ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
第22話 贈り物は麗しき、菫の花の砂糖漬け
「アンジェリカ・ド・ラ・ヴィオレット=クリスタリーゼ! 以上の罪により貴様を“牙の谷”送りとし、今この時を持ち貴様との婚約を破棄する!」
王太子の宣言を聞いた時、アンジェリカは静かに頭を垂れた。
王家主催のパーティーでの告発劇は、ただただ一方的なものであった。
並べ立てられた罪状に覚えはない。
しかし、突き刺さる非難の視線を受け止めるべき咎はあるのだ。
いち男爵令嬢に傾倒していく王太子や彼の側近達を諌めることができなかった。
王太子の婚約者でありながら、社交界にて花となれず、ついには生家からも見放された。
アンジェリカは理解する。
己には、未来の国母たる才がなかった。
それこそが最大の罪。
ただそれだけのことなのだ、と。
どれだけ努力を重ねても無駄だったのだ。
「アンジェリカよ。貴様を贄として捧げることにより、侯爵家の罪は雪がれる。これは最大限の温情だ」
冷たく告げた王太子が指示を送り、控えていた騎士達が動き出した。
無理矢理にでも連れて行こうというのだろう。
だが、アンジェリカにも淑女としての矜持があるのだ。
アンジェリカは一人立ち上がり、最後の礼を取る。
「──委細承知いたしました」
無実の罪は認めない。
虚ろな謝罪など決してしない。
だが、責を果たせなかった咎は負おう。
せめて最後まで前を向き、この身で全てを受け止めるのだ。
亡き前王妃陛下より薫陶を賜り身につけた、完璧な立ち居振る舞い。
実の両親よりも親身に寄り添い、温もりを教えてくれたかの方に恥じぬ在り方を。
大広間が静まり返る。
アンジェリカは前を向き、王太子らを見つめた。
宰相の息子、公爵家嫡子、若き王国騎士団長、侯爵家嫡子であるアンジェリカの弟。
そして、王太子。
彼らの後ろに隠れて密かに笑う男爵令嬢。
浅はかにも国の権勢を傾ける者達。
彼らの有り様こそが、アンジェリカの罪の形だ。
「御前失礼いたします」
アンジェリカは踵を返した。
拘束のために集った騎士を引き連れるようにして、稀代の悪女は大広間を後にする。
「アンジェリカ!」
冷たく長い廊下を進んでいると、背後から名を呼ぶ声がした。
振り返れば、息せき切って走ってくる影。
前王妃陛下の息子、この国の第三王子だ。
「アンジェリカ嬢、待ってくれ! これは何かの間違いだ。君が母上を殺すわけがない! 僕が何とかするから、だから……!」
言葉を詰まらせた第三王子の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「すまない。僕が不甲斐ないばかりに、兄上達を止めることができなかった」
「殿下のせいではありませんわ」
「いいや、これは王家の罪だ。無実の罪で忠臣の名誉を汚し、まして牙の谷に送るなど、許されるはずもない」
彼は幼い頃から親しくしてくれた。いわば幼馴染のような間柄で、ともすれば王太子よりも信頼し合う仲であったと言える。
アンジェリカは微笑んで首を振る。
「殿下、よいのです」
「何がいいものか! 牙の谷に行けば、君は鬼に食われてしまうんだぞ!? そうだ、僕が真実を明かし陛下に──」
「殿下」
第三王子の言葉を遮り、アンジェリカはそっと彼の耳へと唇を寄せて囁いた。
「私は決して死にません。何とか逃げ出し、この国の外より殿下をお支えいたします」
「何か策があるのか?」
「いいえ」
「無策でどうにかできる状況ではないだろう。やはり僕が動くべきだ!」
声を荒げた第三王子を見つめ、アンジェリカは凛と告げる。
「なりません、殿下。今やこの身は一介の罪人。王子殿下のお心を傾けていただけるような身分ではありませんわ」
アンジェリカの言葉に、第三王子が黙り込んだ。
俯き拳を握りしめる彼の姿に罪悪感を覚えながらも、アンジェリカは静かに頭を下げた。
「殿下、お別れでございます。お心を煩わせたこと、申し訳ございません」
「……全て許そう。僕と君の仲だ」
「では、失礼いたします」
アンジェリカは再び地下牢への道を歩み始める。
第三王子はもう、追ってこなかった。
冷たく饐えた匂いのする地下牢で、アンジェリカは考える。
何もできないかもしれない。
だが、出来うることは全てやらねば。
ただ命を長らえるためではない。
この国と国民のため。
そして、第三王子と亡き前王妃陛下のために、今死ぬわけにはいかないのだ。
必ず。
必ず生き延びてみせる。
知らずこみ上げる涙を拭うこともせず、アンジェリカはただ思案を巡らせ続けた。
◇
────なぜ。
なぜ、こんなことがゆるされるのだろう。
薄れゆく視界の中、アンジェリカはぼんやりと考える。
なぜ。
元より不仲だった両親は、汚物でもみるような目でアンジェリカを牙の谷に送った。
王家からの監視として王国騎士団長が護衛につき、他には数名の騎士や側女を連れただけの静かな出立だ。
侯爵家から出されたのは、アンジェリカが子どもの頃から優しくしてくれていた老いた御者と侍女一人。
彼らはなんとかアンジェリカを逃がそうと考えてくれているようだった。
牙の谷には鬼が棲む。
手前までとはいえ、恐ろしい場所へついてきてくれる二人に申し訳なく思う反面、どうしようもなく心が揺れた。
そんな自分の浅ましさに吐き気がした。
二人の忠義に報いるためにも、どうにか隙をついて逃げ出そうと策を練っていた最中のことだ。
牙の谷へ向かう馬車が襲撃されたのは。
まず真っ先に王国騎士団長が殺された。
いかなる武芸者とて、多勢に無勢で襲われてはひとたまりもなかったのだ。
ましてや、襲撃者の中には鬼も混ざっていたのだから。
騎士も側女も斬り捨てられた。
決死の判断で馬を駆りアンジェリカを逃がしてくれた御者は、追ってきた他家の騎士隊に首を撥ねられて死んだ。
アンジェリカ自身も毒矢を喰らいながら、侍女と共に逃げた先、現れたのは悪鬼。
非力な身体では太刀打ちできるはずもないのに、侍女はアンジェリカを庇い、最後は食われて死んでいった。
全てが壊され尽くした、その後。
被毒しているから味が悪い、と。
死に体のアンジェリカを捨て置き、鬼はどこかへと去っていった。
腕は切られ、足ももがれた。
臓腑を散々暴かれ、もう息ができない。
アンジェリカは微かに唇を歪めた。
アンジェリカ達を襲ったのは、前王妃陛下の生家である伯爵家の騎士団。
今となっては真意を探ることも叶わないが、彼らは第三王子の命により遣わされたと豪語していた。
結局は何もかもが茶番。
全てが、無駄だったのだ。
指先一つ動かすこともできず、アンジェリカはただ空を見上げる。
雨が降ってきた。
ああ。
もはや瞼を閉じる気力もない。
思考すら、溶けて。
意識を手放す、その間際。
名を呼ばれたような気がして、アンジェリカは何とか目を動かした。
だが何も見えない。
もう、何も。
迫る馬の音を耳にしたところで、アンジェリカの意識は途絶えた。