ニエはおやつにはいりますか? 〜食糧少女、鬼の家族になる〜 作:松幸春嗣
覇王系あらため魔王系細君の降臨から数十分後のことだ。
魔王城──ではなく、ルスヴンの根城に場を移し、一同は改めての顔合わせを行っていた。
「レインだよ。元狩人で人間だ。ここに来たのは同居人に付き添うためさ」
「ルスヴンです。この城の持ち主です。お隣さんの不法投棄のせいで困ってます」
「妾の名はエヴァ、この城の主である。エヴァ様とでも呼ぶがよい」
城主が二度出現している。
片や床に頭を擦り付けて土下座するひ弱そうな男。
片や仕立てのいい椅子に掛けて寛ぐ女。
どちらが真の主かは一目瞭然だった。
権力配分を確認しつつ、カミラはゆっくりと名乗りをあげた。
「私はカミラ。通りすがりの古き鬼よ」
「このような不毛の谷底を通り過ぎるとはな。おかしなこともあったものだ」
エヴァが悠然と笑う。
しかし、目は全く笑っていない。
絶対零度の赤に射られながらも、供された紅茶をカミラは啜る。
「そんなにおかしいかしら。私はただ、旅のついでに不肖の弟子を訪ねただけよ」
「し、師匠……!」
感激のあまりか、ルスヴンが顔を上げた。
両手を組んで目を潤ませた彼だったが、エヴァの一睨みで瞬時に土下座スタイルへ戻ってしまう。
床にへばりついたまま、ルスヴンが言った。
「師匠、ありがとうございます!」
「お前は何に感謝しているのよ」
「それはもう、師匠の存在そのものに決まっているじゃあないですか!」
白々しいにも程がある。
ルスヴンはカミラの訪問を喜んでいるわけではない。カミラが協会の関与を伏せたから歓喜しているのだ。
まあ、気持ちは分からないでもないが。
カミラは視線を上げ、エヴァの様子を窺う。
「何だ。言いたいことがあれば言うてみよ」
「何でもないわ。このクソ雑魚のジャリンコヘボ鬼ルスヴンが、何をどうすればお前のような女傑を娶れるのかを考えていたの」
「さすがはお師匠殿。随分な言い草よな」
艶然とした笑みを浮かべ、エヴァが宣う。
「まあよい。この男の味を知る者は妾一人。それでよかろう」
「あら、意外にベタ惚れなのね」
「妾から求婚したのだから当然だ」
エヴァの告白を聞き、ルスヴンが再び身体を起こした。
「ぼくだってエヴァのことを愛してるよ! ただ、一緒に生きてもらう勇気が出なかっただけで、ぼくはきみのことを」
「黙れ、旦那様。発言を許したつもりはない」
「ハイ、スミマセン」
撃沈である。
哀れな弟子の姿に嘆息しかない。
「お前は本当にいつまで経ってもへなちょこね」
「ほう。妾の知らぬ旦那様の過去、聞いてみたいものよな」
「それはあとでじっくり話してあげる。今は目の前のことを片付けるべきではないかしら」
そういって、カミラは視線を巡らせた。
土下座するルスヴンの隣。
首から下を鎖で簀巻きにされて床に転がされている騎士、カイニスに。
ちなみに、先程から沈黙しているレインは彼の上に腰掛けている。
老女を無碍には扱えないのか、はたまた抵抗を諦めたのか、カイニスもまた黙り込んでいた。
「さて、人間。お前の名前を聞いてもいい?」
「……カイニスだ。アンジェリカ様をお助けするべくこの地へ来た」
低く答える声は剣呑で、相変わらず強い敵意を感じる。
しかし、エヴァの名乗りを聞いた辺りから、カイニスの態度は明確に変化していた。
「先程より妾の顔ばかり眺めておるな」
呟くエヴァの目に嗜虐の色が滲む。
「どうした。この顔に見覚えでもあるのか?」
「──その昔、我が国に王妃として嫁いできた女がいた。敗戦国の姫で、大層美しかったと聞いている」
「ほう、美貌の王妃とな。それで?」
エヴァに顎で促され、カイニスが顔を顰めた。
「我が国に恨みを抱いていた王妃は、時の政権を揺るがし、ついには国王陛下を手にかけた」
「成程、復讐か。なんとも恐ろしき女だ」
エヴァは悠々と肘掛けにもたれて頬杖をつき、白々しくも口の端を歪める。
底冷えのする赤の瞳が瞬き、騎士を射抜いた。
「して、騎士よ。その女の名は何という」
「エヴァンジェリーヌ。今より約百年前に我が国を地に貶めた、稀代の悪女だ」
沈黙が落ちる。
息の詰まるような静寂に耐えきれなくなったのか、カイニスが声を荒げた。
「城主よ! 貴様、まさかとは思うが、エヴァンジェリーヌ本人ではないだろうな!?」
「いかにも妾がエヴァンジェリーヌであるが、それがどうかしたか?」
エヴァが嘲りに満ちた答えを返す。
それと同時に、騎士の怒りが爆発した。
「牙の谷の鬼とは貴様のことであったか! 王を殺し、民を惑わせるだけでは飽き足らず、百年の長きに渡って我が国を脅かすとは!」
カイニスが暴れて怒鳴り散らすものだから、鎖の音が鳴り響いてうるさい。
カミラは両耳を塞いでレインに目配せをした。
のたうつ蓑虫騎士の上でレインが溜め息を吐く。彼女は片手でカイニスの頭を掴み、地面へと押しつけ始めた。
「ちょいとごめんよ」
「うがっ!? 御婦人、何をする! 貴方も人間ならば悪逆の鬼を討つことに異はなかろう!?」
「あたしは元狩人だ。あんたの気持ちも分かるよ。だけど騎士の坊や、本物の悪鬼ってのはこんなもんじゃないのさ」
カイニスの上に座り直し、レインが言う。
「それにね、ここの城の鬼は協会に属してる。人との共生を望んでいるってわけだ」
「……
「そこからかい」
元狩人は眉間に皺を寄せ、エヴァを振り仰いで問いかけた。
「今時人を食う鬼は少数派だ。人なんざ、わざわざ世を乱してまで喰らいたいものでもない。そうだろう、城主様?」
「その通りだとも。妾は争いを好まぬ。相手が人であれ鬼であれ、な」
エヴァが目を伏せる。
穏やかに告げる悪女の姿に、カイニスが押し黙った。
再び静寂を取り戻した応接間。
そこに響くのは、情けない啜り泣きだけである。
「城主はぼくなのに……ひどいや、人間達がぼくを見下す……」
床と仲良くなったまま嘆く夫を見下ろし、エヴァがうっとりと呟く。
「ほんに愛い男よな」
弟子の夫婦関係など死ぬほどどうでもよかった。
しかし、これは流石に可哀想かもしれない。
やはり結局、どうでもいいのだが。
カミラはソファにもたれ、冷めた茶を啜った。