鬼のおやつになるはずが、なぜか家族になりました 〜ニエはおやつにはいりますか?〜 作:ladybug
協会に帰還したカミラ達を待っていたのは、十数分の任務報告と六時間に及ぶ叱責であった。
「ボスが留守で良かったです。いたら六時間じゃすみませんからね」
連帯責任で説教部屋へぶち込まれていたアルエがぼやく。
「あとはこっちで揉み消しときますんで。ニエの子の製造元にも連絡しときます。拾ったからにはしっかり面倒みるんですよ」
彼女はそう言い残し、心なしか萎れた金髪を揺らして去っていった。くたびれた背中に哀愁が漂う。
中間管理職って大変なのね、などと身も蓋もなく軽い感想を抱きつつ、カミラは応接室へ向かった。無駄に豪奢な調度品が鼻につく、普段は全く使われることのない部屋である。
さっさと帰りたい気持ちが勝ち、カミラは乱暴に扉を開けた。
「私のおやつちゃん、いる?」
「こらこら、ノックくらいなさい」
返ってきたのは穏やかな笑声だ。
「あら、いらしたの」
カミラは居住まいを正し、淑女の礼をとった。
「ごきげんよう、ドクトル。今宵は良い月ね」
「はい、ごきげんよう。今日は新月だがね」
どこまでも静かな声が応える。
部屋の中には二人の人物、否、鬼がいた。
一人はニエの少女。年の頃は十代後半。転化されて間も無く協会に連れてこられ、さらに一人で放置されたせいか、どうにも俯きがちだ。
もう一人は男性。緩やかにうねる黒髪に灰色の目をした、物静かな紳士だ。見た目以上に年を重ねており、その落ち着きが佇まいに滲んでいる。
二人はやや距離を開けながらも向き合って座っていたようだ。
「ドクトル、私のおやつちゃんに何のご用?」
「君が戻ってくるまで見守るよう職員に頼まれたんだ。ところで、『私のおやつちゃん』というのは呼び名かい?」
「そうよ。おかしいかしら」
カミラが首を傾げれば、ドクトルは頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。
「もしかして、君達は互いに自己紹介もせずに転化を……?」
「ええ。名前なんて後でいいかと思って」
絶句してしまったドクトルを放置し、カミラは椅子へ掛ける。俯き、縮こまってしまったニエの少女の横に、だ。
「いい機会だわ。私はカミラというの。私のおやつちゃん、お前の名前は?」
「……ミツ、です」
「ふうん」
カミラは俯いた少女の顎を指で掬い、その顔を覗き込む。
柔らかな黒髪に琥珀色の瞳、薄い褐色の肌。ミナトの屋敷では血塗れでよく分からなかったが、こうして見ると大層な美貌だ。
驚きで薄く開いた唇に指で触れ、カミラは笑った。
「ハニ、ね」
「え?」
「お前の新しい名前よ。蜂蜜みたいで甘くて美味しそうだから、ハニ」
困惑しきりの少女がドクトルを見る。枝葉を省きがちなカミラの代わりに、ドクトルが説明してくれた。
「新しく血族入りした子には血族長や年長者が名前を授ける。そんな古い風習があるんだ」
「祝福もね。ドクトル、お願いできるかしら」
「もちろん構わないよ」
ドクトルが一つ頷き立ち上がる。
分からないなりに雰囲気に従ったのか、ニエの少女あらためハニもまた席を立った。
どことなく及び腰の彼女が助けを求めるようにカミラを見る。
いじらしい。視線が合った瞬間に目を伏せるくせに、シャツの裾を握って何か物言いたげなところなど、可愛くてたまらない。
やに下がるカミラを見つめ、ドクトルが注意する。
「カミラ嬢、久しぶりの新生が可愛いのは分かるけれど、ちゃんと導いてやらなければいけないよ」
やんわりと嗜められてしまった。
反省したカミラはハニの傍に行き、彼女の手を取る。
指先が冷たい。緊張しているようだ。
カミラは幼い頃に時を止めた自分より大きな、しかし愛らしいハニの手を両手で包み込む。
「名前が変わるのは不安?」
「いえ、その……はい、少しだけ」
素直に頷いたハニが小声で教えてくれた。
「私達ニエは使用契約終了後、教育施設に戻り、記憶を消去されます。新しい名前を戴くのは再出荷の後になるんです」
「あら、そうなの? まあ、似たようなものでしょう。見逃しなさい」
「いいのですか? 記憶が残るということは、つまり、お古になってしまいます……」
ハニは消え入るような声で囁き、もじもじとシャツの裾を弄る。恥ずかしがっているというよりは本気で恥じているようだ。
ニエの慣習がよく分からない。カミラは考え込み、眉間に皺を寄せた。
「お古って何。その理屈でいえば、お前達ニエの元となった人間など基本お古ではない?」
「ええ、仰る通りです」
「お古だとお肉が固いとかあるの? 血が生臭くなるとか、とうが立って筋張っているとか」
「いえ、そんなことは!」
ハニが慌てて否定する。
「記憶の蓄積に関係なく品質は保証されています! いつ何時も、我々ニエは最高の食肉体験を提供いたしますので!」
ますます分からない。売り文句が何となく生々しい部分も含めて、何もかも分からない。
血肉というものは、その存在がこれまでどう在ったかを如実に表す。経験や記憶はむしろ味わいの一つであると、カミラは認識していた。
「結局、何か問題があって? もしかして、最近の鬼は皆、処女や童貞に拘りのある変態揃いだったりするのかしら」
咳払いが聞こえた。
気を遣ってか、それまで気配を薄めていたドクトルである。
やや赤くなった顔を伏せ、彼は呟いた。
「カミラ嬢、はしたないよ」
「あらいやだ。ごめんあそばせ」
口元を隠し、カミラはからりと笑う。
ドクトルが赤面のまま溜め息を吐いた。
「ええとニエの君、ミツさんだったね」
「はい」
「カミラ嬢は古い鬼で、あまり細かいことを気にしないタチなんだ。面倒でなければ、ニエではなく鬼の慣習に合わせてやってくれ」
そこまで言い、ドクトルは眼鏡を押し上げる。硝子越しの瞳が苦く笑った。
「そして……これは僕の我儘だ。ミナトの記憶を遺したまま生きてほしい。勿論、君が良ければ、だが」
抑えられた囁きには拭いきれない翳りが滲んでいた。
「ミツさん、ミナトは最後まで抵抗していたそうだね」
「はい。お屋敷の皆さんを巻き込まないように指示され、私にも最後まで気遣ってくださり……本当に立派なお方でした」
「そうか。君も彼の名誉を守ってくれたんだな。ありがとう」
「いえ、そんな。私は、何も」
「ミナトは、僕の友人だったんだ。実は、君とも一度だけ会ったことがある。覚えているかい」
そう言って微笑んだドクトルを見て、カミラは初めて合点がいった。
それなりの地位についている彼が新生の祝福を快諾した意味。
見ず知らずの鬼の見守りを引き受け、長時間に渡り付き添っていた理由。
“穢れ堕ち”は骸さえ残らず消える。
病はその名の通り穢れ。病気とは言え、理性を失い名誉を穢して死にゆく鬼は、後世に名を残すことすら許されない。
ミナト・ヤナギサワは鬼としてではなく、バケモノとして処理された。
荼毘に付されることもなく、なかったモノとして扱われるのだ。
ドクトルが呟く。
「別れには慣れたつもりだけれど、やはりさみしいものだな」
部屋に沈黙が落ちた。
俯いてしまったニエの少女を励ますように、ドクトルが苦笑する。
「すまない。変な空気にさせてしまった」
「気にしないで。お互い歳をとったものね」
沈黙したままのニエの少女に代わり、カミラは応えた。そして、再び彼女の手を取る。
「ハニ。お前さえ良ければ、今のまま生きて。ミツだったお前のこれまでと、ハニとしてのこれからを丸ごと堪能させてほしいの」
「はい、カミラ様さえよろしければ、私はミナト様を忘れません。私も……ハニもミナト様を覚えていたい、です」
「そう。ハニ、可愛い子。お前をおやつにできてよかったわ」
カミラはハニの指先に口付ける。
ハニはくすぐったそうに目を細めた。そして、僅かに口元を綻ばせる。
二人の様子を見守っていたドクトルが静かに問うた。
「では、いいかい?」
「ええ、お願い」
カミラは頷き、その場に膝をついた。両手を軽く組み、祈りの姿勢を取る。
ハニが倣い、同じく跪いた。
瞼を閉じれば、低く穏やかな声が二人へ降り注ぐ。
「浄化の血族カミラが子、ハニ。新たな目覚めに太陽と月の祝福を。君の道行に幸いがありますように」
祝福に特別な効力はなく、ただの言葉でしかない。
しかし、天鵞絨の声が紡ぐ言祝ぎは確かに二人へと向けられていた。
しばらくして、衣擦れの音と共に優しく肩を叩かれる。同じようにしてハニの肩にも触れ、ドクトルが告げた。
「はい、おしまい。もう目を開けて結構」
ドクトルに手を取られ、カミラとハニは立ち上がり元の椅子へと掛け直す。エスコートしてくれる掌がひやりと冷たくて心地よく、カミラは少し笑ってしまった。
「ありがとう、ドクトル。あなたに寿いでいただけて光栄よ」
「こちらこそ、携わらせてもらえてよかった。友人が遺した子だから、少し贔屓して長めに祈っておいたよ」
彼にしては珍しく茶目っ気をのぞかせた後、ドクトルがハニへと向き直る。
「ハニさん、改めておめでとう。ニエから鬼になって最初は戸惑うだろうが、徐々に慣れていけば大丈夫だから」
「ありがとうございます。ドクトル様、とお呼びすればよろしいですか?」
「敬称は不要だ。名前ではなく役職名というか、あだ名だからね」
元より物知りの彼はいつしか教えを施す立場となり、協会設立後も年若き鬼を導き続けている。
ドクトルとは他者が勝手に呼び始めた名なのだ。
納得したのか、ハニはドクトルに深く頭を下げた。
「ドクトル、感謝いたします。祝福だけでなく、長い間付き添っていただいて、本当に救われました」
「とんでもない。僕の方こそ君と話せて良かった。君達さえよければまた遊びに来てくれ。それと──」
穏やかに応えたドクトルがカミラを見た。そこはかとなく咎めるような目である。
「何かしら」
「カミラ嬢、君が転化を施したのは二回目だな」
「ええ、そうね。とっても久しぶりで記憶も曖昧になっていたけれど、失敗しなくてよかったわ」
「そこではなくだね。いくら慣れていないからといって、法を犯すのはいただけない。大体、ベント君の件で学ばなかったのかい」
長い鬼の生の中、つい勢いで転化させてしまった一件を指摘され、カミラはそっぽを向いた。
「何百年前の話をしているの。それに、ベントを転化させた頃は協会なんて影も形もなかったじゃない」
「当然だろう。ベント君の故郷の件を機に協会ができたんだから」
「そうだったかしら。昔のことなんて忘れてしまったわ」
「カミラ嬢、協会の理念まで忘れてもらっては困るよ。古株の君が規範を乱しては、若い子達に示しがつかないじゃないか」
呆れたように言い募られてしまう。カミラはつま先で絨毯を弄りつつぼやいた。
「別に、人間とか鬼とか私には関係ないもの」
「無責任なことを言うものではない。まったく、覚えていないのか? あの時のベント君の荒れようと言ったら……」
「分かったわよ。ごめんなさい、気をつけるわ。だから、あの頑固者の話はやめてちょうだい」
説教の気配を察知し、カミラは慌てて話を遮る。六時間の叱責に耐えた後、再び古き友人から教えを説かれるなどごめん被りたい。
話の流れについていけず首を傾げるハニに抱きつき、カミラは囁いた。
「ハニは素直な子だから大丈夫よ。ね、ハニ?」
「え? はい、ハニは素直に頷きます」
何故か実況のように解説するハニの頭を撫でまわしていると、ドクトルが溜め息を溢す。
「分かった。今回の件は内密に処理されるのだろうし、これ以上は僕も言及しないよ」
「そうしていただけるとありがたいわ」
「以後、気をつけるように」
「ええ、ええ。気をつけます。といっても、以後なんて早々ないけれど」
「まあ、そうだな。君が転化を施すなんて、僕も驚いたくらいだから」
カミラが鬼として生を受けて八百年余り。ハニを含め、転化させたのは僅か二名だ。
ただし、転化させた二回がどちらも勢いである。慎重派という評判も怪しいものだ。
「実際、珍しいことだ。何故、転化を?」
「何故と言われても困るわ。そうしたいと思っただけよ」
「何か心境の変化でもあったのかい?」
ドクトルが探るように問うてくる。
カミラはハニを見つめ、少しばかり考え込んだ。
ハニの目。
琥珀色の瞳。
とろける蜜のような、魅惑の色。
「強いていえば、そうね。いつも同じ味ばかりで食べ飽きたのかもしれないわ」
「成程。君の場合、そういうこともあるか」
「ええ。たまには甘いおやつも食べたいでしょう?」
カミラはハニの膝にしなだれかかり、微笑んで彼女を見上げる。
「これからよろしくね、私のハニ」