ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
ある日の正午。
夜行性寄りの鬼達にとっては、早朝の出来事である。
欠伸まじりに起床したカミラは、いつものように居間のソファで転がる。
常は百合の如き淑やかな美少女も、寝起きは台無し。髪は前衛アートさながらに爆発し、半分閉じた目は浮腫んで重い。
これはもう、世話を焼いてもらうしかないだろう。カミラはにやつきながら、奥の炊事場へと声をかけた。
「ハニ、ハニはいないの?」
「はーい、今行きます」
ぱたぱたと足音がして、褐色肌に黒髪の美少女が現れる。今日の衣装はエプロンドレス、いわゆるメイド風だ。
「今日もお願いするわね」
「おまかせください!」
流れるように膝枕をされる。
太腿の感触を堪能している間に、蒸しタオルによる洗顔や完璧な指使いのマッサージが進んでいくのだ。至福としか言いようがない。
身体を起こされ、次は髪梳きだ。
「カミラ様、気持ちいいですか?」
「最高よ」
「良かったです。最高の食事体験は最高の下準備から。カミラ様がハニを美味しく食べられるよう全力を尽くします。常に最高品質を誇るニエの嗜みなのです」
食糧としてのプロ意識が高いハニは、何事でも食事に繋げるという謎理論を掲げている。
セールストークとなると饒舌になるのもいつものこと。
カミラとしてはハニの声を聞いていられるので、これもまた楽しい時間だった。
丁寧に髪を梳かれる快感に酔いしれながら、カミラはふと浮かんだ疑問を口にする。
「ねえ、ハニ。お前の言う『最高品質』というのは何を指しているの?」
質問自体に大した意味はなく、何の気なしに問いかけただけ。
そもそも、ハニの声をもっと聞きたいがために始めた世間話だったのだ。
しかし、何故だろうか。
待てど暮らせど答えが返ってこない。
さらにいえば、髪を梳く手も止まっていた。
不審に思ったカミラは振り返り、背後の彼女の姿をうかがう。
「ハニ?」
ハニは硬直していた。
肩を掴んで揺さぶっても、目の前で手を振ってみても駄目だ。意識がどこかへ飛んでいってしまっているらしい。
ぽろり、と。
彼女の手から、櫛が落ちる。
「──……私、は」
零れる声を追った先。
ハニの顔を見上げ、カミラは思わず腰を浮かせた。
「な、何? ハニ、どうしてしまったの?」
唇は薄く開いて戦慄き、蜂蜜色の瞳も滲む涙に翳って虚ろ。心なしか頬も青褪めているようだ。
絶望溢るる表情でその場に崩れ落ち、ハニは肩を震わせた。
「私は、カミラ様のお役に、立てては、いなかったのですね……!」
この世の終わりかのごとく暗く、血反吐を吐くかのごとく苛烈な自責。
それはまさしく悲嘆であった。
カミラが呆気に取られている間に、ハニはよろめきながら立ち上がる。
「最高品質などと声高に喧伝しておきながらこのざまとは……最高は最高だから最高で、何を説明せずとも最高のはずなのに……!」
「何、急にどうしたのよ」
意味もきっかけも分からないハニの嘆きについていけず、カミラはただ手を彷徨わせる。
エプロンドレスの裾を掴もうとした手は虚しく空を切った。
結果、ふらついたハニはそのまま壁に激突。
「ハニ、大丈夫!?」
慌てて駆け寄るも、ハニは膝をつき、息も絶え絶えの様相だ。
壁に縋り付いてなんとか立ち上がる彼女だったが、その膝は見事に笑っている。
「美味しく食べてもらうための準備もろくにできず、皆様の舌も心も満たせない……ハニは、カミラ様のおやつとして失格です!」
何故、そうなる。
生粋の捕食者であるカミラには理解不能の食糧倫理であった。
「もう、ここにはいられません!」
叫ぶやいなや、ハニは脱兎のごとく逃げ出す。
しかし、タイミングの悪いことに、部屋の出口には筋肉達磨がいたのだ。
「ぎゃん!?」
妙な悲鳴を上げ、ハニが跳ね飛ばされる。
盛大に尻餅をついた彼女は、涙目のまま身体を反転。まさかのクラウチングスタートを切って、炊事場の彼方へと去っていった。
直後、派手に食器の割れる音が響く。
何かが弾け飛ぶような異音がして、間髪入れずに老女の怒声が轟いた。
「ハニ! 出掛けるなら片付けていきな!」
「ごめんなさいぃぃ──……!」
おそらくだが、勝手口を破壊して逃げ出したのだろう。
ハニの声は遠くなり、そして消えた。
新聞片手に部屋の入り口で立ち尽くしていたベントがぼそりと呟く。
「なんだ、今のは」
カミラは呆然と首を振る。
何と言われても、分かるわけがないのだった。
◇
幸いながら、ハニが破壊していった勝手口はすぐに修復できた。蝶番がイカれただけで、扉は無事だったためである。
ハニが飛び出した後、彼女の後を追ったが成果はなし。近くの森や畦道、もしやと思い水路まで覗き込んだというのに見つからなかった。
仕方なく館に戻ったカミラだが、気が気ではない。
どうにも落ち着かず、炊事場と居間、そして玄関を行き来し続けている。
「迷子になっていたらどうしましょう」
「あの子だってここに来てから随分経つ。今更迷子になんかなるもんか」
レインが金槌を振るう。弾け飛んだ蝶番を叩いて直し、ネジで固定する手際には迷いがない。
それにしても随分と淡白な反応だ。
カミラは非難の目を向けた。
「レインったら心配じゃないの? ハニが家出をするなんて初めてのことなのよ」
「そりゃあ重畳。子どもなんだ、家出の一つもした方が健全じゃないのさ」
人として真っ当に歳を重ねてきたからだろうか。豪胆なレインはまともに取り合ってくれない。
カミラは歯噛みして標的を変えた。
「ベント、お前も心配でしょう?」
扉を抱えて嵌め込み直していたベントが低く唸る。
「どちらかといえば、他所様に迷惑をかけていないかが気になるな」
勝手口の扉は嵌めるが、話の梯子は外す。朴念仁の彼らしい反応に、カミラは眉根を寄せた。
「ハニは優秀だもの。他所に迷惑なんかかけないわ」
「そうだな。せいぜいが、爆散して青少年の心に多大な負荷をかけるぐらいだ」
「そういえば、良家のお嬢さんの舌を噛み切らせる寸前までいってたね」
ハニの罪状がひどい。
カミラは一瞬素に戻り、ハニの教育方針について憂慮してしまう。
「……そうじゃなくて。今はあの子の行方よ」
「家出先なんざ限られてるよ。今頃は村の子どもらに遊んでもらってるだろうさ」
事もなげにレインが答える。
カミラは憮然と腕を組み、炊事場のカウンターの上へと視線を落とした。
ハニの血入りスープに血豆腐、塩漬けにしたモモのサラダ、そして陶器のコップに注がれた搾りたての生き血。
どれも美味であるということを、カミラは知っている。
「大事な
ここにはいない少女へと小声で呼びかけた。
答えはない。
割れた皿を集めて寄せ、レインがぼやく。
「帰ってきてこれを見たら、あの子、また泣くんだろうねえ」
真っ二つに割れてしまった食器はレイン用の皿。白地に金の装飾が入った、家族で揃いのスープ皿である。
裏を向ければ小さなマークがあしらわれており、誰の物か識別できるようになっていた。
カミラは百合。
ベントは髭。
ハニは蜂。
そして、レインは太陽と雨。
それぞれの刻印はハニが悩みに悩んで考え、近くの村の職人に依頼して刻まれたものだ。
カミラとレインは同時に溜め息を吐く。
そんな二人を見ていたのか、ベントが言った。
「迎えに行くか」
「え?」
「結局、あいつは村にいるのだろう? 迎えに行くついでに、皿の修理も相談すればいい」
顎髭を撫でて提案してくるベントを見上げ、カミラはにんまりと笑う。
「やはりお前も心配していたんじゃない」
「そういうわけではない」
「でも、お前もついてくるのでしょう?」
「たまには村の様子も見ておくべきだからな」
筋肉達磨の照れ隠しほど可愛くないものはないが、古き鬼たるカミラからしてみればベントもまだ若造。赤子とまでは言わずとも反抗期の子どものようなものだ。
カミラがベントを揶揄っている間に、レインが割れた皿を布に包み、外出の準備を始める。
心なしかその表情は柔らかい。
「あたしゃもうジャムの口なんだよ。さっさと迎えに行って飯にしようじゃないか」
「日傘を取ってくるわ。置いていってはいやよ」
カミラはそう言って踵を返す。
ハニには悪いと思いつつも、その足取りは軽やかなものであった。
ちなみに。
レインの予想通り、ハニは村にいた。
「お姉ちゃん、もっともっと!」
「成程、こうですね。期待に応えます!」
「アッ、この速度はちょっと無理──!」
村に入ってすぐの広場にて。
両腕に計六名の子どもをぶら下げて大旋回しているハニを見つけ、カミラ達は苦笑いを零すのだった。
皿の修理を頼み、ついでにハーブやパンを買い足した一行は帰路に就く。
荷車に女三人を載せ、ベントが纏めて引くスタイルだ。
「ベント様、代わりましょうか?」
「勘弁してくれ。お前が引くならおれは乗らん」
助力を断られたためか、ハニは三角座りで俯いていた。
「私、役に立つどころか、邪魔ばかりしてます」
彼女の蜂蜜色の瞳を覗き込み、カミラは問う。
「ねえ、ハニ。『最高品質』の話だけど、何をどう受け取って『役に立っていない』と思ったの?」
ハニは背中を丸め、小声で答えた。
「品質について問われる……つまり、カミラ様はハニという食事に満足されていないということ」
「うん?」
「私が役立たずである証左です」
「うん???」
カミラは首を傾げた。
盛大な論理の飛躍があったような気がする。むしろ、理屈を蹴り飛ばして謎の結論に不時着した感すらあった。
「何? どういうことなの?」
頭上にハテナを浮かべて唸り、カミラは周囲へ救いを求める。
ベントは視線を逸らして知らないふりをしており戦力外。その代わり、レインが呆れ顔で目を眇めた。
「最高品質とは何かなんて尋ね方をするから、嫌味に聞こえたんだろ」
「嫌味? 私が、ハニに?」
「そうさね。『へえ、この程度で最高か。知らなかった。これで最高とはたまげたなあ』という感じに聞こえたんじゃないかい」
レインの言葉にハニが頷く。
「嫌味ではなく、純然たる評価なのです」
項垂れるハニを見て、カミラはあんぐりと口を開いた。
そんな馬鹿な。
何をどう受け止めればそうなるのか。
「違うわ。私もベントも、ついでにレインだって、お前に不満があるとは一言も言っていなくてよ」
慌てて言い募るもハニには通じない。
かといって、彼女もただ項垂れたままというわけではなかった。
めらりと瞳に炎を宿したかと思えば、謎の闘志を燃やし出してしまう。
「
「聞いてちょうだい。私、今でもお前の味が好きなのよ。満足しているの。ねえ、ハニってば」
カミラはハニの肩を掴んで揺さぶる。
残念ながら、呼びかけは欠片も届いておらず、ハニはあらぬ方向を見て奮起していた。
鼻息も荒く、爛々と輝く目が怖い。
「そうと決まれば、まずはマンネリ対策です。今日はお天気もいいですし、お庭でお食事といきましょう」
言うが早いか、ハニがエプロンドレスをはためかせて荷車から飛び降りる。
「私は一足先に戻って準備をしてきますね!」
「ちょっとハニ、待ちなさい。ハニ!」
ロケットスタートで走り出す背中に手を伸ばすが、今回もまた制止は叶わない。
ハニは館の方へと爆走し、瞬く間に姿を消した。
行き場をなくした腕を彷徨わせるカミラ。
その背中を叩き、レインが言う。
「要は『これからも頑張ります』ってことだ。あたしら年寄りは若者の成長を見守ってやりゃあいいのさ」
「一緒にしないでちょうだい」
年寄りは年寄りでも、カミラとレインでは桁が違う。鬼と人間では時間の進みが違うのだ。
齢八百を超えるカミラからみると、レインも赤子。ハニなど赤子より前の段階、未受精卵よりなお若い。
見守るも何も、もはや息をしてお喋りできるだけで奇跡の存在である。
可愛いおやつに置いてけぼりにされてしまい、カミラはむくれる。
せっかく迎えに行ったのに、先に帰られては意味がないではないか。
帰路の道中、ハニを全力で可愛がるつもりであったため、肩透かしを食らった気分だった。
「なあ」
無言で荷車を引いていたベントが控えめに声を上げる。
「朝、ハニは何の準備もなく飛び出したわけだが」
「まあそうね」
「あいつ、鍵を持っていると思うか?」
カミラとレインは顔を見合わせる。
閉め出されているであろうハニの姿を思い、三人はそれぞれ溜め息を吐くのであった。