態鬼です」
ハニが即座に否定する。
ベントも概ね同じ意見だ。
しかし、アッシュは納得できないようだった。
その拳は自責に硬く握られている。
「地下に降りた時点で把握していた被害者が十一人。おれが毒霧を喰らって無様を晒しているうちに、あの姉妹は鬼にされちまった」
「違いますってば。あの子達の願いが聞こえなくなったのは、アッシュ様が倒れるより前です」
「そうだとしても、出遅れたのはおれのせいだろうが」
「確かにタッチの差でしたけど、そうだとしてもアッシュ様のせいじゃないですよ」
ハニが慰めを口にし、おろおろと手を彷徨わせた。彼女の手首に残る傷痕に気付いたのか、アッシュの顔色がさらに悪化する。
「最初からお前を信じてやればよかった」
ぽつりと呟かれた言葉はあまりに切実で、そばかすの散る頬もまた自責に歪んでいた。
年長者、そして、かつて牙狩だった者として、アッシュの在り方は理解できる。
一方で、その生き様を押し通す危険もまた、ベントは知っていた。
俯いたアッシュに向き直り、ベントは声を落とす。
「背負いすぎるなよ。命を縮めることになる」
「忠告はありがたく受け取る。だが、出来ることはすべきだろ」
そう言って、アッシュは手にした書類を差し出した。
今回の報酬受け取りに関するもののようだ。
「二人を高貴なる血統の鬼と見込んで頼みたい。転化された姉妹のケアと今後のために、今回のおれの報酬を充ててくれねェか」
「アルエには尋ねたか?」
「ああ、断られた」
「そうだろうな。被害者の世話は協会の仕事だ。“不殺”殿には関係がない」
素気無く伝えてもアッシュの態度は変わらない。ひたりと見つめてくるその目を見返し、ベントは溜め息を吐く。
「──便宜は図ろう。だが、全額は駄目だ。少なくとも数割、せめて経費分は受け取れ」
「恩に着る」
アッシュが頭を下げた。
どうにも危うい若者だ。
他人事ながら放置しづらい。
ハニが迷惑を掛けた件もあり、何となく申し訳なくなってきたベントである。
ハニの様子を伺えば、こちらはこちらでしょぼくれており、面倒な気配を感じる。蜂蜜色の目を潤ませる新生の背を叩き、ベントは言った。
「ほら、ハニ、お前からも何か言うべきことはないか?」
「……アッシュ様、ごめんなさい。本当は私、自力で手錠を外せたんです」
素直に謝罪を始めたハニから一歩離れる。
互いに頭を下げ合い、次第に言い合いを始める若い二人を眺め、ベントは船の縁に寄りかかった。
「アッシュ様の意地悪! ひねくれ者!」
「お前が世間知らずなだけだろうが」
「社会の基礎知識ならありますもん。今時のニエのインプットは完璧なんですからね」
「知識が入ってても使えねェなら無意味だよな」
「へーん、アッシュ様の知識量に合わせてあげてただけですー」
ハニとやり合う間に調子を取り戻したのか、アッシュが鼻で笑う。ハニはハニで意地を張っているようで、澄まし顔でそっぽを向いていた。
「大体、アッシュ様はお優しくて甘いんですよ。銀なんかで私に傷が残るわけないでしょう」
「はァ? じゃあその傷痕はなんだってんだ」
「これは後でカミラ様に報告するためにわざと残してるんです」
ハニが手首を摩ってむくれる。
初耳だ。回復の段階まで調整できるとは思わなかった。
ベントの驚きとはまったく関係ないところで、アッシュがせせら笑う。
「かまってちゃんかよ」
「ひどい、どうしてそんな言い方をするんですか? アッシュ様なんて、もう様付けもしないし名前でも呼んであげないんだから!」
「お前の好きにすればいい。二度と会わねェかもしれねェしな」
正論で言い負かされてしまい、ハニが言葉に詰まって震える。
気のせいでなければなにやらさみしそうだ。
案外、即席の相棒が気に入ってしまったのかもしれない。
黙り込むハニに気を遣ったのか、アッシュが問いかけた。
「……それで? ちなみにどう呼ぶつもりだ」
「え? えっと、えっと、不殺さん……?」
若者達のやり取りを耳にし、ベントは苦笑した。仲のいいことである。
黒き空に月はなく、数多の星が輝く夜。
星々はいつも出会いを連れてくる。
あるいは、太陽と月の光の下では見逃してしまうような小さなすれ違いこそが、その後の生を左右することとてあるのかもしれない。
ベントが年寄りじみた述懐に浸っていると、甲板と船内を繋ぐドアが弾け飛んだ。
ただ開いたのではない。
本当に弾け飛んだのだ。
爆音と共に砕けた扉の欠片がベントの頬を掠める。
突然のことに反応できないでいると、ドスの効いた声が響いた。
「────アッシュとやらはどこにいるの」
扉の残骸の向こうから現れたるは見慣れた影。
百合を思わせる容姿に鬼の形相を浮かべた、御年八百歳オーバーの血族長カミラである。
これまた見知った中年太りの藪医者を引き摺り、怒れる鬼は鋭い眼光を迸らせた。
「私のおやつちゃんを虐めた不逞の輩はどこ?」
仁王立ちするカミラに圧倒されたのだろう。アッシュときたら立ち尽くしてしまっている。
まずい。
このままではアッシュが死ぬ。
死なないまでも海に沈められるのは確実だ。
新たな危機が迫っていることを悟り、ベントは駆け出した。
お読みいただきありがとうございます。
ここで第2章完結となり、しばし幕間となります。
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