ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
屋敷裏の森に掛け声が響く。
「次、ボールに当たらないように回避しろ!」
「はい、頑張ります! うぎゅ!?」
言ったそばから顔面でボールを拾う新生に、ベントは頭を抱えた。
ハニが加入してから続けている勉強会。
本日の講座は座学ではなく、戦闘訓練である。
先日の人身売買事件において爆散したことを問題視しての強化メニューだ。
「この速度で当たるとなると、銃弾を避けるのは不可能に近いな」
見れば、ハニは木から落ちてひっくり返っていた。手を差し伸べて引き起こしてやれば、彼女は草むらに正座して項垂れる。
「ごめんなさい……」
森の木々を利用しての立体移動と回避訓練を並行したのがまずいのかもしれない。
一旦身体の使い方の見直しをさせるべきか、悩みどころである。
ベントはハニの正面に腰をおろした。
「怪我はないか?」
「もう治りました」
「お前の場合、負傷が大した痛手にならないのは理解できる。だが、避けられる被害は避けるのが道理だ。分かるな?」
頷くハニに不真面目な様子は欠片もない。
しかし、訓練にしても実戦にしても毎度大怪我をやらかしているのが現状だ。
ベントは改めて確認する。
「一応聞くが、この間の件、手榴弾を抱き込んだのは何故だ?」
「その方が確実だったからです」
明朗な答えだ。
それだけに問題である。
「確実とは?」
「ただ庇うだけでは十一人は守れません。積荷の中に投げても爆発に間に合わず、弾けた金属片が飛来して負傷者が出ます。全員を守るには適切な緩衝材が必要と考えました」
「……『良識』か?」
「はい。私の身体を緩衝材にするのが確実だと判断しました」
きりりとした顔で答えられても困る。
ベントは眉間を押さえ、暫し黙り込んだ。
「……例えばの話だが、全力で投げ返して敵にぶつけるというのは」
「アッシュ様は“不殺”を信条とされているそうです。だから、殺しちゃ駄目かなって」
「お前が死んでは意味がないだろう!」
声を荒げたベントを見つめ、ハニは不思議そうに目を瞬いた。
「死んでいません。私があの程度の爆発で死ぬことはないです」
「炎を発する型の爆弾であれば? いくらニエでも全て燃えれば終いではないか?」
「全焼はしないと思います。あの時は途中で手首を落としてきたので、最悪そちらのリソースを使って復帰できたかも」
けろりと爆弾発言を繰り返す新生にベントは脱力する。
「それでも、だ。万が一死んだらどうする」
「残念ですが仕方ないです。新しいニエを買って転化していただければ、私の代わりはできると思いますよ」
ベントの表情が険しくなったことに気付いたのか、ハニが慌てて両手を振り出す。
「私は性能と使い勝手の面で秀でています。回復も早いですし融通もききますから、他のニエでは完全に代わりとまではいかないでしょう」
「…………」
「だけど、他のニエにはない欠点もありますし。あの、だから……」
「だから、なんだ」
「本当は、私じゃない方がお二人のお役に立てるかも、です」
泣きそうな声で言われてしまい、ベントは盛大に溜め息を吐いた。
これだ。
これがハニの明確な弱点である。
常に思考を補佐して冷静に優れた判断を下し、精神の安定まで支えるという『良識』。
その絶対的な能力を貫通し、不安定になるほどに、彼女はニエとしての役割に固執している。
根本的に自身を消耗品として捉えていることもそうだ。
ニエとしての性能を誇る一方で、ニエとしての性質に振り回される。
それがハニの問題点だった。
根深い課題のため、現状では手をつけることすら難しい。あるいは、そもそも改善が見込めない部類の問題である可能性すらある。
しかし、それはそれとして、伝えるべきことはあるものだ。
ベントはそっとハニの手を握った。
「ハニ。お前はニエで、元より代替品であるという意識が強いのだろう」
何とか顔を上げて耳を澄ましている少女。その不安に揺れる瞳を見返し、ベントは告げる。
「だが、お前はもう血族の一員だ。浄化の血族のハニに代わりはいない。分かるか?」
「……はい、分かります」
与えられた言葉をゆっくりと咀嚼するように、ハニは静かに頷いた。
真の理解には程遠い。
されど、言葉を聞き、その意味を確かめて自身のものにしようとする姿勢は好ましいものだ。
ベントは僅かに頬を緩め、ハニの頭を撫でた。
「ちなみに、自切や爆散を推奨しない理由はもう一つある。何だと思う?」
「えっと、分かりません。教えてください」
「お前が無駄になるだろう?」
理解できないという顔で見られ、ベントは肩を竦める。
「考えてもみろ。最高の食材が辺りに散らばるのだ。まさか床を舐めるわけにもいかんしな」
「…………!? 確かに、仰る通りですね!」
「お、おお。そうだろう? 食べ損ねたとカミラも悔しがっていた」
突如覚醒したかのように身を乗り出したハニに慄き、ベントは視線を泳がせた。
腰が引けたベントへとさらに詰め寄り、ハニが問う。
「悔しがっていたのはカミラ様だけですか? ベント様は?」
「うん? まあ、おれも勿体無いとは思っていた、ぞ?」
「そうなのですね! ごめんなさい、今、理解しました! ハニは悔い改める必要があります!」
勢いがすごい。
ベントはハニの猛省に圧倒されてしまい、半笑いとなった。
思っていた反応と違う。
ハニを迎えてはや数ヶ月。
未だ新生の生態を理解することは叶わず、ベントは肩を落とすしかなかった。
◇
日が暮れて屋敷に戻り、昼食を共にする。
ハニとレインにとっては夕食になるため、少々テーブル上が豪華だ。
ハニが初めて買った皿も食卓に馴染んできた。次はカップの新調を検討すると息巻いていたので、応援しておく。
夕方以降はカミラがハニを独占したがる。
異論はない。子守りは年長者に任せ、ベントは日々のルーチンをこなす限りだ。
読書や鍛錬など基本は一人で過ごす。
茶を飲みに炊事場へ行くと、レインと鉢合わせることがある程度だ。
鍛錬帰りで汗を拭っていると、レインが冷やかしてきた。
「精が出るねえ」
「たまにはお前もどうだ?」
「何を言うんだい。あたしゃもう引退したんだ」
レインは眼帯を指して呵呵と笑う。
「今更生身で師匠の相手なんざしてみな。うっかり死んじまうかもしれないよ」
「馬鹿を言え。いい線はいくはずだ。何せ、お前はおれの戦い方を熟知しているからな」
「またまた。おべっかも大概にしておくれ」
狩人としてレインを育てたのはベントだ。
しかし、ベントと違い、レインは多くの狩人と同じように魔道具を身体に仕込んで戦っていた。
眼帯もその名残。
かつては狩りに適した義眼を入れていたのだが、今はもう必要ないと外してしまっている。
レインが白湯をあおり、伸びをした。
「さて、婆はもう寝るとするかね。あたしが起きてると夕餉にゃ邪魔だろ?」
「揶揄うのはよせ」
「ひっひっひ! 随分とお楽しみじゃないか!」
嫌らしい笑みを浮かべたレインを追い払い、ベントは咳払いをする。
やましいことはない。
ただ、食欲に負け、ごくたまに牙を用いて食事をするというだけの話だ。
流石に日中、レインがいる間に生食はどうかと思って夜にこっそり食べるため、何となく背徳的な雰囲気が醸し出されているだけなのだ。
気を取り直して食卓に戻れば、カミラが新聞を読んでいた。
ちゃっかりハニの膝枕で寝転がりながらである。
「カミラ様、それ、面白いですか?」
「まあまあね。新聞はともかく、この角度からだとハニの睫毛がよく見えて眼福だわ」
カミラが読むのは三面記事だけ。特に人間社会の益体もないイザコザがあった日は顔がにやけているので分かりやすい。
何とも品のない姿だ。
「待たせたな」
「時間通りじゃないの。遅れてきてもいいのよ? ハニを独り占めできるもの。なんなら、お前は留守でも構わないわ」
減らず口を叩くカミラを無視し、二人の掛けるソファに座る。
入浴を済ませたカミラとハニの二人からは、清廉な水の匂いがした。
ハニ曰く、石鹸の香料は味の敵。
基本は無香料の洗剤を使用して身を清め、血肉の味を邪魔しない程度の微量なハーブを使っているらしい。
ハニは首元や手首あたりを寛げた服を纏い、準備万端といった様子だ。
「どうぞ、召し上がってください」
目を閉じて告げるハニの手を取り、腕に牙を立てる。
芳醇な血の香りと柔らかな感触が広がり────……
「うん!?」
ベントは驚愕した。
思わず牙を離し、ハニの腕をまじまじと見つめてしまう。
「どうかしましたか? もしかして、美味しくなかったです?」
「いや、違う。そうではないのだ。むしろ、これは」
美味い。
美味すぎる。
もはや脳髄が震えるほど美味だ。
ベントは混乱する。
今日の昼食の際はここまでではなかった。間違いなく美味は美味だが、これほどの感動を覚えたのは人生、ひいては鬼生初めてのことである。
「お気に召していただけましたか?」
我関せずで首筋に噛みつくカミラを支えつつ、ハニが問いかけてきた。
思わず何度も激しく頷けば、彼女は太陽のように晴れやかな笑みを浮かべる。
「良かった! 色々調整が済んだので、味もアップデートしてみたんです」
「あっぷでーと」
「以前はカミラ様の血質に寄せていたんです。だけど、それも無難すぎるかなって。今回はベント様の味覚に合わせてみました」
「…………」
「部位で味や肉質を変えることにも成功したんですよ。首の辺りはカミラ様がお好きだからカミラ様に合わせて、腕はベント様向けに調整しました!」
今回は、とはなんだ。
部位で変えるとは。
そもそも味覚に合わせるとはどういうことだ。
言葉の意味は分かるのに、何を言われているのか分からない。
ベントは目を瞬き、呆然と呟く。
「おれの味覚とはなんだ。特に意見を問われた記憶がないのだが、好みをどうやって知った」
「僭越ながら、血肉の状態で探らせていただきました」
「ちにくのじょうたいでさぐる?」
「食べられながら、舌や牙、喉など、そのあたりの反応をみてですね」
「たべられながら……?」
鸚鵡返しに繰り返し、ハニの言葉を咀嚼する。
血肉の状態で食べられながらということは、ハニ本体から離れ、血や肉片となった状態ということで。
それは、つまり。
遅れて入ってきた情報が脳に到達し、ベントは戦慄した。
「まさか、お前、血の状態でも意識を保てたりする……のか!?」
「いえいえ。さすがに意識までは」
「まではってことは」
「情報の採取くらいであれば、そこそこ」
こわい。
怖いのにやめられない止まらない。
ベントはぐるぐると思考しつつ、再びハニの腕へと噛み付く。
この夜、混乱しながら食べたハニは、大変美味であった。