鬼のおやつになるはずが、なぜか家族になりました 〜ニエはおやつにはいりますか?〜   作:ladybug

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第2話 新たな蜜に祝福を

 

 

 協会に帰還したカミラ達を待っていたのは、十数分の任務報告と六時間に及ぶ叱責であった。

 

「ボスが留守で良かったです。いたら六時間じゃすみませんからね」

 

 連帯責任で説教部屋へぶち込まれていたアルエがぼやく。

 

「あとはこっちで揉み消しときますんで。ニエの子の製造元にも連絡しときます。拾ったからにはしっかり面倒みるんですよ」

 

 彼女はそう言い残し、心なしか萎れた金髪を揺らして去っていった。くたびれた背中に哀愁が漂う。

 

 中間管理職って大変なのね、などと身も蓋もなく軽い感想を抱きつつ、カミラは応接室へ向かった。無駄に豪奢な調度品が鼻につく、普段は全く使われることのない部屋である。

 さっさと帰りたい気持ちが勝ち、カミラは乱暴に扉を開けた。

 

「私のおやつちゃん、いる?」

「こらこら、ノックくらいなさい」

 

 返ってきたのは穏やかな笑声だ。

 

「あら、いらしたの」

 

 カミラは居住まいを正し、淑女の礼をとった。

 

「ごきげんよう、ドクトル。今宵は良い月ね」

「はい、ごきげんよう。今日は新月だがね」

 

 どこまでも静かな声が応える。

 

 部屋の中には二人の人物、否、鬼がいた。

 

 一人はニエの少女。年の頃は十代後半。転化されて間も無く協会に連れてこられ、さらに一人で放置されたせいか、どうにも俯きがちだ。

 

 もう一人は男性。緩やかにうねる黒髪に灰色の目をした、物静かな紳士だ。見た目以上に年を重ねており、その落ち着きが佇まいに滲んでいる。

 

 二人はやや距離を開けながらも向き合って座っていたようだ。

 

「ドクトル、私のおやつちゃんに何のご用?」

「君が戻ってくるまで見守るよう職員に頼まれたんだ。ところで、『私のおやつちゃん』というのは呼び名かい?」

「そうよ。おかしいかしら」

 

 カミラが首を傾げれば、ドクトルは頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。

 

「もしかして、君達は互いに自己紹介もせずに転化を……?」

「ええ。名前なんて後でいいかと思って」

 

 絶句してしまったドクトルを放置し、カミラは椅子へ掛ける。俯き、縮こまってしまったニエの少女の横に、だ。

 

「いい機会だわ。私はカミラというの。私のおやつちゃん、お前の名前は?」

「……ミツ、です」

「ふうん」

 

 カミラは俯いた少女の顎を指で掬い、その顔を覗き込む。

 柔らかな黒髪に琥珀色の瞳、薄い褐色の肌。ミナトの屋敷では血塗れでよく分からなかったが、こうして見ると大層な美貌だ。

 驚きで薄く開いた唇に指で触れ、カミラは笑った。

 

「ハニ、ね」

「え?」

「お前の新しい名前よ。蜂蜜みたいで甘くて美味しそうだから、ハニ」

 

 困惑しきりの少女がドクトルを見る。枝葉を省きがちなカミラの代わりに、ドクトルが説明してくれた。

 

「新しく血族入りした子には血族長や年長者が名前を授ける。そんな古い風習があるんだ」

「祝福もね。ドクトル、お願いできるかしら」

「もちろん構わないよ」

 

 ドクトルが一つ頷き立ち上がる。

 分からないなりに雰囲気に従ったのか、ニエの少女あらためハニもまた席を立った。

 どことなく及び腰の彼女が助けを求めるようにカミラを見る。

 いじらしい。視線が合った瞬間に目を伏せるくせに、シャツの裾を握って何か物言いたげなところなど、可愛くてたまらない。

 

 やに下がるカミラを見つめ、ドクトルが注意する。

 

「カミラ嬢、久しぶりの新生が可愛いのは分かるけれど、ちゃんと導いてやらなければいけないよ」

 

 やんわりと嗜められてしまった。

 反省したカミラはハニの傍に行き、彼女の手を取る。

 指先が冷たい。緊張しているようだ。

 

 カミラは幼い頃に時を止めた自分より大きな、しかし愛らしいハニの手を両手で包み込む。

 

「名前が変わるのは不安?」

「いえ、その……はい、少しだけ」

 

 素直に頷いたハニが小声で教えてくれた。

 

「私達ニエは使用契約終了後、教育施設に戻り、記憶を消去されます。新しい名前を戴くのは再出荷の後になるんです」

「あら、そうなの? まあ、似たようなものでしょう。見逃しなさい」

「いいのですか? 記憶が残るということは、つまり、お古になってしまいます……」

 

 ハニは消え入るような声で囁き、もじもじとシャツの裾を弄る。恥ずかしがっているというよりは本気で恥じているようだ。

 ニエの慣習がよく分からない。カミラは考え込み、眉間に皺を寄せた。

 

「お古って何。その理屈でいえば、お前達ニエの元となった人間など基本お古ではない?」

「ええ、仰る通りです」

「お古だとお肉が固いとかあるの? 血が生臭くなるとか、とうが立って筋張っているとか」

「いえ、そんなことは!」

 

 ハニが慌てて否定する。

 

「記憶の蓄積に関係なく品質は保証されています! いつ何時も、我々ニエは最高の食肉体験を提供いたしますので!」

 

 ますます分からない。売り文句が何となく生々しい部分も含めて、何もかも分からない。

 血肉というものは、その存在がこれまでどう在ったかを如実に表す。経験や記憶はむしろ味わいの一つであると、カミラは認識していた。

 

「結局、何か問題があって? もしかして、最近の鬼は皆、処女や童貞に拘りのある変態揃いだったりするのかしら」

 

 咳払いが聞こえた。

 気を遣ってか、それまで気配を薄めていたドクトルである。

 やや赤くなった顔を伏せ、彼は呟いた。

 

「カミラ嬢、はしたないよ」

「あらいやだ。ごめんあそばせ」

 

 口元を隠し、カミラはからりと笑う。

 ドクトルが赤面のまま溜め息を吐いた。

 

「ええとニエの君、ミツさんだったね」

「はい」

「カミラ嬢は古い鬼で、あまり細かいことを気にしないタチなんだ。面倒でなければ、ニエではなく鬼の慣習に合わせてやってくれ」

 

 そこまで言い、ドクトルは眼鏡を押し上げる。硝子越しの瞳が苦く笑った。

 

「そして……これは僕の我儘だ。ミナトの記憶を遺したまま生きてほしい。勿論、君が良ければ、だが」

 

 抑えられた囁きには拭いきれない翳りが滲んでいた。

 

「ミツさん、ミナトは最後まで抵抗していたそうだね」

「はい。お屋敷の皆さんを巻き込まないように指示され、私にも最後まで気遣ってくださり……本当に立派なお方でした」

「そうか。君も彼の名誉を守ってくれたんだな。ありがとう」

「いえ、そんな。私は、何も」

「ミナトは、僕の友人だったんだ。実は、君とも一度だけ会ったことがある。覚えているかい」

 

 そう言って微笑んだドクトルを見て、カミラは初めて合点がいった。

 それなりの地位についている彼が新生の祝福を快諾した意味。

 見ず知らずの鬼の見守りを引き受け、長時間に渡り付き添っていた理由。

 

 “穢れ堕ち”は骸さえ残らず消える。

 

 病はその名の通り穢れ。病気とは言え、理性を失い名誉を穢して死にゆく鬼は、後世に名を残すことすら許されない。

 ミナト・ヤナギサワは鬼としてではなく、バケモノとして処理された。

 荼毘に付されることもなく、なかったモノとして扱われるのだ。

 

 ドクトルが呟く。

 

「別れには慣れたつもりだけれど、やはりさみしいものだな」

 

 部屋に沈黙が落ちた。

 

 俯いてしまったニエの少女を励ますように、ドクトルが苦笑する。

 

「すまない。変な空気にさせてしまった」

「気にしないで。お互い歳をとったものね」

 

 沈黙したままのニエの少女に代わり、カミラは応えた。そして、再び彼女の手を取る。

 

「ハニ。お前さえ良ければ、今のまま生きて。ミツだったお前のこれまでと、ハニとしてのこれからを丸ごと堪能させてほしいの」

「はい、カミラ様さえよろしければ、私はミナト様を忘れません。私も……ハニもミナト様を覚えていたい、です」

「そう。ハニ、可愛い子。お前をおやつにできてよかったわ」

 

 カミラはハニの指先に口付ける。

 ハニはくすぐったそうに目を細めた。そして、僅かに口元を綻ばせる。

 

 二人の様子を見守っていたドクトルが静かに問うた。

 

「では、いいかい?」

「ええ、お願い」

 

 カミラは頷き、その場に膝をついた。両手を軽く組み、祈りの姿勢を取る。

 ハニが倣い、同じく跪いた。

 

 瞼を閉じれば、低く穏やかな声が二人へ降り注ぐ。

 

「浄化の血族カミラが子、ハニ。新たな目覚めに太陽と月の祝福を。君の道行に幸いがありますように」

 

 祝福に特別な効力はなく、ただの言葉でしかない。

 しかし、天鵞絨の声が紡ぐ言祝ぎは確かに二人へと向けられていた。

 

 しばらくして、衣擦れの音と共に優しく肩を叩かれる。同じようにしてハニの肩にも触れ、ドクトルが告げた。

 

「はい、おしまい。もう目を開けて結構」

 

 ドクトルに手を取られ、カミラとハニは立ち上がり元の椅子へと掛け直す。エスコートしてくれる掌がひやりと冷たくて心地よく、カミラは少し笑ってしまった。

 

「ありがとう、ドクトル。あなたに寿いでいただけて光栄よ」

「こちらこそ、携わらせてもらえてよかった。友人が遺した子だから、少し贔屓して長めに祈っておいたよ」

 

 彼にしては珍しく茶目っ気をのぞかせた後、ドクトルがハニへと向き直る。

 

「ハニさん、改めておめでとう。ニエから鬼になって最初は戸惑うだろうが、徐々に慣れていけば大丈夫だから」

「ありがとうございます。ドクトル様、とお呼びすればよろしいですか?」

「敬称は不要だ。名前ではなく役職名というか、あだ名だからね」

 

 元より物知りの彼はいつしか教えを施す立場となり、協会設立後も年若き鬼を導き続けている。

 ドクトルとは他者が勝手に呼び始めた名なのだ。

 

 納得したのか、ハニはドクトルに深く頭を下げた。

 

「ドクトル、感謝いたします。祝福だけでなく、長い間付き添っていただいて、本当に救われました」

「とんでもない。僕の方こそ君と話せて良かった。君達さえよければまた遊びに来てくれ。それと──」

 

 穏やかに応えたドクトルがカミラを見た。そこはかとなく咎めるような目である。

 

「何かしら」

「カミラ嬢、君が転化を施したのは二回目だな」

「ええ、そうね。とっても久しぶりで記憶も曖昧になっていたけれど、失敗しなくてよかったわ」

「そこではなくだね。いくら慣れていないからといって、法を犯すのはいただけない。大体、ベント君の件で学ばなかったのかい」

 

 長い鬼の生の中、つい勢いで転化させてしまった一件を指摘され、カミラはそっぽを向いた。

 

「何百年前の話をしているの。それに、ベントを転化させた頃は協会なんて影も形もなかったじゃない」

「当然だろう。ベント君の故郷の件を機に協会ができたんだから」

「そうだったかしら。昔のことなんて忘れてしまったわ」

「カミラ嬢、協会の理念まで忘れてもらっては困るよ。古株の君が規範を乱しては、若い子達に示しがつかないじゃないか」

 

 呆れたように言い募られてしまう。カミラはつま先で絨毯を弄りつつぼやいた。

 

「別に、人間とか鬼とか私には関係ないもの」

「無責任なことを言うものではない。まったく、覚えていないのか? あの時のベント君の荒れようと言ったら……」

「分かったわよ。ごめんなさい、気をつけるわ。だから、あの頑固者の話はやめてちょうだい」

 

 説教の気配を察知し、カミラは慌てて話を遮る。六時間の叱責に耐えた後、再び古き友人から教えを説かれるなどごめん被りたい。

 話の流れについていけず首を傾げるハニに抱きつき、カミラは囁いた。

 

「ハニは素直な子だから大丈夫よ。ね、ハニ?」

「え? はい、ハニは素直に頷きます」

 

 何故か実況のように解説するハニの頭を撫でまわしていると、ドクトルが溜め息を溢す。

 

「分かった。今回の件は内密に処理されるのだろうし、これ以上は僕も言及しないよ」

「そうしていただけるとありがたいわ」

「以後、気をつけるように」

「ええ、ええ。気をつけます。といっても、以後なんて早々ないけれど」

「まあ、そうだな。君が転化を施すなんて、僕も驚いたくらいだから」

 

 カミラが鬼として生を受けて八百年余り。ハニを含め、転化させたのは僅か二名だ。

 ただし、転化させた二回がどちらも勢いである。慎重派という評判も怪しいものだ。

 

「実際、珍しいことだ。何故、転化を?」

「何故と言われても困るわ。そうしたいと思っただけよ」

「何か心境の変化でもあったのかい?」

 

 ドクトルが探るように問うてくる。

 カミラはハニを見つめ、少しばかり考え込んだ。

 

 ハニの目。

 琥珀色の瞳。

 とろける蜜のような、魅惑の色。

 

「強いていえば、そうね。いつも同じ味ばかりで食べ飽きたのかもしれないわ」

「成程。君の場合、そういうこともあるか」

「ええ。たまには甘いおやつも食べたいでしょう?」

 

 カミラはハニの膝にしなだれかかり、微笑んで彼女を見上げる。

 

「これからよろしくね、私のハニ」

 

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