ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
カイニスは騎士である。
平民上がりながら師と才に恵まれ、誉れ高きヴィオレット=クリスタリーゼ侯爵家の有する騎士団に入団できた。
死に物狂いで成り上がり、騎士となったのには理由がある。
幼き頃、馬車の前で転んでしまったカイニスを、貴き侯爵令嬢が救ってくれた。
平民の子ども風情、斬り捨てられても仕方ない状況であったというのに、令嬢は馬車を降り、気遣ってくれたのだ。
アンジェリカ・ド・ラ・ヴィオレット=クリスタリーゼ。
カイニスは、彼女のためならば何でもできる。
何だって成し遂げてみせる。
そう、思っていた。
王太子の婚約者であり誇り高き侯爵令嬢であるはずのアンジェリカに、良からぬ噂が付き纏うようになったのはいつのことだろう。
所詮は平民出のカイニスにとって、社交界での出来事など遠い世界の話。
ただ、貴族の学園に通うアンジェリカの表情が日毎に暗くなっていることには気付いていた。
そして、ついに事件は起こってしまった。
侯爵家騎士団が隣領とのいざこざに駆り出されている間に、アンジェリカは断罪され、僻地へと追放された。
否、処刑されたのだ。
“牙の谷”には悪鬼が棲まう。
数年に一度、うら若き乙女を生贄として捧げることで、この国は悪鬼の侵攻を抑えてきた。
か弱き男爵令嬢を虐げたばかりか、あろうことか前王妃陛下の暗殺にも関与していた。
────そんなありもしない罪を捏造され、アンジェリカは贄として鬼に捧げられてしまったのである。
事態を知ったカイニスはすぐさまに国を発ち、アンジェリカの後を追った。
その道で、アンジェリカを陥れた一員であるはずの王国騎士隊長の遺体を発見。
彼だけでなく、側女や騎士、侯爵家付きの老御者が悉く事切れていたのだ。
さらに暫く進んだ先。
アンジェリカ付きの侍女が
半分ひしゃげた、頭部だけ。
残る身体は見当たらない。
代わりに散らばるのは、舐めとられたような白い骨ばかり。
絶望に襲われる中、カイニスはそれでもアンジェリカの痕跡を辿った。
硝煙と血の匂いが満ち、人ではない者の気配も漂う谷底。
そこに、アンジェリカは、いた。
以後は、記憶にない。
血の海に沈む想い人の亡骸と、彼女の心臓を貫く悪鬼を見た時、カイニスの思考は全て弾け飛んでしまったのだ。
◇
ルスヴンは鬼である。
齢は五百を越える、歴とした古き鬼だ。
用心深く温厚な彼は、自身の縄張りに引きこもり、滅多に家の外に出ることがない。
しかし、数年に一度、どうしても──ものすごく、心の底から大変に嫌なのだが──外出しなければいけない事態に陥る。
それがこれだ。
「まただ……また知らない御令嬢が捨てられてる……」
ルスヴンの縄張り。
自認としては彼の庭。
草も生えない渇いた谷底。
そこに打ち捨てられたるは御令嬢である。
愛しき妻の語るところ、彼女
種族は人間。
ルスヴンが発見する時には大抵人の形を成していないことが多いため、本当に人間であるのかは一見すると分からない。
強いていえば、良い布と良い装飾品をつけており、事前情報があってやっと『御令嬢』と分かる。
その程度の残骸である。
今回の御令嬢は特にひどい。
腕が蛇腹に切れて妙に伸びているし、足は片方千切れてなくなっている。
胴体はばっさりと開かれ、腹圧か何かで内臓がぽろりしていた。
顔も血塗れである。
内臓を抉られたからか。
あるいは毒のせいか。
ルスヴンは鼻をひくつかせて半泣きになった。
薬物の類いは苦手だ。
嫌な思い出が甦る。
地面に横たわる、否、落ちている御令嬢に近付き、ルスヴンは一人呟いた。
「えぇ……これは無理でしょ……絶対死んでる」
ルスヴンは臆病である。
残虐映像への耐性もなければ、凄惨な事件など微塵も関わりたくもない。
それでも確かめなければ、後が怖いのだ。
永久凍土のような妻の目を脳内で思い浮かべて、ルスヴンは身震いをした。
「あのー、えっと、アンジェリカさん?」
反応がない。
だが、死んでいるとも言い切れない。
ルスヴンは近眼なのだ。
「うん? アンゼリカだっけ? まあいいや、アンなんとかさん」
令嬢の名は事前連絡で知った。
恐怖と忌避感のあまり、うろ覚えである。
恐らくきっと大丈夫。
名前はともかく、本人であっているはずだ。
もし別の捨てられ令嬢が他にいたらばどうしようもないが、さすがに同日に複数名の令嬢が捨てられているとは思いたくない。
仕方なく、さらに一歩と近付く。
顔を限界まで背け、目を極限に細めて、なるべく直視しないように、御令嬢の安否を確認するのだ。
「生きてますか? 死んでます? 死んでますよねー?」
こぽり、と。
嫌な音がする。
ルスヴンは文字通り飛び上がった。
「えっ、えっ? い、生きてる?」
見れば、御令嬢の胸──だったであろう部位が微かに上下している。
「やだ……人間のしぶとさこわい……」
怯え切り半泣きになりながら、ルスヴンは御令嬢の側に膝をついた。
「えっとですね、アンなんとかさん。はじめまして。ぼくはルスヴン、谷底の鬼です」
「…………」
「もし、もしですね? 何かやり残したり、目標があって生き延びたいとか、野望的なアレがあるのでしたら、方法があります。鬼になるのです」
早口に、なんなら御令嬢が聞き取れませんようにと願いながら、ルスヴンは言葉を紡ぐ。
「全然断ってくれて構わないし、ぼくとしてもこのままご放念いただきたいというか、ええ、さっぱり忘れてください。そして、願わくば成仏しておくれ!」
勢いよく御令嬢の死と成仏を願ったルスヴンは、次の瞬間、身の毛もよだつ光景を目にしてしまった。
菫色の瞳。
御令嬢の、目が。
御令嬢の目玉がぎょろりと動いてルスヴンを捉え、そのままこぼれ落ちたのである。
「ひいいいっ!? ごめんなさいごめんなさい! きみの不幸を願ったわけじゃないっていうか、既にきみってば不幸だしみたいな、ね!?」
尻餅をつき全力で後退したルスヴンの耳に、微かな声が届く。
「────に」
「はい?」
「────に、して」
よく聞き取れない。
聞き取れないが、『〇〇にして』と言われれば、恐らくは鬼への転化を望んでいるのだろう。
仕方ない。
本人が望んでいるし、ここで無視したことがバレたら、後で妻がこわい。
ルスヴンは顔をくしゃくしゃにし、御令嬢から全力で距離を取りつつの転化手続きをはじめた。
「指先を切って、痛っ!? 破傷風とかで死んだらどうしよう……いやだなあ、こわいなあ」
ぶつくさと文句を言いつつ自身の指を切り、血を搾り出す。
御令嬢の口元に血を垂らそうとして、ルスヴンは悩んだ。
喉がひん曲がっているが、これで血を飲み込めるのだろうか。
そもそも、嚥下可能な雰囲気ゼロである。
おりしも御令嬢の腹は全開。
都合の良いことに消化管のあたり、断片の形状から察するに胃に穴が開いていた。
「よし、直接いってみよう。大丈夫、きみは死なないよ。ワンチャンあるからね」
解決策が見えて安堵したルスヴンは、朗らかに告げる。
なんとなく、聞き覚えのあるセリフだった。
無事に転化が始まる。
見たところ、血統の力も定着している。
成功だ。
しかし、回復スピードが遅い。失血が止まらなければ鬼になれたとて死ぬ。
これはどうしようもない。
自然の定めだ。
「なむさん」
しかし、である。
一応うまくいく可能性もあるため、ルスヴンは御令嬢の血肉が沸き立ち回復する様を見守ることにした。
当然だがそんな殊勝な姿勢は長く続かない。
ものの見事に数秒で真っ青になり、口元を押さえて吐き気に全力抵抗する状況に陥る。
ルスヴンは臆病なのだ。
目前で延々開催されるグロ再生祭への忌避感、そして御令嬢が現在感じている苦痛への同情。
ルスヴンは色々耐え切れなくなり、自ら手を下すことにした。
「ごめんね。これは嫌がらせじゃなくて温情だよ。ワンチャン分消費するだけだから、ちょっとだけ死んできてね」
ルスヴンは手を振るい、御令嬢の心臓を貫いた。
御令嬢の身体が大きく震え、動かなくなった。
「よし、うまく殺せたぞ!」
慣れぬ介錯をやり遂げ、ルスヴンは歓喜の声を上げる。
ルスヴンは鬼だ。
血統に備わる能力は『再起』、死んでも一度だけ全快で蘇ることができる力である。
「これできみの苦しみも終わるよ。よかったね」
言葉だけ聞けばサイコパスのようだが、ルスヴンは心から祝福していた。
何といっても、死ぬのは苦しい。
しかも、苦しみもがいて死ぬのは、大変に苦しい。
ルスヴンがぶるりと身を震わせると、近くで何か金属がぶつかるような音が響いた。
さらにいえば、生物の呼吸のような気配も感じる。
何だろうか。
不毛の地に金属も何もないはずだ。
ルスヴンが振り返った時、そこには鬼がいた。
生物的な意味ではなく、怒髪天で人相が変わってしまった鎧の男が立っていたのである。
驚きと恐怖のあまり、ルスヴンは硬直した。
物事に集中すると周囲が見えなくなるのはルスヴンの数多ある欠点の一つである。
◇
カミラが到着した時、現場は地獄絵図の様相を呈していた。
「殺す殺す殺す!」
「ひいいいい!? なに、だれ? 何なの!?」
大剣を振り上げて激昂している鎧の人間。
情けない悲鳴を上げつつ神回避を繰り出し続けるルスヴン。
そして、身体を起こし呆然とする血塗れの少女と、彼女に寄り添う黒馬。
荒地に吹く風が砂埃を運ぶ。
目の前の光景を何かの見間違いだと思いたくなり、カミラは目を擦った。
そう、全ては砂のせいだ。
きっとそう。
残念かつ当然ながら、再び目を開けても何も変わらなかった。