ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
逃げ回る鬼と、それを追い回す大剣の騎士。
ほぼ全裸の少女。
そして黒馬。
谷底にいてはいけない集団が生み出す不条理アートを眺め、カミラは頭を振った。
そして、ハニの腕の中から大地へと降り立ち、厳かに片手を上げる。
「お前達、やっておしまいなさい」
「適当抜かしてないで指示を出しな」
レインの的確なツッコミが入り、カミラは舌打ちをした。
「レインのごうつくばり、いつまでハニに抱かれているの。さっさと降りて、バカ二人を止めなさいな」
「へえ、引退老人に武力介入を求めるのかい」
「無理を頼んだつもりはないわ。殺さないようにだけ気をつけてちょうだい。半殺しまでなら許してあげる」
カミラの返答に対し、レインが鼻で笑う。
「了解さね」
「レイン、頑張ってください!」
レインを地面に下ろし、ハニが目を輝かせる。
どうにもおばあちゃんっ子の新生だ。
レインばかりずるい。
嫉妬のあまり、カミラは唇を尖らせた。
「私は? 私は応援してくれないの?」
「カミラ様、ご指示を頑張っています。とてもえらいです」
しゃがみ込んで目線を合わせてくれるハニの、甘く蕩ける蜂蜜色の瞳ときたら。
なんと美しく、美味しそうなのだろうか。
愛情と食欲を刺激されたカミラは、ハニに頬擦りしてその肌触りを満喫する。
「この柔らかさときたら、もうたまらないわね。こんなド田舎は後回しにして、お前の奥の奥底まで味わいたい」
「モツですか。下拵えに少し時間がほしいです」
「料理の支度の前に、目の前の状況を料理しちまってほしいんだがね」
レインが呆れ声で呟く。
そういう彼女は準備万全の様相だった。
左手に散弾銃、肩に弾薬とナイフのベルト。
外套の下に見え隠れするのは特殊繊維のベストだ。
「眼帯はそのままでいいんですか?」
「牙狩の狩人ってのはね、いちいち狙いをつけなくてもいい銃を選ぶもんさ」
レインの口の端が吊り上がる。
一応リーダーのカミラとしては、狙う云々の前に、むしろ当てないようにしてほしいところだ。
しかし、指示を出してしまった以上、レインの老眼が火を噴かないことを願うしかない。
「カミラ様、私はどうしましょう。レインの応援をしていたらいいですか?」
「うーん、そうねえ……」
レインの活躍を見たら、ハニはレインにぞっこんになってしまうのではないだろうか。
それは嫌だ。
実に狭量な理由から、カミラはハニに耳打ちをする。
「ハニ、お前はあの素っ裸の小娘を助けていらっしゃい」
「はい! 行ってきます!」
ファイトポーズでやる気を表明し、ハニが勢いよく飛び出した。
いい踏み込みだ。
岩が靴型に凹んでいる。
勢いあまったハニが捨てられ令嬢を通り過ぎるのを微笑んで見送りつつ、カミラはもう一つの戦場へと視線を移す。
岩に腰を落ち着け、頬付けでショットガンを構えた老女は、実に淡々と射撃を始めていた。
彼女が狙う相手はもちろんルスヴンである。
「へあ!? なに? 何で撃たれてるの!?」
「どなたか知らないが助太刀感謝する! が、しかし、私にも当たりそうなのだが!?」
ルスヴンだけでなく、大剣の騎士もが飛び退いて回避する。
レインが撃っているのは散弾なので、実に懸命な判断であった。
彼らからしてみれば突如現れた新勢力。
不毛の谷底に老女と美少女のコンビである。
意味が分からないだろう。
カミラは大欠伸をしてレインの左隣に腰を下ろした。
「よっこいしょ、と」
「そこにいると空薬莢が当たっちまう」
「気にしないわ」
「邪魔だと言ってんだよ」
レインの素気無い言葉にいたく傷付き、カミラは目を眇めて抗議した。
「退かないわよ」
「あたしの左目がないのを気にしてるんだろうけど余計なお世話だ。あんたが怪我する方がよほど面倒さね」
「へーん、これくらいじゃ傷の一つも痛っ!?」
言ったそばから顔面に薬莢を喰らい、カミラは悶絶した。
目玉に直接は鬼でも辛い。
涙目のカミラを無視し、レインが射撃を続ける。
「御婦人! 御婦人、少し待ってくれ! 本当に私にも当たっている! 鎧が、アンジェリカ様に戴いた鎧が!」
「銀弾じゃないからって大丈夫なわけじゃないんだよ!? 痛い! 痛いよお! 血が出てる! 死んじゃう!」
威嚇射撃により、ルスヴンと騎士の距離が開き始めた。いい流れである。
しかし、カミラは一つ、失念していた。
ルスヴンは臆病者である。
隣国のカルトっぽさが怖くて外に出られず、かと言って居住区を変えて環境が変わるのも怖い。それゆえに百年単位で引きこもっているのだ。
そんなビビりが、今の状況に耐えられるはずもない。
「やだやだやだ! もういやだ! こんなのぼく一人じゃどうにもできないよ!」
逃げ回っていたルスヴンが、突如天を仰ぎ絶叫した。
「助けて、エヴァ!!」
情けない叫びが谷間に谺する。
遠慮なく失笑したカミラは、しかし、次の瞬間、立ち上がって身構えていた。
そうしようと考えたわけではない。
身体が勝手に動いたのだ。
谷の奥底。
丁度、ルスヴンの邸宅がある辺りから立ち上る気配がある。
「何が起こったってんだい」
射撃を止めたレインが掠れ声で囁く。
ルスヴンを追い回していた騎士もまた、大剣を振りかざしたまま硬直していた。
荒地の谷に影が落ちる。
迫り来る流星のような。
押し潰してくる曇天のような。
何とも言えず重々しく圧倒的な存在感。
かつり、と。
場違いなほど美しい靴音が響いた。
現れたのは真紅のドレスを纏う美貌の女だ。
豪奢な金髪の巻き毛に、透き通るほど白い肌。
彫りが深く、強かさを感じさせる顔立ちの中、真紅の瞳が絶対零度の輝きをみせる。
薔薇色の頬と唇を黒の扇子で隠し、ドレスの女が眉を顰めた。
「見苦しい」
ただ一言。
その一言で、ルスヴンが飛び上がる。
「ごめ、ごめんよ、エヴァ! きみの手を煩わせたくなんかないんだ! でも、でもぼく!」
「見苦しい」
二回目である。
魂が抜けたようにその場にへたり込むルスヴン。その首を刈る絶好の機会を前にしているにもかかわらず、青褪めたまま動けない様子の騎士。
そして、警戒体制のカミラとレイン。
他の一切を気にかけず、謎の女は歩みを進める。
ルスヴンの目前まで移動した彼女は、凍える声で問うた。
「何事か」
「…………」
「何事かと訊いておる。疾く答えよ」
答えはない。
返答すべきルスヴンが震えるばかりで反応しないせいだ。
状況と風格からして彼女が噂の奥方なのだろうが、夫婦の甘やかさなどはまったく感じられなかった。
「カミラ様!」
一気に膠着状態となった混沌の戦場に、のんきな足音が響く。
「カミラ様、とりあえずあちらの方にお洋服をお貸しして、お話を聞いてきました!」
「ハニ、待って。今、そんな場合じゃ……」
満点笑顔のハニがのほほんと駆けてきた。
言葉の通り御令嬢に服を貸し出してしまったらしく、肌着一枚にかぼちゃパンツで、ヘソも四肢も丸出しである。
カミラは一気に正気に戻った。
「待ちなさい。その格好は何なの。駄目じゃない。レイン、替えの服はどこ?」
「鞄の中だけどあんたも待ちなよ」
とりあえず間に合わせに、と自身が砂避けに被っていたポンチョをハニに掛けるが、どうしたって寸足らずだ。
剥き出しの生足が気になる。
「ハニ、しゃがみなさい。足を隠すの」
「はい、ハニはしゃがみます。そして、カミラ様に報告します」
元気よく応え、ハニが続けた。
「あちらのお嬢様ですが、お名前はアンジェリカ・ド・ラ・ヴィオレット=クリスタリーゼ様と仰るそうで、やはり転化されていました」
「そう。ルスヴンが?」
「アンジェリカ様は誰に転化させられたか覚えていないとのことでした。それに、ご本人曰く、鬼になりたくなかったそうです」
「うん?」
カミラは顔を上げ、御令嬢を見る。
深く項垂れ、立ち上がる気力一つなさそうな死人もどきの少女が、そこにいた。
「アンジェリカ様……!」
長々硬直していた大剣の騎士が剣を捨て、彼女のもとへと走る。
騎士の必死の呼びかけにも彼女は応えない。
菫色の瞳は暗く濁ったまま、凍りついてしまっていた。
「アンジェリカ様は『いっそひと思いに殺して』と頼んだそうです。鬼になったと聞いて、大層お困りのようでした!」
それはつまり、本人の意志を無視した転化。
まごうことなき協会法違反である。
カミラはルスヴンを見る。
俯いて震える臆病な鬼を。
「あのジャリンコ、やらかしたわね」
もはや残像が見えるまでに大きく震え出したルスヴンの目の前、凍土の風を吹かせた美女が告げる。
「屋敷で話を聞こう。沙汰はそれからだ」
ハニに抱きついてその肢体を隠しつつ、カミラは思った。
ルスヴンの奥方。
覇王というか、魔王では、と。