ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜   作:松幸春嗣

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第20話 良薬は苦く、お口直しの飴が必要です

 

「じゃあ、行ってくるわね」

 

 そう言って屋敷を出たのがつい数分前。

 本来なら馬車を乗り継がなければならない距離も、協会のVIP交通を使えば瞬きの間である。

 

 うんざり顔のアルエが呟く。

 

「正直、前回のお仕事の時にまとめて終わらせておいてほしかったなあ」

「あの時はハニがシーツ一丁だったのだもの。仕方ないでしょう」

「服くらい買ってあげますよ。もちろんシャワーもつけます。そっちの方が安上がりなんで」

 

 協会のVIP交通──それは、有り体に言えば超遠距離ワープである。

 

 多忙を極める協会長ならびにその秘書アルエ。彼らが心置きなく駆けずり回ることができるよう、特別に設けられた特殊移動路だ。

 

 とある血族の力を用いて運用・維持される秘術であり、一度の発動でアルエの日当に相当するコストが吹っ飛ぶらしい。

 

「本当なら先輩は使えないんですからね。いいですか、今回は特別なんですよ?」

「はいはい、分かってるわ。船の一件、協会の不手際はこれでチャラにしてさしあげてよ」

「是非そうしてください。あ、ハニちゃんは気にしなくていいんですよ? 悪いのは全部先輩ですからね?」

 

 キメキメの笑顔で取りなした後、アルエは慌ただしく去っていった。

 嵐のような女だ。

 ただし、嵐を利用して特急移動するカミラが文句をいう筋合いはない。

 

 協会本部は二つの建物に分かれている。

 誰でも出入り可能な本部棟、そして協会長の別邸を兼ねる別棟である。

 カミラはどちらも出入り可能だが、本日の目的地は本部棟の奥。別棟に用はない。

 

 周りに頓着せずロビーを行くカミラの後ろをハニが歩く。

 浄化の血族の新生、しかもニエからの転化ともくれば注目の的だ。

 

 さらに言えば超絶美形。

 人々の視線を奪ってやまない自慢のおやつに、カミラの鼻も高々である。

 

「あの、カミラ様?」

「なあに?」

「今日はどんなご用なのでしょう。ハニが必要だから連れてきてくださったんですよね?」

 

 ハニが辺りを見回す。

 くるくると表情を変える蜂蜜色の瞳が愛おしく、カミラは破顔した。

 

「そうねえ。どちらかといえば、お前が必要なわけではなくて、お前に必要なの」

「私に、ですか?」

「ええ。お前が健やかに生きていくために、どうしてもやらなければならないことがあってね」

 

 カミラはハニへと腕を伸ばす。

 

「喜びなさい。私を抱き上げることを許すわ」

「はい、抱っこですね。お任せください」

 

 別に甘えているわけではない。無駄に毛足の長い絨毯のおかげでかえって歩きにくいのだ。

 これも全部、偏屈な現協会長のせいである。

 

 見た目より力持ちのハニに抱き上げられたところで、背後から溜め息の音が聞こえた。

 

「カミラ嬢。君という人は、まったく堪え性のない」

 

 どこか懐かしい天鵞絨の声。

 ドクトルである。

 

 スーツにベストまで着込んだ隙のない出で立ちで現れた彼は、その腕に、山ほどの資料を抱えていた。

 顔の半ばまで積み上がった資料越しに、非難の色を宿した灰の目が覗く。

 

「ベント君に甘えられないからといって、若き新生をこき使っているのかな?」

「あら、違うわ。私がハニに甘えているのではなく、むしろ、私に甘える機会をハニへ与えているの。これは温情なのよ」

「立場のある者が屁理屈を言うものではないよ」

 

 語調の割にしっかりと嗜めてくるのはいつものこと。しかし、声音自体は優しく穏やかで、こちらの気分まで良くなってくるから不思議だ。

 

 気分が良いついでに、カミラはハニへ頬擦りしながら自慢した。

 

「それより見てちょうだい。私のおやつちゃんったら、数ヶ月でこんなに毛艶も味も良くなったの。素晴らしいでしょう?」

「うん、可愛くて仕方がないのは分かったから、ハニ君の首がもげる前に解放してあげなさいね」

 

 そう言って、ドクトルは手前の扉へと向かった。

 

 肘でノブを下げて膝で扉を押し開ける様は、彼の普段の姿から思えば粗野に見える。

 品が良いように見えて、本当に重要な場面以外は雑なところもあるのがこの男だ。

 

「どうぞ。準備はできているよ」

 

 資料を机に置いて戻ってきたドクトルが扉を開けてくれた。

 

 掃除は行き届いているが整頓はされていない、どこか雑然とした印象を受ける部屋である。

 

「お邪魔するわ」

「失礼します」

「はい、いらっしゃい。ハニ君はこちらへ。カミラ嬢はソファにでも掛けてくれ」

 

 ドクトルは改めて二人を出迎えてくれた。

 カミラは応接用のソファ、ハニはドクトルの机の向かいの丸椅子を勧められる。

 

 カミラは遠慮なくソファへダイブし、立ち止まっているハニへと声を掛けた。

 

「どうしたの、ハニ。座りなさいな」

「え、と。あの、今日は、どうして」

 

 ハニの様子がおかしい。

 何故だかもじもじしているし、声も小さく不安げだ。

 

 基本的にのほほんとしており、そうかと思えば無鉄砲で猪突猛進なハニ。

 彼女にしては珍しい気弱な態度と躊躇いに、カミラは首を傾げる。

 

「なあに、もじもじしちゃって。もしかして、お手洗いかしら」

「違います。そうじゃなくて、その、何でもないです」

 

 慌てて着席したハニの様子は、やはりおかしかった。

 見るからに緊張しているし、びくついている。

 

 そういえば、部屋に入る少し前からずっと無言だった気もする。

 

 どうしたのだろうか。

 カミラは辺りを見回し、机の上に置かれた器具の存在に気付いた。

 

 それは本日のメインイベントに欠かせぬ道具。

 大抵の生物は嫌うアレであった。

 

「ははーん……?」

 

 名探偵カミラは口の端を上げる。

 

「ねえ、ハニ。今日、何のためにお前を連れてきたか、もう気付いているわよね?」

 

 ハニがびくりと肩を震わせた。

 振り返る彼女の目には、既に薄く涙の膜が張っている。

 

「やっぱり、そうなんですね」

「ええ。これもお前のためよ。我慢なさい」

 

 膝の上で拳を握り、俯いてしまうハニ。

 何といじらしく、愛らしいのだろう。

 

 キュートアグレッションの極みである。

 うっかり涎がこぼれてしまいそうなカミラだ。

 

 その顔がもっと見たくなり、カミラは席を立ってハニの傍へと駆け寄った。

 震える肩を撫でて宥めてやろうとして、手が止まる。

 

 なんということだろう。

 ハニはほろほろと大粒の涙を零していた。

 

 そう、泣いているのだ。

 血の珠が浮かぶほどに唇を噛み締め、呼吸すら怪しいまでに震え、さらには懸命に声を殺して泣いている。 

 

「あらあら、ハニったら。困った子ね」

 

 カミラはハニの背中を摩る。

 

 どれくらいの嘆きっぷりかというと、嗚咽を押し殺そうとする筋肉の強張りがダイレクトに伝わってくるほどだ。

 さすがに可哀想になってきた。

 

 だがしかし、である。

 

 

 そんなに怖いのだろうか。

 注射が。

 

 

 普段はノータイムで爆発四散を選ぶのに。

 意外すぎる。

 

「どうしようかしらね」

 

 カミラは頬に手を当てる。

 

 困った。

 ここまで怖がるとは思っていなかったのだ。

 

 せめて予防接種だと教えて連れてくるべきだったろうか。

 カミラが内心で反省していると、様子を窺い続けていたドクトルが呟く。

 

「もしかしてだけれど、ハニ君、何か誤解していないかい?」

 

 ドクトルはしゃがみ込み、ハニと視線を合わせた。

 そして、柔く微笑み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「あのね、ハニ君。これが終われば、君はちゃんとおうちに帰れるよ」

「……え?」

「君が帰る先はもちろん、これまでと同じ。カミラ嬢達のいる家だ。分かるかい?」

 

 長い沈黙が落ちる。

 それは停滞ではない。

 

 ドクトルの言葉は優しい雨のよう。

 その言葉が、そして意味が伝わり、温度と共にハニへと届くのが分かった。

 

「カミラ様の、おうち」

「そうだとも。君は譲渡されるわけじゃない。今日はただ、予防接種に連れてこられただけだ」

 

 泣き濡れた蜂蜜色の瞳が瞬く。

 

 与えられた言葉をなぞり、ハニが呟いた。

 

「予防接種……よぼうせっ、え?」

「そう。君に健康でいてほしいと、カミラ嬢は願っているんだよ」

 

 ハニの頬に朱が昇る。

 それはもうはっきりと、褐色の肌であっても瞭然と分かるほどに。

 

「あ、あああ、わた、わたし!」

 

 ハニの声は完全に上擦っていた。

 唇を戦慄かせ、彼女は突如立ち上がる。

 

「私、お手洗いに行ってきます!」

「え、ちょ、ハニ!」

 

 止める間もない。

 ハニは脱兎の勢いで部屋を飛び出していった。

 

 カミラは呆然とその背を見送る。

 

 しゃがみ込んだまま、ドクトルが尋ねてきた。

 

「どうしてここにくる理由を教えてあげなかったんだい」

「嫌がって暴れるかなと思ったのよ」

「そんな、大型犬でもあるまいに」

 

 呆れを多分に含んだツッコミである。

 

「ハニ君が暴れたところで、だ。君なら新生の一人や二人、小指一本で押さえられるのでは?」

「無理矢理押さえつけたら可哀想でしょう」

「今の状況の方が余程可哀想だけれどね」

「……まあ、そうともいえるわ」

「ついでに言わせてもらえば、泣いている子どもを見て面白がるのは品性に欠けた行いだよ」

 

 至極冷静な評価が下り、カミラは項垂れた。

 古き友人にここまで言われては、ぐうの音も出ない。

 

「ところで、カミラ嬢。君達というか、ハニ君が協会本部に来るのは今日が二度目だったかな」

「ええ、そうよ。それが何か?」

「彼女、御手洗の場所、分かりそうかい?」

 

 協会には敵も多い。

 本部は侵入者対策のため入り組んだ作りとなっており、素人など秒で迷うほどだ。

 

 半笑いになるカミラの肩をドクトルが叩いた。

 まったく何の慰めにもなっていないが、そもそも慰められる資格もない血族長である。

 

 

   ◇

 

 

 一時間後、痺れを切らしたカミラが館内放送を決行。協会本部棟の果てを彷徨っていたハニは無事に捕獲された。

 

 ハニを連れてきてくれたのは、見知らぬ少年少女達であった。

 

「バケモノのお姉ちゃん、大丈夫?」

「バケモノのお姉ちゃん、泣かないで。もうすぐ先生のお部屋だからね」

「いや本当に違うんです。ぼく、あなたが弾け飛んで再生する様を見ていたからバケモノと叫んでしまっただけで、今のあなたを見てバケモノと思ったわけでは決して」

 

 ハニは姉妹らしき鬼の少女二人にそれぞれ手を引かれ、人間の少年に先導されている。

 少女らは純粋にハニを心配しているようだが、少年は何やら必死に言い訳を繰り返していた。

 

 ハニはといえば、羞恥のあまりか、しくしくさめざめと泣いている。おそらく、少年少女の声は届いていないだろう。

 

「バケモノのお姉ちゃん、ばいばい」

「もう迷子になっちゃだめだよ」

「本当にごめんなさい。悪気はなかったんです。この子達にも後で言い聞かせますから。ごめんなさいごめんなさい」

 

 ハニを送り届けて去っていく子ども達を見送り、カミラは首を傾げた。

 

「ハニ、お前、協会に知り合いがいたの?」

「この前の船の子達です……」

「ああ、人身売買の」

 

 瞼を腫らしてしょぼしょぼと答えるハニの背を撫でてやる。

 同じく子ども達を見送っていたドクトルが溜め息を吐いた。

 

「カウンセリング、続けないとだね」

 

 明らかに挙動不審だった少年を指しての言葉だろう。ドクトルは鬼・人の垣根なく協会のフォローをして回っているのだ。

 

 そんな多忙な彼を長々と拘束するわけにもいかず、問診もそこそこに予防接種はすぐに始まり、瞬く間に終わった。

 

「これ、何の予防なのですか?」

「“穢れ堕ち”だよ。浄化の血族の君達は元より感染しない可能性が高いけれど、念の為にね」

 

 ミナトを思い出したのだろう。

 ドクトルが目を伏せる。

 

 彼は小さな吐息を零し、灰の目を柔く細めた。

 

「結局、これも気休めなんだ。接種しても、完全に発症を防げるわけじゃない」

 

 “穢れ堕ち”が病であるのは解明されているが、その発症プロセスは未だ謎のまま。

 

 ただ、ワクチンの普及以降、発症数が激減したことは確かで、接種により感染拡大を防げるとも考えられている。

 

 浄化の血族への接種が有効ということは、ワクチンそのものは害ではないということ。

 カミラが身体を張って開発に協力したのは、随分と昔のことである。

 

 憂いを見せたドクトルへカミラは告げる。

 

「大丈夫よ。私は何度も“穢れ堕ち”と対峙しているけれど、発症していないもの。ドクトルも自分の研究に自信を持つといいわ」

「そうだね。ありがとう」

 

 穏やかに微笑んだドクトルへ礼を言い、カミラとハニは協会を後にした。

 

 快速特急直行便の行きと違い、帰りは馬車を乗り継いでの旅が続く。

 当然お腹も空くわけだが、号泣した上に予防接種直後のハニを貪るわけにもいかず、カミラはひもじい思いをしていた。

 

 空腹を紛らわせるために、カミラは問いかける。

 

「ねえ、ハニ。お前、どうして手放されると勘違いしたの?」

「カミラ様が私を譲渡するならば、ドクトルに任せるだろうと思ったからです。ミツ時代の記憶を持つ私にとって、それが一番なので」

「待ちなさい。話が飛んでいるわ。まさかお前、協会に連れてこられただけで、破棄されると思い込んだの?」

 

 理論の飛躍についていけず、カミラは訝しんだ。

 しかし、ハニの中にはしっかりとした理屈があるらしく、彼女はゆるりと首を振る。

 

「急ぎで協会に向かわれましたよね? 私の為とも仰いました。それに、カミラ様を抱き上げることを、温情、と」

「まあ、言ったけれど。それがどうしたの」

「カミラ様はお優しい方です。もし、私を手放される時はきっと、情を残さないように配慮してくださると思っていました」

「…………」

「私がカミラ様への思いを残さないよう、淋しさを覚えるより手早く、ぬくもりだけ残して、適切な相手へ譲るのだろうと思ったんです」

 

 いつも楽しげに笑っていたハニ。

 彼女の内では常に『良識』が働いている。

 状況を解析し、優れた判断を行う力。

 

 しかし、それは彼女自身の物差しを基準にしており、必ずしも彼女を助けるものではないのかもしれない。

 

「ねえ、ハニ」

「はい、カミラ様。何でしょうか?」

「お前、私に捨てられると思ったのよね」

「……はい」

 

 カミラとハニ、馬車で二人肩を寄せながら囁き合う。

 

「それはどうして?」

「私がお役に立てていないからです」

「どうしてそう思うの?」

「……私が、私だから」

 

 小さな声だ。

 確信と諦念に閉ざされた声。

 

 ハニの、ニエの思考をカミラは理解できない。だが、理解できなくとも、ハニはカミラのものだった。

 

「私はお前が好きだわ。味も香りも、ちょっとおかしなところも。分かる?」

「はい」

「私は美味しいお前を食べていたいし、私を知っているお前達と暮らせるだけで充分なの」

 

 届かない。

 響かない。

 今はまだ。

 

 だが、いつかは伝わるかもしれない。

 時間は膨大で、大いなる流れを共にする者こそが血族である。

 

 そう思い、カミラはハニの手を握った。

 

 皮膚の下の熱を確かに感じる。

 腹とは別の何かが満ちていく感覚を、長く生き続けたカミラは知っているのだ。

 

「本当に、充分なのよ」

 

 ハニに信じ込ませるように、あるいは自身に言い聞かせるように、カミラはただ繰り返した。

 

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